MG (高度情報科学セミナー)・DDNの皆様へ

   
いよいよ2007年から智閥創り、始まりますよ。

 高度情報科学セミナー(MG)のクルーの皆様、大阪第1省圏の岩谷正です。
 本当にご無沙汰しています。
 皆さんと、21世紀になる前、平成の志士として、供に汗をかいていた時期から、早いもので、もう7年になります。
 いかにお過ごしでしょうか。

 さて、少しご紹介させて頂きますと、私が、高度情報科学に参加したのは、平成3年、1994年6月です。
 職場の友人からのご紹介でした。
 その時に、聞いたMシニアさんの講演に感動しました。
 日本や世界に、新しい時代の激動、高度情報社会の波、大変革が起きると確信しました。
 間違いなく、今の工業社会が、一歩進んで、高度情報社会になると思いました。
 私も、高度情報科学のすばらしい仲間、同志、クルーと一緒に、次の日本を担う、平成の志士になろうとしたのです。

 だから、福岡や、東京のセミナーにも、時には、職場を無理して休んで、行きました。
 今でも、忘れない、平成4年、6月17日、6・17事件で、高度情報科学に警察の手入れが入ったという報道がされた時も、まったくめげませんでした。
 歴史を振り返ってみたら、幕末にもいろんな事が起きています。
 今、時代を変革しようとする高度情報科学に対しても、大きな障害がおきないわけがありません。
 私は、そう思っていたので、まったく平気でした。
 何よりも、私には、供に進んでいる平成の志士、高度情報科学のクルーというすばらしい仲間がいたからです。

 ですから私は、6・17事件以後も、順調に、高度情報科学の各セミナーを受けて、平成5年5月には、知花先生のいる山梨の清里で、清里研修に行くことができました。
 卒業旅行です。
 ここで、三泊四日の研修を受けたことで、無事、インストラクターの資格を得たのです。
 
 また、この時に、私は、この清里クラスで、講師として、お世話になった福岡省圏の原裕一郎先生、今は、「なかでんかんでん村」の原裕一郎村長とご縁を持ちました。
 原裕一郎先生に関しては、皆さんに特にご説明することはないと思います。
 講師、ステートして、原先生の講演を聞き、智閥や、高度情報社会、第3の波について学んだ事は、誰でも、一度や二度はあると思いますし、福岡で、多くのクルーをお誘いしたすごい人としても有名でした。
 私は、その原先生と、清里クラスで、やっとご縁を持つ事ができたのです。

 というのも、それまでは、高度情報科学のセミナーには、400人、500人も参加していましたし、セミナーづけなので、とても、他のクルーとお話することはできませんでした。
 でも、清里クラスは、40人程度です。
 それで、清里クラスのメンバーと、供に生活することで、とても親しくなりましたが、原先生とも、ゆっくりお話することができました。
 私は、原先生の事が大好きになったのです。
 
 それに原先生のお話は、面白かったです。
 皆さんも、聞いたことのある、北枕の話、気の話、エネルギーの話楽しかったです。
 船井先生の本物の話や、智閥の話も楽しかったです。
 私は、原先生から、多くの事を学ぶことができたのです。
 だから原先生と、ご縁を頂けたことは、高度情報科学のご縁の中で、私にとっては一番の収穫でした。
 今でも、心から感謝しています。
 私は、それだけでも高度情報科学に入って、よかったと思っているのです。
 
 しかも、原先生は、私の顔を覚えてくれていて、清里クラスで卒業した後も、高度情報科学セミナーで、会う度に、話ができるようになりました。
 皆さんと同じように、話し掛けて貰えるようになったのです。
 やっとクルーとして、皆さんと同じになったのです。 
 あの当時高度情報科学のクルーとして、燃えていたのです。
 それに、皆さんと、いろんなセミナーが終った後に、東三国の日本情報科学の本部の近くの居酒屋 ボンズで飲むお酒おいしかったです。
 私にとっても、夢もたくさんあって、仲間と、夢や志を語れる一番幸せな時でした。

