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縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

             第166号

     すべての縁に「ありがとうございます」

        〇「「紫陽花のキーワード」」〇

 皆さんは、自分のキーワードを10個あげなさいと言われたら何を書きますか。

 よく、インターネットなどの出会いサイトなどで、自分の存在をアピールするものをあげなさいといわれたら、何を選びますか。

 紫陽花は、いつもこれで迷います。

 といって、今、縁を持っているサイトは、ご近所を探せというちゃんとしたサイトですが、このキーワードを書く時に、本当に人間の性格や、生き方が出てくるなあと感心してしまいます。

 いえ、紫陽花は、つくづく駄目だなあというか、遊べないと言うか、正直笑ってしまいますが、どうしても選ぶキーワードは、本当のものに偏ってしまいます。

 精神世界、船井幸雄、地球村、村上和雄、笑顔共和国、本物、神との対話、サイババ、飯田史郎の生きがいの創造、ヨガ、波動、イルカ、気、坂本竜馬などが、ずらっと並んでしまうのです。

 本当に笑ってしまいます。

 はっきりいってこれでは殆どの人と縁が持てないのです。

 しかも、こればかりではいけないと想って、自然、ホームページ作成とか、花、もの書き、歴史なども書きますが、たまに縁ができてもやっぱり後が続きません。

 そんなキーワードで、たまたま縁ができても、結局うまくいきません。

 価値観が全然違う人と会っても、やはり縁が続かないのです。

 全然楽しくないのです。

 だから、この頃は諦めています。

 なかなか紫陽花と同じ価値観を持つ人はいませんが、全然いないという訳ではありませんので、今は、全国のいろんな人と楽しい縁が、できたらいいなあと想っています。

 別に会えなくてもいいので、いろんな人とメールの関係で、縁を持っているのです。

 でも、そのキーワードですが、実は、もうあまり興味がないものも何個かあります。

 紫陽花の場合は、興味がないというのではなく、この頃、縁がないというものですが、考えてみたら、本当にたくさんあります。

 ざっと書いてみても、船井幸雄先生に関しては、この頃は本が出ていても読みませんし、地球村には、今は参加していません。

 村上和雄さんとは一度、講演を聞いただけの縁ですし、神との会話は、本を読んだだけです。

 ヨガや、気は興味ありますが、紫陽花の縁のある人がやっているだけで、紫陽花は直接やった事はありません。

 こうしてみると、紫陽花のキーワードは、今は正確でない気がします。

 その時には、夢中になったり、感動したりするものでも、今で考えたら、紫陽花の興味あるものとはいえなくなっているのです。

長くは続かないのです。

 それで、今回の縁の花では、今までの紫陽花の縁を少し整理する事にしました。

 21世紀になってから、新しくできている縁もたくさんありますし、ずっと21世紀になってからも続いている縁もあります。

 その反対に、20世紀で止まっている縁も、多くあります。

 一度、今迄紫陽花が縁を持ってきた本当の縁をここで、簡単にできるだけ紹介したいのです。

 いえ、それらの縁があって、今の紫陽花があります。

 全部必要な縁で、紫陽花は、いろんな事を教わりました。

 それらのすべての縁に「ありがとうございます」と感謝の波動を送りたいのです。

 きっと皆さんも知っている縁もあるので、読んで頂けたら幸せです。

 

             五島勉さん「ありがとうございます」

まず紫陽花が、そもそも本当の世界に縁を持つようになった事で、最初に忘れてはいけない恩人がいます。

それが、ノストラダムスの大予言などで有名な五島勉さんです。

忘れもしません、小学校六年の頃、五島勉さんの書いた本、ノストラダムスの大予言の本を読んで、紫陽花は、人類の未来に興味持ちました。

ノストラダムスが予言したように、人類は滅亡するかもしれないと想ったのです。

だから、紫陽花は、ずっとそれから後も、五島勉さんの本は、出版されるたびに読んでいました。

熱烈なファンの一人だったのです。

また、紫陽花は、五島勉さんの本のおかげで、いろんな知識を持つ事もできました。

キリスト教の聖書でも、人類の未来に警告している事も知りましたし、仏教でも、ブッタが警告している事も、知りました。

フリーメソンなどの影の組織がいる事も知りました。

紫陽花は、五島勉さんのいろんな本を読む事で、いろんな知識を得る事ができたのです。

しかも何よりも大きかったのは、五島勉さんの本を読む事で、自分の心の中に、人類の為に、何か、紫陽花にできる事がしたいという志を育てる事ができたという事です。

そんな闘志が、高校、大学、社会人となっていく内に、わいてきたのです。

だけど、そんな五島勉さんと、直接、縁が持てるとは夢にも想っていませんでした。

一度お話を聞きたいと想っても、会えるはずが無く紫陽花にとっては、五島勉さんは、あくまでも本の世界で、読者として読む縁だったのです。

しかし21世紀になって、直接、縁を持つ事ができました。

というのも、五島勉さんは、「日本・原爆開発の真実」という本を出し、この中で、河内正臣さんの事を詳しく取り上げてくれました。

昭和天皇が、原爆開発を止めた、隠れた真実を本にしてくれたのです。

だから、紫陽花は、それを河内正臣から聞いて、喜んで本を買うと読みました。

それで感動して、2001年10月に、縁の花、第150号「日本・原爆開発の真実」を書きました。

そうしたら、何と河内正臣さんが、五島勉さんに送ってくれて、紫陽花は、五島勉さんに繋がりました。

五島勉さんが、お手紙をくれたのです。

紫陽花は、本当に無限の無限の幸せを味わったのです。

また、その後も縁は、続いています。

忙しい方なので、何でもかんでも送るのではなく、どうしてもお伝えしたいというものだけですが、五島勉さんは、返事をくれるので大好きです。

第150号の小冊子を送ってくれた時は直接お電話くれました。

「ありがとうおじさん」の本を送った時は、年賀状でお礼をいってくれました。

正直いって、五島勉さんと紫陽花が、直接会って何かをできる縁を持てるか、どうかは分かりませんが、紫陽花が、長年の夢だった、「五島勉さんの本で、本当の世界に目覚めました。ありがとうございます」と感謝する事はできました。

本当に縁の神様「ありがとうございます」なのです。

 

