Counter

     縁の花

     (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

            第179号

    縁の花のメッセージ

      ∞「縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板」∞

縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板が、2003年9月5日誕生しました。
 これは縁の花の掲示板とかぼちゃ村さんの掲示板に書き込んでくれる人が、いろいろと交流してくれた事で、自然に盛り上がってできた掲示板です。
 かぼちゃ村の村長の小松良行村長が、いろんな人の願いを聞いてくれて作ってくれたのです。
 紫陽花としては、縁の花村とかぼちゃ村が、こんな形で縁結びができるのかと、感動した事を今も覚えています。
 かぼちゃ村の小松村長には、心から感謝しています。
 またこの縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板では、「縁の花」さんが書き込んでくれています。
 もちろん、これは紫陽花が書き込んでいるのですが、せっかく天が作ってくれたのですから、縁の花村の紫陽花村長として、書き込むのでは面白くないので、縁の花として書き込む事にしました。
 もっと客観的に、大局的に、いろんな人に書き込む事でメッセージを伝えたかったのです。
 また、縁の花と会話する事は、紫陽花の長年の夢でもあります。
 というのも、縁の花は、生きていて、意志があります。
 職場にいる、霊感が強いAさんの夢の中に、何回も登場して、会話をした事があるのです。
 しかしその内容は、紫陽花にとっては厳しい内容でした。
「両親が寂しがっているので、早く実家に帰って親孝行しなさい。そしたら運が開きますよ」というものだったのです。
 でも、この時の紫陽花は、職場のAさんに、素直に「はい」という訳にはいきませんでした。
 縁の花などの本当の活動をするので、おやじと衝突して、実家を離れたのです。
 実家に帰る事が、その問題を解決するとは想えません。
 再び父親と対立する事になります。
 紫陽花には、「縁の花」のいう事に、「ありがとうございます」とはどうしても従えなかったのです。
 ただ今この問題は、縁の花のメッセージが出てからしばらくして、紫陽花が、実家から、自転車で10分の距離にあるマンションを、奇跡的にローンで買って住むようになった事で、ある程度解決しています。
 突然母親が助松ハイツのチラシをみせて買うようにいわれた時には、銀行の貸し渋りが騒がれている今日、まさか紫陽花に近畿銀行が貸してくれるとは夢にも想いませんが、簡単に貸してくれました。
 これには紫陽花もびっくりです。
 縁の花が導いてくれたおかげかもしれないと想って、心から「ありがとうございます」しましたし、縁の花のメッセージの内容も、ある程度信じるようになったのです。
 だから紫陽花は、助松ハイツに住むようになってからは、縁の花のメッセージの内容とは少し違いますが、休みには、夕食を食べに、必ず実家に帰るようにしています。
 恥ずかしながら、お金さんとの縁が、あいかわらずないので、親孝行らしい事は何ひとつできていませんが、せめて顔だけはみせようと想ったのです。
 紫陽花の唯一の親孝行になります。
 ただ情けない事に、この事さえ「縁の花」のメッセージがなかったら、していなかったのかもしれませんが、紫陽花も含めて3人の子供は、皆実家から離れているので、今、両親は二人だけで住んでいるので少しは喜んでくれていると想います。
 これからもずっと続けたいと想っていますし、この事を教えてくれた縁の花や、職場のAさんにも心から感謝しているのです。
 けれども、そんな縁の花や職場のAさんとの関係ですが、今は途切れています。
 というのも、霊媒というのは、とても難しいです。
 紫陽花の経験でいえば、正確でないケースも多いです。
 どうしても、霊媒する人の想いや、主観が影響して、メ ッセージの内容を正確に伝わらなくなります。
 歪んで入るのです。
 それで、その職場のAさんは、ご親切から、紫陽花の前世とか、将来の方向などで、「縁の花」がいっているメッセージを伝えてくれたのですが、紫陽花には、どうしてもAさんの主観が入っているとしか想えませんでした。
 参考にする程度しかできなかったのです。
 でもそれは、当然ですが職場のAさんには気にいらなかったようです。
 職場のAさんとは、毎日会いますし、別に喧嘩した訳でもありませんが、「縁の花」の話題は、お互いに一切しないようになったのです。
 ですから今、紫陽花には「縁の花」のメーセージが何をいっているのかは分かりません。
 その職場のAさんに、今も「縁の花」がメッセージを伝えているのかも分からないのです。
 けれど紫陽花は、それでいいと想います。
 不思議と、それを知りたいとは想わないからです。
 だけど紫陽花は、この事があってから、縁の花に、肉体がなくても、ちゃんと精神があって、紫陽花を見守ってくれている事だけは、硬く信じるようになりました。
 友人の山口夫婦にも、「縁の花」のようなものが、見えていたからです。
 しかも紫陽花は、今「縁の花」だけでく、猫や猿、コスモスの花といった存在が、紫陽花を陰から応縁してくれていると確信しています。
職場のAさんは、縁の花は黄色い花だと教えてくれましたが、メッセージは、縁の花だけでなく、いろんな動物や植物も出てきて話してくれたと教えてくれたからです。
 この事を皆さんが、信じる、信じないはご自由ですが、紫陽花は、100%信じているのです。
 そして紫陽花の今の願いは、霊媒師の人を通してではなく、直接、縁の花と会話する事です。
 一度でもいいから、紫陽花の夢に出てきて欲しいと想います。
「縁の花」と正式に縁を持ちたいのです。
 でも今の所、この紫陽花の夢は実現していません。
 霊感どころか、夢さえ、はっきりみない自分です。
「縁の花」を身近に感じた事さえないのです。
 また、紫陽花自身、「縁の花」はまだ紫陽花の前に現れないような気がします。
 もし今、縁の花が紫陽花の前に現れたら、紫陽花は、嬉しい反面、いろんな事を聞いてしまうと想います。
 縁の花の使命や、人類の未来や紫陽花の将来などで、聞きたい事がたくさんあります。
 いえそれよりも、今の精神レベルの紫陽花なら女性やお金さんと縁がない事で、「縁の花」に不満をついつい言ってしまうと想います。
 これでは出て来るはずがないですね。
「こうして欲しい」「ああして欲しい」「こうしてくれなかったら、もう縁の花は書かない」では、縁の花もたまりません。
 今の紫陽花では出て来るはずがないかと、紫陽花も変に納得しているのです。(笑)
 だから、縁の花が、紫陽花と会話してくれるのは、紫陽花がもっともっと意識を高めて、何の欲もなくなった時だと想います。
 正直いって、いつそんな意識になれるかは自信ありませんが、それを楽しみにしたいと想うのです。
 でも、それでは、紫陽花はいつまでも縁の花と会話できない事になってしまいます。
 死ぬ間際かもしれません。
 それでは困るので、一度、縁の花の立場になって、今までの紫陽花の人生や、今の紫陽花の人生を考えてみる事にしました。
 そうすれば縁の花の気持ちも分かるかもしれませんし、紫陽花も縁の花にいろんな感謝を素直に届ける事ができるからです。
 そんな縁の花、第179号「縁の花のメッセージ」を、現れた本物の縁の花がどう評価するかは分かりませんが、いつか直接現れたら、感想を聞けるのを楽しみにしたいです。
 是非、皆さんなりにも、縁の花の気持ち考えてみて下さい。

