縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第307号

武田勝頼没400年

記念イベント秋の陣

 

∞「武田勝頼没400年記念イベント

秋の陣 本陣いよいよ始まりました」∞

 

Dさんが運転してくれた車が

400年前の土佐の大崎

現在の高知県吾川郡仁淀川町大崎に到着したのは

午後2時前後でした

 

だから、武田勝頼没400年記念イベントが

始まったのは、1時からだったので

1時間の遅刻でした

俺の計算では、徳島港から

高速道路を飛ばしたら

何とか、着くのではないかと思っていましたが

四国は、広いです

お二人には、大変申し訳なかったと思います

 

でも、お二人と、車の中で

いろんな話ができたことは楽しかったです

しかも、到着した時にも不思議なこと

武田家の御霊達の祝福がありました

 

というのも、淀川町大崎の周辺になって

そろそろだねと言いながら

武田勝頼没400年記念イベントの会場

探していたのですが

武田勝頼没400年記念イベントの看板を発見して

ここだと言って、Dさんが、車を止めた所が

ちょうど、大崎町の郵便局の前で

武田勝頼没400年記念イベントのメインの会場になる

大崎八幡宮に上る階段の前だったからです

これには、Dさん自身も、少し驚いていたのです

 

しかも、俺が、車を駐車する場所を聞く為に

階段を上って

上にいる人に、駐車する場所を聞いて

下に降りると、Dさんに報告して

再び、階段を登っていたら

ちょうど、武田勝頼没400年

記念イベントの最初の行事

大崎八幡宮の神示が終わった後で

みこしを担いだ人達が、下に降りてきた所だったからです

 

なので、俺は、その階段で

O宮司さんや

何故か、20人程度の人と一緒に

みこしの行事に参加していたのか

手に何かを持っている済度の仲間TOさんに

会いましたが

あまりにも、そのタイミングのよさに

驚いてしまいました

これが、後、2分遅かったら

俺は、O宮司さんと階段で会うことはなかったですし

もっと早かったら、大崎八幡宮の神示が

終わる直前に来て、少しカッコ悪かったからです

 

だから、本当にベストのタイミングで

到着することができました

みこしを見届けることができたのです

 

また、その後は

前回と同じ鳴玉神社、

つまり、武田勝頼と夫人の墓前に

みこしを付けると

鳴玉神社で、行事が行われましたが

これは、Nさん、Dさん、俺、TOさんと一緒に

見ることができました

O宮司さんがしている神示を

見守ったのです

 

ただ、俺は、神示に関しては

詳しいことは分かりません

それに関しては、O宮司さんが

武田勝頼土佐の会のブログで

詳しく書かれているので

是非、見て頂きたいと思います

【その1】
http://katsuyori.seesaa.net/article/130257352.html
 
【その2】
http://katsuyori.seesaa.net/article/130312037.html
 
【その1】
http://katsuyori.seesaa.net/article/130390735.html

 

そしてその後、4名は、

今回の武田勝頼没400年記念イベントのメインになる

境内に39年ぶりに花台が復活したという

大きな広場に行きました

ここで、3時半頃から始まる

武田勝頼没400年記念イベント秋の陣が始まるのを

待つ事にしたのです

 

しかも、そこは、盆踊りができるぐらいの広さがあって

何台かの屋台が並んでいました

だからここで、食事もできるねと言う事で

昼食も食べていなかったので

4名は、喜んで、武田勝頼土佐の会の人達が

用意してくれた青いビニールをひいたところに座ると

長い机を挟んで、雑談したのです

 

しかし、そこで、4名は

思わない事に、驚いてしまいました

というのも、そんな4名が

地元の人でないことは

すぐに分かるはずなのに

何と、大崎町の人達は

ビールとか、お酒のあつかん

鯖などの魚や、人参のゼリーなどを

次々に出してくれたからです

しかも、一言も言わず

黙って、出してくれました

 

それで、4名はびっくりですし

俺も驚きました

南国高知県、土佐の人達は

外から来たお客さんに対して

親切にもてなしてくれると聞いていましたが

本当に、そうでした

おかげさまで、運転しない俺とNさんは

運転する人には、申し訳なかったですが

たっぷり飲ませて頂きました

俺だけで、ビールの瓶、4本、5本と

お酒飲ませて頂いたのです

本当に、大崎の皆さん、御馳走様でした

 

 

