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縁の花

       (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

               第148号

       宮本食悟(しょくご)

         Δおかげさまの縁Δ

 辻久文さんという方がいます。

 同じ泉州に住む方で、インターネットが縁で、紫陽花と始めて直接合ってくれた方です。

 インターネットの縁、第1号なのです。

 しかも辻さんと紫陽花は、お互いにすてきな神様を持っているという事で意気投合しました。

 辻さんは、おかげさまであり、紫陽花は、縁の神様です。

 辻さんのおかげさまの力は絶大で、お金や、いろんな本物の縁や、少し羨ましいですが、すてきな女性との縁を与えて貰っています。

 その上に、おかげさまは、辻さんにいろんな気づきも与えています。

 もう辻さんの身体の一部というか、守護霊というか、二人で、いろいろ相談しながら、人生をワクワク・ドキドキ、謳歌しているのです。

 また紫陽花にも、縁の神様がいます。

 皆さんもよくご存知なように、いろんな縁を紫陽花に与えてくれているのです。

 ただ、どうも、紫陽花の縁の神様は、辻さんのおかげさま程、紫陽花自身の感謝が足らないのか、パワーが弱いみたいです。

 比較するわけではありませんが、紫陽花は大いに気づきを与えられました。

「今のパワーだったら、おかげさまに乗り換えるぞ」と少し脅かしながらも、縁の神様との縁を深める事を意識しているのです。

 きっとこれから、縁の神様のパワーが全開して、紫陽花に金銭や幸運、すてきな女性との縁を与えてくれると思います。

 と同時に、辻さんのおかげさまと縁の神様が、眼に観えない世界で、協力しているのか、辻さんとの縁は順調に発展しています。

 最初メールでは、笑顔共和国を検索した時に、縁の花を知ったということでしたが、直接会った時に、縁の花で一番よかったのは、第134号、男女の縁ですといわれた時には、正直言ってずっこけてしまいましたけど、男女の関係に対する考え方は見事に一致しました。(こんな人は初めてです)

 それからも同じ泉州と言う事で、ものすごく馬が合うのか、いろんな本当の縁を紹介しあっています。

 紫陽花からは、男女の縁の事を教えてくれたある先生や、住まい塾の、潟Aスカの松岡さんを紹介させて頂きましたし、辻さんからは、紫陽花(京都の紫陽花寺)や、すてきな女性との縁を貰いました。

 特に一言でいえば、天使というか、紫陽花に取っては、長年待ち焦がれていた理想の女性、天女のメグさんを紹介して頂いた時には、紫陽花は辻さんのおかげさまに心から感謝しました。

 まさしく辻久文大明神です。

 本当に感謝しているのです。(長年生きていてよかったです)

 そしてそんな辻さんには、826日に紫陽花は、伊賀上野にいる、宮本食悟(しょくご)さんという人の縁も頂きました。

 合気道の庄田幸生さんや、有名な、「ありがとう」の小林正寛先生さんや、地球村の高木善之さんなどの縁を持っている、辻さんが、宮本は本当の中の本当と言っており、紫陽花も喜んで、辻さんの車で宮本さんに会いに行ったのです。

 と同時に宮本食悟さんとは、もうすでに縁の流れは流れていました。

 辻さんと、住まい塾の松岡さんに会った時に、松岡社長は、宮本食悟さんを知っており、紫陽花は不思議な縁を感じていました。

 おかげさまや縁の神様に導かれて、紫陽花は、早くも過ぎず、遅くも過ぎずに、逢うべくしてやっと宮本食悟さんに会ったのです。

 

