Counter

縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第171号

ありがとう広場

        ∞「ありがとう広場の紹介」∞

縁の花では、「ありがとうおじさん」が唱えている「ありがとうございます」の言葉のすばらしさについて、何号も書かせて頂いています。

とうとう小冊子まで、作らせて頂きました。

それで、一人でも多くの人が、「ありがとうございます」に目覚めて頂けたら、無限の無限の幸せです。

何故なら、それは、天、神様のお仕事のお手伝いをしているという事ですから、紫陽花は、こんなに幸せな事はないと想います。

縁の花も、そんなすてきな使命を頂いて、心から喜んでいると想います。

しかし、そうはいっても、やはり、「ありがとうございます」の言葉の意味や、「ありがとうおじさん」の事を知るには、「ありがとう協力隊」の人達が作っている「ありがとうおじさん」のサイト、「ありがとう広場」を見るのが一番です。

このサイトは、「ありがとうおじさん」の話を、忠実に載せているので、紫陽花は、「ありがとうおじさん」や「ありがとうございます」の言葉の事を知りたいという人は、まず、「ありがとう広場」と縁を持って欲しいと想います。

その上で、補足として、縁の花の「ありがとうございます」シリーズの号を、見て頂けたらいいと想うのです。

ですから、今回の縁の花では、そんな「ありがとう広場」を、皆さんに紹介する事にしました。

インターネットができる人は、是非、下にある、すてきな「ありがとうございます」の絵のところにリンクしているので、「ありがとう広場」に入って下さい。

きっと感動して頂けると確信しています。

けれども、縁の花の読者の人が、皆さん、インターネットをしているかといったら、そういった事はありませんし、「ありがとう広場」を見ても、最初は、良く分からないと言う人も多いと想います。

というのも、紫陽花自身が、そうだったからです。

去年の2月頃、(2002年)、辻久文さんから、初めて「ありがとうおじさん」の話を聞いて、「ありがとう広場」のサイトに入って、「ありがとうおじさん」が書いているものを、読んだのですが、正直いってピーンと来ませんでした。

書いている内容は、いいと想いましたが、パソコンの画面だと読みにくく、10分たらずで、止めてしまったからです。

今から考えると、紫陽花は、まだ、その当時、いろんな想い、特に霊達の事で囚われていたので、ちゃんと読めなかったのです。

それで、分かった気になって、「ありがとうおじさん」も、本当の先生の一人ぐらいにしか、想わなかったのです。

少し傲慢だったと、今は反省しています。

ですから紫陽花が、「ありがとうございます」に目覚めたのは、その後すぐに、石井秀典さんが、送ってくれた「ありがとうおじさん」の本を読んだり、テープを聞いたりした時からです。

本を読んだり、カセットテープを聞いたりして、「この先生は、すごい」と心から想ったのです。

それぐらい、今迄紫陽花も、いろんな本当の先生達と縁を持ってきましたが、格が違っていたのです。

きっとその時に、紫陽花の抱えている想いを、「ありがとうございます」が、消してくれ出したのだと想います。

紫陽花が持っている拘りや、執着などの想い、業想念を、「ありがとうございます」が解放してくれたのです。

まさしく「ありがとうございます」の神様、「ありがとうございます」です。

だから、紫陽花は、皆さんにも「ありがとう広場」にすぐに入るより、まず、「ありがとうおじさん」の本や、カセットテープを読むなり、聞くなりして欲しいと想います。

その上で、「ありがとう広場」に入る方が、もっと「ありがとうおじさん」の話が、分かる気がするのです。

何故なら、「ありがとう広場」は、「ありがとうおじさん」の情報が、多すぎるので、初めての人には、とても消化できないと想うからです。

部分部分は、理解できても、「ありがとうおじさん」の事を、全体で掴む事は、難しいのです。

ですから、紫陽花は、全体を掴むのであれば、やはり本か、テープの方が、いいと想います。

良かったら、まず、皆さんは「ありがとうおじさん」の本か、縁の花、第161号「ありがとうございます」の小冊子を読んで下さい。

その上で、「ありがとう広場」に入って欲しいと想います。

でも、そんなに待てないという人は、是非、第171号「ありがとう広場」を参考にして、「ありがとう広場」に入って下さい。

初めての人にも、できるだけ、「ありがとうございます」の事が分かるように、今回の、縁の花第171号「ありがとう広場」はすてきなナビゲーター役をしたいと想います。

 