             ∞「MGで出会った縁」∞

           MGの同志「ありがとうございます」

次に、紫陽花が本当に感謝しないといけない存在は、MG(高度科学情報セミナー)の同志との縁です。

ここの縁があって、初めて、紫陽花は、本当の世界に入る事ができました。

縁の花が、誕生したのも、全部、MGの同志のおかげなのです。

しかし、そんなMGは、今はありません。

失敗して、なくなってしまったのです。

というのも、紫陽花が、MGと縁を持ったのは、平成3年の6月でした。

ある友人から、次の社会、高度情報社会の事をセミナー形式で講演している人達の話を聞いたのです。

その時、紫陽花は、本当に感動しました。

平成15年からみたら、もう10年以上の歳月が過ぎていますが、MGで教わった事はあたりました。

インターネットのない時代に、インターネットのようなものができると言っていましたし、IT産業が、日本経済や世界経済を押し上げるといったものもあたりました。

このまま日本がITに力をいれないと、米国に負けて、経済力でも、米国に大きく遅れをとるといった事もあたりました。

今から考えても、MGは、日本で1番、最初に、こういった事を多くの人に伝えた組織だと想います。

でも、そのMGは、跡形もありません。

高度情報社会を理解する、財閥に変わる智閥を結成して、時代を創ろうと言う志は良かったのですが、いけなかったのは、その動機です。

次の世界に早く入って、お金とか、権利などを一早く手に入れようという人が、多く縁を持ってしまったのです。

だから結局、MGは見事に失敗しました。

紫陽花が、MGの失敗で学んだ一番の事は、実はその事です。

自分はそうでなくても、同志がお金とか、地位などの欲望を持って動いたら、これからの時代は、いくら志がよくても、企画がすばらしくても、成功はしない。

天が、許さないと言う事です。

本当に、紫陽花のとっては、人生が狂ってしまう、痛い、痛い事でしたが、泣く泣く、本当に「ありがとうございます」なのです。

お金でいえば、全部合わせたら200万ちかく投資していますし、会社も、MGに熱をいれすぎて、辞めてしまったのです。

でも、そのMGのおかげで、紫陽花は、多くの人と同志と縁を持つ事ができました。

まず、何よりも「無限の無限の喜び」だったのは、全国にいる、同じ志を持った人達と、縁が持てたという事です。

というのもMGの上層部は、全然駄目でしたが、末端にいる人達は、本当に純粋なすばらしい人達でした。

世界のIT化の流れから遅れている日本を救いたいという人や、自分達の理想とする福祉や環境に、貢献できる社会を創りたいという人の集まりだったのです

だから紫陽花は、自然に縁を持つ喜びを知りました。

というのも今迄、五島勉さんや宇野正美さんの本を読んでいる人が、周りに誰もいなかったので、紫陽花は、ある意味で孤独でした。

なのに、日本や世界の事を語れる人が、MGの同志の中にはたくさんいるので、紫陽花は、MGの同志と酒を飲みながら、いろんな志を語り合う喜びを知ったのです。

まさしく類は類を呼びます。

MGの同志には、会社の社長だけでなく、普通の主婦でも、日本の将来の事を語り、本当に楽しかったのです。

その時が、一番の「無限の無限の幸せ」だったのです。

また、そんなMGの同志に、紫陽花が、本当に「ありがとうございます」と心から感謝しないといけないのは、MGの同志が縁の花を書くきっかけを、与えてくれた事です。

紫陽花は、MGで教わった志や、構想を、多くの人に伝えたかったから、縁の花を書き始めたのです。

ですから、MGの同志に関しては、感謝せずにおれません。

もし、日本の国が、今のようにITに目を向けなかったら、大変な事になるという事を、縁ある人達に、伝えたいと想わなかったら、縁の花は、絶対に誕生しなかったと想うからです。

しかも、MGの同志の中には、今でも、縁の花を通して、縁を持っている人が、何人もいます。

MGの多くの同志は、「縁の花」の恩人になるのです。

 

          船井幸雄先生「ありがとうございます」

MGから頂いた縁は、実は、全国の同志だけではありません。

紫陽花に、すばらしい多くの「本当の先生達」の縁をくれました。

全国から、世の中を何とかしたいと言ういろんな人が集まるので、いろんな情報が集まるのです。

また、その中でも、紫陽花が、最初に、感謝しているのは、船井総合研究所の会長である船井幸雄先生との縁です。

というのも、紫陽花が、船井幸雄先生を知ったのは、MGに入ってすぐです。

MGの同志である原先生の紹介で、船井先生が、MGの高度情報科学セミナーで、多くの同志の前で講演してくれたのです。

だけど、紫陽花は、残念ながら、その話を、直接聞く事はできませんでした。

でも、その話を同志の人から聞いて、船井先生の考え方に関心を持ちました。

船井幸雄さんは、何冊も本を出しているという事なので、さっそく読んで見たのです。

それが、人間の研究と言う本です。

忘れもしません。

紫陽花は、この本を読んで、本当に感動しました。

船井先生は、初めて、この本の中で、本物といった概念を打ち出したからです。
というのも船井幸雄さんは、船井総研と言う会社の会長をしています。

お仕事は、顧問している企業に戦略や戦術を教えて、競争相手に勝つ事です。

競争のプロなのです。
なのに、その先生が、今までの常識とは反対の事、これからは競争でなく、共生という

考えでないと、21世紀とても生きられないと教えてくれたのです。

自然界に競争はなく、共生しかないというのです。

それが、本物の考えだと教えてくれたのです。

しかも船井先生は、本の中で、多くの本物というものを紹介してくれました。
これから、皆さんに紹介していく事になる、笑顔共和国や地球村、生きがいの創造の

飯田先生も、そうですが、最初は、全部、船井先生が書いた本で知ったのです。

そして紫陽花は、そんな本物の技術や考えが、21世紀になった時に、大きな花を咲かせて、

日本や世界を救うだろうという事に希望を持ちました。

五島勉さんがいっている、日本や世界を救う別なものとは、たくさんの本物達だと確

信したのです。

 だから、船井先生も、紫陽花にとっては大きな影響を与えてくれた先生になります。

 もし、本物という概念を知らなかったら、紫陽花は、本当の世界に入っていなかったと想うのです。

 いえ、本当の世界に入っている多くの日本人にとって、船井先生は、恩人になります。

 船井先生の本や話に感動して、本当のものと縁を持った人は、実に多いからです。

 紫陽花自身も、最初の頃は、夢中になって、船井幸雄先生の出す本を夢中になって読んだ事、今でも覚えているのです。

 しかし、今、紫陽花は、船井先生の本を、読んでいません。

 船井先生自身、あまり本を出していませんし、何か、以前の頃の元気、エネルギーがない気がするのです。

 というのも、船井先生が、本の中で紹介していたそごうの百貨店なども倒産しましたし、顧問している会社の業績が、この不景気ですから、よくなっている訳でもありません。

 船井総研の株価も低迷しているのです。

 しかも、本物という考えも、船井幸雄先生が、想った程は普及していません。

 百一匹の猿現象で、船井先生の本などを読んで、目覚めた人は、どんどん増えていき、いつか、日本や世界じゅうの人が、本物の考えが持つ時期が来ると、予想していましたが、残念ながらそんなふうにはなっていません。

 21世紀に入っても、全然駄目なのです。

 ですから、紫陽花は、今、船井先生に感謝していますが、関心はあまり持っていません。

 講演を聞いたり、色紙にサインして貰ったりした事もありますし、船井先生のにこにこしている人相も大好きですが、縁をどうしても持ちたいとは想わないのです。

 だけど、まだ、船井先生との縁がない人には、是非、一度、本を読む事を勧めます。

 船井先生の考えは、本当の世界のバイブルになるので、読んで欲しいと想うのです。

 