∞「TOさんの前世は山県昌景かな」∞

また、YUさんとYさんのカップルは

今、高知城を見ていて

大崎町に来るのは

4時頃になるという事なので

大崎八幡宮の境内の広場で

Nさん、Dさん、俺、TOさんの

4人で、前世、武田家の話をしましたが

本当に楽しかったです

 

というのも、今回、一番、話題になったのは

済度人TOさんの登場でした

俺から、Nさん、Dさんに

TOさんが、済度人の霊能者「あみ」さんから

前世、誰かは分かりませんが

前世、武田家と言われていることや

以前あった、武田屋の八幡饅頭の

本当に不思議なご縁を、ご紹介しましたが

それだけではありませんでした

 

何と、TOさんには

前世の記憶があるのですが

その記憶は、夜中、馬に乗って

多くの兵と山奥を歩いているというものですが

それが、Dさんの前世の記憶と

見事に一致するという事で

大騒ぎになりました

 

それは、たぶん、Dさんと同じ記憶で

第4回、川中島の記憶ではないか

そんな話になったのです

 

しかも、TOさんは、いろんな人達

霊能者さんともご縁があって

ある人の話では

武田家の四重臣の一人で

徳川家康にも、尊敬されていた

山県昌景の可能性が高いというのです

 

それで、再び、4人は、大騒ぎでしたし

そんなTOさんの話で大いに盛り上がりました

きっと、TOさんは、山県昌景に違いない

武勇だけではなく内政・外交の感覚に優れ

部隊の軍装を赤一色に統一し編成したことから

赤備え部隊と敵に恐れられ

味方からは、「山県の赴くところ敵なし」と尊敬され

徳川家康が、三方ヶ原の戦いで負けた時に

脱糞したのも気づかぬまま

「山県という者、恐ろしき武将ぞ」と恐れさせた

あの山県昌景ではないか

そんな雰囲気が、今のTOさんには

あるという事になったのです

俺は、是非、そうだったらいいと思います

 

また、TOさんの武田家としての

前世が一応、分かったという事で

4名の、武田家の武将が

土佐の大崎に集まった事になります

改めて、ご紹介すると

俺が、武田勝頼、TOさんが、山県昌景かな

Nさんが、同じく武田家の重臣のある人物かな

Dさんも、真田家と縁がある感じなので

真田家のある人物です

そんな4名の武田家の武将が

勢揃いした事になったのです

きっと、どんな武将の御霊達も

驚いていると思います

 

 

そしてその後は、御馳走して頂いたビールとかお酒を飲み

屋台で、おいしいそばを買ったりして

地元の人で、ある歴史好きな人も

交えて、大宴会になりました

きっと、武田家の御霊達が

400年ぶりに着た4名に対して

本当に、喜んで、あたたかく迎えてくれた

結果だと思います

でないと、こんなに地元の人に親切にされないと思います

 

 

だから、俺も、そんな大宴会大いに楽しみました

常に、済度の先生のエネルギーが永久に出ている

クリスタルガラスでできている

俺の宝物、晢晶を、側に置くと

時々、触りながら

甲斐と信濃と武田家の御霊と

土佐の武田家一族の御霊達を意識して

心のチャンネル合わせて

一緒に、一緒に、食べ物を食べたり、酒を飲んだりしました

大崎八幡宮の境内で、食事済度させて頂いたのです

 

 

∞「武田勝頼没400年記念

イベント秋の陣の内容紹介」∞

武田勝頼没400年記念イベント秋の陣は

午後3時30分から行われた

安居神楽の奉納で始まりました

 

しかもこの安居神楽の奉納は

設営されたステージを清め

大崎玄蕃の神に降りて来てもらう事を

目的として行われるそうです

 

しかし御免なさい

俺はこの時点では

ビールやお酒を一杯御馳走になっていて

殆どステージで行われた

催しは見ていませんでした

 

武田家の御霊達と

一緒に飲んだり、食べたりしながら

仲間と話をしているのに夢中で

大いに楽しんでいましたが

ステージにまで、まったく意識がいかなかったのです

 

だからこの説明は

武田勝頼土佐の会の人達が作っている

ホームページを是非見て頂きたいと思います

 

http://katsuyori.seesaa.net/article/130257352.html
 
【その2】
http://katsuyori.seesaa.net/article/130312037.html
 
【その1】
http://katsuyori.seesaa.net/article/130390735.html
 

またそんな武田勝頼没400年記念イベントですが

少し引用させて頂いて

プログラムを簡単に紹介すると

 

安居神楽の奉納−−−午後3時30分から

1 悪魔祓の舞  舞人:三好学 

2 神迎の舞  舞人:細木栄三郎 岡林誠 

3 和卓の舞  舞人:岡崎アリサ

 

【2】武田勝頼没後400年記念【秋の陣】フェス 午後4時から

会長の挨拶    会長:岡林照寿

大野教育長の挨拶

◆キャラクター授賞式!

