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縁の花

(魂が成長する心と心のネットワーク誌)

                  第124号            

   村上和雄  

 

■「ありがとう講演会」■

 紫陽花が今、大切お世話になっている縁の場の一つとして岸和田の岸城神社で1カ月に1度やっている読書会というものがあります。

 この読書会は岸和田で住んでいる寺田一清先生が森信三先生が書いた本の一部を集まった人達と読むことで、大教育者の森先生の思想や生き方や哲学などを、今に伝えていくというものです。

 紫陽花がこの岸城読書会との縁につくまでには、根幹志塾の武田さん、はがき道の坂田道信先生と自然と縁が繋がり、やがて友人で縁の花の読者の阪井さんに「坂田先生の話をしたら」、寺田先生の読書会を紹介して頂いたという流れがあります。

 坂田先生に複写はがきを書く事を教えた先生が森信三先生であり、その森信三先生の教えを伝えているすごい先生が、岸和田に居ると教わったのです。

 だから今、紫陽花はその縁の流れを大切にする事もあって、時間があると読書会に参加しています。

 何せ紫陽花の家から電車でいっても20分ちかくで着くので近いし、地元の人達との縁を持ちたいという願いもあるので大事にしています。

 しかも岸城読書会は岸和田のだんじりがお宮入りするという由緒ある神社の中で入ってやるので気持ちがいいです。

 人数は10人程度ですが、すてきな女性陣がいろんなお菓子を持ち合って楽しい雰囲気なので、すっかり気にいったのです。

 と同時に紫陽花は、実は岸城神社にたまに入る事で、神社の神様とも縁を持つ事にしています。

 エネルギー貰ったり、貰ったいろんなエネルギーを入れたりしながら、岸城神社の神様に、紫陽花の人生の事をお願いしています。

 阪井さんとの縁もあって、紫陽花にとっては一番縁ある神社なので、読書会に参加したり、たまにお参りする事で岸城神社の神様にご挨拶しているのです。

 きっとこれからいい事があると思います。

 またそうすると紫陽花は今度「ありがとう講演会」というものと縁を持つ事になりました。

 この「ありがとう講演会」とは岸城読書会が主催でやっており、他にも寺田先生の縁で、天分塾や和歌山読書会、名古屋立腰読書会、天窓読書会などのいろんな読書会が共催という事で応援してくれています。

 寺田先生が教えている人達だと思いますが、協力していろんな先生を招いて何か月に1度講演しているのです。

 しかもその第6回「ありがとう講演会」では、前から1度聞きたいと思っていた筑波大学名誉教授の村上和雄先生を招いての講演でした。

 岸和田市立産業会館という所がびっしり一杯になる300人程が、月曜日の晩なのに集まったのです。

 紫陽花はそれには正直びっくりしました。                                    

 というのも講演といえば、いつも電車を乗り継いで大阪市に1時間もかけて行かないといけない紫陽花に取っては、素晴らしい人が岸和田に集まってくれるなんてイメージできませんでした。

 泉州地域の地元の人間としては「よくぞやってくれた」と心から寺田先生に感謝したの

です。

 ですから今後は「ありがとう講演会」の縁も大切にして、いろんな先生や、多くの人との縁を紫陽花自身も持ちたいと思います。

 きっと今後は皆さんにも「ありがとう講演会」の縁で縁の花に登場してくる先生が出て来ると思いますが楽しみにしておいて下さい。

 では今から、1番最初として、皆さんもよくご存知な、有名な遺伝子の研究家の村上和雄先生の講演内容を書きたいと思います。

 

 

                                 村上和雄先生の講演内容

 

 村上先生の講演は、寺田一清先生の紹介で始まりました。

 寺田先生は村上先生は、10月も4日しか空いておらないぐらい忙しい方で、筑波大学で高血圧の研究をした業績で、次の日本のノーベル賞候補の一人だと紹介してくれました。 しかもそれだけではなく、信仰者であり、科学の世界と神の世界のコーディネーターを努めるのが、今後の使命だと考えて活動している方だといいました。

 そう短く、上手に紹介すると、村上先生の講演に繋げたのです。

 またその後話始めた村上先生の話も、最初から興味を引きつけました。

 村上先生は、今、生命科学の分野は大変進歩しており、後2、3年で人の遺伝子の暗号がすべて解読されるとか。

 米の遺伝子の解読は日本が進んでいたけど、欧米の追い上げで、日、欧米が必死で競争しているという最新の生命科学の動きを教えてくれました。

 紫陽花自身は本来生物の遺伝子は天が造ったもので、その遺伝子を解読した人や企業や国家に、知的所有権が発生するという考え方はおかしいと思いますが、欧米はその解読を21世紀の大きな戦略の一つにしています。

