電車の中で…

 

               岩生 百子

 

 大学でのスクーリングを終えた私は、東京駅から夕方の新幹線に乗り、そして、途中、越後湯沢で特急はくたかに乗り換えた。

 連休最後の日とあって、車内はほとんど満席で、わたしの席の通路を挟んだ隣の席には、たぶん五十代くらいと思われるご夫婦が、二人並んで座っておられた。

 お二人で、どこか旅行にでも行ってこられたのであろうか。ご主人はとてもお疲れのご様子で、席に着くなりシートを倒し、眼を閉じながら、イヤホンでラジオを聞き始められた。奥様の方はやや放心状態で、時々、窓の外に黙たまま眼を向けておられる。

九月も中旬になると、午後七時を過ぎたら外は真っ暗。外を見ておられる奥様の横顔が電車の窓に映って見え、私の席からも、その疲れた表情が見えていた。

 しばらくすると、車掌が現れて、お客の切符をひとりひとり、確認してまわる。私がちょうど、車掌に切符を見せ終わった時のことだった。

「あら、どこへ行ったかしら?」

 その奥様が、バックの中やら袋の中やらと…、慌しくひっくり返して見ておられる。

 その時、それまで黙って眼を閉じておられたご主人が体を起こすと、

「お前は、何をやってるんだ!」

 と、大きな声で奥様に怒鳴りつけ、

「切符、ないのか?」 

「ええ…確かにここに入れたのに…でも、さっき、お父さんに渡しませんでしたか?」

 奥様は、バックの中を引っ掻き回しながら、おろおろ、小声で。

 車掌は、黙ったままその場に突っ立っている。

「何を言ってるんだ。俺は持ってないぞ」

 それから、奥様が泣くような顔で一生懸命探しておられる隣で、ご主人は真っ赤になって、頭から湯気が出てきそう。

「この、バカ野郎!」

 から始まり、

「だから、お前はいつもいい加減なやつだと言ってるんだ」

「きっと、お前のことだから、どこかで落としてきたんだろう」

「全く、どうしようもないヤツだ」

「切符無くして、どうするんだ? えっ?」

 散々怒鳴り散らし、挙句には、

「カチ殺してやろうか!」

 とまで…。

 私は、ああ、たかが電車の切符くらいで、殺されたらたまらんわと思いながらも、奥様が必死になって探しながら、そして、怒鳴られる度にどんどん小さくなっていかれる様子を、とても哀れに思った。

 車掌もどうしていいのか困った様子で、何も言わず立ちすくみ、ただ、切符が出てくることを、ひたすら祈っているような感じだ。

「ないな。お前、どうするんだ?」

 と、今度は少し声を落として、ご主人。

「はあ…どうしたらいいでしょう?」

 奥様が、車掌に問いかけ、車掌がそれに答えようとしたその時だった。

「あっ、ありました。すいません、ありました!」

 それから、車掌は何事もなかったかのように、検印を押して、次の席へと移って行った。

 ご主人も、今自分が口にしたことをすべて忘れたかのように、元の通りシートに座りなおすと、また眼を閉じられた。

 散々言われた奥様は、きっと、心を静めようと思ったのだろう。ぼんやりと宙を見つめながら、黙ってペットボトルのお茶を飲んでおられる。

 と、持っていたその手から、ペットボトルが滑り落ち、ご主人の足元に。お茶がご主人のズボンと靴にビシャッツ。ご主人は飛び上がるようにして立ち上がり、奥様は、驚いてハンカチを取り出すと、ご主人の足元にかがみ込む。

 痛々しさを覚えた私は、思わず目をそむけた。

 また、ご主人の、

「お前は、何をやっているんだ!」

 から始まり、先ほどと同じような感じで、「カチ殺す」までに至った。

 この奥様は、いったい一日に何回、カチ殺されそうになっているんだろう? 私は、何だかいたたまれない気持ちになって、指定席でなかったらとっくに席を替わっていたに違いない。

 やっと騒動が治まった静寂の中で、私は、切なさの中で、このご夫婦の生活、人生というものを考えてしまった。

 たぶん、このような出来事は、お二人の日常的なことなのかもしれない。

 結婚されて何年くらいになるのかわからないけれど、奥様が何か粗相をする度に、ご主人はこのように怒鳴っておられるのだろう。

ご主人に怒鳴られると、奥様はとても真面目にそれを受け止めて、自分はダメな人間だと思い込んで、何とか少しでもよくなろうと一生懸命生きておられるような気がする。

しかし、その緊張感がかえってストレスになってしまうので、がんばればがんばるほど、失敗をしてしまうのだ。そのパターンの中で、奥様は益々自信を無くし、自信を無くすから、また粗相をしてしまう…という悪循環になっているのかもしれない。

ご主人は、仕事もできる方で、それなりのキャリアをお持ちなのかもしれない。もしかしたら、会社でも部下に、同じような勢いで叱咤激励しているのかもしれない。

しかし、「コイツはいつもヘマばかりしているけど、憎めない、かわいいところもあるからなあ」なんて、ご主人に、奥様のよいところを考えることができるような心の余裕があったら、ここまで徹底的に攻撃することはないだろう。

また、「カチ殺す」と言われたら、「やれるもんならやってみろよ」と言えるくらいの余裕が奥様にあれば、ここまでひどくはなっていなかっただろう。

でも、奥様はたぶん、とても真面目な努力家なのだ。そんなことを、冗談めいた口調で言い返すなんて、とてもできない人なのだろう。いい妻になろうとした結果、このような関係を築き上げることになってしまったのかもしれない。

 そして、これが家の中だけなら、まだいいかもしれないが、今回のように公衆の面前で怒鳴られたりすると、自尊心も傷つくことになるから、最悪の悪循環であると、私は思う。

 子どもに対してでも、「その場ですぐに叱らないと、後で何を言っていても効果がないのよ」と、どこでも場所を構わずに、ものすごい剣幕で叱りつけている方がいるけれど、私は、これはよくないと思っている。

 仮に、その場で叱らなければならないことがあっても、言い方がある。よほど命にかかわる危険が伴わない限り、公衆の面前で怒鳴ったり、叩いたりすることは、かえって逆効果だと考える。してはいけないことを、冷静に静かに言って聞かせても、ちゃんとわかってくれるものなのだ。

 場所を構わず、怒鳴って言うことをきかせるという心理の裏側には、いつ、どんな時も「相手を、自分の思い通りにさせなければ気がすまない」という気持ち、つまり、それが子どもであろうと配偶者であろうと、所有物としての扱いがうかがわれる。

 人には、それぞれ魂、心がある。そのことを認識し、傷つけないようにしようという真心があったら、所有物にはならないであろう。

 私は、身内だから何を言っても、何をしてもかまわないという考えは、間違っていると思う。本当は、身内だからこそ大切にしなければならないのだ。

 他人なら、一時のこと、少し我慢すればやり過ごせることかもしれない。しかし、縁あって家族としてずっと一緒に生活している相手こそ、いつも快適に過ごすことができるよう、配慮しなければならないのではないだろうか。

 そのまま、あるがままの姿を認め、受け入れ、そして、お互いに成長することができるのが家族だと思う。

 電車の中で偶然見かけたご夫婦。せっかく神様からいただいた二人だけの旅なのに、せめて、このときだけでも、もっと優雅に楽しく過ごしていただきたかったなあと、残念な気がする。そんなこと、余計なお世話だと言われるかもしれないが。

 

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