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            縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

                第194号

       昭和天皇の極秘指令

           ∞「戦後60年」∞

 来年の2005年は、大東亜戦争(太平洋戦争)が終わって、ちょうど60年になります。

 よく60年周期と言いますが、それで考えたら、大きな区切りの年になります。

 陰陽五行の世界で考えても、大きな年になるのです。

 また、来年には、日本自体も、戦後の一つの区切りとして、いろんな問題が、間違いなく議論されていると想います。

 それが、憲法改正の問題です。

 何故なら7月11日に行なわれた参議院議員選挙では、自民党は負けたと言っても、公明党を含めたら、過半数を取っています。

 これによって小泉政権は、3年ぐらい継続する事が決まりました。

 その小泉政権は、必ず、憲法改正の問題を議題に出すと想います。

 民主党の中には、今後政権を取る為には、何でもかんでも反対する野党ではいけないと考えて、憲法改正に取り組もうとしている人は多いですし、絶対反対の、社民党や共産党は、少数政党になって、問題外です。

 憲法改正には、3分の2の議員の賛成が必要だという事で、今迄、憲法改正は不可能だと想っていましたが、いよいよ現実になってきました。

 今回の参議院議員選挙で、議員に成った人達の中で、その事をどれだけ本気で認識しているか分かりませんが、来年には、憲法改正について議論される可能性は高いと想います。

 来年の日本は、今年の年金問題以上に大騒ぎになっていると想うのです。

 そしてその中でも、一番の問題として、取り上げられていくのは、平和憲法である憲法9条や、天皇に関する憲法一条の象徴天皇の問題だと想います。

 民主党も、何でも反対という態度は取らないので、日本が軍隊を持つ事になっている自衛隊の問題や、イラクなどの海外に自衛隊を派遣する問題で、矛盾がある憲法九条の改正の議論に応じるだろうし、愛子様が、天皇になる女帝の事を含めて、今後の天皇家の問題も議論されると想います。

 まさしく戦後から60年で考えたら、一つの大きな区切りの年になると想うのです。

 しかし、紫陽花は、その憲法改正に関して、一つだけ、国民や国会議員の皆さんに、忘れて欲しくない事があります。

 いえ、平和憲法である9条改正の時には、この事も是非、考えて欲しい事があるのです。

 それが、終戦の時の事です。

 平和憲法である9条は、敗戦した日本が、もう二度と海外に浸出をしない事を誓って作られました。

 それまでの大日本帝国としての日本の反省の元に作られたのです。

 だから、今度、憲法を改正するのなら、今の日本の問題、イラク派遣などの国際貢献の問題や、北朝鮮の拉致や核開発の問題だけでなく、60年前の事も考えて、議論して欲しいと願っているのです。

 しかも、皆さんの多くは、まだ理解されていないと想いますが、縁の花で何回か取り上げている「天皇の真実」の河内正臣先生は、終戦後に造られた平和憲法、第九条の本当の発案者は、GHQ(占領軍)でもなければマッカッサー将軍でもないと言っています。

 天皇をばかにしていたマッカッサー将軍は、昭和天皇に直接謁見した時に、自らの戦争責任を受ける覚悟だった昭和天皇の姿に感銘したという話は、有名ですが、それだけでなく、昭和天皇を尊敬するようになっていて、戦後の日本は、軍備を持たない、二度と外国に浸出しないという願いが、昭和天皇にある事を理解して、あの平和憲法を創ったのではないか、

 そうでないと、軍人であるマッカーサー将軍に、憲法九条の発想が浮かぶはずがないと言うのです。

 世界に誇る、有名な平和憲法は、昭和天皇の願いによって作られたという訳なのです。

 紫陽花は、もし、それが、本当だったら、是非証明されて欲しいと想います。

 何故なら戦後、昭和天皇の想いが、繁栄されて憲法九条が作られたという事は、世に出る事はない秘史になるので、証明される事は、難しいですが、それが真実なら、当然、憲法九条を改正するには、昭和天皇の気持ちを、ある程度考える必要があるからです。

