縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪) 

               279号 

      白洲次郎

∞「白洲次郎」∞ 

2009年2月28日、土曜日

午後9時から10時30分の1時間半番組として

NHKで、白洲次郎が、放送されました

戦後、吉田茂首相の片腕として、活躍し

イギリス英国の流暢なクイーンズイングリッシュを武器に

占領軍と渡り合い、従順ならざる唯一の日本人”と呼ばれていた

あの白洲次郎です

 

だから俺は、その白洲次郎のドラマが

放送されると知って、嬉しくて仕方ありませんでした

DVDで、録画して、早速見させて頂いたのです

 

というのも、俺は、以前から、白洲次郎のことは知っていました

縁の花村の村人で、白洲次郎のファンの人がいて

文庫本を、確か、プレゼントして貰ったことがあります

それで、御縁だと思って、読ませて頂いて

一気に、最後まで読んでしまいました

その時から、俺自身、白洲次郎のファンになったのです

 

また、白洲次郎は、自分のことはあまり語らない人物だったので

長い間、あまり知られていませんでしたが

本が出てから、この何年間で

少しずつブームになっているので

皆さんの中で、ご存知の方も多いと思います

本当に、かっこいい人物なので

俺と同じようにファンの方も多いと思いますし

見ていないという方も

来週の土曜日と後、1回放送されますから

是非、見て頂きたいと思います

きっと、感動すると思います

 

ただ、そんな白洲次郎のドラマですが

俺は、皆さん自身だけでなく

多くの大東亜戦争で亡くなった英霊や御霊さん達を意識して

一緒に、一緒に見て頂きたいと願っています

 

 

何故なら、戦後、大東亜戦争を経験した人物の中で

多くの英霊や御霊達が、憧れることができる人物

英雄、ヒーローといえば、この白洲次郎しかいないのではないか

俺は、そう思っているからです

 

というのも、例えば、太平洋戦争で活躍した人物で言えば

海軍で言えば、山本五十六大将とか、山口多聞少将

陸軍で言えば、今村均大将、硫黄島の栗林忠道中将などが

いますが、殆どは戦死していますし

生き残った人物、今村均大将でも小澤治三郎中将も

敗軍の将として、何も語ろうとせず

沈黙のまま、静かに、亡くなりました

これでは、戦後、英雄として、ヒーローとして

英霊、御霊が尊敬、憧れることができるかと言えば

やはり、できないと思うのです

一緒に、戦後を生きることはできないのです

 

では、軍人でなくても

大東亜戦争が始めた時の政治家や官僚、民間人の中に

そんな人物がいたかといえば、そんな人物はいません

反対した人物はいましたが

大東亜戦争を、止めることはできませんでした

英霊達のヒーローになる資格のある人物はいないのです

 

 

しかも、戦後も生き残って、政治家や官僚になった彼らは

日本が米国に負けたショックから

占領軍に対して、主張すべきことがあっても

一切主張しませんでした

長いものにまかれといった感じで

戦後、米国に対して、ただ、ただ、従順だったのです

 

 

しかし、そんな日本人の中で

唯一、違う人物といえば、俺は、白洲次郎と吉田茂の二人だと思います

二人は、戦後も、日本の国を心から愛して

敗戦国という意識は持たないで、日本の独立の為に

必死で活躍してくれたのです

 

でも、その白洲次郎と吉田茂ですが

かっこよさでいえば、圧倒的に白洲次郎です

何しろハンサムですし、スポーツは万能です

その上、ジェントル、紳士で

日本人で初めてジーンズを穿いた人といわれるぐらいお洒落で

近年は、「日本一かっこいい男」と言われています


とてもジーンズ姿が似合う男なのです


 

これに比べて吉田茂首相には申し訳ないですが

外見もあまりかっこいいとはいえませんし

生き方も、首相になったことで、政治家として汚れている面もあるので

俺は、そんな政治の世界を嫌っていた白洲次郎こそが、大東亜戦争でなくなった御霊や

同年代を生きた御霊達にとっては

一番の憧れの対象、輝けるスターだったのではないか

多くの大東亜戦争の英霊達は、戦後、白洲次郎の背景にツイテ

応援し、共に、時代を生きたのではないか

そんな気がしているのです

 

 

なので、是非、この白洲次郎のドラマは

自分だけでなく、白洲次郎の同じ時代を生きた

英霊達や御霊さん達と一緒に、一緒に

見て頂きたいと思います

どうか、よろしくお願いします

 

