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       縁の花

       (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

              第185号

    大東亜戦争かく戦いえり

     ∞『英霊達に「ありがとうございます」』∞

 縁の花は、2012年12月23日に、人類が縁を持つという「フォトン・ベルト」に向けて、驀進しています。

 その時に、アセンション「次元上昇」が本当に起こるのか、どうかはまだ断言できませんが、「なんでんかんでん村」の原裕一郎村長やM総合研究所の森所長も、熱心にこの問題については取り上げていますし、縁の花の読者で信じている人も多いです。

しかもユダヤ問題の宇野正美先生も取り上げています。

 紫陽花としても、長年、ノストラダムスの予言や聖書の予言、日月神示などを勉強してきたので、「フォトン・ベルト」によって「アセンション」が起こる可能性は高いと想っています。

 2012年12月23日の紫陽花の誕生日は、ずっと縁の花の活動をしてきた集大成の日になるという気がしているのです。

 また紫陽花が、無事に「アセンション」ができるか、どうかの自信は、正直ありませんが、縁の花の皆さんと一緒に「アセンション」して、早く超人になりたいと想います。

 テレパシーを使え、病気や食べ物の心配をしなくていいなんてまるで夢のようです。

 是非、そんな5次元に次元上昇した地球に住みたいと想います。

 きっと、縁の花の読者の人と、テレパシーで繋がるので、すごい絆が持てると想うのです。

 しかし、ここで紫陽花には、一つ素朴な疑問があります。

 今、生きている人間は、聖書で書かれているように、「フォトン・ベルト」などによって、選別されて、生き残る人が、3分の1、次元上昇にたいようできずに死んでしまう人が、3分の2だという事は理解できるのですが、それでは、肉体を持っていない霊達は、どうなるのだろうということです。

 霊達も、ちゃんとアセンションして、新しい地球で住む事ができるのだろうかと考えたら、紫陽花は、難しいと思います。

多くの霊達は、悲しみや憎しみ、怒り、空しさなどのいろんな想いを持っている為に、霊界に帰れずに、今、現世に留まっているのですから、その想いを消さない限り、アセンションはできずに、地球以外の惑星で、もう一度、勉強しなおす事になると想うのです。

とても残念ですが、生まれ変わって、一からやり直す事になるのです。

でも、紫陽花は、霊達の殆どは、そういった事を望んでいないと想います。

自分達もアセンションして、新しい地球に住みたがっていると想います。

いえ、「フォトン・ベルト」に関する事も、今の人類よりももっと分かっていて、何とか、自分達も一緒に、「アセンション」したいと望んでいるような気がします。

自分達はもうすぐ取り残されるのではないかという事で、空しさや、悲しみなどの焦りを持っている霊がいる気がするのです。

だから紫陽花としては、今、生きているだけでなく、霊などの目に見えない存在さんも、一緒に「アセンション」できるようにしたいと想っています。

今、生きている人達は、「なんでんかんでん村」や、フォトン・ベルトに関して書き込んでいる多くの「本当のサイト」の仲間に任せて、縁の花は、目に見えない存在が、アセンションできるお手伝いをしたいです。

それが縁の花の特長であり、縁の花の使命の一つでもあると確信しているのです。

しかし、ではどうしたら、目に見えない存在をアセンションしてあげられるかといっても、紫陽花自身、分かっていません。

紫陽花は祈祷師ではありませんし、祝詞もあげる事もできません。

霊を感じる霊媒師でもない、ごく普通の人なのです。

ただ、紫陽花は紫陽花なりに、この何年間で、いろんな事を天から教わっています。

その一つは、目に見えない存在は、リングの映画や霊を扱う多くのテレビドラマ放送されているような、怖いと恐れる存在ではなくて、心から愛してあげる存在だという事ですし、もう一つは、一緒にアセンションしようと意識してあげることが大切だという事です。

また、目に見えない存在が、霊界に帰れないのは、いろんな想いを持っているからなので、それを「ありがとうございます」などの感謝で消してあげる事がもっとも重要だという事です。

そうすれば、紫陽花の背景で縁を持っている存在は、紫陽花がアセンションできた時に一緒にアセンションできるのではないか、紫陽花はそう想っています。

いえ反対に、紫陽花がアセンションできるように霊達が力を貸してくれると信じたいのです。

そしてその為に、紫陽花としては、今までにやってきた、前世に関係がある武田家の存在や、本当に心から感謝している大東亜戦争で亡くなった存在や、何よりも、紫陽花の背景にいる存在に関しては、今迄以上にできるかぎりの事はしてあげたいと願っています。

皆さんに、それを具体的にいえば、縁の花を通して、武田家の存在や、大東亜戦争で亡くなった人達の存在の事は、これからも書いていきたいと思います。

第54号「武田家の天下取り」第163号「武田勝頼の天下取り物語」や第123号「太平洋戦争済度」で書いたように、彼らが持っているいろんな想いを、紫陽花が「ありがとうございます」の気持ちで書く事で感謝に変えてあげたいのです。

