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縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第169号

      花(紫陽花)

 

        ∞「縁の花との不思議な縁」∞

 今回の縁の花のテーマは、花です。

 実は、この花については、前から書きたいと想っていました。

 大事な「縁の花」の名前に出てくる花という言葉ですから、紫陽花は、ずっと前から書きたいと想っていたのです。

 しかし、縁についてはいろいろ書きましたが、花については書けませんでした。

 何しろ、花よりも団子という性格です。

 正直、花については、全く興味がありませんでした。

 両親の家では、いろんな花を育てていますが、紫陽花自身、花を育てた事はなかったのです。

 でも、そんな紫陽花が、花について、興味のできる出来事がありました。

 何と、今から5、6年ぐらい前に、「縁の花」と名乗る黄色い花や、いろんな花が、紫陽花の職場の、霊感の強いある人の夢の中に出てきて、紫陽花にメッセージを伝えてくれたのです。

 それはいくつかかありますが、大きなメッセージの一つが「岩谷さん、早く家に帰りなさい。帰って親孝行しなさい。そうすれば、運が向くよ。」というものでした。

 というのも、紫陽花は、その当時、友人の井元勇司さんのお世話になっている、居候の生活を止めて、岸和田市で独り暮らしをしていました。

 泉大津市の実家には、土、日には帰るようにしていましたが、やはり両親には心配をかけていました。

 いえ、今も心配ばかりかけています。

 だから、このメッセージには、少し堪えました。

 紫陽花自身、その当時、運がいいとはいえなかったので、そのせいかなと想ったりもしたのです。

 だけど、紫陽花は、そのメッセージに、素直に従えませんでした。

 理由があって、両親の元を離れたのですから、「はい、分かりました」という訳にはいきません。

 両親にも、側に紫陽花がいると、いろんないいたくない事を言わせて、かえって悪いと想っていたのです。

 それで、メッセージのいうように帰るべきか、しばらく迷っていたのです。

 けれど、ここで奇蹟が起きました。

 急に両親に呼び出されて、実家から自転車で10分程度のハイツを、援助するからローンで買いなさいという事になったのです。

 ですが、紫陽花は、その両親の言葉に否定的でした。

 銀行の貸し渋りが騒がれている今日、まさか、銀行が、紫陽花にお金を貸してくれるとは夢にも想いませんでした。

 断られると想っていたのです。

 しかし、銀行はあっさり貸してくれました。

 それで、ローンの支払いは大変ですが、今の助松ハイツに住む事になったのです。

 紫陽花としては、家賃に比べたら、断然安いので本当に助かっていますし、両親も、実家から近いので、いつでも来られるので、本当に喜んでいます。

 全てが、うまくいったのです。

 ただし、その事が、縁の花のメッセージに従っている事になったのか、どうかは、紫陽花には分かりません。

 メッセージの内容は、一緒に住みなさいでしたし、紫陽花自身、幸運がどんどん舞い込む事もないからです。

 職場の人も、「それでOK」という答えは、貰えなかったのです。

 けれども、紫陽花は、これでよかったと、「縁の花」に感謝しています。

 住まいや銀行の縁も、縁の神様、縁の花が導いてくれたのではないかと、心から感謝しているのです。

 と同時に、他のメッセージに関しても、紫陽花は、聞く耳は持っているつもりですが、何でもかんでも素直に従う事はできませんでした。

 紫陽花の夢に直接出て来てくれたら別ですが、人を通してのメッセージでは、難しいです。

 その人の想いが、どうしても出てしまいます。

 素直に、全部、信じる事はできないのです。

 それで、その人との関係もおかしくなって、この話題はしないようになりました。

 ですから、今、縁の花のメッセージは、紫陽花に入ってこないのです。

 だけど、紫陽花は、それでいいと想います。

 その方が、職場の人にも、縁の花にも「ありがとうございます」できるからです。

 というのも、「縁の花」が、現実には、目で見えなくても、精神があって、生きているという事は、紫陽花には驚きだったからです。

 きっと紫陽花の想いが、「縁の花」という存在を生み出したといえるからです。

「縁の花」は、魂としてちゃんと生きているのです。

 その事を、縁の花の読者の皆さんが、どれだけ信じてくれるかは分かりませんが、紫陽花は、素直に信じる事にしています。

 だってその方が楽しいですし、紫陽花にとって、損する事は一つもないからです。

 紫陽花は、縁の花は、影から紫陽花を応縁してくれていると、心から信じているのです。

 また、そうすると面白いもので、いろんな事が起きてきました。

 同じように霊感が強い山口君や西岡さんに、紫陽花を応援している、いろんな花の妖精が見えたりもしました。

「もうすぐ、岩谷さんが、泊まりにくるので、癒してあげて下さい」なんて予言めいた事を、花達がいっていると、伝えてくれた事もあったのです。