          Δ『宮本食悟さんの住まい「呼吸する家」』Δ

 宮本食悟さんの住まいは、伊賀上野の駅から、少し離れた所にありました。

 車でいけばすぐです。

 そこで宮本食悟さんは、生活しているのですが、自宅をみて、まず、紫陽花はびっくりしました。

 宮本食悟さんは、自分の自宅を、モデルハウスというか、自分の理想としている住まいの理論を自由に使って建設しています。

 ちょっとしたビルになっており、呼吸大学という鉄筋の柱を使った木造の建物と、自宅の住まいになる完全な木造の家を建設しています。

 二つを見事に半分に分けており、一風変わった住まいで、初めてみた人は誰もがびっくりする家なのです。

 また住まいの中もすばらしかったです。

 一言でいえば、住む人が幸せになるような、木をふんだんに使っている本当にいい雰囲気の住まいでした。

 住まいに関しては、住まい塾での話を1回聞いたぐらいで、まったくの素人の紫陽花がいうのも何ですが、すがすがしいものを感じました。

 特に床は竹で作られており、歩いていて気持ちよかったですし、瓦も、環境問題の事を考えて、古い瓦を洗って再利用しているところも気に入りました。

 こんな家が、住まい塾でいっていた本当の住まいなのかと単純に思ったのです。

 また宮本食悟さんの奥さんが出してくれた昼食も良かったです。

 玄米食と奥さんの手作りの豆腐と、おいしいおかず、うまかったですし、紫陽花はあたたかいものを感じました。

 宮本食悟さんと奥さんは、夫婦で、支えあって、本当の活動をしている事がよく分かったのです。

 しかも紫陽花が感心したのは、宮本食悟さんは、住だけでなく、食も研究する方だと聞いていましたが、昼飯を頂く事で、食を大事にする生活をしていること実感しました。

 口だけでなく、やっている活動は本当だと納得したのです。

 でもそれだけでなく、紫陽花は、宮本食悟さんの住まいには、明るいと言うか、何か多くの人の支えがある、あたたかい雰囲気を感じました。

 呼吸大学と言う学校も、まだ軌道には乗っていない、構想段階だそうですが、大きな木で造られた呼吸大学のテーブルには、集まった人達の思いがある気がしました。

何人かの人が集まって、楽しく、夢を語っている姿がイメージできたのです。

と同時に、その紫陽花の感じは当っていました。

辻さんの話ですと、まだ全国に一軒も存在しないので、宮本食悟さんがモデルルームの住まいを建てるのは、本当に大変だったそうです。

多くの人の協力がなかったら建てられなかったそうですし、テーブルにあった、宮本食悟さんが作成している呼吸大学の資料は、ワープロで書かれており、カラーの写真もつけられていますが、宮本食悟さん自体はワープロを打てないそうです。

それを見事な資料として、作成するすばらしい仲間が伊賀上野にいる。

紫陽花は、宮本食悟さんには、辻さんのようなよき理解者がいて何人もいていいなあと思いました。

縁の花を一人でやっている紫陽花からしたら、手伝ってくれる人がいるだけでも羨ましいです。

だから紫陽花は、宮本食悟さんの住まいには好印象を持ちました。

その人が本当の人か、そうでないかは、その人の住まいをみれば分かると言うのが、持論の紫陽花からみたら、宮本食悟さんの住まいは、本当に整頓されていて綺麗で、多くの人の縁が感じられて、自分の住まいを棚にあげて何ですが合格だったのです。

 

                   Δ「縁の花の使命」Δ

紫陽花と宮本食悟さんの縁は、「よく、わざわざ会いにきてくれましたね」という、宮本食悟さんの挨拶から始まりました。

宮本食悟さんは、自分と縁を持つ人は、天から与えられた、何万分の一ぐらいの縁の人と思っているのか、そう辻さんと紫陽花を歓迎してくれました。

後に頂いたおはがきには「小生に近寄る人も、ましてや話を聞こうとする人も、ましてや話を理解出来る人も、ましてやその話を流布する人も、それは何兆分の一の器でしかない。そんな機会に感謝申し上げます」と毛筆に綺麗な字で書かれていましたが、紫陽花に対してそんな気持ちで接してくれました。

服装は普段着でしたが、辻さんからは、紫陽花の事は何も殆ど聞いていないのに、一つも迷惑そうでなかったのです。

またそんな宮本食悟さんに対して、紫陽花は、挨拶がわりに用意した縁の花を何号か、プレゼントしました。

縁の花をみて貰ったら、紫陽花のすべてが分かって貰えると思って、挨拶がわりにいつも初対面な人に出すのですが、宮本食悟さんで感心したのは、最初に渡した、縁の花、第106号「住まい塾」を最後まで読んでくれた事です。

殆どの人は、少し目を通すとすぐにやめてしまうので、紫陽花は、最後まで読んでくれた宮本食悟さんの姿が嬉しかったのです。

しかも縁の花で一つのアドバイスを頂きました。

「縁の花は、中国の司馬遷という人が残した、事実だけを残した記録にしたらいい」というものです。

 自分の意見をかいたら大変でしょうといわれたのです。

 正直言って、この宮本食悟さんのアドバイスには、紫陽花自身、少しぐさっときました。

 というのもこの頃やっと気が付いた事ですが、「縁の花」の使命の中には、第131号「21世紀の後世の人達で伝えたいこと」で書いたように、紫陽花や、多くの、本当の皆さんの思いを後世の人に残すと言う使命があります。

