縁の花

     (21世紀に咲く智恵の縁)  

          238号

カタカムナのご縁

バーチャル・オフィス Todoの機能説明

 プラットホームのソーシャル・ネットワーキング、「バーチャル・オフィス」のトップページのTodo(トゥードゥー)に、水口先生引率による「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」という企画がありました。プラットホームの合宿などを、紹介していたところです。

 菊が、そんな企画があるのは、知ったのは、つい最近でした。カタカムナに関しては、前から関心あったので、慌てて、申し込みましたが、人数的には、限られていたので、ぎりぎりセーフという感じでした。それで、残念ながら、空3のメンバーにお伝えすることはできませんでした。とても残念でした。

 また、こんな形で、プラットホームでは、Todo(トゥードゥー)に、企画を書き込むことで、参加者を募集するということは、これかのもあると思います。以後、菊としても注意しますが、是非、皆さんも、意識してみて欲しいと思います。

何故なら水口先生や、全国の駅長には、怪しいけど、面白い、すばらしいご縁がたくさんあります。そんな人達は、いろんな楽しい企画ができたら、Todo(トゥードゥー)を使って、参加者を募集します。一度に、たくさんのプラットホームのメンバーに伝えられるので、とても便利だからです。

しかも波動的に合う、プラットホームの仲間と、癒しの場に行くことはとてもとても楽しいです。それで、今後も、間違いなくいろんな企画、ツアーができると思います。お金とか、何かの利害関係がないプラットホームの人達と、一緒にいく企画、ツアーは、どんどん誕生するし、皆さん自身も、企画したら利用されたらいいと思うのです。

また菊自身も、空3の皆さんと、今後、どんどんいろんな企画に参加したいと思います。是非、皆さんも、バーチャル・オフィスのTodo(トゥードゥー)に注目していて下さいね。よろしくお願いします。

 

カタカムナ文明発祥の地を訪ねて

さて、その「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」ですが、とてもよかったです。人数は、大幅にオーバーして30名ちかくの人が参加されました。主なメンバーは、空1と神戸でヨガを教えている、たーちゃんが駅長をしているロハスのメンバーが中心でしたが、空2のサーシャ駅長や、風の会の風の気概さんも参加されていました。これに、プラットホームのメンバーでない人も、若干いましたが、とても和やかな雰囲気で、楽しかったです。

また、そんなメンバーの人達と、○○市にある、○○の○○○駅で待ち合わせていたのですが、そこからは、タクシー組みと、歩き組みに分かれました。後で分かったことは、歩き組みには、すてきなご褒美がありましたが、まず、菊が驚いたのは、カタカムナ文明発祥の地がある場所でした。

そこは、高級住宅地でした。山というか、丘の上に建てているので、大きな坂を登らないといけませんでしたが、○○のような高級な家が並んでいました。まるでホテルというような住宅もあって、菊はびっくりです。しかも距離的にいっても、○○の○○駅から乗り換えて、二駅、そこから歩いて12分、タクシーでワンメーターです。ものすごい近いです。

カタカムナといえば、楢崎皐月先生が、兵庫県六甲山系の金鳥山で、ある謎の人から貰った文献から始まります。もっと、もっと六甲の山にあって。遠いと思っていました。正直言って、まさか、高級住宅地の中にあるとは思いませんでしたが、距離的にも、梅田から、1時間もかからないとは思わなかったのです。これにはびっくりしたのです。

しかもカタカムナの発祥の地、たくさんの磐座があるというところも、これまたすごい所でした。まさか家の庭に、48もの磐座、大きな岩が奉られているとは、驚きです。何と千坪もあるそうです。それが、今、カタカムナの会で祭主をされている祭主様宅でしたが、家が、広いだけでなく、建物自体も、大きくて、古風な家ですが、綺麗ですし、部屋も、広くて、本当に整頓されていました。すばらしい場、癒し地だったのです。

