縁の花

       (21世紀に咲く心と心の智恵の輪)  

             第230

        プラットホームの説明会1

            (高度情報科学セミナーの同志達)

                   「 大いなるご縁」

 2007720日から722日、菊自身だけでなく、これから時代を考えても、大きな、大きなことがありました。

 ものすごいご縁が生まれたのです。

 

 それは、幕末で例えたら、勝海舟とその勝海舟を斬ろうとした坂本竜馬が始めて、勝邸であったとか、勝海舟と西郷隆盛が、江戸城で出会った、坂本竜馬と西郷隆盛が薩摩邸で会ったということに匹敵すると確信しています。後の未来で、高く、高く、評価されると菊は、確信しているのです。

 

 それが、菊の恩師である「なんでんかんでん村」の原裕一郎村長と、「プラットホーム」の構想を考えた水口清一先生の出会い、ご縁です。菊は、原裕一郎村長と、水口清一先生は、幕末の志士に例えたら、勝海舟や吉田松陰に匹敵する人物だと確信しています。殆どの人には、まだ分からない、これから始まる大激動の未来が、見える数少ない人物だと思っています。その二人が、菊のご縁で、会って頂けた、ご縁を作らせて頂けた、菊は、その事を考えると、とても幸せです。縁の花としても、大きな、大きな、ご縁作りをさせて頂けたと、心から感謝しているのです。

 

 しかし、それは、今から考えても、不思議です。神様、天が、導いてくれたとしか思えません。720日に、プラットホーム空(くう)03の例会があり、721日に、関西サイ科学のセミナーがあり、722日には、プラットホームの説明会が、プラットホーム空(くう)03の主導で行われました。それらがあってこそ、うまく、原裕一郎村長と、水口清一のご縁が生まれました。ご縁の神様に、心から感謝しているのです。

 

 しかも、原裕一郎村長には、水口清一先生や、プラットホームの頭脳になるシナプスの会のリーダー、萩原先生に会って頂いただけでなく、722日には、プラットホームの説明会に参加して頂いて、ある程度、プラットホームの構想を理解して頂きました。菊自身、原裕一郎村長に、まったく説明できなかったので、とても嬉しいです。原裕一郎村長も、水口清一先生と会って頂いて、お互いに意気投合したみたいですし、プラットホームの構想を理解して、関心を持ったみたいです。大成功です。将来、原先生のやっている智閥と、プラットホームが、うまく融合して、薩長連合のようになって、日本や世界を大きく変えると確信しています。

 

 その第1歩が生まれたのです。是非、皆さんにも、これからの智閥と、プラットホームの活動に、大いなる確信を持って欲しいと思います。きっと、これから本当に面白いことが始まると思います。

 

            「 3人のMGの同志のご縁 中村さん

 今回、原裕一郎村長と水口清一先生が、ご縁が持てたことに、本人は意識していなくても、大きな働きをしてくれた人がいます。それは、菊や原裕一郎村長が、もう17年、18年前に出会ったことのある3人の高度情報科学セミナー(MG)の同志です。

 

 この高度情報科学セミナーとは、まだ、インターネットという言葉もなかった頃、バブル景気が崩壊する頃に存在した、今から考えれば、学びの場でした。菊は、ここで、全国にいる、多くの平成の志士、仲間と出会い、共に、これから始まる高度情報社会を学び、自分達の理想とする福祉や環境にいい高度情報社会を創ることを夢見ていました。菊の活動の原点です。

 

 しかし、その高度情報科学セミナーは、21世紀になって、崩壊しています。多くの高度情報科学セミナーの同志にとっては、詐欺になっているのです。でも、菊は、ここで、原裕一郎先生と出会い、これから起こる、高度情報革命について学びました。今、米国や、日本でも、IT技術の急速な発達で、ヤフーや楽天といった大企業が誕生して、人々の社会は、ますます便利になっていますが、菊は、そうなる前から、そういった世の中が来ることは、知っていたのです。

 

 でも、その高度情報科学セミナーは、見事に失敗しました。一番のリーダーだった、MOさんが、大いなるアンポンタンだったからです。発想は、良かったのですが、ええかげんだったので、すべてを潰してしまったのです。

 

