縁の花

         (21世紀に咲く智閥の花)  

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           武田勝頼の復活

  第二章 「仁科盛信の献策」

                         仁科盛信の策一

 しかし、そんな勝頼の気持ちは、仁科盛信には分かっていました。仁科盛信は、勝頼が、猪武者ではなく、知将だということで評価していました。それだけにいろいろ考えてしまう面もあります。武田家を背負うという重圧がそうさせるのです。
 
 やがて、仁科盛信は酒を飲みながら、小督をそんな目にあわせない為にも、何とか、織田家の侵攻は防がないといけませといいました。勝頼も、それに頷きながらも、その策がないという本音を出しました。

 上杉謙信亡き後、畿内で抵抗していた本願寺も、抵抗を諦め、織田信長と和睦すると、紀州に落ちました。残るは、毛利氏と上杉家ですが、どちらも苦戦しています。武田家は、それを助ける力はありません。どうすることもできなかったのです。

 仁科盛信は、そんな勝頼に、前から考えていたことを言いました。少し、元気を無くしている兄、勝頼を励ます意味でも、軽い気持ちで言ったのです。
「確かに、これといった策はありません。しかし、天佑を信じて、供えることはできます。父、信玄公や、上杉謙信に起こったことが、信長に起こらないとは限らないでしょう」

「盛信は、信長が、急死するというのか」勝頼は、そんな盛信の言葉に、信じられないという顔で言いました。

「信長も、もう五十歳を超えています。そうなっても不思議ではありません。それに、桶狭間の戦いの例もあります。信長が、毛利に敗れることも考えられます」
「また、信長は、驕りが出ているのか、昨年、長年仕えた家臣を、無能だからと言って、追放しています。家臣の中に、次は自分だという不安を持っていて、信長に反逆する家臣があるかもしれません」

 盛信は、そんな前から考えていた希望も言いました。どれも確信のあることではありませんが、可能性はあることでした。特に、盛信は、武田家が滅亡した後でも、信長が、今のやり方をしていたら、いつか家臣から裏切られると確信していたのです。

 しかし、どの仁科盛信の言葉も、勝頼を動かせませんでした。勝頼には、そんな奇跡が起きるとは信じられなかったのです。でも、酒の肴に、その会話に付き合ってもいいと思いました。勝頼自身も、そうなることを望んでいたのです。

 

仁科盛信の策二

 だから、勝頼は、仁科盛信に、もし、信長が、信玄公や上杉謙信のように、急死したらどうするつもりかと尋ねました。仁科盛信なら、どうするだろうと関心があったのです。

 仁科盛信は、そんな少し元気になった兄、勝頼にほっとすると、前から考えていたこと「もし、織田信長が、死んだと分かったら、信濃の全軍一万を率いて、岐阜城、清須城を攻めたいと思います。御屋形も、甲斐、駿河の残る一万の全軍を連れて、遠江に侵攻して、徳川家の押さえをお願いしたいと思います」と言ったのです。

 しかし、勝頼には、仁科盛信の策は、少し危険だと思いました。信長が、たとえ、死んだとしても、織田軍が滅びたわけではありません。岐阜城や清須城には、守っている兵もいます。徳川家も黙っているとは思いませんし、背後を北条に突かれたら、守る兵のいない甲斐、信濃、駿河は、ひとたまりもありません。無茶だと思ったのです。

 それで、そのことを、少し笑いながら性急しすぎるといったら、仁科盛信は考えを引こうとはしませんでした。確かに、信長が、病死したのであれば、兵を出す構えをみせて、毛利氏を助けて、後は時勢を見たらいいが、信長が、戦で敗れたり、万が一、家臣の反逆で死んだりしたら、一気に、死ぬ気で、美濃、尾張を取るべきだと言ったのです。

 また、仁科盛信は、その理由として、信玄公がなくなった後の武田家を例にあげました。その時、武田家臣は、呆然としていました。嘆き悲しんで、何も考えられませんでした。それが、今川義元が、桶狭間の戦いで、討たれた時と同じように、信長が、戦で死んだら、もっとひどいことになっているので、五千や三千の兵で、守っていても、武田軍が、復讐を誓って、攻めてくるといううわさが流れたら、恐怖で、守備兵は、半減して、岐阜城、清須城も取るのは、そんなに難しくないというのです。

