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                   縁の花

    (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

                  第176号

          諏訪の湖衣姫と武田勝頼
      
            ∞「第161号「ありがとうございます」
         のカセットテープが誕生しました」∞

 7月21日、海の日、滋賀の山奥、「ありがとう村」の近くの蛭谷の中にある、惟喬御陵で行なわれた惟喬親王祭「ありがとうございます」祭りを記念して、第161号「ありがとうございます」の小冊子のカセットテープが誕生しました。

 これは、縁の花の長年の読者、長野県に住む山之内亜衣様のおかげで生まれました。

 というのも、紫陽花自身、つい最近まで全く知らなかったのですが、山之内亜衣さんは、目が見えない人の為に、朗読のボランティアをしている方です。

 〇年前には東京で開業なさっている医師より依頼されて、盲目の人の為に、司馬遼太郎講演集第T巻〜第V巻)をテープに吹き込んだそうです。

 現在は、穂高町福祉協会、朗読ボランティア会員として活躍されています。

 しかも、アナウンサーの仕事をした経験もあります。

 2000年10月頃からFM長野放送のコマーシャル(トヨタビスタ・ノセメガネ等)に出演しています。

 その他、松本県民フェスティバルで、ナレーションもした事があるそうです。

 だから、山之内亜衣さんは、声のプロといってもいいすぎでないと想います。

 皆さんも聞いてみたら納得すると想いますが、声がとてもいいのです。

 はっきりいって癒しの声です。

 だから紫陽花は、つい最近、山之内亜衣さんとの電話のやりとりで、偶然、山之内亜衣さんが、朗読しているということを知って、縁の花 第161号「ありがとうございます」のカセットテープ化を閃きました。

 カセットテープができたら、たくさんの人が喜んで聞いてくれるだろうと確信したのです。

 それで、すぐに山之内亜衣さんに、縁の花の朗読をお願いしたら、喜んで応じてくれました。

 こうして縁の花 第161号「ありがとうございます」は、とんとん拍子に、まるで生まれるのが運命かのように誕生したのです。

 また、第161号「ありがとうございます」のカセットテープは、好評です。

 何分予算が限られているので、スタジオでなく、山之内亜衣さんの自宅で吹き込んで貰ったので、プロの目からみるといたらないところがあるかもしれませんが、紫陽花は十分満足しています。

 何故なら山之内亜衣さんは、声がいいだけでなく、「ありがとうございます」の事を、心から理解できるので、やはり山之内亜衣さんに朗読して貰うのが、一番良かったと想います。

山之内亜衣さんの想い、すてきな波動が入って縁の花自体も喜んでいる気がします。

 縁の花が、何かひとまわり大きく成長した気がするのです。

しかも、ダビングしたものを、お世話になった人にプレゼントしたり、千円で買って頂いたりしていますが、皆さんに大変喜ばれています。

 紫陽花の文章に、山之内亜衣さんの声は合うといってくれる人も多いですし、山之内亜衣さんの声自体がいい、一体どんな人なのと聞いてくる人もいます。

 カセットテープも何度も何度も聞いてくれる人もたくさんいるのです。

 ですから、紫陽花自身、山之内亜衣さんには、心から「ありがとうございます」しています。

 縁の花、第161号「ありがとうございます」は、小冊子だけでなく、カセットテープを通しても、どんどん縁が広がると想ったら、無限の無限の幸せを、紫陽花自身感じるからです。

 何故なら小冊子はいいかもしれませんが、何回も繰り返し読むのは大変です。

 だけど、テープだったら何度でも聞く事は可能です。

 きっと第161号「ありがとうございます」のテープを、何回も聞く事で、自然に「ありがとうございます」を唱える事が身についたという人や、「ありがとう村」にいる「ありがとうおじさん」と会ってみたいという人は、小冊子以上に出てくると想います。

いえ、それだけでなく、紫陽花は、縁の花、第161号「ありがとうございます」のカセットテープを聞くだけでも、皆さんにもいろんな「ありがとうございます」効果があると信じています。