また、それだけでなく、第177号『武田家/諏訪神々「ありがとうございます」奉納紀行』で書いたように、黄桜さんや葉桜さんと、たまには信濃・甲斐などの武田家と縁有る土地にも、武田勝頼として訪ねたいと思いますし、大東亜戦争の英霊達に対しては、新井信介先生や、河内正臣先生などの多くの本当の人達と、協力して、英霊達の名誉を回復してあげたいです。

新井信介先生がいっているように、日本だけでなく、韓国、中国、アセアン、インド、中東諸国も捲き込んで、共通のアジア史を作り、大東亜戦争に関しても、良いところは良い、悪い所は悪い事と、歴史的な事実として認め、英霊達が果たした、亜細亜諸国の植民地の解放というその功績は、世界で認めて貰えるようにしたいです。

「大東亜戦争でなくなった人達のおかげで、アジアは、植民地や人種差別から解放される大きなスタートがきれました。ありがとうございます」とアジアの人達に、感謝して貰えるようにしたいのです。

 是非、皆さんもお力をお貸し下さい。

 お願いします。

 では、早速、今から、どこまで書けるか分かりませんが、大東亜戦争で亡くなった霊達の事を想って、書きたいと思います。

 

        ∞「日中戦争かく戦いえり」∞

日中戦争は、1937年(昭和12年)7月7日、北京の南部の盧溝橋(ろこうきょうはし)で起きた発砲事件が発端となりました。

日本でいう支那事変ですが、これを奇貨として、日本の軍部は、中国に攻め込んで、蒋介石率いる中華民国と戦った長い戦争の事を、日中戦争と言います。

しかし、この戦争自体は、真珠湾攻撃から始まった、日米戦争のようには、遺憾ながら日本では知られていません。

しかも、謎が多いです。

発砲事件に関しても、当事者になる日本軍も、中国軍も起こした訳ではなくて、共産党が、仕掛けたのではないかといわれています。

中華民国の目が自分達に向っているのを恐れた共産党が、日本軍に、中国軍が発砲したように仕向けたのではないかと言われているのです。

それで、日本軍が打ち返した事によって日中戦争は起きたのです。

要するに、日本と中華民国を戦わせて、漁夫の利を狙ったのです。

また、日中戦争自体も不幸な事だと想います。

日本にしろ、中華民国にしろ、戦争をする意志はまったくなかったからです。

時の内閣、近衛内閣が、陸軍の強硬派の主張を受け付けなかったら、戦争は十分回避できました。

両国の出先機関の不拡大方針で11日、停戦協定が成立していたからです。

本来は、偶発的な事件という事で、終わるはずだったのです。

だけど、残念ながら、歴史はそうならず、日本は、中国との泥沼の長い戦いに引きずりこまれてしまいます。

緒戦は、圧倒的に日本軍の勝利で、華北、華中と占領していきますが、国民政府は、武漢から重慶に拠点を移すと、ゲリラ戦を展開し、日本軍は、息詰まってしまいます。

奥が深い中国を攻めきる事は不可能で、日本軍は、膨大な土地を占領しましたが、実際は駐屯地とその交通路である、点と線を維持するのがやっとで、戦争自体を終わらせるのは不可能になってしまいます。

結局、日中戦争は、中国を支援している欧米諸国と戦う、太平洋戦争を招く大きな原因になり、終わったのは、終戦による日本の降伏後になります。

この8年間、日本国民は、戦争によって、耐乏生活をしいられてしまう事になるのです。

しかも、中国において、1〜2千万にも死者を出す事によって、未曽有の惨事を与える事にもなりました。

今から考えても、この日中戦争は、絶対にしてはいけない戦争だったのです。

また、題名に「日中戦争かく戦いえり」という事ですが、紫陽花自身、矛盾するようですが、中国とは戦うつもりはありませんし、それが日本の英霊達も意志でもある気がします。

中国に関しては、ただ申し訳ないという気持ちで一杯だと想いますし、この時、こう戦っていたらというシミュレーション、メッセージも、英霊達から紫陽花に一つも入ってきていません。

入ってくるのは、この時にこうしたら、日中戦争は避けられた。

こうしたら戦争を止められたというものばかりです。

だって大体、冷静に考えたら、中国との戦争で、膨大な予算と、日本陸軍の巨大な100万人を派遣したままで、米英両国と戦って、勝てるはずがありません。

日中戦争は、早く止めないといけなかったのです。

しかし紫陽花は、全面的に日本人が悪いというつもりはありません。

尊敬する本宮ひろ志さんは、今、書いている「国が燃える」という漫画で、この当時の事を書いています。

日本人全体が欲望という大きな魔に取り付かれていたのは事実ですが、仕方がない面も多いです。

何故なら、あの当時の世界は、今とはまったく違った弱肉強食の時代で、亜細亜諸国は、日本以外の国の殆どは、欧米の植民地でした。

亜細亜では、日本、タイ、ネパールの3ヶ国、アフリカではエチオピアの1ヵ国ですが、実質、独立していたのは日本だけだったのです。

その中で、1929年に世界恐慌が起こり、日本も、経済的に大混乱しました。

特に農村は、農地改革がされていないままで、地主に支配されていて、貧窮していました。

日本の農民には、アメリカの日系移民の排除などで分かるように、何の障害もなくて、多くの人が移住できる広い国土が必要だったのです。

それで、それを打開する為に、1931年に満州事変を起こして、殖民国家、満州国を樹立しました。

今の日本では、満州事変は、もちろん関東軍が仕掛けた謀略なので、絶対に間違っていたと教育されていますが、狭い国土に、1億人ちかくが住んでいた日本人は、一度広い土地を見てしまうと、それを支配する欲望にかられました。

