縁の花

        (21世紀に咲く心と心の智恵の場)  

               第240

         プラットホームの説明会2

 

        ∞「プラットホーム説明会 萩原先生の話」∞

 

 翌日は、プラットホーム空(くう)03主催のプラットホームの説明会が行われました。水口清一先生、萩原先生に、手弁当で来て頂いて、大阪城の近くで、昔の難波宮があった付近の、大阪市立中央青年センターで、1時から5時まで開催して頂いたのです。

 

 またそのプラットホームのセミナー大成功でした。会場は、30人が座れる会場だったのですが、実は、水口清一先生にお願いして、会場借りて頂いたのですが、ドンピッタリでした。水口清一先生は、フーチーの達人で、何でも答えが分かる人なので、もしかしたら、フーチーで人数を探ったのではないかと思いましたが、集まってくれた人の人数は、26人程度で、そのうち、新しいゲストの人が、9名で、椅子の数は、ピッタリだったのです。

 

しかもプラットホーム空(くう)03からも、ゲスト1名を含めて、8名の人が参加してくれています。その中で、新しくマミーさんがメンバーになってくれました。 本当に感謝しています。 大成功だったといえると思うのです。

 

 その上に、最初に話してくれた萩原先生の話や、急遽お願いして話して貰った原先生や、プラットホーム空(くう)01の駅長としての体験談を話して貰った、小松良行駅長や、水口清一先生の話、どれもすばらしかったです。

 

特に、その中でも、最初に話してくれた萩原先生の話は、良かったです。というのも、2年前に、始めてプラットホーム空(くう)01で、プラットホームの説明を受けた時は、水口清一先生の説明だけで、萩原さんは、まだ参加されていませんでした。

 

だから、菊が、萩原先生の話を聞いたのは、2ヶ月前のプラットホーム空(くう)02の説明会の時からですが、その時に比べても、とてもよくなっていました。さすがは、経営コンサルタントとして、一流の萩原先生と感心しましたが、その話は、本当にすばらしかったです。

 

 スクリーンを使って、今の日本のIT技術の話、これから始まるユビキタス社会、携帯の端末を使っての大きな変革の話をしてくれたのですが、菊とても勉強になりました。

 

 こういった話では、専門家でもある原裕一郎先生が、「何もいうことはありません。その通りです。大変勉強になりました」という感想をくれたぐらいです。菊自身、こんな萩原先生が、プラットホームの頭脳、シナプスのリーダーでいてくれることが、どんなにすごいことかと改めて思いましたし、もし、この場に、高度情報科学セミナーで、共に、これからの始まる高度情報社会のことを学んだ同志の中村さんや、M総合研究所のMさんや、自宅で、療養しているKさんがいたら、きっと感動しただろうなあと思うと、菊自身、少し残念でした

 

今から17年から18年前には、携帯電話はなかったですし、あったとしても、とても大きくて、殆ど、普及していないので、端末はコンピューターだと勘違いしていましたが、それが、携帯電話が、時代を変革する新しい道具、端末だと考えたら、萩原先生の話は、高度情報科学セミナーで、ちゃんと学んだ人なら、本当によく分かると思います。

 

今から、17年前に知った、大変革、高度情報社会の波が、やっともうすぐ始まると思ったら、きっと熱くなって、力になってくれると思いました。是非、その話を、皆さんに簡単ですが、書かせて頂きたいと思います。

           ∞「e-japan戦略」∞

 萩原先生の話は、1990年頃から始まった二つの大きな変化の話から始まりました。
 その一つが、1990年に起こったベルリンの壁の崩壊、米ソの冷戦体制の崩壊です。
 これによって、世界は、米国が一国で支配する体制になったと言われています。長年のライバルだった、ソ連が崩壊した事で、米国と真っ向から戦える国はなくなったのです。

 しかも、それによって、国政をまかれていた政治家の人達なら感じていると思いますが、米国と、日本や、味方のはずだった、西側諸国の関係も変わりました。同盟諸国から、経済面ではライバルになって、日本なども、激しく米国からバッシングされるようになりました。日本叩きが始まり、今も、その体制は、ある程度、続いているのです。

 また、その反面、ソ連率いる東側の国々、東ドイツ、ポーランド、ルーマニアなどの国々を始め、共産圏の国々も西側の一員になることで、世界は、グローバル化したといわれています。大競争時代の始まりです。世界中の国々と、いろんな競争をしないといけなくなったのです。

 しかし、それを言われても、正直、プラットホームの説明会に来ていた多くの人は、ピーンとこないと思います。中国製品や、韓国製品などの安い商品が、どんどん来ているという事は理解していても、世界中の製品が、日本に来ている実感はありません。大競争時代になったといわれても、その実感はないと思います。

だけと、経営者の人は違うと思います。世界を相手にしている企業家なら、ベルリンの壁以後、世界は急速に一つになって、競争が激しくなったという実感はあると思いますし、中小企業の経営者でもあるかもしれません。菊自身は、外国にも行ったことがない人間なので分かりませんが、萩原さんが、いろんな資料を見せて、説明してくれているように、世界は、一つにどんどんなって、企業間の競争は激しくなりました。そういったことを、船井総研などの一流のシンクタンクの企業に勤めていた経営コンサルタントとして、話してくれたのです。
 