 中国の司馬遷は、それを自分の感情や意見も入れず、冷静に事実だけを書き、それが中国の歴史の、第一級の資料になったのですが、そんなものを目指したらいいといって貰えたのです。

 紫陽花はそんな宮本食悟さんに、さすがに、辻さんがいうだけに、少し、縁の花に触れただけで、縁の花の事が分かるなあと感心したのです。

 ただ物書きとしての紫陽花の習性から考えても、紫陽花自身、事実だけを書く事は、できそうもありませんし、するつもりもありません。

 今の時代、事実だけを残すのなら、新聞とか雑誌がありますし、インターネットにも多くの人が事実を書いて残しています。

 紫陽花が残したいのは、この激動の時代、何万年に一度と言う、人類が生き残るか、生き残れないかと言う面白い時代に、本当の人達が、どんな夢や志を持って、どんな事を考えていたかです。

 その思いは、後世の人も事実だけでは判断できません。

 紫陽花はそれを残したいのです。

 でもそうすると、宮本食悟さんのいう通り大変です。

 というのも、縁の花が初期に書いたものなんて、今は、殆ど読めません。

 紫陽花が本当だと信じて、情熱を傾けて書いたMGなどは2、3年も経過したら、本当でなくなっているのです。
 だから紫陽花自身、事実と違っているのでとても読めないのです。

 だけど紫陽花は書いた事に関しては、後悔していません。

 MGがやろうとした、高度情報社会の構想はうまくいきませんでしたが、そこで教わった情報社会(IT)の情報は間違っていませんでした。

 まさしくこの十年の世界経済は、情報産業が、日本にしろ、世界にしろ、リードしましたし、IT技術を制した、米国が世界の経済の勝ち組みになりました。

 しかし結局、米国の弱者の事を考えない情報社会はうまくいかず、ITバブルは崩壊しました。

 紫陽花が教わったとおりです。

 きっと将来は、米国の失敗から学んだ、日本の高度情報社会が世界のモデルになると信じています。

 紫陽花が、縁の花で書いてきた事は大枠では当っているのです。

 ですから紫陽花は、紫陽花が、多くのMGの同志と学び、やろうとしてきた、高度情報社会を創って成功しようとした試みは、歴史に残せなくても、はかない負け組みの夢に終わっても、その多くの思いを、志や夢を、縁の花に残す事ができてよかったと思います。

 紫陽花は、宮本食悟さんのアドバイスで、縁の花の役割を再認識しました。

これからも、恥を書く事を恐れる、つねに、思った事を正直に書こうと思ったのです。

 と同時に紫陽花が、これから書こうとしている宮本食悟さん自体も、失礼かもしれませんが、紫陽花自身どうなるかは分かりません。

 今の時代、まだまだ本当のものが、必ず、世に出られるかといったら、そんな事はありません。

 いえむしろ、難しいかもしれません。

 今、本物として、世に出ている地球村にしろ、小林正寛にしろ、器用さがありますが、宮本食悟さんにしろ、他の無名な多くの本当のものにしろそれがないからです。

 マスコミに叩かれたり、権力をもっている人達に、迫害されたりして、世間的にみれば偽者になるかもしれないのです

 でも紫陽花は、それでも宮本食悟さんの話をしてくれた、住まいに関するお話には、普遍のものを感じます。

 宮本食悟さんが、有名になるか、ならないか、成功するか、しないかは分かりませんが、その住まいの話は何年も続いた真理だと思います。

 是非、それを皆さんだけでなく、後世の人達に知って欲しいのです。

 

 

                    Δ「正倉院」Δ

 宮本食悟さんの住の話は、「正倉院の謎を解く」という一冊の本から始まりました。

 この本は、ある学者が書いたものですが、今から1200年前、天平勝宝8年(756年)に、奈良の東大寺の隣に建てられている正倉院というものの謎を書いています。

 この正倉院は、インターネットで調べたら、奈良時代から平安時代にかけて、財物・什宝類を納めていた倉で、内部は、北倉、中倉、南倉に分かれています。

 しかも正倉院の中には、一万点とも数万点ともいわれている宝物があります。

 その中には、シルクロードや南海航路を経て伝えられた多くの意匠や技術を駆使して製作された品々や異国からの伝来品が納められているのです。

 ですが、ここで現在の多くの人を感銘と驚きを与えているのが、千ニ百年以上の時を経過した今日さえ、それらの品々が輝きを保っている事です。

 螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんのびわ)黄金瑠璃鈿背十ニ稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)など、紫陽花もまだ見たことはありませんが、世界で一つという、日本だけでなく世界的にみても貴重な宝物が残されているのです。

