縁の花

                  (本物を目指して心と心のネットワーク)

                       第113号    

   武田康裕

 

 10月3日、縁の花第111号根幹志塾で書いたように、広島の武田さんを招いて「根幹志塾」の説明をして頂きました。

 1時間ぐらい、感情がほとばしるぐらい熱気のある講演をして貰ったのです。

 しかもこれは縁の花の読者の皆様のお力で大成功しました。

 武田さんにも最初に受けて頂いた「住まい塾」の話に根幹志塾と共通するものを感じて頂き、「私も縁ある人達に是非伝えたい」といって貰いましたし、縁の花の読者の西廼さん、「住まい塾」の松岡社長、アスカネットの西本先生、林先生、久永さんにも縁ある人を集めて頂き、武田さんの話に大変感動して頂きました。

 初めて会った武田さんとも志を持っている現在の志士同志ということで、2次会では意気投合し、熱い志士の話ができました。

 大阪根幹志塾も、この日から事実上開催していくことが決まったのです。

 だから紫陽花は今、ものすごく幸せです。   

 縁の花を書いていなかったらこんなに多くの素晴らしい志士達に集まって貰えなかったと思うからです。

 と同時に関西根幹志塾は今始まったばかりです。

 紫陽花は縁の花の読者はどの人も志を持っていると信じています。

 今までそういった人達と縁を持ってきたつもりです。

 ですから皆さんの中で関心のある方は、是非一度ご参加下さい。

 よろしくお願いします。

 では今から武田さんが話された根幹志塾の話を、皆様にも聞いて頂きたいと思います。

 

                            武田康裕さんの講演

                                       ■教育の場創り■

 武田さんの講演はまず簡単な自己紹介から入りました。

 自分の本職が経営コンサルタント業で、主に企業の人材教育やコンサルティングをやっていることなどを簡単に説明してくれたのです。

 またその後、ある専門学校の教師として若者に教えた経験がある話をしてくれました。  その時からずっと教育とは何かということを考え、今、社会が抱えている問題の行き着く所は結局教育にあるのではないかと感じ、一滴でもいいから世の中に影響が与えられる教育の場ができないかという思いで、2年前から広島県の人口が4万5千人の地元の府中市で一人、ひとりに今の教育が正しいのかと疑問を投げかけ、去年の10月6日に、87名の発起人の力で根幹志塾は誕生したといったのです。

 根幹志塾とはそういった教育の場の一つで、場が大切だと教えてくれたのです。

 そしてその後に実際府中市でやっている根幹志塾の活動の具体例をあげてくれました。

 それが大人も子供も交えてする読書会や、知識ばかりではいけないので合気道などの気の勉強といったものです。

 これに志をテーマに塾生が討論する「塾生の会」や中村天風や坂本龍馬などの人物をテーマにした「人間学セミナー」といったものまで含めていろいろあります。 

 将来は無数に作るそうです。

 ですがその中でも武田さんが特に強調したものは「教えない塾」というものです。

 この「教えない塾」では何をやっているかといいますと、小学校から高校一年までの生徒が黒板もない教室で、漫画を読むでも、30分間眠るでも何でもいいからまず計画を作らせて、それをやれる訓練をさせていると一言で説明してくれたのです。

 というのも武田さんは専門学校で教師をしていた時に、中国の留学生を何人か教えたこともあり、日本人と比べて二つのことを痛感したそうです。

 その一つが18歳、19歳の日本人の青年は何をするにしても受身だということと、もう一つは志がないということです。

 これに比べて中国人は何事をするにも自発的で、志を持っています。

 ものすごいエネルギーを感じ、このままでは日本の将来は暗いと心底感じたというのです。

 だから武田さんは「教えない塾」の中で、何事も生徒が自発的にやれる場を作り、志を持てるようにしています。

 今の日本の教育は志という言葉は死後になっており、志を教えようとしたら「あなたの思想じゃないか」という人もいるらしいですが、それを大事にしているのです。

 なぜなら紫陽花もはっとしたのですが、武田さんはそんな日本人の若者の遺伝子にも、明治維新などをやり遂げた素晴らしい日本人の記憶は残されており、いえばかならず響いてくれたという自分の専門学校時代の体験を話してくれました。