その上、祭主様宅から見える景色も、すばらしかったです。丘の上にあるところなので、外からは、町全体を見下ろせます。きっと、参加されたメンバーの人なら、誰もが、いつかは、こんなところで住みたいと思ったと思いますし、菊も、そう思いました。そんなすばらしい場、カタカムナの言葉にふさわしい、自然に恵まれた場所だったのです。

 

カタカムナ祭主邸の磐座 (イワクラ)のご縁

 祭主の自宅に集まったプラットホームのメンバーを暖かく迎えてくれたのは、祭主である○○○○○さんでした。年齢的には、高齢ですが、笑顔が似合う、すてきな女性です。
 何でも、仏画を描かれる人で、仏教にも精通しています。悟りを開いている仏に仕えている女性といった感じの女性でした。

 そんな○○さんは、自宅の玄関近くの大きな窓から見える、大きな磐石を、確か、菊○○○として奉っていて、まずは、そこを皆で挨拶した後、○○祭主は、カタカムナの言葉
の祝詞をあげてくれました。しかも、現在の人にも途中から分かる言葉での祝詞をあげてくれました。

「・・・・・・・・・・・・・・・・今から、1万3千年以上の氷河期の前、2万年、3万年前から平和に暮らしていたカタカムナの皆さん、今日は、多くの人が来てくれました。彼らの幸せを願って下さい。ありがとうございます。ありがとうございます」というような感じです。

菊は、そんな○○祭主の言葉に感動しました。今、初めて、日本でももっとも古い先住民、カタカムナの人達とのご縁を、正式に持ったと思ったのです。そう思うと、日本人として、とても嬉しかったのです。

また、○○祭主は、その後、御祓いをしてくれました。今日、参加したメンバーの人達についている思いなどを祓ってくれたのです。菊自身、そういった御祓いに関しては、鈍感なので、よく分かりませんが、○○○○○さんが、今日、ご縁を持った人達の幸せを、心から願って下さっていることは分かりました。心から、○○祭主に感謝したのです。

そしてそれが終った後、○○○○○さんの自宅の庭、祭主邸にある磐座にある磐石を、○○祭主の説明で、見学させて頂きました。そこには、たくさんの大きな48基の磐石、磐座、イワクラがありました。何でも、13000年前、氷河期以前に、暮らしていた先住民、カタカムナ人は、ザイサントクソドン、へび岩、亀岩、山ノ神、良ノ金神、方位石二基、火打石、太陽観測の岩等、それぞれの磐石に対して、名前とお役を持って貰って、カタカムナ文明のマツリの場として、大切にしていたそうです。

太陽巨石文明を持つカタカムナ人が、大自然を敬い、共存共栄の思想で、平和的に暮らしていたことは、それを見ていたら分かります。しかも○○祭主の説明では、磐石には、架空の動物「ぬえ」さんも1対あって、ピラミッドと向き合っているとか、人の横顔の磐石があるとか、結構面白かってです。その上に、盤石には、カタカムナ文字が多く刻まれ、全国からペトログラフ関係者や学者さんも訪問されることが多いそうです。そんなところに、来られたこと、心から感謝したのです。

 でも一番、良かったのは、磐石に直接、触れ合うことで、磐からエネルギーを貰えたことです。特に、俯きに、寝て、お願いしたら、お金さんのご縁ができるという磐石があって、参加メンバーから大人気でした。

 ○○祭主さんは、毎朝起きると、磐石からエネルギーを貰い、お金が困った時には、その磐石に、俯きに寝て、お願いしたら、不思議とお金が手に入るそうですが、その磐石に、しっかり菊もお願いすることができたのです。

 

○○祭主の話

 祭主邸での磐座の見学が終ると、全員、祭主邸の2階の大きな、30人は楽に入る部屋に全員が集まると、カタカムナと物理学者の楢崎皐月先生の話をして貰いました。それを菊が、要約させて頂きますと、カタカムナの文献を、謎の男性から与えられた人は、楢崎皐月さんと言います。