 その上正倉院には、辻さんの話だと、玉虫厨子というような、七色に輝く、玉虫の羽根を装飾に使った、仏像を安置する仏具も見事に残されています。

 この玉虫厨子などは、防腐剤もなかった奈良時代に、虫の羽根をどうやったら、現在まで残す事ができたのか、不思議としかいいようがないそうですが、現実に存在します。

 正倉院の中にある宝物は、どうして千ニ百年間も、ずっと保管されていたのか、現在からみても本当に謎になっているのです。

 しかし宮本食悟さんは、この本は、その肝心な謎を一つも解いていないと教えてくれました。

 書いている中身は、たいした事がないみたいです。

 また正倉院を含めて、学者さんの研究する事はナンセンスだと宮本食悟さんはいいます。

 というのも正倉院の中にある貴重な宝物は、今、正倉院の中にはありません。

 別な所でちゃんと保管しているそうです。

 だけど宮本さんは、正倉院の謎と言うぐらい、中にあるものが奇跡的に保存されているのは、正倉院の部屋自体に、保存される理由にあるはずなのに、どうしてそこから離すのだという素朴な疑問をいいました

 正倉院の中にある宝物ばかりに目がいって、一番、肝心なもの、正倉院自体の価値に気が付かないと言うのです。

 なぜなら、祖先が残してくれた一番の遺産は、正倉院という、千ニ百年も、一度も保管工事も必要とせずに、建てられた建物にあるからです。

 その謎が分かれば、宮本食悟さんは、現在の住まいでも、千年も、家が建つのは可能だと教えてくれたのです。

 と同時に次に、宮本食悟さんは、住まい塾のいう、幸福な住まいに住めば、どうして人は幸せになれるのかと紫陽花に尋ねました。

 紫陽花が、それに答えられないでいると、一言で簡単に教えてくれました

 長持ちする住まいにいるという事は、正倉院の中にあるいろんなものが、奇跡的に保存されていたのと同じ状態で暮らせるという事だというのです。

 紫陽花は、この宮本食悟さんの一言には参ってしまいました。

 目から鱗がおちる思いだったのです。

 というのも、ピラミットパワーと呼ばれているものがあります。

 皆さんも聞いた事はあると思いますが、ピラミットの中にあるものは、なかなか腐らないといいます。

 ピラミットのような正三角形をしている形の中には、ピラミットパワーと呼ばれる不思議なエネルギーが流れており、それが物質を腐らせないというのです。

 しかしよく考えれば、ピラミット自体が、何万年も持たなかったら、いくらピラミットパワーがあっても駄目です。

 中のものはとっくに腐っています。

 だからどんな建物に納めるか、その建物自体の器が、どれだれ長もちするかも大切です。

 紫陽花は、その事から考えてみても、ピラミットという長い間、建っているものの中にある物質は、ピラミットパワーだけでなく、まず1万年、2万年も存在するという、長い周期の中に自然に入る事ができるのではないか。

 そんな真理、宇宙の法則があるのではないか。

そう直感しました。

 宮本食悟さんは、そんなすごいことを、紫陽花に教えてくれたのです。

 ですから正倉院の中にあった宝物が腐らなかったのも、正倉院自体の持っている、千ニ百年も建っている周期が最大の原因だったのかもしれませんし、長い間建っている住まいに住んでいる人は、自然に、その周期の環境で暮らしているのですから、長生きができる。