山之内亜衣さんのすてきな癒しの声と、何度も登場する「ありがとうございます」の言葉が重なるだけでもエネルギーがあるはずです。

 ますますパワーアップした、意志を持っている縁の花自体も、そんな皆さんを応援してくれる予感がするのです。

 しかも、縁の花のカセットテープは、録音は自由にして頂いていいので、非常にメリットがあります。

人に送るときも、読むよりも楽なので喜ばれると想います。

もしかしたら縁の花のカセットテープを通して、たくさんの人が、「ありがとうございます」の縁に付くかもしれません。

 作者として、これ程、幸せな事はありません。

 だから紫陽花は、今、山之内亜衣さんにお願いして、第161号だけでなく、気にいっている号は、文章だけでなく、どんどん声として残そうと燃えています。

「ありがとうございますシリーズ」の全号や、第168号「紫陽花」や第106号「住まい塾」といったすばらしい号は、声としても永遠に残るようにしたいです。

 山之内亜衣さんも、自分がそういった事で貢献できるなんて本当にすてきな事だと喜んでくれて、どんどん吹き込んでくれる事になったのです。

 ただその事で、実は、紫陽花は、今CD化で取り組んで、機械音痴なので苦戦しています。

 というのも、時代は驚く程進んでおり、紫陽花自身、びっくりしましたが、コンピューターに声を吹き込んだら、自宅がスタジオ代わりになるそうです。

 カセットテープだとやはりダビングしたら、雑音がすごいので、CDにして、皆さんに貰って頂いた方がいいと想います。

 それで自分のコンピューターに、山之内亜衣さんの声を入れて、どんどんCD―rWでCDを作って、全国に人に千円で貰って頂こうと、捕らぬ狸の皮算用をしているわけです。

 よかったら、是非、皆さんも、縁の花のCDを貰って下さい。

 無限の無限の喜びで送らせて頂きます。

 

       ∞「山之内亜衣さんと紫陽花の不思議な前世の縁」∞

 また今後、縁の花としても、一押しで山之内亜衣さん自身を支縁していきたいと考えています。

 今の紫陽花に、どこまでできるかは分かりませんが、縁の花村や日本ふるさとサイバー村でも、山之内亜衣さんの事をどんどん紹介したいと考えています。

山之内亜衣さんに、縁の花だけでなく、何とかいろんな朗読のお仕事が来るようにさせて貰いたいです。

 それが、紫陽花の「無限の無限の幸せ」です。

 何か、縁の神様が応縁してくれる予感がするのです。

 というのも、山之内亜衣さんと、紫陽花は特別な縁があります。 

 いえ、不思議な運命で結ばれています。

もしかしたら、前世、山之内亜衣さんは、紫陽花のお母さんかもしれないのです。

 戦国時代に生きていた高貴な諏訪氏の姫様かもしれないのです。

 というのもこの話は、今から、6年ぐらい前になります。

 紫陽花の縁ある人達によって、アネモネの雑誌などにも協力をして頂いて、全国でガイアヒーリングという活動が行なわれていました。

 「地球を癒そう」という事で、いろんな本当の先生達にお願いして、講演活動をしていたのです。

 すると、そのアネモネの雑誌をみた、長野にすんでいたスパイラルネットワークというものをしている山之内亜衣さんが、協力してくれるという事で、ガイアヒーリングIN長野が行なわれ、紫陽花は仲間と長野県を訪れ、山之内亜衣さんと名刺交換をしたのです。

 でも、その時の事は、紫陽花はもうよくは覚えていません。

 山之内亜衣さんとは、あまり話をしなかったのでどんな人だったのかも覚えていなかったのです。

 しかし、山之内亜衣さんとは、この時に、縁の神様によって深い縁の絆ができていました。

 それはガイアヒーリングIN長野で、ある霊媒師の方に、紫陽花は、何故か、甲斐の国や信濃の国で活躍した武田信玄にひかれるといったら、あっさり前世は、武田勝頼ですといわれてしまった事に始まります。

紫陽花は、信玄の息子で、武田家の跡を継いで、信長や家康と長篠の戦で敗れ、武田家を滅亡させてしまった歴史上有名な駄目な二代目の武将だといわれてしまったのです。

 けれども、紫陽花は、最初その話をあまり信じませんでした。

 何故か、昔から戦国時代や太平洋戦争の頃に関心があり、戦国時代に、日本最強の甲斐の騎馬軍団と恐れられていた武田家に惹かれていましたが、紫陽花が武田勝頼とは話ができすぎています。