 だけど、菊は、そのおかげで、原裕一郎先生とのご縁を持てましたし、今から、紹介する3人のご縁も持てました。だから今から話す、原裕一郎先生と水口清一先生との、出会いには、不思議なのですが、17年から18年前に繋がっているのです。しかも、高度情報社会を学んだと言うキーワードで繋がっているのです。

 

 というのも、まず、最初にご縁を作ってくれたのは、株式会社エンタープライズ日成の中村さんからでした。突然、630日に、菊にメールが来たのです。引用させて頂くと

 

まいどおおきに・・・・

元大阪第3省圏の中村です。

いつも、楽しみに読ませていただいています。ありがとうございます。

 

さて、私は縁の花村の村民に登録されているのでしょうか・・・

登録されていないようであれば、遅ればせながら、登録お願いします。

岩谷さんが縁の花を主宰された時に印刷についてのご相談を受けました。

その後たいした、お手伝いができず申し訳ありません。

今では、岩谷さんの「人と人は縁で結ばれる」今の世の中では、最も大切な活動といえます。

そして、長きに亘って、この活動を持続される姿と、実行力に感動をおぼえます。

これからも、みんなの先頭にたって、「縁の花村」の貫徹と、ご活躍を期待しております。

 

また、村民たちの思いを、気軽に意見交換できるブログもつくられれば、時間・距離・空間を

超えた心(魂)のふれあいが可能となるのではないかと思います。

ぜひ考えてください。

それが、心のサプリメントになるように・・・・

 

また、原先生が主宰される「なんでんかんでん村」の村民登録もお願いします。

 今度機会がありましたら、岩谷さんや原先生にもお会いできたら・・・と思っています。

皆様の大阪での集いがありましたら、ぜひお知らせいただけると幸いです。

 登録の件よろしくお願いいたします。

 

 

             3人のMGの同志のご縁 Mさん

 そんなメールを中村さんに頂いたのです。正直言って、56年ぶりのご縁でした。中村さんとは同じ大阪なので、前に、確か新井伸介先生の勉強会でお会いした時、名詞交換して、パソコンのメールアドレスが分かったので、縁の花村情報をずっと、送らせて頂いていましたが、ご縁はそれだけでした。それで、早速、何かの手違いで、縁の花村情報が届いていないのか、調べて、届いていることを確かめて、もう縁の花村の村人にとっくになっていることを伝えたのです。

 

 しかし、それだけでなく、菊は、早速、原裕一郎先生に、メールで、懐かしい中村さんから、メールが来たことを伝え、「なんでんかんでん村」の村人に、中村さんがなる事を依頼しました。原裕一郎先生も、その中村さんのメールを喜んで、早速、中村さんとも親しかった、2年前に倒れて、今は、自宅で、療養しているパートナーのKさんに伝え、何と、すぐに、Kさんから、少したどたどしいですが、中村さんにお電話がありました。もう、10年以上もあっていない高度情報科学セミナーの同志からの、すばやい対応に、中村さん自身、驚いたのです。

 

 また、原裕一郎先生は、中村さんにメールして、7月に大阪に行く予定なので会いましょうというとご返事していました。それで、7月に、原裕一郎先生が、6月に続いて、再び、大阪に来ることになったのです。

 

 しかし、日程は、まだ決まっていませんでした。その日程に、大きく関与してくれたのは、菊とも親しい、同じ泉州地域に住む、M総合研究所のMさんでした。このMさんは、菊と同じ、高度情報科学セミナーでは、大阪第1省圏にいたのですが、年齢的にも菊にちかく、大変活動する人でした。

 

 そのMさんは、高度情報科学セミナーが無くなった後も、そこで学んだことを生かして、たった一人のM総合研究所のホームページを立ち上げて、インターネット上で活躍しています。

M総合研究所

http://blog.m-ken-net.com/blog.php?ucid=1424

 

 

 主に、UFOや宇宙人、古代の文書、カタカムナなどを書かれているのです。しかも何故か、「神と科学と奇跡の水」の理論を開発した高尾工学博士とも親しいのです。ただ、そうはいっても、その内容は、ぶっ飛んでいて、菊自身も、さすがにMさんにはついていけませんでした。

Mさんのいうことは、菊には、半信半疑なのです。でも、菊のご縁のある人で、Mさんの書く宇宙人、UFOの情報に、関心を持っている人達もいます。菊自身、そんなMさんを認めているのです。

 

