縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第299号

武田勝頼没400年記念イベント

でしっかり武田家済度しました

∞「武田勝頼没400年記念イベント

夏の陣  1墓前祭・供養祭」∞

TOさんの運転する車で

武田勝頼公の御霊や

武田家の御霊が待っている

仁淀川町大崎にある

武田勝頼没400記念

イベントの会場に着いたのは

始まる少し前、3時半頃でした

 

車は、事前に一度下見に

来てくれたTOさんのおかげと

このへんは、例外的に、四国でも

信号機が一つもないということで

順調に走ったのですが

その反面、決められた工事時間は

車は通れないという所もあって

その時間になったのです

 

だから、残念ながら

武田勝頼の歴史探訪ツアーで

紹介している土佐での観光の地は

見る時間はなくて

見ることはできませんでした

勝頼君弁当も食べ損ねたのです

 

 

でも、そのおかげで

車を止めて

5人で、いろんな話ができました

かえってよかったと思います

 

また、現地に着いたら

早速、武田勝頼土佐の会の岡林誠さんが

迎えに来てくれて

武田勝頼没400年記念イベントの会場に

ご案内して頂きました

 

武田勝頼と北条婦人

土佐では、大崎玄蕃と三津岐夫人が

眠っている墓地

鳴玉神社に、連れて行って貰えたのです

 

しかも、武田勝頼没400年記念

イベントでの席も

わざわざ金沢や大阪などの遠方から来て

くれたという事と

今年から、始めたという事で

現地の人もそんなに多くないということもあってか

いい特等席、頂けました

運がいいことに、正面の一番前の席に

座ることができたのです

きっと、土佐と甲斐の武田家の御霊達の

配慮もあったと思います

 

その上に、今回の大きな目的

大崎玄蕃と三津岐夫人の墓地

鳴玉神社で、5名全員が

お参りすることもできました

武田勝頼公の御霊と

若い妻だった北条夫人の御霊に

前世武田勝頼公の俺と

前世、武田家のご縁がある4人が

 

今回のイベントでは

少しややこしいかもしれませんが

前世、土佐で生きた大崎玄番さん役のTOさん

前世、武田勝頼の母、諏訪御寮人役の角ちゃん

前世、信玄公の積極さの分魂のIさん

前世、信玄公の慎重さの分魂のKさん

それぞれ御挨拶をして

全員晢晶を持ちながら

400年以上待っていた

武田家の御霊達に

エネルギー、光を届けて

成仏を願いました

済度させて頂けたのです

本当に良かったと思います

 

また、4時からの武田勝頼没400年記念

イベント夏の陣も

この鳴玉神社で

神社・長生教主催行われました

 

まず、1墓前祭・供養祭という事で

俺達五人を迎えに来てくれた

大崎八幡宮の25代宮司である

岡林誠宮司が、神式で供養して

次に、大河ドラマ「風林火山」で

勝頼の母、諏訪御寮人が

住んでいた所という事で有名で

今も、諏訪御寮人が

祀られている小坂観音院から

来て頂いた 中島宥明住職様が

仏式で供養されました

神式と仏式の二つで

供養されて

本当に良かったと思います

 

しかも、墓前祭・供養祭が終わった後

小坂観音院の 中島宥明住職さんは

武田勝頼とその母、諏訪御寮人の話を

してくれましたが

俺は、その話を聞いて

2003年に、小坂観音院を

黄桜さん、葉桜さんと言った時に起こった

不思議な出来事を思い出してしまいました

 

というのも、

実は、武田信玄の側室だった

諏訪御寮人が、諏訪湖が見える

小坂観音院で住んでいたかは

はっきりとはしていません

風林火山の小説で

作家の井上靖先生が書かれた事で

そうなっていますが

はっきりとは分かっていないそうなのです

 

なので、風林火山の小説の物語が

映画やドラマで紹介されて

有名になったということで

小坂観音院さんの好意で

供養塔が建てられ

いつか、それが真実だということに

なったのです

 

でも、本当のことは分からないというのが

現実だと聞いています

しかし、俺は、諏訪御寮人と幼い勝頼は

実際に、小坂観音院で暮らしていたと

確信しています

 