 しかも、武田勝頼も、駄目な二代目という事で、この当時紫陽花自身、あまり評価していませんでした。

 正直言って信玄だったら嬉しいけど勝頼では、そうかもしれないねえという程度だったのです。

 けれど、その事をさっそく縁の花の本物ご案内コーナーで書いたら、山之内亜衣さんからお手紙が来ました。

「本当ですか。私は、信玄の側室だった、諏訪氏の姫、湖衣姫(名前は正式に分かっていません)だとある人にいわれている」というのです。

 それで、紫陽花は正直びっくりしました。

 湖衣姫は、勝頼の母になります。

 武田信玄に父親、諏訪頼重を殺されたのに、あまりの美貌の為に、無理やり側室にされて、勝頼を産んだという悲しい過去のある女性です。

それでも信玄とは愛し合いながらも、若くして労咳で死んだといわれている伝説の女性でもあります。

 映画「風林火山」では佐久間良子さん、大河ドラマの「武田信玄」では南野陽子さんが演じていたので、皆さんの中にも見た記憶がある人もいるのではないでしょうか。

 そんな女性がすぐに登場するなんて、偶然としては、あまりにもできすぎています。

 もしかしたら、紫陽花は勝頼だったのかもしれないと想い始めたのです。

 いえ、紫陽花と山之内さんの間では、前世の親子、紫陽花はあまり年が変らない山之内さんをお母さんと呼ぶような関係になっていたのです。

 だって、それで損する事は一つもありませんし、その方がお互いの縁が深められるので、面白いからです。

 でも、実際に、紫陽花と山之内亜衣さんが、縁を深める事はありませんでした。

 何しろ山之内亜衣さんは長野で、紫陽花は大阪です。

 電話で話をした事はあっても、直接会う縁は持てませんでした。

 正直言って山之内さんとは縁は、縁の花を出すぐらいでしたが、それも3年ぐらい前から、送らなくなっていたので、縁は、お休みしていたのです。

 だけど、紫陽花は、いつか山之内亜衣さんと、二人で何かをやれる事があったらいいなあと想っていました。

 お互いに武田家の為に、何をやったらいいのか分かりませんでしたが、きっと何か世の中の為にできるようになる予感がありました。

 山之内亜衣さんにも、そんなことをいっていたのです。

 

 

          ∞「紫陽花の武田家の供養」∞ 

 山之内亜衣さんとの縁が復活したのは、今年(2003年)の3月です。

 小林さんがしている「時間創造学」のホームページを山之内亜衣さんが作ったという事でメールをくれました。

 山之内亜衣さん自体、インターネットをするようになって、つい最近、縁の花のホームページを見て、感動してくれていたのです。

 それで、紫陽花は嬉しくて、お互いの話に花が咲きました。

 さすがに前世親子の縁があったかもしれない関係です。

 ものすごく、親近感があるのです。

 しかも今回はメールができるので、お互いの会話が進みます。

 今迄、山之内亜衣さんの事で、紫陽花自身が知らなかった事がいろいろ分かったのです。

 またその事で分かった事は、山之内亜衣さんの武田家の因縁は、中途半端でないという事です。

 山之内亜衣さんの次男、冬麻君や、父親の信勝(勝頼の息子、信玄の孫の名前)が亡くなった事は聞いていましたが、まさかこんなに激しいとは知りませんでした。

 紫陽花の想像以上だったのです。

 それで紫陽花は、最初絶句してしまいました。

 紫陽花が、山之内亜衣さんの立場だったら、逃げ出してしまうだろうと想ったのです。

 だけど、山之内亜衣さんは、そんな因縁を受け入れて、武田家の供養をしていました。

 さすがは紫陽花のお母さんだと、心から「ありがとうございます」したのです。

 というのも、紫陽花自身も、山之内亜衣さんに比べたら、全然大した事がありませんが、武田家の存在の事はつねに考えていました。

 前世が武田勝頼といわれた時から、自然に武田家の事を考えるようになり、紫陽花なりに、武田の存在の為に何かをしてあげたいと想ったからです

 はっきりいって何をしてあげたらいいのか分かりませんが、大好きな武田家の人達を供養してあげたかったのです。

 それで紫陽花は、縁の花で武田家の事を書く事にしました。

縁の花で書く事で、想いを文章という形にする事で、武田家の想いを浄化してあげる事ができるのではないかと想ったのです。

また、その紫陽花の試みは、武田家の存在も、喜んでくれたと紫陽花は信じています。

最初は、縁の花 第54号「シミュレーション小説」(武田家天下取り)で、勝頼の腹違いの兄、義信に焦点を当てて、武田家に天下を取らせました。

義信は、本来なら武田家の跡を継ぐ長男でしたが、信玄が、自分の妻の里である、今川家に侵攻をする事に反対したので、信玄と争い、幽閉されると亡くなっています。

実は、今、多くの人が、武田家が滅亡したのは、この義信事件が、大きな原因ではないかと考えており、紫陽花はそこからやり直しました。

そうしたら見事に、天下が取れました。

勝頼にしても、本来なら跡を継ぐはずだった義信の事は気がかりだったと想うので、大きな供養になったと想うのです。

また次の第130号「戦国時代済度」では、武田家だけでなく、戦国時代に生きたすべての存在の供養を考えました。

今、NHKの「その時に歴史が動いた」というような歴史番組や、いろんな書物なので、戦国時代の研究が進んでいます。

今迄誤解されていた歴史的な事実が、たくさん判明しています。

武田勝頼も見直されており、長篠の戦で、単純に柵で構えている鉄砲隊にむかって、騎馬軍団で突入させたというような事は否定されています。

今でも分からない真実がたくさん隠されているはずなのです。

だから第130号「戦国時代済度」では、武田家に焦点を当てながらも、川中島の戦い、三方原の戦い、長篠の戦、武田家の滅亡などで、今になって分かった事実を読者に紹介しました。