いえ、例え、それがある程度明るみに出ても、与党の国会議員は無視するでしょうが、国民はきっとこの事を真剣に受け止めてくれると紫陽花は、信じているのです。

きっと、今の年金問題と同じように、国民の間で、議論されると想うのです。

しかも、もう一つ、昭和天皇には秘史があります。

それが、縁の花 第155号「日本原爆開発の真実」で書いたように、昭和天皇が、完成するはずだった日本の原爆開発を止めさせたという事です。

この事も表面に出たら、日本の北朝鮮の原爆開発に関しての対応策して、紫陽花は大きく関係すると想っています。

北朝鮮が六カ国の会議でも、核の完全放棄に応じる事がなくて、核兵器を持ったら、当然、日本も防衛の上で、核を持つ事も議論される事になるでしょうが、その時にも、核兵器を持ったら、連鎖反応で、相手も持つので、核兵器はいつまでもなくならないという昭和天皇の考えは、生きて来ると想います。

そういった意味でも、紫陽花は、今、この問題を皆さんと真剣に考えたいのです。

 

 

          ∞「「平野貞夫参議院議員」∞

紫陽花が、久しぶりに、昭和天皇の事を書く気になったのは、ある本との縁がきっかけでした。

それが、平野貞夫参議院議員が、2004年4月10日に出した「昭和天皇の極秘司令」という本でした。

紫陽花は、この本に出会う事で、久しぶりに、昭和天皇の事を書く気に成ったのです。

しかし、今から考えても、この本との出会いは不思議でした。

紫陽花は、「昭和天皇の極秘司令」という本が、出る事も知りませんでしたし、本屋さんで、「昭和天皇の極秘司令」という本を見たという事でもなかったからです。

紫陽花が、この本の事を知ったのは、まったく意外な縁からだったのです。

それが、実は、年金の未納問題でした。

民主党では、民主党の党首であった管直人衆議院議員の年金の未納問題が発覚した時から、党員全員の年金未納の状況が公表されました。

その中で、平野貞夫参議院議員も、年金の未納の時期があったという事で、名前が出ていました。

ヤフーのホームページで、そんな民主党の未納議員の何人かのホームページにリンクされていて、紫陽花は、平野貞夫参議院議員のHPをたまたま見る事になりました。

別に年金未納議員に対して、怒っているのではなくて、偶然、何故か、見てしまったという感じなのです。

また、そこで紫陽花が、興味を持ったのは、平野貞夫参議院議員の、年金が未納になった理由ではなくて、新作の「昭和天皇の極秘司令」という題名の本の事でした。

昭和天皇大好き人間の紫陽花としては、この題名は見逃せません。

紫陽花は、平野貞夫参議院議員が、今までにも、「小沢一郎との20年間」「自由党の挑戦」ベストセラーになった「日本を呪縛した八人の政治家」といった本を書いていることを含めて、名前もまったく知らなかったのですが、ホームページに紹介している新作の「昭和天皇の極秘司令」という題名に引かれたのです。

しかも、いろいろ検索して、「昭和天皇の極秘司令」の内容を調べたら、「序章」として、「平野君、君だから話すのだが、私はかつて陛下のある「ご意志」に関わった。それは、日本の核武装を食い止めるためにどうしても必要なことだった・・・・もし、日本が誤った方向に向かいそうになったら、君の口からこの真実を伝えてほしい。それが私の願いだ・・・・」(中略)

このわずか二週間後に亡くなることになる、元衆議院議長、前尾繁三郎さんである・・・というものが、飛び込んで来ました。

昭和天皇と原子爆弾、俄然、紫陽花は、興味を持ったのです。

その上に、「昭和天皇の極秘司令」の章も書かれていて、第一章には「昭和天皇と田中角栄」第二章には「ロッキード国会」の真相、第六章には、「昭和天皇と原子爆弾」と書かれていました。

