縁の花

       (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

               第143号

       河内晢先生の体験談

                   ∞「体験談とは」∞

 縁の花第140号「霊界通信」が好評です。

 長年書きたかったものなので、紫陽花自身書き上げた時は嬉しかったですが、済度の仲間にも好評でした。

 欲しいという人には、何人かに差し上げましたし、済度の仲間以外でも、夜中時間を忘れて読みましたという感想をくれる人もいます。

 この第140号の価値は、21世紀の時代が本格的に始まれば、本当にすごい事になると確信していますが、とにかく天から与えられた一仕事を終えた気分です。

 後は、時代が第140号『霊界通信』の花を大きく咲かせてくれると思うのです。

 また、そんな感じでいえば、今回書く、第143号「河内晢先生の体験談」も紫陽花が、長年書きたかったものです。

 それがやっと21世紀になってから書けるという事に、時代の流れを感じますが、紫陽花は本当に素晴らしいものにしたいと燃えています。

 というのも今後、河内先生を世に出させて頂くお仕事をする意味でも、霊言と同じように体験談も本当に大事になってきます。

 それをインターネットでみたり、縁の花の雑誌で読んだりして、河内先生と縁を持とうとする人がたくさん出てくると思います。

 これといったものは何もない、河内先生のグループの人達にとっては、霊言と同じで、体験談は、貴重な財産なんです。

 それを紫陽花が書かせて貰える。

 これも本当に光栄な事、魂の誉れです。

 しかも河内先生の体験談も、霊言と同じように、数に事足りません。

 皆さんがびっくりするような体験談が無数にあります。

 紫陽花は、たぶんインドのサイババや、清里の知花先生もびっくりと思いますが、面白いものや信じられないものがたくさんあるのです。

 その上に、紫陽花が感心するのは、河内先生の体験談は、河内先生と縁がある人には、すべて、それぞれに与えられている事です。

 河内先生は、なかなか分からない済度の事を、「先生分からして下さい」と念じていると必ずその人に合った方法で、分からせてくれる体験談を与えてくれます。

「先生はただただすごい」と・・・

それを霊界がお膳立てをしているのか、河内晢先生が仕組んでいるのかは分かりませんが、本当に見事です。

 長年、縁を持ってきた紫陽花も、感心しますが、今回の縁の花では、その体験談の中でも、紫陽花とみじかな読者のものや、紫陽花が側で聞いたり、みたりしたものを披露したいと思います。

 

                 ∞「いろんな体験談」∞

 河内先生の体験談ですが、実に様々なものがあります。

 一番多いものは、やはり病気が治ったという体験談ですが、重病のガンなどで明日をもしれないと言われていた人が、何人も助かっていますし、河内先生にエネルギーを貰った事で、相手の痛い所に、手をかざすだけで治す事ができるようになったという人もいます。

 済度にとって必要なら、どんな重病でも治せるし、誰にでも、河内先生は、病気を治させる事ができると言うのです

 また仏像などの物に河内先生が、光、エネルギーを与えた事で、そのものが意志を持ったのか、顔が変わったり、動いたりした事もあります。

 京都でマスターと呼ばれている桝本さんは、始めて会う人には、熱心に体験談を話してくれますが、桝本さんの家の仏壇にある小さな仏像に、河内先生が一念帰命をした事で、仏像の顔が変わったという体験がありますし、実際、西養寺という寺では、大きな掛け軸の絵が動くと言う事で、テレビでも取上げられて、多くの人がみに来ていたのです。

 河内晢先生は、そういった縁で、済度の縁に人をつかせたり、信じさせたりしているのです。

しかし紫陽花は、実は、あまりこういった奇跡的な事は好きではありません。

 病気が治るといった場合も、その時は「命が救われたとありがたがっても」治ってしまったら、もうけろっと忘れてしまって済度に来なくなる人が殆どだし、奇跡的な事も、それが薄れてきたら、もう来なくなります。

 あまり縁と言う事で、考えたら、奇跡体験は、最初は強烈でも、続かなくなるのです。

 でも河内先生の体験談は、そういった奇跡的なものだけではありません。

 多くの霊に頼られたり、憑依され、どこの霊能者でも救う事ができず、長い間困っていた人を、河内先生と一度合う事で、あっさり救い、済度のすごさを実証したり、一念帰命をする事で、額の第3の目と呼ばれている所に、河内先生の光、強烈なエネルギーを入れる事で分からせるケースも多いです。

 というのも、一念帰命をして貰った時に、エネルギーが入った事が分かった人なら、縁の花の読者に何人もいますし、もっと強烈な体験をした人もいます。

自分の魂が本当に喜んでいるのが分かったのか、突然泣き出した人もいます。

その人に付いていた多くの先祖霊や背景のいろんな霊達が、一念帰命で一気に救われ、多くの霊達の喜ぶ姿が見えた人や、感謝して握手攻めにされたという人もいます。

この一念帰命は、分かる分からないを別としても、して頂いた人の魂や背景の霊達を救って頂き、過去にしてきた因縁を、すべて取り除いてくれるという、※1この世の中で最高のものだそうですが、殆どの人は、そのすごさも分からなくても、講演会で、十人以上の人が一度に受ければ、必ず何人か分かる人が出てきます。