ずっと誤解されたり、事実と違う事を信じられていたりしたら、武田家の霊達のいろんな想いが残って、いつまでも霊界に帰れないと想ったので、真実を書く事で供養してあげたいと想ったのです。

そしていよいよ第163号「武田勝頼天下取り物語」で勝頼に天下を取らせました。

父信玄が死んだ後、勝頼がもっと謙虚で、家臣のいう事に耳を傾けて、武田家内の和に力を注いでいたら、武田家は、あんな惨めな滅亡をしなかったのではないか。

いえ、信玄が一番信頼していた高坂弾正のいう事を聞いていたら、天下取りの道さえあったのではないか。

そんな事を反省しながら、武田家の存在に勝頼としてお詫びの気持ちで書きました。

これが、前世武田勝頼かもしれない紫陽花ができる最高の供養だと想ったのです。

それで、武田家の存在に懺悔したわけです。

また、紫陽花は他にも、第151号「いつも一緒にしようね」で、前世勝頼だった人を主人公にしたちょっとした現在風の小説を書いていますし、武田家だけでなく、第123号「太平洋戦争済度」で太平洋戦争でなくなった存在や第159号「利家とまつ」で前田利家のことなども書いています。

今縁の花は、こういった事を書く事で、実は、多くの存在を供養するという、大切なお役目を頂いていると想うのです。

 ですから、紫陽花は心から、これらの作品を楽しく書く事ができたのです。

 しかも、こういった事を書いていた事も、係わりがあるのか、何故か紫陽花の周りは、不思議と武田家の縁が集まっていました。

広島と関東に武田という姓名を持つ人と縁ができたり、先祖が武田家の重臣だったり、先祖が武田勝頼の子供を庇った人と縁を持った事もあります。

こんな事は、とても偶然とは想えないのです。

その上に、武田勝頼の事を調べる事で、紫陽花は、武田勝頼が好きになりました。

正直いって、今でも自分の前世が、武田勝頼だというのは、半信半疑な面もありますが、武田勝頼が、歴史で言われているような愚かな武将でない事も理解できました。

いたらないところもたくさんありましたが、信長や家康が凄すぎたのだと想います。

勝頼なりによくやったと、今は心からそう想っています。

紫陽花は、やっと第163号「武田勝頼の天下取り物語」を書く事で、そんな心境になれたのです。

実は、今気が付いたのですが、山之内亜衣さんから、突然メールが来たのは、それからすぐ後になります。

武田家と関係なく、小林さんの「時間創造学」のホームページを作ったので、見て欲しいという事だったのです。

でも紫陽花と山之内亜衣さんが話すと、どうしても武田家の話になります。

山之内亜衣さんは、女性だからなのか、それともお役が違うからなのか、あまり武田家の歴史に詳しいという事はないみたいですが、話はお互いの供養になりました。

紫陽花は、縁の花がやってきた事を報告したのです。

しかし、ここで紫陽花がびっくりしたのは、山之内亜衣さんの、「今、長野は光輝いている」という言葉でした。

紫陽花は、その言葉で、21世紀になってから、武田家の縁ある人達の意識が、劇的に変化した事を何となく直感しました。

20世紀までの、怨みとか、無念とかいった因縁のレベルから抜け出して、人類の為に何かをする光のレベルに武田家の存在が入った事を感じたのです。

だけど、それに縁の花が、どれだけ貢献できたのかは紫陽花には分かりません。

やはり今迄、甲斐や信濃の地元で山之内亜衣さんがやってきた事が、大きいからです。

是非、それを皆さんに知って欲しいと想います。

 

 

