四月二日(金) 発信 nO三二 いのちの風

  Eメール ishiguro@a1.heysay.net

いつもありがとうございます。 春雨が長く続きますね。 そのおかげで十日も早咲きの桜がなんとかこの週末までもってくれそうです。 しかし花冷えで風邪など召されない様にご自愛ください。

FAX継続のご返事がなかなか来ません。 かなり減りそうです。 昨夏以来の思想傾向が嫌がられているのでしょうか。 暗い、危ない(危険思想)いきがってる、悪筆、自己宣伝、勝手にどんどん送られてくる。 そのように思われたかもしれません。 申し訳ありませんでした。

しかしこれは私の通信の個性ですので仕方ありません。 ご了承ください。 なお残念ですが、ご返事のない方への送信はもうじき中止させていただきます。 またどこかでお会いしましょう。 長い間ありがとうございました。

 

NHKで出版している月刊「ラジオ深夜便」の四月号に先日の「体は(最高の)ミステリー」が載っています。 ご関心ある方はお読み下さい。

 

先日の日曜日に釜が崎あいりんセンターでカレーの炊き出しがあり、私も半年ぶりに参加しました。 FAX仲間も五人ほど参加してくれていました。 今回は特別に野宿者の列が長くできてトラブルが起こりました。 二百mもある巨大な「あいりんセンター」のビルを一周するぐらいの列ができ、道路を封鎖するぐらいになったのです。

 

道路際で屋台の商売をしている店主が「商売の邪魔だ」と怒鳴り込みにきたのです。 私が飛んでいって折り重なって二重になっている列を、交通整理したのですが、「営業妨害するつもりか!」と叫ぶ店主たちに殴り飛ばされるのではないかと危険を感じました。

 

早く機転が利いて対処できたから良かったものの,ドンくさくオロオロしていたら、店主たちに囲まれてどうなっていたか。 炊き出しの主催者の方でも、六年以上やって来ても、これは初めての経験で危機管理ができていなかったのです。 もっとも店主たちにとって炊き出しはいわば「商売がたき」なのです。 彼らにとって野宿者は稼ぎの対象。 炊き出しは彼らの売り上げを奪い取るものでしかないと思われるのです。

 

釜が崎にはベンツやBMWなどの外車をよく見かけます。 一泊千円の簡易宿泊ホテル(昔はドヤとよばれ汚いカイコ棚のような安宿だったのが、いまはカプセルホテル並みにきれい)のオーナーやヤクザが乗り回している。 釜が崎のあちこちで秘密の賭場が行なわれているようで、ところどころで若い兄さんたちが見張りで立っている姿をよく見ます。

 

野宿していても昔の年金が入って来ている老人や、生活保護を受けている老人が狙われる。彼らはひとり暮らしの寂しさから、月に一度入ってくる彼らにとっては大金をギャンブルにむけてしまうのです。 そして誘惑に弱い人は借金取りに追いかけられる羽目にもなるのです。 彼ら自らが招いた責任ではあるけれども、貧しい人々を食い物にする輩がこの世界でも跋扈しているのは事実です。

  

冬に何度も寝袋を配った釜が崎の山王商店街のすぐ隣に、昔「遊郭」があった飛田があります。 夜十時ごろ寝袋配りをしている商店街の通りから、今も街灯がこうこうと輝く春」の街の姿が見えます。 中年や若者たちが友と連れ立って「買い」に来ているのです。 ここもヤクザが仕切っているのでしょう。

  

隣の通りでは野宿者がダンボールにくるまって寝ており、道の向こう側では「札束」が舞っている。 キタやミナミと同じ光景です。 (今まで考えたことのなかったこういう文章が、打ち込んでる間にわき出てくる。 不思議です。 書かされているとしか思えない)。

 

今、野宿している年老いた、かっての建築労働者も、昔は羽振りが良かったのです。 高度成長期や大阪万博のときには、一日一、二万円もかせぎ、商店街や「飛田」の上得意だったのです。 

長引く建設不況やゼネコンの倒産で仕事が激減し、とくに高齢者の労働者は建築現場からはじき飛ばされ、あいりんセンターの職安へ行っても若者でさえ仕事にあぶれる

 

蓄えもなく日銭だけで生活していた彼らを働き者の「アリ」が「キリギリス」とあざけり笑

うのは勝手だが、そのアリでさえ突然首切りされて、ダンボールのなかで寝るはめになる、ご時世だ。一寸先は闇と心得えておくべき。

 

今回の炊き出しでもスーツ姿の人を見かけました。 最近リストラされたか、借金で逃げてきたのでしょうか。 先月大阪駅前でも三重県から来た若い夫婦が荷物をもって炊き出しの列にならんでいて寝袋を渡しました。 駅前で寝るのです。 何かの事情で故郷からのがれてきたのでしょう。

 

その同じ三重県からFAX仲間の奥さんが今回のカレーの炊き出しに始めて参加されていました。 カレーが来る前に、列に並んでいる人々に箸を渡していて泣きそうになったと言われました。 私も三年前に生まれて初めてこの炊き出しに参加して同じ涙の体験をしました。 釜が崎に初めて来て地面に寝ているぼう大な数の人々の姿を見て泣きながら帰っていったと言う人もいます。

 

数百メートルも一直線に炊き出しの列に黙々と並ぶ千人もの人々。 まずその壮大な数に圧倒される。そして多くは年老いている。 「こんなたくさんの人々の身の上に何があって、こんな目に!」と思ったらとたんに目頭が熱くなる。日本のアウシュビッツだ。 

今は感性が麻痺したのか、感動はなく、親しい酔っ払いのオッチャンとふざけたりはしているが。 初めての、特に純粋な人にとってこのカルチャーショックはきついと思う。

 

釜が崎の活動家は「かわいそうと思ったらあかんよ」と言う。私も独自な見方をして、彼らは神様に特別愛されている人々、「がんばれよ」と

一面クールに見るようにはなって来ている。しかし世の中の不条理には怒りがこみ上げても来る。

 

寝袋を配っている時、飛田のそばの商店街で文房具や雑貨を売っているオバサンと話をしました。 「あんたらな、皆にいいことしてやってるけど、この人らトイレの後始末をせえへんから店の人らに嫌われるんや。 今度来るときにはゴミの袋を持ってきて、「ココにしー」と書いて渡してやってくっれへんか」といわれた。

 

このオバサンは飛田からの流れ客で商売が出来ているのか、夜十時すぎから開店して朝まで営業しているようだ。 「私な、田舎育ちやから、乞食さんのような人を、ほっとかれへんねん。昔は、村に来た乞食さんに「これ食べ」と少しのもんやけど、皆なにかあげてたで」

 

「夜になったらこんな風に商店街で寝られたら皆怒りよる。あちこちでトイレされたら臭うてたまらへん。わたし皆に怒られんように綺麗にしとたるねん。 何の因果かこんなことになってしもうたけど、この人らにも親もあったやろうし、ちいさい時には皆にかわいがられたやろ。 

ふびんでたまらんのや。 田舎からたまに送られてくる野菜や肉でスープ作って皆に持って行ってやるねん。 朝の四時頃やったら皆ぶるぶる震えてる。おいしそうに食べてくれるで」涙があふれた。


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