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 縁の花

     (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第157号

         縁の言葉

 

              …「縁の言葉の紹介」…

今までに、偉人やいろんな人がすばらしい言葉を語っています。

 皆さんも、何個か、自分を支えている言葉があると思います。

 癒してくれる言葉や、希望を与えてくれる言葉なんかです。

 またもちろん、人との出会い、縁についてもいろんな人が語られています。

 以前から、そんな縁についての言葉を、紫陽花は皆さんに紹介したいと思っていました。

 皆さんが縁について考えた時や、縁の不思議さを感じた時、そんな言葉に出会って、縁をもっと大切にする、参考にして欲しいと思ったのです。

 それで、実は、紫陽花は、図書館やインターネットで、縁が付いている言葉に、どんなものがあるか、調べてみました。

 おそらくたくさん、あるから、それをできるだけたくさん紹介したと思ったのです。

 しかし、すばらしい言葉や、癒される言葉は、たくさん紹介されていましたが、意外と、縁がついている言葉は、そんなにありませんでした。

 それで、紫陽花の、縁の言葉に関する号、企画は早々と躓いてしまったのです。

 だけど、よく考えたら、偉い人や、有名な言葉ばかりを紹介する必要はありませんし、これからも、どんどん見つけたら、この号で追加していっても構わないと思います。

 極端な話、紫陽花が、新たに作ってもいいと思うのです。

 しかも、何も縁に拘る事もありません。

 紫陽花の好きな言葉や縁のある言葉も紹介してもいいと思うのです。

 だから、そう考えると、何か、気楽になれて、皆さんに、今から、縁に関するすばらしい言葉を紹介していきたいと思います。

 よかったら、何かの参考にして下さい。

 

         …「紫陽花が大切にしている縁の言葉」…

  「人間は一生のうち会うべき人には必ず会える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」   森信三

 

この言葉は、哲学者であり、大教育者である、森信三先生の言葉です。

 紫陽花が、いろんな縁に出会うたびに、この言葉を思い出し、改めて縁の不思議さに感じます。

 この言葉のいう事は、真理だと、心から思うのです。

 というのも、この言葉の意味は、紫陽花なりの解釈だと、人の人生は、すでに決められているのか、天によって導かれているのか、必要としている人には、どんな人とも会えている。

 しかも、それが、早くもなく、遅くもなく、ちょうどベストの時期に、この頃に会えないといけないという時に、会っているというのです。

 本当に真理のある言葉だと思いますし、紫陽花自身も、その通りだと思うのです。

 と同時に、この言葉を、紫陽花が始めて知ったのは、森信三先生のお弟子さんで、森信三さんの教えを、本などに残している、紫陽花の地元、泉州の岸和田にいる、読書会の寺田先生との縁が会った時に、直接教わり、大変感動しました。

きっと、この言葉との出会いも、必ず、紫陽花は知る事ができ、ちょうど、3年ぐらい前の時期に知る事が、一番良かったのだと、今から考えても思います。

直接、一番弟子の寺田先生から聞かされたから、ものすごく鮮明に覚えているのだと思うのです。

だから、紫陽花は、皆さんにも、人との出会いや、物や言葉などの出会いも、縁を持った時が、自分にとって一番、いい時期なのだと思って欲しいと思います。

 

 

  「小才は縁に逢って縁に気づかず。中才は縁に逢って縁を活かさず。大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」柳生家の家訓

この言葉も、縁の花にとっては定番です。

 紫陽花は、初めて出会った人で、縁の花を送った人には、お手紙の中で、この言葉を紹介しているからです。

 皆さんとの袖触れ合う他生の縁を活かしませんかと、皆さんに御願いしているのです。

 だから、縁の花に取っては原点になります。

 大才として、他生の縁も、これを活かす事が、紫陽花の考える、縁の花が咲く事だと思うのです。

また、この言葉の意味ですが、「優れた人は、袖がふれ合うような、ちょっとした出来事についても、仏教言葉でいえば、前世からの因縁によって、今の言葉でいえば、どんな縁でも自分にとって必要な縁で、何か意味のある事だから起こるので大事にし、自らの人生の中に大いに生かしていかないといけない」という事になります。

しかも、紫陽花は、この柳生の家訓は、ただ単なるいい家訓ではなく、血を流して戦ってきた、戦国時代という激動の時代に生き残った知恵、ものすごいノウハウがあると思います。