      ∞「山之内亜衣さんの武田家の供養」∞

「山之内亜衣さんの武田家の供養」という事ですが、実は、紫陽花は、途中からこれは書けないなあと想いました。

山之内亜衣さんが、この3年間していた事を理解しているつもりでしたが、山之内さんに詳しく聞く事で、殆ど何も知らなかった事を痛感したからです。

楽しい事なら書けますが、山之内亜衣さんの場合は、ニ男の冬麻君やお父さんの信勝さんが亡くなった事や、友人の死などあまりにも辛い事が多すぎます。

正直いって、紫陽花に、それを書く資格があるとはとても想えません。

書くとしても、山之内亜衣さんの辛い事はぼかして書くしかないかと考えたのです。

しかしその反面、紫陽花は、縁の花、第176号「諏訪の湖衣姫と武田勝頼」は、どうしても号として完成させたいとも想いました。

前世の縁である山之内亜衣さんと、やっと本格的な縁ができたのです。

それに感謝する意味でも書きたいと想いましたし、何よりも山之内亜衣さんが、やってきたすばらしい活動を、紫陽花なりに多くの人に紹介したいという気持ちがあったのです。

ですが、それよりも紫陽花の本音としては、山之内亜衣さんの中にあるいろんな悲しい想いを、文章に書く事で、形として消してあげたいと想いました。

何故なら想いは「ありがとうございます」でも消えますが、紫陽花の場合は、文章にする事でも消す事ができます。

山之内亜衣さんが抱えていた武田家の供養を、紫陽花が書かせて頂く事で、少し整理してあげたかったのです。

それが武田家の存在の大きな願いである気がしたのです。

だから紫陽花は、いろいろ考えて山之内亜衣さんに、その事を手紙に書いて、縁の花 第176号「湖衣姫と武田勝頼」は、前世武田勝頼である紫陽花と前世諏訪の湖衣姫である山之内亜衣さんの合作にする事を提案しました。

山之内亜衣さんの武田家の供養は、自分の言葉で書いてみませんかといったのです。

すると山之内亜衣さんは、大変喜んでくれました。

山之内亜衣さん自身、文章を書く才能があって、前から冬麻君の事を書いた本を出したいという想いがあるので、挑戦して頂ける事になったのです。

ですから、本来なら、ここからは、山之内亜衣さんの文章を載せる予定でしたが、やはり時期的に少し早かったみたいです。

無理もありませんが、悲しい事が多くて、なかなか筆が進まないというのです。

その上に、書きたい事がたくさんあって、とても2ページでまとめられないといいます。

紫陽花は、もっともな話だと想います。

そこでいろいろ考えましたが、山之内亜衣さんには、時間をかけて、納得したものを書いて貰う事にしました。

それをそのまま、削る事無く、別枠で載せて、下の「2000年1月1日冬麻は星になった〜から」(仮名)でリンクする事にしたのです。

そうすれば、山之内亜衣さんもゆっくり書けると想うのです。

また、紫陽花としてもその事は、無限の無限の幸せです。

縁の花 第176号「諏訪の湖衣姫と武田勝頼」を書く最大の目的は、山之内亜衣さんの「2000年1月1日冬麻は星になった〜から」を読んで貰う縁つなぎだったのかと分かったからです。

冬麻君という、すてきな子供さんの事を、一人でも多くの人に紹介するという大切な役目を、天から頂けたと考えるだけで、心から「ありがとうございます」なのです。

しかし、ここで、紫陽花が、まったく何も書かなかったら、第176号「諏訪の湖衣姫と武田勝頼」の物語は、進みません。

それで、山之内亜衣さんが、がんばって途中まで書いたくれた8ページの原稿を、紫陽花が簡単にまとめさせて頂く事にしました。

ご理解下さい。

 

      ∞「2000年1月1日冬麻は星になった〜から」∞

山之内亜衣さんで、紫陽花が最初に、武田家の縁を感じるのは、山之内亜衣さんが、今、住んでいる長野県安曇野に生まれたのではなく、元々は都会の世田谷区で生まれている事です。そんな山之内亜衣さんが、長野県、信州に住むようになった事自体が不思議ですが、根っこには、山之内亜衣さんが、山などの自然が大好きだという事が大きく影響しています。

特に、その中でも小さい頃、1979年に理科の授業でみた長野県の霧が峰が、山之内亜衣さんには印象的で、10年後、(山之内亜衣さんは、何故か9のつく年に転機があるみたいです)友達、9人で行った時には、想わず「永住したい」と想ったそうです。

ですから今、山之内亜衣さんは、時々、標高、2000メートル、3000メートルの山を登って楽しんでいますが、見事にその想いを実現している事になるのです。

しかし、山之内亜衣さんが住むようになった直接の縁は、その10年後、従姉妹のmさんが、安曇野穂高に家を建てて、住むようになった事です。

その時に出会ったmさんの友人kさんが、その後の山之内さん親子を長野に導くことになります。このKさんは、山之内亜衣さんに、精神世界で大きな影響を与えた人で、バシャールやシャーリー・マクレーンの事を伝えています。

