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  縁の花

     (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

            第178号

     プロジェクトX

      「プロジェクトX・挑戦者達」∞

火曜日の夜、9時15分からNHKでやっている「プロジェクトX」という有名な番組があります。
 正式な題名は、「プロジェクトX・挑戦者たち」ですが、プロジェクトXといえば、あまりテレビを見ない縁の花の読者の人でも、一度や、二度や聞いた事があると想います。
 本当に素晴らしい番組です。
 またこの番組は「無名の日本人」が、多くの人とプロジェクトを組んで、いろんな試練や妨害に直面しながらも、リーダーの人が決して諦めず、熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた、「組織と群像の知られざる物語」実話を紹介している番組でもあります。
 先達者たちの「挑戦と変革の物語」を描く事で、今、再び、新たなチャレンジを迫られている21世紀の日本人に向けて「挑戦への勇気」を伝えたいと願っている番組です。
 全国で、多くの人が見ているのです。
 しかもこの番組は、主題曲でも有名です。
 中島みゆきさんが、「プロジェクトXのテーマ曲として、オープニング、エンディングとも、わざわざ書き下ろしています。
 特に、「風の中のスバル」 「砂の中の銀河」で始まる主題曲(オープニング)、「地上の星」は、大ヒットとなって、2002年の紅白歌合戦の目玉になりました。
 プロジェクトXの番組の中でも、登場した日本最大の「黒四ダム」のトンネルの中で、初めて紅白に出て歌った中島みゆきさんの姿をみた人も多いと想います。
 プロジェクトXのスタッフの人達は、中島みゆきさんに、「無名の人々の光を歌にして下さい」という注文をしたそうですが、それが見事に当たったのです。
 そして、もう一つ、この番組には、目玉があります。
 それが、プロジェクトXのナレーションをしている俳優の田口トモロヲさんの存在です。
 田口トモロヲさんの静かに、黙々と語っている声が、プロジェクトXの番組に非常にあっていて、今迄まったく知られていなかった人達に、スポットライトを当てている気がします。
 プロジェクトXの番組は、田口トモロヲさんのナレーション抜きには考えられないのです。
 だから、この番組は、主人公の無名の挑戦者達、中島みゆきさんの歌、田口トモロヲさんのナレーションがうまく一致して、最初視聴率は低かったのですが、少しずつ口コミで広がって、今や高い視聴率を獲得している、NHKの看板ドラマになっているのです。
 また紫陽花自身が、そんなプロジエクトXの番組を知ったのは、確か、2000年10月3日に放送された『「悪から金を取り戻せ」〜豊田商事事件・中坊公平チームの闘い〜』からですが、とても感動した事を覚えています。
 被害者からの訴えに立ち上がった無名の若手の弁護士達が、「司法の良心」中坊公平を口説き落としてプロジェクトを結成して、3万人の老人から1200億円を騙し取った史上最大の詐欺商法、豊田商事事件から、「詐欺事件の被害回復は不可能に近い」という常識を覆し、100億円を越える金の奪回に成功した時は、涙が出ました。
