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      縁の花

          (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第138号

             帝国の光

 

                  ∞「荒巻義雄」∞

紫陽花が、心から尊敬する人物に荒巻義雄さんがいます。

この方は、皆さんもご存知かもしれませんが、作家です。

つい最近まで、日本で一番売れていた、大ベストセラーの「紺碧の艦隊」20冊や「旭日の艦隊」16冊シリーズを書いているシュミレーション作家で、今も活躍しています。

多くの読者から支持されている、本を通して750万人ちかくの人と縁が持てるすばらしい人です。

しかし紫陽花が、荒巻義雄さんを尊敬するのは、ただ単に有名だからだけではありません。

紫陽花も昔、小説家になりたいと思って挑戦した事もありますが、紫陽花がおよびもしない分野を次々と開発するので、とてもこの人にはかなわないなと痛感しました。

「紺碧の艦隊」を始めて読んだ事の感動は、今も忘れません。

文章がうまいとかいうのではなく、「やられたな」と心から思ったのです。

というのも荒巻義雄さんと檜山良昭さんは、今、流行のシュミレーション小説、逆転小説の草分けです。

始めて開発した「紺碧の艦隊」の本で、新しい太平洋戦争を始め、新たな戦略で米国と戦う発想には感動しました。

そんな小説の道があったのかと思ったのです。

その上、荒巻さんは、「紺碧の艦隊」や「旭日の艦隊」の本の中で、現在の紫陽花達が、今、考えないといけないテーマをどんどん書いていきます。

空想の世界の物語ではなく、現実の世界の物語として、読む人にいろんな事を教えてくれたり、考えさせたりします。

紫陽花も才能があれば書きたかったです。

縁の花の第123号「太平洋戦争済度」、第130号「戦国時代済度」で書いた通りです。

と同時に、荒巻さんは、本の最後に掲載している読者日誌の中で、紺碧の艦隊や旭日の艦隊は、自分が書いているのではなく、あの当時無念にも死んでいった霊達が、現在の紫陽花達に、同じ轍を踏まないでというメッセージとして書かされていると書いており、紫陽花自身、荒巻さんの謙虚な気持ちには感服しました。

いつか縁があれば、会って話しをしたい人です。

しかし紫陽花が荒巻義雄さんを尊敬するのは、それだけではありません。

もう一つとして、荒巻義雄さんが捕らえている、未来、高度情報社会の姿があります。

はっきりいって、この感性には脱帽しました。

作家という情報社会の先端を走るお仕事をしている為か、その感性は的確で、紫陽花は常々、紺碧の艦隊や旭日の艦隊の本文よりも(本文は途中でマンネリしているのか読まなくなりました。ごめんなさい)、最後に書く荒巻さんの作家日誌の方に、注目するぐらいです。

紫陽花が、mgという所と縁を持って始めて、教わった高度情報社会の事を、荒巻義雄さんは、誰にも教わったのではなく、自分の感性で分かっており、つくづくこの人は天才だと思いました。

小室直樹さんと荒巻義雄さんは、紫陽花がもっとも尊敬する人物なんです。

だからその荒巻義雄さんが、1997年に8月に、幻冬舎から、まったく新しい小説として、西暦2025年に日本や世界が経験している、高度情報社会をシミュレーションした帝国の光という小説を書いた時は、嬉しかったです。

「やられた」という感覚ではなく、「さすが」という気持ちしか湧きませんでした。

 この本が紺碧の艦隊並に売れたら、高度情報社会を多くの人が理解できて、すごいことになるなあと思ったのです。

 でも帝国の光は、思ったようには売れなかったみたいです。

 シリーズ化を予定していたそうですが、もう一つだったみたいで、2巻で終わっているからです。

 この事は、紫陽花自身にも、紫陽花達が考えている未来の姿が、どこか違っているのだろうかと考えさせられましたが、帝国の光自体の価値は、紫陽花は今後益々大きくなっていくと確信しています。