 いろんな幸運もついて、幸せに生きられる。

 そう納得したのです。

 しかも宮本食悟さんのすごいところは、ではどうして、正倉院が長い間、建っているのかをちゃんと解明、謎を解いたという事です。

 それが宮本食悟さん流に、一言でいえば、呼吸している家だから正倉院自体が生きているからという事になります。

 というのも、住まい塾さんで教わったのですが、木と言うものは、切られた後もずっと生きています。

 呼吸をしています。

 部屋の壁などに張っている木などは、排水、排湿をしています。

 木の中にある水分を吸収したり、吐いたりしているのです。

 ですから、目にみえなくても、木が長い間、いつまでも呼吸している家は生きていることになります。

 腐らないのです。

 宮本食悟さんは、正倉院が、いつまでも、保管工事も必要がなかった秘密は、そこにあると指摘しました。

 正倉院自体、今も生きており、その中にあった物質は、生きている部屋の中で、湿温が調整されている中で存在していた事になるのです。

 それを聞いた瞬間、紫陽花は成程と納得したのです。

 しかし紫陽花が、衝撃を受けたのは、宮本食悟さんが、次に話してくれた、では、どうして正倉院が、いつまでも呼吸できたかという話です。

 残念ながら宮本食悟さんは、今の建築基準法、法律では、呼吸する家は、日本では造る事は不可能だといったのです。

 なぜなら宮本食悟さんは、正倉院がずっと呼吸できていたのは、その当時、正倉院を建設した和風技術がすばらしかったからだといっています。

 特にその中でも「正統屋根床工法」などの自然法理と共生する正統工法(呼吸技法)が、延命の秘密だと教えてくれましたが、要は通気性の問題です。

 宮本食悟さんの住まいを実際にみれば分かりますが、天井には雨が漏るのではないかと思ってしまうぐらい隙間があり、床も、地面と遮断しないように、板に隙間を造って、はっているので、地面からの空気、エネルギーが入るようになっており、それで木がいつまでも腐らずに呼吸できる理由だと教えてくれたのです。

 だって、呼吸すると言うことは、皆さんも、自分自身で置き換えたら、分かると思いますが、部屋を閉めきっていたらできません。

 完全に閉めきっていたら、酸素がなくなって何日ももちません。

 それと同じように、木も密封していたら死んでしまいます。

 呼吸は吸って吐く、という事が大事なのです。

だから宮本食悟さんは、今、建設されている家では、吸うばかりで吐くことはできないといいます。

通気性を密封することばかり考えて、大切な間、隙間がないというのです。

しかも紫陽花が、衝撃を受けたのは、そういった事も大切にしている住まい塾さんの家でも、十分でないと教えて頂いた事です。

今の、日本の国家の建築基準法、法律では、地面と床は、セメントなどで遮断され、天井も、雨が漏れないようにと、本来の瓦の力を使おうとせずに完全に密封しています。

そうでないと建築基準法に合格しないのです。

ですから完全に呼吸する家は、いくら造りたくても、どんな一流な会社や大工さんでもできません。

正倉院のような呼吸する家は、建築基準法に縛られていない、宮本食悟さん以外は、誰も建てられないといっているのです。

 

                 Δ「地道の説 住の編」Δ

今、宮本食悟さんは、いろんなものと、(あ)たたかいをしています。

法律を作る、建設省や国、いろんな住まいを造る業界、建物を研究している学会などに、宮本食悟さんを応援してくれている人と作成している、「地動説 住の編」という資料を送りまくっているそうです。

その中には小泉首相や扇千景国土交通大臣、建設業界や建設関係の学会などもあります。

特に学会などには論文なども書き上げて、紫陽花と辻さんが訪ねた時も、送っていたのです。

しかし今の所、「地動説 住の編」は、殆どの人に相手にされていません。

専門家の中で、理解して、協力してくれる人は、ごく一部なのです。

ですから、宮本食悟さんは、自分の事を、天動説の時代に、地球が太陽の周りを廻っている、地動説を主張した、コペルニクスやガリレオに例えています。

今の時代またまだ本当に、本当のものは世に出ない、

本当に、本当のものは、世の中から迫害されるというのです。

また宮本さんは、自分が認められる、認められないは別としても、どんどん人の住む家が悪くなっている事にも、憤りを感じています。

というのも、例えば阪神大地震です。

今、阪神大地震の教訓として、屋根は軽くしないといけない。

木造は倒れやすいと言うふうに、建設業界はいっているそうです。

だけどそれは何センスだと、宮本食悟さんはいいました。

阪神大地震のような災害にあうのは、人生に1度あるか、ないか。

殆どの人は、そんな災害にあう事はありませんし、それを予知したり、防いだりできるものではありません。

そういった災害は、病気や交通事故などの人災と同じで、食物連鎖の頂点にいる人間の数を、天が間引きするものであって、それを基準に人の住まいを造るのはおかしいというのです。

なぜなら阪神大地震のような災害にも、耐えられるような基準で家を造る事は不可能ですし、例え、例え造れたとしても、それが万人の人が、幸せになる家とは正反対だからです。