 その時には、まさかと想っていましたが、実際に、紫陽花は、その予言どおりに、泊まる事になったのです。

 ですから、紫陽花は、今、縁の花の存在を、100%信じています。

 どうやら、「縁の花」は、紫陽花の為に、いろんな縁を運んでくれたり、「縁の花」を、読者に郵送する時には、事前に届きますよと囁いてくれたりしているみたいです。

「縁の花」は、紫陽花の一番の守り神になったのです。

 だから紫陽花は、いつも、「縁の花」に「ありがとうございます」しています。

 特に、いろんな良縁を、紫陽花にくれる度に、紫陽花は、本当に感謝しているのです。

 と同時に紫陽花にとって、益々「縁の花」は、本当にかわいい存在になりました。

 何しろ、紫陽花が、書くのを止めたら、縁の花は成長しませんし、もしかしたら、死んでしまうかもしれません。

「縁の花」を止められなくなったのです。(笑)

 ですから紫陽花は、「縁の花」を心から愛していますし、縁の花は、子供がいない紫陽花にとっては、子供のような存在だと言えます。

「縁の花」を誉めて貰えると素直に嬉しいし、貶されると、嫌な気持ちになるからです。

 しかも、面白いのは、この頃、益々、縁の花が好きになっている自分がいて、元気がない時でも、ガンバロウという気持ちにさえなります。

 正直いえば、小冊子を無理して作ったのも、縁の花を少しでもよくしたいと想ったからですし、縁の花の本を作りたいと燃えているのも、縁の花を大きく咲かせたいと想っているからです。

 そういった意味でも、紫陽花にとって、今、一番会いたい縁は、実は、人間でなく、「縁の花」の存在になります。

 いつか、紫陽花の夢の中に出て来て、姿や会話を楽しむこと、それを紫陽花は楽しみにしているのです。

 

 

             ∞「紫陽花の花との縁」∞

紫陽花は、今、紫陽花と名乗っています。

メールなどで、自分の名前を書く時も、「縁の花 紫陽花」と書いています。

それで、よく皆さんから、どうして「紫陽花」なのですからいう質問を頂きます。

ここで、それについて答えたいと想います。

というのも、紫陽花が、紫陽花という花に、興味を持ったのは、礒邉自適という面白い人が、「縁の花は、あじさいの花、12月23日は、正しき暦の元旦です。一度、訪ねて見て下さい」というお手紙を貰った事が始まりです。

 その時に、あじさいという花に関心を持ったのです。

 何故なら、礒邉自適さんは、その理由を、あじさいの花は、4枚の花で一つの花になりますが、その花がまた集まって、一つの大きな花になります。

 人とのネットワークも、あじさいのような花にならないといけないと、教えてくれたのです。

 それで、紫陽花は、なるほど、縁の花は、「あじさい」の花なのかと想ったのです。

 あじさいの花のように、縁の花で書いているいろいろな情報も、全体でみれば、一つの花にならないといけないと想ったのです。

 しかし、この当時の紫陽花は、この事よりも、実は、12月23日の方に、ひかれていました。

 というのも、紫陽花の誕生日は、12月23日です。

 礒邉自適さんは、その12月23日は、特別な日だといいます。

 マヤ暦では、2012年12月23日で終わっていますし、特別な偉人もたくさん生まれていますと教えてくれました。

 礒邉自適さんの資料によれば、大倭教の矢追日聖さんもそうですし、世界救世教の岡田茂吉もそうです。

 あのキリストでさえ、本当は、12月23日の冬至に生まれたと言う、伝承もあるぐらいです。

 要するに、精神世界の偉人が多く生まれているというのです。

 その上に何よりも、天皇の真実の縁を広げているものとして、もっと光栄なのは、今上天皇の誕生も、12月23日だという事です

だから、紫陽花は、単純に悪い気がしませんでした。

密かな紫陽花の自慢なのです。

 しかも、礒邉自適さんは、21世紀には、現在の暦、カレンダーでの冬至は、12月23日前後なので、これを1週間前に進めて1月1日の元旦にすべきだと主張しています。

そうする事で、人類の1年を、太陽の動きに正確に合わせ、これに月齢と他の惑星の動きもインターネットで、何時でも把握できるようになる。

 これに因って人類の意識が宇宙に向い、体のリズムや農耕まで、古代の人達のように、人間と宇宙の関係を実感体験できるようになるといいます。

 礒邉自適さんは、そんな本来の太陽暦で暮らそうといっており、紫陽花は、自分が、そんな特別な日に生まれてきた事が、単純に嬉しかったのです。

 と同時に、自慢するつもりはありませんが、今も、その気持ちは変わりません。

 いえ、むしろ、その気持ちは益々、大きくなっています。

 というのも、「ありがとうおじさん」の誕生日も12月23日ですし、今、話題になって

いるフォトン・ベルトでも、2012年12月23日に、地球は、フォトン・ベルトに突入

するといいます。

皆さんの中で、「だから、どうしたといわれたら」困りますが、やはり、紫陽花は、嬉しいです。

だって、紫陽花が、そんな特別な日、1年、365日の中でも、一番、特別な日を選んで、生まれてきたと想えば、無限の無限の幸せを、誕生日が来る度に感じる事ができるからです。