皆さんにも紫陽花達、m1が創ろうとしている、新しい日本の社会は、どんな社会なのか。

 高度情報社会とはどういった社会なのか、一番、簡単にイメージしやすいと思うので、その帝国の光を紹介したいと思います。

 是非、縁を持って下さい。             

 

        ∞「帝国の光」∞

 帝国の光の物語は、西暦2025年春、神々の郷、出雲国の瑞穂ポリスの市長、大国君房の日々の活動を書いています。

 物語は、この大国君房市長を中心とした、出雲国の出来事を書いているのです。

 しかしそれは、2000年の今から考えたら、とても予想できない社会になっています。

 まず日本は、中央集権から、地方分権に変わり、大昔、ギリシャやスパルタなどが活躍していた各都市が自立しているポリス型連邦国家になっているからです。

 しかも瑞穂ポリスは、今の出雲市などの役所とは違って、株式会社になっています。

 市民は、市民鰍ニいうものを、一人、一株持つ事を義務ずけられ、株主になっています。

 市長は瑞穂ポリスの社長となり、市の管理者が取締役、市職員は社員となり、瑞穂ポリスを経営していかないといけなくなっているといいます。

 今の市長や役人のように、何の責任も取らないという体質から、ちゃんと経営しないと、株主として監視している市民が許さない、責任を持たされている体質に変わったというのです。

 本当に、2000年の今からみたら、とても信じられない社会ですし、たぶん、皆さんにもピーンとはこないと思います。

 でも高度情報社会というものと縁が持てば、それが全然空想の世界でない事が分かります。

 幕末の時に、明治の時代を、殆どの人が想像できなかったように、今の時代は急激に進んでおり、25年も経過したら、どうなるか誰にも分からないからです。

 ただ荒巻さんは、そんな社会になる根拠を明確に書いています。

 それが2005年に、日本が着々と進めていた電脳ネットとワーク社会が完成する事によって、超大変化が始まったからだというのですが、この事自体は空想でもなんでもありません。

 確実に、これは実現します。

 何故なら、日本の政府は、2005年までに日本列島全土に、光ファイバー網を引くと公約しているからです。

 これは森首相がit革命を推進するのを政策にしている以上、早くなる事があっても、遅くなる事はありえません。

 またそれがどういった意味を持つかといえば、インターネットなどをする回線量が、今とは段違いに大きくなるという事です。

 インタネットなども、リアルタイムで動画の情報が瞬時に送れるようになります。

 その上国民の誰もが、コンピューターを持つようにもなります。

 老人や子供でも操作できるぐらい、テレビを扱うぐらい簡単になっている訳です。

 そして荒巻義雄さんは、その瞬間から光世紀革命と呼ばれるものが、始まったと書いています。

 光世紀とは、ベンチャーの世紀、光通信、太陽光発電、グラスファイバー光導入技術などに支援された新時代を指すといっていますが、まさしくこの通りです。

 21世紀の最大のキーワードは、光だと紫陽花も確信していますが、荒巻さんもそう考えて、名付けています。

 正直いって、つくづく荒巻義雄さんは天才だと思います。

 だって2005年から始まった光世紀の時代コードは、博愛と理性、新科学と新合理主義。あらゆる情報が平等に共有される新民主主義の時代といえ、約2000年ごとに来るとされる、大変化、人類の未来像で、人類の社会はこれで激変したと書いており、紫陽花はさすがだなあと思わず唸ってしまったからです。

 というのも例えば、お役所の仕事です。

 今までの役所は、薬害のエイズ問題でも分かるように、証拠が紙という物に記載されているので、記録は隠されていました。

 膨大な書類が倉庫に眠り、彼らはサポタージュで秘密を隠していたのですが、光世紀、いったんすべての書類の電子化が法的に定められるならば、秘密は隠しようがなくなります。

 コンピューターの検索能力は抜群で、電子化された役所は、必要な時、市民はいつでもアクセスでき、必然的にお役所の仕事はガラス張りになり、支配の秘密はなくなるからです。

