洗濯機

 

               岩生 百子

 

 三年くらい前に、乾燥まで全自動でやってくれる我が家ご自慢の洗濯機が壊れた。何度か修理を依頼したものの、やっぱり動かなくなり、ずっと私は、車で五分で行ける母の家で洗濯をさせてもらっていた。

 最初の頃母は、電気代や水道代がかさむと少し文句も言っていたが、そのうち、毎日私の顔を見ることを楽しみに待っていてくれるるようになった。洗濯が終わるまで、コーヒーを飲みながら母といろんな話をした。これからの人生のことや、子どもたちが目指している将来の夢の話。音楽や小説。国や政治の話まで、本当にいろいろ。

 私が幼い頃から母はずっと職業婦人だったので、これまでこんなに深く話をしたことはなかったかもしれない。

だから、毎日、家族全員の洗濯物が入った大きなビニール袋を持って、母の家に行くこともさほど苦にはならなかったし、切羽詰って洗濯機を新しく買い換えるという考えも浮かばなかった。

 ただ、次男が週三回、夕方からサッカーの練習に行っているため、雨の日はドロドロになったゲームシャツを、夜遅い時間になっても洗濯しに行ったり、随分母には迷惑をかけてきたとは思うが。次男もその度に、「洗濯お願いします」と頭を下げて言うのも、少しかわいそうな気がしていた。

 そんな毎日が習慣化されてきていたのだが、とうとう、先日、我が家に新しい洗濯機がやってきた。

 夫は口には出さなかったけれど、大きなビニール袋を担いで玄関を出て行く私の後ろ姿が哀れに思えたのか、または、母に悪いと思ったのか、少しお金に余裕ができたからと、思いがけず洗濯機を買ってくれた。

―自分の家でいつでも洗濯ができる―

こんなことは、他の家庭から見れば普通のことなのかもしれないが、私はうれしくてうれしくて、飛び跳ねたり踊ったりして、

「ありがとう」

と、何度も夫に言った。本当にそれくらいうれしかったのだが、夫は、

「洗濯機を買ったくらいで、そんなにうれしいか?」

と笑った。でも、そんな夫も新しい洗濯機のスイッチを入れてみたり、のぞきこんだり、私が喜んでいる姿がうれしかったのかもしれない。

そして、それを見ていた子どもたちも、まるで今まで洗濯機というものを見たことがなかったかのように眺め回し、長男などは説明書を片手に、

「おー、水が入ってきたぞ」

珍しそうにはしゃいでいた。

 洗濯機を買ったということを聞いた母は、もう私が毎日来なくなるのではと淋しがったが、それでも、

「雨の日も、雪の日も、毎日毎日、大きな袋を持ってくるあんたの姿がかわいそうやったから、本当に買ってもらってよかったね」

 と、一緒になって喜んでくれた。夫に感謝しなければとも言った。そう、私は心から夫には感謝している。そして、洗濯機一台で、こんなにも家族みんなが喜びを表現し合える、しあわせなひと時を過ごすことができたということにも感謝している。

 以前の私だったら、洗濯機が壊れてしまった時点で、多少無理しても、わがままを言ってすぐに買い換えていたかもしれない。あるいは、洗濯機がなくても、母のところで洗濯するということが当たり前になってきていたが、母との語らいの時間を楽しむこともせず、「毎日行くのが大変だ」と愚痴ってばかりいたかもしれない。

 マイナス思考だった私が、今ある現実をどう捉えるか、その考え方で人生が変わるのだということを知り、少しずつだが、プラスの考え方が身についてきたから、今、このしあわせな時を過ごすことができるのかもしれないと思う。

 本当に「考え方の習慣」で、こんなにも違うものなのだと感じる。よい歯磨き習慣は歯の健康を得られ、悪い歯磨き習慣は虫歯を作る。その原理と同じなのだ。

 そして、人間としての喜び、しあわせというものは、こんな些細なことかもしれないということを、今回またひとつ気づくことができた。

 いつも当たり前に思っている日々の生活が、本当はとってもすばらしいことなのかもしれない。

 祖母思いの娘は、

「洗濯しに行かなくても、おばあちゃんの家に毎日行かんとだめだよ」

 と心配して私に言ったけれど、そんな心配はご無用。洗濯のおかげで習慣化された母との語らいの時間は、今の私にとってかけがえのないものとなってしまっているから。

 これまで、子どもたちには、「思いやりの心」を持ちなさいとか、「感謝」の気持ちを持ちなさいとか、いろいろな教えを口にしてきたけれど、こうして日々の小さな出来事の中で、大人と一緒に子どもたちも学ぶのであって、理論理屈だけでは身につかないのかもしれないと感じた。

 最近読んだ本の中に、「子どもは自分の鏡である。子どもが反抗的であったり不機嫌であったりするのは、すべて親としての自分の内面が反映されているのである」というようなことが書いてあった。実に単純なことだ。自分自身が平和でしあわせな気持ちでいるのなら、子どもたちも同じくしあわせなのだ。

 私は、子どもたちのしあわせのために、私自身の人生の喜び、しあわせを描き続けるしかないなあと思う。

 洗濯機がもたらしたしあわせは、私にとって、意外にもいろいろな気づきがあり、小さいようで、これからの未来のための大きな大きな無限のしあわせなのかもしれないと、私は思うのである。

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