 しかし、そんなMさんが、今回、721日、関西サイ科学のご縁を作ってくれました。何でも日本サイ科学会の阿久津理事とMさんは親しく、大阪に、講演でくるので、参加者を集めて欲しいと頼まれたということで、なんでんかでん村の原裕一郎先生や、縁の花の菊に、紹介して欲しいと頼んできたのです。

 

 それで原裕一郎先生は、なんでんかんでん村情報の中で掲載し、菊も、ミクシイや、バーチャル・オフィスで、紹介しました。すると、バーチャル・オフィスで、菊が書いた記事を見て、水口清一先生が、「日本サイ科学会で20年ほど前に講演をしたことを思い出しました。確か講演テーマは「20年後の未来社会」だったと思います。だから、今回の阿久津先生の講演は非常に興味があります。21日丁度空いていたので参加したいと思います。」という書き込みしてくれました。

 

 水口清一先生が、21日、関西サイ科学に来ることが決まったのです。しかも中村さんも、「なんでんかんでん村」で、紹介している記事を見て、原裕一郎先生は、21日に、大阪に来るのですかというメールくれました。中村さんも、関西サイ科学の事は知っていて、原裕一郎先生が、来ると勘違いしていたのです。

 

 でも、菊は、その中村さんのメールを見て、直感で、天の導きを感じました。7月の関西サイ科学の前日は、プラットホーム空(くう)03の例会ですし、後日は、プラットホーム空(くう)03主催のプラットホームの説明会があります。7月に来るという原裕一郎先生に、この日程で来て頂けたら、プラットホームの多くのメンバーや、何よりも、水口清一先生に会って頂けるチャンスです。それで、中村さんのメールや、水口清一先生が、関西サイ科学に来ることを伝えて、原裕一郎先生に、720日から22日に、大阪に来て貰うプランを一つの案として、出したのです。

 

 

           「3人のMGの同志のご縁 Kさん

 その菊の提案に、原裕一郎先生は、快く応じてくれました。早速、日程を組んでくれたのです。しかも、21日の土曜日は、菊は仕事なので、関西サイ科学のセミナーには参加できないという事も承知してくれました。その上で、21日、関西サイ科学のセミナーに参加してくれることになりました。その後の二次会で、水口清一先生と会って頂くことも決まったのです。

 

 菊自身、本当に嬉しかったです。これも14年、15年前からの高度情報科学の同志、中村さん、Mさんのおかげなのです。しかし、そんな二人よりも、もっと感謝しないといけないのは、原裕一郎先生のパートナーとして、ずっと苦楽を共にしたKさんの存在です。

 

 というのもKさんは、2年前に、突然倒れて、それからはずっと自宅で、療養しています。今は、何とか家でなら動けるし、話もできるのですが、まだ、外に出ることは難しいです。頭の中で、考えていることが、スムーズには出てこないのです。でも、元気だった頃は、怖い人でした。菊も、よく怒られました。原裕一郎先生を支えるぐらい頭がよくて、てきぱきしていて、何よりも、もう15年以上も、ずっと原裕一郎先生を支えて、苦楽を共にしていたのです。

 

 だから、原裕一郎先生は、そんなKさんを、長年パートナーとして支えてくれたこともあって、今でもご縁を大切にしています。毎日、何回か、必ず、ウィリコムの携帯電話を持たせて電話しているのです。しかも、23ヶ月に、一度は、Kさんの見舞いに、わざわざ福岡から、二日間か、三日間かけて、来ています。

 

 その時に、菊自身も、23回同行させて頂きましたが、本当に頭が下がります。その時の原裕一郎先生は、本当に忙しいのに、Kさんの為に、時間を費やしています。あの忙しい原裕一郎先生が、殆ど、Kさんとは、昔話で、何もしていないのです。

 

 菊自身、毎回、それを実際に見て、原裕一郎先生は、本当にあたたかい人だと確信しているのです。でも、実は、そのKさんのおかげで、原裕一郎先生に、23ヶ月に、一度、大阪に来て頂けます。原裕一郎先生は、Kさんのお見舞いの為に、23日、来てくれるからです。

 

 それは、菊自身、とても助かります。福岡から大阪に来て頂いて、一泊、二泊して頂くには、4万円から5万円かかります。それを気にせずに、何とか大阪に来て頂けるからです。