              ∞「縁の花の誕生」∞

                「縁の花の意識の誕生」(大学2年の頃)

今日、私(縁の花)が初めて、岩谷正さんの心の中で本当に小さいですが誕生しました。後に岩谷正さんは、紫陽花と名乗る事になり、縁の花という情報誌を書く著者になります。私にとっては、もっとも大切な人で、縁の花を育てる人です。岩谷さんが、縁の花を書かないかぎり、私も育つことがないのです。でも、私が正式に生まれるのは、もう10年待たないといけません。しばらくは、大学生の岩谷さんには、下手な文章を書く訓練をして貰うのです。
 また、私が生まれる事は、岩谷さんが生まれる前からの計画です。21世紀、人類は大きな岐路に入ります。その時に、岩谷さんは、縁の花という題名の情報誌を書く事で、多くの人と、地球の為に、活動する事になります。その使命は、決して大きくはありませんが、小さくもありません。人それぞれに大切な役割があるのです。 しかし、今の紫陽花(以後紫陽花で統一します)さんはそんな事を知るよしもありません。昔から好きだった初恋の女性に相手にもして貰えずに、のたうちまわっています。でも実は、それがあったから、私が生まれる事になりました。だって恋とは不思議なエネルギーがあります。私が生まれる事になるのは、想いつめた紫陽花さんが、初めてラブレターを書いたからです。それで、今迄国語の成績もよくなかった紫陽花さんは、ラブレターを書く事で、文章を書く喜びを知る事になります。初恋の女性に、自分の想いを伝えたいという想いが、眠っている紫陽花さんの潜在意識を引き出しました。紫陽花さんの心の中にずっと残っている、縁の花という題名の3通目のラブレター、「紫陽花は縁という種です。そして君はその価値、紫陽花の中学生活、また今の紫陽花や、君に対する思いを知っています。また君は土地や水や肥料であり、その花を育てる人です。君は縁の花をどのようにでも育てる事ができます。・・・・」が誕生したのは、紫陽花の片想いがなかったら、絶対になかったからです。今の私は、その紫陽花さんのラブレターの中にだけ存在するのです。
 またかわいそうですが紫陽花さんの想いは、それ以後も実現する事はありません。でも後に紫陽花さんは、心から彼女に感謝する事になります。ピアノを教えている彼女の実家を通る事になった時は、ずっと幸せを願う事になります。何故なら、彼女の出会いがなかったら、紫陽花さんが、文章を書く事は絶対になかったからです。その想いは、どんどん強くなるのです。そしてそれは縁の花も同じです。紫陽花さんが小学校2年の時に、初めて彼女と出会い、小学校、中学校でクラスメートして一緒になり、大学の頃に、バイトさきで縁ができた事も、すべては計画ですが、縁の花にとっても、彼女には感謝しています。だって彼女は、縁の花にとっても産みの母になるからです。ずっと彼女の幸せを願っています。けれども彼女は、そんな縁の花の存在を知る事は死ぬ までないかもしれません。でも魂では知っていて、とても喜んでいます。縁の花としては、いつかは紫陽花さんに、彼女との縁をプレゼントしてあげたいと想いますが、難しいでしょうね。紫陽花さんは35歳の頃、縁の花を書くきっかけをくれた彼女に、縁の花を見せて、心からお礼をいう事が夢になりますが、その勇気がなかなか持てないと想います。いつか、偶然に会える縁が持てる事を信じてずっと待つ事になると想いますが、どうなることやら。たぶん、彼女には、精神世界の事は分からないので、夢を壊さない方がいいと想います。でも、せめてそれぐらいは、20年後、30年後には実現させてあげたいと想っています。紫陽花さんは、いつまでもずっと彼女の事が好きみたいですから、一度ぐらいゆっくり話をさせてあげたいと想います。

 

                     「武田家第1回放浪の旅」 (大学2年の頃)