 人間の遺伝子や米とかトウモロコシ、小麦の遺伝子配列そのものを自分達が解読したという事で特許を取ろうとしており、日本も今、それに対抗しようと官民あげて取り組もうとしています。

 このまま欧米の好きなようにさせたら、遺伝子そのものを握られてしまう事になるからですが、村上先生はその危機感を優しく訴えました。

 紫陽花はそれを聞いて、村上先生の講演の目的の一つは、欧米人とは違ってなかなかそういった考えになじめない日本人にその事を伝える事なのかもしれないと思ったのです。

 そしてその後、村上先生は紫陽花の大好きな天皇の話をされました。

 村上先生は2度程皇居に招かれて、フランス料理を食べながら遺伝子の話をしているそうです。

 その時に皇居での天皇、皇后の質素な生活に感動した事などを話してくれました。

 さすがにみじかでお話しをさせて頂くと、遺伝子が違うのか、伝統や環境が違うのか、どんなものでも包み込んでしまう天皇家の人柄に感動したというのです。

 紫陽花もそれを聞いて一度死ぬまでに、そんな縁を持ってみたいとしみじみと思いましたが、村上先生はそういうと、今から話す話は、その時に天皇、皇后にいった話と変わりませんといって、紫陽花達聞いている人を喜ばせました。

 村上先生はそういうと、自分を今まで導いてくれたいろんな縁の話をしてくれたのです。

 

■「村上先生導いた縁」■

 

 というのも村上先生が生命科学者としてノーベル賞候補になるには、実に多くの人達の影響がありました。

 村上先生はそれをまず最初に湯川秀樹さんの名前を出して説明してくれました。

 戦後日本人が米国に戦争に負けた事で、自信をなくしていた頃、湯川秀樹先生がノーベル賞を取って、日本人に勇気を与えてくれました。          

 その時に村上先生は中学生でしたが、そんな湯川先生に憧れて学者になりたいと思ったそうです。

 猛勉強を始めて、湯川先生の大学、京大を目指したのです。

 しかし村上先生の高校の天理高校は、学業としてのレベルは高くなく、テストの結果をも悪く、あきられていたそうですが、何故か合格していたというのです。

 またその京大(狂大)で村上先生は尊敬する平澤興教授にたった1度だけ食事をするという素晴らしい経験をしています。

 平澤先生はこの当時、湯川先生と並ぶ京大を代表する先生で、村上先生はどんな話を聞けるのかと思ったのです。

 でもそこで聞いた話は、村上先生をびっくりさせました。

 平澤先生は自分は中学、高校と劣等感に苛まれていたと教えてくれ、それは湯川先生に聞いても同じなんだと教えてくれたというのです。

 それで京大でも、どちらかといったら落ちこぼれていた村上先生は、自分でも大学の教授になれるかもしれないと思って、大学院にまで進む気になったというのです。

 と同時にこの平澤先生は、科学者としては珍しく、大自然の不思議さに素直に頭を下げられる教授で、それは村上先生が30年後、会った時も変わらなかったそうです。

「毎日、毎日が嬉しくて拝まずにはおれない」と87歳になっても少しも年を取っているとは思えない若さでいっており、村上先生を驚かせました。

 村上先生はそんな平澤教授のたった1回の出会いの時に感じた自然に対する姿勢が、自分の人生に大きな影響を与えたといったのです。

 そしてそんな村上先生は、大学院を卒業すると、人生が大きく変わる転機点である、米国に研究生として留学しています。

 そこで京大の大学院では先輩に怒られ、屋上で泣いていた村上先生は変身します。

 姿は変わらなくても、今まで日本では眠っていた遺伝子が、米国の環境でスイッチが入ったそうです。

 村上先生には、米国での、大学の研究の水があったのです。

 というのもこの当時の米国は黄金の60年代といわれるぐらい米国がもっとも輝いている時期でした。

 研究者にとっては天国だったのです。

 またそこで村上先生は10年間居る事で、ノーベル賞を取った先生や、研究で業績をあげている人をじっくり観察する事ができました。

 研究者に取ってもっとも大切な事は心を定める事。

 自分の仮説や夢にかけて、これが何年後には必ず花が咲くと信じて、決して疑わず多くの人にいう事。

 こういった信念がある研究家が成功すると、村上先生は米国の多くの研究者と縁を持って分かったというのです。

 と同時に村上先生は、米国の研究の世界で、研究のプロとしての考えを身につけました。 というのも米国の大学の世界は日本とは大きく違います。

 日本の大学の教授はお金と女性でつまずかないと一生安泰ですが、米国では本当に厳しく、紫陽花も驚いたのですが、ノーベル賞を取った教授でも、4、5年怠けていると一流大学の地位が危なくなるそうです。