荒巻義雄さんは帝国の光の中で「光世紀とは、まさにそんな時代だ。光世紀の理念では、真の民主主義とは全市民に等しく情報を得るチャンスがあることをいう。支配階層(政治家・官僚・大企業の首脳が)が情報を独占的に所有できるような社会は、真の意味での民主主義ではない。と考えられている」といっていますが、まさしくそんな社会になれば、社会はいっぺんします。

 市役所だけではなく、政府の各役所、大蔵省なども、規制緩和が進んで権限を大幅に減らし、官僚も市民にどんな仕事をしているか、みられているので、余計な事はできなくなります。

 前世紀では時間のかかる事を意味していた「お役所仕事」は、今や光世紀では、「敏速」を意味するというぐらいに激変すると、荒巻義雄さんはいっているのです。

 しかも資本主義でさえ、光世紀になれば知本主義に変わるといっています。

 お金や土地を持っているよりも、知識と想像力が持っている事の方が、価値があり、それさえあれば、お金は有り余っているので、株式や社債によって、直接いくらでも集める事ができる社会になっているというのです。

 しかも知本主義になれば、「一極集中から多極集中社会へ」「消費から節約へ」「破棄からリサイクル」「大企業から小企業へ」とすべてのキーワードが変わるといいます。

 産業革命以のもたらした大量生産システムによって、欲望する人間は、物欲を満たし、物欲の虜になった人類が生み出した資本主義も、20世紀に消費社会に、バブルの崩壊や環境問題の悪化などで陰りがみえた時に、電脳ネットワークの完成で、市民がたちあがり、物欲の原理で動く資本主義から、知識欲で動く知本主義に移行した。

 すなわち、闘争、暴力、戦争、支配、物欲などの欲望の詰まった社会が資本主義だとしたら、知本主義は、共生、理解、平和、知識欲などによって動き、より崇高な時代、紫陽花がいう本当な時代になると予言しています。

 何故なら、資本主義は我々人間の魂を物欲のどぶに降下させるが、知本主義は人間の知識欲を高めて真理の明るみにわれらの魂を上昇させるからですが、紫陽花もどう意見です。

 知本主義になれば、今の何でもお金という精神で、環境を破壊する社会が、いろんな情報が得られる時間のゆとりに最大の価値を見出し、自然を守る社会に変われると信じています。

 その為に、紫陽花もm1で多くの仲間と新しい高度情報社会を創ろうと燃えているのです。

 

 

               ∞「社会の大変化」∞

 2005年に、日本全土の各家庭に光ファイバー網が引かれるようになってから、光世紀革命と呼ばれる、2000年に一度という大変化が始まり(2010年)、2025年には社会は大きく変わったという帝国の光という小説を、荒巻義雄さんが書いていると紹介しました。

 資本主義が知本主義に変わり、今、日本で一番ネックになっている役所なども大きく変わるのです。

 しかしそれは先程述べたように、大きな組織、政府や役所、大企業だけではありません。

 個人の生活も激変します。

 江戸時代、身分が固定されていたものが、身分がなくなり、誰もが自由に職業を選べ、ライフスタイルが変わったように、高度情報社会、光世紀になると、人々の生活も大きく変わります。

 それを荒巻義雄さんが、どう書いているか、今度は紹介したいと思います。

 というのも例えば、光世紀、知本主義社会では、今までの学歴社会は崩壊するといっています。

 若者の目標は、もはや有名大学志向でなくなり、己の頭脳資源を賭けての人生への挑戦、「知の冒険時代」、ベンチャーの世紀になるからです。

 何故なら、若者たちをして、飼い殺しにするような社会では国そのものが持たないし、高学歴高賃金の神話は崩壊しているからです。

 しかも優秀な若者達は、大きな組織に入るよりも、一人企業というような社長一人、株主一人のような会社や家族企業の会社を続々と、創るようになります。

 政府も今までの大企業を政策的に優遇する規制や税制を改めて、光世紀には、ベンチャー企業にとって有利な税制と融資、地域型小規模株式市場制度が実現しているからです。

 その上ネットワーク社会になれば、一人ではできない大きな仕事が発生すれば、多くのネットの仲間に連絡を取り合って、横の連帯で、それぞれ得意な所を合わせてこなせるようになっています。

