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縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第175号

                惟喬親王祭

∞「ありがとうございます祭り」∞

 2003年(平成15年)7月20日、7月21日に、滋賀県の永源寺町蛭谷のある惟喬御陵や皇(スメラ)学園で、画期的な本当の祭りが、世界で始めて行なわれました。

 今迄世界中でされていた人間が主催する伝統行事としての祭り、どんちゃん騒ぎのお祭りではなく、救済の神々が主催する、大きな目的と意義のあるお祭りです。

 宇宙絶対統一神、天照大御神様と出会って一体化するという最高の計画がある祭りです。

 それが20日(前夜祭)21日(海の日)に行なわれたのです。

 ですから紫陽花は、この惟喬親王祭に、ボランティアのお手伝いをかねて、18日の金曜日から「ありがとう村」に入りましたが、参加できて本当に無限の無限の幸せ一杯です。

 この日は間違いなく、神々や高級の御霊、大宇宙にとって、画期的な日になったと確信しているからです。

 21世紀、人類が本当の社会に入る事ができたら、7月21日が大きな分岐点になったと認識しているのです。

 というのも、紫陽花が、まず注目したのは、惟喬親王祭は、海の日に行なわれる事です。

 昔、ある人から、海は、海の水を通して、世界中でなく、宇宙や大霊界にまで波動で繋がっていると教わった事がありますが、紫陽花はそうかもしれないと想っています。

 少なくても海の日は、大宇宙や大霊界との扉が開かれているのではないかと、前から考えており、その日に、惟喬親王祭、(ありがとうございます)祭りが行なわれることは、ただの偶然ではない、天、神々の意志であるような気がしているのです。

 何故なら、惟喬親王祭は、10年前に初めて開催された頃は、海の日の祭日ではない、もっと別な日に行なわれていたそうですが、今は、海の日に本祭が、開催される事になっているからです。

 また紫陽花が、もう一つ注目したのは、惟喬親王祭に参加した人数です。

 去年までは、地元の人が中心で、内輪で粛々と執り行なう祭りだったそうですが、今回からは違います。

 20日の前夜祭で1000人、21日の本祭では1500人が参加したといいます。

 去年の惟喬親王祭は、350人程度だったと聞いているので、一気に5倍になったのです。

 しかも参加した人は、全国から来ています。

 北海道や福岡から来た人も多いです。

 皆さん、ある程度「ありがとうおじさん」や「ありがとうございます」の事を理解しているので、意識は本当に高い人が集まっています。

 そんな人が、千人以上集まって、2日間も、「ありがとうございます」を何度も何度もするのです。

 紫陽花は、これはすごいことになると確信していました。

 何故なら、一人が「ありがとうございます」をすれば、1回の「ありがとうございます」ですが、100人がすれば、100人×100で1万回になります。

 1000人だったら、1000×1000で、100万回になります。

 それを10回すれば、1000万、100回すれば、1億回になって、50年間で1億回唱えたという一人のMさん、「ありがとうおじさん」が誕生します。

 だから紫陽花は、2003721日は目には見えなくても、人類の意識が抱えている多くの思いや怒りが、「ありがとうございます」で消えて、意識が変化する画期的なスタートの日だと確信していました。

 本当にすごい日なのです。

 その上に惟喬親王祭に参加するのは、全国の意識の高い人、千五百人だけではありません。

 前世に生きていた頃よりも、数段意識の高まった惟喬親王や、いろんな神々、幕末に活躍して、明治維新をやり遂げた志士達、西郷隆盛や坂本竜馬、吉田松陰なども集まっていると「ありがとうおじさん」はいいます。

「何とか世界を早く平和にしたい、みんなが本当の意味で、神我一体になって幸せな状態になって欲しい」という願いで集まっているというのです。

 世界維新、本物の世界維新を始めるつもりだというのです。

 ですからこの本当の祭りに、参加できる事は、無限の無限の幸せなんていう言葉では現す事はできません。

 神々や志士と縁が持つ事ができ、世の中の為にしようとしている人には、神々や志士達から、力を貸して貰えるからです。

 しかも、この祭りに参加するという事は、自分だけが救われるのじゃないと「ありがとうおじさん」はいいます。

 個人差はもちろんありますが、自分の心境のマイナスを消して、大きなプラスを与えて貰って、神様を感じて貰って、悟りが開けるだけでなく、やがて自分の縁者が全部そうなるといいます。

 その上に、自分の背景にいる何十万といる存在や、縁者の背景にいるすべての存在も、大きなプラスを与えて貰え、ものすごい大きい救済をして貰える。

「ありがとうおじさん」は、そういっています。

 紫陽花は、その話を聞いて、ただただ感謝せずにはおれませんでした。

 背景の存在までも救って頂けるなんて、ずっと紫陽花が求めていた祭りです。

 いえ、そんなレベルではないかもしれません。

今、紫陽花は、長年、日本人が、待ち焦がれていた、暗黒の世界に天照大御神様がパッと現れる、本当の意味での「天の岩戸開き」、それが第10回からの惟喬親王祭であり、「ありがとうございます祭り」ではないか、紫陽花はそんな予感、直感するのです。

 

                 ∞「惟喬親王祭」∞

 2004年の、第11回の惟喬親王祭は、たぶん五千人の人が参加するのではないかと想います。

 正直言って、道路が狭い滋賀の山奥でするので、千五百人が参加するのでも大変だったので、五千人の人がどうやって集まるのかと考えると疑問がありますが、紫陽花はその程度は集められると想います。

 人が集めるのではなく、神々が主催して集めるからです。

 紫陽花は、天、神様が、いろんな神業を発揮すると確信しているのです。

 しかしここで、紫陽花が皆さんに一つだけ、誤解して欲しくない事があります。

 それは、惟喬親王祭を主催しているのは、地元の永源寺町蛭谷の人達だという事です。

 ありがとうおじさん、「ありがとうございますボランティアの人達」は、あくまでも共催、お手伝いをしているだけです。

 いろんな人が書いている「ありがとうございます」のホームページなんかを見ると、惟喬親王祭は、ありがとうおじさんが主催でやっていると誤解する人が多いと想いますが、それは間違いです。

紫陽花は、是非皆さんに、地元の蛭谷の人がしている祭りに、「ありがとうございます」の縁の人達も、好意で参加させて頂いているという事を、忘れないで欲しいと想うのです。

 けれどもそうはいっても、「ありがとうございます」ボランティアの人達が、惟喬親王祭に、大きく貢献している事も事実です。

 今までは、内輪でやっている祭りでした。

 紫陽花は今回、全国から、千五百人もの人が集まった事に、一番驚いているのが、地元の人達だと想います。

 何しろ、突然、千人、千五百人と集まって、いろんな一流の本当の人が、展示したり、イベントしたりして奉納しましたし、屋台の店も何十軒も、すべてボランティアで行なわれました。

 惟喬親王祭自体、今までとまったく違った祭りになったと想います。

 地元の蛭谷の村長や、惟喬神社の宮司さんは、そんなスケールに大きくなった祭りに、戸惑いながらも、本当に心から喜んでいました。

 「ありがとうボランティア」の人達にも、心から感謝してくれたのです。

 というのも、10年前に惟喬親王祭が開催されるようになった事は、地元の人達の大きな想いがあったと紫陽花は考えています。

 地域の活性化や、蛭谷を根拠にして、全国に散らばった木地師(とち・ぶな・けやきなどの木を伐り椀や盆などの木地を作る職人)の文化を守りたかったと想うのです。

 何故なら、紫陽花も、今回始めて知ったのですが、永源寺町蛭谷は、独特の文化、木地師文化があります。

 これは、平安時代、文徳天皇の第一皇子として、本来なら天皇になるはずだった惟喬親王が、時代が藤原家全盛期だった為に、時の大政大臣藤原良房が、自分の娘を、母として産ませた、第4皇子の惟仁親王(清和天皇)を皇位に継がせ、大政を欲しいままにしようと企てたことでなれなかったことから始まります。