∞「ありがとうございます協力隊」∞

ありがとうございます

「ありがとう広場」のトップページは、本当にいい波動のホームページだと想います。

インターネットができなくて、ホームページが、見られない読者の為に、簡単に紹介しますと、まず、目につくのは、誰が書いたのかは分かりませんが、すてきな小さな女の子がいるイラストです。

 これが、なかなかいいのです。

 また、「ありがとう広場」のトップページ自体、コンパクトにまとめられていて、とてもすばらしいと想います。

 作成している人が、プロなのかどうかは知りませんが、とても上手です。

 紫陽花自身、学ばないといけないところがたくさんありますし、今度「ありがとうおじさん」の話している内容を、CDログに入れるそうですが、そんな最新の事も、次々とされているので、相当な知識をもった人だと想います。

 正直言って、是非一度会って、教えて欲しい事が、紫陽花自身たくさんあるのです。

 と同時に、こんなすてきなホームページを、ボランティアで作成する人がいるということからも「ありがとうおじさん」はすごいと想います。

 「ありがとうおじさん」が、本当でなかったら、不可能だと想うのです。

 しかし、紫陽花がいくら、ありがとう広場のトップページの説明をしても、説明できるものではないので、ここまでにします。

 やはり、説明するのは難しいので、インターネットに繋げられない人には、申し訳ありませんが、繋げて欲しいと想います。

だって、まだ、インターネットに縁を持っていない人が、縁の花、第171号で紹介した「ありがとう広場」を見る為に、ガンバッテ頂けたら、こんなに無限の無限の幸せな事はありません。

ですから、その為にも、今から、トップ画面は、印刷して、読者の人、全員に、プレゼントしたいと想います。

それで、見たいと皆さんがイメージしたら、いつか、インターネットが見られない読者の皆さんも必ず、自分の力で、見る事ができると想います。

「ありがとうございます」の神様が、そうしてくれると、紫陽花はそう信じているのです。

 

 

 さて余談が長くなりましたが、今から早速「ありがとう広場」のナビゲーター役をしたいと想います。

 紫陽花は、インターネットができなくて、今は「ありがとう広場」に遊びにいけない人も、いつか、これを縁に、見て頂ける事をイメージして、書いていきますので、是非、見られない人もお付き合いください。

宜しくお願いします。

ではまず、皆さんが、「ありがとう広場」に入ったら、新着情報にリンクして下さい。

 そこに2001年9月7日から、ありがとうおじさんが、縁ある人に話している話で、いい内容をテープ起こしして、たくさん紹介していますが、その情報量のすごさに圧倒されると想います。

 はっきりいって、縁の花よりも、情報量すごいです。

 項目も多いですし、書いているページも長いです。

 縁の花は、第170号と、書いている量だけは、自慢なのですが、「ありがとう広場」は、その量が、もっと多いのです。

 紫陽花は、書いている量でも負けているホームページは、今の所、「ありがとう広場」しか知らないので、変な事に感心するようですが、本当にすごいと想います。

 それだけでも膨大な時間を投資している事が分かるからです。

 それで、紫陽花は、まず、皆さんにお願いがあります。

 それは、「ありがとう広場」のサイトを、ボランティアで作成している人達に「ありがとうございます」をして読んで欲しいという事です。

 というのも、ありがとう広場のトップページに、「ありがとうございます協力隊」というものが、下の方にありますが、この人達が、こんな膨大な量を、書いてくれているからです。

 しかも、「ありがとうございます協力隊」にリンクしたら分かりますが、「ありがとうございます協力隊」の人達は、名前を決して名乗りません。

 「ありがとうございます」協力隊というだけで、一体、誰が書いているのか、分からないようにしているのです。

 だから、紫陽花は、本当に、この人達は、すばらしいと尊敬しています。

「ありがとう広場」自体も、本当にすてきなホームページですが、何よりも「ありがとうおじさん」の本も、この協力隊の人達が、テープお越しをしなかったら、決してできなかったからです。