宮本食悟さんは、そう、災害を利用しようとする建設 業界のやり方に疑問を投げかけたのです。

と同時に宮本食悟さんは、業界だけでなく、建設の学会にも、屋根を軽くする問題で疑問をいいました。

というのも皆さんも、聞いた事はあると思いますが、奈良の東大寺大仏殿さんは、昭和49年から55年に大金を投じて昭和大修理をしています。

だけど殆どの人は知りませんが、東大寺大仏殿は、1913年、明治36年から大正2年に、大修理しており、わずか50年ももたないなかで、再び大修理している事になるのです。

宮本食悟さんは、それは絶対におかしいといいました。

奈良の大仏さんは、1709年に再建されてから、200年以上ももっていたものが、50年も保てないことにさえ、疑問を持とうともしない学会に憤りをもっているのです。

しかも昭和大修理の時に、明治の修理の時に、屋根を軽くしても、意味がない、かえって腐食を早めるので、再び元に戻した経過があるのに、その考えも少しも生かそうとしない学会の体質を嘆いていました。

今だに、阪神大地震の教訓らしく見せて、屋根を軽くすることを常識化しようとしている学会に失望しているのです。

でも宮本食悟さんのたたかいは、まだまだこんなものではありません。

次に宮本食悟さんが、話してくれたのは、建築基準法に対する疑問です。

この建築基準法は、よくある話ですが、現在、数ヶ月ごとに新しい建築基準法が発令されますが、実は、その発令に至る議論やその骨子提出は、どこでだれがどのように成したか、紫陽花達、民衆には知らされていないそうです。

その要因を要求した者も操作する者も、議事録すらも闇の中にあると宮本食悟さんはいうのです。

その上、この建築基準法は、本来、施主、家を造る人の為にあるはずなのに、実際は、「法」を私物化した利益以外の何一つとしてないといいます。

施主の事よりも業界の事を考えており、長持ちする建築物よりも短命な建築物を建てる方が、業者は工事が増えて経済は潤うから、それを応援するようになっているというのです。

はっきりいって、施主の生活よりも経済優先なのです。

しかも、建築基準法は大きな矛盾を抱えています。

日本列島は、沖縄から北海道まで、縦にながく、世界中の気候を抱えています。

気温も、沖縄と北海道では違いますし、湿度も違います。

雪が降る、降らないかも大きく違います。

そんな日本の風土、条件も考えずに、全国均一に、家を建てないといけないという基準を造る事自体おかしいというのです。

紫陽花は、宮本食悟さんのいうのも、もっともだと思います。

その上宮本食悟さんは、今度の建築基準法で、防火能力が広いの理由で土壁を禁止する法律ができようとしているのに心から嘆いていました。

茶碗などを使って、紫陽花に土は燃えるのかと聞いてくるのです。

紫陽花は、そんな宮本さんの話を聞いて、今迄知らなかった建築業界の実体を知ったのです。

しかし宮本食悟さんの話は、これだけでは終わりません。

最後に宮本食悟さんは、この法律一つの為に、全国で多くの施主、家を建てようとしている人が、困っている話をしてくれました。

あるラジオで、建築基準法の問題をクリアして家を建てた人が、紹介されているのを見て、宮本食悟さんが電話したら、その人の家に、自分以外にも、多くの人達から「どうやってクリアしたのか、教えて欲しい」という電話が殺到していたといいます。

宮本食悟さんはその事からも、施主が建てたい家や人を幸せにする家は、法律や業界の経済優先、学会の無責任さと、何よりも施主の無知さが絡み合って、いろんなものに縛られて造れないと断言しました。

紫陽花はその話を聞いて、建築業界の裏の実体が初めて理解できました。

小泉首相のいう構造改革は、最後は、建築基準法などの矛盾した法律や、建設業界などの、いろんな経済優先の業界の体質を変えないといけないと思ったのです。

                 Δ「宮本食悟の活動」Δ

皆さんに、今、建築業界が抱えている矛盾点を知って貰いました。

殆どの人が、今迄、知らなかった目に見えない問題です。

でももしかしたら、皆さんの多くは、自分に関係ないと思っているかもしれません。

だけどそんな事はありません。

辻さんの話ですと、皆さんが、家を建てようとした時でも、大工や設計技師などの業界の人達は、施主である皆さんを抜きで、暗黙の了解で、組んで、勝手に家を建てるのが、実体だそうです。