 この楢崎皐月さんは、第二次世界大戦に実在した一流の物理学者でした。陸軍の仕事で、満州にも行って、製鉄所長として、満州の吉林などにいたそうです。

 その時に、彼は娘々廟に詣で、その地で信奉を集めていた老子経道士・慮有三(らうさん)老師に出会い、楢崎皐月さんが、日本は、中国から、漢字、漢方医術から始まって、いろんなものを教わりましたというお礼を言うと、次のような話を聞かされたそうです。

 それは、「老子の古伝」として伝えられら言葉によれば, 我々が, シナ民族固有の文化と思っていたもの(易・漢方医術・製錬法・老荘哲学・堯舜(ぎょうしゅん)の理想政治等)は, 日本上古代の文化の流れをくむものである。日本の○○のある先住民に感謝しなさいというようなことです。それまでの常識では考えられないことをいわれたのです。

 そして戦後、そんな楢崎皐月さんが、日本に帰って、星製薬・星社長のもとで働いていましたが、その星社長のもとを離れた翌年の昭和24年(1949年)に、彼は兵庫県・金鳥山で穴居実測調査をしていました。そこで怪人物、平十字(ひらとうじ)と出会うのです。
楢崎皐月さんが、そこで、泉に調査のために、何か妙なものを仕掛けるから、動物達が、水を飲めなくて困っている、すぐにどけろといわれ、言われたことをすぐに実行したら、翌日、上機嫌で現れて、お礼にと言って、古い文献を見せてくれたのです。それがカタカムナ文献というものです。

 しかも、その人物は、自分は平十字(ヒラトウジ), 父はカタカムナ神社の宮司, この巻物は, 父祖代々「御神体であるから, 見たら目が潰れる」と言われて, 厳しく秘匿されて来たものであることを告げたそうです。それでそれに驚いた楢崎皐月さんが、それを貸してくれてお願いしても、駄目だと断りましたが、文献を写すことは承諾してくれました。

それで、平十字は、「お前さんたちの足で険しい山坂は大変だから, オレが持って来てやる」と言い、それから二十日間、楢崎のところにせっせと通ってくれたそうです。これが、カタカムラ文献なのです。

 そしてそれを、楢崎皐月さんが、調べていくうちに、そのカタカムナ文献は、古文書といったものではなく、歴史書ではなく科学書だということが分かってきました。何と、そこには、「宇宙の成り立ち」「宇宙の特徴」「物質や生命の発生の仕方」「生命の本質」から「農業や製鉄技法」「病気の治療法」「人間の考え方」「商人道の心構え」までが表わされていたといいます。

要するに、今から35万年前のカタカムナと呼ばれる日本人が、直感した宇宙や物質の構造や生命の本質、それらの関連性を捉えた「哲科学」が説かれているというのです。
それで楢崎皐月さんは、その文献を基に、今の現在人ではなかなか理解できない方法で、いろんなものを開発していくようになりました。

それが電子水といわれているものや、土地に炭をまいて、癒しに地にしたりする農業方法で、昭和331958)年に「静電三法」として「植物波農法」「物質変性法」「人体波健康法」に体系化しています。その後、楢崎皐月さんは亡くなりましたが、カタカムラの研究は、弟子に引き継がれています。

 その弟子の一人で、直弟子なのが、宇野多美恵さんで、○○祭主さんは、そんな宇野多美恵さんたちと親交がありましたが、今は、その宇野多美恵さんも亡くなったそうです。そんな話を聞かせて頂いたのです。

 

 

プラットホームのロハスの駅長と水口先生

 ○○祭主のお話が終った後は、自然にプラットホームになってしまいました。別に何かをするわけではありません。各自が、好きな人と、好きな話をするだけで、2、3時間過ごしました。まずは、参加メンバーが、簡単な自己紹介をした後、後は勝手にやって下さいということになったのです。
 
 また、皆さんの自己紹介を聞いて内に、菊にも少しずつ、このカタカムナのご縁の事がよく分かりました。まず、今回のご縁を作ってくれたのは、プラットホームロハスの駅長、まーちゃんです。まーちゃんは、神戸を中心として、ヨガの教室を何個か運営していて、弟子は、千人といいます。

