縁の花

 (21世紀に咲く 心と心の智恵の場)

          第242号

武田家海の済度前世信玄公のご縁

    ∞「2007年8月18日、8月19日 

  武田家海の済度に行ってきました」∞

 8月18日と19日、盆休みをかねて、金沢の海岸に行って、海の済度に参加してきました。たぶん、7、8年ぶりのことです。21世紀になってからは、まったく行っていないので、菊自身、本当に久しぶりです。きっと、ご縁の神様、霊界から導いて頂いたのだと思います。 縁の花の読者になってくれている二人の済度の女性に、導かれて、行く事になったのです。

 また、その海の済度、楽しかったです。いろんな不思議な事が起きました。天、霊界からのサインも来ました。多くの武田家の御霊さん、救われたと確信しています。

 というのも、菊自身、2007年、NHKの大河ドラマが、始まってから、ずっと、武田家の済度ということで、武田家一年日記を書かせて頂いています。今回の風林火山のドラマは、、500年ぐらい前に、活躍した、武田家や諏訪家など、戦国時代に活躍した多くの御霊が、実は、今、原作者の人達などに、思いを届けている作品として、一話ごとの、菊なりの解説書を書かせて頂いているのです。

 それで、武田家や諏訪家の御霊の視点で、ドラマを見て、その当時の御霊の思いを、縁の花で、日記形式で書くことによって、それをご縁のある皆様に読んで頂くことによって、あの当時の多くの御霊達の供養をさせて頂いています。

 武田家は、何故、滅びたのか。信玄公は、どんな名将だったのか。山本勘助は、どんな人物だったのか。板垣信方、甘利虎泰は、どんな思いでなくなったのか。そんな事をイメージして、武田家や諏訪家の御霊に教わりながら、書くことによって、思いを形にすることによって、供養させて頂いています。思いを消しているのです。 多くの読者の皆さんとの、共同作業なのです。

 しかし、菊自身、それで、武田家の御霊が、どれだけ霊界に帰してあげられているのか、どうかは分かりません。何しろ、目には見えない存在の話です。菊自身、何ともいえないのですが、今年一年は、武田家の御霊のためなら、何でもしてあげたいというのが、本音です。その中で、不思議なご縁で、海の済度に、参加したというわけなのです。

 

というのも、海の済度とは、金沢の済度の人達が、夏の間だけしていることですが、海を通して、多くの人や生物は、たくさん死んで、眠っています。昔は、海難事故で多くの人は死んでいますし、海戦もありました。多くの人は、海を墓場にしてなくなっているのです。

しかも、生物の殆どは、海でなくなっています。そんな亡くなった人達の御霊や、生物の御霊を供養してあげることが海の済度というものなのです。

 しかし、海の済度と行っても、何も、特別なことをするわけではありません。何かのお経を、海で唱えるわけでもありません。ただ、多くの済度のご縁の人達が、海に集まって、ある先生を中心として、マリンジェットやヨット、バナナボートなどを使って、楽しみながら、皆と、御霊に、慈悲の波動を送っているだけだからです。成仏することを願っているのです。ですから、たぶん、そのご縁から離れている人達から見たら、毎日、ただの遊んでいる変な集団としか見えないと思います。 実際に、周りの海岸にいる他の人達は、毎日、多くの人が、海で遊んでいて、この人達は、よほど暇だけど、儲かっているのかなとしか思っていないのです。

 だけど、実際は、それで、多くの御霊の供養をしています。海水に入ることによっての水の感触、海の匂いや、海の塩味、いろんなものを五感で感じることによって、波動で、海で亡くなったり、海に憧れたまま、亡くなったりした御霊に、届けているからです。何かのお経をあげるよりも、そのほうが、御霊にとっては、遥かに嬉しいことなのです。

だって肉体がなくなった御霊さん達には、五感はなく、人があたり前だと思っていることさえ、得ることはできません。海に触れたり、海の匂いや、海の塩味を感じることもできないので、代わりに、届けてあげるたりすることで、忘れている海を感じて貰って供養するのです。それが、済度のご縁の人達がしている海の済度というものなのです。

