縁の花

       (全国の人達と魂で結ばれる智閥の花)

                 第212号

       「ありがとう村から最後のメッセージ」

            ∞「ありがとうおじさん、ありがとう村、

      長年、本当にありがとうございます」∞

平成17年(2005年)9月30日、菊と親しい河童堂の山口さんから、「ありがとうございます」に関する二つの資料送って貰いました。

 一つは、「感謝の真祈りを祈れる自分に成る為に」と、もう一つは、「祈りの神さまの最後のメッセージ」です。

 菊は、それを読ませて頂いて、来るべき事が来たかと想いました。

何故なら「祈りの神さまの最後のメッセージ」の資料の2ページ目の最後に、「今後は、ありがとうおじさんのお話も、一緒のお祈りも一切無くなります。各自が自主的にすべてを行って下さい」と書いていたからです。

 またその前にも、「ありがとうボランテイアグループ」から、8月31日付けのメールで、「9月以降の日帰りツアー、お祈りツアー、奉仕・ありがとうございます市場ツアーは中止となります。先生のお話もお祈りもありません。今後は各自が自主的にすべてを行って下さい。」というものも来ていましたし、9月27日のメールでは、「誠に勝手ながら、メール・FAX通信の配信を今回で終了させて頂きます。ありがとうございました。」というものも来ていました。

 これは、簡単に言えば、ありがとうおじさんやありがとう村の人達は、20世紀の頃、まだ殆どの人が知らない中で、滋賀の山奥で、ずっと祈っていた時、「ありがとうございます」と唱えていた頃に戻るという事です。

 これからは、今までのように、「ありがとうございますボランテイア」に参加する事で、「ありがとうおじさん」のにこにこの顔を見たり、「日帰りツアー」「お祈りツアー」で、ありがとうおじさんの話を聞いたりする事もできなくなりました。

 しかも、毎年開催されると想っていた、8月7日の「ありがとうございます祭」や「ありがとうございます護摩」ももう開催されないみたいです。

 菊自身、はっきり言って、これはショックです。

 いけない事ですが、「ここまで多くの人の力で、大きな祭になったのに、それはないだろう」

 これからの日本は、「どうなるんだ」と言いたいです。

 まるで、「ありがとうおじさん」が、天の岩戸にお隠れになったような気分です。

 あまりに突然の出来事に、戸惑っているのです。

 しかし、菊自身、仕方がないのかなという気持ちもします。

 菊自身、皆さんの意見を聞いていても、いつかは、こうなる事は必然な事、必要な事だと想います。

 というのも、「祈りの神さまの最後のメッセージ」を見ても、自立する事の大切さを何回も言って

います。

 少し引用させて頂きますと、「他に頼るものは、永遠に自立する事はできないのである。赤ん坊は自ら立ち上がろうと努力し続けているから、自分の力で立てるようになるのである。他に頼ろうとしないで、自らの力を発揮しようと努力していたら、他からの必要な支援は、求めなくても自然に与えられるものである」

「今までは赤ん坊だから至れり尽せりの外からの助けを与え続けてもらったのである。これからは自分の力で何事もしてゆかなければならないのである。自己内在の神の力を発揮しようと努力しなければ、外からの支援は一切与えてもらえなくなるのである。自立を促す為の厳しい試練である。いくら泣きじゃくっても無駄である。他に頼るな! 他の助けを求めるな! 自分の王国は自分自身の力で守り抜け!」と書いています。

 また菊自身、いつまでも、「ありがとうおじさん」に頼っていけないとは想っていました。

 「ありがとうおじさん」がいると、どうしてもその存在に頼ってしまいます。

 その為には、ありがとうおじさんが、みんなの前から、姿を消してしまう事も、一つの大きな方法だと想うのです。

 しかも、「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」が、いくら組織を造らない集団だと言っても、なかなか他のご縁のない人達には分かりません。

 どうしても一つの宗教、一つの組織に見えてしまいます。

 やはり、「ありがとう村」自体もなくなって、一人一人が、自分の心の中で、「ありがとうございます」を唱えたり、考えたりするようにならないといけないと想います。

 各自の人が、「ありがとうございます」のすばらしさを伝えるようにならないといけないと想うのです。

 だから、菊としても、この事を快く受け入れたいと想うのです。

そして「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」の人には、心から、長年「ありがとうございます」と感謝したいです。

 というのも、菊自身が、「ありがとうございます」の存在を知ったのは、21世紀になってからでした。

 2001年にその存在を知って、2002年8月に、初めて「ありがとう村」に行ったのです。

 またその後、菊は、第161号から始まって、多くの事を書かせて頂きました。

 しかし、ありがとうおじさんや、ありがとう村の人達は、それよりも前、1995年から、滋賀の山奥の「ありがとう村」で住んでいましたし、それよりももっと前、20、30年前から、「ありがとうございます」と唱えていた人もいます。

だから「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」の人達の行動があったから、菊は、「ありがとうございます」のすばらしさを知る事ができました。