 文部省の規制が緩い専門学校の教師の時に、結構志の話をしたら彼らも分かってくれ、今でも多くの生徒と縁を持っているというのです。

 ですから要するに場、環境を作ってあげることが大事で、教育する場さえあれば、今の若者も志は持てると確信を持っていいきりました。

 教育とはそんな日本人が本来潜在的に持っているもの、日本人としての魂では分かっているものを思い出させることだと教えてくれたのです。

 またそれと同時に武田さんは、教えない塾にも3人程、学校にも家にも帰らない生徒がいて、その3人の生の声を聞かせてくれました。

 彼らになぜ学校にいかないのかと聞いたら、学校が嫌いじゃないけど、今の大きくなった日本人の体格とは合わない小さな机で、じっと一日じゅう先生の話を聞くのが苦痛なんだと答えたそうです。

 まさしく場、今の学校の教育する環境が問題なんだと教えてくれたのです。

 その上紫陽花が感動したのは、次に武田さんがいったことです。

 武田さんは、そんな3人も勉強はしなくても、音楽が好きという長所があり、11月15日にやる根幹志塾の1周年には生バンドで30分も、多くの塾生の前で演奏を聞かせてくれるといいました。

 自然派ピアニストの河野康弘さんやはがき道の坂田道信先生と同じ場所に立つのです。

 それが根幹志塾なんです。

 紫陽花はその話に心から感動しました。 

 志なんていう形のないコンセプトで、見事に根幹志塾と言う教育できる場を創ることはいかに大変だったか想像できたからです。

 

                                          ■時代の考え方■

 だけど紫陽花が武田さんの話にすごいと思ったのは、実際に府中市で根幹志塾という教育できる場を見事に形として創ったということだけではありません

 他にも武田さんの時代の考え方に感心させられました。

 というのは武田さんも、今の時代は大変革の時だと考えています。

 1853年にペリーの来航、1929年の世界恐慌と同じように、1990年に起ったバブル経済崩壊も大変革の始まりだと考えているのです。

 なぜなら武田さんによるとペリーの来航の時も、実は世界は大不況で欧米諸国は日本に市場の開放を求めたことが大きな原因なのですが、歴史をみても大不況や世界恐慌は日本や世界を大きく変えています。

 ですから今起こっている戦後最大の不況でもかならず世界は大きく変わると武田さんは断言したのです。

 しかも武田さんの話で面白いのは、ペリー来航から15年後に明治維新が起ったように、世界恐慌から15年後日本が終戦を迎えたように、1990年から15年後の2005年に日本人の意識や考え方が根本的に変わる何かが起こると確信していることです。      2005年頃、今の時代とは人の考え方や思想が根本的に変わる、大きな変革のピリオドが打たれると考え、それに根幹志塾の照準を置いているのです。

 しかしこの武田さんの話は紫陽花にとっては本当に目が冷める思いでした。

 紫陽花が来年の1999年の7月にすべての照準を置いているのに対して武田さんは5年後の2005年後に置いています。

 これは前の変革の時でいえばこのままでいけば日本は米英と戦争になって滅んでしまうとやきやきしている紫陽花に対して、武田さんは日本が負けた後の世界をみていることになります。

 武田さんは紫陽花より5年先をみているのかと考えさせられたのです。

 だって紫陽花が今のままだったら、1999年に超世界恐慌や世界戦争でも起こって日本の国自体が崩壊してしまうのではないかと真剣に焦っているのに、武田さんの話にはゆとりが感じられたからです。