そしてその次に、萩原先生が、資料を使いながら、説明してくれたのは、IT技術によるインターネット革命です。これに関しては、プラットホームの説明会に参加している人の多くは、ある程度、パソコンを操作して、インターネットを楽しんでいるので、ある程度は、実感していると思います。

確かに、多くの人が、インターネットができるようになって、社会は大きく変わり始めています。特に、ホームページや、ブログといったもので、個人でも発言を、日本や世界に発信できるようになって、社会は大きく変わっています。特に、今まで、テレビや、新聞のような媒体、マスコミといった存在は、ごく限られていたのですが、今では、いろんな人がはつげんできるようになりました。マスコミを使って、大衆をリードするといったことも難しくなっています。萩原先生は、そういったインターネット革命も、本当に詳しく、説明して、今、何が起きているか、専門家として話してくれたのです。

しかし萩原先生が、言いたいことは、これから何が始まるか、後、23年で始まるといったユビキタス革命、携帯という端末で始まる革命の事でした。いえ、それに取り組もうとしている国家の意思、時代の意志です。

何故なら、萩原専門家として、このIT社会に入っていて、昔は、マイクロソフトのウインドウズがこんなに普及するとは思わずに、ドス(DOS)で取り組んで、見事に失敗したなどのいろんな経験を積みながらも、政府側の一員に、ご縁ができたことで、日本国政府のすごい一面をみたそうです。

それが、平成13年、今から5年前に出された、e-japan戦略といったものです。これは具体的には、「我が国は、すべての国民が情報通信技術(IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す。」

というもので、例えば、一つの目標として、「5年以内に超高速アクセス(目安として30100Mbps)が可能な世界最高水準のインターネット網の整備を促進し、必要とするすべての国民が低廉な料金で利用できるようにする。(少なくとも3000万世帯が高速インターネット網に、また1000万世帯が超高速インターネット網に常時接続可能な環境の整備を目指す。) 」などがありますが、萩原先生は、そういった戦略を推進する立場の人間に入っていても、最初は、それはとてもできないと判断していたそうです。
 それをするには、莫大な人材や資金が必要なので、5年では無理だと判断していたというのです。でも、日本の国は、各省の役人は、一致団結して、それを実現する為に、膨大な税金、国民のお金を費やし、企業を動かし、ITの資格を作って、人材を育て、見事に達成したそうです。その時に、萩原先生は、日本の国の底力を知ったというのです。日本は、一旦目標が決まったら、遣り遂げてしまう国だというのです。

 

 

          ∞「u-japan戦略   ユビキタス革命」∞

 そんな萩原先生の話は、菊自身、大変勉強になりました。高度情報科学が無くなった後、一般人の菊には、新聞を見たり、テレビのニュースを聞いたりする以上の情報は入ってきません。恥ずかしながら、e-japan戦略といった言葉さえ知らなかったのです。

 ただ、本来なら、IT技術の世界の先端を走っていた日本は、本来なら、もうとっくに、高度情報社会に入れるはずだったのに、今のブッシュ大統領の父親だったブッシュ大統領の時や、クリントン大統領だった時期に、激しい圧力を、日米構造協議で仕掛けられて、一切、日本の国として、IT関係に、政府の予算をかけることを許されなかった時に、一気に、世界的に見てもIT後進国になっていました。下手をしたら20番目とか、40番目でした。

 高度情報科学セミナーで、その当時、そういったことを学んでいて、本当に悔しい思いをしたことを覚えています。日本は、韓国や米国に比べても、遥かに遅れていたのです。でも、そんな日本も、ADSLの急速な普及、低価格の定額制によって、今は、そんなに世界的に見ても、遅れていないといいます。日本国は、見事に、IT化で、遅れを取り戻したのです。

 だけど、菊は、それは超アンポンタンな役人の力ではなく、優れた日本の企業家や、優秀な日本民族の力だと思っていました。その影に、このままではいけないという各省の役人の力が大きかったとは思わなかったのです。日本の役人も、日本の事を考えているのかと少し見直したのです。

 しかしここで、次に、萩原先生が、強調したのは、e-japan戦略の次、今から始まるu-japan戦略、ユビキタス革命です。これは、簡単に言えば、u-Japanでは、e-Japan戦略で整備されたネットワーク・インフラやITサービスをさらに発展させ、2010年を目標に日本を世界最先端の「ユビキタスネット社会」へと発展させていくことを目指しています。ユビキタスネットワーク社会とは、誰もが、いつでも、どこでも、ネットワークを利用してサービスを受けたり、情報をやり取りしたりできる社会のことを意味します。」とあるのですが、これだけでは、何を意味するのかは、普通の人には分からないのです。