河内先生が、分かる人もいるようにしているそうですが、必ず何かを感じたという人はいますかと尋ねたら、手をあげてくれるのです。

       1さらに未来永劫輝かしく、死ぬ時も苦しまず(肉体と魂がスパッと切り離せる為)次に肉体を持つ時も、苦しまずに生まれてこれるというすばらしいものです。

だから紫陽花には、一念帰命に、そんなとてつもないすごい力はあるとは、断言できないけど、

ある程度のエネルギーはあると信じています。

河内先生の言葉を信じて、一人でも多くの人に、一念帰命を受けて貰う事が、紫陽花がしてあげられる最高のプレゼントだと思っているのです。

 また、他にも素晴らしい体験談があります。

河内晢先生が夢に出てきたりするケースも多いです。

ある人の夢の中では、ぼろぼろの衣装を着た河内先生が、涙を流しながら、たった一人で「南无阿弥陀佛」を訴えている姿が出てきて、先生の気持ちがやっと本当に分かったといって、済度の縁に本格的についた人もいますし、黄金に耀いている河内先生の姿をみた人や、済度の縁から離れようとしている人に、「紫陽花は絶対にはなさないよ」と、いくら本人が逃げようとしても、河内晢先生が後を追いかける夢をみた人もいます。

その人も、その夢をみた事で、もう一度、済度を続ける気になったのです。

と同時に、夢ではなく、河内先生が書いている文章や写真、河内先生の本を読んだ瞬間、本人の魂が分かって、1ヶ月間、何故だか分からないけど、涙が止まらなかったと言う人や、どうしてか分からないけど、河内晢先生に会った帰りから、笑えて笑えて仕方がなかったという人もいます。

肉体意識では分からなくても、魂がものすごく喜んでいるのです。

しかも、河内先生は、済度の為なら、周りの環境さえ整えてくれます。

お金もないのに、何故か金沢に行く分のお金だけは不思議と手に入るといって、毎日、三重県から金沢に車で通っているすごい女性が二人もいますし、京都の人達は、主婦で、普通なら金沢に絶対に1週間に1回も通えるはずがないのに、家族の理解ができて、通えるようになったという人も多いです。

河内先生は、本人の周りの人の心を、済度に協力するようにできるというか、家族の人達の魂も、本来は協力したがっているというのです。

またその上、河内先生は、絶対にありえない偶然の縁をつくったりします。

古くからの友人に、偶然、済度を通してあったり、済度の縁に付いた人が、済度と関係する土地にやたら住んでいたりもします。

息子の恋人が、済度の縁の人で、全然知らなかったという人もいます。

本当に不思議な縁で、見事というか、神業としか紫陽花には思えません。

河内晢先生か、霊界が、全部お膳立てをしているとしか考えられないのです。

ですから紫陽花は、河内晢先生は、どんな人にでも、天の目に見えない力で、それぞれの人に合った千差万別の方法で、必ず済度の重要性を分からせる体験を与えてくれると確信しています。

そう河内晢先生を信頼しているのです。

その上、その体験談は、済度の縁につく、最初だけでなく、済度でがんばっている人達に対しても、必要なら、いろんな体験談を何度も与えられています。

 目的は済度の縁につけるように、済度をがんばれるようにする為で、紫陽花からみても、とてもじゃないけど信じられないと言うものもたくさんあります。

 正直言って、どれから書いたらいいか、どの人から書いたらいいか、困るぐらいあるのです。

 だけど、その中で、まず一番、最初に、皆さんに紹介したい体験談は、実は、紫陽花の体験談です。

 皆さんに、紫陽花の体験談から、聞いて欲しいのです。

 

                   ∞「紫陽花の体験談」∞

 河内先生の体験談ですが、実は、紫陽花には、皆さんに対して、披露できる体験談というものが、あまりありません。

 最初に河内先生に一念帰命を貰った時も、全然感じませんでしたし、河内晢先生の話にも別段感動しませんでした。

 紫陽花に取っては、殆ど知っている話で、紫陽花の魂が、この縁につけて、心底喜んでいるとも思えませんでした。

 はっきりいって、河内晢先生の存在は、今までに縁を持ってきた、笑顔共和国や地球村と同じ本当のものの一つだったのです。

 いえ、それらよりも評価は低かったと思います。

 また、その後も、別段、驚くような体験もありませんでした。

 夢に河内晢先生が出た事も、今までに一度もありませんし、有縁の死者霊、幽霊も一度もみた事もありません。

 人に伝えられる体験談といえるものは一つもなかったのです。 

 だから、紫陽花は今から考えても、よくこの済度の縁を続けられたなあと感心します。

 あの当時、平成6年の1月頃は、河内先生の講演会もありませんし、左脳で考えたら、何かの宗教としか思えませんでした。

 紫陽花が、この済度の縁を続けられた事こそ、本当に奇跡と呼べると思います。

 お金もないのに、よく金沢にたまにでも行けたと我ながら、少しだけ自分を誉めてあげたい気持ちなんです。
 でも、今から考えたら、紫陽花の魂は、この済度の縁を求めていたと思います。

 紫陽花自身、知らず知らずの内に、ある大きな悩みを救われていたし、河内先生自身も、嫌いではありませんでした。

 河内先生は、あの当時は、本当にぼろ屋に、多くの子供さんを抱えて、奥さんや亡くなった母である外代子さん、亡くなった長男の宏紀君や長女のゆかちゃんなどが、家族ぐるみで、済度をしており、その姿には感動していたのです。

しかも紫陽花には、何よりも、すばらしい済度の仲間の縁がありました。

 金沢に行くと、皆さん歓迎してくれ、女性人の方は特に優しかったですし、京都の大平恭子さんを中心とした、女性人の人達も、紫陽花を済度の仲間として受け入れてくれて、安く金沢にも連れて行って貰いました。

 自分の意志で金沢に行くと言うのではなく、誘ってくれる縁があったから、半信半疑ながら続いていたというのが真相です。

 いろんな済度の人の縁を十分、与えられており、紫陽花には強烈な体験談は必要なかったのです。

 しかしそんな紫陽花も、済度の仲間と縁を2年ちかく持っている内に、やっと縁の花で、河内先生を取上げる気になりました。

 縁の花を書き始めたのが、平成5年の11月ですから、考えたら、書き始めて、すぐに河内晢先生との縁を頂いていたのに、その事の重要さに気が付かず、やっと2年半以上も経過した、平成8年5月17日に、紫陽花は第63号、「河内晢」を書き上げたのです。