下請けではなくて、横請けというような関係が確定しているというのです。

また一人企業を起こさないサラリーマンの生活も大きく変わっています。

自宅勤務さえ常識になっており、何時間働いたという時間ではなく、どんな仕事をしたかによる、仕事の質と量で、サラリーと「交換する」ようになります。

年功序列制度は見直し、廃止され、完全に年棒制度が定着しており、人は、能力によってこそ評価されなければならないという理念が大きく確立しているのです。

と同時にそんな社会は、いいことばかりでなく、努力しない人にとったら大変な時代でもあります。

手抜きやサボりは許されませんし、依頼心や依存心は社会が許さない、自己責任、自己救済が求められ、人々は自立するようになるのです。

国家でさえ、税金はまけます。その代わり、もう面倒はみないよという事になります。

老人の方でも、働ける人はいつまでも働いて貰えるような環境になり、能力さえあれば定年は関係ありませんが、働ける若者にとっては結構厳しいのです。

チャンスは一杯ありますし、何度もトライできるけど、挑戦しない人にとっては、住みづらくなっており、普通のサラリーマンという存在は消滅しているというのです。

しかも社会人になっても、勉強する、国民総学生化と呼ばれるように、いろんな専門学校が普及しています。

文部省も大幅に規制を緩め、学校は自由に何でも教えられるようになり、通信大学公開講座が普及して、ノーベル賞の受賞者の講義すら、各家庭で聴講できるようになっています。

労働は(賃金/時間)ではなく、労働の質である光世紀では、質を高めるためには,終生、勉強をつづけ、各自は己の能力を高めないといけなくなっており、政府としても、世界最高水準の頭脳を集めた国が、最終的に勝利者になるので、記憶ではなく、知識というものに重点を置くようになっている訳です。

そしてそんなふうに書いていけば、農業も大きく変わっています。

今の補助金行政は廃止され、国は介入しなくなりました。

農家は自己の責任で、生産し、新しい流通に流すようになるようになり、消費者も、光世紀消費者の観念革命というもので、農薬が使われていない、周辺のあえて胡瓜は曲がったものや、葱や牛蒡は泥が付いたものを食べるようになった事で、そんな生産者を支えるようになったからです。

消費者と生産者がネットワークで直結することで、可能で、帝国の光では人口増加と環境問題で、世界的に食料危機が起きた時が、きっかけで米国の農業政策が大きく転換した事で、日本の農業は復活したと予測しているのです。

と同時にそういった大変化は農業だけでなく、家庭にも起こっています。

今まで元気のなかった父親の地位が上がりました。

光世紀は個人の時代で、国に頼る事無く、いかに子供を育てるかという事になり、何から何まで自分で責任を持ち、始末をつける生き方というものを、人々は、若いうちから習得する必要があり、俄然、父親の地位がクローズアップしました。

これと光世紀に入ると、富への妄執から「人生とは何か」「生活とは何か」と幸せの究極を考えるようになった事が重なって、父親の地位が復権したのです。

また原郷帰還運動というものが起こり、大都市から地方への大移動も起こりました。

近代経済は,農村の人口を吸い上げる事で発展しましたが、電脳ネットワーク社会では、中心地の観念は死語となります。

東京でなくても、有名になれ、最新の情報を得らますし、仕事もパソコンさえあれば家庭でもやれるからです。

何よりもお金よりも、光世紀の支配する価値観は、時間のゆとりや幸せに生きるというものに変わり、人々は暮らしやすい田舎、新田舎に引っ越すようになったのです。

そしてこのような感じで、何もかもが変わりました。

紫陽花が高度情報社会になれば、医療も、学校も、生き方も、人口も、すべて変わるといったようにです。

帝国の光の本では、何と日本の人口の5分の1は外国で暮らすようになっていると予想していますし、外国からでも、遠隔療法で、日本の医者にみて貰えるようになっています。

 そんな帝国の光の世界が、もうすぐやってくるのです。

 