心から感謝したいと想うのです。

しかも、菊自身を含めて、皆さんの多くは分かっていないと想いますが、ありがとうおじさんの活動は、大変です。

全国から多くの人が、「ありがとう村」に来て、その思いを消して頂いています。

それを、「祈りの神さまの最後のメッセージ」では、「今まではみんなの思いをマイナスを身替りに背負って消し続けて下さったのです。みんなに合わせてマイナスを吸い取り、無限の苦痛を感受しながらも、身も心もボロボロにしながら、大犠牲精神の愛の心で思いを消し続けて下さったのです。」と書いていますし、つい最近の情報では、「この前の護摩の時に特別な強烈な光が降ろされたのね。だからみんなの本心がかなり目覚めたはずよ、お祈りに絞り込もうと思っている大勢の人がね。その反対に思いが強烈に破壊されたのね、ものすごい量の思いが消されてしまうのね。思いのほうはこれは大変だという訳よね。ものすごい今度は逆に攻撃が来るの、護摩の後の攻撃ってものすごいの。毒矢や毒槍の雨が降るそんな程度じゃないのね。ものすごい攻撃が心に世界にやって来ているのね。だからいろんな姿で攻撃が来ているの今はね。私の心臓は何回も止まっているの、呼吸も止められてくるのね」と言って、あの「ありがとうおじさん」が、大粒の涙を出したそうです。

菊には、この事の大変さ、よく分かります。

何故なら縁の花では、あまり書きませんでしたが、多くの人が来るようになってから、「ありがとうおじさん」の体調は、よくありませんでした。

怪我をしたとか、辛いという話も聞いていました。

多くの人が、「ありがとうおじさん」を頼って来るという事は、多くの人が、思いや、背景にいる多くの霊達を連れて来る事を意味します。

そんな多くの人達の思いを背負ったり、背景の霊達に頼られたりする事はとても大変です。

菊なら、一日で止めてしまっているのです。

ましてや、多くの人達の思いを消したり、多くの霊達を救う事、霊界に帰したりする事は、よほど意識の高い人でもできませんし、つねに命がけです。

はっきり言って「ありがとうおじさん」だからできる事ですが、それでも、肉体を持っている以上、「ありがとうおじさん」といえども、本当に大変な事をされていると、菊は「ありがとうございます」と感謝していたのです。

しかも、霊達の中には、色情因縁の霊達が多いです。

この色情因縁を救う事は大変です。

というのも、この事は、菊自身、書くつもりはなかったのですが、「ありがとうひろば」や「やすらぎの村」などの掲示板にも書かれていますし、2チャンネルの掲示板などでも、激しく書かれているみたいなので、もう知らんふりする事はできませんし、する必要もないと想います。

日本正直党として、正直に書きますと、「ありがとうおじさん」に、今、セクハラ疑惑という噂があって、「ありがとうございます祭」以後、大変な事になっています。

その噂とは、「外部の人・内部のスタッフ、複数の女性達が、完全なセックス行為を受け、また複数の女性達が、ハグだったと言われるには、キスをしたり、舌をいれたりという余りなおぞましい行為を受けた」とか「ありがとう村への何人かの女性来訪者からの、ありがとうおじさんの 度重なるセクスハラスメントの告発により、その話し合いが持たれ、ありがとう村の何人かの女性村人が、おじさんさんとの忌まわしい 関係を告白。それにより、何人かの村人が、おじさんと決別し、 おじさんの宣伝に、あい勤めていた村民以外の人達は、その行動を自粛」したというものです。

(※その後、菊の理解する範囲では、外部の人にはいないみたいですし、完全なセックスは、合意の上みたいなので、大きな問題はセクハラ行為になります)

 今まで、「ありがとうおじさん」とご縁を持っていた人達には、とても信じられない噂なのです。

 こういうのを、青天の霹靂というだと想います。

 しかも、その後の一連の「ありがとう村」の動きを見ていたら、残念ながら、この噂は、人それぞれに、解釈の違いがあるとしても、ある程度真実も入っているみたいです。

 少なくても、菊は、「ありがとうおじさん」は、そういった行為を密かにしていたのかと驚いています。

 ただ、菊の考えとしては、前から、地位や金銭といった思い、欲を「ありがとうございます」で消す事ができても、性欲、男女のご縁を求める思いは、「ありがとうございます」でも消す事は不可能だと想っていましたし、テレビも、何もない、山奥で、本当に波長の合うある特定の人達が、何十人かで、住むのですから、そういった行為があったとしても不思議ではないと想います。

 そんな「ありがとう村」の人達の思い、ご縁のある人達と愛し合いたいとか、「ありがとうおじさん」に対する、個人的な憧れを消すには、「ありがとうございます」という言葉だけでなく、そういった行為も必要だったのかなと想いますし、多くの色情因縁を救うには、そういった事が必要だったのだと、別に弁護するつもりはありませんが、肯定的にとらえています。