 そしてその時から、紫陽花はいろんな縁の体験を頂く事になります。

 というのも最初に書いた第63号、「河内晢」では、富山の藤井さんと繋がりましたし、二回目に河内晢先生の事を書いた第74号「健康の話」ではあの笑顔共和国の福田純子大統領とも縁ができました。

 藤井さんは金沢で、福田純子大統領は、京都で、わざわざ会ってくれ、本当に喜んでくれると、自分の仲間に縁を広げてくれたのです。

 ですが正直、紫陽花にはこれは驚きでした。

 いくら河内晢先生の事を書いても、誰も関心を示さないと思っていたのです。

だって有名な笑顔共和国や地球村の事を書いても、読者の人が、それで縁を持ったという事が、殆どなかったからです。

それが、河内晢先生だと、誰も書いていないという事もあって、新鮮味もあるのか、いろんな人が、関心も持ってくれるのです。

だから、紫陽花は、縁の花として、河内先生の事を書く事に重点を置きました。

今まで縁の花を書いていても、今一つ目的がはっきりしなかった縁の花も、河内先生を世に出し、展望を開くという大きな使命、志を頂きました。

どんな大金を貰っても比較にならない、一番必要な、この世で最高のもの。

縁の花を書いていて心からよかったと思える体験、醍醐味を、いつの間にか河内晢先生、天、霊界から頂いたのです。

と同時に、紫陽花は、藤井さんや福田純子大統領との縁に、眼にみえない世界、霊界からの応援も感じました。

霊界が、この縁を作ってくれたとしか思えなかったのです。

しかも、河内先生の事を書き出してから、紫陽花の魂は、河内先生の事を書きたがっている事も、何となく気付きました。

他の本当のものは、書いても1号か、2号なのに、河内晢先生の事なら、いくらでも書ける気がします。

魂が喜んでいる気がするのです。

ですから紫陽花は、縁の花で、河内先生の事を、できるだけ書くようになり、今度は新たな体験を頂き始めました。

読者の中で、いよいよ京都の川北雅子さんや、加古川の山口祐介君、大阪の神園社長、姫路の梁本敬子さんなどの、後に大活躍してくれる人と、どんどん繋がっていったのです。

今から考えても、この頃が、縁の花が一番活躍した時期ですが、分からないという人も多かったですが、川北さんや山口君などの分かる人には、いろんなすごい体験談があり、それを聞かされた紫陽花自身も、本当に驚きました。

紫陽花が紹介した人達の体験談を聞く事で、紫陽花自身も河内晢先生に対する理解を深めるという、本来なら逆の体験を貰ったのです。

と同時に、そんな紫陽花も、川北さんなどの体験談を聞く事で、少しは意識が高まったのか、やがていろんな体験も頂きました。

その一つが、急に理由も分からないまま、右肩が上がらなくなってしまったのを、金沢の済度で、すぐに治したという体験です。

医学的には、右肩の捻挫と言う病気になりますが、仕事場で重いものを持った訳ではなく、地球村のMMの帰りになったという事に、お医者さんも不思議がっていましたが、最低、治るのに10日間は必要だといわれたのです。

でもそんな肩では仕事になりません。

困った紫陽花は、迷わずに、金沢に行き、済度をする事で治しました。

今でも不思議ですが、二日間、済度場で済度をしている内に、何もしていないのに、肩が治っていたのです。

しかも一度目は済度が終わった後、肩が上がるようになったのに、しばらくすると上がらなくなり、二回目の済度が終わった後、恐る恐る上げたら上がったというものでした。

これには大阪に帰った時に、医者に診断書を貰う為に、みて貰いましたが、医者もびっくりしていました。

医学的にみてもこんなに早く治るはずがないのです。

だから、紫陽花は小さな体験談かもしれませんが、素直に河内先生に感謝していますし、済度の大切さを、頭ではなく、身体で分からせて貰えたと思っています。

肩が上がらなくなったのは、紫陽花の身体の中で、順番に待っている有縁の死者霊が、紫陽花の済度に対する意識不足の為に、たくさんの救い残しがあるので、不安をもって「早く、私を救って」と、急ぐ事で、大きく順列が乱れたからであり、治ったのは、紫陽花がこの事で、済度を少し理解したので、元のように順序よく並ぶようになったからである。

要するに、もっと皆さんに分かりやすく、簡単にいえば、右肩の捻挫は、救えなかった有縁の死者霊がたくさん紫陽花の肩に頼ってきたからであり、一瞬の内に、肩が上がるようになったのは、済度をする事で、河内晢先生に有縁の死者霊を救わせて頂いたからである。

紫陽花には、河内晢先生のいうように、一回の済度で、何千体、何万体も救えるのかは分かりませんが、少なくても、ある程度の有縁の死者霊は救えるという事が、はっきりとした形で、肉体を通して分からせて貰えたのです。

と同時に、その体験は、紫陽花に取っては本当に大きかったです。

それ以後何回か起きた河内晢先生や済度に対して、疑問や不信がでる度に、右肩の痛みの体験が出て来て、少しは打ち消してくれていたからです。

また、紫陽花自身も、何となく有縁の死者霊に頼られているという感覚も分かるようになりました。

眠たくなるとか、肩が以上に凝る、身体が重いとか、顔が火照るといった現象ですが、気のせいといわれたら反論できないけど、今、たくさん有縁の死者霊が来ているなあと、感覚で分かるのです。

ただし、この事はろくでもありませんし、有縁の死者霊もみた事もないので、紫陽花の錯覚、思い込みかもしれないけど、紫陽花は自分を頼ってきてくれる有縁の死者霊をかわいく思えるようになったのです。