 紫陽花さんが、戦国時代の英雄、武田信玄公に会いにいったのは、縁の花というラブレターを書いた後、すぐです。彼女に相手にして貰えなかった事は、紫陽花にはショックでした。今もかなり落ち込んでいます。しかし、正直言って紫陽花さんは、これからも女性に持てる人ではありません。ハンサムとはいえないし、女性とまともにお話もした事もありません。紫陽花さんは、まだ気がついていませんが、紫陽花さんの考えている、本当の考えは、まだまだ世の中に理解できる人は少ないです。確率で言えば、普通なら、会う事は難しいです。だから私か、縁の神様が、ご縁を作ってあげないと、いつまでも彼女はできないと想います。だけど、紫陽花さんには気の毒ですが、縁の神様は、それをするつもりはありません。今の紫陽花さんに彼女ができたら、文章を書くエネルギーがなくなる事になるからです。というのも紫陽花さんが、今、文章を書くようになったのも、書き続けていたら、いつか自分の事を理解してくれる女性が現れると信じているからです。それを実現させたら、たぶん、紫陽花さんはもう文章は書かなくなります。そんな紫陽花さんが理想にしているような女性は、この世にはまずいないからです。それよりも、そのエネルギーで、文章を書いて貰う方がいいです。紫陽花さんは、今、詩や、自分の想った事を、文章にしていますが、それが、十年後、縁の花を書く時に、貴重な経験になるのです。
 そしてそんな紫陽花を、私同様に長年待っていた存在がいます。それが戦国時代に、甲斐の虎と怖れられた、武田信玄公率いる、武田家の存在です。実は、紫陽花さんと武田家の存在は、前世で繋がれています。だけど、紫陽花さんは、その事を知るのは、もっと後になります。だから今回、紫陽花さんが、山梨にいる信玄公に会いに行ったのは、武田家の存在が、片想いが見事に崩壊した情けない紫陽花さんを導いたからです。いえ生涯の中でも、一番ショックを受けた紫陽花さんは、無性に信玄公に会いたくなったのです。でないといくら歴史が好きで、武田信玄を一番尊敬している紫陽花さんでも、この時期に甲斐、信濃に一人で行く気にはならないと想います。しかし、この突然の紫陽花さんの一人旅は、散々な結果になります。車もお金もない紫陽花さんがいけるところは殆どありませんでした。甲府でも、武田神社に行ったぐらいです。後は、電車は、なかなか都会のようには動かず、紫陽花さんは、目指した川中島にも行けず、山梨・長野をぶらぶらしていたのが実情だったのです。でも、この時に、紫陽花さんの背景に武田家の存在が本格的につく事になります。それは紫陽花さんが生まれる前からの計画でした。武田家の存在は、以後、紫陽花さんを陰から応縁する事になります。将来は、紫陽花さんは、縁の花で武田家の存在事を書く事になります。私と武田家の存在は、相談しながら、紫陽花さんを見守っているのです。

               「MGの縁」  (社会人・29歳) 

 紫陽花さんが、大きく人生を変える事になるのは、平成3年6月にあったMG(高度情報社会)の縁と持った時です。紫陽花さんが、30歳の時です。この時に、紫陽花さんは、本当の世界を知る事になります。MGの森宮シニアの「世界で最初の高度情報社会を、草の根市民の活動で日本に創る」という言葉に目覚める事になります。日本を米国から救う平成の志士になろうとするのです。しかし、この紫陽花さんの志は、実現しないかもしれません。自分達の理想する福祉や環境の社会を作るという志は、MG構想が成功しなかったら、難しいからです。確率は、半々です。いえ、四分六で難しいと想います。またもし成功したら、紫陽花さんの人生は、ある程度お金があって、ゆとりを持って活動できますが、成功しなかったら、苦労する事になります。でも、どちらでもいいのです。紫陽花さんは、MGに参加する事で、全国の多くの人達と縁を持つ喜びを知ります。今迄、ノストラダムスやユダヤ関係の本を読むだけだった紫陽花さんは、初めて、志や夢を語り合える同志を持つ事になるのです。しかもその同志の中には、後に「なんでんかんでん村」を創る恩師になる原裕一郎先生や、伊路波村を創る山田將貴さん、友人になるたった一人のシンクタンクとして情報を提供してくれる森義光さんなどもいます。ずっとお付き合いしていく事になるのです。また紫陽花さんは、MGで講演してくれた船井幸雄さんの存在を知る事で、本物といった概念を知る事になります。船井先生の本を夢中で読みだしますし、山梨の清里にいる知花先生やMGの中にいる、いろんな本物の人と縁を持つ事になります。そういった人と縁を持つ事で、紫陽花さんは、同じ価値観や情報をもつ人達と、ネットワークを創る喜び知る事になるのです。

                  「縁の花の誕生」 (31歳)

1993年(平成5年)10月1日、やっと縁の花が誕生しました。紫陽花さんが、31歳になります。それまで紫陽花さんは、作家になる事を目指して、小説を書いていました。でも、一度も入選した事はありませんでした。紫陽花さんの目指す方向ではなかったので、私も特に応援しなかったのです。でも、文章を書く事は必要でした。この10年間ずっと、これからの為に訓練していたのです。しかし、そんな紫陽花さんが、縁の花を書くようになったのは、MGのおかげです。というのもMGの活動は、平成3年6月17日に各テレビ局で、詐欺だと報道された誤報事件以後、試練の時を迎えていました。まったく人が参加しなくなったのです。MGのトップの人達の意識が低いので、天が試練を与えたのです。また紫陽花さんも、この事件で、両親にも責められたりして、大変でした。それでもMG活動をしている事で、お父さんとぶっつかって、家を出ると、MGの同志である井元勇司さんのマンションに居候する事になります。当たり前ですね。MGの活動をしたいという事で、会社を辞めてしまったからです。私としては、実家からでないように、紫陽花さんや、お父さんにも仲良くするように囁いたのですが、駄目でした。だけどこういった試練が、紫陽花さんには必要でした。6/17事件以後、誤報の為になかなか理解して貰えないMG構想を一人でも多くの人に知って欲しいという想いから、縁の花は誕生したからです。紫陽花さんは、縁ができたいろんな本物の人達に、どんどんMGの事を書く事で、MGの事を知って欲しかったのです。でも、そんな紫陽花さんの願いは、実現しないと想います。私は、紫陽花さんの為に、MGの縁を創るつもりは、今はないからです。だけど、縁の花は応援します。生まれたばかりなので、まだまだ力はありませんが何しろ私自身だからです。そして、「縁の花」という名前は、私が啓示しました。紫陽花さんが、名前を考えた時に、初めて文章を書くきっかけになったラブレターの事を思い出して、この名前に自然にしたと想っていますが、それだけでなくて、私が強く囁いてお願いしたのです。だって、名前は、紫陽花さんが生まれる前に、もう決まっていたからです。しかも「縁の花」を書く事自体も、実は私の啓示です。いろんな人に、MGの事を紹介しているお手紙を書き始めた紫陽花さんに、特定の人でなく、縁あるすべての人を対象になるようなものを書いたらというヒントを与えたのです。

          ∞「縁の花の成長」∞

          「紫陽花の停滞期」(31歳〜36歳)