 しかも、尾張、美濃を占領したら、散々、武田家を苦しめる、徳川家も、武田家に従うようになりますし、北条家との同盟も復活すると断言しました。仁科盛信は、そのことに自信があったのです。

 でも、まだ勝頼には、そんな仮定の話には、半信半疑でした。信玄が亡くなった後の武田家家臣団の様子を体験している勝頼には、仁科盛信のことが言っていることはよく分かります。しかし、まだ、そんなにうまくいくとは思えなかったのです。

「それで、そんなにうまくいくか」と思わず、言ってしまったのです。でも、兄である勝頼の性格を良く知っている仁科盛信は、「それはすべて兄である御屋形様の決意一つ」だと答えました。仁科盛信は、勝頼が、乗ってきたことに手ごたえを感じ始めたのです。

 

 

情報戦

 「わしの決断しだい」勝頼は、仁科盛信の言葉にそう反応しました。
 仁科盛信は、頷くと、「そうです。もし、戦場で、信長が急死すれば、我々に有利に働くことが一つあります。それは、織田家中にしろ、徳川家にしろ、まったくそのことに対して準備しないのに対して、お屋形様は、予測して、準備していることです。準備を事前にしていたら、それだけ早く兵を動かせます。後は、いかにして、信長の情報を、徳川家康や、織田家中の家臣よりも、どれだけ早く掴むことができるかです。とりわけ、家康に負けるわけにはいきません」

「家康」勝頼は、その言葉にそう反応しました。家康は、勝頼のライバルになっていたのです。仁科盛信は、そんな勝頼に対して、「徳川家康も、一角の武将です。必ずや、信長が戦場に散ったとしったら、すぐにでも尾張、美濃に攻め込むでしょう。甲斐と三河では、距離的に言っても、遥かに、三河の方が近いです。何も用意していなかったら、折角の好機を見逃してしまうことになります」
「徳川家康に、尾張、美濃を取られたら、折角のチャンスも活かすことはできません。武田家は、この苦境から逃れることはできません。信玄公の夢、京都に旗を上げることもできません。

 仁科盛信は、そういいました。勝頼は、弟の仁科盛信が、まだ、父、信玄公の夢、天下統一を諦めていないことに正直呆れてしまいました。長篠の戦いの敗戦後、勝頼は、そんな事を考えたこともありませんでした。唯一、上杉謙信が、上洛した時は、自分も、岐阜城を落とし、美濃、尾張を支配したいという望みを持っていましたが、謙信の突然の急死ですぐに消滅しました。

 今、武田家の家臣で、そんなことを考えている人物は、仁科盛信です。知将である真田昌幸さえ、そんな事は口に出したこともないのです。だから、勝頼は、そんな仁科盛信の考えを尊重してやりたいと思いました。仁科盛信の言うことは、根拠がなくても、リスクもそんなにありません。信長が、万が一、負けたことも考えて、できるだけ最大限の用意をしておけというだけです。今の、自分に、武田家の当主として、できることは、確かに、それだけで、他にはないとも思ったのです。

 また、勝頼は、そんな盛信が、自分より先に生まれて、武田家を継いだら、どうなっていただろうかとふっと考えました。盛信の母、信玄の側室だった油川夫人は、甲斐の女性です。諏訪家の出だと、家臣に密かに影口を叩かれる心配もありません。しかも、頭もよく、家臣達からも信頼されています。もし、仁科盛信だったら、正式に武田家の跡目も告げましたし、長篠の戦で、あんな敗戦をすることもなかった可能性が高いです。

 織田信長、徳川家康を破ることはできなくても、もっとうまく互角に戦った可能性もあります。勝頼は、そんな仁科盛信の言葉を信じてみようと思いました。後、一日か、二日、高遠城に滞在して、仁科盛信の策を全部聞いて、甲斐にいる知将の真田昌幸を呼んで、三人で、いろいろ話し合って、最大限の努力をしたいと思いました。後は、そんな勝頼や、仁科盛信を、諏訪大明神や、武田家の氏神、八幡大菩薩が、どうされるか。自分達が死んだら、悲惨な運命がまっている、仁科盛信の娘、今、無邪気に寝ている小督や、勝頼の娘、貞姫の為にも、最大限のことをしたいと思ったのです。

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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