しかもぞっと頼られた時もあります。

金沢に行く電車の中や、帰りの電車の中では殆ど頼られていますし、超能力者の萩原直樹さんや神園社長と金沢に行った時は、河内晢先生の家に着いたとたんに、気分が悪くなり、萩原直樹さんから、「今、たくさんの有縁の死者霊がきましたネ。紫陽花も感じました。岩谷さんは感性が高いですネ」と誉められた事もあります。

つい最近でいえば、神戸に住んでいるある人と「阪神大地震」の話をしていた時に、頼られて気分が悪くなった事もあります。

それらの体験を通して、紫陽花も有縁の死者霊の存在を信じられるようになったのです。

だけど、紫陽花が、やっぱり、河内晢先生から頂いている一番の体験は、いろんな形のすばらしい縁の体験です。

というのも「縁の花」で河内先生の事を書いていたら、今でも、必ず、会いたいという人が、何人かは出てきます。

川北雅子さんや山口祐介君程ではなくても、もう60名以上の人は会ってくれていますし、何人かの人を紹介してくれたり、金沢に行ってくれたりする人もいます。

それらの縁を通して、河内先生の済度の展望を開いたり、多くの人の魂や、膨大な数の有縁の死者霊を救わせて頂いており、縁の花の成果として、ものすごい充実感を与えて頂いています。

天の意志、霊界の応縁がなかったら、こんなに多くの人と縁ができないだろうと思うのです。

ただ、そうはいっても、正直言って、河内先生の済度の道は、結構難しくて、続かない人が多いですが、紫陽花はそこにも大きな願いがあるような気がします。

いつかは、すべての人が分かってくれ、あの時に、河内晢先生との縁を持ててよかったと喜んで貰えると信じているのです。

と同時に、河内先生の済度の縁を通して、一杯貰った縁もあります。

全国で済度をガンバッテいる人達だけでなく、いろんな分野で活躍している有名な先生達とも縁を頂きました。

天皇の真実の河内正臣さん、予言者で有名な広瀬謙次郎さん、本当のものを世に出している、深野一幸博士、潜在意識開発の小林充先生などたくさんいます。

どの先生にも、縁の花を送らせて頂いているのです。

そういった縁の体験、普通なら縁を持てない人達と、不思議な縁を頂いている。

これも、紫陽花が河内先生に頂いている、すばらしい縁の体験の一つです。

 

              ∞「川北雅子さんの体験談」∞

川北雅子さんと紫陽花が縁を頂いたのは、京都での知花先生の講演会が、きっかけでした。香雅耶希(かがやき)という川北雅子さんが作っている組織が、主催をしており、紫陽花は

そこに参加する事で、川北雅子さんという京都でものすごく耀いている女性の存在を知りました。

 その1ヵ月後、レインボーの水出文啓さんを招いての勉強会があり、紫陽花は参加する事で、川北雅子さん達と話をして、縁の花を送らせて頂く事になったのです。

 しかし雅子さん(本人の希望で皇室の雅子さんと同じ名前で書く)との縁は、それ以上は発展しませんでした。

 1年に1回ぐらいある京都での知花敏彦先生の講演会に、縁の花で案内のチラシを配る事で協力する程度の関係でした。

 縁の花で何回か書いている河内晢先生の号にも、雅子さん自身、さっぱり関心を示さないので、それ以上は発展しなかったのです。

 だから紫陽花自身、関心を示さない人には、こちらから無理に勧めるつもりはないので、そのままだったら、たぶん、雅子さんは、河内晢先生と縁を持つ事は一生なかったと思います。

 例え、別な形で合えたとしても、ものすごく雅子さんの魂の計画は遅れたと思うのです。

 だけど縁とは不思議です。

 福田純子大統領との縁が成功して以来、大平恭子さんを中心としている京都の済度を、大きくさせたいと強く願い始めた紫陽花が、真っ先に思い浮かべた人は、雅子さんでした。

 京都では、本当の世界で知らない人がいないぐらい有名な雅子さんには、唯一こちらから、「是非、会って欲しい人が居る」とお願いして、快く、京都済度の時に、河内先生に会って貰えたのです。

 しかもその次の日には、大阪の神園充生社長、翌日は、姫路の梁本敬子さんが、河内晢先生に会われるという、紫陽花に取っては3連ちゃん、パチンコでいう777でした。

 河内晢先生にも、分かっていたのか、今までに一度だけ、頭をなでと貰えましたが、本当に済度にとっても画期的な三日間になりました。

 この日の後、すぐに宏紀君が亡くなった事を考えても、決して偶然ではなく、霊界や河内晢先生の大いなる計画だったと紫陽花は確信しているのです。

 と同時に、この事は、霊界や、霊言に出てきたお亡くなりになった雅子さんの夫、川北秀夫さんの霊が仕組んだ事だと思います。

 特に、川北秀夫さんの霊は、相当、紫陽花に「雅子、雅子」と囁き、雅子さんにも「河内晢先生、河内晢先生」と囁いたりしていたと思いますが、河内先生の出会いは見事に成功しました。

 平日の金曜日だったので、紫陽花自身は、雅子さんが受ける、肝心な一念帰命の場面に立ち会えなかったのですが、夜、京都済度で会った時には、雅子さんは、すごく喜んでいました。

 最初、大平さんの家に入った時は、周りの雰囲気で、「宗教じゃないか」と紫陽花に騙されたと思ったそうですが、河内晢先生の一念帰命を受けた時に、額からものすごいエネルギーに入ったのが分かり、魂で喜んでいるのが分かったのです。

 しかも、河内先生に対しても、一体誰が先生なのか分からない、決して飾ろうとはしないお姿に、「これから世に出る先生は、河内先生のような方だ」と確信も持ったみたいです。