今でも紫陽花は、それを教えてくれた、礒邉自適さんには、心から感謝しているのです。

 また、そんな紫陽花は、「縁の花」が、職場の人の夢に出てきた時から、礒邉自適さんが教えてくれた、もう一つの言葉、あじさいの花の事を改めて思い出し、花に興味を持つようになったのです。

 花との縁が、不思議と生まれ出したのです。

 というのもある時、突然、辻さんが、鉢に植えられている花をプレゼントしてくれた事もあって、紫陽花は、柄にもなく、自宅に花を置くようになったからです。

 こんな事は、それ一回きりなのです。

 しかも、そんな紫陽花に、紫陽花の花との縁が生まれました。

 辻さんとその彼女に、京都にある、紫陽花がたくさん咲いている寺、通称紫陽花寺に、遊びに行くお誘いを頂き、紫陽花は、喜んでご一緒させて頂いたからです。

 その時に初めて紫陽花は、花を見て歩く喜びを知ったのです。

と同時に、紫陽花の咲いている寺、名前は忘れましたがすばらしかったです。

 紫陽花の花は、今も覚えていますが、紫やピンクの花が、咲き乱れてとても綺麗でした。

 特に、その中でも、辻さんの彼女には、紫陽花の花の事で、今迄花だと想っていたものは、花ではなくて、実は額で、本当の花は、小さい黄色いものだと教えて頂いた時には、感動しました。

 その小さいものが、紫陽花には、人間のように想えて、額は、インターネットのネットワークが成功した姿というイメージができました。

 まさしく紫陽花の花は、ネットワークの花だと納得したのです。

 ですから、紫陽花は、今も、最初に、紫陽花の花との合縁を作ってくれた辻さんや、辻さんの彼女に感謝していますし、毎年、一度は、紫陽花の花の咲いている寺や公園に、行きたいと想っています。

ですが、残念ながら、これを書いている現時点では、紫陽花の咲いている所には、紫陽花は、まだ行く事ができていません。

やはり、男性が一人で行くのには、抵抗があって、紫陽花は、紫陽花の花達とのご挨拶が、できていないのです、

ただ、それでも、やはり、不思議と紫陽花の花とは縁があります。

紫陽花を応援している花の妖精が見えるという山口君の家に泊めて貰った時に、お土産に貰ったのは、切花の青色の紫陽花でした。

しかも、家に帰って、それをどう育てたらいいかと想っていたら、ちょうど、母親とばったり会う事ができました。

母親のおかげで、紫陽花の花を、自分の家で、2週間ぐらい置く事ができたのです。

そしてその事が縁で、紫陽花は、紫陽花の花が、花の中で、1番好きになりました。

縁の花は、紫陽花の夢の中には、現れないので、どんな花かは分かりませんが、紫陽花の花のような気がしましたし、紫陽花は、紫陽花を応援してくれている気がしたのです。

と同時に、紫陽花自身、自分のペーンネームも、紫陽花と名乗るようになりました。

前から、何か、花の名前で、ペーンネームをつけたいと想っており、縁の花のネットワークが、成功する事を願って、紫陽花と名乗るようにしたのです。

これが、紫陽花が、縁の花でのペンネームを、紫陽花にしている、一番大きな理由なのです。

また、紫陽花は、そう名乗る事で、去年から紫陽花の花を育てる事にしました。

花の妖精達が、紫陽花を応縁してくれるのなら、やはり、花で、自分の部屋を一杯にしたいと想ったのです。

それで、最初は、紫陽花の花や、向日葵の花などの造花を買ってきて、部屋に飾っていたのですが、造花では駄目みたいです。

何故か、たまに掃除に来てくれる母親が、邪魔だと怒るのです。(紫陽花はマザコンではないつもりです???)

