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               縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

第136号

坂本竜馬の縁

 

 紫陽花の大好きな坂本竜馬の事を久しぶりに書きたいと思います。

 というのも紫陽花の夢、多くの同志と草の根市民運動で、日本に理想とする高度情報社会を創るという活動が、M1として復活してから、紫陽花の心の中でも、志士の気持ちが徐々に湧いてきています。

 諦めかけていただけに、夢をもう一度です。

 竜馬のように本当に理想とする日本を創り上げる為に、活動したいです。

 世界から尊敬される、情報先進国の日本。

 その事を考えるとワクワク・ドキドキします。

 でもこれでは何の事か、皆さんにさっぱり分からないと思うので、分かり易いように、具体的にいえば、it革命という言葉を皆さんも聞いた事があると思いますが、まさしくあれです。

縁の花の大きな願いは、このit(情報技術)革命を立ち上げる縁を、皆さん、一人一人に持って貰う事です。

坂本竜馬が、海援隊を結成する事で、多くの同志が明治時代の流れに乗れるように、紫陽花も一人でも多くの読者に、it革命で成功して欲しいのです。

どうです。本当にすごいでしょう。

しかし紫陽花が、こういっても皆さんは、まだピーンと来ていないかもしれませんネ。

it革命といっても、森首相が何か騒いでいるという印象しかありませんし、nttや一部の大企業の話で、庶民にはあまり関係ない。

一般の人達には、携帯電話のiモードが爆発的に普及したり、it関係の株の銘柄が上がってもあまり関係ないと思っていると思うのです。

でも決してそんなことはありません。

it革命とは早くいえば、日本では明治維新を超える大変化を経験するという事です。

それが大企業や日本を牛耳っている官僚や政治家などのエリートにできる訳がありません。

歴史がそれを証明していますし、実際に日本は欧米などの世界から立ち遅れています。

ですから紫陽花は、自分にまだまだチャンスがあると思っています。

もう時間は残されていないので、最後のラストチャンスだと思いますが、可能性はあります。

縁の神様がきっと、紫陽花や皆さんを一緒に導いてくれるはずです。

紫陽花はそう信じているのです。

だけど今回の号では、そのM1の動きは書きません。

それよりも皆さんに、紫陽花のいう事を何となくでも信じて貰えるようにする為に、幕末の頃に戻りたいと思います。

あの当時、歴史を創った坂本竜馬や西郷隆盛などの下級武士だった志士達が、身分差別の激しい時代の中で、どうして歴史を創る事ができたのか。

何故あんな偉業ができたのか、皆さんに知って欲しいのです。

そうすれば、紫陽花のテーマである縁からみると、どういった縁の流れで、坂本竜馬がチャンスを掴んだのか知れば、紫陽花の志や夢、何となくでも感覚で分かって貰えると思うのです。

紫陽花も竜馬に負けないようにがんばりたいと思います。

 

                   Θ「坂本竜馬の縁」Θ

 紫陽花が大好きな坂本竜馬は、土佐藩、24万石の山内家の下級武士として生まれました。

 この土佐藩は、関が原の戦いで、西側についた長宗我部が領土を没収され、その後を、千代という賢い嫁を持っていたことで出世した有名な山内一豊が掛川六万石から移った藩です。

 この時に、従来の長宗我部家で禄を貰っていた武士は、郷士と呼ばれ、前から山豊家で使えていた武士達は、上士となり、強力な身分差別が生まれました。

 武士と百姓、町人だけでなく、武士同士の間にも、身分が違ったのです。

 上士が歩いたら、郷士は土下座しないといけなかったのです。

 だから郷士である坂本竜馬は、土佐藩では,絶対に活躍する事は不可能でした。

 藩主である山内容堂は郷士嫌いで、坂本竜馬の名前さえ最後まで知ろうとさえしなかったからです。

 でもそんな事も、坂本竜馬の今後を考えれば、良かったのかもしれません。

 郷士に生まれたから、弱い者の気持ちも分かるようになりましたし、身分差別に対する疑問を持つ事もできたと思います。

 後に、勝海舟に出会って、欧米の国の実情を教わったときに、身分差別のない欧米諸国に対する憧れになり、素直に欧米のすごさを理解できたと紫陽花は思うのです。

 しかも坂本家は、郷士といえども、豊かでした。

 本家は土佐の豪商「才谷屋」という事もあり、竜馬が土佐藩を脱藩した後も、金銭的に援助しています。

 竜馬はそのお金で、生活に困る事はなかったからです。

 このどこの家に生まれるとか、どこの土地に生まれるという縁は、縦の縁といって、本人がうまれた時に決まっていた縁ですが、今から考えれば、すべて竜馬にとって必要で、計画されていた縁だったのです。