 あくまでも真相は分かりませんし、菊の個人的な意見なのですが、菊自身は、今までいろんな所で学ばせて頂いた上で、そう考えているのです。

 しかし、「ありがとうございます」のご縁の中では、そんな事は許せないと、ショックを受けている人は多いと想いますし、「先生は金銭欲、性欲が出て来たりしなかったのですか?」という質問に、「全然ないのです。全部「ありがとうございます」で消して貰っているのです」と答えていたのは、何だったのか、嘘だったのかと怒っている人達の気持ちも分かります。

 菊は、それが当たり前だと想います。

 また、菊自身、そういった行為を、「ありがとうおじさん」だけがしていたのかとか、「どう言った説明をしていたのか」など分からない事も多いですが、ありがとう村を今から去った村人の気持ちを考えると、ちゃんとありがとうおじさんは、もっと誠実に答えるべきだと想います。

 少なくても、「祈りの神さまの最後のメッセージ」と「感謝の真祈りを祈れる自分に成る為に」を出して、自立しなさい、もう後は知りませんでは、「少し違うのではないか」と言いたくなるのです。

 だけど、菊は、それでも「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」の人達に、「ありがとうございます」と言いたいです。

 だって、「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」の人達から多くの事を学ばせて頂きましたし、菊は、「ありがとう村」に今後行く、行かないは別としても、「ありがとうございます」の教えは、真実だと想っていますし、これからも、「ありがとうございます」の実践や、ありがとうございます瞑想は、止めるつもりはないからです。

 いえ、菊には、実際にお会いしたありがとうおじさんが、単なる「エロおじさん」とはどうしても想えませんし、菊自身、男女の縁でも書いている事ですが、男女の性とは、本来崇高で神聖な行為です。

 きっと、菊にはまだ知らない事実がたくさんあると信じています。

 ですから、菊としては、「ありがとうおじさん」に関しては、これ以上は書かずにしばらく見守りたいと想います。

 是非、ご理解下さい。

 

         ∞縁の花村の「ありがとうございますノート奮戦記」∞

 最後は、驚くべき事を書いてしまいました。

 たぶん、この事はまったく知らない人が読んだら、とても驚いたと想います。

 でも、残念ながら、そんな噂があるのですから、仕方ないと想います。

 正直を大切にしている菊としては、縁の花村の皆さんに対して、隠しておくという事はできないのです。

 知りたくなかったという人には、心からお詫びしたいと想います。

 また、この事で、「ありがとうございます」のご縁から離れる人が出て来ると想いますが、それは仕方ないと想いますし、菊を心配してくれる人もいるとは想いますが、大丈夫です。

 菊としては、個人的には、「ありがとうおじさん」は、最後に、性の問題に対して、すごいテーマをくれたと感謝しています。

 あの「ありがとうおじさん」でさえ、性に対する欲望を消せないのですから、菊が、異性さんを求める心があっても、仕方ないとかえってほっとしている面もあります。

 菊としては、この事に関しては、いいも、悪いもありませんし、「ありがとうございます」のご縁の人すべての人が好きです。

 これからも「ありがとうございます」に関しては、菊独自で書いていきますので、ご支援お願いします。

 ただ、そんな菊も、唯一、残念な事は、「ありがとうおじさん」のセクハラの噂で、今まで多くの人達がやってきた事がすべて否定される事です。

 人の噂ほど、怖いものはありません。

 これからずっと、セクハラの噂は、ついてまわると想いますし、ありがとうおじさんを単なるエロ爺さんと非難する人も出てくると想います。

 菊自身は、それでも、そんなに「ありがとう村」に行っていないので、構いませんが、世の中には、いろんな人がいるので、熱心に活動してきた人達を批判する人がいると想うので、それは残念で仕方ありません。

 特に、「ありがとうございますノート100万部配布運動」に関しては、全国の人達が、真剣に頑張ってきたのに、それを「ありがとうおじさん」の疑惑で、すべて否定される事に関しては、「ありがとうおじさん」に対しても、抗議したいと想います。

「ありがとうおじさん、それはあまりに酷いです」

 だって、いつの間にか、インターネットの世界では、「ありがとうございます」は、一つの宗教組織になっていて、全国の多くの仲間は、ありがとうおじさんに騙された人達か、それでもまだマインドコントロールされていて、目覚めない「アンポンタン」な人達にされているからです。

 しかし、菊自身は、縁の花村として、「ありがとうございますノート」配布運動や、今回の「ありがとうございます祭」に関われた事は、心から感謝していますし、今でもご縁を持ててよかったとも心から想っています。

 だから、その事を詳しく書いてみたいと想います。

 「ありがとうございますノート」を、全国の人達が、どんな気持ちで、配布していたのか、皆さんに是非知って欲しいのです。

 一人でも多くの人々に、真実を知って欲しいのです。

 というのも、菊が、「ありがとうございますノート」の存在を知ったのは、6月の末でした。

 それまで「ありがとう村」には、去年「ありがとうございます祭」に参加したきりだったので、本当に情報不足でした。

 「ありがとうございますノートから」という名前の本を、今度、「ありがとう村」が造ったという事を、風の便りで、聞いていただけだったのです。

 ましてや、「ありがとうございますノートから」をわずか、3ヶ月間程度で、100万部も、全国の人達、ボランテイアの人達の力で、配布するつもりなんて、夢にも想っていなかったのです。

