縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第363号

2011年 縁の花のお手紙6

霊界の企てに見事にはまりました

∞「少しも淋しくありませんでした」∞

また、河内晢先生が参加してくれた

12月23日の誕生祭が終わった後も

俺は淋しくありませんでした

 

と言うのも、誕生祭が終わった後も

済度場に、済度の善友の女性が残っていて

その女性と、夕方の6時頃まで

済度の憧れ話をする事ができたからです

 

しかも翌日の24日、クリスマス・イブの日も

雪の中、急遽、佐渡島の済度の善友を

京都講演会にお連れするお役も頂きました

JR青春切符の枠が残っていたので

二人で、金沢から京都講演会に行きました

 

青春18切符は

新快速までしか使えないので

時間がかかって、お連れした人には

申し訳なかったですが

珍道中をしながらも

済度の憧れをして

楽しむ事が出来たのです

 

その上、25日のクリスマスも

ある大衆劇団のお手伝いのお役があって

8時から、済度の人達と一緒に働きました

雪の為、バスが1時間以上も遅れて

寒い中、大変でしたが

何とか、6時に劇場に着くと

済度の仲間達と

大衆劇を楽しみ

それが終わった後

集まった済度の善友と

お仕事する事ができました

 

12月25日で

12月に興行していた劇団が

次の所に移るので

その搬出のお手伝いさせて頂けたのです

それで、テレビとか、鬘、衣装、刀、芝居の道具などを運んで

初めて、劇団の舞台裏を見させて頂けて

とても楽しかったです

 

なので、25日も、少しも淋しい思いをせずにすみました

10時半の済度が終わった後の

昼の開いている時間は、ミニノートパソコンで

縁の花を書いていたら

時間を過ごす事が出来たのです

 

また、俺は、それは

ただの偶然ではなく

霊界が、俺に配慮してくれたからだと

感謝していました

俺が、淋しくないように

してくれたのです

 

だから、そう思うと、俺は、とても嬉しかったです

霊界に、心からお礼を言うと

済度、頑張ろうと改めて思ったのです

 

しかし、それでも、命がけでやろうとは思いませんでした

24日〜26日の河内晢先生の晢法を聞いていた時は

意識を変わろう

意識改革しようと思いますし

そのつもりで、やりますと手を挙げるのですが

それでも、すぐに駄目になります

そうは言っても、なかなか自分を

改革できないよと

なってしまうのです

 

でも、そんな俺が26日の電車の中で変わる事ができました

やらないといけなくなったのです

 

というのも、俺は、今回の金沢の旅で

一つどうしてもしたい事がありました

それは、俺の前世、武田勝頼に関する事です

 

これは、まだ確認していないし

確認するつもりもないのですが

俺は、やっと、前世武田勝頼だった時に

妻だった、北条夫人だったかもしれないという人を見つけました

とても、偶然とは思えない事が

2010年1月13日に起きたのです

 

でも、11か月間が、経過しても

その事はなかなか、その人に言えませんでした

前世は、前世で、この世とは関係ないからです

 

だけど、やはり、2010年に起きた事は

2010年で区切りをつけたかったので

23日〜25日に、インターネットカフェでも行って頂いて

縁の花を見て頂きながら、少し伝えたかったのですが

相手の人も、クリスマスの時期は忙しく

時間はないとの事でした

俺は、今年、お伝えする事は諦めていたのです

 

しかし、電車の中で

今回のご褒美と言う事で

ビールを一缶飲んで

酔った事もあったのか

霊界が言えと言ったのか

思い切って

メールでお伝えする事にしました

 

俺は

「いつもありがとうございます

今、缶ビール一杯だけ、有縁霊と一体で飲みました

それで、少しだけ酔っています

それで、一つだけお伝えしたかった事

これを機会に言います

大切なメールで、言う事をお許し下さい

いつ言うか、いろいろ考えていましたが

今年の事は、今年の内にします(*^_^*)

実は、●●さんの事で

不思議な事が、何回かありました

俺の前世、武田勝頼だった事は

ご存知ないと思いますが

○○さんに勝頼だと教わってから

武田家済度していますが

もしかしたら、●●さんは

武田勝頼の妻だった北条夫人かもしれないと思っています

 

ただ、誤解しないでね

○○さんに、確かめていないし

確かめるつもりもありません

前世は前世です

今世とは全く関係ありません

なので、どちらでもいいです

でも、●●さんが、知りたいなら

聞いて見て下さい

もし、そうだったら、来世も誓い合って

共に亡くなったご縁でしたよ

 

さて今からが俺の本題です

2012年の俺の誕生日まで

後2年です

来年からは、死ぬ気でやります

意識を変えます

縁の花で、大動員かけます

どんどん講演会に、意識の高い人

読者を願いで、動員します

一か月に十人、二十人動員します

 

先生に過去に、身代わりになって頂いた借りは

全部帰して喜んで貰います

こちらの方は覚えていてね

もし、意識変わらなかったら

指摘して下さい

来年は必ずやります」

こういったメールをさせて頂いたのです

 