 竜馬の魂自身が選んだといえるのです。

 また竜馬自身の努力で広げた横の縁もあります。

 郷士のリーダー的な存在である武市瑞山と親友だった事も大きいですし、12歳までおねしょをする、近所でも有名なはなたれ小僧だった竜馬は、剣術の世界で、めきめきと腕を上げて、江戸にまで、剣術の修業をする事になる事も大きいです。

 とにかく江戸で千葉道場の塾頭になるのですからすごいとしかいえません。

 この江戸にいたおかげで、竜馬は土佐藩の視野から抜け出す事ができました。

 浦賀にペリーが黒船で来た時も、その現場を見学する事ができたのです。

 しかも剣術の強い竜馬は、剣術の試合などで、他の藩の武士達と縁を持ち事になります。

 武士の中でも、志士として活躍するような人は、剣術などに秀でている人は多いです。

 何かの一芸に秀でているのでしょう。

 長州藩の桂小五郎などともやりあい、お互いの腕を認め合う関係になっていたのです。

 しかしそんな竜馬が、志士として目覚めるには時間がかかります。

 竜馬自身、黒船以来蔓延る攘夷とかいう事にあまり関心はなかったからです。

 でもそんな竜馬を、攘夷に目覚めた親友の武市瑞山は、ほっておきません。

 自分達の仲間に竜馬を誘います。

 ここで竜馬は、少しずつ志士として目覚めるようになります。

 日本を何とかしないといけないという視点で考えるようになるのです。

 でもそんな竜馬も、武市瑞山と考えが段々変わってきます。

 武市瑞山は自分達、郷士の身分を、時勢をチャンスに土佐藩内で上げようとして、やりすぎる事がありますが,竜馬はその考えに疑問を持ちます。

 山内容堂が藩主であるかぎり、武市達、郷士が土佐藩を動かすのは無理だと思っていましたし、攘夷の考え自体も、疑問を持ちます。

 20歳の時に、幕末のアメリカ漂流者、中浜万次郎を藩命で取り調べた高知城の絵師、河田小龍から欧米の事情を聞いていた竜馬は、この時点でもう、他の同志とは発想が飛び抜けていたのです。

 ただ攘夷をしようとしない幕府はけしからんでは、何の解決もしないと思っていたのです。

 それで竜馬は、土佐藩の枠、縁から抜け出します。

 土佐藩を脱藩すると、江戸に行き、江戸の千葉道場で住み込む事になります。

浪人になってしまうのです。

しかしこの時点でも、竜馬自身、自分が一体、何をすればいいのか、答えは出ていません。

そんな縁の流れに乗っていないのです。

 

          Θ「勝海舟の縁」Θ

そんな竜馬が飛躍するのは、江戸の千葉道場の世話になって、しばらくしてからです。

千葉道場の跡取り息子、千葉重太郎が、西洋かぶれで評判の幕府の役人、軍艦奉行の勝海舟を斬りにいこうと誘ったのです。

竜馬はその誘いに応じて、二人で勝海舟の家を訪ねます。

勝海舟という人間がどんな人間なのか、一つ見てやろうと思ったのです。

だけどそんな二人の思惑は、勝海舟に見抜かれ、二人は煙に巻かれてしまいます。

勝海舟は、「おれを斬りにきたのかね」と二人のどきも、を抜くと、世界からみた日本の現状を述べます。

具体にどうやって日本を、欧米からの植民地から救うかをいい、その為には、欧米と開港する事で、縁を持って、日本自体が欧米負けないぐらいの国力を持たないといけないといったのです。