 中坊公平さんが作ったプロジェクトチームが、豊田商事を破産させ、その財産を徹底的に売却するという大胆な手に出たものの、集めた金の大半が消えており、破産管財が息詰まった時に、豊田商事の向こう側に、さらに甘い汁を吸っていた「巨悪」がいる事に気がつき、豊田商事と共にゴルフ場開発に乗り出していたゼネコンや、豊田商事に高利で巨額の貸付を行なっていた金融会社から、新手の法律戦術を編み出し、全国各地の若手弁護士が作戦を遂行したのは痛快でした。
 最後には国と戦い、中坊さん自ら国税局に単身乗り込み、豊田商事が納めた税金を国から取り戻した時には心から感動しました。
 それからは、時間があれば、プロジェクトXの番組を見ながら、時々涙ぐんでいる自分がいるのです。
 紫陽花は、プロジェクトXで紹介される、「無名の人達」が見せる、あの何ともいえない笑顔が大好きなのです。
 また、この番組では、多くのものに光を与えています。
 2000年3月28日、第1回に放送された『「巨大台風から日本を守れ」〜富士山頂・男たちは命をかけた〜』で、日本が生んだ世界最大の気象レーダー「富士山レーダー」で始まり、第2回のビデオのVHS、第3回の青函トンネル、第7回の新幹線、第11回の美空ひばり復活コンサートから、2003年10月14日、第127回「第九への果てなき道」まで、誰もが知っている事件や、電気製品、今迄知られていなかった出来事などを、念入りに調査して、事実を物語にしています。
 時には事実と違った事が報道されて、後でNHKが謝る事もあったそうですが、視聴率で動く民放会社なら、きっとここまではできないと想います。
 NHKだから視聴率にあまり左右されずに、真実を報道できるので、信用できるのです。
 ですから、今、多くの研究者や企業内で、プロジェクトを組んでいる人達が、いつかは自分達も、この番組で紹介されたいねという事で、がんばっているそうですが、紫陽花は、その気持ちが非常に分かります。
 21世紀になってから、本当に素晴らしい本当のドラマが誕生したと喜んでいるのです。
 だって、今迄何気なく使っている商品や出来事のエピソードや、開発した人達の想いを、プロジェクトXを通して知る事で、「ありがとうございます」にする事にできるからです。
 まだ一度も見た事がない人がいれば、是非見て欲しいと想います。
 また紫陽花は、皆さんに、どうせ見るのなら、見るだけでなく、皆さんなりのプロジェクトを考え、行動して欲しいと想います。
 折角21世紀という最高に面白い時代に、大いなる使命を持った日本に生まれたのです。
 何か、天からの使命、プロジェクトを持って生きないと勿体無いと想います。
 天がそれを教えている気がします。
 しかしその反面、もちろんこういったプロジェクトには、困難がつきまといますし、成功したプロジエクトの陰には、無数の失敗があると想います。
 でも、それでも、プロジェクトXの番組を見ていたら、努力している事に本当の人間の幸せがあると想えます。
 天が、その事も教えている気がするのです。
 そして実は、紫陽花の縁の中にも、数々のプロジェクトの縁があります。
 それは、どれももうすぐ世に出て欲しいと紫陽花が願っている縁ですし、紫陽花がかかわっている縁でもあります。
 考えてみれば、そんな数々のプロジェクトと縁がある紫陽花は、とても幸せだと想いますが、是非、いくつかを皆さんに紹介したいと想います。
 よかったら皆さんも、俳優の田口トモロヲさんがナレーションしているという感覚で、お読み頂けたら幸せです。