特に満州にいた関東軍は、膨張戦略を取る事で、恐慌を打破する誘惑を捨てる事ができなかったのです。

軍部だけでなく、日本人全体が欲望に支配されていて、知らず知らずの内に、傲慢になっていたのです。

でも、その反面無理もない面も多かったです。

まず、あの当時の中国は、今のように統一されておらず、いろんな軍閥がありました。

ばらばらで、一つの国に統一していなかったのです。

その上で、共産党とも争い、イギリスなどの欧米に支配されている地域も多かったです。

日本だけでなく、欧米の目は、唯一植民地が広げられる地域である中国を向けられ、虎視眈々と狙っており、中国は、ほっておいたらますます欧米の食い物になりそうだったのです。

しかも、あの当時の中国には、日本が恐れるソ連の脅威を撥ね付ける力はまったくありませんでしたし、反日運動で、日本人に危害が及んでも、止めさせようともしませんでした。

そんな力はなったのです。

それで、日本人の多くが、反日の中国人に殺されています。

残念ながら、そういった問題で、中華民国と話し合いで問題を解決する事はなかなかできなかったのです。

だから、今の統一された中国であれば、話し合う事も可能だったと想いますが、あの当時、日本が、日露戦争によって、多くの英霊の犠牲によって得た満州鉄道などの利権を守る事は難しかったです。

いい訳になりますが、日本が中国を侵略してしまった理由は、日本人だけでなく、ずっと混乱している中国人にもあったのです。

しかし、非はやはり日本人の方にあると紫陽花は想っていますし、英霊達もそう想っているはずです。

日本が、中国を侵略したのは事実ですから、反省して、詫びないといけないです。

今から考えれば、満州国までにして、日本は、中国をどんな事があっても、侵略戦争をすべきではなかったと想いますし、もっとその事は、今も日本人として反省する必要はあると想うのです。

いえ、今から考えたら、何があってもじっと我慢して、日本は満州国さえ作るべきではなかったと想います。

少なくても「満州国」の理念、日本・朝鮮・満州・蒙古・支那の五民族が協力して平和な国造りをする「「五族協和」と、アジア的理想政治体制(王道 ←→覇道)に基づいて理想国家(楽土)を建設する「王道楽土」を、一部の人ではなくて、日本人が全体が、本気で実現させる意志がなかったら、建国すべきではなかったのです。

また、では次に、肝心な本題の「日中戦争」をどうしたら止める事ができたかですが、まず絶対にやらないという意志を、日本の政府や、軍部が強く持っているべきだったと想います。

満州事変を実行した石原莞爾でさえ反対していたように、日本は中国と戦争を仕掛けても、中国軍に撤退されたら完全に勝てる見込みはなかった以上、中国を侵略しないという明確の意思を持つべきでした。

関東軍の中には、中国の華北分離工作、華北地方を第二の満州国化しようとした軍人がいて、盧溝橋の事件をきっかけにして、従来の懸案を一気に解決しようと強硬に華北派兵の決意を表明しましたが、言語道断です。

あの当時の政府や軍部に、中国に対する明確な戦略があったら、盧溝橋の事件のような事は起きなかったし、起きてもすぐに対処できたはずです。

紫陽花は、その時の日本の指導者、政治家や軍部の人達の罪は大きいと想います。

けれど、そうはなりませんでした。

満州を得ても、景気が良かったのは一時で、後は、膨大な満州国に対する投資や、イギリスなどのプロック経済が形成された事によって、日本経済は、一向によくならなかったからです。

悪いのは、内外の矛盾を打開する方策として、より一層の大陸への進出しようとした、欲望に走った日本人全体が悪いと想うのです。

そしてそれが不幸にしてできず、日中戦争が始まっても、泥沼に入ったと判断した所で、中国からどんな事があっても撤退すべきでした。

個人的には、占領する地域を、中国の沿岸地域に限って、すべての港を押さえて、内陸部には一切入らないという方法も面白いとは想いますが、英米のビルマルートがあったので、中華民国が降参する事はなかったと想います。

でも沿岸部だけに限定していたら、蒋介石も困ったはずです。

交渉で新たな利権を得て、停戦する事は十分に可能だったと想うのです。

しかも、中華民国には、日本よりももっと深刻な中国共産党という敵がいました。

日本が、中国から撤退すれば、日本軍と戦うという事で一致している中華民国と共産党の国共合作に亀裂が起こる事は明白でした。

日本軍が、中国から撤退して、中華民国を援助するといえば、蒋介石は、日中戦争の停戦に応じる可能性は高かったです。

そうすれば、多くの専門家が予想するように、日本軍は、中国との泥沼の戦争をせずにすんで、膨大な予算を日本軍の近代化にむける事ができました。

大きな人的資源も無駄にする事もなかったのです。

でも、残念ながら、日本軍は、日中戦争を停戦する事ができず、中国に対して負けてはいないのに、連合軍に降伏した事で、満州国を含めてすべての無くしてしまう事になります。

