子どもを育てるということ
岩生 百子
最近、人によく聞かれることがある。
「子どもが言うことを聞かないのだけれど、どうしたらいいですか?」
「反抗的な態度ばかりとって、どう育てればいいのかわからない」
私は、別に教育者でも何でもないのだけれど、なぜかこのような相談が多い。
たぶん、我が家の子どもたちは、あっけらかんとしていて明るくて、ハキハキ挨拶するから、人から見れば「よくできた」子どもだと思われているらしい。
結局、「どうやって育てれば、そういう風になるの?」ということらしいが。どうやってと言われても、各家庭事情がすべて違うのだから、私の話など参考になるのかどうかわからない。
我が家の子ども達と言えば、自分の夢をただただ追いかけて、デザイナーになると言って絵ばかり描いていたり、サッカーバカだったり、パソコンバカだったり…学校の成績うんぬんは全く考えず、好きでがんばってやり続けていれば必ず夢は叶うものだと信じて疑わない。好きなことをして生きているのだから、暗くなりようがないというのが、本当のところだ。
そして、「子育て」という面から言うとしたら、私自身の心の成長が一番影響しているのかもしれないと思う。
長男が生まれたのは、私が二十七歳の時だった。
その頃の私は、依存心が強く、うまくいかないことはすべて人のせいにして生きていた。これといって夢もなく、ただ、時に流されて生きていたと思う。
子どもが生まれた時に思ったことは、「いい母親になろう」だった。
いい母親とは? いつも絵本を読んで聞かせるような穏やかでやさしい母親。料理が上手な母親…テレビドラマに出てくるような、それが理想だった。
しかし、現実の生活はテレビドラマではない。私は、私の理想を子どもにおしつけていたのかもしれない。
そして、親の勤めとは、りっぱな子どもにすることだと思っていた。りっぱな子どもとは? 世間に出してもはずかしくない子ども。
成績がよくて、性格もよくて…まるでパーフェクトな、神様みたいな子ども?…今になって思えば、これらはすべて「人から見てどう思われるか?」というところに視点が向いていたのだ。
そして、子どもは私の「もの」だったから、だから、私の理想通りにならないと怒ったり、不満に思ったりしていたのだった。
その頃の私は、楽しかったかというと、全く苦痛ばかりで、しあわせではなかったと思う。そして、もちろん、子ども達もしあわせではなかった。特に、そんな私に長年つきあってきた長男は、自分の人生の目標を自分で決めることができない、何でも悪いのは人のせいにするという、私とそっくりな性格になっていた。
確かに、親の思う通りに動く、言うことには逆らわない、親にとっては「いい子」、いや、「都合のいい子」だったが。本当に、それでいいのか?
私がSMIプログラムを学ぶようになり、自分の生きている意味を考えるようになった時、子ども達に本当にすまないことをしてきたと心から思った。
まず、子どもは、自分のものではないということだ。神様からお預かりした、大切な命。親の役目は、早く自立できて、自分の思った通りの人生を送るために、少し手助けしてあげる。そして、つらくなったり寂しくなったりしたときには、いつでも帰って来ることができる止まり木のような存在。最後の砦。それだけでしかないのだと思った。
そのためには、自分自身もしっかり自分の人生を生きなければならない。
今まで培われた子育ての習慣を、突然、百八十度変えるというのは無理だった。何十年も私の中にあった価値観や考え方を根本的に変えるということは、重かった。
何度も何度もぶつかった心の壁に、嫌気がさし投げ出してしまいたくなることもあった。
変革を望まない生き方は、実に楽に生きていける。
自分の人生は、自分でしか責任をとれないのだ。自分自身を真から信じる、強い心を持つということも、ものすごい時間がかかった。
でも、ここで投げ出したら、子ども達の将来にかかわることだと思い直し、やっと、ここまで来たなあというのが、正直、今の気持ちだ。
私は、人から見て「いい人」になるのをやめた。ともすれば、人にどう思われるだろうか?と考えてしまう癖は、今もまだ残っている。でも、周りの目ではなく、自分自身がどう思うかだよねと思い直し、本当に心からうれしくなる、楽しくなることだけを考えるようにしている。
魂が喜ぶ生き方! それは、責任のない身勝手ということとは違う。自己責任はいつもついて回ることなのだ。
でも、子ども達にとっても、私はいい母親なんかではないかもしれない。だが、私が笑うと子ども達も笑う。私ががんばると子ども達もがんばる。生きている意味を探すと子ども達も一緒に探しだすようになった。
神様は、子どもを育てるということによって、私も一緒に育ててくださっているのかもしない。
子育てに、悩んだり疲れたりしている人は、一度、育てるという思いから解放されて、自分自身を見つめることをしてみたらいいかもしれない。心からしあわせかどうか、自分に問いかけてみたらいいかもしれない。
自分の人生は、楽しいか? 本当にしたいことをしているか?