           原裕一郎先生「ありがとうございます」

 MGの縁で、紫陽花が1番感謝しているのは、紫陽花の恩師である、原裕一郎先生の縁を頂いた事です。

 原先生は、紫陽花達と同じ同志、MGクルーと言う立場で、大活躍していました。

 年齢的にも、高齢にかかわらず、自分が創業した立派な会社を人に譲ってまでも、高度情報社会の為に、命懸けで取り組んでいました。

 はっきりいってMGのトップは、どうしようもなかったですが、原裕一郎先生は、MGの同志の中でも、志士の中の志士だったのです。

 まさしく平成の志士といえると想います。

 しかし、そんな原先生は、MGの一番の被害者でした。

 MGの講師として、ボランティアで講師を務めてくれた事も考えたら、膨大な時間を無駄にしています。

 なのに、MGは、あっさり消滅しています

 紫陽花自身、多くのMGの同志と一緒に、MG構想をどうしても、成功させたかっただけに、本当に残念なのです。

 だけど、原先生のすごいところは、そんな事があっても、めげずにとても元気だという事です。

 MGとの縁から離れても、原先生は、高度情報社会の志を捨てる事はありませんでした。

 生年月日で人の個性が分かると言う素質学や、電話事業であるDDNなどでも、どこでも、多くの人に必要とされて、大活躍していたのです。

 また、そんな原先生は、21世紀になってからは、なんでんかんでん村というものを、インターネット上で立ち上げて、ガンバッテいます。

 メールで、いろんな本当情報を、無料で、村人に登録した人には送ってくれます

 その情報は、縁の花のホームページで、この号を書くのが縁で、特別にコーナーを作って全部紹介していますが、原先生の得意の本当情報や、生年月日で人の個性が分かる素質学、

 日本経済は、ここまで悪化しているという真の経済情報や、波動の情報、影の政府の情報や、少しユニークなフォトンベルトの情報などを送ってくれるのです。

 実に千差万別なのです。

 しかも、なんでんかんでん村は、原先生だけの一方的な方向ではなく、読者との双方向です。

 読者が原先生に送った情報で、原先生が気にいったものがあれば、なんでんかんでん村の情報として流しています。

 縁の花も紹介してくれた事もありますし、紫陽花の友人の森義光さんや、他にもいろんな人が送るすごい情報流しているのです。

 だから原先生のなんでんかんでん村の情報は、平均すれば5日〜6日に一度ぐらいは届きます。

 2003年1月26日の時点で、もう56号まで書いているのです。

 紫陽花は、この原先生は、ガンバリには、本当に驚いています。

 最初に頂いた時には、こんな早いペースで送って来られるとは想わなかったのです。

 しかし紫陽花がもっと驚いているのは、村人になる人のペースです。

 2002年5月10にたった19名で始めたものが、2003年2月10日の時点で、   462名に増えているそうです。

 毎日、一人は村人になりたいという人がいるという事で、紫陽花は、さすがに原先生と言う気持ちで一杯です。

 紫陽花自身、原先生を見習って、紫陽花なりの縁の花情報を届けようかなと考えた事もありましたが、とてもできないと想ったのです。

 ですから、紫陽花は、読者の皆さんにも、是非、なんでんかんでん村の村人になる事を勧めます。

 原先生と縁を持って欲しいのですし、紫陽花自身、原先生と、21世紀も供に縁が持てる事に、「無限の無限の幸せ」を感じています。

 紫陽花自身、原先生には、MGの頃から、縁の花の読者になって頂き、支縁金でも、ずっとお世話になって頂いていたので、本当に大輪の花を咲かせて欲しいと言う気持ちで一杯なのです。

 ただし、紫陽花自身、そんな原先生が、なんでんかんでん村を、インターネット上で、バーチャルな世界を創ってから、一体何をしようとしているのかはまだ分かっていません。

 原先生と供に、高度情報社会の勉強をしたものとして、智閥を創ろうとしている事は分かるのですが、その智閥が何をしようとしているかは未知数です。

 それは今後、おいおい分かってくると想います。

 だから、紫陽花は、それを楽しみにしています。

 原先生がいざ鎌倉となった時には、紫陽花も喜んで協力したいと想います。

 21世紀になっても、原先生とずっと縁が持てる幸せに感謝しているのです。

 

 

知花敏彦先生「ありがとうございます」

MGのおかげで、知り合った縁は、他にもたくさんあります。

 何しろ、MG自身、平成の志士を育てる私塾を目指していました。

 全国からちょっと変わった人ばかりが集まっていました。

 いろんな本当情報を、頂けたのです。

 だからそれが縁で、今も縁の花を読んでくれる人は、何人かいます。

 今から考えても、本当に楽しかったです。

 また、その中でも、1番、「無限の無限の幸せ」だったのは、やはり、MGの高度情報科学セミナーを卒業する時にいった、山梨の清里だったと想います。

 というのもMGでは、高度情報科学セミナーを卒業する時に、最後のセミナーとして、海外か国内を選択して、MGで知り合った何人かの人達と、クラスとして、3泊4日以上の合宿しないといけません。

 紫陽花は、知花敏彦先生がいる、山梨の清里を訪ねる、清里クラスを選び、25名以上の同志と平成5年の5月頃に行ったのです。

 しかも、MGと知花敏彦先生とは、不思議な縁がありました。

 知花先生を紹介してくれたのは、高度情報科学セミナーで講演してくれた船井先生ですが、その船井先生が話した知花先生に興味を持った同志が、山梨の清里に行った時に、自らMGと名乗っていないのに、知花先生から、「MGの人かね。君達は、将来ある組織と組んで大成功するよ」といわれてびっくりしたという伝説があります。

 今から想えば、知花先生、あの予言はどうなったのと聞きたい気もしますが(笑)、その事が、MGの同志の中で噂になった事もあって、たくさんの同志が、清里に訪れていました。

 MGのトップの人、森宮シニアも、連絡もせずに訪れたのに、ちゃんとそれが分かっていたという不思議な人だったのです。

 それで、自然の成り行きで、清里クラスは誕生して、紫陽花も、船井先生の本で、知花先生の事を知っていたので、ワクワク・ドキドキして参加したのです。

 そして、紫陽花は、清里クラスに参加した事で、初めて、知花先生やサイババの事を知りました。

 沖縄で生まれた知花先生は、自分の意志で、南米のボリビアに移住し、そこで、誰もいない、動物しかいないジャングルに一人で暮らす事で、神や自然と一体になる事ができ、ある時に日本や世界を救う為に、神から日本に帰るようにいわれ、まず沖縄に帰ると、そこで何人かの人達に、朝、講演したり、瞑想したりする事で、信じてくれる人も増やし、いよいよ地球の地軸の中心になる、清里に、何人かの沖縄からの人達と移り住んだという事でした。

 清里の知花先生が住んでいる、やすらぎの郷には、サイババのビデオも置いてあり、紫陽花は始めて、サイババの存在も知りましたが、サイババは知花先生の仲間という事でした。