 おかげさまで、原裕一郎先生が大阪に来た時には、プラットホームの仲間や、智閥の仲間に会って頂いて、毎回、楽しい居酒屋での宴会をすることができました。プラットホーム空(くう)01の小松良行駅長や、いずみ苑の泉さんなど、多くのメンバーをご紹介できたのです。

 

 また、菊が、20074月に、2年間学んだプラットホーム空(くう)01から、プラットホーム空(くう)03を立ち上げさせて頂いた時にも、福岡の原裕一郎先生に、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂けたのも、Kさんのおかげでした。

 

 毎回のプラットホーム空(くう)03の例会には、福岡なので、とても参加して頂けませんが、大阪に、23ヶ月に一度は来て頂いて、菊とも会って頂けます。それで、バーチャル・オフィスというプラットホームのソーシャル・ネットワーキングも誕生しているので、原裕一郎先生にお願いして、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂きました。

 

 原裕一郎先生が、Kさんのお見舞いに来て頂けるからです。Kさんは、何もしないように見えますが、本当は、大きな働き、ご縁を作ってくれました。菊は、心から、そう思っているのです。

 

 だから菊は、Kさんの為にも、プラットホーム構想は、成功させたいと願っています。将来、プラットホームを、原裕一郎先生に教わった智閥の一つにして、早くから、プラットホーム空(くう)03に参加してよかったと心から感謝して貰えるようにしたいです。

 

そうすれば、毎回、原裕一郎先生が、お金と時間を費やして、Kさんのところに行くことも全部大きな意味がある事になりますし、Kさんが、倒れて、自宅で、療養していることも、全部、大きなお役だったことになります。きっと、天は、そうしてくれる、原裕一郎先生とKさんの姿を見ている、菊には、そうとしか思えないのです。本当に、Kさんありがとうございます。

 

            プラットホーム空(くう)03の例会

 

720日、午後3時から、プラットホーム空(くう)03は、いつもの会場、ホーミーアスカ住環研所さんで行われました。地下鉄千日前線、今里駅から歩いて1分程度の距離にある、大阪タッチフォーヘルスの道場の2階です。

 

そこに原裕一郎先生は、245分に、菊が来た時には、もうすでに来てくれていました。前回素質サプリメントの講演会をした時に、参加して頂いているので、場所は、分かってくれていたのです。ここで、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂いている岡田さんと二人で、話して頂いていたのです。

 

そしてその後、ゲストとして来てくれたプラットホーム空(くう)03のゲスト、高度情報科学セミナーの同志、中村さんと、プラットホーム空(くう)01のメンバー、マアサとそのゲストの井上さん、用事があって、少し遅くなってから駆けつけたホーミーアスカのアースさんの六名で、プラットホーム空(くう)03の例会は行いました。全員、男性で、今回は、女性いないという少し寂しいメンバーでしたが、熱気は熱かったのです。

 

また、菊は、その中で最初に驚いたのは、何年ぶりに会った中村さんが痩せていた事でした。菊自身も、ダイエットしていたので、お互いの姿に驚いたのです。でも、元気そうでした。中村さんは、原裕一郎先生が、プラットホーム空(くう)03の例会に来るので、ここでゆっくり、いろんな話ができるという事で、参加してくれましたが、原裕一郎先生や、プラットホームのメンバーといろんな話をして楽しんでくれたのです。

 

また、原裕一郎先生も、福岡を朝早く出て、9時頃には、もうKさんの家にお見舞いに行って、しばらくいると、プラットホーム空(くう)03の例会に駆けつけてくれました。

本当に感謝しているのです。

 

さて、そんな中で、プラットホーム空(くう)03の例会は、1時間を越えた6時で開催されました。毎回、何もしない、何のテーマもないということで、実施していますが、それでも、何もしないわけではありません。天が、テーマも決めてくれます。

 

今回は、福岡から「なんでかんでん村」の原裕一郎村長が来てくれたということで、各自の自己紹介が終った後、原裕一郎先生には、今、手がけている「神と科学と奇跡の水」の水の話や、インターネット放送局、音の薬などの話をして頂きました。この中で、「「神と科学と奇跡の水」に関しては、インターネットでの反響が大きすぎるということで、今は、不特定の人が見ているインターネットでは、情報を流すことはできませんが、他にも、個人が、インターネットで、放送局を持てるとか、携帯にダウンロードした音を聞くだけで、思いが実現でするという音の薬などの話題で、大いに盛り上がりました。

