縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            第258号

阿部正弘公と福山市と志士の活動

∞「私の現在の志士としての活動 あるお手紙ご紹介」∞

 

72日、私は、志士の御霊に導かれて

大阪からは遠い、広島県の福山市まで

行ってきました

そして、そこで、天皇の真実の

河内正臣先生や「ふくやま生涯教育研究会」と

皆様にお会いしました

大変楽しかったです

 

 

また、その後「ふくやま生涯教育研究会」の皆様と

ご縁頂きました

これからどうなるかは分かりませんが

私は、「ふくやま生涯教育研究会」と皆さんと

あることを通して、一緒に、世の中のために

志士として活動したいと思います

 

 

それで、そんな願いを込めて

お手紙を書きました

皆さんに、それをご紹介したいと思います

 

 

また、今、私は、本当に大切な

縁の花村やなんでんかんでん村の村人や、

縁の花の読者や、

多くの仲間の為に

ある重要な活動をしています

 

 

でも、それは、全部、皆さんに

お知らせすることができません

なので、お手紙で書いたことは

とてもすべては、皆さんに、ご紹介できません

内容は、一部、変えています

 

だけど、このお手紙の内容は

「ふくやま生涯教育研究会」の皆様だけでなく

皆様にとっても、大切なことです

だから、皆さんにも

文面変えて、ご紹介します

けれど、きっと、皆さんなら

どこを変えているか

分かって頂けると信じています

 

 

 

 

今、私が、現在の志士として

一体、どんな活動をしているか

是非、皆さんにも知って欲しいと思います

 

 

また、この手紙の内容に関心持って

本当の文章を見たいという人や

関心のある人は

私まで、メール下さい

その人にだけメールで送りますし

ご説明もしたいと思います

 

 

この事は、縁の花、15年続けている中でも

一番、重要なことですし

今が、もっとも大切な時期です

よろしくお願いします

 

縁の花 岩谷正

ennohanakikusakaeru@ybb.ne.jp

 

 

 

∞「幕末の老中首座 阿部正弘公は、私の同志です」∞

 

「ふくやま生涯教育研究会」の皆様

初めて、お手紙書かせて頂きます

7月2日、水曜日河内正臣の講演会に、

大阪から参加させて頂いた岩谷正です

あの時は、本当にお世話になりました

 

 

また、河内正臣先生の講演会が終った後

何人かの人と、ホテルの1階にある

喫茶店で、いろんな話をさせて頂けました

楽しかったです

心から、感謝します

 

さて、そんな河内正臣さんの講演会ですが

今回、私が、参加させて頂いた目的は

一つは、河内正臣先生に、これから私が

多くの智恵を持った仲間達と始めようとしている

ある重要なこと

 

 

長年、恩師のある先生が

ずっと唱えて、2年前から

2010年から2012年に向けて

密かに構築しているものが

やっと動こうとしているので

それをその説明に来たということがありました

私は、天皇の真実の情報を、それを使って

日本中や世界中に発信したいのです

 

 

 

しかし、今回の河内正臣先生の講演会に参加した

真の目的は、福山城の藩主だった

阿部正弘公の御霊さんに、ご挨拶するということでした

というのも、私と福山市は、本当に不思議なご縁があります

それを私が、感じたのは2006年でした

 

 

この年、私は、福山市の人に、縁の花村の村人になって頂くご縁があって

その後、戦艦大和の実物大の模型が、尾道にあるということで

戦艦大和で亡くなった3333柱の御霊さんを

供養するということで行く時に

福山市の鞆の浦から仙酔島に行ったことがありました

村人さんに案内してもらったのです。

 

それが、何と、その3ヵ月後

今度は、私が参加しているプラットホームというところで

年1回の合宿があるのですが

それが、何と仙酔島の国民宿舎にあるということで

私は、再び、仙酔島に行くことになったのです

しかもその時に、私は、福山駅から

すぐにある福山城を見学しています

福山城に入ったことがあるのです

 

 

でも、その時は、何で

自分が、福山市とご縁があるのか

そのことが分かりませんでした

何も、心当たりがなかったのです

 

 

だけど、2年後

今、NHKの大河ドラマ「篤姫」を、毎回見ることで

その理由が分かりました

ある志士の御霊さんに導かれていたと思うのです

 

 

というのも、私は、幕末に、老中首座として活躍した志士の一人

阿部正弘公が、福山藩の藩主だったこと

まったく知りませんでした

 

 

でも、島津斉彬公の盟友

阿部正弘公が亡くなった時

篤姫のドラマの最後に紹介される篤姫紀行で

阿部正弘公と福山城が、紹介されていて

私は、本当に驚きました

私は、その時に福山城に阿部正弘公の像があることを

知ることができたのです

 

 

だけど、それだけではなくて

私の心では、何故、2006年に

福山市と私に不思議なご縁があったのか分かりました

阿部正弘公の御霊の導きではなかった

そう直感したのです

 

何故なら、私は、今、志士達の御霊とのご縁を

本当に大切にしています

大河ドラマ篤姫も

その当時の志士の御霊の思いを

表現することで、浄化して

今の日本、これからの日本や世界を

本当によくする為に、弥勒の世の中にする為に

お力を貸して頂く為に書いています

 

 

