縁の花

               (魂が成長する心と心のネットワーク誌)

                                    第126号            

    縁の流れ      

  

 縁の花の読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。

 旧年は大変お世話になりました。

 今年からはいよいよ2000年、縁の花も21世紀に向かって大きく咲かせます。

 どうか今まで通りのご支縁の程、よろしくお願いします。

 という事で、まず新年のご挨拶をさせて下さい。

 この126号は、2月の末頃に送るので、今更新年の挨拶もないかもしれませんが、紫陽花の思いは、これを書いている瞬間、皆様に届いています。           

 だから新年の挨拶を200名の読者にさせて頂いたのです。

 と同時に皆さんと新年をこうして何事もなく迎えられた事、縁の花もずっと書ける事、何か紫陽花自身は不思議な気持ちで一杯です。

 紫陽花が船井幸雄のいう本物の世界に関心を持ったのは、ノストラダムスさんの1999年7月の予言の影響が大きいので、2、3年前まではきっと2000年までには大変な事が起こると覚悟していました。

 それが心配されたコンピューターによる2000年問題も大した事がなく、本当に感激で一杯です。

 たぶん普通の人よりは、紫陽花は心から喜んでいると思います。

 しかしまだ油断はできません。

 今年一杯までは世紀末です。

 2001年になれば、紫陽花は人類の未来はいろんな事があっても、急速によくなっている予感がします。

 ですから皆さんにも2000年までは用心して頂きたいと思います。

 ただそうはいっても、では時代がこれからどうなっていくかは紫陽花には分かりません。

 凡人ですから、これから先の事が完全にみえている訳ではないのです。

 でもそんな紫陽花でも、今年は何をやらないといけないかはある程度見えています。

 今までやってきた縁の流れというものがあり、それに乗っているかぎり、天が次々と縁を与え、やる仕事をくれるのです。

 しかもその縁の流れはどんどん早くなっています。

 川でいえば、最初は山で静かに流れていたものが、どんどん大きくなり、大海へと近づいているのです。

 だから今の紫陽花は、何事をやるにしても、どんな人や物と縁を持つにしても、一番の基準においているのは、実はこの紫陽花自身の縁の流れです。

 この縁の流れに乗っていないなあと思うものとは、いくらいい話でも縁を持ちません。

 結局縁の流れと全然関係ないものと縁を持っても、同じ方向には進めません。

 無駄な事をしている事になります。

 ですから紫陽花はこの縁の流れを本当に大切にしています。

 平成5年から縁を大切にするというテーマでやってきて、やっとその事が分かってきたのです。

 何故なら、7年前にあった縁も、4年前に頂いた縁も、今、できた縁も、全ては長い計画の元で用意され、一つの方向に流れているという事が紫陽花自身断言できるからです。

 本当に縁というものは面白いです。

 しかし急に紫陽花が縁の流れといっても、皆さんの多くはよく分からないかもしれません。

 ですから別紙の「縁の流れ」の中で、参考として紫陽花の縁の流れを分かり易く図で書きました。

 今回は記念すべき2000年に最初に書く号なので、一度紫陽花の今までの縁を整理する為にも、皆さんに縁の花の縁の流れを知って欲しいと思います。

 

 

                                    「紫陽花の縁の親MGの縁」 

 さて別紙、「縁の流れ」の図1「MGの縁」で、何となく紫陽花の縁の流れが分かって頂けたのではないかと思います。

 皆さんも図にしたらいいですが、縁というものは本当に無駄がなく、長い大きな計画の元に一つの方向に流れています。

 すぐには咲く事はなくても、かならず咲くようになっているのです。

 でもそれでも人それぞれにやっぱり根本になる縁というものはあると思います。

 それが紫陽花の場合は平成3年に登場するMGの縁です。

 もしこのMGというものと本格的な縁を持たなかったとしたら、たぶん紫陽花のその後の人生は、今とはまったく違ったものになったと思います。

 縁の花でさえ書いていなかったかもしれません。

 紫陽花にとっては全ての縁の親になるのです。

 というのもMGの事を分かり易く説明しますと、まずMGの意味は、日本語でいえば、高度円熟理想社会(M)を草の根市民(G)でという事になりますが、早い話、高度情報社会を縁ある全国の志のある現在の志士達で創ろうとしたのです。