 そんな初めて触れる、話に、紫陽花は感動したのです。

 素直に信じる事ができたのです。

 瞑想、「我神なりという」という知花先生のいう瞑想も初めて体験したのです。

 だから、清里クラスでの知花先生との、3泊4日の縁は、面白かったです。

 原裕一郎先生や、今も縁がある、桑山朋巳さんや、尾上正さんなどとの、MGの同志との縁も頂いたのです。

しかも紫陽花は、清里クラスが終わった後も、自分なりのイメージの瞑想を夜、寝る前にするようになりましたし、日頃「我神成り」とたまに唱えるようになりました。

紫陽花に、ものすごい影響を与えてくれたのです。

ですから紫陽花は、知花先生との縁を、その後も、3、4年は、持つ事になりました。

清里クラスの仲間と、清里のやすらぎの郷に行った事も、2回ぐらいありますし、兵庫や大阪、京都に、知花先生が、講演会に来た時には、参加しました。

特に、京都で、知花先生の講演会を主催していた川北雅子さんと縁ができたのは、心から感謝しています。

しかし、今は、その知花先生との縁はありません。

情報が入ってこなくなったのです。

ただホームページで、検索すると、知花先生は、清里から離れて、横浜に住むと、今も活動を続けているようです。

ですが、紫陽花自身は、今は、正直いうと興味がありません。

こんな事を書いたら、大変失礼かもしれませんが、何か、知花先生自身、紫陽花が縁を持った頃に比べるとパワーを無くしている気がします。

紫陽花が縁を持った、平成5年から平成8年頃の知花先生の勢いはすごかったからです。

講演会にもたくさんの人が聞きに来ていましたし、本も出していました。

知花先生が、日本の多くの本当の先生達をまとめて、本物の技術や、本物の思想で、日本や、世界を救ってくれる中心になってくれるかと想いましたが、そうはなっていません。

紫陽花は、21世紀になっても、そうなっていないので、今は無理かなと思っているのです。

でも、紫陽花は、知花敏彦先生には、今も、とても感謝しています。

というのも、清里クラスで、知花先生と縁を持った事で、紫陽花が、1番、感謝している事は、知花先生の周りの環境保全研究所や毎日、早朝に瞑想している人達と縁持つ事で、本当の人達と縁を持つ楽しさを教わった事です。

価値観が同じ人達と縁を持つのは、MGの同志以外でも、楽しいという事を知ったのです。

ですから、紫陽花は、MG以外にも、いろんな本当のもの縁を持つようになりました。

そんな中で、半年後、MGや知花先生の存在を、縁ができた多くの本物の人達に知らせたくて、情報誌、縁の花を書き始めたのです。

 

          ∞「本当の人達から頂いた縁」∞

 

          福田純子大統領「ありがとうございます」

平成5年の11月に、縁の花を書き始めた事で、紫陽花の縁は、大きく広がりました。

書くねたを探す意味でも、いろんな本当情報を探しにいくようになりました。

取材をかねて、いろんな本当の先生達の講演を聞きに行くようになったのです。

またそんな紫陽花が、参考にしたのは、船井先生の本でした。

船井先生が、講演や、本の中で紹介するもので、縁があるものと縁持つようになったのです。

そしてそんなたくさんある本物の縁の中で、紫陽花が、まず、最初に縁を持ったのは、笑顔共和国の福田純子さんとの縁でした。

今から考えても、本当に不思議なのですが、福田純子大統領が、わざわざ、紫陽花が、その当時住んでいた泉佐野市まで、講演に来てくれたのです。

直接、紫陽花と縁を持つ為に、本当の先生に、わざわざ、紫陽花の住んでいる市まで、足を運んで貰えたのは、これ一回きりなのです。(笑)

そして紫陽花は、その福田純子大統領の話を聞いて感動しました。

笑顔の持つすばらしさに納得しました。

福田純子大統領のいうように、笑顔は無料です。

その上に、笑顔は、人の身体にいい事も科学的にも証明されています。

しかも誰も笑顔といわれたら、反対できないし、怒れません。

紫陽花は、福田純子大統領の講演を聞いている内に、福田純子さんが、大統領を務めている、笑顔共和国が、日本を救うかもしれないと想いました。

日本中の人や、世界中の人が、笑顔人になったら、21世紀は、すばらしい社会になると確信できたのです。

いえ、正直いうと、綺麗な女性は、大好きなので、一回で大ファンになったのです。

と同時に、紫陽花は、その福田純子大統領の講演を、縁の花で書く事で、ある大発見をしました。

それは、紫陽花は、人の講演をまとめて、文章にして、誰にも分かり易くするのが上手だという事です。

縁の花、第36号「福田純子」は、なかなかいいできだと満足したのです。(今はそうでもありません。文章書くの、上達したのかな)

それで嬉しくなって、さっそく笑顔共和国の国民になると、第36号「福田純子」を、笑顔共和国に送りました。

すると、何と、福田純子大統領から、丁寧なハガキを頂きました。

後は、自然の流れで、福田純子大統領や笑顔共和国の人達とは、縁が深まりました。

すぐにお誘い頂いた姫路での、平成7年7月7日の、笑顔の七夕祭りに参加して、直接、福田純子大統領と対面しました。

年に1回ある笑顔共和国の七夕祭りや、2月11日の笑顔の建国式にも、近畿圏である時には参加しました。

紫陽花は、この事で、多くの「笑顔共和国」の国民の人達と、縁が持て、無限の無限の笑顔が一杯を体験しました。

何人かの国民さんとは、今でも縁があるのです。

その上に、何と福田純子さんも、紫陽花のお姉さんになったのです。(直接、純子さんに聞いてくれていいです)

 しかも姫路七夕祭り、伊勢七夕祭り、岡山七夕祭り、大阪の笑顔建国式の事も、縁の花で、詳しく書いています。

 今も、縁の花のホームページで、それらを見る事ができます。

 紫陽花は、無限の無限の幸せなのです。

 しかし、そんな紫陽花と福田純子さんの縁は、そんなにありません。

 笑顔共和国は、福岡にあるので、行った事は一度もないです。

 会えるのは、イベントに参加する時か、大阪に、たまに講演に来る時ぐらいです。

 でも、福田純子大統領との絆、縁は21世紀になっても続いています。

 縁の花は、ずっと福田純子大統領には送り続けていますし、福田純子さんも、たまに本などを送ってくれるからです。

その上に笑顔共和国にはホームページがあります。

これで、イベント情報などを知る事もできるのです。

しかも福田純子さんとは、21世紀に「ありがとうございます」の縁で、再び繋がりました。

笑顔七夕祭りIN「ありがとう村」には参加できましたし、今年も、福田純子大統領は、5/17・18日と、7/19日・20日に、滋賀の「ありがとう村」に来ます。

紫陽花は、それを楽しみにしているのです。

 

               地球村「ありがとうございます」

 次に、紫陽花が、皆さんに紹介したい縁は、高木善之さんがやっている地球村の縁です。

地球村との縁は、もう6年ぐらい前になると想います。

地球村は、松下電器に勤めていた高木善之という人が、交通事故で、臨死体験をして、生き返ったという体験から生まれました。

その時に高木善之さんは、人類の未来をみてきています。

10年後ソ連の崩壊、20年後アメリカ合衆国の解体、40年後、2020年頃、地球の滅亡です。

このうちソ連の崩壊は見事にあたりました。

アメリカは崩壊して(???)していないので、まだ何ともいえません。
でも地球の崩壊は、今の環境問題と人類の取り組みを見ていたら、あたると想います。
温室効果で地球の温度が上がっていることから始まって、いろんな問題があることは皆

さんも知っていると想うからです。

また高木善之さんは、そんな環境問題の一つ一つ、温室効果やオゾン層の破壊、人口の増加などを、2時間かけて講演で、多くの人に説明する、講演活動を中心にやっていました。