 でも、萩原先生は、それを簡単に説明してくれました。要するに、ユビキタス社会とは、パソコンに変わって、携帯電話が、携帯の端末になって、そこですべての情報を手に入れられる社会になるということです。お財布携帯で分かるように、これから携帯電話は、ますます進化して、財布からワクセグのテレビ、居場所が分かるナビゲーション機能だけにすまなくなって、病歴や健康保険、住民票などのすべての個人情報も携帯から得られるようになります。携帯を持っていないととても生きていけなく社会になるのです。

 そしてその時に、日本の社会は激変します。今までのインターネット革命などとは違った、真の超革命、日本の産業革命、明治維新を遥かに超える大変化が起きます。それを例えて言えば、原裕一郎先生は、ドコモやAU、ソフトバンクが、銀行、大金融会社になるといっていますが、そんな激変する社会になるというのです。

 しかも、萩原先生は、e-japan戦略の時に実感した、日本政府の意思、力で、このu-japan戦略も必ず成功すると確信しています。日本政府は、あらゆる力、お金、企業、人材、法律を屈しても遣り遂げるだろうと確信しているのです。

 何故なら、そこに国家の意思があるからです。日本政府は、今、日本が抱えている数々の問題、国の財政赤字、少子化、失業問題、地域格差、所得格差・・・・といった問題を、日本をユビキタス社会にすることで、世界の最先端の高度情報社会にすることで、一気に解決しようとしているからです。それが、日本の国の意志である以上、絶対に実現させると、萩原先生は断言してくれたのです。本当に、すごい情報だと思います。

 しかし、ここで皆さんに死って欲しいのは、それが、今、生きている多くの国民の、幸せに繋がるかといえば、すぐに繋がるとは限らないということです。だって、江戸時代から明治になった時でも、それまで何百年も続いていた多くの産業は、崩壊しています。萩原先生の資料だとそれは70パーセント以上ですが、それと同じことが、いえ、それ以上のことが起きる可能性があります。

 それを萩原先生は、ネット社会になっていく中でのネット取引の金額で、説明してくれました。今、楽天やヤフーでも分かるように、オークションやショッピング、チケット、旅行などのネット販売が盛んです。萩原さんの資料では、年々、倍増していて、今や、何十兆円になっていますが、それをu-japan戦略では、何百兆円にする予定です。

 でも何百兆円といったら、すごい金額です。しかもそれが全部ネットで売買されても、それで現実に売買される総額が増える訳ではありません。その分、小売店やスーパーといった現実にある店で販売される売り上げが減ることになります。それだけで考えても、これからの社会は大変な激動することは、誰が考えても分かると思うのです。

 しかも、恐ろしいのは、萩原さんが、役所の人にそのことを疑問に思って、質問した時に、「バブルの崩壊以後も、いろいろところも苦労して、ここまでやってきたのだろうけど、潰れるところは早く潰れて欲しい」というような返答があったそうです。それが、日本政府の役人の本音なのです。

 萩原先生は、それを教えてくれたのです。本当に恐ろしいと思います。ただ、それではここで、皆さんに誤解して欲しくないのは、では、プラットホームは、何かのビジネスをする目的で、誕生している組織だといえば、そうではないということです。萩原先生は、プラットホームが作ったバーチャルカンパニー、ビジネスをする部門なので、ビジネスの話になっている感じですが、あくまでもプラットホームは、ご縁があって、メンバーになってくれた人達、一人、一人の夢を叶え、幸せになって貰うことです。

 でも、それにはいつの時代になっても、お金が必要ですし、このユビキタス革命は、誰もが逃げることができない大きな時代の波です。だからプラットホームのメンバーは、理解して貰う必要があります。そこに、プラットホームのメンバー全員を幸せにするビジネスチャンスがありますし、水口清一先生が、プラットホーム構想を立ち上げた理由の一つに、そんな時代に大変化に、少しでもご縁のある人達が、信頼して、協力して、乗り越えられるようにすることがあるからです。最後に、萩原先生は、その事を強調して、すばらしい話を終えたのです。

 

               ∞「なんでんかんでん村 原先生の話1」∞

 萩原先生のこれから始まる高度情報社会、ユビキタス革命の話が終ると、その後に話してくれたのは「なんでんかんでん村」の原裕一郎先生でした。しかし、それは、当初の予定ではなかったことです。でも、昨日、原裕一郎先生と会った水口清一先生や、萩原先生から、「原先生も同じような考えを持って、活動しているすばらしい先生だから、30分程度で申し訳ないけど、話して貰ったら」とご提案いただきました。

 

 これには、菊自身、本当に嬉しかったです。きっと長年、高度情報社会を夢見て活動しているもの同志、お互いに対する尊敬の思いが生まれたのだと思います。それで早速、原先生に、30分間ですが、お話をお願いしました。原裕一郎先生にとって、30分では、とても話が短いと思いますが、快くお受けしてくれました。原裕一郎先生にも、急遽話して貰ったのです。

 

 また、その原裕一郎先生の最初の言葉は、「先程、萩原先生から、すばらしいお話を聞きましたが、まさしくそうです。いうことはありません。大変、勉強になりました」というものでした。菊は、それを聞いて嬉しかったです。