 でもこれはうまくはいっていません。

 今ならインターネットを使って情報をとるとか、21世紀には、各家庭でコンピューターを利用して誰もが情報を取れる社会になるといえば、大方の人もそうなるというと思いますが、紫陽花が縁を持った平成3年の6月頃なら単なる夢物語でした。

 その時期に114万も出して、高度情報を勉強して、高度情報社会の権利を掴んで、自分達の理想とする高度情報社会を創ろうとする人はなかなかいませんでした。

 それをMGのトップ森宮シニアは平成元年頃から全国を回って講演をする事で、共鳴する同志を集め、平成4年頃には1万2千人程度は集めていました。

 このまま何事もなく進めば、平成7、8年頃には全国で予定の16万8千人を集めるのはあの当時の勢いなら十分に可能だったのですが、一言でいえば天のお試しがありました。 紫陽花達が6・17事件という平成4年6月17日に、紫陽花は米国のCIAが動かしたと信じていますが、警察からの手入れが入り、全てのマスコミにマルチ商法で多くの人を騙したと報道されてしまったのです。

 そしてそれからMGは今だに立ち直れていません。

 警察やマスコミからの誤解はとけたのですが、いいかげんな彼らはしらんぷりです。

 今から考えたら、まずトップの意識が駄目だったり、儲かるという金銭の欲で縁を持つ人が多かったり、時期的にあまりにも早すぎたという事もあって、MG自体はいくら同志が顔晴って(頑張って)も運を無くしたのか浮上できないのです。

 しかし紫陽花にとっては114万は痛いですが(あの金が今あれば)、MGと縁を持った事には後悔していません。

 MGからは本当に多くの事を教わったからです。

 というのもまず紫陽花はMGのおかげでネットワークを持つ素晴らしさを教わりました。

 全国に日本の事を考え、行動しようとする人が沢山おり、同志として縁を持つ事はものすごく楽しいという事を知ったのです。

 だってMGに入るまでは紫陽花は本当に日本や世界の事を憂い、何とかしようという人と会った事もありませんでした。

 ノストラダムスやフリーメーソン、環境問題、経済の問題の事を書いた本しか知らなかったのです。

 でもMGに入ってからは、日本を何とかしたいと願う、純粋な人達と縁ができました。 図1のMGの所に入っている紫陽花が尊敬している恩師の原裕一郎先生に始まり、MGを紹介してくれた元同じ会社の同僚である中林直樹さん、奈良の藪田幸代さんや姫路の尾上さん、河内先生を紹介してくれた岡野眞由美さん・・・・などです。

 この人達は今でも縁の花の大切な読者ですが、他にもMGの同志、MGクルーは全国にいます。

 その中にはいろんな会社を経営している人も多く、今も顔晴っている人や、別な所でものすごい活躍をしている人がいます。

 本当にとんでもない人達の集まりなんです。

 だけどMGのすごい所は、これだけではありません。

 むしろそれよりも、MG自体がどんどん成長したというか、いろんな人との縁を創ったという事です。

 これがMGの縁で紫陽花が頂いた縁で、講演に来て頂いた船井幸雄先生や、船井先生の紹介で知った、MGは世界を救うといってくれた清里の知花先生、原先生の縁でプラスイメージを教えてくれた小林充先生などがいますし、根幹志塾の武田康裕さんも,MGの説明会、MISというものに参加してくれた時に知り合ったのです。

 しかも紫陽花はそんな人達のおかげで、MG以外にも日本の事を憂いて、何とかしようとしている人達が沢山いる事を知りました。

 特に船井先生の存在を知り、本物の世界を知った事は大きかったし、MGの卒業研修では、20名以上のクルーと山梨の清里を選び、知花先生の元で4泊5日間、ずっと学んでいたのです。