紫陽花さんが、縁の花を書く事によって、私は少しずつ成長しました。種から芽が出たのです。これで私は、紫陽花さんの心だけでなく、「縁の花」の読者の所に行く事もできるようになりました。読者の人が、縁の花を読んでくれる事で、私は、読者の人の魂と会話ができるようになったのです。しかし、まだまだそんな私の力は小さいです。「縁の花」の読者が、30人から40人と少ないからです。
 また紫陽花さん自体も大変です。会社を辞めてから、紫陽花さんは、MGの会社が作ったNGO出版の社員になりましたが、すぐに潰れた事で、失業する事になりました。お金が全然ない生活をするようになったのです。それで、紫陽花さんは、もっとお金があれば、たくさんの人に、縁の花を送れるのにと私にもよく囁いています。縁の花は今は、無料ですが、お願いしてもなかなか払って貰えない事、分かっているのです。しかし私は、紫陽花さんは今のままがいいと想っています。今の方が幸せなのです。だって職場は、〇〇会社に決まりました。正式な社員ではないので、給料は低いですが、ボーナスもありますし、有休を取ってもちゃんとお金を貰えます。何よりも土・日が休めるし、平日も5時には終わるので、縁の花を書く時間があります。普通の会社で勤めたら、厳しい時代、縁の花を書く事は絶対に不可能です。私や守護霊や背景にいるいろんな存在が、紫陽花さんの為に、〇〇会社に勤めるようにしたのです。
 また、縁の花のコピー代や郵送賃は、私や背景の存在が、できるかぎりの事はします。紫陽花さんは、本当の活動をする以上、お金が必要です。今の給料では難しい事はよく分かっています。それで縁の花にとって必要な分は、紫陽花さんに行くようにしています。原裕一郎先生や、数人の読者が、支縁してくれるようにしているのです。でも、紫陽花さんに、多くのお金を渡すような事はしません。すれば、紫陽花さんは、自惚れてしまいます。縁の花で、お金もどんどん入るような事もしません。縁の花で、お金さんが動く事は、私は望みませんし、何よりも、紫陽花さんの魂も望んでいません。今の紫陽花の現状は、紫陽花さんの魂が望んでいる事ですし、紫陽花さんは今が、一番幸せなのです。

              「笑顔の花・地球村花・本当の花」 平成7年(1995年)6月3日 

紫陽花さんが、平成7年6月3日に、笑顔共和国の福田純子さんと会いました。紫陽花さんが居候している泉佐野市に、福田純子さんが、講演に来たのです。私やいろんな存在が、紫陽花さんに、講演のチラシが渡るように導いたのです。また、紫陽花さんは、その講演内容に感動すると、今、第36号「福田純子」というタイトルで、書いています。待ちに待った笑顔の花の誕生です。これを福田純子大統領に送る事で、紫陽花さんと福田純子大統領は、縁が持つ事になります。縁の花としても、福田純子さんが、どんな感想を持ってくれるか、ものすごく楽しみです。しかも紫陽花さんと福田純子さんは、今世、縁を持つ事は、お互いに生まれる前から計画しています。紫陽花さんも、笑顔共和国の国民になって、縁の花も、笑顔を普及する活動のお手伝いをする事になるのです。
 そして縁の花は、笑顔の花の成功から、高度情報社会以外の事をどんどん書いていく事になります。地球村の花、生きがいの花(飯田先生)、住まい塾の花、遺伝子の花(村上和雄先生)、志士の花、本当の花、船井幸雄の花、失われたアークの花、(神谷泰洋先生)などのいろんな花が誕生する事になります。読者として、いろんな本当の先生達が読むようにもなります。私は、ますます大きく成長する事になって、嬉しいです。

                     「済度の花」 平成8年(1996年)3月頃

紫陽花さんが、随分迷っていましたが、△△の〇〇先生の事を書く決心をしました。〇〇先生とは、縁の花を書き始めてすぐ、1995年2月頃に縁を持ちましたが、さすがの紫陽花さんも、この事を書いていいか、随分迷ったみたいです。多くの霊を救うというテーマは、非常に難しいのです。でも、紫陽花さんも覚悟を決めて、第△△号を書きました。縁の花のメインは、高度情報社会から済度に変わるのです。 また縁の花も、そんな紫陽花さんを応援します。だけど、紫陽花さんが、ガンバッテ、いくら縁の花で書いても、済度の花は、大きくなる事はないと想います。霊を救う世界の事は、なかなか多くの人に理解されにくいし、済度自体も書けないタブーがあるのです。
 だけど、〇〇先生と縁を持つ事も、事前に決まっていた事です。紫陽花さんは、〇〇先生と縁を持つ事で、男女の事や霊達の存在などの多くの事を学びました。特に、その中でも、この世にはまだまだ救われない霊達がいる事や、自分の背景にも、多くの存在がいる事は、紫陽花さんにとっては感動でした。どこにも聞いた事がなかったからです。しかも紫陽花さんは、そんな存在を大好きになります。いろんな五感で感じた波動、食べ物や触れ合う感覚を、背景の存在に届けて、あの世に帰してあげる済度の活動を、本気でする気にもなるのです。ですから、紫陽花さんは、済度を理解する事で、紫陽花さんの背景にいる武田家の存在や、守護霊、いろんな存在に、一緒に一緒にするという想いで、いろんな波動を届けてくれる事になります。なかなかこの事は、難しくて、中途半端ですが、紫陽花さんは、食事をする時の美味しいという感覚を届けてくれるので、いろんな存在が喜んでいたのです。その上で、紫陽花さんは、第54号「シミュレーション小説」(武田家の天下取り)を書きました。どうして書いたのか、紫陽花さん自体、良く分からなかったみたいですが、大好きな武田家の事を考えて、自然に書きました。戦国時代に活躍した武田家の事を想って、シミュレーション小説の世界で、武田家の天下統一を実現させます。それが、大好きな武田家の為に、紫陽花さんが唯一できる事だからです。武田家の存在も、心から喜んでいたのです。