そんなすごい事をしているのに、自分達の名前を、決して名乗らないなんて、紫陽花にはとてもできません。

 何故なら、紫陽花も、ある人のテープ起こしをしようとした事がありますが、とてもできませんでした。

 時間がものすごく掛かりますし、人のテープを起こす事は、本当に大変です。

 すぐに挫折してしまいました。

そんな大変な事を、最初は、二人の女性が、徹夜で、感動し、涙を流しながら、テープ起こしをしたと、「ありがとうおじさん」の本に書いていました。

今は、そんなありがとう広場を支えているスタッフは、お聞きしたところ、何と20数人にもなっているそうですが、誰も相手の顔も知らないそうです。

出会ったこともない人同士で、ただ「ありがとうございます」の心でつながっているだけだというのです。

紫陽花は、本当に、すばらしいと想います。

「ありがとうございます」だけで、後は、お金とか、立場などの、何もよけいなものがないので、ものすごくきれいな縁だといえるからです。

それで、ありがとう広場を、どんどん更新できるのかと納得しました。

「ありがとうございます協力隊」の人達こそ、「ありがとうございます」を世に広めた一番の功労者だと、紫陽花は、心から感謝しているのです。

 と同時に「ありがとうおじさん」も、自分の名前を名乗っていませんが、その「ありがとうおじさん」の教えを、「ありがとうございます協力隊」の人達は、忠実に守っている、実践者だと想います。

何故なら紫陽花は「自分がやっているのだ」という想いの心が少しでもあったら、やはり、自分の名前を出してしまうと想うので、「ありがとうございます協力隊」の人達は、神様にさせて貰っているのだという感謝の心が一杯だと想うからです。

きっと、テープ起こしや、ありがとう広場を更新している事に、無限の無限の幸せや、無限の無限の喜びを、感じているのでしょう。

紫陽花も、いつか、そうなりたいです。

でも、正直言って、紫陽花がいつ、そうなれるかは、分からないので(笑)、せめて「ありがとう広場」に入っている時は、作成している人達に「ありがとうございます」したいと想います。

もし、良かったら、皆さんも、是非、「ありがとう広場」を、作成している人達に「ありがとうございます」と感謝して、見て頂けたら幸せです。

∞「ありがとうの紹介」∞

ありがとう広場には、いろんなコーナーがあります。

その中で、紫陽花が、つねに見ているのは、最初に紹介している新着コーナーです。

新着コーナーでは、「ありがとうおじさん」が話しているものを、テープ起こししているので、次々と新しい「ありがとうおじさん」の話が読めます。

多くの人も、ここを読んでいるのです。

しかし、紫陽花の体験からいえば、新着コーナーは、膨大な情報量がありすぎて、何も、「ありがとうおじさん」の事を知らない人が、みても最初は消化できないと想います。

いろんな人の質問について「ありがとうおじさん」が、書いているので、関心があるものを読めばいいと想いますが、やはり、質問者に答えている、「ありがとうおじさん」の話はよくても、全体的にまとまっているかという面では、難しいと想います。

それを読んでも「ありがとうございます」や「ありがとうおじさん」の事が、まだまだ良く分からないと想うのです。

だから、紫陽花は、まず、新着コーナーに入る前に、「ありがとう広場」のトップページにある、「ありがとうございます」言葉入門か、「ありがとうおじさん」伝を、見る事をお勧めします。

この二つを読めば、「ありがとうございます」の言葉のすばらしさや、「ありがとうおじさん」の今までの生い立ちなどもよく分かるからです。

その後で、新着コーナーを見たらいいと想うのです。

また、紫陽花は、その中でも、まず、「ありがとうございます」言葉入門のコーナーから入った方がいいと想います。

というのも、「ありがとうございます」言葉入門のコーナーでは、縁の花の第161号「ありがとうございます」でも参考にさせて頂いた、小林正観さんの話を紹介しています。

小林正観さんの「未来の知恵」シリーズ7 「幸せの宇宙構造」の本(すべての人が幸せになる方法です)の中で、「ありがとう」の言葉の秘密を書かれているので、紫陽花は、大変分かり易いと想うのです。