その講演に感動した人が、環境問題を勉強したり、各地域で集まって、環境問題などを語り会ったりする地球村の村人になるのです。
 それが地球村で、紫陽花も入会して村人になりましたし、地球村にも何度も参加しました。

地球村の本部は、大阪にあるので、毎週水曜日、夜、7時頃からやっている、地球村のミニ講習会、MMにも参加したりして、多くの村人とも縁を持ちました。

1ヶ月に一度は、高木善之さんも顔を見せ、何回もお話を聞いた事もあります。

本当に意識の高い人が、多く参加して、楽しかったです。

でも今は、地球村には行っていません。

今も、地球村の村人のつもりですが、縁はないのです。

だけど高木さんは、今も、全国で講演活動していますし、地球村も活動つづけています。

だから紫陽花は、地球がかかえている環境問題を知る事は、大事なので、皆さんにも、是非、一度は、お話を聞く事を勧めます。

でも、紫陽花自身は、今は、特に縁を持ちたいとは想いません。

環境問題の事を話すのは簡単ですが、それを言い出すと、結局、今の人類社会の生き方はすべて駄目という事になります。

車さんもテレビさんもパソコンさんもいけないという事になります。

太陽さんの光だって、フロンガスなどによって、オゾン層を破壊されているので、あびたら駄目という事になります。

正直言って、太陽さんまで悪者にするのは、紫陽花は違うと想うのです。

それに、今更、江戸時代に戻れるはずもありません。

今の科学技術を否定するのではなく、いい面たくさんあるので、それを本当の技術にして、何とか、困難な環境問題を解決するしかないと想うのです。

はっきりいって、そこのところが、紫陽花とは考え方が違うのです。

それで、紫陽花自身は、地球村とは、今、縁を持っていないのです。

また、紫陽花自身、それはある程度、正解だったような気がします。

最初、どんどん村人を増やしていた地球村も、今、村人が、どんどん増えているとは聞いていません。

紫陽花の耳にも、地球村の講演会の情報も、入らなくなりました。

紫陽花にとっては、20世紀までの縁だったのかもしれないという気が、今はしているのです。

でも、地球村には、すばらしい人達の縁を頂いて「ありがとうございます」です。

 

      飯田史彦先生、村上和雄先生「ありがとうございます」

今までに本当の先生達と縁を持ったのは、たくさんあります。

あまりにも多すぎて、とても全部皆さんに紹介できません。

でも、この二つは、皆さんも聞いた事があると想いますし、もし、一度も縁を持った事がないのだったら、是非、縁を持って欲しいので、紹介させて頂きます。

まず、福島大学の教授である飯田史彦先生は、生きがいシリーズで有名です。

本も何冊も出しています。

講演活動も、されています。

ですが、実は、紫陽花とは直接、縁はありません。

紫陽花が、飯田史彦先生を知ったのは、船井幸雄先生が、飯田先生を紹介していた頃、飯田先生がまだ売り出し中の時でした。

たまたま縁があって、話を聞く事ができただけなのです。

また、その話には、紫陽花は本当に感動しました。

まず飯田先生は、人を催眠術で、退化させていくと、小学校、幼稚園、3歳、2歳と下がっていき、0歳を越えて、あの世の事を話す人達がいるという事を話してくれました。

退化催眠自体は、小さい頃に、心の中に受けたトラウマなどを知る為に、開発された技術なのですが、前世の記憶が鮮明に蘇る人達がいるのです。

それで、飯田先生は、そういった前世の記憶を、論文にまとめました。

前世があるという事が分かったら、今後、人が生きている上で、ものすごく励みになる、生きがいが生まれるのではないかと想ったのです。

というのも、前世があって、人の魂、霊が、何か意志、目的を持って生まれて来たのでしたら、生まれた子供は親を選べないと言う事自体が否定されてしまいます。

反対に生まれてくる子供の魂が、親になる両親の魂にお願いして、了解を頂いて、生まれる日時や名前を決めるという事になります。

退化催眠の人達で、前世に戻った人達は、実際にそう証言しているのです。

と同時に、人生自体も、何かの目的があって、自分が計画しているという事にもなります。

飯田史彦先生は、それを、今も鮮明に覚えていますが、アミダくじのようなものだと教えてくれました。

どちらを選択するかは、生まれた人間に任されていますが、人生のくじは、生まれる前に、縁を持つ魂達で、ある程度決められているのです。

しっかりレールは引かれているのです。

しかも、人生である、いろんな試練や病気などは、アミダくじの分岐点という事になります。

人が生まれてくる目的が、お金を儲ける事や、名誉を得る事ではなくて、魂を成長させることだとしたら、困難な試練程、「ありがとうございます」だという事になります。

何故なら、人という生物は、そういったものがないとなかなか成長できないからです。

飯田先生は、そんな事をいって、多くの人を感動させたのです。

ですが、紫陽花が、1番、感動したのは、次に、人生に乗り越えられない課題はないという話でした。

試練は、自分の魂が、前持って用意しているアミダくじの一つなのですから、自分が乗り越えられない試練を用意する訳がないというのです。

これには紫陽花も納得しましたし、すべてに出会う縁も、すべて魂同志で約束していた事を理解できました。

その約束を全部、果たしたい。

これが、紫陽花が縁の花を続けている目的の一つなのです。

紫陽花は、その事を教えてくれた飯田史彦先生に、今も感謝しているのです。

そして何よりも、飯田先生ですごいと想う事は、そういった情報が、どんどん集まると言う事です。

まだ2歳から3歳の子供は、あの世の事を覚えている事も多いのですが、親が、そんな事を口走っても、今までは無視していましたが、今は飯田先生の本を読んで、関心を持っている人が増えているので、飯田先生にお手紙などで報告しているケースが多いです。

その情報を、飯田先生は、講演会や生きがいシリーズの本で発表していますが、いつか直接お会いして、最新の情報を聞いてみたいと、紫陽花はそれを楽しみにしています。

紫陽花が知っている飯田先生の縁は、そんな所なのですが、講演内容は、縁の花第65号で、詳しく書いているので、良かったら読んで下さい。

また、次に、村上和雄先生ですが、村上和雄先生も、大学の教授です。

筑波大学の教授で、遺伝子を専門に研究しています。

本も何冊も出しているので、皆さんも見た事があると想います。

しかし残念ながら、紫陽花は、村上和雄先生とも、直接、お話した事がありません。

講演を一度聞いただけです。

いつか、お会いして、いろんな縁を持てる事を楽しみにしているのです。

と同時に、村上和雄先生の講演もすばらしいです。

その内容は、縁の花第124号、「村上和雄」で紹介していますが、紫陽花が、まず感動したのは、村上先生がいうサムシンググレートの存在です。

大いなる存在といえばいいのか、地球上に住んでいる生物の遺伝子、設計図を創った存在です。

遺伝子の世界では、有名な村上和雄は、遺伝子を研究すればする程、一つ一つの細胞の中にある、本当に小さい遺伝子が持つ、あまりのすごさに、これは何か大いなる存在が創らないかぎり、できないと確信していっています。