 

 何故なら、萩原先生が話した話は、まさしく今から、14年から15年前に、高度情報社会セミナーで、菊や原裕一郎先生が、勉強していた世界でした。それが、長い年月を経て、今、やっと始まろうとしているのです。しかも後、3年で、すべてが決まってしまいます。現在の明治維新に乗れないことになります。はっきりいって高度情報社会、ユビキタス時代の波に乗り遅れたら、今までの苦労が全部終ってしまうのです。

 

 それを水口清一先生も、萩原先生も理解しています。だから原裕一郎先生は、きっと、萩原先生の話を聞いて、プラットホームの人達とは、同志として一緒にできる。やらないといけないと、直感的に判断して頂けたと思います。菊は、縁結びは、成功したことを確信したのです。

 

 しかも、その後に話してくれたのも良かったです。それを一言で菊が、まとめさせて頂くと、原裕一郎先生の、今までの活動の実績になります。

 

 というのも、原先生の経歴は、本当にすごいです。お歳は、77歳ですが、そんな年齢など関係なく、実にいろんなことを経験しています。それを、原裕一郎先生自身、長いプロフィールとしても、ご紹介しているので、是非、見て下さい。菊は、ここまで、詳しくプロフィールを書いている先生は、なかなかいないと感心しているのです。

 原裕一郎先生の自己紹介

http://www.geocities.jp/ennohana/nandenmura/nandenzikosyokai.htm

 

         ∞「なんでんかんでん村原先生の話2」∞

では、そんな原先生が、講演で、何を話してくれたのかといえば、第3の波でも有名な、未来予測のアルビントフラー博士の話です。何故なら、20年前、アルビン・トフラー博士の本、第3の波の本から、社長業ではなく、たった一人で活動する、原裕一郎先生の新しい今の人生が始まったからです。

 

 というのも、原裕一郎先生は、20年前は、福岡でも有名な事務機の販売の会社のオーナーでした。キャノンとか、リコー、プリントごっこで有名な印刷機のメーカー、理想科学工業の代理店として、コピー機や印刷機、FAXの機械などを販売していたのです。しかも九州では、本当に大きな販売店でした。一番に、いつも表彰されていたのです。

 

 しかしそんな原裕一郎社長が、第3の波の本を読んで、これからは、情報社会になる事を知ったことで、原裕一郎社長の人生は、大きく激変することになりました。最初、第3の波を読んで、この当時、社長としてお金儲けに燃えていた原裕一郎社長は、これからは、情報社会になる事を知って、しめた、これでますますコピー機やFAXの機械が売れると勘違いして、どんどん社員を増やして、原事務機の規模を大きくしたというのです。

 

 でも、いくら社員を増やして、売り上げを増やしても、原事務機の経営は、かえって悪くなっていたそうです。表面とは別に、むしろ、会社の経営は、苦しくなっていったそうなのです。それで、何かが違うと感じた原裕一郎社長は、東京に、アルビン・トフラー博士が、講演に来ることを知ると、講演会場の、一番前の席に座り、一つの質問をしました。

 

「それは、アルビン・トフラー博士が、第3の波にイメージしているものは、どんなものですか」ということで、それに対して、アルビン・トフラー博士は、一つの明確な答えをくれています。

 

「海岸の砂浜で、砂で何かを作ったとします。そこに大きな波が来たら、どうなりますか。砂で作ったものは、波に流されて、しばらくしたら跡形もなく消えてしまいます。」こう教えてくれると、具体的な説明をしてくれたそうです。

 

 それは江戸時代、少なくても、270年間、その当時生きていた人々が、ずっとあたりまえだったと思っていた制度、士農工商とか、ずっと存在すると思っていた藩とか、幕府といったものが、明治維新、産業革命によって、跡形もなく、消えてしまったという事実でした。これと同じことが、もうすぐ起こると教えてくれたのです。

 

 原裕一郎社長は、それで、これから日本や世界に何が起こるかわかりました。今から考えたら、分かることですが、情報社会とパソコンなどの情報機器の販売とは、関係がないことを悟ったのです。

 

 でも原裕一郎社長のすごいところは、変人なところは、その後の行動です。これから始まるアルビン・トフラー博士の言う社会を研究して、高度情報社会という言葉や、智閥という言葉を作ると、何と、自分がオーナーとして作り、苦労して、育てた会社を、他人に、ただ同然で譲ってしまったのです。

 

 すなわちある課長だった社員を、社長に大抜擢すると、株を全部、額面の値段で渡し、会社をその人に渡したのです。それは、偶然、取引先の一つだった、理想科学工業で勤めていて、原先生の会社の名前だけは、知っていたプラットホーム空(くう)01の駅長だった小松良行さんが、良くご存知です。

 