 しかもインドのサイババのご縁があって、日本とサイババの橋渡しをしている人で、良くインドには、10日間も行くツアーもしています。謙虚なので、自分の事はあまり言いませんが、そのまーちゃんは、今は亡くなった小林美元先生ともご縁がありました。

 そんなマーちゃんが、今から14年前、平成5年4月に、神主故小林亨美元先生と、夜に、○○○○○さんの家に行った時のことです。その時は、暗かったので、小林享美元先生も、よくは分からなかったそうですが、何かを直感で感じたそうです。

 それで翌日の朝、一人で、○○邸を訪れて、庭の磐石を見て、ここが古代、カタカムナの先住民達の磐座、イワクラということを発見したそうです。そしてそれで大騒ぎになって、故多治見亨先生や、いろんな人の応援で、カタカムナの先住民をお祀る神事が行われるようになったそうです。その当日には、小林美元先生も、必ず、神主姿で現れて、すばらしい祝詞をあげていたそうです。
 
 これには、菊もびっくりです。生前、小林美元先生が元気だった頃、菊も、何度かご縁があって、神道のお話を聞いたことがありましたが、そんなすごい業績があること知らなかったのです。

 でも、それよりも嬉しかったのは、プラットホームのメンバーのロハスの駅長が、そういったカタカムナのご縁に大きく関わったことですし、プラットホーム構想を考えた水口先生も、今、○○○○○さんが祭主している○○○○○○の会長である吉本勝彦さんとは親しく、よく○○さんの事もご存知だということでした。

 だから、今回のカタカムナのご縁は、プラットホームのたーちゃん駅長と、水口先生のご縁がなかったら生まれませんでした。誰もができるご縁ではないのです。菊は、その事を改めて実感できて、プラットホームのメンバーになれたことを心から感謝しました。プラットホームを通して、一生涯のご縁を持つ人達と、すばらしいカタカムナのご縁が持てた事に、心から感謝したのです。

 

カタカムナの祭主邸でのプラットホーム合同の例会

 ロハスの駅長、たーちゃんの自己紹介や、水口先生の話で、今回のカタカムナの企画の事が少しよく分かりましたが、その後も、プラットホームのメンバーの人達が中心の自己紹介が聞いていて、菊が痛感したのは、やっぱりプラットホームのメンバーは、怪しいという人ばかりです。

 その中でも、特に怪しいのは、プラットホーム空(くう)1のcocoさんでした。Cocoさんは、八尾市にある由緒ある家、いずみ苑の当主なのですが、このご縁の広さには脱帽します。

 カタカムナのご縁でも、亡くなった直弟子の宇野多美恵さんや、今もカタカムナの事を伝えている土居正明氏とは親しい親交があって、すぐに祭主の○○さんとも親しくなっていました。このエネルギーというか、ご縁ができる才能には、菊は、すごいなあと改めて感心したのです。

 また、今度プラットホームロハスに参加した、新人のトライ明日朗さんは、杖術、トライアスロン、平和運動・・一杯一杯の活動家で、六甲での「サラシャンテイ・健康道場」オーナーをしているそうです。

しかも、「サラシャンテイ・健康道場」さんでは、ミュージシャンから落語家まで、多くの人がここでセミナーを開いて、多くの人が集まっていますが、この「サラシャンテイ・健康道場」のホームページ http://www.npo.co.jp/santi/
を見て、菊は感動しました。
本当に、ロハスにも面白い人が参加していますし、このロハスに初めて、トライ明日朗さんが、ロハスの例会にゲスト参加した時に、ロハスのメンバー、全員が、トライ明日朗さんを知っていた、ご縁があっという裏話もありました。ロハスのメンバーも、本当に怪しい人達が集まっているのです。