 この時に本物の世界を実際に体験したのです。     

 そして何よりも紫陽花がMGに感謝しているのは、縁の花を書くきっかけを与えてくれた事です。

 6・17事件以後、なかなか集まらなくなった同志を一人でも創りたいという思いで、紫陽花は忘れもしません、平成5年の11月に縁の花を書き始めたからです。

 高度情報社会という素晴らしい社会との縁を、紫陽花と縁がある人に一日も早くつけてあげたかったのです。

 

                                      「縁の花の縁」 

 しかしMGの縁を創りたいという紫陽花の思いはうまくはいきませんでした。

 縁の花でMGの事を書く事で、興味を持って、MGのMISを聞いてくれる人は何人もいたのですが、金額がネックになって一人も入らなかったからです。

 今から思えば、天が止めてくれていたのかもしれません。

 でも縁の花の縁自体はどんどん広がりました。

 最初の頃は支縁金という形で、皆さんの応援も求めなかったので大変でしたが、読者は少しずつ増えました。

 紫陽花自身縁を持つ為にいろんな所に積極的にいき、名刺交換して、縁の花を送るようになったからです。

 またその中で図2「縁の花の縁」で載っているように笑顔共和国の福田純子大統領や高木善之先生のいる地球村と縁を持つようになりました。

 福田純子大統領はSAFFさんの縁で、地元で講演会がある事を知って出かけ、講演内容に感動すると、それを縁の花で書き、福田純子大統領にプレゼントしたのがきっかけです。

 それに福田純子大統領は返事をくれ、紫陽花はいつの間にか自称弟になると、近畿で行なう笑顔共和国のイベントに参加するようになりました。

 この時に笑顔共和国の活動を今でもずっと支えている姫路の小川亮一さんや小田岳人さん、熊野晃さん、福岡の森田聰男さんや朝倉三心先生や國友孝治先生、岡山の平田俊さん・・・・・などとも知り合いました。

 彼らは縁の花の読者になってくれていますし、紫陽花自身笑顔共和国の集まりで会う事を楽しみにしているのです。

 しかも笑顔共和国の情報誌で縁の花笑国が紹介された事で、姫路の山口裕介さん、富山の藤井俊夫さん、長野の鎌崎美智代さん、和歌山の西本紀彦さん・・などが、読者になってくれました。

 もう6年ぐらい前の話ですが、今でも縁は続いていますし、去年の5月には笑顔建国式に出ている多くの有名な先生達、ヨガの倉本先生、和の実学の大和先生、アネモネによく出ている美人な姫乃宮亜美先生、長野で子供達を教える学校をやっている狩野先生・・・などとも縁を頂きましたが、今後縁の花がどう発展していくか楽しみにしているのです。 またそれは地球村でも同じです。

 地球村の縁は、高木善之先生の講演を聞いて感動した事と、MGとの縁を作った中林直樹さんが、水曜日の晩に大阪の本部で勉強会をしているMMに参加していた事が縁で、紫陽花もMMに行くようになりました。

 毎回30名以上の人が集まっており、環境問題をテーマにして討論するのです。

 本当に意識の高い人達が多く参加しており楽しかったです。

 またここでも紫陽花は沢山の人との縁を頂きました。

 東京にいった青柳忍さん、岸和田の阪井健二さん、大阪の西廼豊治さん、橘大三郎さん、渋谷日加璃さん、藤井真人さん、西宮の西岡靖浩さん、京都の隅田芳男さん、国際エンジェル協会で活躍している加藤圭二さん・・・・・などが居ます。

 この人達の中には、MMは一回や二回しか出た事はないという方もいますが、柳生家の家訓にあるように、袖すり会う縁をも活かすという事で、今も縁の花の読者になって頂いています。

 本当に地球村さんには感謝しているのです。

 でも縁を頂いた所はまだまだあります。

 笑顔共和国の福田純子大統領を西宮にお呼びした林隆太郎さんはゲン・インターナショナルという勉強会をしており、ここにも紫陽花は不思議な縁で呼ばれ、神園充さんとの縁を頂きましたし、知花先生の縁では、京都で知花先生の講演会をしていた川北雅子さんや、知花先生の本を出しているメガスールの河合勝さんなどとも頂きました。