        ∞「ありがとうございますプロジェクト」∞

紫陽花が、最初に紹介したいプロジェクトは、「ありがとうございます」のプロジエクトです。
 これは、説明するまでもなく、「ありがとうおじさん」を主人公にしています。
 謙虚な「ありがとうおじさん」が、プロジェクトXに登場する事はありえないと想いますが、紫陽花は、「ありがとうございます」の言葉自体が、もうすぐ世にでるのは間違いないと確信しています。
 だから、紫陽花が、縁の花で改めて紹介する事もないと想いますが、田口トモロヲさんにナレーションして頂きますと
「1995年、オーム事件が日本を騒がせていた頃、滋賀の山奥で、何人かの人達で「ありがとうボランティア」と名乗って住み着いた団体がいた。リーダーになる人は、自らの名前を名乗らず「ありがとうおじさん」と名乗っていたが、している事は、毎日、30年間「ありがとうございます」という言葉を唱えているだけだった。それが2001年頃からいろんな人が、山奥に集まり始め、「ありがとうおじさん」の生き方に感動すると、「ありがとうございます」の言葉を唱える人達を、全国に作りたいという事で自然にプロジエックトができた。各自が、得意な事を、ボランティアでして、本が作られ、テープが造られ、FAX通信やホームページが生まれ、「ありがとうございます」ツアーが結成され、地元惟喬親王祭(ありがとうございます祭り)が行なわれ何千人もの人が来るようになり、今、全国で多くの人が唱えている。これは、そんな「ありがとうございます」の言葉を、無限の無限の喜びで広げた人達の喜びのドラマである」
 紫陽花の予想ではこんな感じになると想います。
 このナレーションと一緒に、「ありがとう村」や惟喬親王祭などで、皆がにこにこしている姿や「ありがとうございます」と唱えている姿が映し出されるのです。
 一日も早く、そんな日が来て欲しいと想います。
 また、プロジェクトXには、ゲストの人が登場しますが、「ありがとうございますボランティア」の人は、どの人も謙虚で出たがらないと想います。
 でもそれではドラマにならないので、縁の花では無理にお願いして、やすらぎの村のYさんや夢見村のMさんに登場して貰う事にしました。
 というのも「ありがとうございます」プロジェクトが、本人の人達の意識になくても、天によって形成されたのは、紫陽花の考えでは、Mさんのご紹介で、日本ふるさとサイバー村の、何人かの村長さんが「ありがとうおじさん」と出会った2001年頃です。
 それからすぐに「ありがとうおじさん」の了解を得て、本を作る事になったのが、2001年8月20日、本が誕生したのが、2002年の2月22日になります。
 時期的にいっても、紫陽花は、2001年頃、「ありがとうございます」プロジェクトが、始まったと確信していますし、結成に関しては、2001年8月20日という日が、一つの大きなターニング・ポイントになった気がします。
 おそらくこの日、YさんやMさんは、「ありがとうボランティア」の人達に集まって貰って、「ありがとうおじさん」を世に出す為に、本の利益は自分の為に使わない事を説明した上で、本を作成したい事をお願いして、ありがとうおじさんの了解を得たような気がするのです。
 そしてその瞬間から、プロジェクトとが本格的にスタートしてすぐに動き出した気がします。
 何故なら、それまで30年以上も、世に知られる事がなかったありがとうおじさんは、そのプロジェクトが形成されてから、一気に世に出る事になったからです。
 具体的にはYさんが、ありがとうおじさんの「どう生きたらいいの?」の本を出し、Mさんが、「ありがとうおじさん」のテープやFAXによる夢通信で、全国の人達に「ありがとうおじさん」の情報を、無料で送る事を始めてから、あっという間に火がついています。
 その後は、まず、「ありがとう広場」というありがとうおじさんのサイトが誕生しました。
 サイババなどを日本で紹介しているホームページを作っているある有名な人が、ありがとうおじさんの生き方に感動して、ありがとうおじさんのホームページを作ったのですが、今、その「ありがとう広場」をみている人の中で、感動した人が、全国で20人程度、まったくのボランティアで手伝うようになっているそうです