 

∞「武田家と海の済度」∞
 
 しかし、菊が、こんなことを書いたら、武田家と、海の済度、一体、どんな関係があるのと皆さんの中には、疑問を持つ人もいると思います。大体、甲斐や信濃、今の山梨県や長野県には、海はないのではないかと思うと思うのです。

 でも、そうではありません。いえ、海がないからこそ、武田家の人達にとっては、海は、生まれた時からの憧れの存在でした。それは、風林火山のドラマを見ている皆さんになら分かって頂けると思います。

 何故なら、戦国時代、活躍している大名にとって、海は、どうしても手に入れないといけない存在でした。海がないと、新しい武器、鉄砲も手に入りませんし、いろんな交易もできません。塩一つ、謙信が、信玄に送ったことで分かるように、得ることができません。その上に、陸地で、交易をしようとすれば、いろんな関所などを通らないといけないので、多くの利益を取られてしまうのです。海なら、直接、堺でも、どこにでも行けます。

 だから、武田信玄にとって、海は、どうしても手に入れないといけない存在でした。海のある港を得ることによって、いろんな武器を仕入れ、貿易をして、海のない甲斐、信濃をもっともっと豊かにしたかったのです。

 それで、信玄は、風林火山のドラマでは、海を得る為に越後を手に入れようとして、上杉謙信と死闘を繰り返すことになりますし、それを残念すると、今川義元のなくなった今川家に目をつけて、三国同盟を破棄し、反対する嫡男、武田義信公を殺してまでも、駿河に侵攻して、とうとう海を手に入れました。武田信玄にとって、港を得て、交易することは長年の悲願でした。海を得ていない時から、船の模型、軍艦の模型さえ持っていたのです。多くの家臣と、海を得ることを夢見ていたのです。

 しかし、それは、武田信玄だけの思いではなく、家臣や、多くの兵達の思いでもありました。だって、この当時、甲斐、信濃の人達にとっては、海は、憧れ以外の何物ではありませんでした。国内を出たことのない多くの人達にとっては、海は、生まれてから、一度も見たことのない存在でした。

 海は、どれだけ広いのか。どんな匂いがするのか。海水は、塩辛いというが、どれだけ塩辛いのか、なかなか想像することさえ出来なかったのです。ただ、ただ、海は、甲斐、信濃の人達にとっては、憧れの存在だったのです。

 だから海のない武田家の兵達は、一目、海を見たかったです。海を感じたかったです。その為に、信玄の元で、駿河に侵攻したのです。そして、今川家を滅ぼして、海を得た時には、心から感動し、その手にした海を守るために、北条氏や今川氏と必死で戦いました。すべては、海を完全に得る為だったのです。

 それで、菊は、今回、そんな武田家の御霊のことを、願って海の済度に参加しました。多くの武田家の御霊と、一緒に、一緒に、単純に海に行きたかったのです。あの広い海を一緒に見たかったのです。海の中に入って、冷たい海水に触れたかったのです。海の匂いや海水の塩味を感じたかったのです。それだけでも、武田家の御霊には、本当に嬉しいことですし、感動したことだったのです。
 
 ですから、菊は、久しぶりに、海の済度、武田家の御霊と楽しみました。70人ちかくの済度の仲間と、海を楽しみことで、世界中の海を通して、御霊を願う、慈悲の波動、光を届けたのです。本当に参加してよかったです。きっと、多くの武田家の御霊も、満足してくれたと思います。

 

∞「マリンジェットといろんなボート」∞

 しかも海の済度は、海を感じるだけでなく、本当に楽しいです。それを済度の人達は、7月から、9月頃まで、毎日、海の済度をしています。殆ど、病気といいぐらいです。中には、済度の先生のように、全身が真っ黒という人もいます。紫外線など、関係ないという感じです。日焼けしていても、毎日、参加していたら、女性でも真っ黒になるのです。