これには、紫陽花も参ってしまいました。

昭和天皇と同じくらい大好きな田中角栄元首相も、この本には載っている上に、紫陽花が、前から関心のあった、昭和天皇と田中角栄元首相の関係をどうやら書いているみたいだからです。

紫陽花は、急速にひかれたのです。

でも、これだけだったら、紫陽花は、「昭和天皇の極秘司令」の本とは縁を持たなかったと想います。

正直言って、この頃は、本は買わなくなっているからです。

しかし、縁とは不思議なもので、紫陽花が、平野貞夫参議院議員のホームページを見た後、1時間もしない内に、「天皇の真実」の河内正臣さんから電話があって、話題提供として、この本の事を河内正臣先生に、紹介したのです。

すると、さすがは河内正臣先生です。

さっそく本を取り寄せて、読んでいます。

紫陽花は、河内正臣先生の御礼のお電話で、「昭和天皇の極秘司令」の本の中で、河内正臣先生や、ノストラダムスの大予言の五島勉先生も、紹介されている事を知って、びっくりしたのです。

しかも、河内正臣先生のすごいところは、平野貞夫議員の住所を調べて、さっそく連絡を取っている事です。

この行動力にはいつも感心します。

平野貞夫議員からもお手紙を2通程、頂いているのです。

その上に、五島勉さんや、東条英機元首相のお孫さんも参加してくれた東京講演会に行った時には、平野貞夫議員の秘書の方にも会っているそうですし、国会議事堂でも、憲法について調査しているところに行って、多くの国会議員や、秘書の方に会っています。

今迄、いろんな天皇の真実の資料を送っている河内正臣先生は、顔は知られていなくても、名前は有名で、「貴方が河内正臣さんですか」と歓迎されたそうです。

河内正臣先生は、そんな感じで、天から与えられている使命を果たしているのです。

だから、そんな河内正臣先生の話を聞いている内に、紫陽花も「昭和天皇の極秘司令」の本を読む気になりました。

地元の本屋さんで探してもなかったので、取り寄せるしかないかと想っていたのですが、凄いですネ。

インターネットの本屋さんで購入したら、さっそく送ってきてくれたのです。

 

            ∞「平野貞夫議員の紹介」∞

平野貞夫議員は、1935年に高知県に生まれています。

大学は、法政大学大学院社会学研究家政治専攻修士課程修了です。

紫陽花が調べた渡部亮次郎さんのエッセイ集に詳しく書かれていましたが、平野貞夫さんは、高知の医者の次男坊で、法律に勉強する為に通ったそうなのです。

また、そんな平野貞夫さんは、1960年に、大学を卒業すると、すぐに衆議院事務局に就職しています。

政治家になるということではなく、地元の高知の教師になるつもりだったのですが、縁があって、就職先として、衆議院事務局にたまたま就職したという程度だったのです。

だけど、ここで平野貞夫さんは、メキメキと頭角を現します。

事務局の仕事は、衆参両正副議長や各委員会の委員長の発言をつくり、与野党の議員の質問づくりを補佐し、議事の段取りを含む議会運営に関わるすべての調整を行うなど、議会政治を円滑に運ぶために欠かせない存在です。

有能な人は、国会議員にとっては、なくてはならない存在になるのです。

だから、国会法の解釈や衆議院規則、先例にも極めて詳しかった平野貞夫さんは、国会議員でないのに、国会議員以上の活躍して、政治に深く関わる事になりました。

1965年には、園田直副議長秘書、1973年には、前尾繁三郎議長秘書にもなっていて、自民党の幹事長を務めた田中角栄も、平野貞夫さんを重用したそうですし、平野貞夫さんも、見事に答えています。