何故なら、その中で、まず、小林正観さんは「ありがとう」と唱える事で起こった、いろんな不思議な体験談を紹介しています。

「ありがとう」とずっと唱える事で、病気が治ったりする人がいるというのです。

しかも、「ありがとう」という事で、自分を今迄守ってくれている守護霊さん達も、非常に喜んでいるようだと言っています。

小林正観さんは、それで、「ありがとう」と唱える事を、すべての人が幸せになれる方法だといって薦めたのです。

ですからそんな小林正観さんの薦めで、「ありがとう」を5万回、10万回、50万回、100万回も、ずっと唱えている人が現れているのです。

と次に小林正観さんは、日本で1番「ありがとう」を唱えている、1億回も「ありがとう」と唱えているMさんという事で「ありがとうおじさん」の事を紹介しています。

小林正観さんは、ある人から、「ありがとうおじさん」の話を聞くと、わざわざ、滋賀の山奥にある「ありがとう村」に、一泊二日で泊まると、その時にMさんと、対話して感動した事を書いているのです。

ですが、ここで、紫陽花が是非知って欲しいのは、実は、この事が、「ありがとう村」に、多くの人が来るようになった、最初の縁だったという事です。

小林正観さんの縁ある人が、たくさん、「ありがとう村」に行くようになって、「ありがとうおじさん」の姿や話に感動すると、口コミで広がったからです。

その意味でも、小林正観さんの功績は大きいのです。

と同時に、最後に小林正観さんは、「ありがとう」の言葉に、何故、不思議な力があるか、それも教えてくれています。

「ありがとう」という言葉が、有り難しから来ており、室町時代以前は、人に対して使われる言葉ではなく、神を賞賛し、褒め称える言葉だったというのです。

だから今でも、「ありがとう」といえば、それは、神様が自分にいってくれているといって勘違いして聞いてくれるという訳です。

「ありがとう」の言葉は、天に直接、通じているのです。

小林正観さんは、そんな今迄誰も気が付かなかった、「ありがとう」の言葉の魅力をたっぷり話してくれています。

ですから紫陽花は、まずこれを読む事を推薦します。

「ありがとうございます」の言葉入門は、17ページと結構、長いので全部読むのは、大変ですが、小林正観さんは、「ありがとう」と唱える事が、どんなにすごいか、いろんな人の体験談も、話しているので、非常に分かり易いと想うのです。

 

            ∞「ありがとうおじさんの紹介」∞

次の「ありがとうおじさん」伝のコーナーも、非常に面白いです。

質問者の「ありがとうおじさん」自身に対するいろんな質問に、「ありがとうおじさん自分を語る」という事で、丁寧に答えているからです。

これも21ページにも及ぶ、内容で、全部読むのは大変なので、紫陽花が、ある程度、今から、要約しますが、これは読めば、天が、「ありがとうおじさん」に、どれだけ期待しているか、分かると想います。

天は、「ありがとうおじさんを育てる為に、実にいろんな事をしているからです。

というのも、「ありがとうおじさん」は、姉が一人、妹が二人の、4人の子供さんの中で、唯一、男の子供として生まれていますが、その人生は、本当に凄いとしか、いいようがありません。

何故なら、まず、「ありがとうおじさん」のご両親は、お二人とも和歌山出身ですが、小さい頃に、両親や兄弟を無くして、孤児同然に育ったからです。

とても、苦労しているのです。

また、その中で、父親の方は、霊媒体質で、いろんな神が入ってくる神がかりになって、無料で拝みやさんみたいな事もしていたそうです。

本職は、時計の修理屋さんですが、そんなことを、天はさせていたのです。

と同時に、その事で面白いのは、「ありがとうおじさん」のお父さんは、40歳の時に、20歳の女性と結婚しているのですが、これは、病気になって、困ったお母さんが、お父さんの所にいった時に、神がかりになったお父さんが、「この人と結婚せよ」といったという事がきっかけだというのです。