 

それは、行ったことのない人には、なかなか、イメージできないと思いますが、本当にすごいことです。特に、そんな済度をしている中心の先生は、今年で、60歳の還暦だそうですが、本当に頭が下がります。マリンジェットを運転したり、ヨットを操縦したり、いろんな事をして、済度に参加する人達を、本当に喜ばせてくれるのです。

 だから海好きな人には、本当にたまらない世界です。それで、 参加している人達が、心から楽しんで、喜びの波動、遊びに中で、多くの御霊、海に何かの縁がある多くの御霊を救っているのです。


 ただ、そうは言っても、女性の人の中には、マリンジェットや、バナナボートに乗るのは怖いという人もいますが、それが、慣れると実に楽しいです。海に因縁、海でなくなった前世があるなんていう人は、なかなか乗れませんが、それを克服するのも済度の一部です。毎日、何十人という人が、マリンジェットや、バナナボートや、モット怖いボートに、悲鳴を上げながら乗っているのです。それで、海を、御霊達と一緒に、楽しんでいるのです。

 だから菊自身も、マリンジェットやヨットにも、久しぶりに乗せて頂きましたし、バナナボートや、恐怖の二人乗りの丸ボートにも乗せて貰いました。特に、丸ボートでは、相手の人は、菊の直感では、本願寺、武田家とは少しご縁のある人なので、何か不思議な気もしましたが、大いに、死ぬかと思ったとを体験したのです。

 その上に、海から、上がると、皆で食べるバーベキューをご馳走になって、食事の済度もしました。何故なら、御霊になると、人が当たり前だと思っている、食べるということができません。肉体がないので、味わうということができません。それで、多くの人と、楽しく食べることで、御霊を意識することで、御霊にも、忘れている食事をする喜びを届けてあげるのです。それが、済度なのです。

 

∞「バーベキューと岩村城済度」∞

また、そのバーベキューを食べている時、菊は驚くことが起きました。その一つは、菊は、何も言っていないのに、済度の人が、川中島につい最近、行ったという話をしたことです。これには、やはり、武田家のご縁が動いていると菊自身、キタ、キタと思ったのです。

 だけど圧巻は、その後でした。菊のちかくに座っているある女性が、大きな一升瓶に入ったお酒を提供してくれたのですが、そのお酒の名前は、女城主というものでした。菊は、それを飲ませて頂いて、何気なくビンを見たら、岐阜県の岩村で製造しているお酒でした。それで、意味が分かったのです。

 というのも、岩村には、戦国時代、女城主が住んでいました。信長の叔母にあたるおつやの方、戦で亡くなった遠山影任の未亡人です。それが、信玄が、信長と戦になった、三方ヶ原の戦いの少し前、信玄の家臣である秋山虎繁(信友)に攻められて、降伏して、秋山虎繁の正室になりました。大変な美貌の持ち主で、一説には、秋山虎繁が、一目ぼれしたといいます。その時、おつやの方は、岩村城で、女城主として必死に戦っていましたが、信長は、徳川家康の救援で、手一杯で、助けることができず、おつやの方は、家臣や、兵を守る為に、とうとう自分の嫁になるという、秋山虎繁のむちゃくちゃな条件を承知して、秋山婦人となったのです。


 しかし、そんな秋山婦人を信長は許しませんでした。織田一族の裏切りものです。おつやの方に預けている五男の御坊丸も、武田家の人質になっているので、なおさらでした。だから、信玄が、病死した後、長篠の戦で、勝頼が大敗すると、早速、難攻不落の岩村城を攻めました。岐阜の領内にある岩村城は、目の上のたんこぶだったのです。