 どんな論文を出したとか。

 どれだけ多くの生徒を博士にしたか。

 厳しくチェックされるそうです。

 だから村上先生はそんな米国の大学の教授がプロの集まりだとしたら、日本の教授は素人の集まりだと言い切りました。

 そんな日本の教授と米国の教授が競争しても勝てる訳がないと、今の大学の現状を教えてくれたのです。

 紫陽花はこれには日本人としてショックを受けました。

 これからの時代は、もう欧米のまねをしていたらいいのではなく、日本も基礎の理論や技術をどんどん開発しないといけません。

 これでは日本の将来は暗いと思ったのです。

 でもそんな日本も今、大学は明治以来の大きな転換期を迎えています。

 日本政府は東大や京大などの国立大学から国立を外す事を決めました。

 あれは日本の大学の教授にも、プロになりなさい。

 世界を相手にできるプロ集団になりなさいという狙いで、厳しい環境を造ろうとしていると教えてくれましたが、眼にみえない所で日本の教育の頂上でも大きく変わろうとしているのかと知ったのです。

 

■「高血圧の研究」■

 

 さて、ここからが面白くなりますが、米国でプロの研究者になった村上先生が、日本に帰ってから本格的に研究したのは高血圧でした。

 この高血圧は実は紫陽花もお世話になっていますが、まだよく分かっていません。

 別名、生活習慣病といって、生活する環境に大きく係わっている事は分かっていますが、同じ環境で生活していても、なぜ高血圧になる人とならない人が居るのか分からないのです。

 まただから高血圧の病気も、何千人が何百年と研究していても治せていません。

 薬で押さえる事はできますが、そうすると一生薬を飲まないといけない、薬づけになります。

 飲まなくなると血圧が上がるのです。

 ですから紫陽花も恥ずかしい事ですが、薬のお世話になっています。

 その高血圧の話を村上先生が話したので思わず、記録を取るのを忘れて聞いてしまいましたが、村上先生は分かっている事として、人が高血圧にはなるのは引き金をひく黒幕がいるからだと教えてくれました。

 それが名前がレニンという酵素です。

 このレニンはソ連を指揮した指導者レーニンではありませんが、黒幕と村上先生がいうように、決して直接手を出しません。

 手下のホルモンを使って高血圧にします。

 というのもこのレニンがホルモン前駆体のアンデオテンシンノーゲンというものに作用して、昇圧ホルモンアルデオテンシンを作りだし、それが10億分の1、血中に入るだけで血圧が上がるという事が分かったのです。

 だからこのレニンを調べたら高血圧の秘密が分かる事になります。

 それで村上先生は米国の研究生活の中で、このレニンの研究では不思議な縁があり、日本に帰って筑波大学の教授になるとこのレニンの研究を始める事にしました。              

 レニンは脳の中に存在するという説があり、村上先生はそれを実証してやろうと思ったのです。

 またその為に実は村上先生の大学の教授としてのもっとも大事な仕事は養豚上に行って、頭を下げる事でした。

 というのもレニンは脳の中の脳下垂体にあると検討をつけましたが、まさか人間の脳を調べる訳にはいかないので、豚の脳下垂体を集める事にしました。

 レニンは少量しか存在しないので、あるとしても必要な分採集するのは3万5千頭は必要です。

 それを大学にいっても大学は予算もなければ何もしてくれません。

 結局村上先生が研究の為に、東京の養豚センターの人に何度も訪ねて、頭を下げて貰うしかなかったのです。

 でもこうして豚の脳下垂体を3万5千頭手に入れても、その後が大変でした。

 脳下垂体には栗の渋皮みたいなものがあり、それを剥かないといけません。

 これが膨大な手作業を必要としたのです。

 そこで村上先生は学生達の応援を借りる事にしました。

「偉大な研究は偏差値から生まれるのではない。朝起きから始まる」というスローガンを打ち立てて、大学生に授業の始まる前に来て貰って、脳下垂体から皮を剥く作業をして貰ったのです。