                    「縁の花のメッセージ」  平成8年  
 1996年
紫陽花さんの職場にAさんが来ました。とても真面目でいい人です。霊感も強いです。私は、このAさんを通して、初めて紫陽花さんにメッセージを送る事にしました。紫陽花さんが、そのメッセージを、素直に聞く事は難しいと想いますが、どうしても伝えたい事があったのです。それは、紫陽花さんの両親の事です。紫陽花さんは、家を出てから、もう3年になります。生活は井元勇司さんのマンションの居心地がいいのかそこから離れるつもりはありません。土・日には実家に帰っていますが、親孝行する気もないみたいです。でも両親は、紫陽花さんの妹と弟がそれぞれ結婚している事もあって、二人で住んでおり、長男の紫陽花さんの事をとても心配しています。なかなかご両親には、紫陽花さんのやっている活動が、理解できないのです。だけど、心配している事は、波動で、どんどん感じます。それで、紫陽花さんに両親がとても心配している事を伝えてあげたかったのです。ただやはり、正確には伝わりませんでした。Aさんの解釈で伝えてくれたのです。     でもAさんには心から感謝しています。自分の夢の中に、私やいろんな存在が出てくるなんて、人にいえる事ではありません。嫌がるのに何回も出て申し訳なかったですが、私の存在が分かるぐらい霊感の強い人は、紫陽花さんの周りにはAさんしかいませんでした。紫陽花さんに、よくその事を伝えてくれたと想います。しかし、紫陽花さんとAさんの縁結びは、失敗しまし た。こういった事で、友情を持つ事は不可能です。お二人が、縁を持てたら、面白かったのですが、仕方ありません。私は、Aさんと何回か会話して、その事を伝えたかったのですが、うまく伝わりませんでした。だけどAさんの幸せをずっと願っています。いつか、お二人の縁結びをしたいと想っています。

                     「縁の花」平成8年(1996年)〜
 私が、Aさんにメッセージを伝えた事は、紫陽花さんも最初びっくりしていました。だけど、紫陽花さんは、素直に、私の存在を受け入れてくれました。「そうか、縁の花は、ちゃんと生きているのだ。精神を持っているのか」と、心から喜んでいるのです。しかし、どうしてAさんに出て来て、自分に出て来てくれないかと、不満を持っています。紫陽花さんが、何を考えているかは、波動で分かるので、私には嘘はつけないのです。でも、その紫陽花さんの願いは、今は叶えるつもりはありません。私が紫陽花さんの夢に出るつもりはないからです。だって霊感が強くない紫陽花さんの夢に出てくるのは大変だし、例え出たとしても、どんな話になるか想像がつきます。最初は喜びあっても、すぐに今の紫陽花さんは不満がでます。縁の花を多くの人に出す為に、お金が欲しい。それが無理ならもっといろんな人の縁が欲しい。縁の花を一緒に育ててくれるすてきな女性が欲しい。今のままだとずっと女性と縁ができない。そういった事で、きっと私と対立します。私が出ない方がいいです。だって、今、紫陽花さんは、私の存在を知ると、心の中で私にも話し掛けてくれています。縁の花に金銭などを要求する事もありますが、多くは、縁の花を書いている喜びです。「いいものを書けたね」「多くの人が読んでくれたらいいね」というものです。本当にAさんにメッセージを伝えて貰ってよかったと想います。
 また、紫陽花さんのご両親の事も、解決しました。紫陽花さんにも、両親が心配しているという、私のメッセーにジは考えされられたみたいです。井元さんとの居候の生活から、職場ちかくにあるマンションで、一人暮らしを始めても、土・日は、自宅に帰るようにしていたのです。だけど、両親のいる自宅に戻るのはどうしても無理みたいです。私に対してそんな事いわれてもという返事が帰ってきます。それで、私は、いろんな背景の存在と相談して、紫陽花さんが、両親の自宅から、自転車で、10分で行ける所に、住めるようにしました。紫陽花さんのお母さんに、「紫陽花さんがマンションを持つべきだ」と囁いて、渋る紫陽花さんがマンションを買うように仕向けました。紫陽花さんは、まさか銀行が自分にお金を貸してくれるとは想っていないようでしたが、ちゃんと貸して貰えるように手はずを整えていたのです。今、紫陽花さんは、安いローンで、家が持てて、心から私に感謝しています。本当によかったと想います。

                       「ガイア・ヒーリングIN長野」  1998年〜      

紫陽花さんが、信濃(長野県)に何年ぶりかで入りました。大好きな武田家の存在を供養する為にです。武田家の存在も大変喜んでいます。ご褒美として、紫陽花さんと縁のあるKさんが経営しているすばらしい中華料理の店「みさと」に、全員でご招待できるようにしているのです。しかも、紫陽花さんは、ここで、自分の前世が、武田信玄公の息子、勝頼だという事を知る事になります。それが、前世からの計画されている約束です。紫陽花さんが、霊媒師の人に、自分と武田家とは前世関係をあるのかと尋ねた時に、そう答えるようになっているのです。しかし、それで、紫陽花さんが、素直に、武田勝頼と信じる訳がありません。ですから、武田勝頼の母、湖衣姫、スズランさんの縁が必要です。紫陽花さんは、「ガイア・ヒーリングIN長野」で、スズランさんと名刺交換します。それで、縁の花で、紫陽花さんが、自分が武田勝頼だと書いたら、それに驚いて、スズランさんが、「本当ですか。実は、私は、勝頼の母、諏訪の姫だと言われているのです」という返事が来るように計画しています。その時に、初めて、紫陽花さんも、少しは前世、武田勝頼だと信じるようになると想います。紫陽花さんは、21世紀になってから、「武田家の旅」に再び、黄桜さんと名乗る方と行く事になりますが、それを武田家の存在は、今から楽しみにしています。