 お互いにまだ1度も会った事もないというネット上の関係で、後は、金銭や思想、立場もまったく関係なく、「ありがとうございます」の言葉だけで結ばれている関係だそうですが、紫陽花は本当に素晴らしいと想います。
 この事は縁の花 第171号「ありがとう広場」で書きましたが、ありがとう広場のホームページでは、ありがとうおじさんの毎日の講演中で、いいものを膨大な量テープ起していますが、すべて名前のない無名な人達が、ボランティアでしており、それをみた多くの人が、「ありがとうおじさん」の話に感動して、ありがとうございますという言葉を知るようになっているのです。
 しかも伊路波村や広島のひふみ村、笑顔村、輝き村などの村長が「ありがとうおじさん」の話に感動して、口コミで多くの人に伝えています。
 そんなまだまだ無名な人達の活動で、全国から多くの人が、滋賀の山奥にある「ありがとう村」に来るのに、驚くべき事に1年もかかりませんでした。
 よほど天、神様の計画「プロジェック」とが、うまくできていたのか、順調に進んでいるのです。
 そして2年目になる今年は、7月20日に、惟喬親王祭に2千人以上の人を集め、一般の本屋さんに並んだ本も売れ、多くの人が知るようになっています。
 来年の2004年には、「ありがとうございますツアー」に参加する先生も、全員ボランティアになるそうですが、どう発展しているのかは、紫陽花には予測がつきません。
 おそらく今以上にすごい事になると想いますが、紫陽花はそれを楽しみにしているのです。
 しかし一つだけ困った事は、プロジェクトXでは、定番の困難や試練がつきものですが、「ありがとうおじさん」には全然ない事です。
 というのも紫陽花自身、滋賀の山奥に住むようになる前の「ありがとうおじさん」の事は、詳しくは知らないのですが、少なくても21世紀になってからは、困難や試練はあまりない感じです。
 いつも「ありがとうございます」とにこにこしていたら、プロジェクトが進んでいて、「ありがとうおじさん」が何かに苦労したという話を聞いた事がないからです。
 でも実際は、人のみえないところで苦労していると想いますが、「ありがとうおじさん」はそんな事は一切いいませんし、そもそも「ありがとうおじさん」に苦労は似合わないのです。
 だからYさんにしろ、Mさんにしろ、自分のしたい事をしていたら、自分でもびっくりするぐらいうまくいったというのが実感だろうと想います。
 これが「ありがとうございますプロジェクト」のすごいところなのです。
 ただ、そうはいっても、紫陽花の経験では、まだまだ一般の多くの人で「ありがとうございます」を素直に受けられる人が少ないので、このプロジェックが完全に成功するには、もう少し時間はかかると想いますが、これだけの人材を天が集めているのです。
 紫陽花は、「ありがとうございますプロジェクト」は、2010年頃までには必ず成功すると確信しています。
 全国に、「ありがとうおじさん」や「ありがとうおねえさん」などが、何万人も誕生して、日本人のすべてが唱えているようになっていると想います。
 それが「ありがとうございますプロジエクト」が、完全に成功したという事になるのです。
 そして今、縁の花や縁の花村は、いつの間にか、「ありがとうございますプロジェクト」に末端ですが、天のおかげで入れて頂いていると紫陽花は、感謝しています。
 紫陽花がしている事は、縁の花で「ありがとうございます」の事を書く事で、何人かの人に「ありがとうおじさん」を紹介しているぐらいですが、来年は、縁の花村ツアーで、縁の花村の村人さんと、「ありがとう村」に無理せずに一度や二度は行けたらいいなあと想っています。
 紫陽花は、それで無限の無限の幸せなのです。
 でもそれでも少し残念なのは、紫陽花が「ありがとうおじさん」と縁を持ったのが、2002年8月3日なので、「ありがとうございます」プロジェックに結成する頃に縁が持てなかった事です。
 滋賀の山奥にある「ありがとう村」に、全国から、日曜日に、80人から100人もの多くの人が来るなんて、「ありがとうおじさん」以外は、夢にも想えなかった頃に結成された、「ありがとうございますプロジェット」に紫陽花も参加したかったなあと想います。
 そうすれば、いろんな事を、もっと詳しく皆さんに紹介できたと想うのです。