最後のチャンスであった、米国のハル国務長官が出した、ハル・ノート、最後通牒を逆に利用して、米国の外圧の力で、中国との戦争を止める方法もありましたが、そんな優れた決断ができる指導者は日本にはいませんでした。

米国と戦っても勝てる見込みはないと言って、中国からの撤退を軍部に迫れば、十分に可能でした。

米国も、そんな日本に対して、米国内の戦争回避の世論もあって、満州からの撤退までは強引に求めない事は予想できたからです。

しかし、欲望を捨てる事ができない日本は、最後のチャンスも活かす事ができませんでした。

紫陽花自身、今でもとても残念ですし、多くの英霊達も後悔していると想います。

中国との戦争はしたくなかったし、南京虐殺のような事はしていないが、戦争とは言え、いろんな残酷な事もして申し訳なかったと想っていると想います。

中国の霊達に対しては、紫陽花からも、今、ここで心からお詫びをして謝りたいと想います。

やはり、中国や朝鮮に対しては、近代化できないかとばかにするのではなく、亜細亜の同朋として、領土を得るのではなく、独立を手助けしてあげるべきだったのです。

本当に御免なさい。

           ∞「日英戦争かく戦いえり」∞

日中戦争と同じように、日英戦争も、戦争自体は、絶対にいけない事なので、するべきではなかったと想いますが、紫陽花自身、日英戦争は歴史的にみれば、亜細亜の為に必要であって、必要悪の戦争だったと想います。

もし、その事を非難する亜細亜の人がいたら、紫陽花は、日本が、太平洋戦争をせずにいたら亜細亜諸国はどうなっていたか考えて欲しいといいたいです。

亜細亜諸国で、独立した国があったでしょうか。

もちろん歴史が、どうなったか、誰にも分かりませんし、時代の趨勢で考えたら、亜細亜諸国は、独立できた可能性も大きいと想います。

植民地から富を奪略する時代ではなくなっていたからです。

しかし、亜細亜諸国は、日本が敗北した後で、独立戦争で起こして、植民地にしていた国を完全に追い出すような事はできなかったと想います。

今も、植民地にしていた英国、フランス、オランダなどの植民地にした国々に、経済的に支配されて、独立は名前だけで自立はできなかったかもしれません。

英国と米国は、亜細亜の市場の獲得を目指して、対決する事によって、話し合いで、独立を得る事ができても、真の独立は難しいのではないかと考えるのです。

何故なら、一番の課題である、亜細亜諸国の黄色人種は、白人にはかなわないと言う意識を捨てる事はできなかったからです。

400年ちかくずっと植民地にされた亜細亜諸国の人達の中には、決して白人と戦っても、自分達は劣っているから負けてしまうという意識を捨てる事はできなかったのです。

けれど、そんな意識は、日本が太平洋戦争に突入すると、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ビルマ、フィリピン諸国を、あっという間に占領した事で、解消されました。

黄色い肌を持った、同じ顔をしている日本人が、目の前で、白人を見事に打ち負かし、捕虜となった惨めな白人を見る事で、初めて、亜細亜諸国の人達も自分達でもやれるのではないかと想ったからです。

これが、本当に亜細亜諸国の人達にとって、大きかったといわれているのです。

だって、日露戦争で、初めて、黄色人種である日本人が、白人の国であるロシアを破りましたが、なかなか亜細亜諸国の人達の中には、実感できませんでした。

ニュースや噂で知って、歓喜したとしても、黄色人種は、白人に劣っていないという実感まではわきませんでした。

テレビもなかった時代、実際に目の前で見る事でしか、実感がわかなかったのです。

だから紫陽花は、日本と英国や、オランダとの日英戦争や日欄戦争は、必要だったのかもしれないと想います。

亜細亜諸国の人達だけでなく、白人の人達にとっても、日本にあっけなく敗れた事で、初めて、黄色人種は自分達よりも劣っているという人種差別の意識を捨てる事ができたからです。

人間は、しょせん殴りあって、痛い目にあわないと分からないと想うのです。

しかし、ここで忘れてはいけないのは、あの当時の日本が、亜細亜諸国の植民地からの解放を本気で目指して戦ったという訳ではない事です。

いえ、日本人の多くの人、軍人でも末端の多くの人達は、亜細亜の曙、亜細亜諸国の開放の為に戦いました。

大東亜協栄圏の確立、日本の国は、そういって国民を、戦争に駆り立てたからです。

でも、本当の所は、そんな綺麗なものではありません。

日中戦争で言えば、欧米が中国を援助する為に、ビルマから軍事物質を流していたのを排除したかったからですし、もっと大局的な目でいえば、外交的に世界から孤立していて、米国を中心としたABCD包囲網によって、何の資源も入ってこないところまで追い詰められたからです。