園田さんの功績として残っている建国記念日ら「の」を入れて社会党反対の骨抜きも平野の知恵だと言われているそうですし、ものぐさな前尾繁三郎衆議院議長などは、実際の仕事のすべてを平野貞夫さんに任せていたそうです。

衆議院事務局では、妬みもあって、事務総長にはなれずに、委員部長で終わったそうですが、並みの政治家よりも政治家だったのです。

また、そんな平野貞夫さんは、1992年に退官すると、小沢一郎の勧めで、参議院議員選挙に高知県選挙区から出て当選すると、自民党に入党し、以後は、羽田派を経て、1993年に新生党、1994年、新進党、1998年の自由党、2003年の民主党に合流しています。

この間、ワンマンで、豪腕と言われながら、側近と言われている人からも次々と離れられている、壊し屋小沢一郎さんの知恵袋とも、右腕とも言われ、12年間もずっと仕えています。

紫陽花自身、あの小沢一郎の側近の人だったのかと、平野貞夫参議院議員に対して、興味を持たせたのです。

しかも、平野貞夫参議院議員は、細川内閣の樹立、運営の総てに力を尽くしているそうです。

総理官邸に潜り込むため宅配便の荷台に隠れて番記者の目を眩ます等はお茶の子さいさいだったというのです。

しかし、そんな平野貞夫参議院議員は、2004年7月11日の参議院議員選挙では、立候補しませんでした。

ですから、今は、国会議員ではありません。

雑誌の中には、「小沢一郎は最後の側近平野貞夫まで罵倒、本日も傲慢」なりという見出しで、平野貞夫さんが、小沢一郎から切られたという説を出しているそうですが、本人は、「自由党結党の理念を広げるための国民運動を展開している小沢一郎を助ける為には、私には議員バッジが邪魔なのだ」という事で、参議院議員を引退したそうです。

この事はとても惜しいと想います。

でも紫陽花としても、これからの民間人の平野貞夫さんの活動に、注目したいと想います。

しかも、これはびっくりした事ですが、平野貞夫さんは、ピートたけしが司会している人気番組、TVタックルに出ていました。

こういった所でも、今後は活躍されるのだと想います。

皆さんにも、応援してあげて欲しいと想います。

 

 

            ∞「昭和天皇の極秘司令」∞

物語は、平野貞夫さんが、前尾繁三郎衆議院議長の秘書として仕えていた、昭和51年、(1976)頃の話です。

その頃、国会は田中角栄元首相が、米国のロッキード社から、賄賂を受け取ったという有名なロッキードの事件で、大騒ぎでした。

その事で、国会は、野党、与党で大騒ぎとなって、別名ロッキード国会と呼ばれて、異常な状態が続いて、何も決められない状態だったのです。

また、紫陽花自身は、この頃はまだ14歳、高校生ぐらいの時で、国会で、黒いピーナッツや「記憶にございません」という言葉が、流行したぐらいしか分かりませんでしたが、世間が大騒ぎした事は覚えているのです。

しかし、そんな異常な状態なのに、唯一、核防条約が、国会で承認されて、条約の批准が行われたそうです。

今までの佐藤栄作、田中角栄、三木武夫の各内閣で、放置されていた事が、さしたる混乱もなく、国会承認されたのです。

この事は、東京大学の高橋進教授の言葉を借りれば、「長く戦後の政治史の謎」とされていたそうです。

何故なら、核防条約とは、「核武装しない事を約束する条約で」、昭和43年、(1968年)7月、米ソを含む62カ国によって発足し、日本も45年に2月に調印しています。