それで、これは、神様が、生きた花を育てなさいと言っているなあと想って、紫陽花の花などを、育てる事にしたのです。

でも、2002年は、結局うまくいきませんでした。

まだ紫陽花の花の事が、良く分かっていない紫陽花は、花が散った後、庭に埋めたのですが、夏、水をやるのが遅く枯らしてしまったからです。

つくづく、紫陽花には、まだ、生きた花を育てる事ができないと痛感したのです。

だから、今、紫陽花の家には、観葉植物が何個か置いてあるだけです。

花は、太陽の光が必要なので、部屋で育てるのは難しいですが、観葉植物なら、紫陽花でも簡単に育てる事ができるからです。

けれども、紫陽花は、いつかは、自分の部屋や、結構広い庭を持っているので、いろいろな花を一杯、特に、紫陽花の花を庭一杯咲かせたいと願っています。

そうすれば、紫陽花の運勢は、益々向上するような気がします。

それを愛する紫陽花のパートナーとするのが、紫陽花の夢なのです。

しかし、それは、正直いって、いつになるかは分かりません。

こればかりは、紫陽花のガンバリしだい、縁しだいです。

でも、紫陽花は、もう紫陽花の花の妖精や、いろんな花の妖精が、紫陽花を応援してくれている手応えを感じています。

もう、そろそろ夢が適う予感がするのです。

というのも、以前、紫陽花の花を置いている時期に、元気がなかった時、ご近所を探せというサイトで、あじさいというキーワードで検索したら、同じ泉州にいるケイさんという人という人が、出てきたからです。

けれど、紫陽花は、最初、ケイさんが何個か書いているキーワードでは、紫陽花と共通点が、紫陽花が好きという以外はなさそうなので、縁ができるのは難しいだろうなあと想っていました。

駄目元で送ったのです。

そうすると、ケイさんは、ちゃんと返事をくれました。

それで同じ泉州という事で、直接、お会いする縁が持てて、分かった事ですが、ケイさんとは、精神世界の面で、共通するところが、結構あったのです。

だから、ケイさんも、今は、縁の花の読者です。

正直いって、一般の人かなと想った人で、縁が繋がったのは、ご近所を探せのサイトでは、ケイさんだけで、紫陽花にとっては、今でも不思議です。

紫陽花の花が作ってくれた縁としか、想えないのです。

と同時に、そんな縁は、ケイさんだけでありません。

今度、紫陽花コンサートというものをやっている人と繋がろうとしたり、不思議な縁がいろいろできたりしています。

紫陽花にとっては、紫陽花さん「ありがとうございます」なのです。

しかし、紫陽花と紫陽花の花との物語は、ここで終わりません。

今は、ここまでですが、まだまだ続くと想います。

きっと、紫陽花やいろんな花の妖精は、これからも、目には見えなくても、紫陽花に、いろんな縁をプレゼントしてくれると想います。

それは、次回書く時に期待して欲しいと想います。

 

 

 

                 ∞「紫陽花の魅力」∞

 紫陽花と、紫陽花の花との縁について書きました。

 これで、紫陽花が、何故、紫陽花と名乗る事にしたのか、皆さんにも分かって頂けたと想います。

 紫陽花は、紫陽花の花が、大好きなのです。

 紫陽花の家でも、毎年、紫陽花の花を育てるつもりなのです。

 しかし、今紫陽花は、紫陽花の花を育てる以外に、もう一つ、紫陽花らしい、新たな紫陽花の花との縁の持ち方に気がついたからです。

 それは、紫陽花の花の事を、よく知るという事です。

 というのも、紫陽花は、今迄、紫陽花の花は、綺麗だなあと想っても、紫陽花が、どんな個性を持っている花なのか、全然知らなかった事に気がついたのです。

 それで、インターネットで、調べたら、いろんな人が、紫陽花の魅力について、書いているのに驚きました。

 紫陽花は、初めて、紫陽花の事が、どんな素晴らしい花なのか、改めて知ったのです。

 それで、今から、皆さんに、その事をお知らせしたいと想います。

 というのも、何も、それは紫陽花の花だけに、限らないと想います。

 どの花にも、今迄知らなかった、素晴らしい魅力があるはずです。

 紫陽花は、是非、皆さんの好きな花があれば、それを調べてみて欲しいのです。

 そういった形で、自分の好きな花、桜や薔薇、タンポポ、スミレなどの花と、縁を持ってみて欲しいのです。

 そうすれば、益々その花が好きになれますし、その花の妖精も喜ぶと想います。

 実は、紫陽花が、縁の花、第169号「花」を書く気になったのも、その無限の無限の喜びを皆さんに、知って欲しかったからなのです。

 宜しくお願いします。

 

                「紫陽花の花について」

 紫陽花の花で、紫陽花が、まず、皆さんに知って欲しいのは、紫陽花の花の原産国は、日本の国だという事です。

 紫陽花は、外国にもあるので、外国から、日本にやって来たと想っている人が、いるかと想いますが、違います。

 紫陽花の花は、日本から、世界に広がった花の一つなのです。

 これが、紫陽花が、まず、調べてみて、1番、最初に驚いた事です。

紫陽花は、恥ずかしながら、花の原産地がある事さえ、よく知らなかったのですが、紫陽花の花が、日本の国から、世界に出ていった事を知って、益々、紫陽花の花が好きになったのです。