日本は、何も資源のない国で、石油や鉄鉱石、ゴムなどの資源の多くを輸入しないと生きていけない国ですが、それを米国、英国、中国、オランダによって売って貰えなくなったのです。

それで、仕方なく戦ったというのが、真相なのです。

決して日本は、亜細亜諸国の独立の為に戦ったという訳ではないのです。

だから、今回のテーマである「日英戦争かく戦いえり」でいえば、日本は、本気で、植民地解放と、人種差別の解消を目指して戦っていたらという事が、一番のシミュレーションになります。

紫陽花は、多くの末端の日本人、英霊達は、その為に戦っただけに、指導者の軍人や政治家にその意識がなかった事が、本当に悔しくて仕方がありません。

何故なら、多くの専門家が指摘するように、もし、日本が、占領した、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ビルマ、ベトナムなどの国を、現地の人に任せて、さっさと撤退していたら、亜細亜の人達が見る日本人の印象は、完全に変わったからです。

だって最初は、日本軍は、亜細亜諸国から解放軍として見られて、現地の人達に協力して貰えましたが、4年後は、占領軍として見られて、フィリピンなどでは、抵抗されていました。

紫陽花は、それがとても残念です。

日本が、見せかけでなくて、本気で植民地解放と人種差別の廃止を掲げて戦っていたら、例え戦争で敗れたとしても、日本は、亜細亜諸国を植民地から解放してくれた恩人という事になります。

英霊達は、亜細亜の為に戦ってくれた恩人という事で、今も尊敬されて、本号の最大の目的「ありがとうございます」になっていたと想うのです。

でも、歴史はそうはなりませんでした。

中国や韓国以外の国では、日本が、戦争をして、欧米の国を一端追い出してくれた事が、自分達が独立できた大きな原因だとは認識してくれていますが、日本が、欧米の代わりに占領したままだった事で、日本は解放者だとは見てくれていないからです。

あの時に、どうせ負ける事が分かっているのだったら、日本の指導者は、早く、亜細亜諸国から撤退して、その軍を、太平洋戦争の戦いに振り向けるべきだったのです。

 また、もう一つの大きなシミュレーションとして、英国、オランダとは、堂々と戦争布告をして、戦争をしても、米国とは戦ってはいけなかったという事もあります。

 日本は、米国と戦う必要はなかったのです。

 何故なら、歴史的な事実として分かっていた事ですが、米国のルーズベルト大統領は、戦争をしたがっていましたが、米国国民は、戦争に反対でした。

 民主主義国の米国では、国民の意見を無視して、戦争をする事はできません。

 米国から日本に戦争を仕掛ける事は、絶対できなかったのです。

 だから日本は、資源などを押さえる為に、戦争を仕向ける米国を無視して、真珠湾攻撃やフィリピンを攻撃せずに、日英戦争だけに没頭すべきでした。

 米国の挑発に乗らず、英国やオランダとだけ戦っていたらよかったのです。

 それを、日本が、シンガポールやインドネシアを占領したら、米国は黙っていないだろうという思い込み、日本の軍人、指導者の認識不足から、米国とも戦ってしまいました。

 本当にあの当時の日本人、大本営は無能者の集りだったのです。

 だって、日英戦争だったら、歴史的な事実として、日本が圧勝したのは、間違いありませんでした。

 日本軍は、100日もかけずに、東南亜細亜から英国を追い出しています。

 同じような事が起こったのは、間違いないのです。

 いえ、米国との戦争を避けていたら、インドの解放も可能だったかもしれません。

 日本軍が、米国を気にせずに、全力で戦ったら、わずかな英軍しかいないインドは、たぶん、とても持たなかったと想います。

何故なら、インド人の多くは、独立を願っていたからです。

日本軍が、インドの亡命政治家チャンドラ・ボーズを援助して、インドを目指せば、一気にインドは独立の熱気で盛り上がって、インド人の手によって、英軍は追い出されたと想うのです。

しかも日本は、歴史では、ビルマからインパールを目指して戦って、10万人の中で7万人も戦士したインパール作戦を経験していますが、それをさけて、海軍力を屈して、インドの沿岸のどこかに上陸する事も可能でした。

米国の戦う必要がないのなら、6隻の空母や、戦艦大和、武蔵も使えるので、十分に可能です。

そうすれば、日本がどこに上陸するか分からない英軍は、困ってしまいます。

シミュレーションとしては、ビルマに日本陸軍を集結させて、わざとインパールに英国の戦力を集めさせて、実際は、東沿岸に圧倒的な海軍力で、戦艦の砲撃で制圧して、インド軍を含めた陸軍を上陸させたら、英軍は簡単に崩れました。

紫陽花はそう想っていますし、亡くなった英霊達もそう囁いているのです。

ただ、その後、パキスタンとインドに分かれたように、インドは内戦になった可能性が非常に高いですが、日本は、インド人に任せてかかわらなかったらいいのです。

そうすれば、英国との戦争は、そこで終わった可能性も高いです。

インドを手放してしまったら、英国は、もう植民地政策を捨てないといけなくなって、日本と戦う必要はなくなるからです。

ナチスドイツとの戦いをしている英国に、インドに攻め込む力はなく、かつては日英同盟を結んでいた仲ですから、日本と和平に応じる可能性は高いです。

インド洋の制海権を日本に握られてしまったら、英国は、スエズ運河に物資を運べずに、アフリカでも負ける可能性が高いからです。

その時に、シミュレーションとしては、日本は、ドイツとは戦わない事を条件に、三国同盟を破棄しても良いですし、インド洋を握って、エジプトの英国軍に、物資を運ばせない事もできます。