自分を心底愛することができたら、子どもや家族も心底愛することができる。自分の声が聞けたら、子ども達の声、本当に言いたいことも聞こえてくる。自分の人生が見えたら、子ども達の人生も見えてくる。
今、子どもがやっていることは、本当に子ども自身が、望んでいることだろうか? 本当は、いろんな理由をつけて、自分がさせたいことをさせているだけなのではないのか?
また、子どもが思い通りにいかない理由を作るのに、学校の先生がこんな人だからとか、友だちがこういう子だからとか、言ってはいないか?
そんなことを、時間を取ってゆっくり考えてみればいい。いつかの時点で、そんな自分が滑稽で、ばかばかしく思えてくるから。
私の場合、自分の親のいやな面だと思っていたことをそのまま、子ども達にしていたのだという現実に、あきれ果てたのだけれど。
この子は、本当は何を望んでいるのだろうか? どう生きたいのか? そのために、親として何ができるのか?
子どもの人生の主人公は、子どもでしかなく、その人生を生き抜くのは本人でしかない。親はそばでずっと見守り、信じ、励ましたり、勇気づけたりすることくらいしかできないのだと、ようやくわかりかけてくる。
自分の人生と子どもの人生は別物で、縁あって寄り添った魂同士なのだと思うことができたら、年齢は関係なく(魂は永遠のものだから、本当は年齢などない)、それぞれが生きる使命を果たすために、尊敬し合い、支え合っている存在であるということにも気づく。
それができれば、後は理屈ではなく、自分自身の行動を開始すればいいのだ。少しずつ、前進すればいいのだ。
私は、私の体験の中から断言するが、親も子も、魂が喜ぶ生き方をしていれば、邪悪なものにむしばまれることは絶対にない。
自分に自信が持てるのであれば、その自分を通してこの世に生まれ、存在する魂を信じることができる。そして、信じ続けていれば、何も憂えることはない。
SMIプログラムで、人生の六分野の成功と言っているが、そのうちの、家庭生活での成功。私は、このことが一番重要だと思っている。子どもがこの世に生まれ出でて、初めて見る社会は、家庭だから。しあわせな家庭で育まれた魂は、一番しあわせなのではないだろうか。
私は、私自身が親の言いなりになり、悪いことはすべて親や人ののせいにしたり、世間体を気にする人生の方が長かったから、まだまだ、これから成長しなければならないと思っている。そのために存在してくれる家族を、ありがたいと思っている。
やっと、本当に意味で「生きる」ことを始めたのだ。
子ども達の夢の実現に向けて、そばから見守りながら、私自身の夢も必ず実現させよう。
夢は無限大で楽しい。家族みんなの夢が必ず実現すると、私は心から信じている。
今、縁あって寄り添うことができた家族に感謝しながら、三人の子ども達を授けてくださった神様に感謝しながら、たくさんのことを子ども達に教えてもらっていることを感謝しながら、これからの人生の旅路を、私はがんばり続けたいと思う。
人生の成功の秘訣は、「感謝の心」だと、すべての成功者が語っている。
いつまでも、どこまでも、この気持ちを忘れないで… 合掌
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(坂木)