また、その原産地ですが、今、日本にたくさん売られている花の中で、原産地の国が、日本と言う花は、あまりないのも事実です。

花の辞典などで、調べてみても、あまりありません。

あっても、日本だけでなく、中国や韓国、東南アジアの国も、同じように原産国というケースが殆どなのです。

紫陽花は、純粋に日本の国を代表して、世界に普及した花になるのです。

と同時に、では、そんな紫陽花が、どういった経路で、世界に広がったかと言う事ですが、まず、中国に渡り、そこから、1789年に、アジサイをバンクスが、イギリスのキュー王立植物園に導入したのが、初めてで、その時、多くの人から東洋の薔薇と呼ばれて普及したそうです。

その後、ヤマアジサイ、ベニガクなどの、紫陽花もヨッロッパに次々と渡っています。

それらの紫陽花が、ヨッロッパで品種改良されて、今、日本でも多く見られる、ハイドランジア(西洋あじさい)という名前で、逆輸入されています。

20世紀には、ベルギー、オランダ、フランス、ドイツなどが中心となって、花の都パリの花市や、4月の復活祭(イースター)には盛んに使われるようになり、印度の山奥や、南海の島、タスマニアなど、世界中に咲いているのです。

紫陽花は、本当に素晴らしいと思います。

だってここまで広がった日本の花は、他には、椿姫で有名な椿ぐらいしかないと想うからです。

また、そんな紫陽花が、日本でも、いつから愛されていたという事ですが、奈良時代の万葉集の中には、紫陽花の事を詠った、歌が2首あります。

その一人は、大伴家持で、もう一人は、橘諸兄が、詠っています。

万葉集の時代から、紫陽花は、季節の美しい花として、鑑賞されていたのです。

ですが、そんな紫陽花の花で、やはり有名なのは、江戸時代に、オランダの東印度会社の医者として、日本に来たシーボルト博士です。

シーボルト博士は、テレビの番組で知ったのですが、いろんな日本の花の標本を作り、国外追放になった時も、持ち帰っています。

1835には、「日本植物誌」を発表しているのです。

そのシーボルト博士は、紫陽花が大好きだったのか、17種のアジサイを紹介し、その中の一つの紫陽花の花の変種名に、オタクサ(Otaksa)という名前を与えています。

このオタクサというのは、シーボルトの6年間の愛人のお滝さん(楠本滝)の名前から取ったそうですが、現在は、先取権上ツンベルグが、命名したマクロフィルが使われているそうです。

こんな面白いエピソードがあるのです。

しかし、紫陽花が、1番意外だったのは、紫陽花の花が江戸時代は、陶芸家の尾形乾山の作品にも使われたり、明治、大正以後の詩人歌人も、桜や萩よりも、何となく陰の部分が深くある紫陽花を、圧倒的に好んで詠ったりしているのですが、一般の庶民には、敗戦までもう一つ人気がなかったという事です。

これは、よひちの花と呼ばれたため(四は死に通じる)、縁起が悪いとか、色が変わるから無節操だとか、いつまでも花カスが付着しているから、潔ぎよくなく、みっともないといった、さまざまなタブーによって、紫陽花は、ずっと日陰者の位置に追いやられていたからです。

紫陽花は、そういったタブーの為に、中国の文人の詩文にあらわれることもなかったし、上代の日本人以来の秋草趣味、武士道の剣や禅、中世以降の幽玄、わび、さび趣味からも、縁遠い存在だったのです。

しかし、権威や格式の消し飛ばされた、自由で解放された敗戦後の空気が、急に紫陽花を日のある場所に押し出しています。

花としての美しさが、純粋に多くの人から、正当に評価されて、愛されるようになったのです。

だから今、多くの人が、麻綿原高原、鎌倉明月院、本土寺、下田城山公園、京都の神社仏閣などの、寺や公園で咲いている紫陽花見物に出かけていますが、殆どは、戦後に植えられたものです。

それまでは、多くの人が、色とりどりの紫陽花の花が、一杯咲いている所に出かけて、紫陽花の美しさを楽しむ事は、なかったという事になるのです。

また紫陽花は、そこから考えても、紫陽花の花は、人間の人生でいえば、長くひっそりと埋もれていたまま、見すごされてきた人が、ある日突然、見直されるといった事になると想います。

そんな紫陽花に、紫陽花は何となく親近感を覚えたのです。

ですが、もちろん、そんな事は、太古から日本に存在し、日本の風土に適合して生きつづけてきた、ものいわぬ紫陽花にとっては、何の関係もない事です。

紫陽花は、花と言う生物さんは、紫陽花は、本当に素晴らしいと改めて想います。

と同時に、紫陽花の花は、桜のように飲めや、うたえで多くの人が浮かれて眺めるに適した花ではないと想いました。

役割が違うのです。

むしろ、ひっそりと孤独で、眺めるのに適した憂愁の花になると想いますし、鎮静の花ともいえると想います。

それで、昔から、よく寺などに植え込まれていたと想いますし、昔の人は、何となく、その事をイメージで分かっていた気がします。

特に、その中でも、万花にすぐれた独自の青色の紫陽花は、海や空の限りなく深い青の色を、そのまま地上に再現したかのように想わせますが、紫陽花は、たくさんの存在を鎮魂しているような気がするのです。