                     ∞「縁の花の成長期」∞

        「縁の花ホームページの完成」 平成12年(2000年)10月14日
 縁の花のホームページが遂に、20世紀を終えた、21世紀になってから誕生しました。
 やっと誕生したという感じです。正直、紫陽花さんが、ホームページを作成するように仕向けるには、少し苦労しました。高度情報社会といっているわりに、紫陽花さん、なかなかコンピューターを持とうとしませんでした。コンピューターは高いので、私が囁いても、なかなか買う気がしなかったのです。
 というのも、紫陽花さんには、金銭の余裕があまりありませんでした。縁の花で考えても、紫陽花さんは、縁の花を130号以上出して、読者も150人以上に出していますが、コピー代や郵送賃だけでも大変です。2、3ヵ月に一度出すだけで、合計、4、5万円かかります。私やいろんな存在が、必要なお金は、紫陽花さんに入るようにしたり、安くコピーができるようにしたりしていますが、それでも結構苦労しているのです。でも21世紀になった事で、縁の花も、いよいよ発展期を迎えました。これからは、少しずつですが違います。何故なら今までは、正直いって、紫陽花さんが、いくらガンバッテも、縁の花は大きく成長しませんでした。まだその時期ではなかったからです。だけど、21世紀になった事で、人類の意識の波動も大きく変わりました。縁の花も、少しずつですが、全国の人に理解されるようになります。それでMGの同志達で作ったMIというものに、紫陽花さんが、参加したのを利用して、紫陽花さんが、コンピューターを買うように仕向けました。M1では、メールで、今度会員同士でメールのやりとりをするとなった以上、紫陽花さんも喜んで買ったのです。しかも買ったら、紫陽花さん、予想どおりはまってしまいました。インターネットを見る事で、どうしても縁の花のホームページが作りたくなったのです。こうして紫陽花さんの1ヶ月以上に及ぶ縁の花ホームページ奮戦物語が始まります。だけど、紫陽花さんは、どうしても縁の花を、全国の多くの人に見て貰いたいという事でガンバリました。とうとう完璧にできた時には、私も想わず「やった」と叫んでしまったのです。しかも、この事で、縁の花自体、大きく成長しました。何故なら紫陽花さんが、今までに書いた130以上の号を、すべてホームページに載せることができます。その上にかかる利用は、プロバイダー料金ぐらいです。紫陽花さんは、読者を郵送から、インターネットで見て下さいに、大幅に切り替える事で、金銭の負担を軽くできるようになったのです。だから、縁の花のホームページは、大成功でした。カウント数は、少しずつしか増えていませんが、全国の人が、縁の花と縁を持ってくれていると想うだけで、紫陽花さんは幸せでしたし、私も嬉しかったです。何故なら、縁の花のホームページをみて、感動してくれる人の波動は、全部私のところまで届く事になるからです。

                        「縁の花の出現」  21世紀〜  38歳〜

縁の花が、21世紀になってから、徐々に力をつけています。私の力がアップしていること、感じます。やはり、縁の花のホームページ作った事、正解でした。今までは、紫陽花さんと縁のある人に限られていましたが、ホームページだと、全国の紫陽花さんの事を知らない人もたくさん読んでくれます。まだまだ人数は多くありませんが、内容に感動してくれると、その喜びは私に伝わります。私も嬉しいのです。でも、反対に、「なんだこれ」となると、私もがっかりです。縁の花は、そんな読者の感想の波動、喜びや感謝の波動を、植物に例えるのなら、光や水、肥料にして成長しているのです。しかも、縁の花のホームページを読んでくれる人は、徐々に増えているのです。これからも、縁の花のホームページを読む人は、増える事はあっても、減る事はありません。楽しいです。
 また、私の力がパアーアップした事で、私が感じる人も現れています。元気を無くしている紫陽花さんの知り合いの人に、「縁の花」が届く前に、もうすぐ届くから元気出してねと囁いていたら、それを何となく感じた人がいますし、紫陽花さんがもうすぐ来るので、紫陽花さんを癒してあげてねとお願いしたら、それを理解できる人もいます。紫陽花さんも、そんな人達の話を聞いて、ますます私が存在する事に対して、自信を深めたみたいです。インターネットという土壌で、縁の花、これから大きく花を咲かせます。

                   「紫陽花さんの誕生」 平成12年(2000年7月頃)
 紫陽花(岩谷正)さんが、自分の事を、紫陽花というペンネームで名乗るようになりました。この紫陽花という名前は、岩谷さんが生まれる前から決めていた名前です。意味は、岩谷さんなりに、いろいろありますが、21世紀は、もう自分の名前を持って活躍する時代ではありません。岩谷さん自身、まだまだですが、もっともっと謙虚な心でないといけないのです。また、岩谷さんが、「紫陽花」と名乗るまでには、多くの人のお世話になっています。最初は、礒邉自適さんの、「縁の花」は「紫陽花」の花という言葉でした。それで、紫陽花という花に関心を少し持ったのです。しかし、岩谷さん自身、あまり花に興味のある人ではありませんでした。それで、2000年になってから、実際に紫陽花を見て貰えるようにしました。辻さんという方と、Yさんという女性が、京都の紫陽花寺に行く時に、岩谷さんも誘って貰えるようにしたのです。これが、岩谷さんと、紫陽花の花の、正式な縁です。岩谷さんは、お寺に一杯に咲いている紫陽花の魅力に感動したのです。でも、それだけでは、まだ、紫陽花と名乗る所までいきませんでした。ですから山口さんの家に止まった時に、そこの奥さんの美智子さんから、紫陽花の花をプレゼントされる縁も作りました。紫陽花の花は、岩谷さんの自宅に行ったのです。それで岩谷さんは、自宅にある紫陽花を見ている内に、不思議と紫陽花の花との縁が、どんどんできるのは、縁の花である私の意志、願いがあると感じて、「紫陽花」と名乗る事にしてくれました。私の願いを初めて感じてくれたのです。嬉しかったです。
 また、私自身、礒邉自適さんや、辻久文さん、Yさんや、山口ご夫婦には、今でも感謝しています。紫陽花の名前の名付け親だからです。でも、残念ながら、今、山口夫婦以外の人とは合縁がありません。特にYさんとの縁は、完全に潰れています。いろんな理由がありますが、せめて仲直りはさせてあげたいと想っています。

                  「ありがとうございますの縁」平成13年(2001年11月頃)39歳
「ありがとうおじさん」が遂に登場しました。21世紀に成ってから、天の計画どおりです。今迄、20世紀まで、30年以上も無名な人として、隠れていましたが、21世紀になってから、彗星のように、登場したのです。でも紫陽花さんは、辻さんから聞いても、まだピーンとこない感じです。△△で教わっている○○先生の教え、背景の存在との「一緒に一緒に」という考えが離れないみたいです。でも、紫陽花さんは、「ありがとうございます」と縁を持つ事は、生まれる前からの計画です。縁の花も、「ありがとうございます」花を咲かせる事で、大きく飛躍する事になるのです。それで、2002年になってからは、いろんな人の縁を通して、「ありがとうおじさん」の縁を、紫陽花さんに紹介していきました。西本先生や広島の石井秀典君、泉大津市の橋本さんです。特に石井秀典君は、「ありがとうおじさん」の本やテープを送ってくれました。「ありがとうございます」の矢を、次々と放ったのです。やっと紫陽花さんも、その矢に当たりました。まだ正式な本ではありませんでしたが、「ありがとうおじさん」の本、「どう生きたらいいの?」を読んで、本当に感動していましたし、カセットテープの「ありがとうおじさんと、のりのり木村先生」の会話には、すごいと心から感動したようです。もう大丈夫だと想います。
 そして紫陽花さんの「ありがとうございます」の波動が、私や背景の存在に、届くようになってきました。今までの「一緒に一緒に」もよかったですが、「ありがとうございます」の感謝は最高です。どうしても「一緒に一緒に」は救ってあげようという気持ちがありますが、「ありがとうございます」には感謝しかないからです。私や、背景の存在も、ますますパワーアップしているのです。