紫陽花は、そんなKさんの話をすぐに理解できた、山之内亜衣さんも、すごいと想いますが、人の背後にあるオーラが見え、〇〇歳の時に、ある霊能者から「貴方は武田城のお姫様でした。水の神様がついています。三本杉が見えます。財産の鍵を握っているのは貴方です」と訳の解らない事はいわれたりした事もあるそうなので、小さい頃から山之内亜衣さんは、何か特別なものを持っている女性だったと想うのです。

けれども、この頃の山之内亜衣さんは、紫陽花の推測では、生活自体は大変幸せで、あまり精神的な事を求める必要はなかったのではないかと想います。

何しろ、初恋の男性と結ばれ、二人の子供さんに恵まれていたからです。

けれどもそんな山之内亜衣さんが、精神的に目覚める事になる出来事が、1990年11月15日に起きます。

瞑想した時に、まぶたの先に強い光が感じられ、その光が真っ直ぐお腹に入ったというすごい魂を持った、第3子、冬麻君が誕生したからです。

冬麻君は、それ以後、山之内亜衣さんを大きく成長させる事になるのです。

というのも、冬麻君は、先天性の病気、胆道閉鎖症という病気を持っていました。

余命は一年といわれるのです。

だからこの時から、山之内亜衣さんの生活は一変します。

生体肝移植なども考えないといけなくなった事で、生活の環境が大きく変化して、ご主人との価値観が違ってしまい、離婚する事になります。

山之内亜衣さんは、Kさんの応援で、安曇野にある穂高町に住む事になるのです。

でも、この頃の山之内亜衣さんには、何故、冬麻君が、そんな苛酷な運命を持って生まれてきたのか、その意味は分かりませんでした。

母方の叔父さんから、長谷部(母方の旧姓)の先祖が、武田家だったという事を聞いたり、偶然、武田神社の鳥居から、武田の軍勢と想われる幻を見たりしても、冬麻君とは一致しなかったのです。

でもその中で、冬麻君は、持っている生命力で順調に育ち、山之内さんは、4歳の冬麻君の念願だったサイババに会う為に、冬麻君を先頭にネパール、インドの旅を家族でするようになります。

山之内亜衣さんは、京都の広隆寺の大きな弥勒菩薩様に、「もう、ここまで来なくてもよい。私はいつも貴方のなかにいる」といわれたり、霊媒者の方に「貴方、弥勒様がついているわね、弘法大使も一緒だわ」といわれたりした事があったそうですが、4歳の子供を連れてインドに行くとは、やはりすごい人だと想います。

その後も、仲間とスパイラルネットワークを作って、ガイアシンフォニーの映画や、講演会などの本当の活動をしているのです。

またこの時期に、山之内亜衣さんは、諏訪家の末裔であるお坊さんと、初めて会った時に「やっと来て下さいましたね。貴方、湖衣姫でしょう?」と言われています。

山之内亜衣さんは、この時にやっと武田家の姫とは、信玄の側室の事だったのか理解しています。

ご両親も、東京から安曇野に定住したこともあって、ある意味では一番、幸せだったのです。

紫陽花ともこの頃に出会っているのです。

けれど、山之内亜衣さんの家庭は、冬麻の願い「弟が欲しいで」という言葉で生む気になった、第4子、大悟君が、先天症のダウン症だという事もあって、ばらばらになっていったそうです。

再婚していた山之内亜衣さんは、離婚すると以後、母子家庭で、4人のお子さんと一緒に暮らす事になるのです。

そしてそんな中で、冬麻君の症状が悪化してきます。

肝臓移植をしないと、冬麻君の移植は、半年の命だといわれるのです。

でも、肝臓移植には、大金が必要で、山之内亜衣さんには、そんなお金がありません。

友人に相談しても、自然を愛する人達は「そこまでして医療に頼って命をつなげる事もないのではないか」と力になってくれる人はなく、山之内亜衣さんは、「友人、知人が多いはずなのに、私は何故か孤独だ」と感じるようになります。

冬麻君のおかげで、山之内亜衣さんは、生命とは何か、真の友人とは何かと考え、鍛えて貰える事になるのです。

また、そんな中で、冬麻君を心から愛し、山之内亜衣さんを支えてくれる友人も現れます。

今でも縁がある穂高の友人小林さんは、父親の存在を知らない冬麻君の父親代わりになって、山に連れていって一緒に遊んでくれていますし、元気づけてくれた岐阜のちずちゃんや、冬麻君をヒーリングで治そうとした山梨のシータ・マータさんも現れました。

また何故か、単なる偶然とはとても想えませんが、紫陽花がいる大阪の泉大津市の助松に住んでいる森ちゃん《紫陽花にも縁の花村情報で紹介している、友人森義光(森ちゃん)がいます》という女性が登場してきます。