何億年経過しても、自然界で、偶然に誕生するはずがない。

必ず、創造した存在があるといっているのです。

しかも、その存在は、実によく、遺伝子を創っており、それの持つ不思議さは、暗号としかいえません。

村上先生は、そんな最新の研究で、分かった事も、分かり易く教えてくれて、本当に面白いです。

聞く人を、想わず、ひきつけるのです。

と同時に、村上先生は、遺伝子のスイッチには、オンとオフがあるなんて、面白い事もいっていました。

掃除をするのが好きと掃除が好きでないというスイッチのようなものもあるといって、紫陽花に考えさせました。

道理で、紫陽花はスイッチが入っていないのか、苦手なわけだと変に納得させたのです。

また、村上和雄先生は、そんな遺伝子のスイッチを入れる方法として、環境を変える大切さをいっていました。

よく海外に行った日本人の研究者が、急にいい研究をするのも、環境が変わって、眠っていた遺伝子にスイッチが入ったのだと教えてくれたのです。

とにかく一つ、一つの話が知らない事で、面白いのです。

その上に、今、日本、EC、米国などは、遺伝子の解読で、激しく争っています。

日本も、遺伝子の特許戦争で、欧米に負けると、大変な事になります。

それだけに話に緊迫感もあります。

紫陽花は、そんな村上和雄先生の話を聞いて、遺伝子という、本当にすばらしい設計図を創ってくれた、サムシング・グレート、創造主の存在に心から「ありがとうございます」をするようになりました。

村上和雄先生にも、心から感謝しているのです。

 

 

 

            ∞「20世紀に頂いた縁」∞

           河内晢先生「ありがとうございます」

紫陽花が、次に紹介したい、大きな縁は、河内晢先生との縁です。

しかし、ここで、皆さんに紹介するのは、複雑な気持ちがあります。

河内晢先生の済度の縁だけは、紫陽花は、現時点では、縁を持つ事を勧められないからです。

少なくても、2007年になるまでは、縁を持つのは待って欲しい。

それが、今の、紫陽花の正直な気持ちです。

だから、縁の花でも、河内先生を紹介するのは、今は止めています。

昔書いた号を、縁の花のホームページで残しているだけなのです。

 といって誤解して欲しくないのは、紫陽花は、何も河内先生の事を否定するつもりはありません。

 今でも、さ迷っている多くの霊達を、救おうと、毎日、早朝から活動しているのですから、頭が下がります。

 紫陽花には、とてもできない事なのです。

 ただ、霊の話は、非常に難しいです。

 地球や宇宙に、河内先生がいうように、無数の霊達が存在しているのかも疑問です。

 河内先生のやり方、済度で、それが、本当に救えるのかも、紫陽花には確信を持つ事はできません。

 科学的に証明する事は不可能なのです。

 しかも河内先生のやっている済度は、今の常識とは違っている事もあるので、誤解を招き易いです。

 紫陽花自身、責任を持って、皆さんに勧める事はとてもできないのです。

 でも、紫陽花は、河内先生の済度の成功、心から願っています。

 何年も、河内先生の済度を信じて、縁の花でも、一部の人に非難されながらも、めげずに書いてきたのです。

 それに今でも済度をやっている人達にも、愛着があります。

 成功して欲しいと想わないわけがないのです。

 また、河内先生にも、いろんな縁を頂いています。

 広島の河内正臣さんの縁もそうですし、これから書く、西本先生や松岡さんとの縁もそうです。

他にも、いろんな本当の先生の縁も頂きました。

しかも、「縁の花」の読者だった神園さんのように、河内晢先生の縁を紹介した事で、花のように、一瞬輝いた縁もあります。

河内晢先生が、月刊誌アネモネや、いい話の新聞に、掲載された事もあります、

それに紫陽花が紹介した川北雅子さんは、今でもがんばってくれている事にも、嬉しい気持ちがちょっぴりあるのです。

でも、やっぱり縁と言う事で考えたら、河内先生の縁は、少し変です。

一言でいって、縁が続かないのです。

せっかくできた本当の先生達との縁も、結局、全部、自分で潰しています。

紫陽花自身も、大切な読者を紹介して、縁を繋げても、一時は良くても、結局壊れてしまって、紫陽花自身の縁もなくなるという悲しい想いも、何回も経験しています。

いくら霊の事は分かりずらい、霊を救うと言う事は、大変な事だといっても、紫陽花はとてもついていく気になれなくなったのです。

ですから紫陽花は、21世紀になっても、済度自体、一つも変わらないので、辞めて、何年か、離れて様子を見る事にしています。

済度が、本当か、どうかは、時間が、天が決めると想います。

だけど、河内先生や済度の皆さんに対しては、感謝しています。

何やかんやいっても、紫陽花が、20世紀に1番、情熱を向けた縁ですし、結構楽しみました。それに今でも済度が本当だったら、すごいと想います。

今は「ありがとうございます」「ありがとうございます」

無限の無限の「ありがとうございます」なのです。

 

          河内正臣先生「ありがとうございます」

 広島の河内正臣は、実は、紫陽花が、1番世に出してあげたい先生です。

 というのも、河内正臣は、まだまだ若いつもりでいるかもしれませんが、やはりお歳をとっています。

 しかも、河内正臣先生は、もう40年以上も、「天皇の真実」を広める地道な活動をしています。

 そろそろ、世に出てもいい時期です。

 いえ、世に認められないなんておかしいと想います。

「天よ、もうそろそろ何とかして下さい」という気持ちで一杯なのです。(笑)

 というのも河内正臣先生と直接縁を持っているものとしては、少しは内情も聞いているので、どうしても、早く、天皇の真実の花、多くの日本人に、天皇の真実を知って欲しいのです。

 正直いって、紫陽花のような若手がガンバラないといけないと、少し焦る気持ちもあるのです。

 ですが、これがまだまだ十分うまくいっていません。

 五島勉さんが、「日本・原爆開発の真実」という本で、昭和天皇が、日本が、米国より先に原爆開発できるはずだったのに、日本国民の事を考えて止めさせたと言う事を書いても、なかなかそれが浸透していません。

 本の中で、河内正臣先生の事も、詳しく書いてくれていますが、反響はあまりないみたいです。

この頃やっと分かった事ですが「天皇の真実」を広めるという事は、実に難しいです。

道理で、河内先生があんなにガンバッテも、苦労するはずだと変に納得してしまったのです。

でも、紫陽花は、きっと、河内正臣先生の天皇の真実は、もうすぐ世に出ると信じています。

実際に、昭和天皇がお隠れになって、15年になりますが、昭和天皇の事を書いた本は、どんどん増えています。

しかもその本は、殆ど、昭和天皇の戦争責任を責めるのではなく、戦争に反対し、戦争を終わらせた昭和天皇の平和の心を書いています。

昭和天皇が、平成になってから、歴史の上からも見直されているのです。

それに今、天皇家自体も、ロイヤルファミリーとして、日本人に見直されています。

テレビでも、今上天皇様を中心として、美智子様、皇太子様、雅子様、愛子様、紀子様などの家族愛が、よくテレビで放映されています。

日本人の多くが、天皇家の幸せを、自分の幸せと、自然にとらえていると想います。

ある意味で天皇の真実は、どんどん広がっているのです。

だから、紫陽花は、河内正臣さんが、いうように、何か大きなきっかけさえあれば、一気に広がると想います。

森元首相の「神の国発言」のようなものです。

あの時に、河内正臣さんと縁がある、森元首相が、マスコミに、自分の真意は、河内正臣さんの「天皇の真実」にあると紹介してくれたらと想うと、紫陽花は、とても残念なのです。