 でも、それは、今回、参加メンバーが、一番多かったプラットホーム空(くう)1、2、3のメンバーも同じです。一人を除いて、メンバー全員が、カタカムナのことをご存知でした。本当に、一般の人達とは違った人達が、波動の世界、駅長のご縁のある人のご縁までという目に見えないシステムで集められるようになったのです。

だから、そんな人達で、全員の自己紹介が終った後のいつものプラットホーム、各メンバーが集まった合同例会は楽しかったです。いろんな人が、ただ、いろんな話をしているだけでした。その中には、○○さんの祭主邸を出て、ずっと磐座(いわくら)で、話をしたり、お金さんのご縁が持てる磐石にずっと座っていたりした人もいましたが、それぞれに何かのお役がある感じでした。

その中でも、菊のファンションの師匠、ショージさんは、早速、磐座で、大きな木の立て札が壊れているのを、菊を助手にして、治そうとしていましたが、その行動力には脱帽でした。やはり、プラットホーム空(くう)は、すごい人が集まっていると確信したのです。

 

○○祭主と○○○○○○のご紹介

 しかし、菊が、一番、すごいと思ったのは、プラットホームのメンバー、一人、一人の自己紹介を聞いているうちに、思わず、○○○○○さんが、私も、プラットホームに参加したいといったことです。きっとそれだけプラットホームのメンバー達のエネルギーいいのでしょう。しかも、早速、プラットホーム空(くう)1のcocoさんが、プラットホーム空(くう)1の例会にお誘いして、いい返事を貰っているそうです。

 だから、プラットホーム空(くう)1に、○○○○○さんがゲスト参加して、メンバーの一人になってくれる可能性もあります。もちろん、将来の事なので、誰にも分かりませんが、菊は、そうなったらいいなあと思いました。別にプラットホーム空(くう)ではなく、○○○○○さんを、お母さんと呼んでいる、たーちゃんがしているロハスの会でもいいですが、プラットホームのメンバーになって頂けたら、これから、本格的に、カタカムナの人達の御霊とも、ご縁が持てると思うのです。

 だけど、そんな事は別として、ロハスの駅長さんが書いてくれた日記を引用させて頂くことで、少し○○○○○さを紹介すると、○○○○○さんは、大きな日本画を書いている人で、家には、○○さん自身が書いている画がたくさん並べられています。

 しかも仏教全体を信じている人で、仏画も、菊の記憶では何個かあった人です。絵の世界は、良くは分かりませんが、相当有名な人みたいなのです。
 ですが、そんな○○○○○さんが、○○の近くの一等地○○○で、大きな豪邸に住むようになったのは、世間的なお金持ちとは大きく違います。

実は、まだ○○○の辺りが、一等地ではなく、反対に人気がなかった頃、○○○○○さんは、この1000坪の敷地をある人から、買って欲しいと頼まれたそうです。岩がごろごろごろあって、誰も買ってくれないので、是非!と依頼され、心良く購入したというのです。

その上に、○○○○○さんは、そのごろごろの石を避けるように設計して家を建てられたそうです。ロハスのターちゃんは、そんな○○○○○さんを、まわりで、このいわくらを破壊して建設している家も結構あるというのにと、その○○○○○さんの凄い感性を褒めていましたが、菊自身もそう思います。

 たーちゃんは、きっと、神様が、そしてカタカムナ人が、この祭主さまに守ってもらうべく、時期を決めていたのでしょうねえ・・・と書いていますが、菊もそう思います。
 きっと、楢崎皐月先生、宇野多美恵先生、○○○○○さんは、生まれる前から、カタカムナで繋がっていたと思うのです。

 また、そんな○○○○○さんが、祭主を務めている○○○○○○は、吉本勝彦さんが会長していますが、何の宗教にも縛られていないすてきな会です。菊が、何よりも感心したのは、カタカムナ磐座は、隠れ磐座として、一般には公開せず、磐座により導かれた方々が、自然にお祀りさせて頂くことを願っているという会の方針です。本当に、すばらしいと思います。

