心の置き場

 

              岩生 百子

 

 今年に入って、大学のスクーリングのために何回か東京へ出向いた。

 夜遅くに高速バスに乗ると、早朝、東京池袋駅の東口に着くのだ。

 その都度、出がけに、小学五年生になる娘は玄関でそっと手紙を渡してくれる。

 バスに乗り込んで、小さな封筒を開けると、「気をつけて行ってきてください。勉強、がんばってね」と、かわいいイラスト入りで書いてある。それと一緒に、手作りのお守りが入っていることもあるし、かわいいバッチが入っていることもある。

 そんな小さな心遣いをしてくれる娘に、私は感謝するとともに、私のいない間、家事を手伝ったりしながら、精一杯さびしい気持ちをこらえて待っていてくれる彼女のためにもがんばらなければと、勇気が湧いてくる。

 娘は、学校でパソコンを習ったりしているはずなのに、ほとんどメールはしない。パソコンが苦手というわけでもないらしいが、かわいい便せんや封筒を集めていて、友達などにもよく手紙を書く。うれしいことも、ケンカの仲直りにも、手紙を書いているようだ。

 先日、夫の帰りが遅かった時、新聞広告の裏だったけれど、「お仕事ごくろうさま。疲れたでしょう。お風呂に入ってゆっくり休んでください」と、自分の似顔絵入りの手紙をさりげなくリビングのテーブルに残してあった。

 自筆の手紙には、やはり心がこもっていると思う。

 考えてみれば、携帯電話やパソコンが普及した現代、私は、自筆の手紙というものをあまり書かなくなった。一年にどれくらい書いているだろう。年賀状すら、パソコンで簡単に印刷して済ませている。

 私の母のような年代の人は、お礼状の一枚を送るにも、一晩かかっても一生懸命考え、下書きまでして、手紙を投函しているが、私は、時間がないというのを言い訳にして、いつの間にか、メールや電話で簡単に済ませてしまう習慣がついてしまった。

 メールは便利だ。特に、私は電話で話をするというのが苦手なので、その場で書いた思いが、瞬時に相手に届くということに魅力を感じたひとりであった。特に、携帯電話のメールは、絵文字も使える。「今度、一度会ってお茶でもしましょう」と書くのに、コーヒーカップの絵文字を入れれば、おしゃれだし綺麗におさまる。

 ちょっとした空き時間にいつでも返事を書いたりできる。改まって、便せんを前にして書くこともないのだから、こんな便利なものはない。

 しかし、このごろよく思うのは、「心の置き場」ということである。

 素早くキャッチボールのように、相手と会話のようにやりとりができるかもしれないけれど、私は、心の置き場を無くしたように感じている。

 とにかく、何でもいいから早く伝えるということが、そんなに大切なことなのか。そして、思いをストレートに伝えることが、そんなに価値あるものなのか。

 娘の手紙をもらうと、いつも考えさせられ

るのだ。

その一言の文字、文章の中に、彼女のたく

さんの思いがつまっているのがわかる。書いた字の一字一字に強弱がある。その中に、思いを感じる。

 どんな気持ちで、この手紙を書いたのだろう。その思いを、私は心の置き場所に置いて、東京に着くまでの間、彼女からの手紙を何度も読み返すのだ。

大学で勉強することになったと、彼女に告げた時の、あの驚いた顔。最初にスクーリングで家を空けなければならないと告げた時、いつまでいないのかと言った、あの不安そうな顔。私もお母さんと一緒に勉強がんばるよと、少しうつむき加減に唇をかんだ顔。そんな彼女の姿を思い出しながら、かけがえのないものを心の中で暖める。

娘でなくとも、人と人の心というものは、そのようにして育まなければならないのではないだろうか。

送ったメールが用件のみで事務的になりすぎた時、友人に、「何か、そっけないね。気分でも悪いの」と返事をもらったことがある。

 自分ではそんなつもりがなかったし、なぜそのようなことを言われるのかもわからなかった。

しかし、メールは、そのような誤解を生むのかもしれないと最近は思う。活字から、心は読み取れない。どんなに絵文字を使ったとしても、限界があると感じるようになった。

 心の置き場に心を置く前に、もう次の展開が始まっているのだから。次に急がなければ。始まってしまったものを追いかけているうちに、さて、それはどこへ行くのだろう。

メールは、すぐに送ることができ、すぐに消すこともできる。

私は、あわてていて、誤って消してしまったこともある。消してしまうと、取り返しがつかない。メールで送る心というものは、それくらいはかないものなのではないかとも思う。

メル友さん。メールの使い方によっては、簡単に友達もできるようになった。会ったこともない、顔が見えないから、どんなことを書いても平気という人もいる。

小学生でも、学校で面と向かって言えないことは、メールで簡単にやりとりできる。

しかし、はかない心のやりとりを「真実」だと誤解した時に、最近マスコミで取り上げられているような、思いもよらない事件にまで発展するのではないだろうか。

私が、そんなつもりで書いたわけでもないのに、そっけないと言われたような、最初はほんの些細なすれ違いから生じる、誤解である。それも、「心の置き場」があったら、回避されたのではないかとも思う。

それでも、私は、便利になった世の中をすべて否定するつもりはない。便利なものは便利なものとして使ってもいいと思う。

 しかし、その便利なものに支配されてはならない。便利なものを、時と場合によって使い分ける。自分の中で、その配分を考え、折り合いをつけながら生きていけば、悲惨な事件はなくなるような気がする。

 娘の手紙は、私が忘れかけていた大切なものを思い出させてくれた。

娘が一生懸命自筆の手紙を書いてくれるということ…ちゃんと「心の置き場」を持っていたということに、私はとても感謝している。そして、これからもずっと、持ち続けて欲しいと願っている。

 大学を卒業するまで、これからも、何回か東京へ行くだろう。その間、また娘は、手紙を書いてくれるのか、それはわからないけれど、それでも、私は、これまでもらった手紙の束があるから、これからもずっとがんばれるような気がする。高速バスに揺られながら、何度も何度も、それを読み返して。

 この年になってからまた、大学で勉強しようと思った私の、人生の一こまの中に、娘からもらった手紙、そして彼女との今の関わり合い、心の結びつきが、刻み込まれていくのだろう。

 そして、私は、卒業証書を手にした時に、感謝の気持ちをこめて、娘に手紙を書こうと思っている。ゆっくりと長い手紙を。

 私の卒業の時には、彼女は小学校を卒業する。

 

 

★あなたも、人生の旅路、自分探しの道具と

して、SMIプログラムを採用しませんか?SMIは、大々的にCMを流すことはいたしておりませんが、行政をはじめ、教育関係、スポーツ業界等々、日本中のあらゆる業界で、SMIプログラムが活用され、評価をいただいております。

SMIプログラムは、理論理屈ではないので、知っているだけでは何の役にも立ちません。

知っているとやっているでは違います!

★お問い合わせは、

  泣qューマンパワー富山21

   モティベーター 坂木 理恵
rsakaki@hkg.odn.ne.jp

 岩生百子  縁の花支縁ホームページ

      縁の花 トップページに戻る

      縁の花村トップページに戻る