「長持ちする家を建てたら、次の仕事がなくなる」「早く建てないといけない」「お客さんの要望はできるだけ受けつけたくない」というのが、建築業界の人達の本音です。

 住まい塾さんでもいっていましたが、経済観念に縛られて、まだまだお客である皆さんの方を向いていないのです。

 紫陽花は、家を建てるなら、絶対に、宮本食悟さんか、住まい塾さんにお願いしたいと思います。

 また宮本食悟さんは、そんな中で、自分の信念に基づいて、昔からの英知に基づいた、人を幸せにする、呼吸する家を造る為にいろんな地道な活動をしています。

口を使って、講演活動をするのではなく、職人らしく、実際に見える形で、建築業界に訴える、啓蒙活動をもう何十年もしているのです。

紫陽花は、その活動は本当にすばらしいと思います。

たぶん宮本食後さんの活動は、建築業界の専門家がみたら、危うい事かもしれませんが、宮本食悟さんは、昔の人達の英知を知った以上、地球が動いていると知った、コペルニクスやガリレオと同じで、止むに止められない思いで活動しているのだと思います。

まさしく建築業界のガリレオです。

しかも紫陽花が、宮本食悟さんの活動で感心するのは、ただ建築業界を非難するのではなく、その活動は、緻密で、慎重で、よく考えている事です。

というのもまず、紫陽花が、一番に感心するのは、宮本食悟さんの家です。

施主である自分の信念と、自分の自己責任で、自分の理想とする家を、自由に、完璧に建てている事です。

紫陽花は、それ程すごい事はないと思います。

なぜなら、建築基準法からみたら問題はあるのかもしれませんが、実際に、伊賀上野に、呼吸をする家は存在するからです。

しかもこの宮本さんの家ですごいのは、五百年でも、千年でも、建っていると、宮本食悟さんが断言している事です。

宮本食悟さんが死んだ後も、その意志を継いでくれる人が、家を建て替えたり、家を改造したりしなくても、宮本食悟さんの家は、ずっと永続して建っている事になるのです。

だから宮本食悟さんの存在は、亡くなるまでに認めら れなくても、紫陽花は、正倉院のように、千ニ百年も待たなくても、ニ百年、三百年もすれば、宮本食悟さんの家は注目されると思います。

日本中の家で、そんなに長い間、一切手直しをせずに建っているなんて存在しないからです。

その時には、きっと後世の人達から、紫陽花は注目されると確信しているのです。

また宮本食悟さん自身も、この事を願って少し無理をして建てたそうです。

というのも宮本食悟さんの研究では、正倉院が建築された当時、もう日本の中で、正倉院と同じような建築の技法で、建てられたものは存在しないそうです。

その事から考えて、宮本食悟さんは、正倉院を建設した人は、今の自分と同じような待遇だったのではないかと考えています。

現在もそうであったように、あの当時も昔からの、本来の和風技術は否定されようとしていたのです。

昔の技法は忘れられようとしていたのです。

ですから正倉院を建てた人は、今は否定されようと、五百年、千年と正倉院が建っていれば、後の人の中で、きっと自分達の考えを分かってくれる人が現われると信じて、建てたのではないかと推測しています。

なぜならその証拠に、正倉院正倉の文献が初めて、姿を現した時には、雙倉(ならびくら)と記されていたといいます。

正倉院から、後世の人達に、学んで欲しいという願いがあったのです。

だから宮本食悟さんは、雙倉という言葉に励まされて、自宅を建てましたし、紫陽花は、その話を聞いて、宮本食悟さんの活動には、正倉院を建てた人達の思いが入っていると直感しました。

宮本食悟さんは、建築の技法たけでなく、思いまで受け継いでいるのです。

また次に紫陽花が、感心するのは、宮本食悟さんは、昔からの自然法理と共生する、和風建築技術、「正統屋根床工法」などの特許をいくつか持っていることです。

紫陽花は、これはすばらしいと思います。

宮本食悟さんの考えは、口だけでなく、ちゃんと技術に裏づけされているからです。

しかも紫陽花が、感心するのは、宮本食悟さんの建築に関する考え方は、自然の法則に一致する事をつねに考えている事です。

頂いた「地動の説 住の編」の中には、(天道優先の法理)から始まって(自然淘汰の法理)(有限自戒の法理)など、23個もの自然法則を使って、分かりやすく自分の考えを述べています。