 こうして養豚センターの人や学生の努力が実って、見事脳下垂体からレニンは採集できました。

 村上先生はさっそくそれをヨーロッパで行なわれた高血圧の学会で発表しました。

 千人近くの研究者が集まっており、ここで村上先生の研究は拍手喝采で迎えられました。 二十年間議論になっていたレニンは脳の中に存在するか、しないかの結論がでたのです。

 村上先生の業績は世界に認められ、ドクター3千5百頭と呼ばれるようになったのです。 しかしそれで村上先生の研究生活が終わった訳ではありません。

 研究を発表して多くの人に認められるという事の快感を覚えた村上先生は再びレニンの研究を続けたのです。

 しかしここで問題が生まれました。

 レニンは少量しか存在しません。

 人間のレニンを取り出す事は極めて難しいのです。

 その時に人間の大腸菌でコピーができるというという情報が米国から入ってきました。

 大腸菌にコピーさせて、レニンをどんどん増やす事ができるのです。

 だから村上先生はこの大腸菌でコピーする技術を取り入れました。

 遺伝子工学というものと縁を持つようになったのです。

 そしてその遺伝子工学のおかげで、遺伝子に興味を持つようになり、遺伝子の暗号を解読する事になりました。

 まずネズミの「レニンの遺伝子」の暗号を解読しようとしたのです。

 ですがこの研究はフランスの有名なバスツール大学に先を越されてしまいました。

 外国の伝統ある大学と村上先生の筑波大学は競うようになったのです。

 でもこれは村上先生には圧倒的不利でした。

 パスツールなどの大学は、研究所としての体制が整っています。

 ネズミで負けた村上先生は人間のレニンの遺伝子の暗号を解読しようとしたのですが、またまたパスツール大学に先を越されようとしている事が分かったのです。

 しかも米国のハーバード大学もレニンを解読しようとしているという情報が入り、村上先生にショックを与えました。

 フランスのパスツール大学に行って、敵情を視察にいって、レニンの暗号の解読具合を聞いた村上先生は負けを確信しました。

 人間のレニンを諦めて、猿のレニンの遺伝子暗号を解読するしか道がなくなってしまい、日本で待っている学生に何ていようと悩んでいたのです。

 だけど天はそんな村上先生は見捨てませんでした。

 不思議な縁を与えてくれたのです。

 それがフランスの片田舎で酒を飲んでいた時に、知り合いの京大の○○○助教授に偶然会うという事でした。

 絶対にアポを取らないと会えない人にヨーロッパの片田舎で会えたのです。

 しかも村上先生は、パスツール大学に負ける悔しさをいったら、酒を飲んでいた事もあり、何と協力してあげようといって貰えました。

 学者の世界では足を引っ張る事はあっても、協力するなんていう事は考えられないそうですが、その○○○助教授は助けるといってくれたのです。

 その時村上先生は勝利を確信したそうです。

 天が味方に付いてくれた。

 天が応援してくれないかぎり、こんな事は絶対に起こらないと思って、慌てて日本に帰ったのです。

 またその直感は正解でした。

 学生の前で勝利宣言(その時から学生達は狂っていると思ったそうです)した村上先生に東北の大学からレニンのたくさんついた臓器を摘出するけどいるかという、何十年間一度という話があり、さっそくそれを貰った村上先生は、優秀な4人の生徒を京大に派遣して、レニンの遺伝子の釣りだしに成功しました。

 後はレニンの遺伝子の暗号をどの大学が一番先に解読するか、時間の戦いになったのです。

 そしてその戦いに筑波大学は勝ちました。

 最後には睡眠時間3時間という中で、学生が頑張ってくれて世界で最初にレニンの遺伝子暗号の解読に成功したのです。

 村上先生はそういうと偉大な研究には天の味方がないと駄目ですよと、自らの体験を通して教えてくれたのです。

 と同時に村上先生の遺伝子の研究は進み、今は、筑波高血圧マウスとか筑波低血圧マウス、筑波妊娠高血圧マウスなどを造っている話も聞かせてくれました。

 最新の研究の進み具合も教えてくれて、人類の未来に大きな夢を与えてくれたのです。

 

 

■「サムシング・グレート」■

 