それで、天皇家、東宮が争いと混乱が絶えず、藤原家が、惟喬親王も秘かに亡きものに企てようとした為に、惟喬親王が自ら身を引いて、都を離れて山から山へと隠遁の生活をするようになりました。

惟喬親王は、数名の刺客から逃れながら、山から山へと数年彷徨い、遂に人跡未踏の大木林立の永源寺の蛭谷にある小椋谷(おぐらだに)の山里に逃げ込み、ここでようやく親王の身に安泰が得られたので、小椋谷に幽棲するようになったというわけなのです。

また幽棲後の惟喬親王は、自ら実に粗末な暮らしの毎日でありながらも、人民の貧しい生活に日夜御心を痛め、この辺りが立木資材の豊富なところからろくろを使って膳、盆、碗などを作る仕事を木地師の元祖ともいわれる小椋実秀卿に命じて教えさせ、民業の開発に力を注ぎました。

惟喬親王は、貞観元年(859)年に小椋庄に入山され、貞観7年(865)蛭谷に筒井八幡宮を建立する事になり、木地師、工人達は、親王を業祖と崇めるようたそうなんです。

しかも、そのろくろの製品などは、都に知れ渡ると、盛んになり、木地師は、小椋谷を自らの出身地として頼り活動しています。

全国にある良材を求めて、全国各地に移住しています。

木地師は、惟喬親王を祖神とあがめ、その随身の末裔である事で硬く信じる事で、時の天皇家、朱雀天皇や正親町天皇の綸旨を始め、菊の紋書に守られて、通行の自由や諸役免除といった木地師の特権を与えられていますし、江戸時代には、全国最大の木地師支配組織が確立しました。

大正時代でも、蛭谷の伝統技術を伝える木地師は、千人以上はいたという記録もあるのです。

しかし、現在、木地師はたった3名しか残っていないそうです。

今の時代、伝統技術は、どこもそうですが、残らなくなっているのです。

だから10年前に、永源寺町の蛭谷などの、地元の人達が、中心になって惟喬親王祭を開催したのは、何よりも惟喬親王に対する憧れがあったと想いますし、木地師の文化や栄光を残したいと想ったからだと想います。

惟喬親王祭には、そんな地元の人の願いが、想いがあります。

紫陽花は、是非、惟喬親王祭に参加される全国の「ありがとうございます」の縁の人達もその事を知って欲しいと想うのです。

何故なら、一体何の為の祭りなのかもよく理解せずに、ただただ「ありがとうございます」で参加する事は、地元のとっては失礼な事になると想うのです、

また、紫陽花は、地元の人達は、この惟喬親王祭を、10年間ずっと地道に育てて来た事も、皆さんに知って欲しいです。

特に3年ぐらい前に、惟喬親王祭の第1ステージになった、木で造られた立派な舞台(拝殿)も、地元の人達が造っています。

村や県から予算が出ているかもしれませんが、紫陽花は造った地元の人にはつねに感謝したいです。

その立派な拝殿があるから、惟喬親王祭ができるのは間違いないからです。

そして紫陽花が、もう一つ皆さんに、参考までに知って欲しいのは、裏の歴史として、本来なら天皇になれるはずだった惟喬親王を慕って、全国から意識の高い人が、蛭谷に住んだという話があるという事です。

惟喬親王は、ろくろの技術などを表面では教えながら、もっと精神面の事も木地師に教え、やがて木地師は、関所も関係なしに通行が自由にできるという利点を生かして、各地で木地師の村(ワタリ)を造るようになりますが、実は秘かに日本の国を陰から守っていたという人さえいます。

あの豊臣秀吉は、尾張の御器所の生まれで、木地師の血が流れていたという説さえあるのです。

というのも、秀吉がいくら才能や運に恵まれていたとしても、農民出で、何のパックもないのに、戦国時代とはいえ天下人まで出世できたのは、いくら何でも不思議です。

そこから考えて、実は秀吉が、信長の命令で崩れた石垣を3日間で治したり、墨俣に有名な一夜城を建てたりできたのは、同じワタリ、木地師の技術者集団が陰から応援したからできた事だといいます。

蜂須賀小六などの木曽の川筋衆が手伝ったのも、同じワタリだったからだというのです。

紫陽花は仮説としては実に面白いと想います。

だって木地師の村に住んでいた長老達が、惟喬親王の末裔達が、シミュレーションの小説の世界で書かれているだけでなく、本当に日本の国を陰から見守っていたなら、こんなすごい事はないからです。

欧米や中国に秘密結社があったように、日本にあったとしても不思議ではないのです。

ただし、これは歴史的に証明されている事ではありませんし、実際には、そんな事はありえないと想います。

けれども惟喬親王祭は、年に1回のお祭りです。

永源寺町蛭谷の村人達が、惟喬親王や、村を守ってきた木地師の人達を敬うお祭りです。

紫陽花は、惟喬親王や神々が降りてきてお祭りに参加されるのなら、惟喬親王の周りに、木地師達や日本の国を守ってきた木地師の村の長老達が降りてきたとしても不思議はないと想います。

いえ、紫陽花だけでなく、皆さんも惟喬親王祭に参加する時は、日本の国の歴史を支えてきた、志士や長老などの崇高なご先祖様の魂に「ありがとうございます」しても許される、不思議ではないと想います。

もしよかったら、そうしてあげて下さい。

 

         ∞「ありがとうボランティア」∞

7月20日から始まる惟喬親王祭の2日前、7月18日に、紫陽花は「ありがとう村」に入りました。

初めて「ありがとうボランティア」する為です。

惟喬親王祭の開催に当たって、いろいろお手伝いする事があるはずなので、お手伝いに行ったのです。

といえば聞えはいいですが、実は違います。

紫陽花の良心が、ずっと前からものすごく咎めていたのです。

何故なら惟喬親王祭という、神々や志士達の御魂と直接縁が持てる本当のお祭りに、紫陽花が何もせずに、ただ参加して楽しむというのでは、何か、申し訳ない気持ちが一杯だったからです。

その前に、紫陽花も少しでもお手伝いをして、「ありがとうおじさん」がいうように、「ありがとうボランティア」する事で、心を綺麗にして、神々や志士の御魂と縁が持ちたかったのです。

そうしないと、ちゃんと縁を持って貰えない気がしていたのです。

だから、紫陽花の「ありがとうボランティア」は、まだまだ欲、想いがあります。

いつか、そういった想いがなくて、無心の心で神々に奉仕したいとしたいと想いますし、それを学ぶ為に「ありがとうボランティア」にも参加したいと想います。

「ありがとうおじさん」は、「ありがとうボランティア」には、そんな奉仕の心を学ぶ気持ちで参加して欲しいといっていますが、本当にすごい事をいっています。

知識で分かっていても、なかなかできない奉仕の心を学べるのなら、神々が手伝って、植え付けるお手伝いをして頂けるなら、こんなに幸せ、無限の無限の幸せな縁はないと想います。

是非、皆さんも縁があれば、「ありがとうボランティア」に参加されたらいいと想います。

またそんな気持ちで参加していたので、紫陽花の「ありがとうボランティア」は、うまくいきませんでした。

まず、最初に、いつものように、JR米原駅の東出口に、12時に待っていたのですが、誰も集まっていないのに戸惑ってしまいました。

「嘘という気持ちで一杯でした」

「今の紫陽花の心境を神々に見抜かれて、「ありがとうボランティア」に受け入れて貰えないかと想ったのです。

 でも何とか参加できました。

 実は、「ありがとうボランティア」では、JR米原駅から迎いは来ず、車で来ない人は、名神バス停百済寺に(京都や名古屋からの高速バスなら乗れるそうです)行かないといけないのですが、紫陽花は全然しりませんでした。