 だけど、そんな菊に、「100万部の配布運動」に参加できるようにしてくれたのは、「ありがとうございますのご縁」のすてきな仲間でした。

 夢プラ空の仲間のルカさんから、「ありがとうございますノートから」を、全国の人達が、配布する活動をしている事を教わったのです。

 でも、その当時の菊は、100万部も、配布するなんて、夢にも想っていませんでした。

 菊の頭にあったのは、百冊単位でした。

「縁の花村」は、何冊と言われた時、100冊程度だと言って、少ないと言って、呆れられてしまったのです。(+_+)

 今から考えても、ルカさんの勧めで千冊にしといて良かったです。

 でもそんな菊も、大阪の仲間達の動きを知って、がぜんやる気になりました。

 特に、笑顔教室の人達は、本当に純粋に燃えていました。

 菊自身、福岡の笑顔共和国の国民なので、どうしてもいけない事と想いながらも、心の中に、笑顔の国境を造っていたのか、大阪に本拠地がある笑顔教室には、一度も入った事がなく、ご縁か゛持てなかったのですが、「ありがとうございますノートから」を100万部配布する作戦会議を、笑顔教室でするという事で、初めてお誘い頂いて、参加する事ができたのです。

 しかも、笑顔教室では、知った人を含めて、20人ちかくいましたし、菊自身も、笑顔教室の野坂礼子先生の隣に座る事ができて、縁の花もプレゼントする事ができたのです。

 やっと正式にご縁ができて、本当に嬉しかったのです。

 だけど、菊が、本当に感動したのは、会議に参加した人達の意識でした。

 会議の一番のテーマは、7月24日、7月25日の天神祭に、どれぐらい祭に参加している一般の人達に渡すかという事でした。

 それをちゃんと、お世話役の人が、警察に行って許可を求めたりして、事前の準備はできていたのです。

 でも菊がビックリしたのは、その人達に配る「ありがとうございますノートから」が、あまりなかったという事です。

 千冊、二千冊欲しいと、皆さん、完全な「ボランテイア」なのに積極的でした。

もう取り合いです。

 一人でも、多くのご縁のある人達に、いい形で渡したいと純粋に願っていたのです。

 中には、すべての国会議員の先生達の住所を調べて、事務所に送るという人もいました。

 だから菊は、そんな皆さんの意識に、本当に感動しました。

 縁の花村としても、千冊と言わず、二千冊程度は、配布したいと想ったのです。

 また、縁の花村としても、配布活動は、順調でした。

 岸和田市にいる飴村さんや、永野さんは、「ありがとうボランティアグループ」から送られてきた、「ありがとうございますノートから」を読んで感動して、喜んで協力してくれました。

 700冊ちかく、引き受けたのです。

 しかも、ミクシィで知り合った沖縄のひまわりさんなども、百冊ちかく引き受けてくれましたし、他にも、ミクシィや、縁の花のHPを見て欲しいという人も現れました。

 新しいご縁に感謝して、喜んで送らせて頂いたのです。

 それに縁の花の読者や縁の花村の村人にも、郵送賃が大変でしたが、4冊ずつ送らせて頂きました。

 100人ちかくの人に送らせて頂いたと想います。

 また、その中で、協力したいという人も、たくさん現れました。

 前世のお母さんや、風華さんは、百冊、二百冊と引き受けてくれましたし、東京のビビちゃんも、4百冊程度引き受けてくれました。

 千冊は、早々と突破してした後、ルカさんや、マアサさんなどの「夢プラ空」の仲間の協力で、「ありがとうございますノートから」1000冊以上、まわして貰えましたが、それさえ百冊だけ残して、全部配布できたのです。

 その上に菊は、長年育った両親が住んでいる実家の池園町の人達や、今、住んでいる所のご近所さんにも、「ありがとうございますノートから」を配布する事ができました。

 夜中、自転車で走りながら、池園町や、ご近所さんの郵便ポストに、「ありがとうございます」と唱えながら配布してまわったのです。

 約、五百冊以上です。

 菊は、それを、二日間に分けて、やりましたが、本当に楽しかったです。

 正直言って、最初は、何の縁もない、ただ人様の郵便ポストに入れる事には、抵抗があったのですが、よく考えたら、ものすごいご縁がありました。

 何故なら、実家の池園町の人達には、菊が小さい頃からずっと育っていなかったら、「ありがとうございますノート」を配布するというご縁を持つ事はなかったと想いますし、今、住んでいる所のご近所さんにも、菊が縁あってここの土地に住む事がなかったら、「ありがとうございますノート」を配布する事はなかったからです。