エジプトのスエズ運河をドイツ軍が占領したら、日本は、中東に攻め込まなくても、ドイツと海を通して繋がります。

それ以上攻め込まなかったら、しばらくは英国と戦争をせずにすむのです。

これが日英戦争でいえば、最高のシナリオです。

紫陽花は、そう想っていますし、少なくても紫陽花の背景にいる英霊達は、そういっているのです。

 

       ∞「日米戦争かく戦いえり」∞

日米戦争とは、主に太平洋戦争の事ですが、「かく戦いえり」ではなくて、絶対にやってはいけない戦争でした。

国力の面でいえば違いすぎます。

20対1よりももっと開きがあったと言われているのです。

しかも日本は、中国と戦っていて、今度は米国だけでなく、英国などの世界中の国を敵にまわしてしまいました。

あの頃の日本の指導者は、狂っていた、特に軍部は、頭がどうかしていたとしか、紫陽花には想えません。

負けると分かっている戦争をした事自体、大きな罪があると想います。

しかし、日露戦争も誰も勝てると想って戦ったわけではありませんし、日米戦争も、誰も、日本が米国に勝てるとは想っていませんでした。

太平洋戦争は、罠を仕掛けた米国の政府に追い詰められて、嫌々戦争をしたというのが真実です。

何故なら、米国は、国益として、ナチスドイツとの戦争を求めていました。

同盟国の英国を救う為に、ナチスドイツを叩く必要があったのです。

だけど、ドイツは、米国の挑発に乗ろうとはしませんでした。

米国は、中立国なのに、武器を英国に援助した上に、駆逐艦で護衛させしましたが、ドイツはヒットラーの命令で、米国に一切の手出しをしなかったのです。

だから米国は、ドイツを挑発するのを諦めて、同盟国の日本に目を向けました。

日本を追い詰めて、戦争をするように仕向ける事を狙ったのです。

しかも、米国は、この時、中国の市場を狙っていて、中国に入るのに日本が邪魔で仕方がありませんでした。

日本を倒して、中国の市場に入るつもりでした。

いえ、米国は、中国だけでなく、英国やオランダなどの植民地の市場も狙っていたのです。

それで最終的には、ABCD包囲網で、石油が一切日本に入らないようにしましたし、ハルーノートの中で、中国の撤退どころか、満州国の放棄まで迫りました。

これでは日本も戦わずにはおれません。

石油がなくなったら軍艦や飛行機は動かせないので、戦う事はできなくなりますし、満州国の放棄など、膨大な資本を投資している国民が認める訳がありません。

日本は、米国な無謀な要求、最後通牒に、ついに戦争をする決心をしたのです。

しかし、平成の目から見れば、日米戦争は避けられたと想います。

軍人だけでなく、もっと多くの人が知恵を絞って、意見を聞いていたら、戦争はしたがっているのはルーズベルト大統領などの政府で、国民は望んでいない事は理解できたからです。

米国政府が強気でも、戦争は米国から仕掛けられない事を理解していたら、米国との戦争は避けられたのです。

だとしたら、どうしたらよかったか、「日米戦争かく戦いえり」ですが、まず、ハルーノートによる無謀な要求を全世界に流し、米国民に訴えるべきでした。

そうすれば、世界の中で、日本に同情する国もいますし、何よりも戦争を嫌がる米国民の世論が黙っていません。

中国からの撤退を条件に、有る程度の石油の輸入は可能だったと想います。

いろんなシミュレーションの作家が書いているとおりです。

中国からの泥沼の戦争を止められるのなら、日本にとって万々歳だったのです。

しかも、それで中国との戦争の予算と人的資源を、国内に投資できます。

陸軍の近代化に振り向ける事も可能だったのです。

また、それ以降も、戦争をする事が諦めきれないルーズベルト大統領が、ABCD包囲網のような事を再度仕掛けたら、日本は、米国以外の英国、オランダなどの国とだけ戦争したらいいです。

フィリピンで米国がいくら挑発しても、日本が乗らなかったら、米国は、どうする事もできません。

その間に、東南アジアの植民地を解放したら、日本は、インドネシアから石油を得る事ができます。

日本の最大な弱点である、シーレーンを確保して、資源を得る事が可能になるのです。

しかも、日本が予想よりも圧倒的に強いと言う事が分かったら、米国はますます戦争が仕掛けられなくなりますし、日本も、期待したドイツ軍が、ソ連との戦いで苦戦していることが分かったら、軍部も戦争をするとはいえなくなります。

真珠湾攻撃の前に、ドイツ軍のモスクワ進行が止まっていた事を知っていたらとは、良く言われている事ですが、スターリングラードの戦い敗れたドイツが、ソ連に負けそうだと分かったら、米国との戦争を言い出す人は一人も出なかったはずなのです。