 中にはそういった人もいるかと想って、Y岸さんが、車の手配をしてくれていて、駅で知り合った何人かの人と行けたという訳なのです。

 本当によかったです。

 そして現地についてから、紫陽花も、40名ちかくの「ありがとうボランティア」の人達とさっそくボランティアさせて頂きました。

 平日の金曜日に、40名以上の人が、ボランティアしている事もすごいと想いましたが、皆さん奉仕の精神で参加していたので、雰囲気が良くて、楽しかったです。

 金曜日は、会場になる惟喬親王祭の御陵がある所の第2ステージを掃除しましたし、土曜日は、惟喬親王祭に参加される人が、寝泊りする皇学園にある何軒かの宿舎を掃除しました。

 畳を上げて、元に戻し、トイレも掃除したので、紫陽花自身はめったにやらない大掃除でした。

 付録として狸さんの糞も「ありがとうございます」で片づけました。

 正直いって、こういった事はこの頃全然しないので疲れましたが、向うで知り合った人達と、楽しくさせて頂いたのです。

 またその時に感じた事は、当たり前の事ですが、お祭というのは大変だという事です。

 祭りは、当日だけお手伝いしたらいいという訳にはいきません。

 事前の準備が大切です。

 だから「ありがとうボランティアグループ」の人達は、毎週、「ありがとうボランティア」を募集していました。

皇学園の宿舎を掃除していた時も、「ありがとうございますボランティア」の人達が、何

十人と林の中に入って、蛭谷だけに蛭が多く、蛭に血を吸われながらも、木を切って、整理している所も見ました。

 大変だったよという話だけは聞いていましたが、紫陽花はそれが少し実感できました。

 来年も、再来年も惟喬親王祭は開催されますが、「ありがとうボランティア」の人達は、その為にこれから毎週、土・日曜日にボランティアする人を募集して、汗を流すそうです。

是非皆さんが参加するのであれば、それを成功させようと多くの人が、事前に「ありがとうボランティア」で汗を流してくれている事だけは忘れないで欲しいと想います。

 「ありがとうございます」と感謝してあげて欲しいのです。

 しかも紫陽花が、感心したのは、当日の祭りでも、「ありがとうボランティア」は、リーダーというものをあまり決めず、できるだけ自発的に参加して貰っている事でした。

 参加していた一人が、指導する人を決めて、てきぱきと指示して貰わないと無駄が多すぎるという感想をいいましたが、リーダーのSさんの「ありがとうボランティア」は、何の組織もないので、その場のリーダーはいても、誰も指示はしないという返答に納得していました。

 紫陽花も、そんな「ありがとうボランティア」の雰囲気が、好きになったのです。

 その上に驚いたのは、惟喬親王祭で何を誰がやるかも決まっていない事でした。

 土曜後の夜、200人もの人が、お手伝いする為に「ありがとう村」に集まりましたが、そこで、駐車所の管理や名簿の受け付けなどのボランティアをする人を募集していたからです。

 紫陽花は、200人以上の人が、自然に集まった事は、さすがは「ありがとうございます」の縁の人達だと感心しましたが、誰が何をやるか殆ど決まっていない事には、正直驚きました。

 山道なので、道が狭く、たくさんの人が車で来るのは大変です。

 事故でも起きなかったらいいのにと、心配性の紫陽花はしてしまったのです。

 だけどY岸さんや「ありがとうボランティア」のリーダーの人達は、惟喬親王祭に関して、まったく不安はもっていませんでした。

 その事について、不安を持つ人もいるかと想いますが、「ありがとうおじさん」の所は、神様が、運営してくれるので、不思議と何でもうまくいくという事でした。

 紫陽花は、それを聞いて、「そうだ」と想わず頷いてしてしまったのです。

 しかしそれでも、紫陽花は納得した反面、心配の想いもまだ完全に抜けきれませんでした。

 というのも、滋賀の山奥なのに、何百人もの人が泊まれる施設、皇学園がある事で考えても、神様が何十年も前から、本当の祭りの準備をしてくれていた事は間違いないと想います。

 だって20年以上も前に、今は亡くなった書道家の原田観峰さんが、山奥に入って、3棟からなっている大きな建築施設、皇学園を造っていたのですが、今そこは利用していないからです。

それで、皇学園さんの好意で貸して貰えた事から、展示のコーナーや、癒しのコーナーや、多くの人が宿泊する事ができたのですが、これなんかは神様の意志としか紫陽花には考えられませんでした。

周辺にあるホテルでさえ、百済寺までは迎いにいくけど、それ以上はとてもいけないというところですから、たくさんの人が集まる場所が近くにあるという事自体奇蹟しかいえません。

神様の力は本当にすごいと想いました。

ただそれでも紫陽花は、「ありがとうボランティア」の人達のように、全てを神様に任せるという心境になれないのですが、見事に惟喬親王祭は、20日、千人、21日、千五百人の人が集まりましたが、多くの人が率先して、当日に決まった役目のボランティアした事で、何の問題も起きずに、無事に終わりました。

紫陽花自身、何か、天、神様にすべてを任せするという心境を学ばせて頂いた一日だったのです。

また、それは来年も同じだと想います。

来年の第11回、惟喬親王祭には、5千ぐらいの人が集まるのではないかという事でしたが、滋賀の山奥で、これだけの人を集める事は、皆さんも行ったら分かりますが、大変です。

神様が運営しないと、とてもできないと想います。

来年、神様がどうするか見るだけでも、紫陽花はいくだけの価値はあると想いますし、「ありがとうボランティア」の人達は、今年と同じように、ボランティアする人達を、前日に求めると想います。

惟喬親王祭を一部見られないという事になるかもしれませんが、皆さんも参加して頂けたら幸せです。

そして当日の惟喬親王祭では、紫陽花は取材の為に、ありがとうボランティアあまりできませんでしたが、今から紫陽花の本当のありがとうボランティアが始まると想っています。

第10回、惟喬親王祭の内容をしっかり縁の花で、「ありがとうボランティア」の精神で書きたいと想います。

お読み頂けたら幸せです。

 

 

            ∞「惟喬親王祭の奉納」∞

7月20日、日曜日、昼の2時から惟喬親王祭の前夜祭は行なわれました。

場所は、惟喬親王の御陵がある場所です。

しかし紫陽花は、その前にどうしてもしたい事がありました。

というのも「ありがとうボランティア」では、惟喬親王祭で、本物を奉納するという事で、いろんな本当の物を求めていました。

神々に奉納するというのです。

それで紫陽花自身、どうしても縁の花を奉納したいという事で、よく分からないまま、縁の花も奉納させて頂く事にしました。

縁の花の波動を神々に届けたかったのです。

それで第161号の「ありがとうございます」の小冊子30冊、第106号「幸福を生む住まい塾」第133号「天皇の真実」、第150号「日本・原爆開発の真実」、各5冊を持っていきました。

神様に見て頂ける神殿のような場所があって、そこに置いて頂けるといったイメージをしていたのです。

けれども皇学園にある施設、展示コーナーを見てびっくりしました。

大きなスペースがあって、本格的です。

しかも集まっているものも、どれもすごい、本当のもので一杯でした。

京人形、ありがとう護摩写真、雲の写真、藍染め作品、宇宙からの絵、詩、千手観音菩の絵、猫の絵、油絵、手作りの印鑑、花の傘、ぐるぐるサイクルの絵(ありがとうございます曼荼羅)など、どれも一流のものばかりでした。