本人は、何をいったのか、覚えていないそうですが、それで、年が20歳も違うのに結婚したというのです。(羨ましいです)

紫陽花は、ありがとうおじさんのお父さんも凄いけど、その神様のいう事に素直に従った「ありがとうおじさん」のお母さんもすばらしいと想います。

だから、「ありがとうおじさん」は、こんな少し変わった両親の元で、育てられる事になるのです。

しかも、その中で、「ありがとうおじさん」は、お父さんが、神がかりになって、人の相談にのっている姿を見ながら、神様の中にも変な神様もいるという事を客観的に理解したり、小さい時から、そんな両親の影響を受けたのか、神棚の前で、一人で自ら座禅をしたりしていたそうです。

そんな大人びた子供だったのです。

でも両親は、そんな少し変な事をする子供の「ありがとうおじさん」を怒ったりもせず、何もいわなかったそうです。

神が、何もいわないように言っていたというのです。

だけど、すぐに、そんな「ありがとうおじさん」を、神が本格的に育て始める時期が来ます。

「ありがとうおじさん」が、幼稚園に行っているまでは、父親の時計屋の家業は繁昌していたそうですが、小学校に入ると、神が、今から本当の修業させるといって、耐乏生活をさせたからです。

その日から、時計の修理を、誰も頼みに来なくなったのです。

ですからそれから、「ありがとうおじさん」は、6人の家族と供に、10年間以上も、耐乏生活をしています。

神は、山篭りなどの修業ではなく、生活行、生活の中で、苦労させたのです。

それで、「ありがとうおじさん」の一家は、家もなく、小屋を物置にして、米が食べられず、メリケン粉を食べる生活をする事になるのです。

でも、そんな中でも、「ありがとうおじさん」は、両親を内職する事で手伝いながら、学校に行き、座禅瞑想を続けていたといいます。

昼食の時間なども、お金がないので、小学校、中学校、高校と、食べずに、ずっと瞑想をしていたというのです。

紫陽花には、とてもできないと想います。

そしてそんな中で、「ありがとうおじさん」は、中学校の頃から、人生の目的について考え、自殺も考えた事があったそうですが、20歳の時に、人生の目的は、神様の心をこの世に表すという悟りを開きます。

と同時に、霊的な体験で、核戦争で、人類が殆ど残っていない地獄絵図を見せられて「私の命を神に捧げますから、ともかく地球を救う為にお使い下さい」という気持ちが、自然に起きたそうです。

 この事が、「ありがとうおじさん」のお祈りの、本当の意味での出発点になっているというのです。

 だから「ありがとうおじさん」は、社会人になっても、30歳まで、就職はせず、月のうち、3週間断食をしたりしています。

 それをしながら、アルバイトをして、お金があれば、その資金を平和運動に注いでいたそうです。

 お祈りで、たくさんの人の病気を治しても、金銭は求めなかったのです。

 けれど、そんな「ありがとうおじさん」は、33歳の頃に結婚しています。

 知り合いの人に、何人か、名前をいって貰って、名前で、相手の人の性格も、すべて分かるのか、結婚しています。

 奥さんは、ありがとうおじさんよりも一つ上だそうですが、会った時に「もう決めています」という、無職で、生活費ゼロの「ありがとうおじさん」とよく結婚したなあと、ほとほと感心してしまいますが、今も、「ありがとうおじさん」を影から支えている、すてきな奥さんです。