 紫陽花自身びっくりしたのですが、雅子さん自身、本当のものを求めていたのか、河内晢先生の教えを素直に受け入れて、新しい雅子さんが誕生していたのです。

 そしてそんな雅子さんには、紫陽花が驚くような、体験談が次々と与えられました。

 まず、河内晢先生と会ってから、魂のカセットにスイッチが入ったかのように、『「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい

 という言葉が止まらなくなった』から始まり、「川北家のご先祖様が喜ぶ姿が分かる」ともいいました。

 天国での段階が、雅子さんが一念帰命を貰ったことで、何ランクがアップしたのを感じるというのです。

しかも、電車の中で、『「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」といったら、窓の外で順番に待っている多くの有縁の死者霊が、一体ごとに、救われて、消えていくのが分かる』とか、済度場で、先生にあわせて、両手で済度の型をするのですが、その時に、『観音様などがみえ、多くの有縁の死者霊が救われるのが見えた』とか、いろんな体験を聞かせて貰えました。

 紫陽花はそんな雅子さんのおかげで、日常生活の中で、「有縁の死者霊を救わせて下さい」と一回唱えるだけで、一体の有縁の死者霊を救える事や、済度の時に、何故河内先生が、型をするのかも分かりました。

 この時に、一番、多くの有縁の死者霊を救える事を教わったのです。

と同時に、「河内晢先生はすごい、岩谷君、本当にすごい先生を紹介してくれて、ありがとう」となり、紫陽花は、あの雅子さんの魂の親になったのです

 でも、そんな感性の鋭い、右脳人間の雅子さんでも、済度の縁を続ける事は難しかったです。

 燃えた雅子さんは、知花先生と河内晢先生のジョイント講演を組んだり、萩原直樹先生に紹介したり、香雅耶希の皆に、河内先生を手引きしたりと、雅子さんらしい大活躍をしましたが、その反面、なかなか理解できない済度の奥義に入った事で、迷い始めたからです。

 雅子さんの夫、秀夫さんの霊言でいうように、雅子さんの肉体と魂とのギャップに苦しむ事になります。

 済度の縁から離れようとした事もあったのです。

 でも河内先生は絶対に手放そうとしませんでしたし、秀夫さんの霊の、必死の働きもあって、雅子さんはとうとう京都から離れて金沢の済度場で住むようになりました。

 いくら一人身でも、熟年の域に達した雅子さんが、身寄りのない金沢に移ることは抵抗もあったとも思いますが、金沢の済度の人達も大切にしてくれ、今や、事務局長となって、ガンバッテいます。

 紫陽花の代わりに、しっかり済度してくれており、ものすごく親孝行をしてくれているのです。

 また、体験も、紫陽花の知らない事を含めて、本当にたくさん頂いており、雅子さんは、金沢に行ってから、不動神になりました。

 というのも、たくさんの有縁の死者霊達に頼られて、風邪をひいて熱がある時も、河内晢先生に電話したら、熱が冷め始めたり、つい最近では、1ヶ月に一度する川北家済度に、海外を含めて、たくさんの有縁の死者霊が頼ってくる映像がみえたりと、エピソードには困りません。

 雅子さんは、大変なこともあるだろうけど、金沢で済度している事が、一番、幸せなんだと思え、いろんな体験談を与えられた事によって、雅子さんが河内晢先生から離れる事は、絶対にありえないと、皆さんに断言できるぐらい、河内晢先生に育てて貰いました。

 愛する夫の秀夫さんの霊が、頭に鉢巻を巻いて、ガンバッテくれている姿を(つい最近の事です)感じるそうで、雅子さんは死ぬまで、衆生済度をやめる事はありえなくなったのです。

 

           ∞「Sさんの体験」∞

 河内先生の体験は、すべての人に、それぞれありますが、次に紫陽花が紹介したいのは、先生に会って、ろくな事がなかったといって、済度の人達を笑わせてくれる、新潟でガンバッテいる、Sさんの体験談です。

 というのも、Sさんの縁には、紫陽花もほんの少しだけかかわっていますが、佐藤さんが、いろんな本当の本を渡しあっている、愛知県の寺西みち子(皇室の美智子様と同じ名前、済度にかかわる人には多いです)の縁で、河内先生と会ったのは、今から4年前の、平成9年6月10日でした。

 金沢で、一念帰命を、下の子供と(当時幼稚園)一緒に貰ったのです。

 しかしその時の、Sさんの河内先生に関する評価は、紫陽花と同じで、偉い先生とは思わず、普通の、本当にいいおじさんだったそうです。

 河内先生は、昼にたこ焼きを食べさせてくれ、帰りは、金沢の駅まで送ってくれると、1ヶ月に1回は、来なさいといわれたそうですが、「はい」と答えたものの、「何で行かないといけないの」と心の中で反発して、一ヶ月たっても金沢済度には行かなかったのです。

 でもそんなSさんに、霊界からの信号は、すぐにやってきました。

 よほど佐藤さんは済度をしないといけない魂、大きな志願があるのか、2ヵ月たっても金沢に行かなかった事で、8月14日に、何とご主人が、富山で、脳内出血で倒れてしまったのです。