でも核防条約は、核を持っている米ソ中といった大国が、他の持っていない国に、核武装させない為に作っている条約なので、問題点がたくさんあります。

自分達の核兵器はなくす努力はしないのに、自分達以外は持たさないというのでは、大国のエゴが見え見えといってもおかしくないと想います。

35年経過した2004年になっても、北朝鮮や、崩壊したフセインのイラク政権を見ても、核の問題は、解決していない事を見ても、それは分かると想うのです。

だから、昭和51年当時の日本の各政党が、核防止条約に積極的でなかった事に、紫陽花自身としても、被爆国なのに何故なのと意外でしたが、何となく理解できます。

自民党の中には、核兵器が日本を持っていたら、広島、長崎に原爆を落とされることはなかったと考える人はいるだろうし、社会党や共産党なども、核防止条約は、米国の横暴だという事で、反対した事は十分に予想できます。

日本政府が調印していても、国会での承認は、あの当時、とても難しかったと想うのです。

しかし、そんな日本政府や、国会に対して、少なからず苛立ちと憤りをお持ちだった一人の人物がいました。

昭和天皇です。

昭和天皇は、日本の政府が、核防止条約を、国会での承認、条約の批准を行わずに、これを放置していた現状に、政治の怠慢を感じていました。

唯一の被爆国としての国際的信用、責任を放棄していると感じていたのです。

しかも昭和天皇は、原爆の事に関しては、第133号「天皇の真実」や第150号「日本原爆開発の真実」で書いたように、深い想いがあります。

と言うのも、平野貞夫参議院議員も、河内正臣先生や五島勉さんの本によって、初めて知ったと書いていましたが、昭和天皇は、日本の軍部が開発しようとしていた原爆の開発を後一歩で完成するというのに止めさせています。

「数カ国が、新兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させる事になる。それでは人類滅亡の悪の宗家に日本がなるではないか、またハワイに投下する計画との事だが、ハワイには、日本の同朋が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築きあげたところだ。そのような場所に新兵器を使用する事には賛成できない」と言って、原爆の本格的な開発を上奏した東条英機首相は、昭和天皇のご叱責を受けたというのです。

 それで、日本の原爆開発は、米国よりも先に開発されようとしていたのが、中断される事になりました。

 ただもし、この時に、日本が小型原爆を開発したとしても、数量は少ないので、ハワイに落としたら、報復を受けて、日本民族は、滅亡させられた可能もあったので、本当によかったと想います。

 日本は、日本民族は、昭和天皇の決断に救われたのです。

 でも、昭和天皇自身は、戦後も、自分がもっと早くポツダム宣言を受諾する決心をしていたら、原爆が落とされる事はなかったかもしれないという痛恨の情を、胸に持ち続けていたそうですし、核兵器に対しても、きわめて厳しい目を向けられていたと言います。

 米国、英国、仏国、ソ連、中国以外にも、インドが地下実験に成功した事で、核兵器が、世界に広がっていく事に対しても、危機感を持っていたと言います。

ニューヨーク・タイムズの記者、クルックホーンの「陛下は最新武器(原爆)の出現が将来の戦争をなくするとお考えになりませんか」との質問に対して、「銃剣によって、または他の武器の使用によっては、永久の平和は樹立されることは考えられぬ。勝利者も敗北者も武器を手にしては、平和問題は解決し得られない。真の平和は、自由なる人民の協力一致によってのみ達成される」と明確に、答えている事でも分かるように、一日も早く、世界にあるすべての国の、核兵器の廃棄を願っている昭和天皇の心情でみれば、世界の情勢は、とても残念な結果になっていたのです。

だから、そんな中で、日本が、核防止条約を本気で取り組もうとしなかったことに、昭和天皇は、大変なお憤を持っていた気持ちは分かります。

唯一の被爆国としての日本が、核防止条約に関してさえ、積極的に入ろうとしなかったら、とても核兵器の廃止に向けてのリーダーとしての発言力はないと想うのです。

しかもその上に、天皇は、各国の要人とも会っています。

英国のエリザベス大統領、ブラジルのガイゼル大統領、インドネシアのスハルト大統領、・・・・たくさんの要人にあって、核防止条約に、日本が承認しないのはおかしいと言われています。