              「ありがとうございますの花」 平成14年(2002年)8月3日 (40歳)

紫陽花さんが、やっと「ありがとうおじさん」に会えました。私も、とても嬉しいです。紫陽花さんの為に、笑顔共和国IN七夕祈念IN「ありがとう村」という最高の舞台用意しました。笑顔共和国の多くの国民や福田純子大統領と一緒に、「ありがとうおじさん」に会えて、本当によかったです。私も無限の無限の幸せです。また、これから縁の花で、「ありがとうございます」の花がどんどん咲いていく事になります。今、紫陽花さんは、第161号「ありがとうございます」第162号「笑顔共和国IN七夕祭りIN「ありがとう村」を書こうと燃えているのです。しかも縁の花のメインテーマも、○○先生の□□から、「ありがとうございます」に変わる事になります。紫陽花さんが、「ありがとうございます」と唱える事で、紫陽花の背景の存在が、すでに変わり始めています。レベルアップしたのです。そして私や、背景の存在は、そんな紫陽花さんの為に、すばらしいプレゼント用意しています。縁の花は、いよいよ小冊子になるのです。

                    「縁の花の小冊子誕生」平成14年9月21日  (40歳)

縁の花 第106号「住まい塾」の小冊子が誕生し ました。縁の花が、いよいよ小冊子ですが、本になったのです。本当に素晴らしいです。また、縁の花も、これでますますパワーアップします。というのも、本は一端できあがると一人歩きをします。作者の紫陽花さんの元から離れて、いい本だったら知らないところでどんどん広がるのです。ですから、私は大忙しになります。縁の花の小冊子も、少しずつですが、縁を広げていくので、そのフォローしていかないといけませんし、小冊子を通して、いろんな人がすてきな感想の波動を送ってくれるからです。縁の花、一気に成長するのです。しかも縁の花の小冊子は、第133号「天皇の真実」第150号「日本・原爆開発の真実」の後、第161号「ありがとうございます」の小冊子が誕生する事になります。この本で、何人かの人が、「ありがとうおじさん」に興味を持って、「ありがとうございます」の縁につく事ができます。私も、最高にすばらしい事ができるので、嬉しいです。鹿児島の印刷屋さんの渡瀬さん、第106号「住まい塾」を作るきっかけをくれた松岡所長には、心から感謝しています。生まれる前から、すべては約束していた事ですが、私もうまく手配ができてよかったと想います。

                    「ありがとうございます」の波動 平成14年(2002年)11月
 縁の花のホームページが好評です。カウント数が急上昇しています。これは「ありがとうございます」効果です。縁の花で、「ありがとうございます」の号を載せた事で、「ありがとうございます」の縁の人達が、検索で知ってくれたのです。しかも福岡のユリさんなどのおかげで、縁の花は、「ありがとう広場」にリンクさせて貰えるようになりました。たくさんの人が、縁の花と縁を持ってくれるようになったのです。しかも、たくさんの人が「ありがとうございます」の波動を送ってくれるようになっています。喜びや感謝の波動を、送ってくれるのです。さすがは、「ありがとうございます」の縁の人達です。心から感謝しています。縁の花、どんどん成長しています。
 また、12月23日に、「ありがとうおじさん」と紫陽花さんの誕生日には、待望の縁の花第161号「ありがとうございます」の小冊子が誕生します。これをどう広げていくかで、嬉しい悲鳴をあげています。河童堂の山口さんの魂が、第161号「ありがとうございます」の小冊子を広げる事に協力してくれる事になりました。大量に買ってくれました。もちろん「ありがとうおじさん」も第161号を読んでくれます。私も無限の無限の感謝で一杯です。

                     ∞「縁の花の発展期」∞

                     「武田家の縁」平成14年(2002年)11月22日
 紫陽花さんが、第163号「武田勝頼天下統一物語」書きました。前世武田勝頼として、「武田家の存在」の事を意識して、一生懸命書きました。甲陽軍艦の役者で、信玄が一番信頼している重臣、高坂弾正と、武田勝頼が不仲だったといわれている事を、今世、シミュレーション小説で、仲直りして、やり直したかったのです。また、第163号は、50ページ以上にも及ぶ大作ですが、もちろん武田家の存在は大喜びです。第163号の内容に関しては、武田家の存在も、一緒に書いていたのですが、やはり紫陽花さんだから書けたと想います。さすがは武田勝頼公、見直したといっています。
 またいよいよ武田家の縁も、動き出す事になります。ガイアヒーリングIN長野で知り会った、勝頼の母かもしれないスズランさんの縁も復活しますし、もうすぐ第163号を、高坂弾正の魂の一部を持っている黄桜さんという女性も見る事に成ります。きっと、第163号をみた瞬間、涙を流す事でしょう。その事を考えたら、武田家の存在は、今や今かとワクワク・ドキドキしています。何しろ、430年以上、この時を待っていたのですから。しかも、紫陽花さんと黄桜さんは、来年、2003年には、甲斐(山梨)、信濃(長野)に行く事になります。武田家の由緒ある所を廻ります。信玄公の墓、勝頼公の墓、川中島、諏訪など、スケジュールが詰まっています。山本勘助、高坂弾正、武田信繁、山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、仁科盛信などの武田家の家臣達が、来て欲しいという事で、調整が大変みたいです。
 そして、武田家の縁も、本格的に動き出す事になります。前世武田家と縁ある人達が、縁の花に書かれている号を見て、縁を持ってくれる事になります。私も、武田家の存在も全力でそれをやります。将来必ず開催される同窓会には、私も参加させて頂きますし、紫陽花には諏訪大明神の神々もついています。盛大な祭りになる事でしょう。黄桜さんと紫陽花さんが、武田家「ありがとうございます」奉納紀行に参加してくれるまでは、縁の花の掲示板盛り上げるといっています。