    ∞「天皇の真実のプロジエクト」∞ 

 次に紫陽花が紹介したいプロジェクトは、「天皇の真実のプロジェクト」です。
 この「天皇の真実のプロジェクト」の物語の主人公は、縁の花でも何回か紹介している広島の河内正臣先生で、周りには、河内正臣さんの活動を応援している無名の人達がたくさんいます。
 紫陽花の知っている限りでも、静岡県の鎌田光照さんや、広島にいる石井秀典さんなどがそうです。
 しかし、皆さんに最初に誤解して欲しくないのは、「天皇の真実のプロジェクト」が正式にあるわけではないという事です。
 というのも、「ありがとうございます」のプロジェクトと同じように、天は「天皇の真実のプロジェクト」を作ってもいると信じていますが、それが人間にはなかなか分からないからです。
 成功した後で、NHKのプロジェクトを見てもそうですが、これがプロジェクトだったのかと、多くの場合は気がつくものだと想います。
 だから、「天皇の真実のプロジェクト」が、実際にある訳ではないのです。
 ただそれでも去年、広島に有志が何人か集まって、河内正臣先生を盛り上げていこうという動きもあったのですが、プロジェクトとして発足するまでにはいかなかったみたいです。
 会社のプロジェクトなら別ですが、お金も時間も必要なので、個人の人が、何人かで組んで、プロジェクトを作るのは、とても難しいのです。
 でも紫陽花は、「ありがとうございますプロジェクト」のように、「天皇の真実のプロジェクト」ももうすぐ成功すると確信しています。
 21世紀、本当の時代になるには、どうしても「天皇の真実」も欠かせないと信じているからです。
 それではそんな「天皇の真実の物語」を、皆さんの為に、田口トモヒヲさんに、簡単に語って貰おうと想います。
「今から30年前、昭和天皇が、日本の核開発を止め、日本国憲法九条、戦争放棄のご発想者で、日本人やアジアの人々は、そんな昭和天皇の大御心で救われたという事を唱えている一人の男がいました。彼は昭和天皇の自らをかえりみない心によって、すべての日本人は救われたというのです。でも、この事はなかなか多くの人の理解を得られませんでした。時代は、昭和天皇にも戦争責任があると考えられていたからです。多くの人は、天皇の真実を信じようとはしなかったのです。でも彼は止めようとはしませんでした。天皇の真実が、多くの日本人に理解されない限り、日本人が団結して、大和民族になる事はないという信念があったからです。この物語は、そんな一人の長年の生き方に感動した人達が、何とか「天皇の真実」を世に出そうとして、協力しあった物語である」という感じになると想います。
 そしてそこで、プロジエクトXの番組だと、河内正臣さんが登場します。
 番組のかわいい女性の司会者が河内正臣さんを紹介してくれるので、それをイメージして読んで下さい。