でも、紫陽花は、もうすぐ、天は、河内正臣先生を、世に出すと想います。

何故なら、日本の国は、2千年以上、神話の時代を入れたら、気が遠くなる時代まで、人類は、天皇を中心とした神の国で栄えていました。

日本人の遺伝子の中に、「天皇の真実」の膨大な情報が組み込まれていると想います。

 それが、今、日本の国も、人類も、歴史上ない大きな危機を迎えた時に、眠っている遺伝子が、必ず目覚めると、紫陽花は、楽しみにしているのです。

 だから、縁の花では、これからも、「天皇の真実」の縁を、支縁していきたいと想うのです。

 ですが、ここでたまに、皆さんの中で、「岩谷さんは、天皇、昭和天皇が好きなのですか」という質問を頂きますので、それに答えておきます。

 紫陽花は、その時には「もちろん、昭和天皇は好きです。昭和天皇に、日本は救って貰えたと想います。でも紫陽花が、天皇の真実を書くのは、河内正臣さんが、大好きだからです」と答えています。

 もし、河内正臣さんとの縁がなかったら、例え、「天皇の真実」の情報に触れても、たぶんこんなに書かないと想います。

 第133号「天皇の真実」、第150号「日本・原爆開発の真実」も小冊子にしなかったと想います。

 紫陽花は、河内正臣先生の大ファンだから書いているのです。

 というのも、河内正臣先生程、紫陽花との縁を大切にしてくれる人はいません。

 縁の花を送ったら必ず電話をくれますし、よくぼやきの電話もくれます。

 紫陽花は、そんな河内正臣さんが、大好きなのです。

 しかも河内正臣さんを、応援している、広島の石井秀典さんや、静岡の鎌田光照さん、鹿児島の渡瀬一盛さんも、本当にすばらしい方達です。

 講演会を開いたり、河内正臣さんを応援する会を作ったり、本を作ったりしています。

 特に、渡瀬一盛さんには、縁の花の小冊子を作って頂くと言う合縁を頂きました。

 河内正臣先生との合縁がなかったら、縁の花の小冊子誕生する事はなかったのです。

 その上に、河内正臣先生自身、すごい人脈を持っています。

 政治家でいえば、森喜朗元首相やその元で官房長官をした中川秀直さん、平沼赳夫さん、三塚博さんや、広島や長崎の市長、財界でいえば、瀬島龍三などです。

 他にも、紫陽花でも知っている中丸薫さんや藤原直哉さんもいます。

 少しユニークな縁でいえば、長島監督の奥さんである、長島亜希子さんもいます。

 この度、そんな大物の人達に対して、河内正臣さんの縁で、第150号の小冊子や、第161号をプレゼントさせて頂ける合縁を頂きましたが、紫陽花は、本当に幸せだったのです。

 また、その縁で、石垣敬義さんや土井修司さん、広島市長の秋葉忠利さんからは、お手紙も頂いています。

 特にその中でも、土井修司さんは、花と緑の農芸財団というものを設立した、本当にすばらしい方です。

 21世紀は、心が咲く時代という事で、地球を花一杯にしようという夢を持っています。

 花で一杯になったら、誰も戦争を起す気持ちは起きないというわけです。

 紫陽花は、それを、瀬島龍三さんや長島監督を代表とする多くの人達に、協力して頂いて、着実に実現させている土井修司さんの生き方に感動しました。

 河内正臣さんからは、そんな21世紀に花が咲く、すばらしい縁を頂いています。

 本当に「ありがとうございます」なのです。

 

 

           西本先生、松岡さん「ありがとうございます」

20世紀に頂いた縁は、他にもたくさんあります。

とても全部、紹介しきれません。

でもその中でも、21世紀に発展する縁として、是非忘れていけないのは、西本先生や松岡昭寛さんとの縁です。

西本先生は、昔、大学の教授だったのですが、本当の世界に目覚めて、1ヶ月に一度アスカ会というものをしていました。

21世紀になってからは、その会の名前は変わっていますが、基本は変わりません。

一人か二人の、いろんな分野の講師を招いて、1時間以上の講演をして貰い、後、出席した全員が、何分か話をするというものです。

毎回、参加する人は、30人ぐらいはいますが、紫陽花も、たまに参加させて貰っていました。

本当にすばらしい会で、紫陽花は大好きなのです。

しかも、紫陽花は、西本先生自体も、大好きです。

関西根幹志塾の件でも、ご迷惑をかけましたが、本当に紳士な方です。

21世紀是非、是非、花を咲かせて欲しい先生なのです。

また、その西本先生の会には、紫陽花の縁ある人達も、多く参加しています。

たいていは西本先生の会で、縁を頂いた方ですが、石黒大圓さんとか、松岡昭寛さん、入村じゅんこさん、上田清子さん、中村基征さん、門部卓志さんなどもいます。

皆さん、本当に、世の中を良くしたいという想いがあって、紫陽花は大好きなのです。

と同時に、西本先生は、紫陽花を高く評価してくれています。

縁の花もずっと読んでくれています。

アスカ会にミニ講師として呼んでくれた事もありますし、河内正臣先生を呼んでくれた事もあります。

たぶん、21世紀になっても、お世話になる、ずっと縁を持ちたい先生なのです。

また、松岡昭寛さんは、そんな西本先生として、親しい人で、紫陽花と同じ泉大津市に住んでいます。

紫陽花の実家から300メートルぐらいの距離しかないのです。

これには紫陽花も、初めて縁を持った時に、本当に驚いた事を覚えています。

それで今も、家が近い事もあってたまに飲みに連れて行って貰っているのです。

しかも、その松岡昭寛さんは、縁の花、第106号「幸福を生む住まい塾」の小冊子の件では、本当にお世話になりました。

小冊子を作るには、五百部から千部単位で作る必要がある上に、お金もかかるので、紫陽花自身、作る発想がありませんでした。

正直、諦めていたのです。

でも松岡昭寛さんと飲んでいた時に、一冊の小冊子を見せられて、定価が100円というので、紫陽花の考えは変わりました。

松岡さんは、原価は50円ぐらいではないかと言い、紫陽花は、安く、縁の花第106号を作成できたら、買って頂けますかとお願いしたら、こころよく引き受けてくれたのです。

それで、縁の花の小冊子は誕生しました。

懸案だった印刷屋さんも、安いところなかなかありませんでしたが、河内正臣さんの仲間の、鹿児島の渡瀬一盛さんが、印刷屋さんだという事で解決しました。

本当に安くして貰っています。

その上に、渡瀬一盛さんは、縁の花の読者で、紫陽花としても、縁の花を理解してくれる人に印刷して貰えると言うことは、本当に嬉しいです。

縁の花は、いろんな人の縁に支えられて、21世紀になって、やっと小冊子として、大きく花を咲かせたのです。

しかも松岡昭寛の話だと、第106号の小冊子は、とても好評です。

多くの人が読んでくれて、評価してくれています。

住まい塾の人も、住まい塾の冨田先生から、直々に渡されて、内容がいいのにびっくりしているそうですが、紫陽花も驚いています。

内容は一緒なのに、コピーではなく、本にすれば、こんなに評価されるのかと、紫陽花自身少し複雑な気持ちもありますが、21世紀、縁の花も大きく咲きそうです。

松岡昭寛さんにも、今後も、第106号の小冊子を通してお世話になるので、「ありがとうございます」なのです。

 