というのも、それは、2003年に

黄桜さん、葉桜さんと

小坂観音院にある供養塔を訪ねて

お参りした時に

俺と、黄桜さんは

お参りに夢中で気がつかなかったのですが

何と、供養塔の近くにあった

木に、諏訪御寮人の御霊が入ったのか

前世、武田勝頼の俺に

触ろうとして

木の枝が、にょきにょきと伸びてきたという

まったく信じられないことが

起きたことがあったからです

 

俺と、黄桜さんは

それを見ていた葉桜さんに

お参りが終わった後聞いて

本当に、驚いたことを思い出したのです

 

だから、俺は、諏訪御寮人と

幼い武田勝頼公は、小坂観音院で

住んでいたと確信しています

これは、作家の井上靖先生の

推測ではなく、実際の事だと思うのです

 

なので、小坂観音院の 中島宥明住職さんは

今回、仁淀川町大崎で

武田勝頼が建てたものを見て

諏訪の小坂観音院の風景に

本当によく似ていることに驚いて

武田勝頼公は、小坂観音院に

住んでいたことに自信を持った

幼い時の記憶があったから

きっと、大崎玄蕃は、それを再現しようとしたに

違いないと確信を持ったと言っていましたが

俺は、心の中で、そうだ、そうだと思ったのです

 

しかも、小坂観音院の中島宥明住職さんは

ドラマ風林火山で

幼い武田勝頼が、小坂観音院で住んでいたことは

放送されていたので

これからは、諏訪御寮人と幼い武田勝頼が住んでいた

小坂観音院ということにする

その為に、諏訪御寮人だけでなく

武田勝頼の新しい旗まで造ったと言っていましたが

俺は、とてもいいことだと思います

是非、小坂観音院さんにも

頑張って頂きたいと思ったのです

 

 

また、そんな 中島宥明住職さんの話が終わると

玉串・焼香ということで

武田勝頼没400年記念イベントに

参加したメンバーも

それぞれ大崎玄蕃と三津岐夫人が

眠っている墓地に

焼香をさせて頂きました

俺も、済度の仲間と一緒に

心から、武田家の御霊達のことを思って

焼香させて頂いたのです

 

と同時に俺は、焼香していた時

甲斐の武田家が滅亡した時に

武田家の為に亡くなってくれた

数少ない、本当の家臣

諏訪高遠城の兵の御霊や

天目山で、武田勝頼親子を逃がす為に

おとりになってくれた御霊に

改めて心から感謝しました

 

その上で、やっと、400年ぶりに

この土地に戻ってこられたことを

御挨拶すると

御冥福を祈らせて頂いたのです

武田家の済度したのです

こうして、前半の 1,墓前祭・供養祭は

厳粛に終わったのです

 

∞「武田勝頼没400年記念イベント

安居神楽演舞 岩戸開き」∞

また、5時から、武田勝頼土佐の会主催で行われた

2 勝頼没後400年祭 式典も良かったです

しかも、その中でも、俺が、感動したのは

武田勝頼土佐の会会長 岡林 照壽さんの言葉でした

岡林照壽さんは

自分の夢というか

地元仁淀川町大崎の夢を

迫力一杯で

開会の言葉として語ってくれました

 

 

それを少しご紹介すると

「・・・・・

武田勝頼公甦れ

眠りから覚めよ

武者達甦れ

風を吹け

雲を飛ばせ

法螺外を吹け

地域を元気にしろ

地域を繁栄させろ

・・・・・・・」

と岡林照壽さんは

本当に情熱を持って言ったのです

 

その上に

そんな岡林照壽さんの気持ちの中には

地域を本当によくしたい

武田勝頼公土佐生存説を

全国の人に伝えて

仁淀川町大崎の観光の名所にしたいという

思いが、溢れていました

 

だから俺は、仁淀川町大崎の現状を詳しくは分かりませんが

今、全国の地域が、どんどん廃れているということは

よく聞くので、仁淀川町大崎も、きっと

いろんな問題があるのだと思います

武田勝頼公の御霊や武田家の御霊に

是非、力になってあげて下さいと

思わず願ったのです

 