ですから紫陽花は、戦後になってやっと、長い眠りから冷めたばかりの紫陽花の花に「ありがとうございます」と感謝したいのです。

 

 

          ∞「紫陽花の花の由来と花言葉」∞

アジサイの和名の由来は、いろんな諸説があります。

ただ、万葉集で、アジサイの事を、味狭藍、安治佐為の二通り書かれていた事や、古豆佐為と書かれている事から、昔の人が、アジサイ、またはアッ゛サイといっていた事は分かっています。

また、これらから推測して、集真藍(あづさあい)という説があります。

すなわち、あづは集まるの約、さは意味のない接頭語で、さ青がさおとなったように、さ藍がさいとなったというのが、一般的な有力な説です。

要するに、簡単にいえば、青い花が、かたまって咲くようすから、名付けられたと想われています。

それだと「手毬状に小さな花が集まって形状と青い色彩」のアジサイの持つ特徴を、言い当てていて、この説が1番、多くの人から支持されているのです。

と同時に、そんなアジサイが、何故、紫陽花と漢字でなっているかという事ですが、アジサイに何か、漢字をあてはめる必要になった時、唐の詩人、白楽天の詩の中から、日本のアジサイとは、全く別植物の紫陽花を持ち出してきたといわれています。

実際の「紫陽花」は、中国の招賢寺という寺にあった名の知らぬ山樹に咲く花で、色は、紫、芳香を放つ仙界の麗花であったそうで、日本のアジサイとは関係がありません。

だから、本当は紫陽花と書くのは正確でありませんが、紫陽花自身は、なかなかいい漢字だと想っています。

アジサイの花は、今は、名も知られていない無名の花の名前を、世に出してあげたという事になるからです。

紫陽花は、その花に感謝する意味でも、紫陽花と呼んであげたいのです。

また、そんな紫陽花の花言葉ですが、結構、いくつかあります。

その中で、紫陽花が調べた限りでは、冷淡・移り気・不精・辛抱強い愛情・元気な女性といったものがあります。

でも、ここで問題なのは、冷淡や移り気、不精といったものです。

紫陽花は、好きだけど、そういった花言葉を知って、紫陽花の花が嫌いになったという人が、インターネットの世界ではいるのです。

でも、紫陽花自身は、その花言葉をみて、何となく、紫陽花と性格が似ているような気がしてドキッとしました。

紫陽花自身、冷淡ではないつもりなのですが、全くそういったところがないわけでもないからです。

しかも、紫陽花が、感心したのは、そういった花言葉も、紫陽花の特徴をよくとらえて、考えてられていると想われる事です。

というのも、最初の冷淡ですが、これは、紫陽花が梅雨の花、雨にもっとも似合う花で、何か陰があるところから取っている気がします。

大体、花のイラストや絵でも、雨が降っているところで、描かれている花といったら、紫陽花の花しかないと想います。

小雨と紫陽花とカタツムリというのが、定番なのです。

だから紫陽花は、そういったイメージから、紫陽花の花は、冷淡だという花言葉をつけられたと想いますし、辛抱強い愛情は、それがいい面で解釈されていると予想します。

特に、その中でも雨が降っていて、何か、湿りがちになっている心に、ほのかなやすらぎを与えてくれる紫陽花の花は、比較的、うたれ強い、紫陽花の性格と共通するところがあるような気がします。

きっと元気な女性というのも、そういうところからつけられた気がするのです。

と同時に、男性が、冷淡、不清というイメージなのに、女性のイメージは、元気な女性というイメージで、コントラストしていて、何か、女性はいいなあと想ってしまいます。

そんな女性の縁を、紫陽花さんの妖精が、紫陽花に運んでくれる気がするのです。

また移り気というのは、紫陽花の花の色が変わりやすいというところからとっています。

別名、紫陽花は、七変化といわれていたそうです。

というのも紫陽花の花は、開花当初は、薄緑ですが、次第に、白色、正開すると、「藍色、紅、白」のどれかの花に徐々に変わっていきます。

花が大きくなっていく度に、色が変わるのです。

そこから紫陽花は、人間の性格でいえば、移り気という事になったようですが、紫陽花は、つねに色が少しずつ変わっていく花は、すてきだと想います。

縁を持つ度に、別な色を見せてくれて、楽しませてく れるからです。

と同時に、ここで面白いのは、紫陽花の花と、土壌が、  密接な関係があるという事です。

酸性の土壌なら、青色の花、アルカリ性の土壌ならピンクの花になります。

しかも、窒素の量で、花の色が異なります。

だから、ある意味では、紫陽花の花が、何色かで、土が酸性の土壌なのか、アルカリの土壌なのか、一目で分かるという事になります。

酸性の土壌ならアルミニウムが、溶け出しており、アルカリの土壌なら、溶け出さないので、アルミニウムの量が判断できるのです。

それに、紫陽花の品種が赤色で美しくて有名なのに、土が酸性で「青色」になってしまったら、石灰をまく事によって、土壌をアルカリ性にしたら、再び、きれいな紫陽花の赤色が、蘇るなんて面白いです。