 まず、河内正臣さんは、昭和16年9月11日に広島の呉市で生まれで、社会人になって、警視庁の第4機動隊員となると、安保論争が盛んで、デモ学生と戦うという事を経験します。
 この時に同じ日本人同志が、どうして憎しみあうのかという疑問を持ち、いろんな宗教団体と縁を持つようになって、警視庁をやめて、民族精神に目覚めるようになるのです。
 でも、どうしたら日本人が一つになるという疑問に、答える所はありませんでした。
 やがて河内正臣さんは、宗教活動に限界を感じると、両親のいる呉市に帰る事になるのです。
 だけど、天は、そんな河内正臣さんに大きな使命を与える事になります。
 元金沢大学助教授の西村見暁さんと出会い、「十字架の天皇」という自らの小冊子を見せられます。
 そこには、「憲法第九条・戦争放棄は天皇陛下が発想者である」と書いてあり、河内正臣さんは、それを見た瞬間、長年求めていた答えが見つかったと確信します。
 右翼の天皇中心的な思想を有する人達も、左翼の急進思想を持つ人達も、天皇に戦争責任がある、ないで今も対決していますが、天皇の平和憲法に対する志に感銘を受けたマッカーサーが、憲法第九条を作ったという事を知れば、争わなくなると想ったのです。
 何故なら、左翼の人が、戦争責任があると責めている昭和天皇が一番平和な心に持っていることになりますし、右翼の人が主張する、戦前のような、日本が強い軍事力を持つ事を、天皇自身が一番望んでいないことになるからです。
 これではどちらも争う事ができないのです。
 それで河内正臣先生は、昭和天皇の事を調べ、歴史の中で隠されていたいろんな真実を掴みます。
 昭和天皇が、米国・英国相手に、大東亜戦争をすれば、必ず負けるので、戦争に反対でしたが、日本の軍事政権を崩壊させ、アジアの植民地主義を止めさせるには、大東亜戦争は、必要だと判断して、自らの意志で止めようとしなかった事や、戦後の日本の為に、自らは犠牲になる覚悟で、終戦を決断し、マッカーサーに会った事などです。
 日本人は、そんな昭和天皇のおかげで、戦後自由を謳歌し、アジア諸国は独立できたのです。
 だから河内正臣さんは、その事を多くの人に伝える為に、たった一人で活動を始めます。
 天の「天皇の真実のプロジェクト」が始まったのです。
 だけど、なかなか「天皇の真実」のプロジェクトは、多くの人に伝わりませんでした。
 河内正臣さんは、福田赳夫さんや田中角栄さん、社会党の土井たか子さん、森喜朗さんなどの政治家、著名人、評論家、右翼や左翼の大物、宗教家などに、天皇の真実の事を書いた資料を送ったりしましたが、どの人も個人的には感銘しても、天皇の真実を伝える具体的な行動は取ろうとはしなかったからです。
 有名な評論家の小室直樹さんや、渡部昇一さんなども、天皇の事を話題にしてくれることがあっても、河内正臣さんの名前まで紹介してくれなかったと言うのです。
 また本や小冊子を出したり、講演会を開催したりもしましたが、なかなか広がる事もありませんでした。
 参加する人は、感激してくれるのですが、何かの行動をするまでにはいかなかったのです。
 ですから、天皇の真実は、河内正臣さんの30年間に及ぶ地道な活動でも、残念ながら徐々にしか広がりませんでした。
 まだまだ一般の多くの人が、知っているとはいえないのです。
 そして、河内正臣さんも、今は年を取って、もう企業でいえば、定年になる年代になりました。
 ずっとその間、特定の職業を持つ訳もなく、天皇の真実を理解する人に支えられて、ずっと活動をしている訳なのです。
 ですから河内正臣さんは、いろんな苦労や試練を何度も経験していると想います。
 金銭的に恵まれている事もなければ、結婚という人並みの幸せがあるという訳ではないからです。
 プロジエクトX風にいえば、まだまだ試練を経験しているのです。
 でも紫陽花は、その試練は、もうすぐ終わって欲しいと心から願っています。
 縁の花でも、河内正臣さんの「天皇の真実」を掲載する事で支縁させて頂いていますが、河内正臣さん自体、今でも信念を持って活動をしているので、紫陽花は、天が、大きなチャンスをくれてもいいと想います。
 いえ、是非、そうして欲しいと心から願っているのです。
 また、その為にも紫陽花は「天皇の真実のプロジェクト」を何とか、正式にできないかと想っています。
 どうしたら、「天皇の真実のプロジェクト」ができるのか分かりませんし、紫陽花自身が、プロジェクトを立ち上げる力もありませんが、もうそろそろ何とかしないといけないと想います。
 だって河内正臣さんが、天国に帰ってから、「天皇の真実」が世に出たとしても、紫陽花は意味がないと想うからです。
 河内正臣さんは、それでも心から喜ぶと想いますが、紫陽花は生きている間に、河内正臣さんにはプロジェクトXの感動を味わって欲しいのです。
 どうしてもプロジエクトXで、多くの見せる笑顔、「無限の無限の喜び」の笑顔、河内正臣さんの笑顔を見たいのです。
 是非、皆さんの中で、河内正臣さんの活動に興味を持った人はメールを下さい。
「天皇の真実のプロジェクト」に参加して欲しいと想います。