 

 

と同時に、その後も

武田家末裔関係者が挨 拶

仁淀川町の人も祝辞ということで

代表の方が、話してくれましたが

俺は、それを見て

武田勝頼土佐の会は

土佐の武田家の人達や

地元仁淀川町の人達の

願いもあることよく分かりました

 

信玄公の言葉

「人は、石垣、人は堀」ではないですが

地域が、一つになっていて、地元の発展の為に

未来の仁淀川町の子供達の為に

400年前の武田勝頼公の存在に

期待していること

よく分かったのです

 

しかも、それは、来年は

大河ドラマ「龍馬伝」ということで

土佐、高知に、全国から

沢山の人が観光に来るのは

間違いないので大きなチャンスです

 

だって今、高知県では、「龍馬伝」の主役になる

坂本竜馬や岩崎弥太郎の観光地に対して

大きな力を、県あげて注いでいるそうですが

何とか、仁淀川町にも

武田勝頼生存の説を通して

観光のお客が来る可能性はあるからです

 

なので、2007年

大河ドラマ「風林火山」から

ブログ形式で、御霊達達の供養している俺は

2010年も、「龍馬伝」のことを

当然書かせて頂きますが

その時、武田勝頼土佐の会のことも書いて

少しでも、お役に立ちたいと

俺は、心から思いました

 

それが、前世、武田勝頼の魂を持っているものとして

甲斐武田家を滅ぼしてしまった勝頼を

あたたかく迎えてくれた

土佐武田家の人達に対する

少しでも恩返しできるだと思ったのです

是非、来年の2010年は

武田勝頼土佐の会の人達と共に

俺も、がんばりたいと思ったのです

 

また次に、勝頼没後400年祭式典では

代表の人達の御挨拶が終わるとメインの

3安居神楽演舞 

4玄蕃太鼓演奏 

5お餅まき 

と行われました

 

しかもその中で、俺がまずびっくりしたのは

3安居神楽演舞です

この中で、素人なので、詳しいことは

分かりませんが

舞出しの舞

順の舞の中で

何故か、写真に出て来る

天の岩戸が出てきてびっくりしました

 

というのも、縁の花第296号

「武田家岩戸開き」で書いたように

武田勝頼が、甲斐から土佐に逃れていたことは

400年以上、甲斐の守護としての歴史がある

武田家でも、最大の秘め事です

まさしく、武田家の岩戸です

 

その上に、そのことが

事実として、認められたら

あの当時、武田家の為

武田勝頼親子を逃す為に

犠牲になった多くの武田家の御霊達が

御霊達の苦労が報われることになります

武田家の岩戸が開くことで

多くの武田家の御霊が

救われるのです

 

でも、それだけでなく

済度と言う視点で見れば

武田家は、武はたたかい

田は、宇宙を示していて

宇宙全体の戦いの因縁を

代表しています

 

だから、武田勝頼から大崎玄蕃として生きた

新しい武田勝頼の人生

見事に、武将としてのたたかいという思いを捨てて

あたたかいになった武田勝頼の生き方が紹介されたら

たたかいの岩戸が開かれ

宇宙全体のたたかいの因縁を持った

御霊達も、救われることになります

成仏されます

 

 

俺は、そんな大きな武田家済度の超大ロマンを

第296号で書きましたが

その岩戸が、3安居神楽演舞で登場して

仁淀川町の人達の舞で

見事に、岩戸が開かれたのです

 

俺自身、まったく、こんなことは

想定していなかったので

本当に、驚いてしまいました

すごいシンクロというか

霊界からのメッセージだと思いました

きっと、その驚き、

皆さんにも、分かって頂けると思います

 

∞「武田勝頼没400年記念

イベント大崎八幡宮のご縁」∞

また、安居神楽演舞で

岩戸開きという事で紹介した

舞出しの舞

順の舞が終わった後に見せてくれた

長刀の舞も見事でした

 

武士らしく、見事な長刀の舞で

俺自身感心しましたし

その後に、大崎小学校の生徒さんが

披露してくれた

武田勝頼公が、甲斐の武田家の御霊達のことを

願って土佐で広めた言う

御霊供養の踊りでもあり、豊年おどりの踊りでもある

「玄蕃おどり」を見ることができたのも良かったです

今回の目的の一つを、果たす事ができたのです

 