∞「俺が、命がけでやると

決心した最大の動機」∞

すると、その日の晩、3時間後

●●さんから

「それはすごいですね。(*^_^*

私も死に物狂いで頑張りたいです☆

・・・・」

と言う返事が来て

電車の中で、それを見た俺は

びっくりしました

死に物狂いでやるなんて

書いていないよと思ったのです

 

それで、改めて、俺の長いメール見たら

死に物狂いとは書いていませんが

死ぬ気で頑張るとは書いていました

これにも、驚いてしまいました

俺は、縁の花の読者に対して

今年は、本気で頑張ると書いたつもりでいても

死ぬ気でやるとは書いたつもりはなかったからです

 

しかし、その自分の書いた言葉を読んで

俺は、一つ、分かりました

●●さんが、私も、死に物狂いでやると書いたのは

●●さんではなく、●●さんの魂

きっと、前世、北条夫人(名前は分かっていません)の魂の部分が

言わせた言葉で

何よりも、俺自身の魂も

俺の前世、武田勝頼の部分の魂が

それを望んでいる

俺は、その事を悟ったのです

 

だから、その瞬間、俺は

●●さんのように

死に物狂いでは、頑張れないかもしれないけど

死に気で、命がけで

やろうと決心しました

俺は、その時に、始めて決心できたのです

 

何故なら、この世に生存している人なら

俺は、すべての魂の親である河内晢先生に

晢法で言われても

その時は、やろうと一瞬は思っても

それでも決心はできませんでした

 

なので、たぶん、将来、恋人や奥さん、子供が現れても

そんな愛する人達に言われても

それでも、俺は、決心はできなかったと思います

やると言っても

やろうと一瞬は、決心できても

やろうとしても

本当には、決心はできなかったと思うのです

 

だけど、俺の前世、もっとも大切にしている武田家の御霊達

その中でも、長年探していた武田勝頼の妻だった北条夫人の御霊、魂が

俺に、前世武田勝頼に

死に物狂いで、済度やってと

魂で叫んでいたとしたら

俺は、有無を言わずにしないといけません

武田勝頼は、北条夫人に対しては

それだけのことをしないといけないのです

 

何故なら、武田勝頼が、北条夫人を

正室として迎えたのは

長篠の戦で、大敗した後でした

 

その時に、武田勝頼は、この戦で、

織田信長、徳川家康と合戦して

多くの有望な家臣の多くを亡くしました

勝頼の思慮のなさが原因でした

本当に、取り返しのつかない事をしたのです

 

それで、武田勝頼は、織田軍、徳川軍から

武田家を守る為に

東の大国、北条家との縁組みを考えました

幸い、武田勝頼の正室は

織田信長の養女だった、遠山夫人でしたが

嫡男、信勝を産んだ時に

亡くなっています

勝頼は、その正室に

北条家の姫を迎えようとしたのです

これで、北条家と同盟を結ぼうとしたのです

 

また、そんな武田勝頼の元に

嫁いでくれた女性が

北条氏康公の六女の女性でした

名前は、残念ながら分かっていませんが

勝頼よりも、年齢は18歳も若い

14歳だったと言います

 

でも、この北条夫人は、そんな若さでも

さすがに名門、北条家の姫らしく、賢く

信玄公に、「風林火山」の旗をプレゼントして

最後まで、勝頼夫婦を支えてくれて

織田軍によって、一山の僧とともに焼死を遂げた時には

「心頭滅却すれば火も亦た涼し」と言うような

有名な辞世を残した

恵林寺の快川国師は

気高く、美しく、慈愛に満ちた

自然に人を感化するとして「芝蘭」(いらん)の花のような

人を感化する女性だと言っています

夫婦仲も、年齢が離れているのに良く

北条夫人は、勝頼と琴瑟相和したと言うのです

 

しかし、勝頼は、この北条夫人に

とても申し訳ない事をしています

だって、上杉謙信公が亡くなった後の

世継ぎ争いでは

勝頼は、北条夫人の実家である北条家が

支援している

景虎でなく、景勝を応援して

北条家と手切れをしてしまいました

いろんな理由があったのですが

妻の里である北条家を裏切る事になってしまったのです

 

その上に、それでも実家の北条家に帰らず

自分について来てくれていた若妻の北条夫人を

武田家が、滅亡した時に、死なせています

 

この時に、逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は

武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指しましたが

その途上の田野でついに追手に捕捉され

嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害しているのです

 

しかも、その時にも武田勝頼は、その時にも

妻の北条夫人には、実家の北条家に逃げる事を

強く勧めたと言いますが

北条夫人は、きっぱりと拒否すると

最後まで、勝頼から離れようとはしませんでした

勝頼と一緒に死ぬ事を選んでくれたのです

 

その上に、勝頼を心から愛してくれて

武田家が滅亡する直前には

北条夫人は勝頼のために武田家の安泰を願い

武田八幡宮に、有名な、歴史に残っている

すばらしい内容の願文を奉納してくれていますし

逃亡していた時には、柏尾大善寺に宿泊した時には

寺の本尊の薬師如来に

「来世を祈りましょう」と

薬師堂に籠り、通夜を行ったと言います

その時に、来世も、再び、巡り合う事を

誓い合っていると思うのです