というのも、柳生家は、もともと奈良県の柳生の庄にいた地侍だったのですが、柳生石舟斎(せきしゅうさい)が、剣豪で有名な上泉伊勢守と3度対戦して、3度見事に敗れた事を縁に、真剣しはらどりの業を会得する事を託され、柳生新陰流を起していったからです。

それが、織田信長や豊臣秀吉の時には、認められなくても、徳川家康によって、評価され、剣豪なら憧れる、将軍家剣術ご指南役をする事になり、1万国の大名になっています。

小説はともかく、歴史としては、その中で、どうして柳生家が、徳川家康との縁を持ち、どういった事で、剣術指南役になれたのかは、まだまだ経過は分かっていませんが、いろんな縁を、柳生家は、活かして来たのだと思うのです。

是非、紫陽花にしろ、皆さんにしろ、そうありたいと思います。

 

 「人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ。めぐりあいのふしぎに手をあわせよう」

これは四国に住んでいる詩人、坂村真民先生が書いた詩、めぐりあいの中に出てくる文章です。

坂村真民先生は、他にもすばらしい詩をいくつも書いていますが、紫陽花は、この詩は縁が出てくるだけに大好きです。

また、意味は、別に解説する必要もないと思います。

縁(えにし)というものは、本当に不思議です。

明日、誰と会うか、どんな出会いがあるかなんか、誰にもはっきりとは分かりません。

その不思議さに、紫陽花も、手を合わせる心をつねに持ちたいと思います。

是非、めぐりあいの詩を読んで欲しいと思います。

 

       めぐりあい

人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ
大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとのつながりを持つ親しい存在となった
めぐりあいのふしぎに手をあわせよう

 

 

        …「縁のすばらしい言葉」…

 

「先縁尊重の心を持つ」  福田純子大統領

 福田純子さんの「幸せな気持ちになる不思議な本」の中で、出会いの縁のすばらしさを紹介しています。

 というのも、どんな縁に出会うにしても、その縁に出会う前の経過があります。

 人は、誰のお世話にもならずに、成長する事はありえません。

 両親や、兄弟、師や先輩などの、いろんな人のお世話になっています。

 それはすべて偶然ではなく、必然の縁の繰り返しによって、生かされているというのです。

 だから、福田純子大統領は、今の時代は、出会いや縁をネットワークという形で活用することの多い私たちですが「先縁尊重の心」つまり、誰のおかげで出会えたのかという先の縁を尊重する心を忘れたらいけないといっています。

というのも、例えば、紫陽花が、縁の花を書くようになったのは、MGという高度情報社会の事を勉強する所で、多くの同志と出会ったからです。

 多くの同志との縁を深めたいと思って、縁の花、書き始めたのです。

 またそのMGの縁で、知花先生や、船井先生などの多くの人と出会えました。

 それで、紫陽花は、本当の世界を知る事ができました。

 だからMGはなくなりましたが、紫陽花は、本当に、今でも感謝しています。

 そんな先の縁を尊重する心があって初めて、大きく裾野の広がった豊かな人生に迎えられる。

 出会いのルーツは、しあわせの道しるべです。

 福田純子大統領は、そう教えてくれたのです。

 

 

  「縁とは、自分の魂が計画してきた、一つ一つが人生の分岐点です」   岩谷正

 

 別に、紫陽花が言い出した事ではありませんが、自分の人生は、すべて決まっているといいます。

 生きがいシリーズの飯田史彦先生や、小林正観さんもそういっています。

 自分の魂や、チームを組んでいるたくさんのソウルメイトの魂同志で、あの世で相談して、計画している事なのです。

 だから、その説が正しかったら、紫陽花にしろ、皆さんにしろ、今、体験している事は全部、すでに、自分の魂で計画していたとおりの事をしている事になります。

 この世に偶然なんか一つもありません。

すべては必然で、決められていた事です。

 誰と縁を持ち、どんな事をやるか、自分の魂が計画していた事なのです。

 ただし、その計画は、一つではありません。

 どのくらいあるのかは分かりませんが、選択肢はたくさんあると紫陽花は考えています。

 例えるのなら、アミダくじのようなもので、いろんな縁や試練が、一つ、一つ、アミダくじの分岐点になります。

 その分岐点で、計画どおりに、縁を活かしたり、試練を乗り越えたりしたら、上の方向、縁を活かせなかったり、試練を乗り越えたりできなかったら、下の方向に進む事になるのです。