 とても全部の人は紹介しきれませんが、縁の花はこの人達に支えられて、広がっていったのです。

 でもその反面、今から考えたら紫陽花自身、天から与えられている縁の花の意味をまだみいだせていませんでした。

 肝心なMGは全然進まず、紫陽花は自信がなくなってきて書けなくなったからです。

 その分、笑顔共和国や地球村など、紫陽花が感動した事や感じている事を書くようになったのですが、中心になるものがないというか、MGに代わる縁結びを仕事をするものがなかったのです。

 真底これを世に出したいと心から思うものと巡り会っていないと思っていたのです。

 

                                    「河内晢先生の縁」  

 しかし実はその縁は紫陽花はとっくに天から与えられていました。

 全く気が付きませんでしたが、それが河内晢先生でした。

 河内先生自体の縁は、縁の花を書き初めてすぐに、MGの岡野眞由美さんの紹介で知ったのですが、正直いって紫陽花にはよく分かりませんでした。

 霊達を救う活動済度は、眼には見えませんし、何か信仰の世界なので、宗教のような感じがして、紫陽花は河内先生に関しては慎重でした。

 金沢や京都にいって、河内先生自体とは縁を持っていましたが、縁の花で河内先生の事を取り上げるつもりはなかったのです。

 でもそんな紫陽花も図3「河内晢先生の縁」にあるように京都や金沢で済度で顔晴っている人をみる内に変わりました。

 特に縁の花も読んで頂いていますが、京都の大平恭子さんや小垂啓吾さん、小森育子さんや藤本京子さん、中川恵子さんや山本久子さん、前川かおりさんの顔晴りには頭が下がりました。

 縁の花で河内先生の事を書いて、いろんな人と河内先生の縁結びをして、この人達を喜ばせてあげようと思ったのです。

 それで第63号で河内先生の事を初めて本格的に取り上げたのです。

 またその時から紫陽花は縁を創る喜びを知りました。

 最初に書いた時は、図の のように富山の藤井さんが興味を持ってくれて、金沢で会って大変喜んでくれました。

 しばらくの間、いろんな縁ある人を紹介してくれたのです。

 しかも二回目に書いた時は のように福田純子大統領に繋がりました。

 縁の花を読んで一度会いたいという事になって、京都で会って頂きました。

 紫陽花はこの時は本当に心から嬉しかったです。

 河内先生の一念帰命を貰うという事は、その人の魂が救われるという事です。

 それがどこまで本当なのかは分かりませんが、あの純子お姉さんの魂を救ってあげられたかもしれない、そう思うだけで十分でした。

 紹介者として親になるうまみというか、喜びを知ったのです。

 と同時に純子大統領の笑顔共和国の縁はどんどん広がりました。

 河内先生に純子大統領の師である王麗華にあって頂いたり、純子大統領は福岡でやった笑顔建国式の時は笑顔共和国の国民に上手に河内先生を紹介してくれました。

 翌日は福田純子大統領の家で済度もさせて貰え、多くの人に一念帰命も貰って頂きました。

 朝倉三心先生や國友孝治先生、小川亮一さん、小田岳人さんなどの主要な笑顔共和国の笑国の皆さんにも受けて頂き、縁が産まれたのです。

  しかも同じ笑顔共和国の縁の山口裕介さんは姫路から金沢に住み着き、同じ笑顔共和国のイベント、伊勢七夕祭りで縁を持った梁本敬子さんは済度の人と結婚までしてしまったのです。

 だから紫陽花はこの時から縁を広げる喜びも知りました。

 紫陽花の縁から、笑顔共和国の皆に縁が広がったと思うと、「私は幸せでした」

 そんな事が紫陽花にできるのかと思うと、初めて縁の花をやっているやりがいというか、使命を感じたのです。

 ですからそれからは読者に河内先生の事を伝え、関心を持ってくれた人には、喜んで河内先生の縁をつくるようになったのです。

 そしてその中で地球村でも縁を持ってくれた殆どの人が一度は河内先生に会ってくれるようになりましたし、西岡靖浩さんのようにいつの間にかコスモスエンジェルのような本格的な縁を持ってくれる人も現れました。