                 ∞「市民革命」∞

荒巻義雄さんの「帝国の光」の本では、2025年  までに、日本も世界も、これぐらい激変します。

これはSF小説ではありません。

先見性のある人がみれば、予測できる的確なシュミレーションです。

紫陽花が勉強している高度情報社会とも大筋の線で一致します。

海外の有名な、p・f・ドラッカーやアルビン・トフラーなどもいっていることですし、日本でも堺屋太一、竹村健一などがいっています。

賭けてもいいです。大筋で時代はかならず、帝国の光のような世界に進むのです。

しかしここで紫陽花が、荒巻義雄さんはすごいと改めて思うのは、こういった今までの近代文明から、新しい社会に移行させた原動力、中央集権を壊し、日本中に1000個ちかくの各ポリス都市を造ったものが、2010年頃に起こった市民革命と呼ばれるものだと予想していることです。

これには正直脱帽です。

何故なら、その市民革命を起こしたいと思っているのが、紫陽花達m1の構想だからです。

というのも帝国の光の本には、さすがに出て来ませんが、紫陽花は何もない所から、急に市民革命は起きないと思います。

そこが帝国の光のシュミレーション小説としては少し苦しい所というか、難しい所で、紫陽花は帝国の光のような世界を創るには、平成の志士と呼べる、市民の中から、正しく時代代を先導していく知的集団が出て来ないと不可能だと思っています。

最初に声を出して、命がけで立ち上がるネットワークを持っている人達です。

これを荒巻義雄さんは、帝国の光の中で、納税者の反乱と捕らえています。

日本の政府の累積債務は、赤字は膨らむ一方で解消せず、地方分権になれば、今度は地方が、中央と同じような事をする現状に呆れた住民が、立ち上がり、ついに直接民主主義革命が起こったと推測しています。

これは暴力ではなく、「国民が政治に目覚めたわけでもない。政治家と官僚に怒ったわけでもない。「ノン」をつきつけたわけでもない。ようするに、見捨てたのだ。うんざりしたのだ」というものです。

国民が、権力をわが手に取り戻せ、税金の使い道は、直接、国民が決めるという、静かな革命が起こったのです。

ようするに国民大衆・庶民の間に、権力の座にいる者たちとの特権性を、絶対に許さないという気分が広がり始め、戦後民主主義の転覆ではなく、偽制民主主義をして、本義民主主義の確立を目指して、「もう中央国家はいらない」「政治家や役人の懐に消えてしまう税金は、絶対に払わないぞ」「我々自身のアウタルキー国家を作ろう」とさけんで、主権を官僚達から取り返したのです。

それが光世紀革命と呼ばれるものだそうですが、紫陽花は決して夢物語ではないと思います。

高度情報社会に突入したら十分可能ですし、紫陽花は、そんな社会を創る為に、m1の活動に燃えているのです。

でも、その反面、こういった社会を創る事は大変でもあります。

帝国の光では、光世紀時代は、決して安定した世界ではない。

光強ければ、影もまた濃いといっているように、いろんな抵抗は予想されるからです。

理想は、sf作家、アーサー・c・クラークがいったように、「世界中の人々がそれぞれ細胞となり、一つの生き物のように、神経繊維つまり電脳ネットワーク系で結びつくような時代」「幸せがあればこれを共有し、悲しみがあれば共に分かち合い、その痛みを共に分かち合う時代」になると思いますが、どうなることやら、本当の所は、誰にも分からないのです。

何しろ、地球人は、まだみた事も、経験した事もない社会を創るからです。

だけどこれだけはいえます。

これはごく限られた一部の人や、紫陽花達m1だけでできる事もありません。

一人でも多くの市民が、同じ情報や価値観を持って、ネットワークで結ばれた時、始めてできるのです。

2010年まで、後10年ですが、紫陽花もできるかぎりの事をしたいと思いますし、皆さんにも、是非、一度、帝国の光の本を読んで欲しいと思います。

 

 