小松良行駅長は、今でも、九州でも一番と言われている会社で、ほっておいてもこれから楽ができる立場だったのに、それをあっさり譲ってしまうことに、アンポンタンとしか言えないと少し呆れて教えてくれたのです。正直、菊自身も、その会社の事を良く知る小松良行駅長から聞かない限り、信じなかったと思いますが、原裕一郎先生は、何十億円と言う売り上げがある会社をあっさり捨てられるような人なのです。まず、今の常識ではありえないと思います。菊自身が、立場が同じだったら、絶対にできないと思います。

 

 では、次に、会社を譲って、平成4年頃から、原裕一郎先生が何をやっていたかと言うと、ご縁のあった高度情報科学セミナーで、ボランティアで講師をしたりしてくれていまいましたし、高度情報科学セミナーが変になった後は、DDNの専属講師として、「時代は変わる」という題名の講演を続けていました。終始一貫、これから高度情報社会が、始まるということを伝えてくれていたのです。今、そんな原裕一郎先生の話を聞いた人は、何百人といるのです。

 

 しかし、時代がまだ時期になっていないのに、経営していく為に、どうしてもお金が欲しかった経営者は、表面的なことは理解していても、原裕一郎先生の言っていることの真実は理解しようとはせず、金儲けに走ってどちらもうまくはいきませんでした。高度情報科学セミナーは、消滅しましたし、DDNさんは、今も立派に存続していますが、時代を動かせる存在には、なりえなかったのです。

 

 だけど、原裕一郎先生自身は、まったく諦めていませんでした。2002年頃からは、「なんでんかんでん村」を、インターネット上のバーチャルな世界で作って、なんでんかんでん村の村民に、無料で「なんでんかんでん村」情報をメルマガ方式で発行して、村民募集に入りました。今、700人以上の村民がいるのです。

 

 しかも、智閥にするには、ビジネスモデルが必要と言うことで、ご縁のある人達と、いろんなものを開発する事にかかわります。原裕一郎先生は、実践が大事だということで、仲間と地道な活動を続けていたのです。

 やっとそれが実って、今、原裕一郎先生のご縁の人達の中で、今の科学では理解でくないものがいくつか現れています。それが、インターネットの不特定多数の人には紹介できませんが、「神と科学と奇跡の水」という不思議な水であったり、火山灰からフリーエネルギーが取り出せるといったものですし、インターネットでも、誰もが持てるというインターネット放送局とか、ドコモの携帯から取り出せる、何にでも効果のあるという「音の薬」とか、人の心が分かるといったDNAエンジンといわれるものです。そういったものを、原裕一郎先生は、簡単ですが、説明してくれて、講演を終えてくれたのです。

 

      ∞「プラットホーム空(くう)01小松良行駅長の話」∞

 原裕一郎先生の次に話してくれたのは、プラットホーム空(くう)01の小松駅長でした。小松良行駅長は、プラットホームの先輩駅長として、今までの体験談を話してくれたのです。

 

 それを菊が、一言で言えば、心と心のネットワークのいう言葉の中の、心と心の部分でした。というのも、プラットホームが、何かと言えば、菊は、心と心のネットワークのある組織だと思っています。

 

 というのも今、ネットワークといえば、やっとこの頃になって、皆さんにも少しずつ分かってきました。メールで一度に何十人の人に送る事も可能ですし、ブログのように、不特定多数の人に、日記も読んで貰える事も可能になりました。しかもミクシイのように、会員制のソーシャル・ネットワーキングサイト、参加している人しか、見ることもできないサイトも現れました。今、ミクシイは、一千万にも人が、この3年間で、あっと言う間に参加しているのです。

 

 また、これは今までの人類の歴史にはなかったことです。今、全国の人と、インターネットを通して、多くの人が、ご縁を持てるようになりました。ミクシイのように、波動が合う人達のグループが出来ているのです。

 

 しかし、ネットワークが出来たからと言って、それで、次の世の中が変わるかと言えば、それは難しいと思っています。もし、それで世の中が変えられるのであれば、ミクシイでは、会員は一千万人もいるのですから、世の中を変える動きが、少しは見えて来ていると思うのです。

 

 でもそうはなっていません。肝心な心と心の部分がないからです。それがないかぎり、ただのネットの組織にしかすぎないのです。でも、プラットホームには、その心と心の繋がりがあります。それが、例えば、一つのプラットホームは、駅長と、最大24名の人しか参加できないとか、参加できる人は、駅長とご縁のある人の友人までで、基本的に駅長と波動の合う人しか参加できないのかという、プラットホームの制度にあります。

 

 しかも、プラットホームのすごいところは、この21世紀の時代に、昔ながらのご近所の、井戸端会議を仕組んでいることです。どんどんネット世界が、進むと、この井戸端会議というものが、本当に大切になってくることを、水口清一先生は、理解していたのです。

 

 だから、2年前に誕生したプラットホーム空(くう)01では、小松良行駅長が中心になって、何のテーマもない、何しないという例会というものを、1ヶ月間に1度、ずっと新大阪駅から歩いて5分の距離のココセンターというところでしていました。

 

 ここで、毎月、1回、土曜日、プラットホーム空(くう)01の例会をしていたのです。しかも、2年前に始めた時から、1年間ちかく、プラットホーム空(くう)01は、本当に何もしない会でした。ただ、1ヶ月間に一度集まって、各自が好きな話をしていただけだったのです。