紫陽花は、それを見て、正直びっくりしました。

こんなすごいものが集まっているとは夢にも想わなかったのです。

「ありがとうございます」のパワーは凄いというか、やはり「ありがとうおじさんがいうように、本物が本物を集めるのかと想ったのです。

しかも感心したのは、どの作品も神様に奉納するという事で、お値段は自由価格で、頂いたお金は、全額、「ありがとうボランティア」の人達に、お渡しするという事でした。

さすがに一流の高価な絵に関しては、そういうわけにはいかないので、展示するだけだったのかもしれませんが、展示した人達も奉納の精神で一致していたのです。

だから紫陽花は、正直言って一瞬退散しようかと想いましたが、やはり、神様に奉納する事で、縁の花を神様に届けたかったので、縁の花も展示させて頂く事にしたのです。

でも、そんな紫陽花に早速「ありがとうございます」がありました。

まず、紫陽花と一緒に提示した人が、以前から縁のある京人形のS原さんや、手作り印鑑のYさんでした。

ですから気兼ねなく、わきあいあいという雰囲気でやれました。

特にYさんには、前から欲しかった「ありがとうございます」の印鑑を、石に彫る事で造って貰える事になりました。

「ありがとうございます」と「縁の花」の印鑑を、Yさんに安く依頼する事ができたのです。

 その上に、縁の花も早々と2時間程度で完売しました。

縁の花を店頭で販売するのは初めてですが、おかげさまで、展示コーナーに来た人達もすばらしく、値段を自由価格なので安いという事もあって買ってくれました。

直ぐになくなって十人以上の人達からも予約も頂いたのです。

それで、そのお金を「ありがとうボランティア」の人に貰って頂くと、紫陽花は、取材に専念する事にしました。

これさいわいに、一番、最初に店を閉める光栄を頂けたのです。

また、そんな紫陽花ですから、来年、惟喬親王祭に展示するかは未定です。

もし、展示するとしても、縁の花をもっとたくさん持って来ないといけませんし、縁の花の号の種類をもっと増やさないといけません。

これから考えたいと想いますが、展示するという形ではたぶんしないと想います。

というのもやはり、展示されている絵などが凄すぎました。

「今に感謝」などの文字と一緒に書かれている「ありがとうおじさん」そっくりのお地蔵さんなどの、千手観音菩薩の絵も見事でしたし、「ありがとうございます」のぐるぐるサイクルの絵も良かったです。

 このぐるぐるサイクルとは、隣のトトロや未来少年コナンなどの大きな絵に、たくさんの人が、好きな色で、小さく「ありがとうございます」と無数に書くのですが、紫陽花も書かせて頂きましたが、曼荼羅を書いているようでとても気持ちが良かったです。

 でもその反面紫陽花は、今迄そんな地道な活動を通して、「ありがとうございます」を普及している人達がいるなんて知りませんでした。

保育園や小学校にも訪れて、主に小さな子に書いて貰っているそうですが、新聞にも取り上げられています。

紫陽花は、それを知っていろんな人が、それぞれに「ありがとうございます」の活動をしているなあと本当に、嬉しかったです。

大きな絵自体も、「ありがとうございます」の波動がいいという事で、皆さんから大変好評でした。

もっともっと多くの人が、「ありがとうございます」のぐるぐるサイクルの絵、「ありがとうございます」曼荼羅を書いたら、世の中が変るような気がしたのです。

 また他の作品も、どれもすばらしかったです。

 特に、アヒルの形や象さんの形をしている雲の写真は不思議でしたし、「ありがとうございます」護摩をしている時の不思議な写真にも驚かされました。

 いろんな御魂の姿が写っていました。

 紫陽花は、こんな不思議な「ありがとう護摩」の写真は、初めてみたので驚きました。

 神々やいろんな魂が降りて来るのは間違いないと想います。

 しかもその「ありがとうございます」護摩が夜に行なわれます。

 これは本当にすごい事、本当の祭りになると、紫陽花は、展示コーナーを見ただけでも確信したのです。

 そしてそれは、別の施設、癒しコーナーでも同じでした。

 今回紫陽花は、癒して貰った訳ではありませんでしたが、集まった本当の人達に圧倒されました。

 紹介しますと、2F(121室)整体・心のエネルギー、(122室)ホメオストレッチ、(123室)温熱療法・レイキヒーリング&操体法・AMIと鍼灸・整体・エネルギワーク、(127室)手技整体、(128室)足のあんまこう・鍼灸、整体、3F(132室)アロマセラピー(133室)整体&体操、(134室)脳力活性、気を体感、(135室)温熱療法、(136室)心理療法、(137室)オーラ写真・足もみ、(138室)操体法・温熱療法・楽健法となりますが、どれもすごい人たちです。

 紫陽花の縁ある人達も参加していました。

 しかもここでも奉仕の精神、奉納でされていました。

 ボランティアか、代金をとったとしても自由価格で、「ありがとうございます」の活動の為に使われる事になるのです。

 

 

          ∞「ありがとうございます 座談会」∞

惟喬親王祭の前夜祭は、2時から、惟喬親王御陵のあるところで行なわれました。

広い自然の豊な大きな公園といった場所で、たくさんの人が入れます。

ステージも、第1ステージ(拝殿)、第2ステージとあります。

そこで開催されたのです。

しかし、ここで紫陽花自身まったく予期もしない事が起こりました。

朝、雨、しかも大雨が降ってきたのです。

これには紫陽花も、正直驚いてしまいました。

天気が悪いのは分かっていました。

車で朝早く来た人の中で、不思議だ、ずっと雨なのに、このあたり、山に入ったら晴れているという話を聞いていたからです。

だけど、紫陽花は、惟喬親王祭に雨が降るとは、微塵も想っていませんでした。

大雨が降り出して、これでは中止になってしまうと、一瞬心配したのです。

というのもこれは後で知った事ですが、ありがとう村に2日間もいたので分からなかったのですが、九州などは記録的な大雨で、大変だったそうです。

特に博多駅は、何メートルも水浸しになったそうです。

その雨が、九州から、北上して、滋賀の方までやって来たのです。

日本列島中が雨なので、降らない方がおかしいのです。

でも、不思議ですが、その大雨も2時頃になるとぴったりと止んでしまいました。

多くの人は、この雨は禊の雨だね。

「ありがたいね」と感謝していましたが、そのとおりになったのです。

また、紫陽花自身も、以前、笑顔共和国の七夕祭りIN姫路で同じような事を経験しているので、きっと晴れると確信していましたが、それでも禊といえども大雨は降って欲しくありません。

個人的にいえば、まだまだ参加された人の意識が、紫陽花を含めて「ありがとうございます」という感謝の心になっていないから降ったと想いますし、そんな想いを禊で貰ったと想うのです。

けれども惟喬親王祭自体は、そんな事を忘れるぐらいすばらしかったです。

まず、少し遅れて、お祈りが、皆で始められました。

「ありがとうございます」と心の中で、皆が唱える「ありがとうございます」瞑想が行なわれたのです。

 紫陽花は、この瞑想を、まだ「ありがとうございます」の事がよく知らないまま、惟喬親王祭に参加した人が見たなら、良く分からないと想いますが、違和感はなかったと想います。 

 何かを多くの人が願っているのかなと感じて貰え、きっといい波動を感じて頂けたと想います。

 多くの人が「ありがとうございます」を唱えたら、周りの波動を一気に高めるからです。

 そしてそれが終わると、次は座談会、各村の代表の方が一人ずつ出て貰って、「ありがとうございます」の事を語って貰ったのです。

 というのも今回の第10回惟喬親王会では、多くの人の協力が欠かせません。

 Y岸さんのやすらぎの村、Y田さんの伊路波村、I藤さんの「ありがとう輝楽村」、広島のひふみ村、仙台の元気アップ村、Mさんの夢見村、Nさんの笑顔村などの日本ふるさとサイバー村にある村の中には、各村の判断で大きく貢献した村もあります。