ただ、残念ながら、それを見ても

前世、武田勝頼としての記憶は

まったく思い出せませんでしたが

俺自身は、土佐に、済度の善友と

来ることができて、良かったと思ったのです

 

そしてその後5

大埼小学校で行われた

お餅まきも

あっという間に終わり

岡林店のお餅を何個も貰って

鳴玉神社・大崎小学校での

武田勝頼没400年記念イベントの

行事は、終わったのです

 

しかし、その後

俺達には、とても感動することがありました

それは、行事が終わると

大急ぎで着替えた岡林誠宮司が

俺達、5名だけを特別に

天正14年、大崎玄蕃として建てたという

山の上にある大崎八幡宮に招いて

武田勝頼が持ってきたという

武田剣花菱家紋付き手鏡を

見せてくれたことです

 

これには、一同感激しました

特に、済度の女性陣は

本当に喜んだのです

 

何故なら、これは

岡林誠さんが歓迎してくれただけでなく

その岡林誠さんの背景にいる

武田家の御霊達が

済度人である5名を

400年以上も前から

ずっと魂の約束でしていた

俺達を歓迎してくれた

そう直感で感じたからです

そんな武田家の御霊達の気持ちが

済度人である俺達には分かったのです

 

しかも、ここで、さすがは

済度人の女性陣はすごいです

岡林誠さんに

晢晶を堂々と見せたり

触って貰ったりと

とても俺にはできないことを

実行してくれました

 

その上に、金沢に

堂々と岡林誠宮司を御誘いして

一度、来て頂けるお約束まで

頂きました

本当に、すごいです

俺自身、改めて、

済度の女性陣には敬服しました

本当に、済度のお仕事が早いのです

思わず「ありがとうございます」

と感謝しました

そんな最大の収穫を頂いて

土佐の武田家の御霊達も

本当に大喜びだと思います

 

そして、その後

暗くなった

大崎八幡宮には

電灯がまったくなくて

携帯電話の明かりだけで

山道の坂を下るのは

少し、大変でしたが

誰一人、怪我することなく

戻ることができました

感謝です

 

また、その後は

もう帰らないといけないので

武田勝頼没400年記念イベント

場所が変わって

吾川中学校では

あまりいることできませんでしたが

武田勝頼公のイベントキャラクターが

何と、煩悩が108と言われる

108個集まったということで

それを、見させて頂きました

 

しかも、それは、どれも見事のもので

中には、プロの人も応募したものがあるということ

本当に感心しました

後は、今回、大変お世話になった

岡林誠さんにお礼を言うと

急いで、帰りました

 

その後は、金沢の3人の女性陣は

伊予西条のホテルに泊まり

明日、金沢で済度の先生の講演会に

参加しました

きっと、武田勝頼没400年記念イベントに

参加したことで、ツイテくれた

武田家の御霊達を

金沢まで連れていって

済度してくれたと思います

霊界は、本当に、よく考えて計画していると

感心してしまったのです

 

また俺は、TOさんに

今治東予港まで連れて行って貰うとか

大阪の南港まで行く

オレンジフェリーに乗ると

夜の内に帰りました

明日は、お仕事なので

朝、家に帰ると

職場に出勤したのです

 

こうして、武田勝頼没400年

記念イベント夏の陣は、無事に終わりました

前世武田家の縁がある済度善友のおかげで

武田家済度できて本当に嬉しかったです

ありがとうございます



武田勝頼土佐の会と武田勝頼没400年記念イベント夏の陣コーナー


第293号 「武田勝頼土佐の会のご縁」 

第294号 「あたたかいになった武田勝頼」 

第295号 「武田勝頼土佐生存説は本当です」

第296号 「武田家岩戸開き」

第297号 「奇跡の武田八幡饅頭の同志と宇宙全体の因縁を済度します」 

第298号 「武田勝頼没400年記念イベント夏の陣」に参加してきました」

第299号 「武田勝頼没400年記念イベントでしっかり武田家済度しました」


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html