 けれど、そんな岩村城を、長篠の戦で敗れたばかりの勝頼は、救うことができませんでした。結局、信長の大軍に包囲された秋山虎繁は、信長の出した和議で、降伏したのです。でも、信長は、秋山虎繁、おつやの方を捕らえると、その和議を放棄して、美濃にある長良川に連行すると、そこで逆さ磔の極刑に処したといいます。秋山夫婦を騙したのです。

 

その上に、約束を破って、秋山虎繁の多くの家臣も殺しています。信長のことを良く知る、秋山虎繁、おつやの方は、信長が、絶対に、二人を許さない事は分かっていたので、約束しても、自分達を、信長を絶対に許さないことは分かっていたけど、家臣を守る為に、降伏したのですが、信長は、家臣の多くも処刑しているのです。

 だから、女城主は、武田家、勝頼とは、本当にご縁のある名前のお酒です。そんなお酒を、わざわざ、遠く離れたところで、金沢で、海の済度で飲むことになったのです。これには、菊自身、驚いてしまったのです。 海とお酒、本当に不思議です。

 その上に、そのお酒をくれた人は、名古屋の済度の人でした。秋山虎繁、おつやの方を磔にした織田家の土地の人です。その時、菊は、確信しました。これは、霊界、天からのメッセージで、武田家の済度を十分にしていることを、このご縁を通して教えてくれたと思ったのです。

 ですから、菊は、前世、武田勝頼として、見殺しにしてしまった秋山虎繁や、おつたの方、秋山家の家臣に、心の中でお詫びしました。そうするしか出来なかったのです。「本当に、あの時に助けにいけず、見殺しにしてしまってごめんなさい」

 また、そんな菊を、天国で、今でも、仲良く暮らしている秋山夫婦が、許してくれたか、どうかは分かりませんが、菊としては、許してくれたと思いたいです。秋山虎繁と、おつやの方の仲は、いろんなことがあっても、大変仲が良かったといわれています。戦国時代のおしどり夫婦です。きっと、霊界にいて、わざわざ、海の済度に参加した菊に、そのことを伝える為に、出てきてくれたと思いますが、そんな不思議な事があったのです。

 

ですから、菊は、女城主のお酒を、済度の先生や、多くの済度の仲間と一緒に飲みました。背景に、武田家の武将、秋山虎繁や、おつやの方がいることを意識して、一緒にお酒を飲んだのです。それだけでも、今回、金沢に来た意味、本当にあったのです。

 

    ∞「女、武田信玄公との出会い」∞

 海の済度が終った後、久しぶりに、夜、済度をしているある先生の講演会で、話を聞いて、済度のある人の家に泊めて貰いました。というのも、つい最近、縁の花をずっと読んでくれていた人の中に、済度のご縁のあるKさんがいて、そのKさんの妹さん、Iさんが、前世、武田信玄公だといわれていることを教わりました。

 今回の目的は、海の済度に参加することと、もう一つは、前世、信玄公に会うことだったのです。まさか、長年、探していた前世、信玄公の魂を持っている人が、女性だとは夢にも思いませんでしたが、菊は、それだけに、確かめる必要が、どうしてもありました。それで、4時間、ちかく、Kさん、Iさん、姉妹といろんな話をさせて頂いたのです。

 しかし、結局、その女性が、信玄公か、どうかは、菊には分かりませんでした。何しろ、菊自身も武田勝頼としての記憶がまったくありませんし、Iさんも、記憶があるわけではありません。Iさんは、菊の前世の武田家の仲間が、武田家の記憶が、少しあることに、びっくりしているぐらいで、菊が、期待していた、前世の信玄公の話は、聞くことはできなかったのです。

 

それに、霊媒師の人に、正式に見て貰ったということでもないそうです。だから、何とも言えないというのが、正直な気持ちです。お互いに、話しても、親子というような、特別な感じも受けなかったのです。しかもIさんは、武田家の歴史に詳しいということではないので、武田家の話で、弾んだという訳でもなかったのです。