「地動の説 住の編」自体も、ちゃんと記録に残せるものになっている訳なのです。

 と同時に、次に紫陽花が感心するのは、宮本食悟さんは、正倉院の建築技術がなくなった教訓を考えて、その技術を残す事を考えている事です。

 だって正倉院のような本当の建築物がなくなった事の原因の一つは、いくら文献があっても、技術自体がなくなった事の方が重大だからです。

 だから宮本食悟さんは、自分の家を建てた技術を残すために、何人かの仲間と、非営利民間団体「呼吸大学」というものを造っています。

 ここで、「正統屋根床工法」などのいろんな技術を学んでくれる人を募集しているのです。

 ただ正直言って残念ながら、まだ呼吸大学は、軌道にのっていない構想段階だそうです。

 紫陽花は、「呼吸大学」早く、生徒が一杯になって欲しいと思うのです。

 しかしそれだけでは面白くありません。

 次に宮本食悟さんが、やろうとしている事は、呼吸大学は、教育だけでなく、業務部門も創って、施主代行業として実際に家を建設することです。

 施主を絶対に裏切らない、業界でなく、施主の立場だけを考えて、屋根工事・壁工事・木工事の一式を本校建設部門の直営工事『この場合の建築物は本校の指す「呼吸する家(縦風の家)にあたらない」』をやろうとする施主代行業を計画したり、宮本食悟さんの自宅のような完全な呼吸する家を造ったりする事を考えているそうです。

 実際に今、京都、三重、静岡などの3件で、家を建てる話があるのです。

 ただこの家は、建築基準法の問題や呼吸する家では、ローンが通らないと言う問題があって簡単にいかないそうです。

 施主に絶対に迷惑をかけられないからと、宮本さん自身、慎重に計画している段階なのです。

 だから紫陽花は、宮本食悟さんの「呼吸する家」が、日本中で建てられたらいいと、心底、願わずにいられないのです。

 でも実際には難しいと思いますし、紫陽花は、宮本食悟さんは、いつか、建築基準法などの法律に違反した罪で捕まるのではないかと不安を持ちました。

 建築基準法などと同じ法律、薬事法で、紫陽花は、健康にいいものを販売したり、勧めたりして、捕まったことのある人を何人か知っているからです。

 最後に宮本食悟さんの心からの成功を願って、終わりたいと思います。

平成1398

 では皆さんご縁で・・・「天よ。縁の花の読者だけでなく、その背景にいる多くの眼に観えない霊達も救わせて下さい」

「宮本食悟さんや、呼吸大学の皆さんや、何よりも、正倉院を建てた、多くの人達の幸せを願わせて下さい」

 

 追伸、今回の縁の花は、紫陽花に取っては大きな経験でした。

 いろんな人の講演内容は、文章にまとめるのは、自信がありますが、インタビューは始めてでした。

 しかも取材する事が前提でなかったからです。

 でも何とか、まとめる事ができました。

 他にも宮本食悟さんからは、主語を変える話とか、土の話などの、いろんなすばらしい話も聞いていますが、「地動の説 土編」とか、「地動の説 食編」で書く機会があったら書きたいと思います。(大変だ。これは)

 また住宅関係とはまったく関係ない紫陽花は、何も貢献してあげられませんが、今後も、宮本さんの活動に注目したいと思います。

 宮本さんの活動が、一部の人達の権力で、圧力を受けるのなら縁の花の出番です。

 その時には、縁の花の力は発揮すると思います。

 残念ながら、強大な権力に迫害されながらも、信念を通したコペルニクスさんや、ガリレオさんとは縁は持てなかったけど、同じ立場の人、宮本食悟さんと縁が持てた喜びを噛み締めてがんばりたいと思います。

 と同時に紫陽花は、皆さんに宮本食悟さんの事でお願いがあります。

 宮本食悟さんは、「地動の説 住の編」を理解してくれる、建築業界の人を探しています。

 紫陽花は、そんな宮本食悟さんの考えに賛成ですし、何かの博士号をとったらいいと思います。

 日本では難しいので、外国、できたら米国などの博士号を取らせてあげたいのです。

 そうすれば、宮本食悟さんの活動を、妨害しようとする人もしにくくなります。

 正倉院の研究の博士号でも、五百年建つ建築の博士号でも構いません。

 外国でも、日本でも、建設業界の博士号と縁ある人は、宮本食悟さんに紹介してあげて下さい。

 よろしくお願いします。

               呼吸する家のホームページ  呼吸する家に関心があります。

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