 伊路波村や「やすらぎの村」では、百人以上の村人さんが、惟喬親王祭に参加したのではないかと想います。

 またそれは、もちろん村としてではなく、自分の持っているご縁で、貢献された人もたくさんいます。

 そんな人達の代表の人が、10名程度参加して貰って、「ありがとうございます」についての座談会をしたのです。

 本当にすばらしい座談会になりました。

 というのも、その中の話で、紫陽花が、まず、感銘を受けたのは、Aさんが人がいった「ありがとうおじさん」が、惟喬親王祭に参加されない姿に、感動したという話です。

 というのも実は、「ありがとうおじさん」は、718日の時からそうですが、「ありがとう村」にいますが、瞑想の時ぐらいしか顔を見せる事はありませんでした。

 足が悪いという事でしたが、実際のところはよく分かりません。

 その前の「ありがとうございます」ツアーでも、始めて顔を見せなかったそうです。

 座談会では、その事が最初の話題になりました。

 Aさんは、その事を、もし惟喬親王祭に、「ありがとうおじさん」が、現れていたら、皆の意識が「ありがとうおじさん」に向いて、「ありがとうおじさん」が中心になってしまって、皆が主役になって輝けないといっていました。

 それで「ありがとうおじさん」は、お隠れになっているのではないかと推測されて、やはり「ありがとうおじさん」はすばらしいと評価していました。

 紫陽花は、それを聞いて成る程と納得してしまいました。

 今迄いろんな会や祭りに参加しましたが、中心の人が姿を見せないというのは、病気でもないかぎり初めてです。

 やはりありがとうおじさんは、他の人と違うと想ってしまいました。

 Y岸さんは、これは「ありがとうおじさん」、神様の作戦ではないかといいましたが、そうだと想います。

 もちろん「ありがとうおじさん」が惟喬親王祭に姿をみせない事を、素直に受け入れる参加された人の意識が高いという事もありますが、紫陽花は皆、すばらしいと心から感謝したのです。

 それともう一つ、紫陽花が感銘を受けたのは、笑顔教室のN坂さんが話をしてくれた笑顔タイムの話です。

 笑顔教室とは、笑顔共和国とは別で、大阪で笑顔を普及しているところです。

 紫陽花は、前から話は聞いていましたが、今回始めてN坂さんと会えました。

 惟喬親王祭には笑顔共和国も参加したので、「ありがとうございます」だけでなく、笑顔も一杯だったのですが、そのNさんは「ありがとうタイム」というのを作って、「日本列島を愛と光のベールでつつもう」「みんないっしょにありがとうございます」をする事を呼びかけています。

午後1時、午後6時、午後11時の前2分間と後の2分間の合計4分間を「ありがとうございます」タイムとして、どこでも、どんな姿勢でもいいので、一回だけでもいいので「ありがとうございます」と唱える事を勧める活動をしているのです。

というのもN坂さん自身、「ありがとうおじさん」に出会う前から、自然に「ありがとう」と唱える事の効果に気が付いていたそうです。

「笑顔教室」の生徒さんには「ありがとう」「ありがとう」と唱えていたら、言霊の力で「ありがとう」がたくさん来ると伝えていたというのです。

それが、時期が来て、「ありがとうおじさん」に合縁を持てた時、他の代表者の人も同じですが、「ありがとうおじさん」のにこにこ笑顔に参ってしまったそうです。

自分が今迄やってきた事は間違っていなかったと確信を持って、「ありがとうございます」と唱える事を益々勧めるようになったのです。

そうしたら最初は、いい事があるかなという動機でやっている人でも、効果が出て来て、いつの間にかそういった事を期待せずに、感謝で唱えられるようになるそうです。

甲状腺の腫れが引いたなどの病気が治ったとか、不思議な事が一杯起きているそうです。

今、笑顔教室の生徒さんは「ありがとうタイム」を携帯の繰り返しアラームにセットして忘れずにやっているそうですが、紫陽花はすばらしいと感動しました。

 午後1時と午後6時は、「ありがとう村」のお祈りと連動しているので、日本中で多くの人が「ありがとうございます」と唱えている事になります。

 紫陽花は、携帯電話を持たない主義なので、どうしても忘れてしまってできませんが、何か方法を考えたいと想います。

 是非、皆さんも「ありがとうございます」タイムに参加して参加して欲しいと想います。

 座談会では、そんな話で盛り上がると、参加された皆さんの意見も求めながら、感謝で2時間ちかくがあっという間に「ありがとうございます」で終わったのです。

 

             ∞「惟喬親王祭前夜祭」∞

 座談会が終わると食事の時間になりました。

 「ありがとう村」からも、おにぎりを出して貰って、紫陽花は感謝しながら食べました。

 その後、いよいよ場所を第2ステージに移して、惟喬親王祭の前夜祭が行なわれたのです。

 しかし、この前夜祭でも、最初少し雨が降りました。

「ありがとうおじさん」は、この雨の事を、この山にいる竜神様が飴を降らせてくれているね、皆感謝して舐めないといけないよ」と表現した事を、司会をした女性が教えてくれましたが、そうだったのかもしれません。

 雨はすぐに止んだのです。

 またその後は、さすがは惟喬親王祭、本当の祭りです。

 本当の一流の人がどんどん出演されて、ただただ紫陽花は圧倒されました。

 それを皆さんに順に紹介していきますと、18:30分 ポップス(プライナス) 18:45分 ダンス(愛LOVE&ハーモニー) 18:55分 和太鼓(前野七彦) 19:05分 唱曲・仕舞・小鼓(伊藤恵造) 19:15分 歌・踊り(笑顔共和国) 19:30 パーカッション(ルドルフ) 19:40分 即興の歌(宮原名奈弓) 19:50分 クリスタル・ボウル(あうん) 20:00分 ヒーリング・ポップス(コスモス) 20:10 巫女舞(森田自由子) 20:20分 篠笛(福原百三) 20:30分 磐笛と舞(磐笛吹奏楽団) ニューエイジ・ミュージック(香音天)となります。

 どの人も一芸で有名な方で、全国で活躍されている方です。

 そんな人達が、「ありがとうおじさん」の呼びかけで、一同に集まったのです。

 紫陽花は、心から感動したのです。

 しかもどの人も奉納の精神でしています。

 惟喬親王祭に参加された人だけでなく、祭りを見る為に降りて来ている、神々や志士などの御魂や、何よりも天に楽しんで貰おうという意識でやっていました。

 その上にどの人も、心から喜んで神々に奉納しているので、すべてボランティア、奉仕です。

 これだけの本当の演芸を無料で、神々と一緒に楽しめるなんて、無限の無限の幸せだと紫陽花は心から感謝したのです。

 またどの人も「ありがとうございます」を理解しているので、演芸自体も楽しかったです。

 ルンルン赤ひげななちゃん事、前野七彦さんは、ありがとうございますの音頭で、途中から和太鼓を打ってくれました。

 多くの人が、和太鼓の音に合わせて「ありがとうございます」と唱えましたし、紫陽花は、知りませんでしたが、「ありがとうございます」ソングというものも生まれていました。

 そんなすてきな歌を披露してくれた歌手もいるのです。

 それと忘れていけないのは、笑顔共和国です。

 笑顔共和国もやってくれました。

 七夕祭りとして今回は30名ちかくで参加してくれました。

 七福神の姿をした人を中心に笑顔の踊りをみせてくれました。

 紫陽花の自称お姉さんである福田純子お姉さんも、見事な舞を神々に奉納しました。

 紫陽花は、今回は取材の為に忙しくて、今年に突然、晴天の霹靂でご結婚して、多くの人を驚かせた福田純子さんに「ご結婚おめでとうございます」ととうとう最後までいえませんでしたが、新たな福田純子大統領をみた感じで嬉しかったです。