まるで、紫陽花の花は、自然が作ったリトマス試験紙といえます。

人間のリトマス試験紙は、酸性では、青色が赤色に、アルカリ性では、赤色が青色になるので、正反対ですが、そんな面白い特徴があるのです。

その上に、何と、アルミニウムの濃度が高すぎると、普通の植物達は、アルミニウムの毒性にやられて、育たなくなりますが、紫陽花には、アルミニウムを無毒化する性質が備わっているそうです。

だから、強酸性の土壌でも発育して、見事な青色の花を咲かせるそうです。

紫陽花は、そんな紫陽花の、他の花にはない特徴を知れば知るほど、ますます大好きになったのです。

また、紫陽花の花は、植物分類では、ユキノシタ科アジサイ属になり、園芸分類でいえば、落葉低木になりますので、成長したら、高さ1メートルから、1.5メートルと大きく成長するのもいいですし、花が散らないというのもいいです。

しかも紫陽花は、挿し木にすれば、簡単について、虫もほとんどつかず、栽培も手間がかからず、容易であるというのもいいです。

育て易いと言う事は、紫陽花や皆さんでも、育てる事ができるかなあと想うのです。

でも、その反面、品種独特のよい色の花を咲かせるには、それぞれの適合した場所の複合的条件、土質、乾燥度、日照度、その他の条件が適合したその場所でのみ、そういう花を咲かせるのであって、別なところへ持って来て植えても、同じようには咲かない面もあるそうです。

紫陽花は、そういった面も、かえって個性があって好きなのです。

そして何よりも、梅雨に咲く花だけあって、水を毎日欲しがりますが、そこらへんが、個性学でいう、寂しがりやで、人から愛情を一杯貰って、成長したがる、自分と同じようで、本当に気にいったのです。

まさしく、紫陽花の花、「大好き、愛しています」なのです

では、皆さん、縁の花、第169号「花」(紫陽花)読んで頂いて「ありがとうございます」

平成15420

 

追伸         

紫陽花のこと、いろいろ書きました。

書いてみて、本当に、花は奥が深いというのが、実感です。

紫陽花一つで、まだまだ、紫陽花の知らないいろんな特徴があると想うので、すべての花を書いていたら、紫陽花は、人生を全部注いでしまうと想います。

だから、別の花、桜とかタンポポなどについて、今後書くかどうかは未定なので、皆さんで、好きな花があったら、どうか調べて欲しいと想います。

でも、紫陽花は、これからも、花について書いていきたいと想います。

今度は、機会があれば、花と緑の農芸財団の土井脩司さんから教わったのですが、花の心について、とこまで書けるか分かりませんが、書いてみたいと想うのです。

と同時に、紫陽花は、直感として、花は、これからどんどん発展していくような気がします。

何故なら世界情勢は、これからしばらくきな臭くなりそうですが、紫陽花は、土井修司さんが、いうように銃を持つのなら、花を持つべきだと想うからです。

戦車やミサイルを撃つのであれば、その前に、敵方すべての人に、メッセージのついた花をまず送ったらいいです。

それで、和解の努力をしたらいいです。

そうすれば、きっと、花は、敵の人達の心も、味方の人達の心も癒して、戦争回避の道に導いてくれると想います。

紫陽花は、綺麗事をいうようですが、何となくそう想うのです。

また遺伝子工学の面で考えても、食べ物でなく、鑑賞する事が、目的の花は、まず、大きく発展すると想います。

遺伝子工学で、新しい、今迄創造もできなかった、素晴らしい花が、誕生するような気がするのです。

だから、そういった面でも、紫陽花は、花に注目しているのです。

しかも、花は、これからいろんな事を教えてくれるような気もします。

というのも、今、すてきな花の歌があります。

皆さんも聞いた事があると想いますが、SMAPが歌っている「世界に一つだけの花です」

紫陽花が、この「世界に一つだけの花」の歌の事を知ったのは、皆さんの中で、みていた人がいるかもしれませんが、フジテレビの「紫陽花の生きる道」というドラマのおかげです。