 

 でも、その事によって、プラットホーム空(くう)01は、いろんなことを体験しながらも、少しずつ段階を超えていきました。参加メンバーも、小松良行村長の好みと言うか、怪しい人がどんどん集まってきて、気の達人とか、音楽家、画伯、・・・・・などなど、一人、一人、変な人が集まって、いつも24人で一杯のプラットホームになっていました。

 

 小松良行駅長は、そんなプラットホーム空(くう)01で体験してくれたことを話し、そんなプラットホーム空(くう)01が、一杯になったこともあって、サーシャ駅長が始めた、プラットホーム空(くう)02や、菊がはじめたプラットホーム空(くう)03が、誕生したいきさつをうまく説明してくれ、今、全国にそんなプラットホームが、北海道から、九州までで、全国で25個以上あると教えてくれたのです。

            ∞「水口清一先生の説明1」∞

 

 原裕一郎先生、小松良行先生の話の後、最後に、水口清一先生が、プラットホーム構想について話をしてくれました。それを、菊なりにまとめさせていただきますと、水口清一先生は、プラットホームの構想を、今から、3年前に、東洋思想の元で、生物系のシステムで、6作られているということです。

 

 というのも、まず、水口清一先生が、話してくれたのは、今の時代は、東洋的に見て、大変革期にあるという事です。それが、数々の周期、数霊理論です。今、時代は、東洋と西洋が交互に、交代するという800年周期説とか、100年ごとに覇権国が変わると言う100年周期説がありますが、水口清一先生は、もっと大きな12千年説を紹介してくれました。

 

 実は、人類は、12千年前、一つの間氷河期を迎えていたといわれています。それが終って、今の人類の文明が誕生しているのです。でも、その前の、人類の文明が、どうだったのかは、良く分かっていません。つい最近、水口清一さんも含めたプラットホームの仲間達と、氷河期以前の日本の先住民、カタカムナ人の人達の磐座を保存している伊藤さんの家を訪ねてきましたが、人類の歴史は、12千年の周期によって、大変革しています。

 

 インターネットで調べたら、、アトランティスとか、ムーといった文明も、滅んだといわれていますが、これも24千年前だといわれています。はっきりとしたことは分かりませんが、人類の歴史は、天の見えない周期によって動かれているのです。

 

 また、水口清一先生は、その12千年周期で、もうすぐ人類は、大きな、大きな大変革を迎えると考えていて、その人類をリードするのは、800年の周期が終った、今までの西洋文明ではなく、東洋文明で、しかもその東洋文明をリードするのは、中国ではなく、日本だと教えてくれました。日本が、次の時代をリードするというのです。

 

 しかし、それは意外なことでした。以前、日本が、米国に変わって、世界の覇権国になるという説もありましたが、目覚しい、中国の発展で、今や、その説は、言われなくなりました。日本を素通りして、中国に行くという説が大きくなっているのです。

 

 それを、水口清一先生は、日本、インド、中国と、菊自身も意外なことを言ったのです。

 しかし、では何故、そうなるかということですが、今回のプラットホームの説明会では、予定よりも、時間が短いこともあって、水口清一先生自身、はっきりとは言いませんでしたが、菊の推測では、次の社会、高度情報社会、ユビキタス革命を起せるのは、日本だけだからだと思います。日本の最先端の携帯端末の技術、日本人の思想、日本の経済力があってこそ、ユビキタス革命、高度情報社会は、後3年後には本格的に始まるのです。

 

 そしてこのプラットホーム構想は、そんなユビキタス時代に、これから人類の未来をすばらしい社会にする為に、考えられています。その為の、今の会社といった組織で代表される、ピラミット型の組織ではない、生物型の組織で、構成されているのです。

 

というのも、今までの組織は、お金や権力で、まずは、リーダー、社長やオーナーなどの頭が誕生して、その人が組織をつくり、大きくしているのです。でも、水口清一先生は東洋思想に基づいて、生物系をモデルにして、このプラットホームを作っているのです。

 

だから組織の頭になる部分も、プラットホーム構想では、一番遅くに作ることにしたと教えてくれました。人間の赤ちゃんにしろ、他の生物にしろ、最後に頭、頭脳はできるそうなのです。それと同じように、今、プラットホームの頭脳部分、バーチャル・カンパニーが誕生して、萩原先生が、話してくれていますが、これも前期の三年計画の最後、今やっとできた頭脳だといったのです。

 

では次に、何故、そんなことをしたかといえば、それは、心と心の部分、信頼関係を重要視していたからです。というのも、どんな部分でも、最初に頭が出来て、それでビジネスでも、ボランティア活動でも行われます。だけど、そうしたら、特にネットビジネス関係で言えば、必ず、お金儲けなどに走って、人と人の信頼関係が壊れてしまいます。いろんな人が出てきて、人の信頼関係より、ビジネスに走るので、組織はお金で結ばれても、信頼は生まれないのです。

 