 

原裕一郎先生が、20年ちかく前から、努力していた智閥の農耕型ビジネスの芽がやっと現れてきていて、聞いているプラットホームのメンバーにも関心持って頂いていました。

 

特に、ホーミーアスカ住環研所の松岡さんは、オーリングテストの専門家です。自分一人で、自分の感情を遮断して、物だけでなく、人物のエネルギーも、数値かします。音の薬の効果も判定してくれて、携帯電話の電磁波も取ってくれることも、調べてくれました。

本当に、原裕一郎先生は、いろんな不思議なものとご縁を持っていて、ものすごく楽しかったのです。

 

結局、その後、用事があるという松岡さん以外の人とは、ちかくの中華料理店に入って、飲んで、食べて、楽しい二次会も過ごしたのです。

 

それを後に頂いた、中村さんのメールをご紹介したいと思います。

是非、プラットホーム空(くう)03の例会の場を感じて下さい。

 

 昨日は、岩谷さん、原先生に久しぶりにお会いできて、楽しい一時を過ごすことができました。

ありがとうございます。岩谷さんとは45年ほどお会いしていない間に、断然スリムになって清潔感を感じました。

原先生とは、MGの、私が知りえなかったMO氏との約束など創設期からのお話など聞かせていただき、ずっと疑問に思っていた部分のところの紐(ひも)の結び目が解けてスッキリした気持ちです。

結局、MG構想の根幹の部分は、原先生の構想だったわけですね。知りませんでした。

MO氏は、講師として俺は日本一・・・・と云っていましたし、話も魅力的でした。我々も知らなかった情報を解りやすく解説し、多くの情報を知ることができました。それはそれで大きな収穫です。

 MGの始まりは、我欲と権力の集団でした、しかし6.17以降は、社会貢献や福祉を考える集団として生まれ変わり、そして端末(ROB-1)・通信(電話)事業へ・・・・

最終的には、無残な結果となりましたが、高度情報化社会(原先生の言われる、アルビントフラーの第三の波)の日本の先駆者でもあったような気がします。

しかし「MG構想が大いなる意思の使命によって、生まれたかどうかです」 一部では国家事業で日本の国益を守る構想・・・との見方もありましたが、結論的には我欲の集団だったのかも知れません。

 

また、松岡様は天風会の世話役もされており、中村天風のすばらしい教えを実践されておられるのでしょう、人間性がにじみ出ておられる方とお見受けいたしました。

岡田様は、セールスマンとして、最高峰を極められた、経験豊富さに、すごく魅力を感じ取れます。こんな方と長くお付き合いさせていただければ、嬉しく思います。

マアサ様は、芯が一本通った正義感の持ち主で、知識が豊富で頭の良さを感じます。私の考え方や思想が合うのではないかと思います。また、やボーカルやオカリナを演奏される音楽家として多くの人々の心を癒す演奏を期待しています。

井上様は真面目で人が良い。チャーガに興味があるようなので、これからも仲良くできそうです。

 昨日お会いした方々の感想です。

今後ともよろしくお願いいたします。」

 

         原裕一郎先生と水口清一先生のご縁

 

 翌日の721日、「なんでんかんでん村」の原裕一郎先生と、プラットホームの水口清一先生に、いよいよ初めて会って頂きました。会って頂いたのは、四つ橋線本町駅、地下鉄28番出口の前です。ここで、11時に、お二人だけに会って頂きました。

 

 本来なら、関西サイ科学のセミナーが始まる1時に会って頂いて、二次会で、お話して頂く予定だったのですが、そうすれば、ゆっくり二人でお話して頂くことはできませんし、菊自身も、土曜日、お仕事なので、立ち会うこともできません。どうしたらいいかと考えていましたが、11時と少し早いですが、お二人に、無理を言って、本町の駅まで来て頂くことにしました。

 

 そうしたら菊自身も、20分から30分は時間が作れます。その後、急いで自宅に、電車で帰ったら、昼の1時か、2時からの仕事なので間に合います。菊自身、二人の出会いは、本当に大切に精一杯の事はしたかったです。それで、無理にお願いして、11時に来て欲しいと頼んだら、二人とも承知してくれたのです。

 