 また、その中でも、原先生には、本当にお世話になりました。
 どうしても、ご縁のある人達に、高度情報科学に参加して欲しくて、書き始めた、情報誌、縁の花を、平成5年11月、始めて出した時、当然原先生に送らせて頂きましたが、お会いしたとき、とても喜んでくれました。
 忘れません。一番、最初に支縁金頂けました。1万円も貰ったのです。

 しかもそれ以降も、お世話になりました。
 なかなかインストラクター、講師になれなかった私を、励ましてくれました。
 いつも原先生は、あたたかったです。
 そのおかげで、私は、無事に合格して、主に、ステートインストラクターとして、皆さんの前で、話す事もできました。
 少しは、私の講演を聞いて頂けた人もいると思います。

 でもその高度情報科学セミナーは、多くの人の努力にも係わらず、何年も前に、消滅しています。
 私が、高度情報科学で知っているのは、皆が、株主になって、日本情報科学の会社を立ち上げ、ロボー1、ロボー2などのパソコンを普及させた頃までです。
 大体、1999年ぐらいまでです。
 その後日本情報科学はうまくいかず、電話局を作るという事で、新しい構想があったそうですが、僕は、参加していません。
 今、どうなっているか、よくは知らないのです。

 だけど、私自身、高度情報科学に関しては、あれこれいうつもりはありません。
 今から、考えたら、高度情報科学のMシニアには、問題がたくさんあったと思います。
 私自身も、働いている会社を辞めて、NGO出版の社員として、採用されましたが、3ヶ月間も持たなくて、職を失うという酷い目も体験しました。
 しかし、今でも、Mシニアを恨む気はありません。
 いいかげんな人でしたが、そのおかげで、今の私があります。
 ある意味で、感謝しているのです。

 でも、私は、正直言って、この間ずっと、皆の夢、高度情報社会を創ること、智閥を創ることは諦めていました。
 時代は、高度情報科学で学んでいたように、ITの時代になりました。
 ITバブルも発生しました。
 インターネットも、誕生しました。
 楽天やヤフー、ソフトバンクといった大企業も誕生しました。
 高度情報科学で教わったことは全部あたったのです。

 しかし、私は、そのチャンス、何もつかめませんでした。
 ITの縁は、私には残念ながら来ませんでした。
 当然です。
 しがないバイトで生活している一人の私に、iTのご縁が来る訳がありません。
 私は、ただ、いつか皆と夢見た、高度情報社会、智閥を創ることを夢見て、縁の花を書いていただけなのです。
 いえ、それは、私だけでなく、皆さんも同じだと思います。
 皆さんも、私と同じように学んでいたけど、たった一人では、何もできず、ITの波に、乗れなかったのだと思うのです。

 でも、原先生だけは違いました。
 高度情報科学の中で、唯一智閥の事忘れていませんでした。
 自分が、Mシニアに教えた、智閥づくりの事、自分でやるつもりだったのです。
 原先生は、少しも諦めていなかったのです。
 
 また、幸いにも、私は、高度情報科学が消滅した後、全国のクルー、仲間とのご縁は、殆どなくなりましたが、、原先生とのご縁は続きました。
 縁の花を、ずっと送らせていたのです。
 そんな原先生の思いは、ずっと見ていたのです。

 その中で、原先生は、電話局を作り上げるということで、DDNというところで講師として活躍したりしていましたが、やがて2003年に、バーチャルの世界で「なんでんかんでん村」を立ち上げ、私は、その村人になりました。
 原先生が送ってくれる無料のメルマガ、「なんでんかんでん村」情報を読むようになったのです。

 そしてその情報を読むことで、原先生が、言い続けていた智閥創りの活動、本格的に始めたことを知った私は、1年後、2004年8月7日に、縁の花村を立ち上げました。
 縁の花村の村人を募集するようになったのです。

 また、そんな中で、2006年からは、いよいよ原先生が始めている事業、素質蘇生学や、DNAエンジン、PUPカードなどにも、縁の花村として正式に、係わりました。
 智閥創り、私も本格的にさせて頂くようになっているのです。

 というのも皆さんの多く、高度情報科学セミナーや、DDNさんで、原先生に智閥や高度情報社会の事を教わった皆さんは、もう智閥を創ることも、自分達で、理想とする高度情報社会を創るという志、夢を忘れていると思いますが、いえ、もうとっくに、手遅れだと諦めていると思いますが、まったくそんな事はありません。