 と同時に、そんな○○○○○○では、ご縁のある人達だけで、カタカムナ磐座を古代から継がれてきた貴重な遺跡として、後世に誤りなく継承し、大自然を敬い共存共栄の古代の思想を広め、世界の平和を祈ることを主目的として活動しているそうです。

 何でも、菊は、○○○○○○の案内書を貰い損ねたので、詳しいことは分かりませんが、○○○○○○の会員になれば、あのすばらしい祭主邸か、別邸に泊まる事ができたり、祭主邸で催される会に、ゲスト3名まで連れて参加することができたり、できないとか、????とにかくすばらしいいろんな特典もあるそうです。是非、カタカムナの導きを感じた人は、菊までご連絡頂けたらいいと思います。

 

 

菊の余談

 カタカムナのご縁について、いろいろ書かせて頂きました。本来なら、プロのライターとして、いい話の新聞の記事を書いていたプラットホーム空(くう)1の小松良行駅長、空の仕掛け人さんが、書かないといけないのですが、酷い風邪が、何日間も長引いて、唯一、申し込んでいたのに、参加できませんでした。空1の駅長に代わって、菊が何とか書かせて頂きました。下手な文章ですが、読んで頂いてありがとうございます。

 また、○○祭主邸のプラットホームの例会で、菊の自己紹介の時に言いましたが、30名ちかくの参加メンバーの中で、本名に岩がつくのは、岩谷の名字を頂いているのは、菊だけだったかもしれません。別に、それは、どうだったということではないのですが、菊は、昔から、岩、磐が好きです。岩戸も大好きです。

だから、日本の先住民、太陽巨石文明のカタカムナを守っている人達やカタカムナの御霊さん達と、ご縁を持つことができて、とても嬉しいのです。今後は500年前の武田家や諏訪家の御霊ではなく、2万年前、3万年前に生きていた平和の先住民、カタカムナの御霊も意識したいと思います。一気に、2万年から3万年前に、ワープできたのです。波動の世界では、何万年でも一瞬の事なので、十分にできると思います。菊も、○○祭主のように、これからの人類の平和を、カタカムナ人の御霊に、少しでもお祈りしたと思ったのです。

 しかも、小林美元先生は、菊の守り神の一人になっています。毎朝の早朝瞑想では、生前、菊とご縁のあった4人という事で、白血病でなくなった本田美奈子.さん、超能力者神谷先生、古神道の小林美元先生、高度情報科学の時の小西さんの4人を呼び出しては、ご加護をお願いしています。

 ですから、菊自身は、このカタカムナのご縁は、小林美元先生の導きだと思って感謝しています。心から、菊の背景で、菊を導いてくれている小林美元先生、ありがとうございます。ありがとうございますで終りたいと思います。

 では皆さん、縁の花 第238号 「カタカムナのご縁」 読んで頂いてありがとうございます。

2007年5月11日

追伸、

先日、○○○○○○から、メールいただきました。
「○○○の磐座は隠しクラ(磐座)としてひそやかにお祀りさせていただいております。
自宅ということもあり、広報のようなことはいたしておりませんで、当会のHPも作成しておりません。
原則として会員の方のみのお参りとさせて頂いています。
会といいましても、専業のスタッフがいるわけでもありませんし、お参りご希望いただいても会員の方のみで精一杯な状態です。
会員になっていただくのも紹介者が責任をもってご紹介いただける方ということにさせていただいております。」
ということでした。
だから、縁の花、第238号「カタカムナのご縁」に関しては、それが、特定できる情報に関しては、すべて岩度に隠すことにしました。
縁の花としては、カタカムナで、ひっそりだけで、真剣に取り組んでいる人達が、この日本に存在することを知って頂けるだけで、十分です。
また、菊自身は、○○○○○○の会員ではないので、残念ですが、ご紹介することもできません。
皆さんから、問い合わせもあっても、残念ながら、お答えできませんので、ご理解して欲しいと思います。
よろしくお願いします。



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     縁の花 1号から全号紹介

2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html