 でも、それでもSさんは、霊界からのサインに気がつきませんでした。

 富山に半年、ご主人が入院する事で、新潟よりは大分、金沢に近づいたのに、河内晢先生に会おうとはしなかったのです。

 そしてやっとご主人が退院して、職場に復帰したと思ったら、今度は、4月に上の子供(当時小学校3年生)が、登校拒否になるという新たな災難がやってきたのです。

 しかも、それでも気が付かないSさんに、霊界は、これでもかという止めの一撃を与えました。

 平成10年10月10日という、数字だけみてもすごい日に、ニュースをみた人がいるかもしれませんが、新潟で100年に一度と言う大水害が起こりました。

 佐藤さんも、夜中に水道から水があふれだしたのでびっくりして目を覚ましたら、床の下まで水があふれており、佐藤さんの家の周辺は、湖になってしまっていたのです。

 でも佐藤さんの災難は、それだけではありませんでした。

 やっと水が引いたと思ったら、その晩に100年に一度と言う大きな火災が起こり、Sさんの家の手前100メートルまで火が近づき、火花がSさんに迫ってきたのです。

 と同時に、その時に、佐藤さんの両親は、新潟から東京にいる親戚の結婚式に出ていましたが、火災のあった頃に、東京の、佐藤さんと同じ30歳代の従兄弟が突然なくなるという不幸があり、結婚式の後、すぐに葬式に出るという事件もありました。

 さすがのSさんも、これだけ変な事が続くと、「これはおかしい」と気が付き始めたのです。

 だけど、その理由は、佐藤さんにも分かりませんでした。

そんな時です。

 佐藤さんは、河内先生の霊言を出す前沢はるみさんと出会い、河内先生がもうすぐ、新潟で、講演をする事を聞き、河内内先生に再び会う事にしました。

 もしかしたら、こんなに不幸な災いが起こるのは、あの時にあった河内先生の約束を守らなかったからではないかと思い始めたSさんは、それを確かめる為に、講演会に来ると、河内先生に尋ね、あっさりいわれてしまいます。

 失礼ではないかと恐る恐る、「ひんぱんに災いが起こるのは、私が行かなかったからですか」と尋ねた佐藤さんに、河内晢先生は「そうです。」といいきると「だからいったでしょう。佐藤さんのように、魂で済度したいと志願を大きく持って生まれた人には、霊界が、早く気が付けといろんな災いを起こしても、済度に仕向ける」と答えたのです。

しかもその後に、河内先生は残念そうに「済度をしていたら、東京の従兄弟や多くの人が救えたのに」といい、佐藤さんに「これからは1週間に一度、金沢に来なさい」という支持を出したというのです。

けれど、佐藤さんは、「前に来た時は1ヶ月に1回なのに、どうして、今度は1週間に1回なのか」と反発すると、河内先生に質問をし、河内先生に「1ヶ月に1回のペースで来ていたら、今ごろは1週間に一度は来るようになっている。魂の計画は非常に遅れており、それぐらいのペースでガンバラないととてもおいつかない」と怒られたというのです。

だから、こうしてSさんは、しぶしぶ金沢に来るようになりました。

2回目に来た時は、何故か本当にエネルギーが不足しており、やっとの思いで、這いずりながら来たというのです。

でも、そんなSさんの状態は、河内先生には分かっていたのか、すばらしいプレゼント、最初の体験を与えてくれます。

金沢では、山田さんが、昔住んでいて、済度の人達の為にと、提供してくれた、家に泊まったSさんは、翌日の早朝済度が終わった後、なんと光の玉が自分に向って、飛んでくるという体験をします。

その時は、河内晢先生が、光の元だと知らなかったSさんは、思わず避けたそうですが、光の玉は、カーブするとSさんにあたり、ものすごいあたたかいエネルギーを与えてくれました。

Sさんはそのエネルギーで元気一杯になり、いっけんなんでもない先生のようだけど、本当はとんでもないすごい先生だという事が分かったのです。

しかもSさんの体験は、これをきっかけに、続々と起こります。

河内先生の言うとおりに、次の週にSさんは、登校拒否をしている上の子供さんを連れて金沢に来たのですが、なんとその子供さんの登校拒否も、河内先生の一念帰命を受けると、治ってしまいました。

新潟に帰ったSさんに「お母さん、不思議だ。クラスの皆が、紫陽花に寄ってくるんだ」といい、上の子供さんは、喜んで1年ぶりに学校に行くようになりました。

河内先生の光を持っている子供さんに、周りの子供達の魂がほっとくはずがないのか、縁を持ちたがり、何人かの友達が、毎日、学校に行こうと突然誘いに来るようになったのです。

 紫陽花は、これこそ本当にすごい河内晢先生の力だと思います。

 しかも紫陽花は、河内晢先生のやる事はすごいなあと尊敬するのは、Sさんが、今まで災いと思っていた事が、全部、福となったことです。

 ご主人の病気は、完全に治らならなかったけど、元気に会社へは出社して、お金を稼いでくれますし、佐藤さんは、病気になったご主人のおかげで、障害者の家庭として優遇され、高速料金なども全部安く利用できるようになりました。

 安く、金沢にいけるようになっていたのです。

 その上に、今までもう一つ、コミュニケーションがとれていなかった、個人主義のご主人と、いろんな話ができるようになり、済度の理解も得られました。

 身体が少し不自由になっただけで、命に別状はないので、金沢にも、泊り込みで何回でもいけ、ご主人も何事もあまり気にしない性格なのか、気持ちよく、送り出してくれるのです。

 済度ができる最高の環境が得られたのです。

 また、そんな中で、Sさん自身ガンバリ、縁ある人達を済度の仲間、済度人にしました。

 寺西さん同様、いろんな本を贈りあっていた、歯医者の白井ご夫婦、妹の裕子さんや友人の高橋佳子さんなどに代表される、すてきな多くの人達を手引きしましたし、昔から済度にガンバッテいる前沢はるみさんや河田俊明さんとも一つになって、新潟は、福井や金沢、京都、名古屋、東京に比べても一番、まとまっているとまでいわれるようになりました。

 毎週、自らの車で運転して、何人かの人と一緒に、新潟から金沢、京都と走り回り、多くの有縁の死者霊を河内先生の所に運ぶ仕事や、救う仕事をしています。

 Sさんは、そんな新潟の済度にとって、中心、なくてはならない人になったのです。

 