 また、プラットホームの頭脳、萩原先生にも、少し時間をずらして頂いて、最初は、お二人だけで会って貰うことにしました。以前、水口先生に、ご縁を作る時には、その二人が先輩、後輩とか、どちらかが、上下の関係ではなく、対等の形で、ご縁を作らないといけないと教わっていたからです。

 

 だから菊は、最初は、お二人だけに会って頂いて、その後、萩原先生にもご縁に入って貰えるようにしました。幕末に例えたら、勝海舟や吉田松陰に匹敵するお二人には、是非、そうしないといけないと思いました。菊のご縁の神様が、そう教えてくれたのです。

 

 そしてそんな設定も良かったのか、お二人の縁結びは、28出口ちかくの喫茶店で、話して頂きましたが、うまくいきました。原裕一郎先生にしろ、水口清一先生にしても、菊だけでなく、プラットホーム空(くう)01の駅長である小松良行先生や、萩原先生から、お互いの事を聞いて頂いています。

 

 しかも原裕一郎先生には、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂いて、バーチャル・オフィスを通して、プラットホームの情報を見て頂いていますし、水口清一にも、「なんでんかんでん村」の村人になって頂いて、「なんでんかんでん村」のメルマガ情報を読んで頂いています。ある程度の情報は、二人とも知って頂いていたのです。

 

 でも、それだけでなく、やはり、二人は、同じ考え、同じ波動を持っているので、馬が合うのだと思います。

 

 何故なら、お二人とも、同じ時期、20年前ぐらいに、2012年から2015年に、IT技術を使った携帯の端末で、創造を絶する大変革が起きて、人類社会は、大きく変わると言うことを理解して、多くの人に理解されずに、馬鹿にされながらも、ずっと講演されていました。昔、絶対に潰れないと思っていた銀行や生命保険の会社には、随分怒られていたのです。

 

 しかもその発想は、東洋の考え、陰陽や、木火土金水に基づいていて、周期を考えを大切にします。16千年周期説や、東洋と西洋の800年周期説、60年周期説などを加味して、2012年から2015年の間に、人類社会は、大きく変革することを、予測していました。これは、今から考えれば、周期なので、何かの予言ではなく、当たる可能性は高いのです。

 

 また、そういったことは、口で講演するのではなく、活動家として実践することが大事だということで、21世紀になってからは、お互いの特技を生かして、原裕一郎先生は、「なんでんかんでん村」などの智閥構想、水口清一先生は、プラットホーム構想を、水面下で立ち上げて、地道な活動をして、多くの仲間、同志とのご縁を作ってきました。

 

 二人とも、時代を変革するのは、変人だということを、歴史に学び、次の社会は、お金で支配する会社組織ではない、ご縁を大切にする、心と心で、結ばれたネットワークの組織だということを理解して、バーチャル組織を作ろうとしています。

 

 次の社会は、バーチャル、仮想現実が、実体に世界になるという信じられない世界になることを、もう何年も前から、分かっていた数少ない人物なのです。少なくても、菊自身、随分前から、長年、いろんな人を見てきましたが、この二人しか、今のところ知りません。

 

 本来なら、講演するだけなら十分に食べていけるのに、それをせずに、いろんなものを捨て、お金儲けをしようともせず、あえてご縁のある人達のこと、日本や世界のことを考えている人です。

 

 その上に、それが実現する道を築けたら、後は最後まで実現させるという執着もありません。原裕一郎先生は、後、3年したら、80歳なので、高度情報社会が、本当に完成するには、まだ何年も必要なので、それは見届けなくてもいいといっていますし、水口清一先生も、プラットホーム構想は、後3年で完成させて、それ以後は一切しないそうです。 次の世代の人にバトンを渡すつもりなのです

 でもそれまでは、自分の責任と言うことで、必死で動いていますし、後、3年で、すべてが決まると考えているのも同じです。

 

 これだけ考えが同じなのです。たぶん幕末であっても、生まれは違っても、意気投合したと思います。お二人は、この時期に会うべきして、会う人だったのです。

 

 だから、菊自身、お二人が、名刺交換をした後、お話されると、残念ですが、すぐに、ご挨拶して帰りました。後は、二人が話したらいいことです。きっと、二人でしか、分からない話もたくさんあると思います。菊は、二人のご縁は、絶対にうまくいくことを確信して、その場を離れたのでした。



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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html