 もしかしたら、100万部、日本人、百人に一人は、配布される事になりますから、菊がしなくても、他の誰かがやったかもしれませんが、菊としては、この事は、ずっと前、生まれる前から決まっていた事だという気がしていました。

 この「ありがとうございますノートから」を、どれだけの人が読んで、何かを感じてくれた人がいたかはわかりませんが、「ありがとうおじさん」は、「ありがとうございますノート」が、郵便ポストに入る瞬間から、すごいエネルギーが入ると言っています。

 池園町の人や、ご近所さんに、菊が生まれて初めて何かをできた気がしました。

 この「ありがとうございますノートから」という本を、誰が、郵便ポストに置いたのかは分からなくても、一人でも喜んでくれた人がいたら十分ですし、「ありがとうございます」のご縁を、「ありがとうございますノートから」を通して、造る事ができたと想うだけでワクワクしました。

 多くの人に分からなくても、ご近所さんの波動は、きっと上がったと想いますし、池園町にも、子供の頃、知っている人達の家もありました。

 その人達にも、光を届けられると想うだけでも、幸せでした。

 菊自身、自己満足だと想いますが、「ありがとうございますノートから」を配布するという事は、本当に大きな価値があったのです。

 たぶん、全国の多くの仲間も、そんな気持ちで、心から喜んで、配布活動したと確信できるのです。

 しかも菊には、どうしてもしたい事がありました。

 それは、菊の、42歳になってもまだ持っている一種のロマンです。

 というのも菊には、初恋の女性というか、本当にご縁のある女性がいまして、文章を書くきっかけも、縁の花という名前も、全部、大学の頃、彼女にラブレターを書いて、見事に撃沈した事で、始まっているのですが、その彼女の住んでいる部屋は知らなくても、マンションだけは知っていて、全部の部屋が集まっているポストの空いている所に、全部に一冊ずつ入れさせて頂きました。

 だから菊は、きっと彼女にも届いて、読んで頂けたと信じています。

 正直、菊は、今まで、まったく相手にされていないので、彼女の為に、何もさせて頂いた事がありませんでしたが、初めて、何かをさせて頂けた事になります。

 その時、ものすごく嬉しかったです。

「ありがとうございます」大神様に感謝したのです。

 ですから菊は、縁の花村として、「ありがとうございますノートから」を配布できた事、本当に感謝しています。

「ありがとうございますノートから」を、100万部も、作成してくれた「ありがとうおじさん」や「ありがとうボランテイア」の人達には、今でも、「ありがとうございます」しているのです。

 

      ∞「2005年、最後のありがとうございます祭」∞

 2005年ありがとうございます祭は、8月1日から8月8日まで、開催されました。

 菊が、参加したのは、8月6日から8月7日にかけてです。

 去年と同じように、何故か、奥野衛さんの運転で、行く事ができたのです。

 とてもラッキーでした。

 朝からの夢のプラットホーム空が終わった後、奥野衛さんが、新大阪のココプラザまで、駆けつけてくれて、多くの夢プラ空の仲間よりも、一足先に行かせて頂いたのです。

 しかも、菊は、今回も、事前に、「ありがとうございますボランティア」する事ができました。

 ルカさんのご縁のある人達、通称ルカ組の人達と、2週間前ぐらいに、ありがとう村に行って、ありがとうございます祭をする野外スタジアムで、奉仕活動をさせて頂きました。

 土方作業です。

 本当に気持ちが良かったです。

 ありがとう村では、野外スタジアムを去年より、拡充していて、今年は、どれぐらいの人達が、参加するのだろうかとワクワク・ドキドキしたのです。

 3年後、5年後、10年後、100万部配布した「ありがとうございますノートから」などで、どれだけの人が集まってくるか、ものすごく期待していたのです。

 だから、菊は、今年も、「無限の無限の喜び」で、参加していました。

 まさか、今年で、終わってしまう可能性が高いとは、夢にも想わなかったのです。

 また、今年の「ありがとうございます祭」は、本当にすばらしかったです。

 菊自身は、ルカさんが、焼きそばや焼き貝の屋台をするという事で、その場所確保と、ブロックを積んで、大きな鉄板を造るお役、ルカ組の先発隊を仰せつかりましたが、同じようにアイスクリームをする奥野さんやありがとう村の人達に手伝って貰って、無事に完了しました。

 ありがとうございます祭は、ただ単に参加するよりも、何かの奉仕活動をする方が大切ですが、ルカさんのおかげ様で、少しでも汗が流せて良かったです。

 その上に、今回は、雨は、ありがとうございます祭の時、一切降りませんでした。

 最初のありがとうございます祭では、豪雨、去年も少し降りましたが、今年も、行く時には、車で向かっている時には、激しい雨が降っていましたが、ありがとう村に近付いた時には、少しも降りませんでした。