 惟喬親王祭に参加された人は、芸をする人、それを手伝う人、それを見る人、すべてが「ありがとうございます」を意識する、本当にすばらしい人が集まったなあと、紫陽花は心から感動したのです。

 そして前夜祭の祭りが終わった後で知ったのですが、忘れてはいけないのが、そんな祭りを、神々、志士などの多くの御魂が楽しんでいた事です。

 普通の人がデジカメで撮った写真も、丸い御魂がたくさん写っており、紫陽花は「ありがとうございます」宿泊場で、北海道から参加したN野さんに見せて頂いて驚きました。

 紫陽花の肉眼ではまったく気が付きませんでしたが、見える人には見えたみたいです。

 しかも惟喬親王祭が終わった後で、N田さんが送ってくれた写真には、緑色の御魂や青色の御魂も無数に写っており、紫陽花はこれには参りました。

 神々や志士が降りてくるというレベルではありません。

 この世にまだいる無数の霊達が、惟喬親王祭に参加して、楽しんだのは間違いないと確信したのです。

 その上に「ありがとうおじさん」がいっているように、光の柱が建っているのを見た人が、何人もいます。

 正直いって、夜の事ですし、いろんなライトの光があるので、紫陽花にはそうだとはいえませんが、見える人には見えたみたいです。

 そんな話題で、前夜祭は持ちきりでした。

 紫陽花は、今、その事と合わせて、無数の霊達は、光の柱を登って、霊界に帰ったのではないかと想います。

 何となくそんな気がします。

 惟喬親王祭は、多くの霊達も「ありがとうございます」で成仏させてあげられるすごい祭りなのだと改めて想ったのです。

 これこそ紫陽花が、長年求めていたものだったのです。

 またそんな惟喬親王祭は、その後も続きました

2ステージの演劇が1時間程度遅れて終わって後、前夜祭は、最後の神事、N村雅秀さんがしてくれる護摩奉納、「ありがとうございます」護摩焚きに入りました。

 今回は、ありがとうおじさんのたっての願いという事で、弁護士でもあるN村先生が、ありがとうおじさんの誕生日の1223日と、6月頃にしたものとは別に、特別にしてくれたのですが、とてもよかったです。

 雨は、再び途中から結構降って、もうこれ以上降ったら、中止かなという感じで、帰った人も何人かいたそうですが、すぐに止んでくれて、紫陽花は始めて「ありがとうございます」の護摩焚きを見させて頂きました。

 多くの人が板の表に「ありがとうございます」や「無限の無限の「ありがとうございます」と書き、裏に自分の名前や家族、願ってあげる人物の名前だけを書いたものを、儀式にのっとって、N村さんが1枚ずつ願いをかけて燃やすのですが、火がすごくて感動しました。

 本当にすばらしいと想います。

 というのも普通、護摩焚きといえば、いろんな願い事などを、それぞれの人が書いて、燃やす事で、その願いを天に届けるのですが、「ありがとうございます」護摩焚きは、「ありがとうございます」の感謝の波動だけを届けて、後はすべて天に任せるからです。

 願い事は一切しないのです。

 でもその方が、紫陽花は、神様が喜んでくれて、いろんな無限の無限の幸せをくれると想います。

「今回のありがとうございます護摩はすごいよ」と「ありがとうおじさん」はいっていたそうですが、紫陽花は、きっと今頃(815日)縁の花 第175号「惟喬親王祭」を書いている頃には、それぞれの人に「ありがとうございます」が来ていると想います。

「ありがとうございます」護摩焚きでも、不思議な写真や、多くの御魂の写真が撮れているので、必ずそうなっているはずだと確信しているのです。

 

 

 

               ∞「惟喬親王祭本祭」∞

 21日の惟喬親王祭は、朝の3時から始められました。

「ありがとうおじさん」は毎日、この時間からお祈りを始めます。

 それに合わせて開催されたのです。

 ですが、ここで紫陽花が感動したのは、そんな朝早くなのに、お祈りに参加する為に多くの人が惟喬御陵まで歩きながら来てくれた事です。

 皆さん、お祈りをする為に来てくれたのです。

 しかし残念ながらここでも雨が降りました。

 激しい大雨になったのです。

 けれども幸い、惟喬御陵の第1ステージ、惟喬親王の神殿は、天井があって雨が防げますし、近くに建物があって、雨に濡れる事はありませんでした。

 そんな中で、お祈りは始まったのです。

 でも、ここで紫陽花は不覚にも体調を壊していました。

 やはり金曜日からの「ありがとうございます」の生活は、紫陽花にとってはハードでした。

 毎朝、3時、4時半起きは大変です。

 その上に腰を弱めていました。

 それが悪化したのか、少し痛めてしまいました。

 歩くのも辛くなったのです。

 だから紫陽花は、お祈りはまともにできなかったのです。

 だけど惟喬親王祭は、順調に進みました。

 雨も食事の時間、6時頃には完全に止み、二度と降る事はありませんでした。

 晴天になったのです。

 また、そんな中で前夜祭同様、本祭でもすばらしい人達が、一芸を奉納してくれました。

 その中には、昨日演技してくれた人もいれば、今日駆けつけてくれた人もいます。

 それを皆さんに披露すると、第1ステージは、比較的大人向けで、磐笛と舞(磐笛吹奏楽団) 和太鼓(前野七彦) 地歌舞(古澤侑毘) 居合道(ありがとう読書会)踊り(よさこいソーラン踊りクラブ) 鈴鹿太鼓 巫女舞(森田自由子) 10時から12時 神事 鳳凰の舞(小林央味) 琴(南江米子) 語り(小林靖枝) マジック(小島光雄) 江戸芸かっぽれ(向井文子) 日本舞踊/太極拳(大越伸子/小松君江) のど自慢(5人) 創作ダンス(妻木律子) ボディービル 太極拳(大原寿美佳) 空手演武(掘口卓裕) 謡曲・仕舞(伊藤恵造) パーカッション(ルドルフ) 踊り(笑顔共和国)で、3時で終りです。

 同じ時刻にされた第2ステージは、比較的子供向けで、 ポップス(プライナス) ハワイワン(村上厚美、通紀) 童謡(大野治子・中藪由紀) 歌(山田貴央) ピアノ(岩崎和音) ギター弾き語り(TOKIO) ダンス(LOVE&ハーモニー) 10時から12時半までお休み ボディービル 子供漫才(ひさ&なお) コーラス(ポーコ・ア・ポーコ) 即興の歌(宮原名奈弓) 歌・踊り(MEW&自然農の仲間達) マジック(小島光雄) アコーディオン(笹井啓子) ピアノ・ボーカル(上野喜彦) 声楽(相澤淳子) クリスタル・ボウル(あうん) オカリナ・ピアノ(コスモス) ニューエイジ・ミュージック(香音天) エンディング(ありがとうの歌)310分終了になります。

 残念ながら、身体は一つしかないので、紫陽花が全部見た訳ではありませんが、批評するまでもないと想います。

 個人的には、「ありがとうございます」を唱える事で、強くなって、今年は日本のチャンピオンを狙う、ムキムキマン、ボディービルの選手達の話が面白かったですが、どの人も、すばらしい一芸、演技を「ありがとうございます」を意識して、披露してくれました。