 紫陽花はこの違いは大きいと思ったのです。

 しかも武田さんは次の世界をリードする国は日本だと宣言しました。

 縁の花でも何度か書いたように日本は西洋文明から東洋文明に変わる橋渡しをする使命

があります。

 2005年頃に日本で始まるおそらく大変革は、世界に急速に普及していきます。

 そうしないと世界から光はみえてこないというのです。

 と同時に武田さんはその大変革は、図1の東洋の5行から一言で金の時代から水の時代になると説明してくれました

西洋では魚座からアクエリアス、水瓶座に移行するといいますが東洋も同じで、金から水に移行するのです。     

またこの水の時代は、水はどんな形にもなったり、汚いものを洗ったりする所から、武田さんは心の時代だと教えてくれました。

人間の心はコロコロ変わりますが、まさしく水も氷になったり水蒸気になったりするので、人間の心と同じです。

ですから日本が金の時代の時に世界からお金を集め、バブルが崩壊したのもすべて必要なことで、2005年頃から日本は心に価値観を持つ新しい精神の社会を迎えることになる。

 これが武田さんの時代観なんです。

 そしてその話の後に武田さんは今、そんな変革時代の準備を始めているといいました。 2005年に向けて今、各県で一人でもいいから志を持っている人とのネットワークを持とうと計画している。     

 2005年までに半分の県だけでも持てたら、大変革の時にきっと大きなことができるのではないか。

 せめてその時の為にできるだけの準備をしておきたいといったのです。

 これが武田さんが根幹志塾を全国に広めようとしている動機なんです。

 

                                       ■私塾創り■

 では実際に武田さんが根幹志塾を全国に広めて一体何をやろうとしていることですが、一言でいえば私塾創りです。

 私塾というものを全国にどんどん創っていこうとしているのです。

 ですが皆さんの中には私塾というものがまだピーンと来ない人もいると思うので、紫陽花が説明しますと私塾とは幕末でいえば吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾をイメージしたらいいです。                                       

幕末この私塾から高杉晋作や山県有朋などの人物が育ち、見事に新しい変革、明治維新を起こしたのですが、武田さんはこれを参考にしています。

 何故なら今の企業は利益、学校は成績といったものに縛られて本当の教育をすることは不可能です。     

 私塾でしか、真の教育をする環境、場を作れないのです。

 また武田さんはそんな私塾の説明を、根幹志塾の顧問として支えてくれている愛媛県の小野晋也衆議院議員のことで説明してくれました。

 というのも小野晋也議員は亡くなった松下幸之助が創った現在の私塾の一つである、松下政経塾出身です。

 しかも第1期生であり、松下政経塾から初めて政治家になった人でもあるのです。

 だけど武田さんの話で縁とは不思議だなあと思うのは、小野晋也議員は政治家になるつもりがまったくなかったということです。

 小野晋也さんはロケットを研究する科学者で、政治家になるつもりはなく、ただ松下幸之助さんが私財を70億も使って創ろうとしている松下政経塾に興味を持って受けてみる気になったのです。

 だから当人も受かるつもりはなかったし、実際に松下政経塾の人も落とそうと思っていたそうです。

 でもその時に松下さんに「同じタイプの人ばかりではだめですよ。一人は女性、一人は科学者を」とアドバイスする人がおり、それで合格したのです。

 けれど面白いことに、そんな小野さんを松下幸之助さんは高く評価していました。

 松下幸之助さんには小野さんの器が分かっており、小野さんを県会議員に熱心に誘う人にも「あなたは責任を取れるのか」といってなかなか手放そうとはしなかったそうです。

 ですが結局小野さんは運命で県会議員になりました。

 その時に松下政経塾の人達は一番最初の選挙だということで、松下政経塾あげて応援して当選させましたが、本当に大変で、こんなに大変なら何人も議員になれないと思ったそうです。