しかしそんな勝海舟の正論も、千葉重太郎には通じませんでした。

千葉重太郎に斬られようとした時に、竜馬の「勝先生弟子にして下さい」というとっさの判断で救われたのです。

有名な話ですが、この時に勝海舟と坂本竜馬の師匠と弟子の縁が生まれます。

勝海舟は臨海丸という幕府の黒船で、実際に米国に行き、欧米を見ていますが、幕府の下級旗本として生まれているので、幕府を潰す事はできません。

自由に動く事はできず、自分の持っている知識や考えを、よほど竜馬が気に入ったのか、伝えようとします。

2,3日後に幕府の軍艦奉行である勝海舟は、面白い男で、一介の浪人である坂本竜馬に対して、わざわざ千葉道場にまで訪ねて、軍艦に乗せてやるといいます。

それに大喜びの竜馬は、軍艦に乗ります。

この瞬間、坂本竜馬は、勝海舟の乗っている縁の流れに乗り、幕末の英雄坂本竜馬は誕生しました。

もしこの縁がなかったら、竜馬は浪人のまま、一生を終わったかもしれません。

坂本竜馬は、勝海舟の元で、蒸気船の動かし方を習うようになるのです。

しかも勝海舟は、自分の持っている縁を、次々と紹介します。

福井藩の藩主松平春嶽や幕府の役人、大久保一翁などにも紹介します。

一介の浪人である竜馬は、絶対に縁を持てないはずの殿様や幕府の高級役人とも知り合いになるのです。

と同時に、そんな竜馬を訪ねて、土佐藩を中心とした何人かの藩人が訪ねてきます。

竜馬は、そんな土佐藩の知り合いである近藤長次郎、高松太郎、望月亀彌太、吉村虎太郎・・・など、多くの同志を勝舟の門下生にする事で力をつけます。

竜馬は自然に彼らの塾頭になる事になります。

蒸気船を動かせるグループのリーダーになるのです。

しかしそんな竜馬に試練はやってきます。

2年後勝海舟が、竜馬の助けを借りて創った神戸海軍操練所は、竜馬を中心とした、幕府以外の多くの人が参加しているという事で問題になります。

竜馬が縁で、神戸海軍訓練生で一緒に学んでいた土佐藩の脱藩者である、望月亀彌太は池田屋事件に参加しており、新撰組に殺されています。

それに怒った幕府は、神戸海軍訓練所を過激派の巣窟だという疑いをかけて閉鎖してしまいます。

竜馬は再び、行く所がなくなってしまうのです。

でも勝海舟は、そんな竜馬達の為に、薩摩藩の西郷隆盛を紹介します。

勝海舟は、竜馬に縁を引き継ぐ事で、自分のやりたい夢や志をたくそうとするのです。

そしてその縁は成功します

竜馬が西郷隆盛の事を「西郷というのは分かぬ奴だ。少したたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」というように、英雄はお互いの事を認め合うようになります。

竜馬は、勝海舟の縁の流れから、薩摩の西郷隆盛の縁に移ったのです。

 

    Θ「西郷隆盛の縁」Θ

 薩摩藩の世話になる事で、竜馬は始めて組織を持つ事になります。

 西郷隆盛らを口説いて、亀山社中、後の海援隊という日本で一番、最初の株式会社を誕生させます。

 薩摩藩にスポンサーとして、お金や船を出して貰って、長崎で、商社のように仕事をやり、儲けたお金は折半する事にしたのです。

 これで竜馬は自力で、自分の組織を持ち、縁あって頼ってきた人達の生活をみる事ができるようになったのです。

 また、この時から竜馬は倒幕に本格的に動きます。

 米国で一番偉い大統領は、選挙で、国民によって選ばれ、元大統領の子孫が何をしているか、国民の誰もが知らない世界が、欧米の国々だと、勝海舟から聞いた竜馬は、そんな国に日本もしようと理想に燃えています。

 身分差別がなく、誰もが自由に生きられる社会。

竜馬は、自分の夢である、亀山社中が世界に、商社として、羽ばたく為にも、今の日本の政治体制を壊そうとするのです。

そしてそんな竜馬が考えた事は、薩長同盟です。

禁門の変の戦いで、敵対した薩摩と長州という憎しみあっている二大雄藩の縁を結ぶ事で、一気に倒幕にエネルギーを向けようとするのです。

でもこれは簡単ではありませんでした。

同じような事を考えた、土佐藩の中岡慎太郎と合流した竜馬は、西郷達、薩摩の了解を得ると、長州の桂小五郎達を、口説きにいきますが、成功しません。

薩摩と手を結ぶと知れただけで、桂小五郎の首は飛びます。

しかも両藩は、お互いに不信感を持ち、思想的にも違います。

薩摩と長州が手を握る事など不可能だとされていたのです。

だけど竜馬は、その難題を、お互いに思想ではなく、利で握る事で、解決します。

やっとその気になった桂小五郎が、下関で西郷が来るのを待っているのに、それを西郷がすっぽかした時に、竜馬がある提案をします。

幕府の締め付けで、外国から鉄砲などの武器を買えない長州藩の為に、竜馬の亀山社中が薩摩藩の名義で買って、長州に渡すというものです。

実利でまず両藩を結ばせる事に成功したのです。

これでお互いの不信感を取り除いたのです。

その後,両藩を正式に結ばせようとしたのです。

しかしここで竜馬は、再び苦労します。

京都での薩摩藩邸の会場に、命がけで桂小五郎が来ているのに、薩摩藩は、薩長同盟の話をきりだしません。

お互いの藩の面子を重んじて、自分の方から言い出せないのです。

だからそれを遅れて来て知った竜馬は激怒すると、西郷に「薩摩も長州もない、日本の国の為だろう」と説得します。

竜馬の仲立ちで、薩摩と長州は結びつき、ここから一気に歴史の流れは倒幕へと進みます。

竜馬のやった最初の大仕事なのです。

と同時に、竜馬はその後も活躍します。

薩長連合が決まった後、伏見の寺田屋で幕府に命を狙われ、傷を負いながらも、何とか助かった竜馬は、助けてくれたお龍と結婚する(竜馬は紫陽花とは違って、他にも江戸では千葉重太郎の妹など、複数の女性と縁がありもてた)と薩摩で、日本で一番、最初に新婚旅行に出かけ、英気を養うと、すぐに次の行動をします。