           ∞「信じられない体験談」∞

 紫陽花や、雅子さん、Sさんの体験談を主に紹介しましたが、済度に縁を持っている人なら、すべての人に、すばらしい体験談は何個かあります。

 どの人にも、主役の、その人しか体験できないすてきなストーリーがあるのです

 何故なら、救う有縁の死者霊は、その人しか救う事ができないからです。

 河内先生によれば、「●●さんは、この縁ある、△△という有縁の死者霊を必ず救うと、魂の世界で堅く約束して、計画して生まれてきている」というのです。

 だから、すべての人が済度にとって必要だし、済度が理解できる体験談を与えられているのです。

 でも残念ながら、紫陽花が紹介できる体験談は、その中のごく一部です。

 すべての体験談を紫陽花一人で紹介するのは、不可能ですが、時期がくれば、それぞれの人が、自分の体験談を書くと思います。

 その時期まで、楽しみに待って欲しいと思います。

 だけどその中でも、紫陽花が、これは本当にすごい。

 サイババなどの奇跡を起こしているといわれている人もびっくりだなあと思うものが、何個もあります。

 それを知ったら、皆さんも「本当かよ」とびっくりするだろうし、たぶん、世間に出れば、ものすごい反響を起こすと思います。

 それらが認められたら、間違いなく、河内先生は有名になります。

 そんなすばらしい体験談の何個かで、紫陽花が直接、本人から聞いたものを紹介したいと思います。

まず、紫陽花が、「これは本当かよ。もし、本当なら河内先生は間違いなく、仏だわ」と認めざるを得ない体験談があります。

 新潟の人達が体験した事で、佐藤さんや友人の高橋佳子さんから聞いた話ですが、ある時佐藤さんが車を運転して、金沢に早朝済度に参加する為に、夜中、大雨の中を走っていた時、車のワイパーが突然壊れてしまった事があったのです。

 このワイパーは、後で、自動車を修理する人にみて貰ったら、絶対に折れる訳がない所だと不思議がっていたそうですが、いろんな因縁の為か、不思議な事に折れてしまったのです。

 だけど、この事は、Sさん達にとっては、深刻な問題でした。

 外は大雨です。

 車の正面のガラスは雨で、何もみえません。

 困ったSさんは、金沢の河内先生の所に携帯電話で事情を話し、「済度に出られません」というと、河内先生は、あっさり「わかったよ」と答えると、電話を切ったそうです。

 とんでもないことが起こったのは、その後です。

 大雨の中に、ものすごい光が突然差し込むと、何と、佐藤さんの車の周りだけが、晴れにしてしまったのです。

 さすがにこの時には、Sさんも、隣に座っていた高橋さんも、鳥肌がたったそうですが、車は、雨に合う事もなく、行き帰り、無事に行けたというのです。

 河内晢先生は、日頃いうように、「天候でさえ変えられるのか」と認めざるを得ない体験を得た訳です。

 また紫陽花とかかわりのある、縁の花の読者でいえば、神園社長の体験があります。

 夜中、3時ちかくまで、一人で眠れずにいた神園社長の前に、突然、河内晢先生の実像が現われ、「こんなに重たくして」というと、何故か女体になって消えたといいます。

 その瞬間、多くの有縁の死者霊が救われたのか、身体が本当に軽くなり、神園社長は、ガイアヒーリングをする決心をしたといいます。

河内先生は、サイババのように、姿をみせられるのです。

その上、神園社長に聞いた話では、アネモネの元編集長の中尾龍一さん達が、ボリビアで、何人かの人達と、セスナーの飛行機に乗っていた時に、飛行機事故が起こった上空で、すべての人に有縁の死者霊がみえ、(有縁の死者霊によってセスナーの飛行機が墜落させられようとしたのか)、揺れだした時に、河内晢先生の言葉を思い出した中尾さんが「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」と飛行機に乗っている人達と唱えたら、有縁の死者霊が一体ずつ消え、金沢の河内先生の元に飛んでいったのが分かったといいます。

その事件で、中尾さんの机に飾っていたサイババの写真が、河内晢先生の写真に代わったと言うエピソードがあるのです。

そしてそんな感じでいえば、3年ぐらい前に、紫陽花が、4、5人の人と、旧山田家に泊まった時に、夜、ある女性が、うめき声をあげていました。

紫陽花は、それには驚きながら、寝ましたが、朝、その女性から、まるで映画のフィルムを見るように、いろんな人の顔がみえ、それが早送りで、どんどん動いたという体験を聞かせて貰いました。

その女性いわく「いろんな有縁の死者霊さんが、一瞬、一瞬で救われたのがわかった」といい、紫陽花は、河内晢先生のいうように、済度で本当にたくさんの人が救えるのかと、改めて驚いた事があります。

河内晢先生のいっている、とても信じられない話は、全部、本当の事なのかと、紫陽花は、考え込んでしまったのです。

またつい最近起こった事件としても、関原さんのすばらしい体験があります。

関原ご夫婦は、いろんなことがあって、済度の活動をやめていたのですが、ある時に別の先生のテープを聞こうとして、ラジ・カセのスイッチをいれたら、何と、昔、河内晢先生と縁があった潜在意識のある●●先生の声が、突然聞こえてきたといいます。

その内容は、その●●先生が、「河内先生の一念帰命を受けて、魂が救われた事」とか、「金沢の済度に参加できて良かったと言うもの」で、前に涙ながら、金沢済度の壇上で、発表していたものです。

それが何と聞こえてきたというのです。

ですから驚いた関原の奥さんは、「お父さん、これなに」「もう一度、最初から聞かせて」といって、テープを巻き戻し、もう一度、最初から聞こうとしたのですが、残念ながら二度と聞く事はできませんでした。