この森ちゃんとは、インド・ネパールに行った時に知り合ったそうですが、世界中を旅しているフリーターで、冬麻君を愛し、冬麻君の「動物の写真が欲しい」という願いに動物の絵葉書を送ってくれたり、何度も励ましの手紙などもくれたりしています。

残念ながら、この森ちゃんは、2001年10月アフリカのナイジェリアで亡くなっているそうなので、紫陽花は会えませんでしたが、たぶん紫陽花の自宅から自転車で5分ぐらいの距離です。

冬麻君は、そんなすてきな人達に支えられていたのです。

だけど、冬麻君の症状は、よくはなりませんでした。

ついに、再び入院する事になるのです。

そして、冬麻君は、2000年の元旦という、21世紀をむかえた時に、光になって帰る事になります。

わずか10歳という歳で、自分の死をちゃんと理解できる子でした。

ある友人は、「冬麻は、亜衣さんのためだけに生まれて来た子だよね。亜衣さんの幸せを願って」といったそうですが、山之内亜衣さんが、悲しむこと、困る事は絶対にしない子供さんだったそうです。

小さいながらも、人の考える事が分かる子供さんだったのです。

しかも不思議な子供さんでした。

突然、魂の話をし出したり、何か質問すると、子供では分からない事を答えたりしたそうです。

冬麻君が2歳の時です。

「冬麻は何処から来たの」という山之内亜衣さんの質問に、「太陽から」「えーっ太陽?どうやって」「歩いて」「ふーん。大変だったね」「あのね。太陽って本当は熱くないんだよ」と答えたり、ネパールを旅した時には、王宮を指さし「紫陽花、ここ知っている」といったりしています。

 インドでは、周りの人に、リトル・ブッタと呼ばれていたのです。

 だから、冬麻君は、本当に崇高な魂を持っていたと想います。

 紫陽花も生きている間に、一度会いたかったと想いますし、長生きする事ができたら、きっとすばらしい人になれたと想うのです。

 ただ、紫陽花は、冬麻君が亡くなった事は、生まれる前から決められていた、運命だったと想います。

 山之内亜衣さんは、いろんな霊媒師の人から、「冬麻君は、長生きできるけど、それは貴方しだい」といわれていた事や、冬麻君が嫌がるので、入院させるのが結果的に遅れた事で、『私は、全く馬鹿な母親だった、「私は冬麻の命を冬麻自身の責任において任せていた」』と反省しているみたいですが、それは違うと想います。

 母子家庭の中で4人のお子さんを抱え、しかも第4子の大悟君は、先天性のダウン症という中で、山之内亜衣は、何度も病院と自宅を行き帰りしながらよく冬麻君を介護・看護されたと想います。

 紫陽花は、この試練は山之内亜衣さんだから耐えられた。

 少なくても、天国にいる冬麻君は、山之内亜衣さんに「お母さん「ありがとうございます」と感謝していると想いますし、時には側に来て「お母さんガンバレ」と応援していると想います。

 是非、皆さんも、そんな冬麻君と縁を持ってあげて下さい。

 山之内さんの文章を読んで頂きたいと想います。

 

             ∞「21世紀の武田家の縁」∞

山之内亜衣さんの話は、ここで終わっています。

正式には、冬麻君が亡くなる前に、友人の紹介で、ある霊能者に会う所です。

でもそれでも8ページ以上の作品です。

まだまだ書く事辛かったと想います。

紫陽花は本当に心から感謝しているのです。

また、ここからの紫陽花の想像ですが、霊能者の人に、冬麻君の前世が武田信玄公だと教えられると想います。

信玄公は、説明するまでもなく、戦国時代の英雄です。

甲斐の国(21万石)から勢力を伸ばして、信濃、西上野、駿河などと領地を増やし、100万石以上にしています。

有名な川中島で上杉謙信と戦い、信長を恐れさせ、三方ヶ原の戦いで、唯一徳川家康を破っています。

山之内亜衣さんと紫陽花の関係でいえば、諏訪氏を滅ぼして、湖衣姫を側室にし、勝頼の父親になっています。

厳密に言えば、冬麻君の前世が、そんな武田信玄だという事は賛否両論あると想いますが、少なくても、紫陽花と山之内亜衣さんの中には、それは真実だと受け止めています。

十分、冬麻君の魂なら、信玄公になれると想うのです。

そして紫陽花は、冬麻君が幼くして亡くなったり、その後に、山之内亜衣さんのお父さんである信勝(勝頼の息子、武田家の跡取り息子の名前)が亡くなったりしたのは、大きな大きなお役目を果たしてくれたからだと感謝しています。

お二人は、武田家の因縁を背負って、霊界に持っていってくれたと想うのです。

しかしここで、紫陽花が皆さんに誤解して欲しくないのは、そういった因縁というのは、紫陽花自身好きではありませんし、2003年の時点では、因縁はすべて光に変わっています。