幕府の長州征伐の時には、自らも海援隊を率いて、長州に船で乗り込むと、高杉晋作の奇兵隊と一緒に戦います。

見事幕府軍を破るのです。

でも竜馬が真価を発揮したのは、その後の船中八策や大政奉還でした。

薩摩や長州だけでなく、新たに加わろうとしている土佐藩でも、幕府から政権を取る事しか頭にないのか、その後どういった政権を作るのか、その青写真さえ持ち合わせていませんでした。

その中で竜馬だけが具体的な青写真を船中八策として提案したり、(明治新政府の五か条の御誓文になる)大政奉還で幕府を武力で倒す事しか考えない薩摩や長州に対して、平和的に政権を返上させようとします。

竜馬は、国内で争えば、英国や仏国、米国などの諸外国が、それを利用する事を明確に理解していました。

船中八策にしろ、大政奉還の考えにしろ、勝海舟や松平春嶽、幕府の役人、大久保一翁   が普段話していた事を、聞いていた竜馬が具体的なものにしたのです。

竜馬の中で、勝海舟などの縁は生きていたのです。

そしてその竜馬の策は、見事に当たります。

薩摩や長州からみれば、竜馬は裏切りものと思えたかもしれませんが、追い詰められた徳川慶喜は、大政奉還を実施します。

朝廷に政権を返上するのです。

こうして、竜馬は大仕事をやってのけます。

この時に幕府と薩長が争えば、諸外国の介入を受けて、大変な事になる可能性がありました。

竜馬は、薩摩と長州だけでなく、幕府との縁も結びつけ、日本を救ったのです。

だけど竜馬はここで短い命を終えます。

京都の醤油屋近江屋の宿に泊まっている所、暗殺されてしまうのです。

この竜馬を暗殺した犯人は、今だにはっきりとはしま せんが、近年、自分の祖先が竜馬を斬ったとかいう幕府方のある人物が出てきたりして、歴史上の謎になっています。

黒幕は薩摩や長州、いや土佐の後藤象二郎という説さえあり、はっきりしないのです。

ただいえる事は、天は竜馬を必要としている間は生かし、必要なくなったら、すぐに霊界に連れて行ってしまうと言うことです。

それが、天が人に与える縁なんです。

ですから竜馬がもし暗殺されなかったら、日本はどうなったのだろうとか、竜馬自身は、どういった人物になったのだろうかよくいわれますが、紫陽花自身には分かりません。

でも、これだけはいえます。

結局竜馬が死んだ後、薩長は幕府と戦い、幕府は敗れると、徳川慶喜は完全に姿を消しますが、日本は大政奉還によって朝廷に政権が返上されている事と、賢明な徳川慶喜の判断で、欧米の介入から逃れます。

日本は、明治になって、アジア諸国で唯一産業革命に成功するのです。

また竜馬の創った海援隊は竜馬の死後、倒産しますが、その意志は、海援隊の仲間で、弟子の一人、土佐の岩崎弥太郎によって継がれ、三菱になります。

役人になりたがらなかった竜馬は、政治家にもならず、世界の海援隊、三菱のような商社をつくっただろうといわれていますが、実の所、竜馬のスケールはあまりにもつかみ所がなくて、何ともいえないのです。

でもやはりすごい人物ですし、こんなに人との縁を上手に掴み、天の縁の流れにうまく乗った人物はいないと思います。

では皆さん、合縁で・・・・

平成121029

 

追伸、竜馬の活躍どうでした。

天から与えられた縁、見事に活かして、本当に昇竜の活躍ですね。

その一番の理由は、やはり、時代の大きな変革の流れに乗った事だと思います。

武市瑞山、勝海舟、西郷隆盛が持っている縁の流れに乗った事で、大きく羽ばたけたのです。

ですから、紫陽花もがんばりたいと思います。

しかしそうはいっても、では、今の紫陽花が、どんな位置、どんな本当の縁の流れに乗っているかといったら、まだまだ全然乗っていません。

これからの時代の流れは分かっています。

高度情報社会と本物の二つの流れです。

でもまだ紫陽花には、勝海舟のような運命的な人との出会いはないのかもしれません。

いえ、会っても気がつかないだけかな。

とにかく、まだ掴んでいないのは確かです。

だけど紫陽花にはM1や縁の花があります。

いざ、大変革の時代の、縁の流れに乗って、平成の海援隊を結成する時には、読者の皆様を、竜馬が土佐藩の仲間や他藩の人達を誘って、明治の流れをつくったようにできると信じているので楽しみにしていて下さい。 

 

 

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