 子供さんも二人いますが、どちらも塾に行かなくても、優秀で、大学を出ているそうです。

 ありがとうおじさんの家庭は、恵まれている訳です。

 また、そんなありがとうおじさんは、結婚してからは、大阪で働いていたそうですが、給料は、全部、平和運動に使って、あいかわらず生活費はゼロだったそうです。

 家族との生活は、すべて神に任せて、飢え死にしても構わないという気持ちで、24、5年ずっと生きていたのです。

 そうすれば、神様が、必要なものは、全部、与えてくれたというのです。

 そしてそんな中で、「ありがとう村」の歴史が始まります。

 というのも、結婚して4、5年後、「ありがとうおじさん」は、保養所の管理の仕事をするようになっていました。

 お祈りをするにも、保養所の管理人の仕事を、夫婦でやっていたら、とても便利だったのです。

 それで、大阪から滋賀に来るようになったのです。

 でも10年後、平和運動の為のお金を生む管理人の仕事も、全部捨てて、お祈りだけに絞り込むと、10年ほど、近江八幡に住んでいます。

 ここで、縁ある人達が、何人か、来るようになったり、近くに住み着くようになったりしたのです。

「ありがとう村」の前身がここから始まったのです。

 けれども、それが神の計画で、今から5年前の、1997年頃、過疎村の滋賀の山奥に引っ越す事になります。
 
 しかも神様は、「ありがとうおじさん」に必要なお金を与え、本来ならお金がないはずなのに、滋賀の山奥で、土地代は安いとはいえ、何と六反、1800坪もの、膨大な土地を持つ事になります。

 その上に、建物を建てる材木なども、廃材のようなものが集まって、何人かの人が住む住居も短期間でできたというのです。

 こうして、「ありがとう村」は、本格的に始まりました。

 そんな「ありがとう村」に、近江八幡の頃からの人や、新しい人が、「ありがとうおじさん」を慕って、集まりだしたからです。

 ここで多くの人が、朝、昼、晩に、お祈りや「ありがとうございます」瞑想をするようになったのです。

 そして21世紀になってから、そんなありがとうおじさんが、突然、有名になって、多くの人が「ありがとう村」に来るようになります。

 神様は、きっとそんな事を、「ありがとうおじさん」が生まれる頃から、ずっと計画していたのだと想います。

 これが、紫陽花が要約する、「ありがとうおじさん」の生い立ちなのです。

 

 

                  ∞「新着情報」∞

 ありがとう広場のサイトから、新着情報コーナーに、リンクすると、その情報の多さに、皆さんもびっくりすると想います。

 紫陽花も、正直言って、今、改めて数を数えて、驚いています。

 何と、題名だけで、2003年5月9日時点で、264個もあります。

 しかも、一つの一つの題名で書かれている内容も、量が多いです。

 少なくとも10ページ以上はあります。

 何しろ「ありがとうおじさん」が1時間かけて、話をしたものを全部、テープ起こしして紹介しているのですから、長いはずです。

いつも無限の無限の情報「ありがとうございます」 紫陽花は、そういったものを、3日から5日に1度のペースで、ボランティアでテープ起こしをしている「ありがとうございます協力隊」の人達に、本当に今更ながら、頭が下がりました。

 この協力隊の「無限の無限の喜び」の奉仕があって、「ありがとう広場」のサイトはできていると、心から感謝したいです。

 また、その書かれている内容も、大変すばらしいです。

 縁の花では、とても、それを全部紹介する事はできませんので、題名を、いくつか、皆さんに紹介しますと、「一番大切な事」 「的を絞ると迷わない」 「日本民族の生き方」 「一億回言ったら誰でも変れる」 「からだ」は「空っぽだ」 「天にお任せ」 「浦島太郎」 「ありがとう縁」 「正直者」 「祈りと瞑想」などです。

是非、興味があれば、お読み下さい。

その上に「ありがとうおじさん」の話は、今は、何かテーマを決めたものについて、「ありがとうおじさん」が話してくれる事も多いですが、殆どは、いろんな質問者の質問に「ありがとうおじさん」が答えるものが多いです。

だから、きっと皆さんが、質問したい内容も、紫陽花は、たくさんあると想います。

何故なら質問の中には、「言霊の意味となぜ言霊に力があるか教えて下さい」とか「思いを取り除くのに、時間がかかるという事ですけど、それを早く取り除く方法は???」

「お正月になると神社に行ってお参りしますが、今迄だったら、神様に金運や健康をお願いすると思うのですが、神様の方から人間に対してお願い事というのはあるのでしょうか」など、本当に、千差万別で、率直な質問が多いからです。