 だけど、Iさんは、つい最近まで、前世、武田信玄公だと意識したことがなかったのに、何故か、大学生の頃、「人は石垣、人は掘の・・・」武田節を踊っていたそうですし、風林火山の本も、持っていたそうです。それに、山梨県とも、ご縁があったそうです。

 ですからまったく武田家のご縁がないということでもありません。戦国時代に、関心のない女性の人で考えたら、本当に不思議なのです。確かに、変わっています。ご縁があるのです。でも、ここで面白いのは、Iさんが、前世の信玄公の魂を持っている人なら、今世の信玄公は、戦好きでないということです。日本史は好きで、詳しいそうですが、何故か、戦国時代と大東亜戦争の頃は好きでないそうです。何故か、戦争は、受け付けないそうなのです。

 

だけど、そんな武田家のことを外したら、Iさんは、すごい人でした。ものすごくエネルギーがあって、今までも、いろんなご縁を持っています。済度のご縁もがんばっている人でした。そちらでは、意気投合しました。さすがは、信玄公という感じだったのです。

 しかも、中国や韓国、北朝鮮に関心があって、日本と中国や、韓国、北朝鮮の友好の、アジアの架け橋になりたいそうです。菊は、そんな途方もない夢には驚きました。信玄公は、中国の孫子好きで分かるように、中国との関係もあります。中国や韓国の御霊を済度することで、日本と中国、韓国の真の友好関係を築きたいといわれたら、できるだけ応援するというしかなかったのです。今世の信玄公、そんな途方もないことを考えている女信玄公だったのです。

 だから、これから、武田家の済度をする事になるか、ならないかは分かりませんが、菊自身は、何かの特別なご縁を感じています。他にも、菊の地元、和泉市に住んでいる人で、一緒に大阪から車で行った人が、Iさんのご縁があって、済度の縁についたとか、考えられないご縁があったのです。少なくても、ご縁の神様は、そうだと教えてくれているのです。

 ですから、菊自身、Iさんは、前世信玄公かもしれないし、信玄公でないかもしれない。菊と同じで、前世の判断はできないのです。ただ、菊自身、前世の記憶よりも、もっともっと大切なことは、実際に、今、武田家の御霊のことを願い、済度する事だと思っています。武田家の御霊のことを思ってあげる真心が、大切なのです。


 何故なら、御霊さんには、嘘は通じないからです。御霊には、なんでも波動で分かるので、自分の考えていることが、すべて伝わるのです。ですから、前世、いくら、信玄公だとしても、今世で、何も願わなかったら、前世の意味は何もありません。今世、前世の記憶をもって生まれた意味は、まったくないのです。

でも、反対に、たとえ、前世、武田家のご縁がなくても、Iさんや、菊が、前世、武田家と関係があると、心から信じて、武田家の御霊のことを願ったら、その願いは、武田家の御霊に伝わります。武田家の御霊にとっては、前世が、どうだというよりも、今世、何をしてくれるかの方が、もっとも大切なのです。

 

だから、菊が、今までそうしていたように、後は、それを済度を実践して、その実践によって、いろんな結果が、出るのを待つしかないのです。それで、Iさんが、前世、信玄公だったら、きっと、記憶が戻らなくても、御霊達が、いろんな不思議なご縁で、その事を教えてくれると思います。あくまでも、大事な事は、今、どれだけ武田家の御霊の事を思うかで、前世自体は、そんなに意味はないのです。


 ただ、それでも、前世、信玄公かもしれない人が登場したことはすごいことです。何しろ、武田家の当事者、親方様です、このIさんや、前世の武田家の仲間と、いつかは川中島の戦場や、志賀城に行って、多くの戦でなくなった御霊や、さらし者にされた志賀城の三千の首にご縁を持ちたいと思いますし、上田原の戦場で、板垣信方や甘利虎泰にも会いたいと思います。是非、皆さんも、そんな新しい武田家の済度に期待して欲しいと思います。

 では皆さん、縁の花 第242号「武田家海の済度と前世武田信玄公のご縁」読んで頂いてありがとうございます。




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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html