そしてそのまま、日本は、亜細亜諸国や、太平洋の島々を固めて、米国に対して低姿勢で貫いたら、日米戦争は避けられたのではないか、紫陽花はそう想っています。

占領した植民地からは、ただちに撤退して、米国にも亜細亜諸国の市場を解放する約束をします。

満州や朝鮮に対しても、欧米諸国が、植民地を放棄する事を条件に、日本も、撤退するといえば、米国も駄目とはいえませんし、英国、オランダ諸国も、従う可能性は高いです。

米国の援助がなかったら、英国は戦えないからです。

これが、紫陽花が考えている最高のシミュレーションですし、紫陽花の背景の英霊達が伝えたいことでもある気がします。

日米戦争は、米国がいくら無理難題をふっかけても、日本は、米国と戦えば、お互いに何十万にも犠牲者が出るので、嫌だとはっきり拒めばよかったのです。

いえ、例え、表面上は降伏しても、あの当時の指導者が、切腹しても、どんな事があっても、米国との戦争だけは石にかじりついても拒否したらよかったのです。

そうすれば、日本で六百万人にも戦争で死ぬ事もなかったし、敗戦した事で日本が、ドイツと同じ侵略国家という汚名をきる事もありませんでした。

紫陽花は、日本とドイツは絶対に違うと想いますが、残念ながら、今も欧米の諸国には同じだと想われています。

あの当時の日本のイメージは、「血に餓えた凶暴な獣です」

それが英霊の為にも、とても残念なのです。

 

               ∞「大本営について」∞   

「大東亜戦争かく戦いえり」という事で、いろんな事を書かせて頂きました。

紫陽花なりに考えているシミュレーションも書かせて貰いましたし、多くの専門家の人が考えているシミュレーションも紹介させて頂いています。

きっと紫陽花一人の考えという事ではなくて、紫陽花の背景にいる多くの英霊達の想いを代弁して書かせて頂いたのだと想います。

そう信じているのです。

また紫陽花は、今、この縁の花第185号を、読んで頂いている皆さんにも、是非、大東亜戦争でなくなった英霊達の想いを分かってあげようという気持ちで、読んで頂きたいと願っています。

それが、紫陽花の英霊達の済度、想いを消してあげる事なのです。

きっと命をかけて戦った英霊達の、想像を絶する戦争の辛い、悲しい想いの何パーセント程度しか、書いてあげられていないと想いますが、皆さんに、少しでも分かって貰えただけで、書いた意義は大きいと感謝しているのです。