 地球村でも多くの人が図3のように縁を持ってくれ、一念帰命を受けてくれたのです。 でも紫陽花にとってはやはり決定的だったのは川北雅子さんと神園充さんの二人でした。

 この内川北雅子さんは、紫陽花が「一度会って」と頼んで縁を持って頂きましたが、今でも済度に燃えて全国を駆け回っていますし、川北さんの縁で素晴らしい人達を紹介して頂きました。

 浅田真由美さんや「住まい塾の」松岡昭寛社長とも、河内先生の縁を通して知り合ったのです。

 しかもその松岡社長の縁で、アスカ会の西本安範先生と繋がり、河内先生の囲む会をして貰えました。

 その西本先生とは、河内先生を囲む会を3回程して頂いた後、縁は切れていますが、紫陽花との縁は残り、アスカ会に参加したり、関西根幹志塾などで力を貸して頂き、素晴らしい人達との縁を頂きました。

 入村じゅんこさん、岡地光栄さん、赤木洋祐さん、行利夫さん、嶋田孝昭さん、鈴木登志正さん、武市直行さん、植田清子さん、金子美代子さん、河野雅仁さん、高田治さん、野村秀夫さん、森田卓志さん、藤川英實さん、松原達郎さん、門部卓志などのご縁を頂いたのです。 

 この中には河内先生との縁をつくれていない方もいますが、大抵の人には一度は縁を持って頂いているのです。

 またそれは神園社長さんも同じです。

 神園社長もゲン・インターナショナルの時にご縁を頂いてから、ずっと縁の花を1年以上送っていましたが、ある時に会いたいという事で縁を持ち、すぐに河内先生を紹介しました。

 そうすると本当に河内先生の事を気に入ってくれて、いろんなすごい人達を紹介してくれました。

 元土肥会長とか、プラスセミナーの小林充先生や深野一幸先生、岡田多母さんなどです。 これと元土肥会長の縁でも波動の西村純一さんやアネモネの元編集長の中尾龍一さんを河内先生に紹介してくれて、やっと河内先生は世に出始めました。

 アネモネの雑誌でも取り上げられて、河内先生は3、4回連載され、金沢にもアネモネの雑誌を見て、約20名ぐらいの人が訪ねてくれたからです。

 しかも神園社長はガイアヒーリングというものをつくって、河内先生を世に出そうとしてくれました。

 川北さんの縁で萩原直樹さんなどもこれに加わり、全国で小林充先生、北条希功子先生、岡田多母先生、河内晢先生達と講演会を始めたのです。

 しかし残念ながら神園社長と河内先生との縁は今は切れています。

 ガイアヒーリングの活動も紫陽花が知るかぎりやっていないと思います。

 紫陽花自身、神園社長と今は縁を持っていないので分からないのです。

 でも神園社長やガイアヒーリングのおかげで続いている縁もあります。

 ガイアヒーリング長野では前世信玄息子だという紫陽花に対して、信玄の側室諏訪姫だったという山之内亜衣さんとの縁も頂きましたし、東京ガイアヒーリングでは、渋谷隆さん、秋山桂子さんや浅井敏雄さん、矢野崇博さんとの縁も頂きました。

 だから本当に紫陽花自身神園社長には感謝していますし、縁の花の縁の流れでみれば、本当に大切な人になります。 

 こういった人のおかげで河内先生の縁は広がり、縁の花も河内先生の縁を通して、いろんな人に読んで貰えるようになったのです。

 と同時に紫陽花自身、河内先生からもいろんな人の縁を頂きました。

 金沢で済度を顔晴っている新潟の佐藤淳子さんや紫陽花が理想の奥さんにしている本田さん、岐阜の三宅先生の元で活動していた田中伸和さんや村越正博さん、コピーでお世話になっている金沢の福田敏一さんやイルカの谷光都紋子さん、村上範子さんや忠田淑子さん、前号で書いた新世紀日本会議というものを立ち上げようとしている堀田宇一さん、大阪で紫陽花が一目おいている松下正子さんなどです。