追伸、高度情報社会、帝国の光の本に付いては、まだまだ書きたい事があります。

何しろ、紫陽花の一番の夢だからです。

何としても、次の世界、高度情報社会がどういった社会なのか、見届けるまでは死ねません。

幕末の志士達も、たぶん同じ気持ちだと思います。

また皆さんの中には、紫陽花がよく書いている本当の社会と高度情報社会は、一致しないのではないか。

矛盾している面があるのではないかと誤解している人もいるかもしれませんが、そんな事はありません。

見事に一致します。

というのも例えば、世界平和の面でいえば、帝国の光では「世界の富は一部の諸先進国家間で分配できたが、21世紀では世界が均等化し始めたのだ。これこそが21世紀世界の趨勢である」と書いています。

世界平和が実現する。

光世紀では荒巻義雄さんは日本国憲法どおり、昭和天皇の意志だった、世界が戦争を止め、世界の富を仲良く、世界の人々みんなで分けましょうという世界になっているというのです。

 本当にそれが実現したらいいと紫陽花は願っています。

 しかも神様の関係でいえば、荒巻義雄は敗戦による価値観大転換で、日本固有の神々は葬り去られた。代わって、日本の心に棲みついたのは物欲の神だった。

だけど奇妙と思われるかもしれませんが、光世紀日本では、日本古来の神々が蘇っているといっています。

 光世紀、高度情報社会は、科学一辺倒、お金などの物質だけでなく、目に見えないもの、妖怪とか、魂や心も大切にする時代になるといっているのです。

 その上環境問題でいえば、20世紀の国家間どおしの戦争は、最大の資源が、石油などの化石エネルギーから、人間の頭脳になった為に、極端に減り、光世紀の戦争は、自然破壊、環境保護になったと書いています。

 自然破壊が急速に進み、大国同士が覇権を賭けて戦争をする余裕はなくなり、戦争の定義は、次第に、地球環境防衛戦争になりつつあるといっています。

 紫陽花は自然と戦う、戦争するという考えには反対ですが、人類が本気で、自然と共生しようとするのは大歓迎です。

21世紀自然は、紫陽花達の予想よりも、遥かに悪化しているかもしれないけど、紫陽花は高度情報社会になれば、共生できると信じているのです。

 是非、皆さんにも、一緒に夢を持って欲しいと思います。

最後に、何故帝国の光というか、書いて終わりたいと思います。

というのも、帝国なんていうと、たぶん、独裁者の国家をイメージして、皆さんの印象もいい事はないと思います。

でも、荒巻義雄さんのいう帝国とは、独裁者の事を指しているのではなく、皆さん、一人一人がインターネット上で帝国を持っている事を意味しています。

というのも昔の中国の帝国、隋や唐、などでは国境というものははっきりしませんでした。

一人の皇帝の意志を発信できた所、皇帝の威光の及ぶところが帝国だったのです。

ですから、今、すべての人は、インターネット上で、自分達、一人、一人の帝国、全世界という領土を持っている事になります。

何故なら、インターネット上では、たとえ無名の君であろうとも、君の声はあまねく世界の果てに届きますし、インターネット帝国では、万人にも皇帝の即位が許される、一人、一人が皇帝になれるからです。

それは東芝のホームページ事件などが証明しています。

どんな無名な人でも、その人のいっている事が正しければ、それは日本中や世界中の人に知られ、大きな影響が持ちます。

東芝のホームページ事件では、消費者に対して、応対の悪いサービスマンの声を録音したものをインターネット上で流しただけで、東芝に苦情が殺到し、ついに副社長がマスコミに登場して謝る事になりました。

応対の悪かったサービスマンは首です。

これ一つ、みても、一人、一人がインターネット上の帝国を持っている事が分かります。

その人のいう事が、本当だったら、時間がかかっても、全世界に届くのです。

そして紫陽花も、縁の花という帝国を、今、持っています。

37号で、天下のマイクロソフト社に対してでも、いいたい事はいっていますが、誰もが皇帝だという自覚を持ったらいいと思います。

今後の縁の花帝国の活躍に期待していて下さい。

ではこれで。・・・・

 

    

       

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