      ∞「笑顔のプロジエクト」∞

 紫陽花が、皆さんに紹介したい天のプロジェクトは、まだまだたくさんあります。
 とても全部は紹介できませんが、三つ目として、紫陽花が最後に紹介したいものは、笑顔共和国のプロジェクトです。
 これは、紫陽花の自称、お姉さんである福田純子大統領が楽しんでいる活動です。
 日本人や世界の人すべてを笑顔にしようというとてつもない、名付けて「笑顔のプロジエクト」なのです。
 また、この「笑顔のプロジエクト」が始まったのは、17年前になります
 今年で笑顔共和国が建国されてから17年になるので、福田純子大統領や、笑顔共和国のスタッフの女性達は、考えたら、もう17年も続けていることになります。
 本当に素晴らしいです。
 それを田口トモヒヲさんにナレーションして貰います。
『福岡に一人の綺麗なアナウンサーの女性がいた。だけど彼女は、最初はずっと根暗だった。でも、「あなたの声は葬式の声」とある人にいわれた事がきっかけで、笑顔の大切さに気がついて、笑顔で人生を過ごします。また、その事を本に書いた事から、私も笑顔で過ごしたいという人が何人も現れて、国境も何もない、世界で一番小さいけど、本当は心に咲くどこよりも大きな国、笑顔共和国を建国するようになります。物語は、そんな笑顔共和国の福田純子大統領と、彼女の活動を支えたスタッフや笑顔共和国の国民が、楽しく、笑顔で、例え試練や困難があっても、神様がくれた登竜門として感謝して行なった活動の記録です』とまあこんな感じになると想います。
 ここで福田純子大統領が、登場するのです。
 また司会者の人と、笑顔共和国が建国してからの、いろんな苦労話や楽しい話題で、プロジェクトXの物語は、盛り上がると想います。
 ただ、ありがとうおじさんの時もそうですが、福田純子大統領にもあまり苦労話は似合わないと想いますし、本人に苦労したという自覚もないと想います。
 本当にノー天気なお姉さんなのです。
 しかし、紫陽花の知っているかぎりでは、笑顔共和国にたくさんのお金が集まったという事を聞いた事もないので、笑顔共和国を運営していくには、いろいろ大変な事もあったのではないかと想います。
 そのつど、想わない収入があったりして、神様に助けて頂いています。
 笑顔共和国は、21世紀になってからは、「笑顔」と「ありがとうございます」という二つのすてきな言葉を合わせてガンバッテいるのです。
 けれども、こんな事を書いたら、福田純子大統領に怒られるかもしれませんが、「笑顔のプロジェクト」自体は、まだまだだと想います。
 日本人のすべての人が、笑顔になるという神様のプロジェクトからいえば、なかなか笑顔のプロジェクトは進んでいないからです。
 だって日本自体不景気で、年間に3万人という人が自殺していますし、青少年の信じられない殺人事件が起きています。
 とても日本人が、明るく、笑顔でいるとは想えないのです。
 ですから紫陽花は、笑顔共和国の使命は大きいと想います。
 いつか、「笑顔プロジェクト」が大成功して、景気がいい悪いに関係なく、日本の国が、平和で、明るく、変な犯罪もない国になって、すべての日本人が、笑顔で、幸せに暮らせるようになると信じているのです。
 2010年ごろには、福田純子大統領や、笑顔共和国の人が、プロジェクトXの番組に紹介される事を楽しみにいるのです。
 そしてその為には、福田純子大統領や、笑顔共和国のスタッフの人だけでなく、たくさんの笑国の皆さんに顔晴って(ガンバッテ)頂かないといけません。
 笑顔共和国の活動は、20世紀までは、福田純子大統領の本や講演活動を中心にして、2月11日の笑顔建国式や博多のドンタク祭り、笑顔の七夕祭りなどのイベントに笑顔共和国の国民が参加するという形でしていましたが、21世紀になってからは、情報誌からインターネットに切り替わったので、正直言って、紫陽花には分かっていないことも多いのですが、紫陽花は、天がますます目に見えない力で応援していると想うのです。
 またそんな笑顔共和国を支えている、全国の笑国の皆さんもますますガンバッテいると想います。
 今年行なわれた惟喬親王祭(ありがとうございます祭り)では、笑顔共和国の国民の皆さんが奉納した笑顔の踊りを見ましたが、国民の皆さんも顔晴っていました。
 プロジェクトXの番組では、当然、何千人もいる笑顔共和国の国民の中で、2、3人が代表して出ると想いますが、どんな話をしてくれるか、楽しみにしていますし、紫陽花も、縁の花笑国の代表として、紫陽花なりに福田純子大統領を支え、「笑顔のプロジェクト」にかかわっていきたいと想います。
 では皆さん、第178号「プロジェクトX」を読んで頂き「ありがとうございます」
 皆さんも、自分なりのすてきなプロジェクトと縁が持てること願っています。

2003年11月1日

 

 追伸、紫陽花と縁がある、天からの「プロジェクト」はまだまだあります。
 住まい塾さんもそうですし、なんでんかんでん村、複写はがき、地球村なども、本当のプロジエクトを持っていると想います。
 また紫陽花自身も、縁の花や縁の花村という、直接成功させないといけないプロジェクトを任されています。
 正直、縁の花や縁の花村の「プロジェクト」に関しては、どうやって進めていこうかと模索段階です。
 リーダーになるはずの紫陽花が、こんな事ではいけないと想いますが、いつか「プロジェクト」として、ちゃんと立ち上げたいです。
 その時には、皆さんに改めて発表するので楽しみにしていて下さい。
 では、中島みゆきさんが作詞、作曲したエンディング曲「ヘッドライト・テールライト」をバックにして終わりたいと想います

 

1、 語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ 紛れ散らばる星の名は 忘れても

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

2、  足跡は降る雨と 降る時の中へ消えて 称える歌は 英雄のために過ぎても

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

3、 行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢 遥か後ろを照らすのは あどけない夢

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

 

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない



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