 この人達は、紫陽花が縁の花を通して、河内先生の済度を顔晴っているという事で応援してくれています。

 縁の花を支縁してくれているのです。

 これが図にあるように紫陽花が河内先生を通して頂いた人達です。

 縁の花の縁の流れでいえば、河内先生は中心になっています。

 河内先生の事を書き、いろんな人に紹介する事で、縁の花も縁も広がり、いろんな読者の人に喜んで頂いているのです。

 

                                       「つい最近の縁」 

 こうして縁の花の縁は広がっています。

 ただもちろん何も河内先生の事ばかり書いている訳ではありません。

 縁の花の読者になってくれた人には、河内先生との縁を一度は持って欲しいと思いますが、河内先生との縁に興味のない人も居ます。

 いろんな人がいていいのです。

 紫陽花自身これまで通り、自分が今書きたいと思うものを書くつもりですから。・・・

 ただそうはいっても紫陽花の縁の花の縁の流れはやはり、河内先生という存在を世に出そうとしていると思います。

 それが天から与えられている使命のような気がするのです。

 またその流れに乗った方が運が付くというか、縁の花も発展する気がするのです。

 しかしそれは断言できませんし、河内先生の事は難しく、有縁の死者霊という幽霊の事を書くから、読者は嫌がって縁の花は発展しないという人が居る事も事実です。

 そこの所は紫陽花自身実は判断できないのです。

 でも紫陽花は、縁の花の縁を持ってくれている方とはすべて、魂の世界では、河内先生と縁を持って貰い、済度と言う活動をする約束がある気がしています。

 その魂の約束を果たしたいと思って河内先生の事を書いているのです。

 だから紫陽花はこれからも眼にみえない人達を救うという済度という流れを中心として、いろんな縁を持っていきます。

 その流れから離れた人や物と縁を持っても、眼にみえない人達の応援が入らないし、天の応援がないと判断しているのです。

 と同時に紫陽花は図4「つい最近の縁」に書いているように今もいろんな人を通して縁を頂いています。

 広島の武田康裕さんにも実はこの縁の流れを説明して、金沢で河内先生に会って頂いて

います。

 3回程金沢にいって頂いていますが、武田康裕さんの根幹志塾を通して広島でも、4人の人達との縁を頂いており、その一人谷本光章さんとはもうすでに繋がっています。

 でも後の人達とはどう繋がるかは分かりませんが、いつか時期が来たら、広島の根幹志塾でも河内先生の済度の縁は大きく広がると確信しています。

 なぜか縁の流れからみてもそうなるのです。

 また面白い事に、紫陽花は今、やっと地元の人達、泉州地域(大阪南部・泉の国)と縁を持っています。

 これは武田康裕さんから、はがき道の坂田道信先生の縁を貰い、その坂田先生の師である森信三先生の教えを読書会を通して伝えている寺田清一先生が地元の泉州、岸和田でいると縁の花の読者の阪井さんから教わり、何かを感じて参加した「読書会の縁」や、阪井さんの小さな友の会で頂いた縁が始まりです。

 この縁は、紫陽花にとっては待望の地元泉州の縁だけに本当に大切にしており、将来河内先生とどう繋がるかは分かりませんが、紫陽花は楽しみにしています。

 いつか繋がる予感がするのです。

 なぜなら河内先生の縁の流れはどんどん早くなっているからです。

 天の意志というか、霊界が動かしているのか分かりませんが、必ず不思議と繋がるのです。

 というのも林先生の縁で頂いたヨガの小田切敬子さんも、図4のように河内先生を紹介したら、何かを感じてくれて、金沢にいって頂けるようになりました。

 芦屋でも河内先生の講演会をして、多くの人を紹介し、紫陽花も何人かの人との縁を頂きました。

 不思議と小田切さんからも地元の泉州の人の縁も頂いているのです。

 ですがこの小田切さんの縁も1年以上縁の花を送っていたら、花が咲く時期がきたのか、急に繋がりましたし、笑顔共和国の縁で知った山本健さんとも5年ぶりに急に連絡をくれると紫陽花の自宅に遊びに来られ、青山典生さんという方の縁を頂きました。