 菊自身、嬉しかったです。

 禊ぎの雨、やっと必要がなくなったと想ったのです。

 そして菊は、今年も大いに楽しみました。

 去年一緒に参加した福岡の風さんや撫子さん、愛さんは、今年は、エンジェルさんなどの新しい人をお誘いして参加していましたし、大阪の快さんとも会えました。

 エンジェルさんや快さんからは、一食ダイエットというものを教わりました。

 一日に、一食だけ、食べたいものを食べて、後は食べない方法ですが、今、それをしています。

 体重も3キロぐらい減っているのです。

 他にも、奥野衛さんからも、船井幸雄先生がやっている関先生の健康法、手を前と後ろで、ぶらぶらする方法も教わり、毎日10分程度しています。

 菊には、本当に有意義な祭になったのです。

 また、ありがとうございます祭の冒頭で、お話ししてくれた、ありがとうおじさんの話も、良かったです。

 河童堂の山口さんは、祭で話をしたありがとうおじさんの話をCDにして送ってくれたので、改めて聞きましたが、シンプルで良かったです。

 少し皆さんに、菊なりにまとめて紹介すると、ありがとうおじさんの話は、最初は、すてきな笑顔で「ありがとうございます」「気持ちがいいですね」で始まり、「本当に皆さんのお陰ですばらしいお祭になると想います」と感謝すると、「本当の幸せ」とは何かという話になりました。

 ありがとうおじさんは、まず、最初に本当の幸せとは、神様と一体化した時だと教えてくれたのです。

 神様が創る「無限の無限の番組」の中で、一番上の番組が極楽で、一番下の番組が、地獄だと言うのです。

 しかも極楽とは、与えるばかりの世界だと教えてくれました。

 極楽に行くには、まず与える心を起こす事が、ものすごく大事だといったのです。

 でも、人はその心を、自分の思いや、いろんなこの世の縛りに、縛られて、それをなくしてしまいます。

 与える心を忘れた時から、番組を下げてしまいます。

 今の状態を掴んで、今の生活を保ちたい、なくすわけにはいかないという欲の心、思いの心に縛られてしまって、他に求める心になります。

 そんな求めるばっかりの世界が、地獄だと教えてくれたのです。

 また、その為にどうしたらいいかですが、他に求めずに、自分の中にいる神様、天照大御神様を、引き出す事です。

 自分から輝く事です。

 そう教えてくれたのです。

 しかもその具体的な方法として、ありがとうおじさんは、感謝する事、「ありがとうございます」を唱える事を教えてくれました。

 感謝とは、自分の中にいる真の神様を見いだす事、「ありがとうございます」とは、この宇宙を司っている宇宙大神様の名前なので、その名前を呼んでいたら、自分の中にいる本当の神様が引き出されてくると教えてくれました。

「ありがとうございます」と唱える事は、天と地の呼吸で、人が呼吸する事で、つねに吐き出す事で、新しい酸素が得られるように、古い過去の思いを捨てて、新しい心になれると教えてくれたのです。

 その上に、ありがとうおじさんは、今、そんな感謝の真祈りをしている人達が、どんどん増えて来ていると教えてくれました。

 自分の中から、「ありがとうございます」と心の中でひっそりと唱える事で、自分の本体の神様を引き出して、「無限の無限の幸せで幸せ」でたまらないという人がどんどん増えて来ていると言いました。

 しかも宇宙大神様は、そんな人達、中から神様を引き出してくれる人達が、現れる事をずっと待っていたそうです。

 この「ありがとうございますの祭」は、宇宙大神様が主催する祭ですが、宇宙大神様は謙虚なので、人の自由意識を尊重して、自分から押しつけませんが、自ら輝いてくれる人達が、どんどん増えるのを、待っていたというのです。

  何故なら、感謝の真祈りをする人が、1万人も現れたら、地球は救われるからです。

 神様が飛び出してくれて、勝手によくしてくれるというのです。

 いろんな人が縛られているものを、仏(ほとけて)、相乗効果で、どんどんよくしてくれる、全ての人が、輝くようにしてくれると言うのです。

 ですから、ありがとうおじさんは、これからはもう心配がないと言い切って、多くの人を喜ばせてくれました。

 地球は輝くそうです。

 何故なら、今までは、思いの心に奴隷になった人達が、いくら地球を良くしようとしても、不可能だったからです。

 神様が、いくら助けようとしても、きりがなく、すぐに元に戻ってしまったのです。

 思いの借金を持っているかぎり、一生懸命にしても、思いの借金が増えるばかりで、人は変わらず、人類は、よく成らなかったのです。

 だから最後に、宇宙大神様は、中から、人を輝かせようとしたと言うのです。

 人が「ありがとうございます」を唱える事で、中から輝いたら、人のすべてのマイナス思いも消えて、闇から光りが輝く事になるからです。

 一人、一人の人が、輝いたら、極楽番組に近付く事になって、すばらしい社会になるのです。

 その為にも、今回の「ありがとうございます祭」では、神様の大きな光が降りて来て、参加した人達の心境や、何よりも縁者の心境も大きく変わると、ありがとうおじさんは、断言しました。