だけど、プラットホームは、ビジネスをすることが目的の組織ではありませんが、ビジネスの必要性もわかっています。多くのプラットホームのメンバーがやれるビジネスモデルは、みんなの夢を叶える為にも、必要なのです。

 

それで、1ヶ月に1度、例会では、井戸端会議形式で、集まることで、目には見えなくても、信頼と言うものを育ててきました。何もテーマがないだけに、メンバー一人、一人の持っている性格が出やすいですし、何もしないのですから、ビジネスだけが目的な人は、参加しても、すぐに離れてしまいます。そういった人は、自分で、自然に退会するのです。

 

しかもプラットホームでは、2年以上もかけて、組織の頭部分を作りました。それが、各プラットホームの駅長と、特殊な技能や、能力を持った人が参加するシナプスの会とか、ビジネスをするバーチャル・カンパニーというものです。このバーチャル・カンパニーは、プラットホームの中で、ちゃんとビジネスが分かる、信頼できる人で構成されていて、プラットホームの中で出てくる。ビジネスの話に、冷静に判断し、応援できることがあれば応援し、メンバーに紹介できるいいものは、紹介してくれる部門です。

 

これがあれば、プラットホーム内で、変なビジネスが入ることもありません。メンバーの中で、紹介したいビジネスがあれば、バーチャル・カンパニーを通して、メンバーに伝えることもできるからです。個人的に、いろんなメンバーに、マルチ的なビジネスでお誘いする人がいたら、バーチャル・オフィスを紹介して、そこを通して下さいと注意することもできるのです。

 

しかも一つのプラットホームも、ある程度時間をかけて信頼関係が出来ていたら、後で、変な人が参加しても、最初に入っている人達が、結束して、おかしいことには流されません。そんな目には見えませんが、プラットホーム自体が、変な方向に行かないシステムを、水口清一先生は、考えてくれているのです。それが、何もしない、何のテーマもない、例会をする目的の一つなのです。

 

 

           ∞「水口清一先生の説明2」∞

 また、プラットホームは、生物系のシステムをとっていて、今までのピラミット系のシステムではありません。これは、例えば、誰かが、いなくなったとしても、必ず、他のメンバーが補うことができるそうです。生物の身体は、脳でも、他の部分でも、一箇所が壊れたら、他の部分に、回路が繋がっていて、そこから情報がまわるようになっているそうですが、これが、従来の会社などのピラミット組織ではできません。

 

 会社の社長とか、会長といった頂上だけでなく、部長、課長といったところでも、そこのキーパーソンの人が倒れたり、いなくなったとしたら、組織に情報が伝達されなくなって、停滞してしまいますが、生物系のシステムだと、必ず、誰かが補うようになっていると教えてくれたのです。菊自身、本当にすばらしいと思います。

 

 そして水口先生の話を聞いていて、菊が思ったのは、プラットホームでは、メンバーの人は、誰もが頭、頭脳になる必要はないということです。何故なら、生物を構成している細胞は、すべて脳細胞で構成されるわけではありません。胃の細胞や、手の細胞、髪の毛の細胞などいろんな細胞が、共生で協力してやっています。そこにどの細胞が偉いというわけではありません。一見、必要ないという細胞でも、生物全体から考えたら、必要なのです。

 

 だからプラットホームは、生物系で組織を作っているということは、プラットホーム全体は、一つの生物として考えているということになります。どのメンバーも、プラットホーム全体で考えたら、必要なのです。

 

 しかも生物系で考えるということは、誰もが、脳細胞、頭脳になる必要はないということです。これは、今回のプラットホームの説明会では、萩原先生によって、あまり関心のない人には、難しいIT関係の話、これから起こる未来の社会の話をして貰いましたが、それが理解できない、関心のないという人でも、プラットホームでは問題ないということです。

 

 その人は脳細胞ではない、別な細胞、お役をしたらいいからです。いえ、生物の世界でも、脳細胞になるのは、ごく一部です。すべての細胞が脳細胞になったら、頭ばかり重くなって、生物は動くこともできません。誰もが、脳細胞を目指す必要はないのです。

 

 ですからプラットホームでは、それぞれの人が、自分のしたいこと、やりたい夢をしていたらいいのです。例会で、好きな話をしていたらいいのです。

 

 ただ、それでは、今回の説明会で、何故、プラットホームの説明会で、プラットホームのシナプス会のリーダー、脳の一人である萩原先生に話して貰ったかということですが、それは、プラットホームは、何もしない組織のように見えていますが、全体で見れば、ちゃんとすばらしい頭脳もありますし、メンバー全体の夢を叶え、これから起こる高度情報社会、ユビキタス時代を、メンバーの人達と、共生で乗り越えていくという意志もあるということを、分かって頂く為だと思います。その情報、意志だけは、すべてのメンバーに分かって貰う必要があるのです。

 