 その青山さんとも京都の講演会で河内先生にあって頂き、地元の青井国子さんを河内先生に手引きしてくれました。

 これも不思議といえば不思議ですが、紫陽花がこれらを通して分かった事は、縁というものはすぐに咲く事はないけど、ずっと持っている内に、時期がくれば、ある時突然咲くという事です。

 特に河内先生の済度の縁は、1年、2年、いやもっとかかる場合もあるけど、縁の花という種を送っていたら、必ず咲くのです。

 きっと眼にみえない世界がそう仕向け、縁の花を使ってくれているのだと思います。

 だから紫陽花は天から、多くの人との縁を預かっているのだと思いますが、これからも縁はどんどん広がっていくと確信はもっているのです。

 しかも2000年になって、いよいよその縁が大きく爆発しようとしています。

 そんな縁がとうとう出てきたのです。

 その一つが前号で紹介した新世紀日本会議の縁です。

 これは図のように川北雅子さんや堀田宇一さん、西岡靖浩さん、奥田さんが中心にコスモスエンジェルといった組織をつくってやっていますが、全国を益々駆け回っています。

 映画地球協奏曲2番に出演していた佐藤初女さんとの縁を創ったり、いろんな商品の縁を持ったサロン店を、展開をして販売していこうとしたり、各地に河内先生に入って貰って済度してくれています。

 実は2月6日には紫陽花の家にも河内先生が入ってくれ、岩谷家のご先祖様や何よりも泉の国にいる多くの有縁の死者霊達を済度しましたが、関ヶ原や京都などの各地の人と縁を繋げており、紫陽花は大爆発する予感がします。

 一気にコスモスエンジェルの縁は霊界の応援を頂いて、日本中に広がる手応えがしています。

 そのような場所が全国で200カ所作ろうとしているのです。

 またMGの縁もついにやっと復活しました。

 今まで古い人で11年、紫陽花でも9年ちかくじっと絶えていましたが、それがやっと動きました。                                 

 天が紫陽花達、MGクルーをこのまま見捨てる訳がないと信じていましたが、紫陽花達MGクル−が何人かの有志達と立ち上がりM1(エム・ワン)という会社を作りました。

 今までずっとやりたくてもできなかった紫陽花達の構想を実現させるのです。

 しかもこの情報を紫陽花に教えてくれたのは河内先生の縁をくれた岡野眞由美さんですが、岡野さんも大きくM1に係わっており、紫陽花はその事からM1は必ず大成功すると確信しています。

 M1には隠された河内先生の光を届けるという使命があり、それがある以上、これから霊界や天がどんどん応援してくれるはずです。

 済度という眼にみえない魂達を救う活動と、M1本来の高度情報社会を創る、これを結びつける事が紫陽花の悲願であり、自然にそれがいつの間にかできているからです。

 だから紫陽花は必ずM1は誕生したばかりですが、近い内にマルチメディア関係企業でNO1になると思っています。

 その時にはきっと皆さんもM1のすごさにびっくりする事になります。

 それだけの優秀な人材はM1にはおり、紫陽花も今年は、縁の花の全盛力を傾けて、M1を応援するからです。

 それがこれからの簡単な縁の流れです。

 どうか輝ける2000年の縁の花の活躍に期待して下さい。

 注目していて下さい。今年はいよいよ縁の花満開にしてみせます。

では皆さんこれで。・・・・                                                             

 平成12年1月23日

 

 

 追伸、まだまだ皆さんにご紹介できない縁がたくさんあります。

 でも紫陽花の頭の中ではすべて繋がっています。

 皆さんも是非2000年には紫陽花の縁の流れに乗って下さい。

 よろしくお願いします。

   

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