 「楽しみにしていて下さい」という言葉で、「ありがとうございます祭」は、始まりました。

 他にも、ありがとうおじさんは、「ありがとう護摩」の説明や、玉虫が、天照大御神の象徴の話などもしてくれましたが、菊が要点をまとめさせて頂くと、こんな感じでした。

 人類の抱えている不安、闇を、一気に吹き飛ばして、光輝ける、希望を与えて頂けるすばらしい話だったのです。

 

 

        ∞「第3回ありがとうございます祭」∞

 ありがとうおじさんの話が終わった後、ありがとうございます祭の奉仕活動が始まりました。

 いろんな一芸のできる人達が、次々と登場して、すばらしい芸を神様に奉仕しました。

 無料で、感謝を届けたのです。

 また、この奉仕活動もすばらしかったです。

 去年に比べても、奉仕する人達、ものすごく増えていました。

 皆さん、純粋に多くの神様に捧げたのです。

 しかも菊は、司会をしたコスモスさんのお陰さまで、その人達を記録する事ができました。

 はっきり言って、ありがとうおじさん噂で、その人達の奉仕した事も、すべて参加しなかった一般の人達には、否定される事になるかもしれませんが、いえ、それだけに、菊は、どんなすばらしい祭だったか、皆さんに、ちゃんと知って欲しいと想います。

 どんなすばらしい祭だったのか、皆さんに知って欲しいのです。

 それで、簡単に、皆さんに紹介しますと、まず、最初は、菊の大好きな笑顔共和国の福田純子大統領が登場して、1舞い、(ロータスパラダイス)を披露してくれました。

 菊は、福田純子大統領が来られる事を知らなかったので、お顔を見られて本当に嬉しかったですが、ご結婚されてからも、相変わらず輝いていました。

 今回は、人数的には多くなく、4人、5人のお忍びの参加という感じでしたが、やはり、ご縁があるなあと想うと、とても嬉しかったのです。

 しかもその後も、2、新垣秀人さん、津軽三味線と三線(しん)3、長島龍人、麻生徹、後藤由美子さんによる、寸劇と歌「お金のいらない国」4、笑顔教室 野坂礼子さん、みんなの歌「ありがとうの祈り」5、みっちゃん&フレンド 「替え歌」6、笑顔共和国 「踊り」7、笹井啓子さん 「アコーディオン」8、野田摩周さん 「ピアノ演奏」9、濱野友歌(ゆか)さん、「オペラ」10、香音天(こうおんてん)「演奏」11、奈良裕之さん、「民族楽器の即興演奏」となります。

 夜中の2時頃まで、延々と演奏されていて、菊は、本当に感動しました。

 特に、3の「お金のいらない国」では、現在の人が、未来のお金が無くなっている社会にいる人達と会話する芝居でしたが、ギャップが面白かったですし、6の笑顔共和国の舞では、笑顔教室の野坂礼子さんも、一緒に参加して、踊ってくれて、菊は大感激しました。

 笑顔の二人が、「ありがとうございます祭」で、結ばれた事、天、「ありがとうございます大神様」も喜んだと想います。

 やっと、自分の心にある笑顔の国境を抜けて、笑顔教室と縁を持てた菊には、感無量だったのです。

 しかも去年もすてきな演奏を聴かせてくれた香音天さんとは、後に、ミクシィを通してご縁が持てましたし、奈良裕之さんの、まったく明かりを消した暗闇の中で、民族楽器の音を聞かせてくれたのには感動しました。

 どれも、本当にすばらしい芸能活動だったのです。

 また、その後に、深夜3時から行われた「ありがとうございます護摩」本当にすばらしかったです。

 今まで、「ありがとうございます祭」のありがとうございます護摩、3回連続で参加させて貰いましたが、今回のものは本当に驚きでした。

 一回目は、無数の御霊が、たくさんデジカメで撮られているのを後で見せて貰って驚きましたが、今回は、全然違いました。

 去年と比べるのは、いけない事ですが、全然違いました。

 まず、護摩火の勢いが違います。

 人数が、倍以上、2、3千名の人が参加すれば、火がこんなに大きく燃えているのかと想ってしまうぐらい大きかった気がします。

 その上に、菊が、驚いたのが、煙が、無数の御霊に見えた事です。

 煙の中に、御霊がたくさんあるというか、小さな丸が無数に見えました。

 それが煙と一緒に天に昇っていきます。

 その時、菊は、多くの人が書いた護摩木と一緒についてきた多くの御霊も、天に昇っていったと確信しました。

 今回の護摩は、すごいと心から想いました。

 ありがとうおじさんは、『護摩には、3種類あって、一つ目は、人の思いや願いを叶える為の人の主催する護摩、二つ目は、すべての思いや願いを消し去って貰う為の、救済する神さまの主催する護摩、三つ目は、「ありがとうございます祭」でする、すべての思いが消されて、光の自分が光源としての天照大御神と一体化する為の、宇宙の大神様の主催する護摩です』と言っていましたが、本当でした。