 時代は、
ユビキタスの時代です。
 いつでも、どこでも、だれでも、
 あらゆるところで、神は遍在するそうです。
 
 要するに、これからは、もう、マイクロソフトのビル・ゲイツがいうように、コンピューターの時代ではなく、携帯の時代です。
 誰もが、携帯で、インタへネットを利用するようになります。
 いえ、お財布携帯から始まって、いろんなものが、コンピューターに入る時代です。
 いよいよ、私達が、原先生に教わった高度情報社会という大きな波が来ます。
 道具とは、これからの世代の携帯です。
 パソコンなどではありません。
 それは私たちの大きな誤解です。
 私達が、習った智閥つくりは、今から始まるのです。

 だから諦める必要なんかありません。
 十分に今から間に合います。
 今から、2015年までが勝負です。
 これからの2、3年で、智閥がてきるか、できないか決まります。
 私達が、ヤフーや楽天に代わって、時代を担い手になることも夢ではありません。
 原先生は、その為に、ずっと活動してきました。
 それが、携帯を使った事業なのです。
 やっとそれが、今から花咲こうとしているのです。

 ですから、今、少しずつですが、高度情報科学で学んだ同志が、再び、原先生の元に集まっています。
 2006年11月に、原先生が来た時は、何年かぶりに高度情報社会の時の同志が、2名来られていました。
 高度情報科学セミナーの頃の話で盛り上がりました。

 原先生いわく、高度情報科学セミナーで、学んだ人達のご縁は、高度情報科学セミナーが消滅した時点で、切れていますが、目には見えないご縁では結ばれているそうです。
 何故なら、まだインターネットという言葉もなかった時代に、これから始まる情報社会の事を学んだ人達には、今の時代の流れが、分かるからです。
あの時に学んだとおりになった。
 どんどん道具は、コンピューターから携帯へと進歩し、インフラも、電話回線からADSL、光通信と進んで、これから何が起きるか、普通の人よりは、直感で分かるのです。

 それで今は、殆どの人は眠っていても、潜在意識の中には、そんな情報が入っていて、これからの動きが気になって仕方ないというのです。
 だから何年ぶりでも、原先生とご縁が、再び自然にできる。
 原先生は、そういっていました。
 私自身も、そうだと思います。

 しかもそんな原先生は、高度情報科学セミナーや、DDNで、講師を務めていたときに、実に多くの人の前で、これから始まる高度情報社会や、智閥の話をしています。
 私自身は、DDNには参加していないので、詳しい数字は分かりませんが、高度情報社会のときで、少なく見積もっても、千人には話していると思います。
 その中で、しっかり何かの形で、潜在意識に入っている人は、400人や500人はいますし、DDNでも同じだと思います。

 その人達とは、今はご縁はなくても、きっと智閥が、どんどん誕生していけば、再び、目には見えないご縁で繋がっていくと確信しています。
 多くの仲間、同志は、智閥という言葉忘れていないからです。
 貴重な原先生や私の財産です。
 私は、心から、今回の原先生にお会いしてそう思いました。
 だから、そんな多くの智閥の同志に、縁の花のHPを通して、呼びかけたいと思います。

 2007年の今から智閥創りが始まります。
  一緒に、今まで学んでいたことを、実現していきましょう。
 高度情報社会を創って、日本を救いましょう。
 
 是非、高度情報科学セミナーで学んだ仲間、原先生や、私に連絡下さい。
 縁の花 なんでんかんでん村支縁サイト

  大阪第1省圏  岩谷正までメール下さい。

 原先生に、ご紹介します。
 一緒に、智閥創りしましょう。
 また、何かを感じて、智閥つくりに関心を持った皆さん、是非、仲間として、次の新しい社会をつくりましょう。
 よろしくお願いします。 ^^
 そして最後に、いずれ、高度情報科学セミナーで供に学んだ同志と、再会できること、智閥づくりで結集できることを楽しみに、私は、今の活動続けます。
 皆さんに呼び掛けていきます。
 是非、たまには見て頂けたら幸せです。

   2006年12月26日

     縁の花 なんでんかんでん村支縁サイト

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