 それぐらい何もない所から政治家になるのは、県会議員でも難しいのです。

 だけど亡くなった松下幸之助さんの願いは実現して、松下政経塾出身の国会議員は沢山います。           

 私塾として成功しているのです。

 武田さんはそんな小野晋也さんと親しく、同じ根幹志塾の同志である塾生のエピソードとして話してくれたのです。

 そしてその後で私塾としての根幹志塾のイメージを2つ教えてくれました。

 その一つは根幹とは木の根や幹のことであり、これがしっかりしていないとどんな木も育たないということです。

 陰陽でいえば根や幹は目立たない陰になりますが、これが強くないと木は大きくなれず、根幹志塾生は目立たないけど根や幹になる存在にしたいといったのです。

 またもう一つは根幹志塾は各地域にあった私塾にしたいということです。

 幕末大阪なら適塾、萩なら松下村塾というように地域性にあった私塾が全国で30私塾もあったように、今も大阪なら大阪、京都なら京都であった私塾を無数に作りたいといったのです。

 しかも武田さんは根幹志塾だけでなく、全国にあるいろんな私塾ともどんどん縁を持っていきたいといいました。

 去年から私塾サミットというものを企画して、今年は萩の松下村塾に全国から30私塾を集めて3泊4日の勉強会をします。

 全国にある私塾を一つにしようとしているのです。

 紫陽花はそれが実現できたら日本は変わると確信しました。

 根幹志塾にはものすごい可能性があると感じたのです。

 と同時に武田さんは最後に草莽の志士という言葉や一燈照隅・万燈照国という言葉を紫陽花達にプレゼントしてくれました。

 というのもまず草莽の志士とはは吉田松陰がいった言葉だそうですが、幕末、藩士としての身分を捨ててまで、志の為に生きた人のことをいいます。

 今でいえばお金や職業や地位、年齢も関係なく、ただ同じ志を持っている人達になりますが、根幹志塾の塾生もそんな草莽の志士として活動して欲しいといったのです。

 また次の一燈照隅・万燈照国とは、たった一人でも明かりを照らすことができたら、それは最後には国さえ照らすことができるという意味です。

 たった一人で何ができるのではなく、まず自分自身が変われば国をよくすることになる。 武田さんはそう情熱的にいったのです。

 ですから紫陽花も草莽の志士と一燈照隅・万国照国という言葉は大切にしたいと思いました。 是非関西でも素晴らしい私塾を創りたいと思ったのです。

 皆さんにも根幹志塾の塾生として共にやれたらと思っています。

 では皆さん今後も合縁で。・・・・・・・

                平成10年10月15日

 

 追伸、茹で蛙という言葉があります。

 これは講演の中で武田さんが教えてくれたのですが、熱湯の中に蛙を入れたら慌てて飛び出すそうです。

 熱いのだからそれが当たり前です。

 でもその蛙は火傷をしますが命は助かるのです。

 しかし水の中から徐々に温めていくとどうなるでしょうか。

 蛙はどんなに熱くなっても決して逃げようとはせず死んでしまいます。

 これを生物学では平行的断絶というそうです。

 生物は徐々に悪く成っていくのには弱いのです。

 そしてそれは人間にもいえます。

 今、日本は皆さんも感じているようにどんどん経済が悪くなっています。

 このままでは日本が没落することもみえています。

 なのになかなかその現実から逃げ出せない、決して蛙を茹で蛙といって笑えません。

 茹で日本人になってしまうのです。

 またそれは個人でもいえます。

 金融界のビックバンとか、三田工業や北海道拓殖銀行が倒産するといった大きな変化ではなく、小さな変化ですが個人、個人でもいろんな変化があります。

 たぶん皆さんの回りでも、知っている人が失業したり、不景気で困ったという人が多いと思います。

 でも志のない人はそんないろんな変化を無視するというか、気づかないふりをして結局大きな変化に呑み込まれてしまいます。

 明治維新で没落した武士階級の人間のようになるのです。

 だからそうならない為にも志のある人達とネットワークを作って情報を集めましょう。

 紫陽花は皆さんがいつでも飛び出せる場として根幹志塾を提供したいと思います。

 また紫陽花はその為にも関西根幹志塾の事務所として新しい自宅を提供したいと思います。

 今から思えばまるで根幹志塾の為に引っ越すようなものですが、今までのワンルームではなく部屋が3つあるのですから、志を持っている人と語り合える場所としても使って頂けます。

 それを含めて根幹志塾のことで聞きたいことがあったら何でも聞いて下さい。

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