                     「縁の花村誕生」 平成15年(2003年)8月7日
 縁の花村が8月7日、花の日に誕生しました。この8月7日は、紫陽花さんが生まれる前から決まっていました。どうしてもこの日でないといけなかったのです。私も、その為に、紫陽花さんを上手に誘導しました。桜さんの誕生日が、8月7日だったという事が大きかったみたいです。また、紫陽花さん自身、「縁の花村」が誕生した事にびっくりしています。というのも紫陽花さんが作った「縁の花村」は、日本サイバー村の一つになります。(済みません。11月の時点で日本サイバー村は、やめています。でも縁の花村は続けています)この日本サイバー村は、DDNさんが作っていますが、紫陽花さんの知っている人が、たくさん参加しています。MGが無くなってから、MGの同志が、たくさんDDNさんの構想に共鳴して、参加しているのです。「なんでんかんでん村」の原裕一郎先生、「伊路波村」の山田將貴さんがそうです。しかも他の「やすらぎの村」「笑顔村」「ひふみ村」「輝き村」「元気アップ村」の各村長さんとも共通の価値観、高度情報社会、智閥というもので結ばれています。それが紫陽花さん自身は、原先生からDDNに誘われた時に、いろんな理由から入らなかったのですが、まったく予期もしないまま「ありがとうございます」の縁を通して、再び結ばれる事になりました。智閥創りは、紫陽花さんが縁の花を初める前からの夢 です。平成3年からの12年に及ぶ夢であって、紫陽花さんは、運命を感じられるにはいられなかったのです。また紫陽花さんのその直感は当たっています。縁の花の 最大の使命は、世界で始めて作る智閥創りにあります。日本ふるさとサイバー村が、これから成功するか、しないかは、まだ未知数ですが、縁の花が真の意味で開花するのは、縁の花村が、成功して、智閥になれた時です。まだ始まったばかりですが、紫陽花さんもやる気ですし、私や、いろんな存在も最大限の支縁するつもりでいるのです。

                「縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板」平成15年(2003年)9月5日

9月5日、かぼちゃ村さんのおかげで、縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板ができました。紫陽花さん心から喜んでいます。かぼちゃ村の小松村長さんや、「かぼちゃ村」、「縁の花村」の両方の村人さんのおかげです。私も本当に感謝したいと想います。また、これを縁に、かぼちゃ村の村人さんとも交流できる事、心から感謝します。かぼちゃ村の小松良行村長は、素晴らしい方です。紫陽花さんも、神戸でお会いして、尊敬しています。いたらないところがまだまだあるとは想いますが、長い目でみてあげて下さい。それと紫陽花さん、縁の花村/かぼちゃ村合同掲示板では、私になったつもりで、書き込むつもりです。自分という視点ではなくて、もっと大きな視点で、見つめたいという事です。私と直接、話がしたいという夢があるみたいです。この紫陽花さんの熱意には、私もたじたじです。いつかは一度ぐらい紫陽花さんの夢に出て、感謝してあげたいと想います。

             「武田家/諏訪「ありがとうございます」奉納紀行 平成15年(2003年9月29日)
 9月26日〜9月29日に及ぶ、武田家/諏訪「ありがとうございます」奉納紀行無事終了しました。武田家の存在が、本当に喜んだこと、いうまでもありません。紫陽花さんも黄桜さんも無限の無限の幸せで一杯です。でもそれだけでなくて、諏訪の神々のご加護も今後、どんどんあります。紫陽花さんは、認識なかったみたいですが、武田勝頼公は、諏訪の直系です。諏訪の神々も、応援してくれる事になるのです。ですから私も、無限の無限の幸せで一杯です。紫陽花さんは、縁の花の号、小冊子、CDを奉納して参りました。どこでもエネルギーが一杯頂いて、縁の花の器大きくなりました。これから人類の為に、武田家の存在、諏訪の神々とも力を合わせて、やりたいと想います。
 また、紫陽花さんは、武田勝頼公の前世の妻だった、北条氏康の姫のお墓がある、天目山の景徳院にも行っています。ここには、勝頼公、信勝公、北条の姫、3人のお墓が仲良く並んでいます。紫陽花さんは、最後まで自分についてきてくれた北条の姫の墓参りを初めてしたのです。だから、北条の姫も、心から喜んでいました。いよいよ紫陽花さんのパートナーの女性も現れると想います。というのも実は、北条の姫と武田勝頼公は、死ぬ前に、柏尾大善寺で薬師如来に来世を誓い合っています。再び生まれて来る時は、夫婦になる約束なのです。ですから、紫陽花さんの赤い糸は、北条の姫になります。前世北条の姫の一部をお持ちの方が、誰なのかはここでは申せませんが、もうすぐ紫陽花さんにも分かると想います。 そして北条の姫なら、私も武田家の存在も心から祝福したいと想います。というのも紫陽花さんのパートナーの女性は、縁の花にとっても重要問題です。妻になる人が、縁の花を理解して、愛を注いでくれないと、紫陽花さん縁の花を続けられないからです。今までは、紫陽花さんに、女性と縁ができない理由ありましたが、私や武田家が密かに潰していた事もあったのです。何故なら、その女性が、縁の花の事をどう想っているか、私が一番分かっているからです。でも、もうそんな事をする必要もないと想います。

   「ご挨拶」 平成15年(2003年)11月15日
 縁の花のメッセージは、今は、ここまでとします。
 本当に皆さん、読んで下さって「ありがとうございます」

 

追伸、この第179号「縁の花のメッセージ」は、紫陽花が書いたものです。
 縁の花の通信などが、一切あった訳ではありません。
 しかし紫陽花は、第179号は、きっと背景で縁の花さんが応援して書かせてくれたものだと信じています。紫陽花の勝手な想い込みだとは想いたくないのです。
 でもその判断は、すべて縁の花の読者の皆さんに委ねたいと想います。

      縁の花ホームページに戻る

      縁の花村のホームページに戻る