テープは、本来の人の公演内容になっており、●●先生の声はひとことも入っていなかったのです。

だから、これは河内晢先生や霊界が、関原さんご夫婦を済度の縁に呼び戻す為に仕組んだとしか考えられず、その試みは、見事に成功しました。

関原さんの奥さんが、京都の川北家に飛んできて時、「岩谷君、実は・・・・と」聞かされ、紫陽花は、河内先生は本気になったら、どんなに済度から離れている人でも、呼び戻せるのかとほとほと感心してしまいました。

しかも河内晢先生のすごいのは、関原さんの奥さんだけでなく、ご主人や娘さんまでも、済度の縁に戻した事です。

まず、関原さんの奥さんが金沢に何日も泊りがけで来るようになり、光を貰う事で、関原家の背景の環境を整えたのか、紫陽花に言わせたらあんなに済度に抵抗していた娘さんがあっという間に来るようになり、ご主人も再び済度の縁につくなんて、とても信じられません。

これはもう脱帽したとしかいいようがありませんが、関原さんの事をよく知っている紫陽花には、神業をみるようで、今でも信じられないのです。

でも、そう思っていたら、今度は、紫陽花にも信じられない体験が、つい最近ありました。

紫陽花が働いている職場の人で、済度とはまったく関係のない浅井さんという人がいますが、その人の夢の中に、黄色の花(縁の花)や猫(昔岩谷家で飼っていた三毛猫?)、ひまわりの花やタンポポの花などが、3年ぐらい前から現われるようになり、紫陽花にメッセージをいって困るというのです。

しかも浅井さんが、嫌だといっても、出てくる存在は聞き入れてくれず、何度も出てくるので、とうとう紫陽花に本格的に苦情をいわれ、紫陽花も対応に苦慮しました。

自然界と呼ぶべきもののメッセージは、紫陽花には耳の痛い事ばかりですし、正確かどうかも判断できません。

正直、紫陽花もどうしたらいいのか、分からなかったのです。

だけど、どうやら、紫陽花の背景には、もしかしたら、いろんな植物さんがいて、見守ってくれているのかもしれません。

というのも、前に金沢に帰った時に、山口さんが住んでいる家に遊びに行ったのですが、紫陽花が帰った後からいろんな植物さんが出てきたそうです。

山口さんや西岡美智子さん(ここでも美智子様です)には、そういった存在がみえるそうですが、タンポポさん、ひまわりさんなどのいろんなすてきな花が現われて、感謝の言葉を述べ、最後には河内晢先生が登場し「いつも、ごくろうさん」と二人にいうと、「どんな花が好きなの」と西岡さんに尋ね、西岡さんが「カサブランカ」というと、何と、山口さんと一緒に住んでいる新城さんが、偶然その花を持って帰ってきたというのです。

これには、紫陽花も参ってしまいました。

河内晢先生は、そんな粋な事もするのかと、改めて今まで知らなかった一面をみた思いがしましたが、本当にすばらしい体験談です。

紫陽花も、そんな体験談を与えてくれる事を願って、今回は終わりたいと思います。

 では、皆さん「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」(「縁の花」の読者の魂だけでなく、その背景にいる多くの、眼にみえない有縁の死者霊を救わせて下さい)

平成13年5月27日

 

     追伸

河内先生の体験談は、まだまだあります。

書いてあげたい人の体験談も、たくさんあります。

それは時期がくれば、河内晢先生の体験談2として書いてみたいと思います。

是非、楽しみにしていて下さい。

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読者の皆さんにご報告

   追伸

2007年7月7日、七夕の日、まったく意識していなかったのですが、縁の花のHPを見たある人と、大阪で初めてお会いする事になりました。
昔、菊がやっていた済度のご縁の人です。
その人と、空海さんが、嵯峨天皇から賜った、世界遺産でもある、京都の東寺に行きました。
ここで空海さんは、多くの弟子と共に、密教をしていて、東寺は、真言密教の根本道場となっていたのです。

しかもそこでは、偶然にも、夜から、環境問題に関わる大きな世界的な行事をするということで、忙しくしていました。
何と、世界で見れば、20億人が参加した行事です。
これも、何か大きな意味がある気がします。

また、その後、久しぶりに、京都の河内先生の講演会に参加して、河内晢先生のお話聞きました。
河内先生のご縁は、21世紀になってから活動はしていませんが、情報は得ていました。
相変わらずお元気でした。

でも、河内晢先生も、7月1日が誕生日なので、もう60歳、還暦になります。
いよいよ河内先生の活動も最後の仕上がりになるそうです。
菊自身、それが成就するのか、しないのかは分かりませんが、以前、追伸として書いた文章は、消すことにします。
ご迷惑をおかけした済度の仲間には、申し訳ないと思います。

しかも驚くことに、その追伸の最後に、「2007年頃、河内晢先生が、本当の阿弥陀如来だと、紫陽花自身が思えたら、その時には、紹介したいと思います。」と書いています。
正直言えば、河内先生が、本当の阿弥陀如来だと思えたのと聞かれたら、思えていませんと答えますが、菊自身、2007年頃、済度のご縁を、再び、紹介すると書いていたこと、忘れていました。
京都の講演会で、済度の仲間に、お会いして、その事を言われて、驚きです。

自分でも、まったく無意識に、2007年と書いたのかもしれません。
菊の魂が、そう望んでいたことなのかな。
確か、2005年と書いて、まだ、その時期になっていないので、2007年にした記憶がありますが、2007年7月7日に、再び、済度のご縁についたことは、何か、天の大いなる意志、河内先生の願いを感じました。

ということで、昔書いていた追伸の文章は消すことにしました。
河内先生の済度のご縁に関心ある人は、菊にメール下さい。
済度を今も、実践している人をご紹介したいと思います。

  2007年7月9日