              ∞「21世紀に頂いた縁」∞

          ありがとうおじさん「ありがとうございます」

21世紀に頂いた縁として、まず外せないのは、「ありがとうおじさん」の縁です。

紫陽花は、このありがとうおじさんに、本当に感謝しています。

今後、縁の花を書く上で、最高のテーマ「ありがとうございます」を頂けた事、無限の無限の幸せです。

この第166号「すべての縁にありがとうございます」を含めて、第161号「ありがとうございます」第162号「笑顔共和国七夕祈念IN「ありがとう村」第165号「すべてにありがとうございます」と、「ありがとうございます」シリーズは、もう4号になりますが、これからもどんどん増えると想います。

紫陽花自身、今後「ありがとうございます」をテーマに、すべての号に対して、書いてゆきたいと想っているのです。

しかも、縁の花、第161号「ありがとうございます」の小冊子もできました。

「ありがとうございます」サイクルと第161号をミックスしたものですが、定価は自由価格としています。

「ありがとうおじさん」を見習ったのです。

また、この第161号の小冊子は、縁の花の中でも、画期的な代表作になると想います。

紫陽花自身自信があります。

第161号を小冊子にする為に、小冊子を作る合縁を頂けたのではないかと気がするぐらいです。

それぐらい内容や表紙のデザインにも、惚れこんでいるのです。

ただ、それでは、今、第161号が、たくさん売れているかといったら、そんな事はありません。

予約を含めて、150冊程度しか売れていないからです。

でも、これから第161号の小冊子は、多くの人に必要とされると確信しています。

値段だって安いですし、小冊子なので読み易いです。

いろんな人に配ったり、置いてあげたりしてあげるという人も現れています。

きっと多くの人に「ありがとうございます」の花として、感謝して貰えると信じているのです。

だから、紫陽花は、今、その事をイメージすると「無限の無限の幸せ」です。

というのも、本というのは、千人力です。

自分が寝ている間にも、誰かの縁を通して、第161号「ありがとうございます」が読まれて、「ありがとうおじさん」や「ありがとうございます」の縁が作れます。

しっかり働いてくれるのです。

これが「無限の無限の喜び」といわずして、何というのでしょうか。

まさしく作家冥利につきる、紫陽花は、そう想います。

縁の花が、「ありがとうございます」の神様のお手伝いができると考えたら、正直いって、お金は関係ないのです。

ですから紫陽花は、今後は、第161号の小冊子を配布していく事に全力を注ぎます。

できるだけ積極的に外にも出かけたいと想っています。

第161号の小冊子は、その時には名刺代わりにプレゼントするつもりですし、お願いして、買って貰おうとも想います。

 そうすれば、他の第106号や第133号、第150号などの小冊子も売れるだろうし、第162号、第165号、第166号も小冊子にする事ができると想うのです。

 本当に、21世紀になってから、こんなすてきな夢をくれて、ありがとうおじさん、「ありがとうございます」なのです。

 

           「これからの新しい縁」ありがとうございます

今迄、紫陽花が出会った縁を、順序よく書いてきました。

いろんな縁があって、縁の花、ここまで少しずつですが、成長してこられたと想っています。

まさしくこの第166号のタイトルにあるように「すべての縁にありがとうございます」なのです。

また、紫陽花は、これからもどんどん新しい縁を積極的に持ちたいと想います。

 特に「ありがとうおじさん」の所の「ありがとうございます」ツアーでは、いろんな本当の先生達が来られます。

 どんな人達と縁が持てるかと、紫陽花も楽しみにしているのです。

 しかも「ありがとうおじさん」の本を発行している山岸道弘さんや、「ありがとうございます」の情報をくれる實村さんなどは、原先生と同じ、故郷サイバー村の仲間です。

 紫陽花は、今、この事にものすごく注目しています。

 原先生のなんでんかんでん村のように、いろんな本当の先生達が、それぞれの村を創ったら、インターネット上で、すごい縁結びができます。

 実際に、ハガキ道の坂田道信先生や、金沢の山岸道弘さんも、村を創っているそうです。

 もしかしたら、将来、おおばけするかもしれないと想っているのです。

 その時には、紫陽花も、何とかして、原先生や實村さん、山岸さんにお願いして、仲間に入れて貰おうと想っているのです。

 また、他にもこれは書くのが、非常に怖いですが、ラエリアンさんとの縁も、つい最近できました。

 このラエリアンさんというのは、人類で初めてクローンベビーというものを創ったという事で、世界をお騒がせているところです。

 はっきりいって、皆さんのイメージも、非常に悪いと思います。

「何かの信仰宗教でないの」「岩谷君は、また何か変なものと縁を持って」という皆さんの心配してくれる声が聞えそうで、怖いです。

 紫陽花自身、クローンベビーを大体的に発表するやり方は好きでないので、ラエリアンさんについては慎重に縁を持ちたいのです。

 でも、正直、ラエリアンさんが、世間から非難されている、結婚と言う制度に縛られない、自由恋愛の考え方に共感するものを感じていました。

 紫陽花にはラエリアンさんの主張する方が、21世紀の新しい男女の縁の持ち方だと想えるのです。

 はっきりいって、長年捜し求めている、縁の花第134号「男女の縁」や第160号「性の喜び」で書いたものをある程度実践しているグループではないかという予感がしたのです。

 ですから半年ぐらい前から興味は持っていました。

 自分から、積極的に縁を持つ勇気はありませんでしたが、関心はありました。

 いつか、縁ができるのを待っていたのです。

 それが、2003年の1月にインターネットを通してできました。

 ある人と縁ができて、その人を通して、本を買って読んでいますし、何人かのラエリアンさんとも会いました。

 その紫陽花の感想では、ラエリアンさんの縁は、面白いです。

 マスコミがいうようなグループではなく、もっとまともな団体だと想います。

 もしかしたら、あんなに批判されるのは、幕末の志士や多くの本当のものが、最初誤解され、批判されたように、ラエリアンさん達は、とてつもない本当のものかもしれないという気がしてきたのです。

 ただ正直言って、紫陽花自身、ラエリアンさんとは、まだまだどこまで縁を持つかは未知数ですし、「ありがとうおじさん」の、また岩谷君は面白い番組に、縁を持ったねという声も聞えて来るので、じっくり時間をかけたいと想いますが、宜しくお願いします。

 こんなおっちょちょいで、最後に、皆さんをはらはらさせる、変わった奴ですが、皆さん21世紀も、縁を大切にさせて下さい。

 どうかあたたかい目で見守って下さい。

 では皆さん、第166号「すべての縁にありがとうございます」読んで頂いて「ありがとうございます」

平成1529

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