 紫陽花は、今皆さん、本当に「ありがとうございます」としか言いようがないのです。

 しかし、この中で一つだけ、紫陽花は、皆さんに報告しないといけない事があります。

 それは第1ステージで、10時から12時まで行なわれた神事の事です。

 実は、紫陽花もびっくりしたのですが、惟喬親王祭とは、この2時間の神事しか本来はなかったそうです。

 第1回から何回かまではっきりした事は分かりませんが、蛭谷の人達が、この時間帯に集まって、している神事が正式な惟喬親王祭になるのです。

 ですからこの神事の主役は、地元の蛭谷の人達でした。

 まず惟喬神社を任されている宮司になる人が、神事をされ、その後に、地元の人達が、惟喬親王に挨拶をしたりしていました。

 それが終わった後、蛭谷の町長さんが、祭りに参加された人にお言葉を述べられました。

 町長さんは、惟喬親王祭に全国から千五百人の人が来られた事を、感無量だと喜んでくれていました。

 突然、千五百人という人が押し駆けるようになった事で、地元の人達の中には、戸惑っている人もいるかと想いますが、町長さんは「ありがとうおじさん」や「ありがとうボランティア」の人達の事を理解してくれている感じでした。

 紫陽花は安心したのです。

 また、その後でお話してくれた、地元では有名な人の話もよかったです。

 まず、最初は、惟喬神社をお守りしている小椋正清さんが、木地師の話をしてくれました。

 木地師は、良い木を求めて次々と移住するので、農耕民族の日本人の中には、本当に珍しい狩猟民族だったそうです。

 でも資料で調べてみても、各村の人達と争った形跡がないそうです。

 木地師達は、各村人との話し合いで、納得して貰って木を切りすぎる事もなく、調和してやっていたのです。

 小椋正清さんは、そんな歴史を教えてくれると、今、日本人が、変な犯罪をしておかしいのは、米国などの狩猟民族が持っている契約などのルールが、戦後の日本にどんどん入ってきたけど、それが日本の体質に合わないからではないかと教えてくれました。

 それだけに今、日本は、木地師達の生き方を学ばないといけないと言い、その木地師の発祥の地である、惟喬親王がいた蛭谷の文化をこれからも守っていきたいといわれました。

 時間は短いけど、非常に内容のある話をしてくれたのです。

 と次に、地元でずっとイヌワシなどの自然の動物を研究している山崎享さんが、蛭谷などのこの周辺が持っている自然の豊かさを話してくれました。

 というのも紫陽花は、全然知らなかったのですが、このあたりは、日本でも殆ど住んでいない、イヌワシや、クマタカといった大きな鳥が、上空で飛んでいるところだそうです。

 イヌワシや、クマタカは、自然が豊かでないと真っ先に生きられない動物だと教えてくれたのです。

 何故ならイヌワシやクマタカは、肉食の鳥なので、餌になる動物、うさぎなどが豊富にいないと生きられないからです。

 その上で、天狗さんのモデルがイヌワシでないかというような面白い話を聞かせてくれました。

 蛭谷が持つ自然の豊かさをこれからも守っていきたいと述べられたのです。

 紫陽花は、それを聞いて自然が一杯な所に存在しているありがとう村の事がますます好きになりました。

 というのも、大阪ではもう7月になると紫陽花の花が咲いていませんが、ここは違います。

 紫陽花の花が一杯咲いています。

 しかもありがとうございます宿舎と、ありがとう村の間の所には、まるで紫陽花を迎えてくれるようなちょっとした紫陽花通りがありました。

 紫陽花に紫陽花のパワーを注いでくれていたのです。

 ですから紫陽花は、ありがとうおじさんだけでなく、蛭谷の大自然も好きになりました。

 もちろん他の所でも紫陽花の咲いている所があるとは想いますが、来年の惟喬親王祭にも、紫陽花に会いに行きたいと想ったのです。

 そんな蛭谷の持つ、自然の豊かさと木地師の文化のすばらしさを教えてくれたお二人には、心から「ありがとうございます」したいと想います。

 

 

      ∞「すべての存在にありがとうございます」∞

しかし紫陽花が、本当に感動したのは、いろんな展示品や癒しでもなければ、演芸や講演でもありません。

 やはり花よりも団子です。

 721日の惟喬親王祭に参加してくれた人に楽しんで貰いたい、「ありがとうございます」をしたいという事で、屋台を通して食べ物を奉納して下さった多くのボランティアの人達です。

 だってこの人達は、屋台をする為に、交代でやったとしても惟喬親王祭をろくに見る事ができなかったからです。

 本当にお疲れ様、「ありがとうございます」といいたいです。

 というのも紫陽花が何よりも驚いたのは、屋台も全部奉納、奉仕だった事です。

 ビールを飲みたいと想って、生ビールの屋台に行って、「下さい」とお願いして、お金を渡そうとしたら、「ありがとうございます」といって渡されました。

 これには正直びっくりしました。

 今までにいろんな祭りに参加してきましたが、貰って頂いて「ありがとうございます」と感謝される屋台なんて聞いた事がありませんでした。

 もちろん無料です。

 これには正直、「ありがとうございます」の縁の人達、皆さんに、紫陽花は心から参りましたと頭をさげました。

 惟喬親王御陵に入った時も、ご報告が送れましたが、Y岸さんが、新作の「新・どういきたら・いいの?」の本を祭りに参加された全員、千人以上の人に配ったり(本当にすごい人です)、ありがとうボランティアの人達が、「ありがとうおじさん」のテープやCDを、自由価格、よかったら箱の中に代金を入れて下さいといった感じでたくさん置いていたり、不思議な雲の写真や日めくりをくれたりしていた事にも感動しましたが、やはり屋台は食べ物だけに、紫陽花は一番感動したのです。

 しかもそんな屋台が、鮎の塩焼き、みそおでん、みたらしだんこ、ふるまい酒、きき酒、とうもろこし、フランクフルトと、何でもあります。

 30屋台もあるのです。

 その上に量も皆さん、たっぷり用意していました。

 大勢の人が来ても、縁の花と違ってなかなか店しまいにはなりませんでした。(反省しています)

 紫陽花だったら、あまり数を用意せずに、すぐに店を閉めてしまうかもしれませんが、屋台の皆さんは、本当に多くの人に食べて頂きたいという想いがあるのです。

 その上に何よりも感動したのは、屋台の材料がとてもいい事です。

 紫陽花はとうもろこしが好きで、祭りに行ったら、必ず食べますが、今までで一番美味しかったですし、鮎の塩焼きは最高でした。

 普通の屋台なら、経費を押える為に材料もよくないものを使うのでしょうが、惟喬親王祭では、本当の屋台が集まっています。

 どれを食べても美味しかったのです。

 というのも、例えばふるまい酒、きき酒の屋台では、やすらぎの村のY岸さんが、全国の村人に、惟喬親王祭のお酒を奉納するので、各地方の銘酒を送れというメールを1通送ったそうです。

 それでなんと全国から60種もの銘酒が集まったそうです。

 また、ある人は、1000人以上の人がくるので、サザエを1000個集めたそうです。

 何人かの人と海に潜って採ったサザエを、4つの超大型のクーラーボックス詰め込んで、あわびとペットボトル20本分のアイスコーヒーと一緒に車で来たというのです。

 それぞれの屋台の人達が、こんな想いで、取り組んでいるのです。

 屋台の皆さんおしいものを食べさせて頂いて「ありがとうございます」しか、紫陽花はいえません。

是非、来年も来たいと想ったのです。

 そして忘れてはいけないのは、天、神々の演出です。

 神々もすばらしい感動を与えてくれました。

 第1ステージの時では、雨が止んだ後、大きな木に、たくさんの雫が、いろんな色で光って、まるでシャンデリアを見ているようで、多くの人を喜ばせてくれました。

 上空では大きな虹が、太陽の近くにかかって、多くの人を感動させました。

 その上に残念ながら紫陽花は見ていませんが、UFOも現れて、惟喬親王祭を楽しんだみたいです。

 何人もの人が、見ているのです。

 こんなすばらしい本当の祭り、宇宙人さんさえ楽しんだ祭りが、惟喬親王祭だったのです。

 けれどもここで、皆さんに少し恥ずかしいけど告白しますと、情けない事に、紫陽花は最後まで、惟喬親王祭を見届ける事ができませんでした。

 腰が痛いという体調が不良だった事と、終わってからがものすごく込んで、交通手段は大型のバスだけなので、帰るのが大変だよという情報を頂いていたので、今回の取材はここまででいいかと判断して少し早い目に帰ったからです。