というのも、山之内亜衣さんは、冬麻君の前世が、武田信玄だという事を知って、初めて武田家の縁に目覚めました。

もしかしたら、冬麻君やお父さんが、武田家の因縁を背負って、霊界に帰ってくれたかもしれないという事で、冬麻君が亡くなった後、武田家の供養するようになりました。

武田神社や諏訪大社などを定期的にお参りするようになったのです。

そしてそんな山之内亜衣さんのおかげで、今、長野県は、光輝く事になります。

何故なら、冬麻君が亡くなった時から、20世紀の因縁の世界は終り、21世紀の光の時代へと変り始めています。

霊達も、怨みを持ったり、悲しみを訴えたりするのではなく、感謝して、人間と一緒に本当社会を創る時代です。

紫陽花や、山之内亜衣さんに対しても、20世紀までは、自分達は、こんな辛い目にあった、こんな悲しい事を経験したと、恨んだり、訴えたりしていたのかもしれませんが、紫陽花にしろ、山之内亜衣さんにしろ、それが十分に分かったら、もうそれをする必要はありません。

武田家の霊達は、そういった事を分かって欲しいからしているのであって、紫陽花にしろ、山之内亜衣さんを苦しめたりする事が本心ではないからです。

いえ紫陽花は、武田家の霊達が、本当にしたい事は、武田家と縁ある人間を陰から応援して、人類のためにすばらしい事をする事だと信じています。

それが、最大の供養だと、何となく紫陽花は想うのです。

また、そういった時期がきたから、紫陽花は、山之内亜衣さんと今年縁が繋がり、縁の花の朗読をして貰えるようになった気がしています。

 いよいよ、紫陽花と山之内亜衣さんが、21世紀の人達の為に、何かをやる時期がきたような予感がします。

光となった、戦国時代最強の騎馬軍団だと怖れられた、武田家の存在が、冬麻君を中心に、それを陰から後押ししてくれるのではないかと楽しみにしているのです。

しかも、それは半分現実化しています。

縁の花の掲示板では、山之内亜衣さんと再び繋がってから、武田家が滅亡した後、信玄の五女、松姫が逃げた八王子に住んでいる人から「前世と武田のキーワードで、あじさいさんの書かれた文章を検索しました。私も、前世、武田家か家臣の女性だったような記憶があるのです。姫だったような気がします。高遠かもしれない。私の周りにも、武田家に因縁のある人達多いし、母の家系は、武田の家臣の家系らしいです。八王子には、武田の落人が多いらしいけど、八王子は大好きな町で、友人も多いです。思わず書き込みしてしまいました」という書き込んで頂いたり、東京〇〇市諏訪という所に住んでいる女性、黄桜さんとも縁が繋がったりしています。

特に黄桜さんは、山梨や長野が好きで、月に1回行くそうですし、武田家にも前から関心を持ってくれているのです。

その上に、紫陽花もこれには驚きましたが、黄桜さんの本当の名前を知ったら、皆さんも驚くと想います。

山之内亜衣さんと、深い縁があるとしか想えないのです。

だから紫陽花は、今、手ごたえを感じています。

これから紫陽花や、山之内亜衣さんに、どれだけの武田の縁の人達が縁を持ってくれるか分かりませんし、一体、何をする事になるのかも分かりませんが、精一杯やりたいと想います。

では皆さん、縁の花 第176号「諏訪の湖衣姫と武田勝頼」読んで頂いて「ありがとうございます」

平成15831

 

 

追伸、第176号「諏訪の湖衣姫と武田勝頼」と第161号「ありがとうございます」のCDができたら、紫陽花は信濃・甲斐に行こうと想っています。

ガイアヒーリングIN長野以来ですが、今度は目的が違います。

山之内亜衣さん、東京の黄桜さんもお誘いして、まず武田家の存在に挨拶して、その後、武田家に、第176号と、「ありがとうございます」のCDを厳粛に奉納したいと想います。

武田家の存在に「ありがとうございます」の波動を届けたいのです。

そうすればきっと、武田家の存在もやっと来てくれたねと喜んでくれると想います。

またその後、武田周りをしたいと想います。

諏訪大社、善光寺、武田神社などいっぱい行きたいところがあります。

夜は、信玄の隠し湯、温泉でも使って、武田家の話を、山之内亜衣さんや、黄桜さん、小林さんとお酒を飲みながらするのを楽しみにしています。

いつか、結果は、何かの形で報告すると想いますので、是非、楽しみにしていて下さい。

         
          2000年1月1日 冬麻は星になった〜から

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