そして今回の最後として、どうしてもこれだけは書きたい事があります。

いえ、現在、日本に住んでいる日本人の皆さんに、知って欲しい事があります。

それは、あの当時の日本の軍隊、それを司った大本営の事です。

これが、本当にどうしょうもないです。

紫陽花は、英霊達の怒りは、敵国であった米国や英国よりも、自分達を戦争に導いた指導者、日本の軍に向けられている気がするのです。

何故なら、日本が中国との戦争を止められなかったのも、米国や英国との戦争を始めてしまったのも、一番の大きな原因は、日本の軍隊と言う組織にあったからです。

いえ、太平洋戦争に負けた一番の理由は、経済力や科学技術力で米国に劣っていたからよりも、日本軍のトップが、近代化していなかったからです。

情けない事ですが、日本の軍隊は、日露戦争以後、完全に役所になっていて、戦争をできる組織にはなっていなかったのです。

陸軍は、陸軍省、海軍は、海軍省に完全になっていたのです。

しかも、皆さんも、今の役所、財務省や厚生省を見ていたら分かりますが、役省という所は、自分達の利益だけを追って、日本国や日本国民が不利益を受けても関係ありません。

自分達の利益が一番優先なのです。

それで薬害エイズの問題や、ハンセン病の問題、必要のないダム建設など、今でもいろんな問題を起こすのです。

だからこそ、政治家や国民が、しっかり監視しないといけないのですが、あの当時の日本にはそれが不可能でした。

明治憲法は欠陥憲法で、天皇や総理大臣の権威が明確でなかった為に、役省などの官僚勢力を抑える事ができなかったからです。

マスコミと官僚勢力は結託して、常に官僚の都合の良い事ばかりを流して、官僚を抑えようとした有能な政治家、山本権兵衛などを叩いて、潰していたのです。

その上に、五・一五事件・ニ・ニ六事件で、政治家の暗殺が続発し、命を惜しい政治家は口をつぐむようになりました。

誰も軍部を抑える事ができなくなっていたのです。

ですから後は、軍部のしたい放題でした。

何しろ、日中戦争では、軍隊が勝手に戦争を拡大してしまうのでは、手の打ちようがありません。

国際的信用と国民の経済生活はガタガタですが、軍隊はそんな事はどうでも良いのです。戦争すればするほど省益に資するからです。

戦争になれば、益々、陸軍、海軍の予算は増えていくので、本質的に大歓迎なのです。

しかも戦争を止める事は、自分達の予算の減額を意味しますし、既得権の放棄にもなります。

日中戦争は、陸軍のキャリアにとっては既得権益なのです。

これを畳むことは、省益の縮小を意味するのです。

だから、日中戦争を止められなかったのです。

紫陽花は、この事は、今の日本人は、英霊達の為にも、いつまでも忘れてはいけないと心から想っています。

今、日本は第2の敗戦といわれているように、米国の経済政策によって、ある意味では再び敗戦しましたが、役省の無能さは何ら変わっていません。

財務省などは、米ソの冷静以後、何も明確な考えがなかったので、米国の策略を見抜けなかったのです。

道路公団の改革一つみても、役人は自分達の既得権を手放さないので、少しも進まないのです。

ましてや、米国の投資ファンド、リップルウッドの新生銀行の上場による大儲けなど、どう考えても許せません。

膨大な国民の税金を公的資金として使って、ハゲタカファンドに大儲けさせるなんて、紫陽花は、決まった時から分かっていましたが、シナリオが最初からできていた気がしますし、もし、そうでないのなら、決めた財務省の役人は無能としかいいようがありません。

紫陽花は、英霊達にとって、これほど腹がたつ事はないと想います。

英霊達が、自分達の命を捨ててまで教えてくれた最大の事はこんな、日本の役省の無能さだと考えるからです。

それが、悲しいかな、少しも変わっていません。

その事に今も、多くの日本人が気付かなかったら、何の為に自分達が死んだかという事になるのです。

きっと無念だと想います。

また、もう一つ忘れてはいけないのは、組織としての役省も酷いですが、個人のキャリア、エリート官僚の無能さです。

大本営とは、作戦を考えて、日本の軍隊を動かしていた所ですが、当時の日本の一番優秀なエリートが集まっていました。

陸軍士官学校、海軍兵学校は、今の東大よりも難しかったのです。

でも何が優秀かといったら、受験勉強ができるといった事でした。

記憶力の良い人が出世して、人生経験や能力は関係なかったのです。

後は、学校の時の成績と年齢で、出世が決まっていく年功人事だったのです。

しかし、そういった受験エリートは、想像力に乏しくて、目の前に具体的な存在しない事柄について、自分達で目的や達成手段を設定する力はありません。

古い、日露戦争の頃に成功した作戦を覚えていて、それを机の中で考えて、命令していたのです。

しかも、米英と戦争するというのに、あいかわらずの年功序列型人事を替える事ができず、能力主義という発想はありませんでしたし、身内を庇う、共同体化していました。

無能な指揮官の失敗も庇い、

軍隊なのに、戦う組織にはなっていなかったのです。

これでは戦争に勝てる訳がありませんでした。

連合軍の将兵たちの間では、「日本軍は、下士官以下は物凄く有能で勇敢なのに、上級将校以上は信じられないほど無能になる」というのが語り草になっていましたし、「日本軍は、当初の計画が予定通りに進んでいる時は強いけど、少しでも計画どおりに行かないと、一転して弱くなる」というので有名だったそうですが、日本人の弱点を看破されていたのです。

大体、神風特攻隊で、人に死ねと命令しておいて、殆どの上級将校は、死ぬ勇気もなかったのです。

だから、太平洋戦争では、大本営の無能さや、指揮官のミスのオンパレードです。

真珠湾攻撃でも、航空機に詳しくない南雲中将に機動艦隊を任せた事で、ハワイの基地を徹底的に攻撃しなかった事や、外務省の信じられないミスで、宣戦布告が遅れた事から始まり、ミットウエー海戦の時の、南雲中将の数々の作戦ミス、ガダルカナルの戦いでの軍隊の逐次投入の失敗、インパール作戦の指揮官、牟田口廉也中将の信じられない無能さ、マリアナ海戦の大敗の原因になった機密がもれた、情ない古賀峯一大将の幕僚の海軍ロ号事件、海軍の「台湾沖」の戦果の間違いによるレイテ沖海戦と最後まで、無能さを発揮してくれました。

大本営のエリートは、自分達の仕事がなかったら、食べられないからという意識で、自分達の面子を守る為に、何度失敗しても反省もせずに、現場を無視して、作戦を立案して命令していたのです。

ですから紫陽花は、今、同じ事が、日本の役所で、情報を開示しないだけでどんどん起きていると想います。

日本の役所は、勉強ができるだけで出世する、受験エリートの集りだからです。

新生銀行の問題なども、一体、どの役人達が、どんな経緯で、外資のリップルウッドに渡したのか、すべて明らかにしないといけないですし、すべての政策に対しても、役所の個人名で責任者は明らかにする必要があると想います。

でないと、日本の役人は、太平洋戦争の時と同じように、いつまでも同じ信じられない失敗をします。

その事を、税金を少ないですが納めているものとして、発言させて頂いて終わりたいと想います。

では、これで。・・・

皆さん、縁の花 第185号「大東亜戦争かく戦いえり」読んで頂いて「ありがとうございます」

2004年3月8日

追伸、英霊達の事を考えたら、まだまだ書き足りません。

次回は、「太平洋戦争、かく戦いえり」で、英霊達の悔しい想いや、怒りを書きたいと想いますし、日本軍の勇ましさや強さも書きたいと想います。

楽しみにしていて下さい。


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