 このドラマは、主人公は、SMAPの草なぎ剛で、相手役の女性は、矢田亜希子さんがしていました。

火曜日の晩、フジテレビで放送された番組で、口コミで、視聴率がどんどん増えて、最後には21パーセントを越えました。

 同じSMAPの木村拓哉さんが出ていた、高視聴率をとった「グットラック」よりも、紫陽花は、いい番組だと想います。

だって、この番組をみた多くの人が、後1年しか生きられないと分かったら、自分なら、どうするだろうと考えたと想うからです。

というのも、「紫陽花の生きる道」のあらすじを簡単に、皆さんに紹介すると、有名進学校の高校教師・中村秀雄(草なぎ剛)は28年間無難に生きてきましたが、ある日、突然余命一年と宣告された事から始まります。
 その時に、今までの28年間は、果たして悔いのない人生だったのかと悩むと、一時は自暴自棄のなったのですが、「確かなことがひとつだけある。それは、君が今、生きていること」と主治医に叱責され、思い直します。
 憧れのみどり先生(矢田亜希子)にも、思いを告げて、何と結婚します。

学校の先生達や、生徒達も、中村秀雄の病気の事を知りますが、皆の協力で、悔いのない人生を送ると言うものです。

紫陽花自身は、毎回、見たという訳ではありませんが、この番組は良かったと想います。

最終回は、正直いうと、少し涙ぐんだのです。

しかし、やはり、この番組で1番良かったのは、主題歌の「世界に一つだけの花」です。

この歌に関しては、縁の花の読者で好きだという人がいますが、紫陽花も大好きです。

歌の歌詞にあるように、人は、それぞれ、素晴らしい花、個性があるのですから、21世紀は、周りの人と競争などせず、その個性だけを育てる事に一生懸命になったらいいと想います。

紫陽花が育てさせて頂いている、縁の花も、Only Oneの気持ちで、誰とも競争せずに、書ける事に心から感謝して、これからも益々、見事な花を咲かせたいと想ったのです。

最後に、その歌を皆さんに紹介して終わりたいと想います。

「ありがとうございます」

 

 

 

∞「世界に一つだけの花」∞

作詞者名 槙原敬之  アーティスト名 SMAP

 

ナンバー1にならなくてもいい もともと特別なオンリー1

 

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね


この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに紫陽花ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

そうさ 紫陽花らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

 

 

 

困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも 綺麗だから仕方がないね

 

やっと店から出てきた その人が抱えていた

いろとりどりの花束と 嬉しそうな横顔

 

名前も知らなかったけれど あの日紫陽花に笑顔をくれた

誰も気付かないような場所で 咲いていた花のように

 

そうさ紫陽花らは 紫陽花らは 世界にひとつだけの花

一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

 

 

追加報告、2003年は、紫陽花さん達に会ってきました。

「ありがとうございます」「ありがとうございます」と唱えながら、紫陽花の花や、いろんな花さんに、「ありがとうございます」の感謝の波動を、届けてきたのです。

 また、紫陽花が行った場所は、少し離れた長居公園の中にある長居植物園や、堺にある三宝下水処理場の紫陽花です。

 どちらもインターネットで調べて、初めて行ってきました。

 本当によかったです。

 しかも、恥ずかしながら、紫陽花は、この歳になって、初めて、いくつかの花が咲く場所と縁を持った事で、いろんな事を知りました。

 その一つは、大阪には、遊び所は、全然ないと、ずっと想っていましたが、植物が咲いている公園なら、結構あるのです。

 全部で、大阪府が運営するものだけでも、18箇所もあります。

 これに大阪市が運営しているものも、10箇所はあります。

 その上に、公園は、府や市が運営しているので、無料の所が多く、有名な花博覧記念の公園である鶴見緑地や大阪城の公園などの広い所でも、入場料が、200円程度と、本当に安いのです。

 紫陽花は、いっぺんに気にいったのです。

 つくづくお花さんは、お金があまりかからないので、何と、縁の持ち易い存在だと想います。

 その上に、植物園や公園は結構近い所にもあります。

 長居公園の植物園なら、電車賃が、250円もあれば行けます。

 今、紫陽花は、正直言って、こんな事なら、もっと早く縁をもつべきだったと後悔しています。

 時々、花達にあって、「ありがとうございます」の波動を届けてあげたら、花達は、きっとお返ししてくれる。

 やはり、縁の花を書く以上、人だけでなく、いろんな花とも縁を持ちたいと想うのです。

 そして、紫陽花は、今年は、デジカメでも買って、時々、花がある所に行って、下手ですが、花を撮って、縁の花のホームページに載せたいと考えています。

 そうしたら、縁の花や、花達も喜ぶ気がするのです。

 もしよかったら、皆さんも、一緒に行きましょう。

 特に、紫陽花の咲く六月は、長居植物園や、三宝下水処理場で、紫陽花に会うのを、毎年の慣例にしたいと想うので、行きたいという人は、メールを頂けたら無限の無限の幸せです。


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