 しかし村上先生の偉大さは、研究者としてすごい業績をあげた一面だけではありません。

 それよりもむしろレニンの研究から遺伝子工学に入った村上先生は、遺伝子そのものの魅力に取り付かれた事によって、大いなる存在を科学者なのに感じる事になります。

 一体、遺伝子のものがどうして存在するのだろうか。

 村上先生はその不思議さに科学者として魅了されたのです。

 いえ、その事が研究だけでなく、本を書いたり、講演するようにきっかけになったのだと思いますが、村上先生は、最後に天と呼ぶのか、神と呼ぶのか分かりませんが、とにかく偉大な存在の話してくれました。

 というのも遺伝子というものは実に不思議です。

 村上先生はそれを4つの事を例にあげて教えてくれました。

遺伝子というものはすべて4つの科学物質、Aアデニン、Tチミン、Cヒトシン、Gグアニンというものが二重に螺旋場に回転する事でできているが、本当に分かりやすいシンプルにできている。真理は単純である。

 遺伝子は、生きとし生きるもの、人間の遺伝子にしろ、動物の遺伝子、植物の遺伝子、細菌の遺伝子でも同じ遺伝子暗号を使われており、起源はすべてひとつである。全ては遺伝子からみれば兄弟である。                       

 一つの細胞の遺伝子には本にすれば何万冊でも書き切れない膨大な情報が詰まっており、それが世界中の人間の遺伝子60億個を全部集めても米一粒にもならないごく小さなものに書かれている。しかも驚くべき事にそれが間違わずに働いている。奇跡としかいいようがない。

 一つの遺伝子の中にはすべての人間の情報があり、髪の毛なら髪の毛のスイッチだけオンにして、後はオフにしているが、それで60兆個の細胞すべて調和が完全に取れている。決して細胞同士の喧嘩がおきない。人間社会の不倫もない。

 村上先生はこういった遺伝子の不思議さをいうと、こういった遺伝子を造った未知な存在、サムシング・グレートと名付ける存在が存在するといいました。

 だって自然がいくら偉大でも、すべての生物を動かしている遺伝子が偶然できる訳がない。

 本を書こうと誰かが決めないかぎり、本はできないのと同じで、大昔、人間以外の何かの存在が、何かの意志を持って、遺伝子を造ろうとしないかぎりできる訳がないと教えてくれましたが、紫陽花もそう思います。

 天の存在はその事一つみても、科学的に証明されると思うのです。

 と同時に村上先生は生きている事の素晴らしさ、生かされている事のありがたさを教えてくれました。

 というのも大腸菌の一つ造る事さえ、日本や世界中の博士がたばになって集まってもできません。

 ましてや、60兆個もの細胞がある人間を造るなんて不可能です。

 生きているという事はそれ一つとってもすごいことなんです。

 しかも遺伝子でみればノーベル賞を取る人も、紫陽花のような平凡な人間も、身体障害者も殆ど変わりません。

 99、8パーセント、99、9パーセントかは同じです。

 ただスイッチが入っている遺伝子の量は違うかもしれませんが、元々存在する条件は同じなんです。

 だから誰にでも可能性があります。

 スイッチさえ入れたらノーベル賞なみの頭にもなれるし、オリンピックのメダリストにさえなれます。

 天はそういうふうに仕組んでいるので、どんな事があっても何も悲観する事はない。   村上先生はそういうと偏差値と人間の価値は全然関係ないといって、紫陽花を喜ばせてくれたのです。