 でも、うまくいかなかっても、大丈夫です。

 同じような分岐点、試練、縁は、次々と用意されており、その分岐点にうまく合格したら、上に上がれるようになっています。

 必ず、会わないといけない人には、よほどないかぎり、会えるようになっている訳なのです。

 これが、今の所、紫陽花が考えている、縁の実体なのです。

 

 

 「縁は、神様のプレゼント・自分の魂が高まる大いなるチャンスです」  岩谷正

 この事も、今更、紫陽花がいう事ではありません。

 たぶん、皆さんの多くも、そう思っていると思います。

 明日、どんな人と会うか、1週間後、自分が、どうなっているか、誰にも分かりません。

 リストラ、交通事故、すてきな人との出会い、特に今の時代、何が起こるか、不透明です。

 しかし、だからこそ、起こる縁は、神様のプレゼントだと思ったらいいと思います。

 どんなに約束していても、用事ができて来られなくなった人は、来られません。

 縁は自分が作るのではなく、神様が創るもので、すべてはプレゼントであると考えたらいいです。

 紫陽花は、その神様の存在を、縁の神様と名づけて、縁を作ってくれる事のお礼に、感謝を届けるようにしているのです。

 また、その縁も、確かに良縁もあれば、悪縁もあります。

 いい縁だけとは限りません。

 しかし一見悪縁といわれている縁の方が、試練を与えてくれるので、魂の面で考えたら、良縁になります。

 人は、試練を通して、辛いけど自分を成長させるからです。

 本来、良い縁、悪縁はなく、すべては必用な縁なのです。

 だから悪縁と縁を持つ必用がありませんし、気を付けないといけませんが、紫陽花は、縁に関しては、いい縁にしろ、悪い縁にしろ、縁から逃げずに、むしろ積極的に縁を持とうという意志を持つべきだと思います。

 というのも縁、チャンスも、よく言われているように、前髪はあっても、後ろははげていて、後ろから掴もうとしても、つかめないからです。

 タイミングが大事で、その時に縁を持てなかったら、再び、縁を持てないのです。

 是非、縁に関しては、チャンスと捕らえて、逃がさないように、もって欲しいと思います。

 

 

 他にも縁についてのすてきな言葉はあると思います。

 縁自体、仏教の言葉なので、そこからでもいい言葉はたくさんあります。

 それは、もう少し待って下さい。

 これから、どんどん集めたいと思います。

 

               …「紫陽花の好きな言葉」…

  「念ずれば花開く」

 この言葉は、めぐりあいの詩で紹介した、坂田真民先生が、書いたもっとも有名な詩の題名です。

花が開くと言う事で、紫陽花も、ものすごく大切にしています。

意味は、詩を読んで頂けたら分かると思いますが、どんな事でも、ずっと願っていたら、必ず花が咲くという事です。

継続は力だという事です。

紫陽花の縁の花も、ずっと続けていたら、いつか、大きな縁の花が咲くとものすごく励まされました。

 

 念ずれば花開く

念ずれば 花開く

苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを

わたしもいつのころからか となえるようになった

そうして そのたび わたしの花が

ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいていった

 

 また、他にも坂田真民先生の誌で、紫陽花の好きな誌の一節や、何か気になる言葉がありました。

 

              生きることは

生きることは 自分の花を咲かせること

風雪に耐え寒暑に耐え だれのものでもない 自分の花を咲かせよう

あじさいの花

まるくまるく 形のよいものに なろうとする 

やさしい心の あじさいの花

きのうよりも きょうと 新しい色に なろうとする 

雨の日の あじさいの花

 

紫陽花は、あじさいの花が大好きです。ある人から、縁の花は、あじさいの花といわれた事があります。

紫陽花も、あじさいの花に、何か特別なものを感じています。

 優しい心の、新しい色になろうとする、あじさいの花のような、縁の花に育てたいと思います。

 

 

 他にも、紫陽花自身、好きな言葉はあります。

 しかし、ただ紹介するだけなら、他にもいろんなサイトがあるので、縁に関する言葉は、2002511日の時点では、ここで終わりたいと思います。

 あまり、今、紹介したいという気になれないのです。

 たぶん、まだ、紫陽花の心の中では、どの言葉も消化できていないのだと思います。

 しかしこれからも、すばらしい言葉が、紫陽花の心の中で、響けば、縁の花の第157号「縁の言葉」で紹介していきたいと思います。

 その意味からいえば、この号は、まだまだ未完成です。

 だけど、そんな号があってもいいと思います。

 では皆さんこれで

平成14511

 

 

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