∞「白州次郎とは、どんな人物」∞

 

さて、大東亜戦争を体験した英霊や御霊が

戦後、唯一と言っていいぐらい憧れた人物

英雄、ヒーローで

日本の復興、独立の為に、影から応援し

共に生きていた白洲次郎とは

どんな人物かと言えば、一言で言えば

ジェントルマン、めちゃくちゃかっこいいです

しかも、そんな白洲次郎の人生は

戦前生きていた、貧しかった多くの日本人なら

誰もが憧れる生き方だったと思います

 

というのも白州次郎は、白洲文平・芳子夫妻の次男として生まれていますが

父親は、兵庫県芦屋の富豪・白州商店で、綿貿易成功した経営者で

人物的には、「白洲将軍」と言われたワンマンで、

ドラマでは、外に子供も作ったりしていますが、自信家のやり手で

子供に教育に対しても、自由に、好きなことをさせていました

 

なので、白洲次郎は、大正8年、旧制第一神戸中学校の頃に

その当時、誰もが憧れたペイジ・グレンブルックなどの

高級外国車を乗り回していたそうです

しかもサッカー部・野球部に所属していて

スポーツ万能で、喧嘩も強く暴れ者でした

学校という枠には収まらない人物だったのです

 

その上、家庭教師に外人をつけられていて

英語も完璧に話せて

身長も高く

女性にも、とてももてていたみたいです

宝塚歌劇団の女性とも付き合っていたのです

 

 

でも、そんな白州次郎は

父親の手にも負えず、英国のケンブリッジ大学クレア・カレッジに

本人いわく、島流しに会い

そこで、ますます本場の英語を磨きながら

西洋中世史、人類学などを学ぶ、卒業しています

英国の大学は、勉強しないと卒業できないので

ちゃんと勉強もできたのです

 

だけど、それだけでなく

車を乗り回し、英国で知り合った、親友の伯爵ロビンと

ベントレーを駆ってジブラルタルまでの

ヨーロッパ大陸旅行を実行しています

その当時、殆どの日本人

貧しかった日本人では、体験できなかったこと

夢のようなことをしているのです

 

しかも、昭和金融恐慌で、父親の経営する白洲商店が倒産して

日本に帰国しても、英語の語学力と、英国で、培った人脈を武器に

堂々と、自力で生活し

伯爵・樺山愛輔の長男・丑二の紹介で

その妹・正子と知り合って結婚にしています

今度は、日本人なら誰もが憧れる

伯爵の一族になっているのです

 

また、事業家としても活躍して

日本食糧工業(後の日本水産)取締役として活躍し

欧米などに、缶詰の市場を広げ

海外に赴くことが多く駐イギリス特命全権大使であった吉田茂の面識を得、

イギリス大使館をみずからの定宿とするまでの関係になったそうです

 

その上に、近衛文麿のブレーンとして行動し

日本の政治を、軍人から取り戻すために奔走しています

 

 

しかし、それは時勢の流れで、うまくいかず

もう一つ政治家としては、力量のない近衛文麿

軍部に引き込まれて、中国との戦争を始めた近衛文麿と

対立して、離れていますが

日本の未来を心から憂い

ドラマでは、単身で、英国に行くと、欧米に日本の立場を説明し

戦争を回避するように努力しています

欧米との戦争にならないように

真剣に、汗を流して活躍してくれていたのです

 

 

 

でも、それが、無理だと悟ると

日本は、欧米と戦争することになると判断して

あっさり事業から、身を引くと

東京府南多摩郡鶴川村能ヶ谷の古い農家を購入し

武相荘(ぶあいそう)と名付けて隠棲しています

その当時、まだ、誰もが考えていなかった疎開を実行して

食糧不足を予測して、百姓になると、妻と3人の子供を守ろうとしたのです

 

 

だけど、それだけでなく吉田を中心とする「ヨハンセン・グループ」

(宮中反戦グループ)に加わり、終戦工作に奔走し

ここから次郎の「昭和の鞍馬天狗」としての活動が始まったそうです

白洲次郎は、日本を救う為に

その当時の軍部に睨まれることも覚悟して

命がけで、密かに活動していたのです

 

 

だから俺は、そんな白洲次郎の生き方を

大東亜戦争で亡くなった英霊や御霊を知れば

きっと心から感謝すると思いますし

そのかっこいい生き方に憧れると思いますが

皆さんは、どう思いますか

是非、皆さんのお考え聞かせて欲しいと思います

 