 またその後に村上先生は、大自然の恵みの話をしてくれました。

 というのも遺伝子の暗号を解読できても、ではその遺伝子がどうやって動くかはまだ分かっていません。

 遺伝子はたんぱく質をつくりなさいという命令を与えており、遺伝子が動かなかったら、一瞬も生きられないのです。

 ですから人間にしろ、生物にしろ、今の一瞬、一瞬でさえ誰かに生かされている事になります。

 でも人間は生かされているなんて意識がありません。

 自分で生きていると思っています。

 なぜなら終戦後、ある調べでは、日本人は6千万人という赤ちゃんになるはずだった存在を自分達の都合でおろしています。

 村上先生はこの事一つ取っても、人間の大きな考え違いを指摘されました。

 そういった考えが教育の問題、家庭の崩壊、いじめ問題、環境問題に繋がっているのではないか。

 生きているのではなく、生かされている。

 人間の心や身体は大自然のギフトで、人間はそれをレンタルで借りているだけ、村上先生はそう考えないといけないといったのです。

 しかも人間は何百兆円といったお金を掛けても造れない身体を、何十年も借りている。

 大自然はそれを無料で貸してくれている事に気が付かないといけない。

 その時始めて、人類が抱えている大きな問題が解決する方向に進むのではないかと教えてくれ、クローン人間を造るなんていう事は絶対にすべきではないといったのです。

 と同時に村上先生は、人間が変われる方法、眠っている遺伝子にスイッチを入れる方法を自分の経験を元に教えてくれました。

 というのも、眠っている遺伝子は食べものやアルコールによってスイッチが働く事は分かっています。

 日本人の3分の1は、アルコールを分解する遺伝子がないので酒が飲めないのですが、毎日少しずつ飲んでいたら、飲めるようになるという事は聞いた事がありますが、あれも眠っている遺伝子にスイッチが入ったからだと教えてくれたのです。

 またその環境は何も物質だけではありません。

 ストレスや心の持ち方でも変わる。

 火事場の馬鹿力といいますが、人間は大きな夢や使命、感動したり、喜んだり、感謝すれば今まで眠っている遺伝子にスイッチが入って、今までの自分と違う人間になれる。

 村上先生はそういうと、今まで宗教の世界で、仏やキリストといった天才がいっていた心を成長させるといった意味が始めて科学的に実証される事になる。

 遺伝子を解読される事は、21世紀の科学と宗教の接点にさえなるといったのです。

 紫陽花は本当にすごい事だと思います。

 そして最後に村上先生は、もしサムシング・グレートと呼ばれる存在がいるのなら、果たして自分の子供である人間に不幸を与えるだろうかと問いかけました。

 というのもサムシング・グレートとは全ての生物の元の元の親になりますが、神様のような素晴らしい親が子供を不幸にしようと思うはずがない。

 サムシング・グレートは言葉を発しなくても、いろんなメッセージを成長を願って送ってきますと村上先生はいいました。

 例えそれが、病気やリストラ、騙されるといった事でも、それを何かのメッセージだとして、素直に受け入れられる事が、本当にすごい人。

 究極なプラス発想です。

 村上先生はそういうと「どうか皆さん大いなる存在につねに生かされ、自分が今、生きている事自体が、本当にすごい事なんだと認識できる存在になって下さい」というメッセージを残して、素晴らしい講演は終えたのです。

 では皆さん、これで。・・・

   平成11年11月14日

 

 追伸、サムシング・グレートの事では実は紫陽花自身一つだけ疑問があります。

 紫陽花も村上先生の講演を聞くまでもなく、サムシング・グレートの存在は十分に理解していました。

 ただそのサムシング・グレート、生物の遺伝子やもしかしたら宇宙全体までも創った大いなる存在は今、どこにいるのだろうかという疑問があります。

 遺伝子を創った後は、もう遠い所にいって、地球の生物に関心もないのだろうかと思った事もあるのです。

 でも今もそのサムシング・グレートの意志がなかったら、いくら遺伝子があっても動かないので、そんな事はないと思います。

 生きているという事は、サムシング・グレートに見守られている事に、全ての存在がなるのです。

 しかしそれだけだろうか。

 紫陽花は意外とサムシング・グレートはそんな遠くから人類の動きを見守っているのではなく、もっともっとみじかにいる気がします。

 全部ではなくても、魂の一部は、つねに人間の中に入り、その時代、時代を楽しんでいるのではないか。

 そんな気がするのです。

 それが釈迦であり、キリストであり、聖徳太子です。

 そしてそんなサムシング・グレートは下手をしたら地球全体が無くなってしまうという今の時期に何をしているのだろうかと考えたら、やっぱりこの世に生まれてきているのではないかという気もします。

 何しろ、このままでは環境問題や核兵器の問題で、人類が滅亡するだけでなく、遺伝子

そのものが傷ついたり、破壊されるのだから、気がきではありません。

 きっといたたまれなくて生まれてきていると思います。

 ですから「縁の花」の究極の縁は、そんなサムシング・グレートとの縁を持つことです。

 ただそれが誰なのかはまだ分かりません。

 でも古くから予言されている救世主が現れるのなら、それがサムシング・グレートだと思います。

 是非、その人とは早く縁を持ちたいですし、もうすでに縁を持っているのかもしれません。

 まあ、それははっきりとは分かりませんし、遺伝子の中に、自分の名前を書いていてくれないかぎり、存在を証明できる事も不可能ですが、それも今後縁の花を書く楽しみの一つにしたいと思います。

 来年はいよいよ2000年です。 益々のお付き合いよろしくお願いします。


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