 というのも惟喬親王祭では、不思議と紫陽花は会いたい人とは会えました。

 名古屋のK山委員長にも会えましたし、京都のA田真由美ちゃんとも会えました。

 二人とも縁の花の縁で、「ありがとうおじさん」を知ってくれた人です。

 何しろ千人以上なので、会えないかもと想っていたのですが、見事に天は会わせてくれたのです。「ありがとうございます」

 その上に、無限の無限の幸せ交換をメールでしていた人の中で、唯一、理由もはっきりしないままに、突然「波長が合わないのでメールも電話も今後一切しないで」という奇襲攻撃で、紫陽花の心を2ヶ月間、少しぼこぼこにしていたYさんにも会えました。

 恐る恐る話し掛けたら、心よくYさんも話をしてくれました。

 もうそんなに怒っていないみたいです。

 今でもYさんが何に起こったのか、紫陽花には女性の心理が分からない上に、はっきりした事をYさんが説明しないので、謝りようがありませんが、この1年間、たまにはYさんには、「悪い事をした」と気にしていたので胸のつかえが取れた気がします。

 そんな紫陽花の想いを、惟喬親王祭、「ありがとうございます」祭りは、見事に消してくれたのです。

 ですから紫陽花は、それだけでも惟喬親王祭に参加した価値があったと想います。

 残念ながらYさんとは完全に和解できた、お互いに「ありがとうございます」というところまでいけなかったのでえ、再び縁が持てるという事ではありませんが、紫陽花はいつか再び会えた時は、お互いに許しあえる、縁が復活すると信じています。

 惟喬親王祭のような感動した事があったら、他の多くの人と同じように、Yさんにも報告しあえると楽しみにしているのです。

 だから、紫陽花はそれで十分に感謝すると何となく今回はここまででいいという事かなという気がすると帰る事にしました。

 明日は仕事があるし、4日間も留守にしているので、また変な所に行っているのではないかと心配している両親の事が心配だったのです。

       ∞「21世紀の天の岩戸開き」∞

 惟喬親王祭のフィナーレ、最後のエンディングはすごかったみたいです。

 帰ってから、気になって参加した人達に聞いて、紫陽花は感動してしまいました。

 正直最後まで見届けずに帰った事、少し後悔しています。

 惟喬親王祭に参加した人全員が、感動した祭りになったのです。

それを、紫陽花が何人かに取材したかぎりで、報告しますと、まず、第1のステージの大とりをつとめた福田純子大統領の「笑顔共和国の国民」の人達がやってくれたみたいです。

 さすがは紫陽花の自称お姉さんです。

 前夜祭同様、七福神の姿で現れて、別な踊り、景気回復音頭や、ロータス、パラダイスを舞ったそうです。

 夢狩人 哲さんの涙の奥にというレポートでは、それを見ている人達は、どこからかこみあげてくる得体の知れないなつかしさにあふれ出た涙の存在すらしばらく気が付かなかった様子であったと書いていましたが、きっと本当にすばらしかったと想うのです。

 またそれが終わった後、福田純子大統領や七福神の案内で、会場を上の第2ステージに移し、皆が移動すると、プログラムの最後にある、エンディング(ありがとうの歌)になったそうです。

 まず、一芸を披露した人達だけでなく、皆さんがそれぞれの一芸、総踊りをしたそうです。

 紫陽花のイメージでは、笑顔共和国の国民は踊り、磐笛の人は磐笛を吹き、その呼びかけで、祭りに参加した人も踊った総踊りになったと想うのです。

 そしていよいよその後、エンディングに入りました。

 祭りに参加した人達全員が、手を取り合って、ふるさとの歌や「ありがとうの歌」を歌ったそうです。

 この時には、紫陽花に話してくれた女性は、周りの人が殆ど感動で涙ぐんでいたと教えてくれたのです。

 またその後、皆で手を取りながら「ありがとうございます」「ありがとうございます」といって、神様に「ありがとうございます」の波動を届けて、第10回惟喬親王祭は、終了しています。

 次回の第11回、惟喬親王祭は、紫陽花は最後まで必ず参加する事にします。

 紫陽花は、そんな話を聞いて、心からそう想ったのです。

 しかしそれだけでなく、紫陽花はその話を聞いた時に、将来惟喬親王祭は、日本人が、人類が待ちに待っていた天照大御神様の伝説、天の岩戸開きの祭りになるのではないかと直感しました。

 というのも以前から紫陽花は、日本や人類が救われるには、意識が本当に変わるには、天の岩戸開きのような祭りが必要だと確信していました。

 多くの一般の人でも、本当の祭りだったら、楽しくて、皆と笑っているうちに、意識が変わるような気がしていたからです。

 神様は、それが分かっているから、天の岩戸開き伝説を、日本に残してくれていたと想いますし、21世紀になって、そんな日本人、全員を巻き込むような大きな祭りをする事を、神の計画としているのではないかと以前から考えていたのです。

 そしてそれが、将来の惟喬親王祭ではないか、紫陽花は今そう想い始めています。

 というのも第161号「ありがとうございます」でも書いたように、「ありがとうございます」の本当の意味は、「天照大御神様が、今、ここにまします」という意味です。

 だから「ありがとうございます」と唱える事は、自然に肉体意識という岩戸を開いた自分の魂、自分自身が天照大御神様だと宣言している事になります。

 それを多くの人が唱える惟喬親王祭(ありがとうございます祭り)が、天の岩戸開きではないかと想うのです。

 しかも惟喬親王祭は、このまま進めば、何年もしない内にとんでもない祭りになると想います。

 来年の2004年は、このままの勢いだったら間違いなく最低でも5千人は来ると思いますが、それでは2005年はどうでしょう。

 1万人か、2万人、とても惟喬親王御陵や、滋賀の山奥では収容しきれないと想います。

 はっきりいってそんな多くの人が宿泊する施設がないのです。

「ありがとうおじさん」は、もうその事が分かっていて、今からいろんな事を計画しているそうですが、とてもそんなお金はないので、町や県に協力して貰う必要があると想います。

 紫陽花はそこから考えても、日本の中心、滋賀の琵琶湖で惟喬親王祭、「ありがとうございます祭り」を開催する事になるのも意外と早い気がしますし、最新の通信回線を通じて、惟喬親王御陵でする惟喬親王祭を、全国中継で、日本全国で開催するのも夢でないと想います。

 その時こそ、神々が永年待ちに待っていた天の岩戸の祭り、人類救済の本当の祭りが始まると想います。

 紫陽花は、本気で、そう思っているのです。

 また、その時に、縁の花村も、やすらぎの村や、伊路波村、夢見村などの多くの村と一緒に、力を合わせて、そんな惟喬親王祭、天の岩度の祭りを開催するお手伝いをしたいと願っています。

 是非、来年は、縁の花村として、何人かの縁の花村の村人さんと参加して、屋台の一つでも出して、神々に奉納したいという事で終わりたいと想います。

 では、皆さん、縁の花 第175号「惟喬親王祭」(ありがとうございます祭り)を読んで頂いて「ありがとうございます」

 神様、縁の花、第175号「惟喬親王祭」を奉納させて頂いて「ありがとうございます」

   平成15年8月16日 盆(この世に戻ってきた多くの御魂さんと書きました)

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