∞「唯一従順でなかった白州次郎」∞

 

戦前、日本の敗戦を予測して

すべての事業から引いて

東京の田舎で、百姓生活をしながらも

親交のあった吉田茂達と

和平工作に従事(ヨハンセングループ)し

活躍していた白洲次郎が、戦後、活躍したのは

昭和20年(1945年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した

吉田の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任してからでした

ドラマでは、今週の土曜日2回「1945年のクリスマス」で

放送されるところなのです

 

 

また、ここから白洲次郎の戦い

自分が何を成すかが始まります

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)を

向こうに回した戦いの火蓋が切られるのです

 

しかも、その戦いは、孤独な戦いでした

他の官僚にしろ、政治家にしろ、首相になった吉田茂を除いては

敗戦のショックで、日本人としての誇りもなくしたのか

占領軍、GHQの言う事にはなんでもイエスで

逆らおうとはしません

占領軍に一発の玉も打たなかった日本には

イエスマンしかいなかったのです

 

でも白洲次郎は違いました

米国人よりも、正確な本場、英国の英語と

英国で学んだ原理原則(プリンシプル)を武器として

頑強に主張すべきことは主張して

GHQ/SCAP某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめています

本当に、孤軍奮闘の活躍をしているのです

 

 

しかし、そうはいっても、日本は、敗戦国です

白洲次郎のやれることは限られています

新しい日本国憲法でも、白洲次郎は

日本人による憲法を作成することを考えましたが

強引にGHQに押し付けられたりして

悔しい思いもしているのです

 

でも、それでも、他の多くの

日本人としての誇りを無くした

官僚や政治家とは比較になりませんし

そんな日本人としての誇り

「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」

と堂々と、GHQに言った白洲次郎は頼もしい存在でした

 

なので、白洲次郎は、唯一、吉田茂首相と片腕として、

GHQに抵抗できる人物でした

日本の一部の心のある官僚は、白洲次郎の元で

結束して、GHQに戦うことができたのです

 

だけど、それが、どんなに大変だったかは

戦後、60年以上も経過しているのに

今も、米国の半分属国になっている

情けない官僚や政治家を持っている

俺たち、日本人なら、とても分ると思います

たぶん、皆さんも、あの当時、GHQ

戦えるかと言えば、自信はないと思うのです

 

 

でも、それだけに、白洲次郎とは、その当時、他にはいなかった

天が、用意してくれていた型破りのヒーローで

やっと、今、そんな人物が、見直されているといえます

白洲次郎の生き方は、今の日本人に

何かを教えてくれているのです

早く、真に独立しなさいといっているのだと思います

 

また、ここで、俺が、皆さんに忘れて欲しくないのは

白洲次郎は、その当時生きていた人達よりも

英霊達には、もっと、かっこよかった

ヒーローだったということです

 

 

何故なら、英霊達には

波動で何でも伝わるので

その当時の官僚や政治家の心の中がすべて分ります

占領されたからといって、自分の保身に走って

何でも、ぺこぺこしている多くの日本人の心を見て

はっきりと呆れたと思います

 

だって、太平洋戦争は、欧米に仕掛けられた戦争で

日本には、日本の意見があるはずですし

多くの政治家や官僚も

心の中では、いろんなことを思っていたはずです

 

でも、どの人も、そんな自分を偽って

米国人が、間違っていると分っていても

反論しません

これでは、英霊や御霊にとっては

軽蔑するしかないと思うのです

いえ、そんな日本人の姿を心情的には理解できても

自分達は、
なぜ、命がけで戦ったのかと思うと

情けなくて仕方なかったと思います

 

ですから、俺は、その当時も

白洲次郎と同じように、GHQに従順でなかった

日本人は、他にもいたと思いますが

白洲次郎の、堂々として、正直な生き方に

英霊や多くの御霊達はものすごく感心したと思います

 

しかも、白洲次郎は、米国人に体格的にも負けないぐらい

堂々としていますし

ハンサムで、紳士的にもかっこいいです

その上に、英語で、相手をやっつけられます

英霊にとっては、本当に頼りになる存在だったのです

是非、そんな白洲次郎が活躍する第2回

2回「1945年のクリスマス」を

多くの英霊、御霊達と一緒に見て頂きたいと思います

 

 

∞「風の男白州次郎と随筆家白洲正子」∞

 