 単純な質問から、高度な質問までありますが、「ありがとうおじさん」は、見事にそれに答えているので、紫陽花は、きっと感動されると確信しているのです。

 と同時に、その新着情報の中は、「ありがとうございます」ツアーに参加された本当の先生達の講演内容もテープ起こしでされています。

 どれもすばらしい内容です。

 これも、皆さんに紹介しますと はがき道坂田道信先生 白峰由鵬先生 経済評論家の藤原直哉さん 森信三先生の話をされる寺田先生 臨死体験の木内鶴彦さん 笑顔共和国の福田純子大統領、船越康弘さん、タンポポの山元加津子さん、真弓定夫さん、柔道の山下泰裕さん・・・・などの有名な先生達が話しています。

 この内、縁の花では、坂田道信先生と福田純子大統領の事は、詳しく紹介していますが、他の先生達もすばらしい話をします。

紫陽花自身、お名前は聞いていても、どんな話をされるか知らなかったので、大変勉強になった先生も何人かいます。

特に白峰由鵬さんのフォトンベルトの話は良かったです。

他にも、経済評論家の藤原直哉さんや、柔道の山下泰裕さんの話も、興味がありました。木内先生の臨死体験の話は、以前聞いた事がありましたが、改めて、文章で見ると、良

く分かりました。

いつも無限の無限の情報「ありがとうございます」こんな多くの「本当の先生達」の話を、無料で読めるなんて、心から「ありがとうござ

います」です。

 是非、どの先生も「ありがとうございます」をテーマの一つとして話しているので、内容的にも良いので、興味があれば、皆さんに読んで欲しいと想うのです。

 

 

       ∞「他のありがとうございますのコーナー」∞

ありがとう広場のサイトは、他のコーナーのどのコーナーもすばらしいです。

紫陽花自身、これを書くに当たって、いろいろ見ましたが、どれもすごいです。

無限の無限の「ありがとうございます」が詰まっていると想います。

それを簡単に紹介しますと、まず、紫陽花が皆さんに見て欲しいのは、新着情報の下にある、ありがとうnet放送局です。

ここをリンクしたら驚くと想いますが、ありがとうおじさんや、いろんな本当の先生達が、講演した内容を、インターネットラジオ放送局という事で、無料で聞く事ができます。

新着情報で「ありがとうおじさん」が話した内容を、文字でなく、聞く事ができるのです。

しかもその量も多いです。

二百個以上はあります。

だから、紫陽花は、皆さんも、関心のあるものは、是非、聞くことを勧めます。

というのも、やはり、読むよりも聞く方が楽だからです。

これだったら、読むのは苦手と言う人でも、「ありがとうおじさん」のすばらしさが、分かると想います。

しかも紫陽花自身、「ありがとうおじさん」はすごいと想ったのは、「ありがとうおじさん」の本を読んだ後、「ありがとうおじさん」のカセットテープを聞いたからです。

それで、内容だけでなく、ありがとうおじさんの優しそうな声にも、感動しました。

「ありがとう村」で、集まった人達と「ありがとうおじさん」が楽しそうに話をしている、雰囲気が、ものすごく羨ましかったのです。

ですから、皆さんにも、「ありがとうおじさん」の事が、声を聞く事で、感じだけでも、何となく分かると想うのです。

 きっと優しく、楽しそうな「ありがとうおじさん」の声を聞いているだけでも、「ありがとう村」に行きたくなると想います。

 また、次に同じ左側にある「リンクありがとうございます」ですが、これもすばらしいです。

 というのも「ありがとうおじさん」は、「無限の無限のシリーズ」の小冊子を作っています。

「無限の無限の幸せが一杯!」「無限の無限の安らぎが一杯!」「無限の無限の喜びが一杯!」「無限の無限の感謝が一杯!」「無限の無限の調和が一杯!」「無限の無限の愛が一杯」「無限の無限の知恵が一杯」「その他」というものです。