大崎小学校5年団(和太鼓) 16:30〜

 

 ◆◆手踊りサミット!第1部 17:00頃から◆◆ 

○大崎玄蕃踊り保存会

尾川地区活性化協議会

 

◆◆手踊りサミット第2部◆◆

○瑞応の盆踊り保存会

○狩山豊年踊り保存会

紅葉会

 

【秋の陣】−玄蕃祭−フィナーレ GENBA

土佐の山間に一夜のみ現れた、武田勝頼を祭る桃源郷

◆手踊り総踊り◆ 

◆太鼓のステージへ!◆ 

◆椿山太鼓おどり

◆玄蕃太鼓

◆環頭太鼓「風雅」 

もちまき−−−ありがとうの気持ち

■会長の閉会宣言   「ありがとうございました!」

という事になりますが

武田勝頼土佐の会の人達は

そんな武田勝頼没400年記念イベント秋の陣の写真を

たくさん撮っていて上手に説明しています

 

その上に武田勝頼が先祖や御霊達の成仏を

願って広めたという玄蕃太鼓は

ユーチーブで動画を見ることができます

是非見て頂きたいと思います

 

しかも武田勝頼土佐の会の人達は

今回参加した皆の事も紹介してくれています

本当に光栄な事だと思います

それが下記の記事です

『「東京や大阪などからも、勝頼ファンの方に来て頂きました。

大阪の岩谷様は勝頼が大崎玄蕃となって活躍する

シュミレーション小説を作って頂いております。

ぜひ読んで見て下さい。

「縁の花」というタイトルのサイトで、大崎玄蕃の歌の中に

「縁で人はけ、縁の花ばかり」という詩が見られる事からも驚いております」』

 

 

またそんな武田勝頼没400年記念イベントで

俺が一つだけ補足すれば

2009年になって初めて

武田勝頼没400年記念イベントが

第1回として行われた事で

大崎町の今までの祭りは大きく変わったみたいです

 

というのも39年ぶりに大きな花台が復活したそうですし

東京や大阪からも何人かの人が

武田勝頼のご縁で参加していますが

こんな事は去年まではなかったことだと思います

 

その上に手踊りサミット、太鼓ステージという事で

高知県のいろんなところの団体からも応援に参加してくれています

これも去年までの淀川町大崎としての祭りではなかったのではないか

俺はそんな気がしています

 

とにかく去年までの大崎町の祭りが

400年間ずっと地元で封印されていた

武田勝頼土佐生存説が解禁されて

インターネットを通して

全国の人に発信する事で

大きくスケールアップしたみたいなのです

 

だから俺はそれを強く感じて嬉しかったです

まるで武田勝頼の御霊が400年ぶりに復活したように

いえ、武田勝頼の御霊や武田家の御霊は

完全に復活して間違い無く大きな力を

淀川町大崎に注いでいる手応えを感じることができたのです

 

そしてそんな大崎の皆さんに負けないように

前世武田家のメンバーのパワーもアップしました

もう一つの東京組のメンバー、武田勝頼の姪にあたる

YUさんとその彼氏になるYさんも

4時半頃には到着してくれたからです

 

しかもYさんは東京から高知まで

車を運転されましたが

24時間殆ど寝なかったそうです

本当に御苦労さまですが

俺は感激しました

車を運転されたYさん、Dさんには

ここで改めて感謝したいと思います

 

そしてそんな中で

俺の肝心な武田家済度ですが

最後の方では俺も晢晶を持って

ステージで演奏された玄蕃太鼓などの太鼓の演奏を

多くの御霊と見て済度させて頂きました

 

正直それでどれだけの御霊が救われたか、どうかは分かりませんが

少なくても俺は晢晶を持ちながら願っていました

きっとその晢晶の力を借りて

本当に多くの武田家の御霊が救われたと思います



武田勝頼没400年記念イベント秋の陣、本陣

縁の花第305号 武田勝頼没400年記念イベント夏の陣のその後

縁の花第306号 前世武田家の素晴らしい仲間達 

縁の花第307号 武田勝頼没400年記念イベント秋の陣

縁の花第308号 武田勝頼宇宙に行く

縁の花第309号 武田勝頼と明智光秀

縁の花第310号 武田済度成就しました


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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