白洲次郎の活躍は、GHQと対立した

終戦連絡中央事務局(終連)の参与に

したことだけではありません

いえ、むしろ、日本憲法が、GHQに押し付けられて制定された後

昭和22年(1947年)618日、終連次長を退任した後こそ

白洲次郎の本格的な活動が始まりました

 

それはまさしく、風のような生き方で

あっと言う間に、戦後の日本を吹き抜けていき

地位や身分にもこだわらずに

役割を終えると静かに消えていきました

本当に、さわやかな風の男の人生だったのです

 

 

というのも、終連を退任した翌年

白洲次郎は、NHKの歴史が動いたでも放送されたことがありますが

政治とは別の道で日本の自立を模索して、

日本経済を自立させることだと、気がつくと

昭和23年(1948年)121日、商工省に設立された

貿易庁の初代長官に就任しています

 

また、これが、後の通産省でした

白洲次郎は、これからの日本、少資源国日本が生き残るには

経済復興するには、産業政策を輸出主導型へ転換させる必要があるとして

商工省を改組し通商産業省(現:経済産業省)設立の中心的役割を果たしています

 

しかも、それを官僚たちの抵抗に合いながらも

「白洲三百人力」と言われた政治力を使って

辣腕を奮って、誕生させています

白洲次郎が、いなかったら、日本の通産省は

とても誕生しなかったのです

 

だから、これだけでも、白洲次郎が、ただ、米国に対して

対立している人物ではなくて

先見の目があった人物だということが分ると思います

 

その上に、通産書を誕生させると

すぐに、通産大臣を辞めて

今度は、吉田茂の側近として、日本の独立の為に

汗を流しています

講和問題で、日本の池田勇人蔵相・宮澤喜一蔵相秘書官が

米国のジョン・フォスター・ダレスと交渉するのにも

参加しているのです

 

また、昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコ講和会議に

全権団顧問として随行すると、

首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿を

官僚が、英語で書いているのを知ると

日本は、独立国だと言って激怒して

英語から毛筆による日本語に書き直させています

 

しかも奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに

小笠原諸島等の施政権返還を

内容に急遽入れさせたそうです

それを、吉田茂首相に読ませたのです

 

でも、これは欧米だけを見ている

官僚には絶対にできない事でした

白洲次郎だからこそ、できたと思うのです

 

 

だから、そんな吉田茂首相が、受諾演説している時には

白洲次郎も、さすがに、涙を流して聞いたそうですが

俺は、直観として、この時には

きっと白洲次郎の背景にいた多くの英霊

日本が、占領国から、独立国になる為に

影から応援していた御霊達も

本当に、心から感動したと思います

 

何故なら、あの当時、大東亜戦争で

亡くなった英霊や御霊達が、心から願ったのは

日本が、再び、独立することなので

その為に、必死に努力していた

白洲次郎を応援しない訳がないからです

きっと、あの時の白洲次郎には、多くの英霊や

御霊が、ツイテいたと確信しているのです

 

また、その後の白洲次郎は、実業家としても

活躍しています

財界からも、次々と要請が来て

吉田側近であったころから電力事業再編に取り組んでいた次郎は

昭和26年(1951年)5月に東北電力会長に就任したのを

はじめとして、実業家としても活躍して

日本の経済復興に貢献しています

大きな会社の顧問も、何社か頼まれたらして

活躍しているのです

 

 

そしてそんな白洲次郎は、80歳まで1968年型ポルシェ911S

乗り回しゴルフに興じていたそうです

本当に、戦後の日本で、一番、かっこいい人物なのです

 

また、そんな白洲次郎で

忘れてはいけないのは、その妻

白洲正子さんです

 

白洲正子さんは、作家、随筆家としても活躍し

随筆『能面』で第15回読売文学賞受賞するなど

風の男、白洲次郎に負けない活躍をしています

 

 

なので、白洲次郎だけでなく

白洲正子さんのファンも多いのですが

俺は、二人の、お互いの生き方も尊重する生き方は

きっと、英霊や御霊達にとっても

ほほえましいものだったと思いますし

きっと、いろんなことで、自由を制約されていた

あの当時の男女の御霊達にとっては

戦後の自由な生き方は、羨ましかったと思います

 

いえ、二人は、大いに、戦後も

日本の為に戦った英霊や御霊達の存在を

忘れずに、大いに人生を謳歌して楽しんでいきたのです

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是非、皆さんも、そんな視点でも

後、2回放送される白洲次郎のドラマ

多くの英霊達や御霊さんと楽しんで頂けたら

幸せです

 

2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html