 でも、それさえ分かって貰えたら、難しい話を、メンバー全体の人が、完全に理解する必要はないと思います。それよりも、もっと大切なのは、信頼だからです。プラットホームは、こういったことを考えていて、自分は、そんなプラットホームを信頼して貰えたら、十分だと思うのです。言い換えるなら、萩原先生の話は、私は全然分からないけど、そんなプラットホームの人達の考えを信頼して、メンバーになるという意志で、参加して貰えたら、大歓迎なのです。

 

 何故なら、プラットホームを信頼して貰えたら、バーチャル・オフィス一つで考えても、協力して欲しいことがあるからです。それは、お金が必要なことではなくて、例えばプラットホームのソーシャル・ネットワーキング、バーチャル・オフィスに書き込む、プロフィールを、詳しく書いて欲しいとか、顔写真を掲載して欲しいということです。

 

 というのも、バーチャル・オフィスは、ミクシイなどとは違います。参加できる人は、プラットホームのメンバーか、プラットホームに関心のある人だけです。だから、招待できるのも、メンバーになれば誰でも招待できるのではなく、駅長になる人達に限られています。参加しているメンバーも、まだ、何百人で、千人になっていないのです。

 

 でも、それだけに、ミクシイなどとは違って、顔の見える人達の集まりですし、ミクシイではとてもできない機能もあります。それは、機能の問題ではなくて、信頼関係の問題です。例えば、プロフィールを一つとっても、バーチャル・オフィスでは、メンバーの人達が、自分がプロとしてできることを、全部書いて貰うことで、自分ができないことは、一流のプロの人達に応援して貰うことが可能です。プロフィールを検索することで、自分の求めている能力を持っている人を探すこともできるし、協力して貰うことも可能なのです。

 

 それを、プラットホーム空(くう)01の駅長、小松良行駅長の一言で言えば、プラットホームの目的は「ひとりひとりの夢の実現」。あるときは協力する人になろう。そして、あるときは、誰かに協力してもらおう・・・ということになりますが、水口清一先生によれば、人が、誰かに仕事を依頼する時は、顔が分からない人に頼まないでしょうということになります。

 

 そういったことを理解して、バーチャル・オフィスにも、まだまだプロフィールに、殆ど書いていない人もいますが、書いて欲しいと水口清一先生も説明会の時に言っていましたし、これからの時代には、お金よりももっと大切な信頼感を大切にして、プラットホームは、激動の時代を、メンバーの人達で、乗り越えていくことになります。是非、ご縁があれば、プラットホームのメンバーになって頂きたいと思います。水口清一先生の話を、菊なりにまとめさせて頂きました。よろしくお願いします。

 

              ∞「追伸」∞

 プラットホーム空(くう)03が主催させて頂いた、プラットホームの説明会のこと、あれこれ書かせて頂きました。菊なりの思いをあえて、含めて書かせて頂いたので、正確でないところもあるかもしれませんが、大筋では間違っていないと思います。何しろ、原裕一郎先生にしろ、小松良行先生にしろ、水口清一先生にしろ、与えられた時間は、そんなに多くなかったので、まとめる菊としても大変でした。ご理解願います。

 

 また、水口清一先生の説明が終った後、質問の時間があって、菊が嬉しかったのは、原先生から、「なんでんかんでん村」にしろ、水口清一先生のプラットホームにしろ、他のところでも、同じように、これから高度情報社会、ユビキタス革命が起きることを理解して、活動をしようとする人達のグループが集まりますが、将来的に結合、共生で共にやっていくことは可能ですかという質問があり、水口清一先生が、明確に可能ですという返事をくれたことです。

 

 水口清一先生に構想では、3年後には、プラットホームにしろ、「なんでんかんでん村」にしろ、まだ、分かりませんが、他の同じような志を持っている人達にしろ、結合して、一つの大きな智閥、智恵の場になるみたいです。それが、プラットホームの進化した状態になるのだと思います。

 

 それは、菊が望んでいることですし、それを願って、原裕一郎先生に、頼んで、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって貰えたので、菊自身、正直嬉しかったです。何とか、原裕一郎先生にも、プラットホームの構想を理解して貰えて、菊のお役は果たせたという感じです。今後、プラットホームに、原裕一郎先生の力も貸して貰えたら、水口先生の言うように、鬼に金棒になると思います。

 

 それと、菊からは、プラットホームには、席代として、1ヶ月間に、1200円必要とか、バーチャル・オフィスの説明とか、今回はしなかったですけどとお尋ねしたら、もう、今は、ミクシイなども存在して、ある程度、分かるので、それぞれの紹介者が説明したらいいので、あえて、説明しませんでしたということでした。

 

 それなので最後に、菊が一言言えば、プラットホームに参加して頂くには、席料として、1200円は必要です。これは、例会に参加する、しないは関係なく、必要ですが、それ以上は、駅長にならないかぎり必要ありませんし、退会して頂くのは自由です。誰も引きとめないので、すぐに辞められるので、ご安心して欲しいと思います。

 

 是非、菊と何かのご縁のある人や、プラットメンバーのご縁のある人は、プラットホームに参加して頂いて、一緒に、これからの面白い時代を共に、大いに楽しんで頂きたいと思います。よろしくお願いします。


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

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