 この小冊子は、「ありがとうおじさん」自身が、ワープロで一気に書いたそうですが、内容は、本当にすばらしいです。

「ありがとうおじさん」が、若い頃から勉強していた事、よく分かります。

 紫陽花自身も「無限の無限のシリーズ」を読んだ時に、「ありがとうおじさん」は、すごい、こんなものを書ける「ありがとうおじさん」はただものでないと、感服しました。

「ありがとうおじさん」の本が、初心者むけだとしたら、無限の無限のシリーズは、高等者むけになります。

 少し難しい面もあるかもしれませんが、たぶん、皆さんが読めば、「ありがとうおじさん」の凄さに納得して貰えると想います。

 全部載せているので、一度、読んで欲しいと想います。

 と同時に、次に、最初に紹介した「ありがとうございます協力隊」のコーナーですが、この中には、「ありがとうございます協力隊」の紹介だけでなく、今日の言葉という事で、毎日、違う「ありがとうおじさん」の言葉が、載せられています。

 これもなかなかいいです。

 どうやってやるのか、技術的な事は分かりませんが、さすがは「ありがとうございます」協力隊の人だと、紫陽花自身、感心しているのです。

 そしてそんな感じで、どんどん紹介していきますと、右側の方には、「BBS 一期一会」という掲示板のコーナーもあります。

 これもすばらしいです。

 一期一会の掲示板では、皆さん、真剣に「ありがとうございます」をテーマにして話をしています。

 場を争おうとしている人もいないようで、たまに覗くと勉強になります。

 是非、皆さんも、遊びに来てあげて下さい。

 それこそ「ありがとう広場」だと想います。

 また下のリンク集のコーナーもいいです。

 伊路波村のサイト、河童堂のサイトなど、紫陽花と縁ある人達も載せて貰っていますし、五井先生の白光真宏会のサイトなども載っています。

どれもすばらしい人のサイトで、紫陽花は、本当に嬉しいです。

是非、皆さんにも、覗いて欲しいと想います。

しかし、やはり、縁の花として、お勧めするのは、次に紹介する子供美術館です。

これは、子供さんが中心の絵の美術館ですが、本当にすばらしいです。

というのも絵の中には、小さな子供さんが描いた花の絵もありますし、画家で、彫刻家でもある岡本俊彦さんが、心の花といった見事なものを描いています。

紫陽花は、この中でも、小さい子が書いている花の絵が気にいりました。

プリンターで印刷して持っているのです。

是非、皆さんにもみて欲しいと想います。

そしてその後には、「ありがとうおじさん」が書いた小冊子、信仰の極致のコーナーがあります。

これはありがとうおじさんが、古神道の事を書いていますが、ありがとうおじさん自身、古神道の大家だけに、すばらしい内容です。

実は、すごすぎて、紫陽花には理解できない部分がたくさんありますが、難しいものが好きだとか、古神道の好きな人にはいいと想います。

と同時に、その後の幸せ一杯のコーナーは、「リンクありがとうございます」コーナーで、紹介した、ありがとうおじさんの「無限の無限」のシリーズの小冊子を、別な角度から紹介しています。

紫陽花は、こちらの方が見易いと想います。

それと最後に感謝のコーナーですが、これは、「ありがとうございます」ツアーに参加された、本当の先生達を紹介しています。

新着情報でも紹介しましたが、そこでは紹介できていない先生もいます。

順番に書いていきますと、山下泰裕さん、真弓定夫さん、坂田道信さん、神渡良平さん、山元加津子さん、山ア勝さん、田中至さん、船越康弘さん、藤原直哉さん、福田純子さん、木内鶴彦さん、白峰由鵬さんです。

どれも、「ありがとう村」で、講演してくれた内容を、紹介していますが、これからも、どんどん「ありがとうございます」ツアーに参加される先生達は、増えるので、紫陽花は、どんな先生の話が聞けるかと楽しみにしています。

ありがとうおじさん以外の人の話も聞きたいという人には、紫陽花は、この感謝のコーナーが、非常に分かり易くていいと想うのです。

以上が、簡単ですが、「ありがとう広場」の説明です。

では皆さん、縁の花 第171号「ありがとう広場」を読んで頂いて「ありがとうございます」

どんどん「ありがとう広場」に、遊びに行きましょう。

    2003年5月19日

        縁の花 ありがとうございますシリーズ

        縁の花 トップページに戻る

        縁の花村 トップページに戻る