 すごい護摩だなあと驚いたのです。

 その上に、菊が心から驚いたのは、デジカメで、「ありがとうございます護摩」を見たら、地上から天井に、青い太い光が、ずっと建っていた事です。

 この青い光が、地上から登っているものなのか、天から降りて来たものなのかは、菊には分かりませんでしたが、これには心底驚きました。

去年には、見られなかった事です。

「ありがとうおじさん」がいった、神様の大きな光が降りて来るというのは、この事なのだ。

天照御大神様はいるんだ、天に、みんなの感謝の「ありがとうございます」が届いているんだ。菊は、今更ながら、そう確信しました。

今まで、菊もいろんな事をしてきましたが、一番驚き、感動したのです。

鳥肌がたったのです。

本当に参加できてよかったです。

ただ、唯一、残念なのは、デジカメで撮ろうと想っても、一切、何故か写らなかった事です。

 それは残念ですが、菊は、この感動は、一生忘れません。

 正真正銘、嘘偽りのない真実なのです。

 また、そんな「ありがとうございます護摩」が終わった後、「ありがとうございます祭」は、昨日同様、いろんな人の芸能の奉仕や、屋台の奉仕活動になりました。

 屋台の奉仕では、夢プラ空の仲間も、通称ルカ組に入れて頂いて、15名ぐらいの人達で、焼きそばやサザエをたくさん焼いて大活躍していましたし、奥野衛さんも、アイスクリーム屋さんの屋台を建てて奮闘していました。

 他にも、焼きとうもろこし、ビール、アイスコーヒー、たこ焼き・・・・など、20店舗ちかくの屋台がありました。

 規模で言えば、最初の「ありがとうございます祭」の惟喬親王祭にちかったです。

 皆さん、本当に、「無限の無限の喜び」でしていたのです。

 その上に、朝からの芸能の奉仕活動も、すばらしかったです。

1須田恭子さん 矢女の舞 2、美鈴の会 浦安の舞 3、笑顔教室 野坂さん 歌・ありがとうの祈り 4、ゆかふ 歌 5、笑顔共和国 福田純子大統領 舞 6、ユニバーストレーニングスタジオ ボディービル 7、村山克彦さん 歌 8、海野さん 日向ひまっとこ踊り 9、マハナマイカルアツミ フラダンス 10、今岡さんとその楽しい仲間達 歌と踊り 11、濱野友歌さん オペラ 12、せんたくバサミ 歌 13、笹井啓子さん アコーディオン 14、庄司さん、小島さん 歌とピアノ 15、田中敏子さん 太極拳 16、越田 静栄 歌 17、コスモス オカリナキーボード 演奏 18、プライナス 歌と演奏 19、笑顔共和国 踊りと最後の締め

これだけ多くの人が、自分の一芸を披露してくれました。

 約、5時頃から始まって、2時ぐらいまで続いた、長いものでした。

 この人達の中には、昨日から奉仕してくれているプロの人達もいれば、素人ですが、何十人かの人達が、練習を積んで、披露してくれたものもあります。

 どれもすばらしかったです。

 特に、菊は、常連さんであるユニバーストレーニングスタジオのボディービルが、好きですが、天、神様は、本当に楽しまれたと想うのです。

 しかも、「ありがとうございます祭り」で知り合った霊感のある女性は、神々だけでなく、山にいる白竜さんも、いつも、「ありがとうございます祭り」を見に来ていると言っていました。

 見える人には、見えるみたいです。

 だから、はっきり言って菊は、そんなありがとうございます祭が、今回で終わってしまう事が、天の予定している事だとはどうしても想えません。

 本来なら、もっとずっと続くはずだったと確信しています。

 何故なら、多くの人達が、ボランテイアで造った、「ありがとうございます」野外スタジアムが、これで終わりなら、あまりにも勿体なさすぎるからです。

 それに、別に「ありがとうおじさん」や「ありがとう村」主催でなくても、奉仕活動はできると想います。

 いつか、再び、開催される事を願って、終わりたいと想います。

 皆さん、第212号「ありがとう村からの最後のメッセージ」読んで頂いて「ありがとうございます」

    2005年10月15日

ますますいつもツイてる菊より

 

追伸、この号を書くか、どうか、問題が問題だけに、菊自身も迷いました。

でも、司会役をしたコスモスさんが、菊がお願いしていた「ありがとうございます祭」で、奉仕した人達のプログラムを送ってくれたり、河童堂の山口さんが、ありがとう村からの最後の資料やお祭りでありがとうおじさんが、話をしてくれたCDを送ってくれたりしました。

きっと、菊の「縁の神様」が、書きなさいと後押ししてくれたような気がしています。

また、菊自身も、「ありがとうございます」に関しては、今まで、いろんな人に、縁の花で書かせて頂いたので、責任もあります。

書かせて頂けた事、感謝します。

最後に、本当にすばらしい祭りだったのです。

「ありがとうございます」

            縁の花 第212号 「ありがとう村から最後のメッセージ」 表紙

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