私にとって、大河ドラマ篤姫は過去のことではなく

これからの未来をよくする為に

篤姫や西郷隆盛、島津斉彬公などと

一緒に活動することが願いなのです

 

 

 

だから、福山市を通して

阿部正弘公の御霊さんとのご縁ができたことは

本当に、不思議だったのです

なので、今は、いつも、早朝の瞑想でも

阿部正弘公の御霊に、ご挨拶しています

私と阿部正弘公の御霊は

私の心の中では、同志なのです

 

 

∞「阿部正弘の御霊にご挨拶」∞

 

しかし、そんな福山市に

すぐに行くことになるとは思いませんでした

というのもそのことを知ってから

1ヶ月間も経過しない時に

河内正臣先生から、お電話があって

講演会を、広島市、福山市、呉市で

開催することを、知りました

しかも、その福山市の講演会は

水曜日で、私の7月の休みと一致します

その上に、以前行ったことがあるので

高速バスなら、大阪市と福山市は

昼間でも安く行けることも、何故か知っています

 

 

私は、その時に、阿部正弘公の御霊に

呼ばれていると思いました

今回行ったのは、河内正臣先生の講演会でなく

阿部正弘公や多くの志士の御霊に

ご挨拶することが、目的だったというのは

こういう不思議なご縁があったからなのです

 

 

だから、早速、福山駅に着くと

その阿部正弘公の像が、どこにあるか、駅の人に聞いて

河内正臣先生の講演会の前に

阿部正弘公の御霊にご挨拶させて頂きました

 

阿部正弘公の像は、福山城の中に、

一人で、ひっそり立っていましたが

心を込めて、ご冥福をお祈りしました

 

 

今まで、阿部正弘公のことを知らなかったことをお詫びし

一緒に、今から、この世の中を、高度情報社会にすることを

世の中を、弥勒の世にするので、お力を貸して欲しいと

お願いしました

無事に目的を果たすことができたのです

 

∞「ふくやま生涯教育研究会のご縁」∞

 

しかし、私は、そんな阿部正弘公の御霊さんが

早速、「ふくやま生涯教育研究会」の

皆さんを通して、何かのご返答してくれるとは、

夢にも思っていませんでした

今回、福山に来たことは、本当に大きな意味のあること

だということを、こんなにすぐに

分からせてくれるとは思わなかったのです

 

というのも、私は、「ふくやま生涯教育研究会」の皆様が、

こんなにすばらしい人達とは思いませんでした

こんな志を持っている人達が集まっている場だとは

思わなかったのです

 

 

何故なら、確か、木村文人さんだと思いますが

河内正臣先生の講演が終った後の雑談で

いつも、阿部正弘公の像を拝んで、

周りにないゴミ一つないように

掃除していることを知りました

そんな人の出会いに感動して

阿部正弘公の御霊の導きだと確信したのです

 

また、河内正臣先生や、「ふくやま生涯教育研究会」の皆さんのお話で

昭和天皇が、小さい頃、何と、福山市で育っていたことも知りました

その上、「ふくやま生涯教育研究会」の皆様が

21世紀に拓く「世界貢献国家」への提案ということで

福山市から世界に情報を発信して、社会に大きく貢献しようと言う

志をお持ちだということを知りました

 

          我がふくやま生涯教育研究会として

私達はこれからの日本を、どういう国にするか

国家存亡の鍵を開く・・・

人は、何のために、この世に来たのか

誰かが、一歩を踏み出さなければ何も始まらない

という大きな志を持っていることを知って

そんな皆様と、ご縁が持てたことに

心から、感謝したのです

 

しかも、私は、詳しいことは、まだ言えませんが

あることを智閥の仲間とすることで

大きく、貢献できると確信しています

 

 

それを、「ふくやま生涯教育研究会」の皆様に、

具体的に言えば

今、話題になっている、城の石垣を残す問題を、

インターネットの世界で

ニュースとして、発信することが可能になります

いえ、福山市をインターネットで

世界に発信することができるのです

 

 

しかも、それだけでなく、実は、

もっともっと大きなことを隠していますが

私が、是非、皆さんに知って欲しいのは

私は、大阪と遠いですが、

阿部正弘公がいた福山市に対して

いろんなことを貢献できるということです

 

 

だから、私は、福山市の「ふくやま生涯教育研究会」

にたいして、私なりに、できることをしたいし

ご縁を、持たせて頂きたいと思います

ということで、よろしかったら

これをご縁に、是非、末永く

お付き合いをお願いしたいと思います

 

 

追伸、73日から

2週間以上、経過しました

その間に、木村文人様などから

おはがきや、お手紙を頂きました

特に、今日から、お友達ですという

お手紙を頂いた人もいます

熱く、お礼を言いたいと思います

 

 

そして、もし、よろしかったら

私は、メルマガで、縁の花村情報を発信しています

縁の花村という村も、バーチャルの世界で作っています

もし、よろしかったら、私にメール頂けますか

私のメルマガを送らせて頂きたいと思います

是非、その上で、同志になって下さい

この社会を、よくしましょう

 

岩谷正

ennohanakikusakaeru@ybb.ne.jp

 

では、皆さん、縁の花第258号「阿部正弘公と福山市と志士の活動」を読んで頂いてありがとうございます

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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