多くの日本人の中で、昭和天皇だけが、冷静に日本の立場を見る事ができたのです。

でも、戦前でも、あえて政治に介入しなかった昭和天皇が、戦後、象徴天皇となった今、日本の政治に対して、何も関わる事ができません。

紫陽花自身、ずっとそう想っていたのです。

しかし、天皇に対しては、内奏と言うものがあります。

この内奏に関しては、極秘なのでよくは分かりませんが、小さなテーブルがあるだけの部屋で、誰も立ち会わずに陛下と二人だけなるそうです。

そこで日本の首相や国会の衆議院議長などの話した内容の中身は記憶に残らないし、陛下が何を言ったのかも、誰にも洩らしてはいけない事になっています。

その上に陛下は侍従にもお洩らしにならないそうです。

そういった内奏が、今もずっとあるのです。

ですから、昭和天皇は、自分の考えを、信頼できる政治家に伝えることはできました。

前尾衆議院議長に対しては、昭和50年の7月5日に、国会審議状況を奉上した時にも、陛下から、核防止条約が承認されずに継続審議になった理由や、今後の承認に向けての見通し、各党の状況についてなど、かなりの長い質問を受けたそうです。

会談の中で陛下は、各国元首から「日本はなぜ核防止条約を承認、推進しないのか」という質問をしばしばお受けになっているというような事も話しています。

そういった事で、前尾衆議院議長にも、昭和天皇が直接命令しなくても、昭和天皇の気持ちは、同じ明治の時代に生まれている、前尾衆議院議長には、痛いほど伝わってきたそうです。

だから前尾衆議院議長は、「日本は世界で唯一の被爆国で、しかも、広島、長崎への原爆投下が戦争集結の直接の決め手だった・・・・陛下は原爆に象徴される核兵器に対して厳しいお考えお持ちのようだった。その言葉の中には、原爆を投下されたという悲劇が、ご自分の責任であるという後悔や、核兵器を廃絶することが、被爆した犠牲者だけでなく人類の為に必要であるという信念があった。だから私には、陛下のお気持ちが痛いほどわかった。この時私は、昭和20年(1945年)8月の8月の「終戦の詔書」を決断された時のことを思い出したよ」と平尾貞夫さんに、述懐しています。

前尾衆議院議長は、その昭和天皇の心情を理解すると、衆議院議長という立場にもかかわらずに、核防止条約を承認する方向で動く決心をしました。

その事を知らない平野貞夫さんは、秘書として、「議長が特定の案件について具体的に指示をすべきではありません。衆議院議員の意思を国家の意思としてまとめるのが議長の職務です。核防条約という国論を二分し統一されていない問題の承認を、議長が先走ってはいけません」と抵抗したそうですが、前尾衆議院議長は、昭和天皇の極秘司令を受けて、核防止条約を、国会で承認すると固い決意を持っていたのです。

 

         ∞「ロッキード国会」∞

しかし、前尾衆議院議長が、核防止条約を承認するつもりでいても、国会が、衆議院議長の意志で動く事はありません。

自民党の衆議院議長と言っても、そんな力はありません。

平野貞夫さんの本によれば、この当時の衆議院議長の力は、今の衆議院議長とは比較にならないかぎり大きいそうですが、それでも限界があります。

その当時の三木首相でも、自民党内でさえ、議論が分かれている問題について動く事ができないのに、衆議院議員のトッブである衆議院議長と言っても、各政党や、自民党を動かす力はなかったのです。

でも、ここで前尾衆議院議長にとっては、天意であるロッキード事件が起きました。

ロッキード事件に関しては、田中角栄元首相が逮捕された、戦後最大の汚職事件という事で、皆さんの中にもいろんな意見があると想いますが、今は、米国の陰謀だったと言うのが有力になっています。

平野貞夫議員の本では、アメリカの虎の尾を踏んだという事で書いていますが、田中角栄首相が、資源が全然ない日本に危機感を持って、日本独自の資源外交を展開していった事が原因です。

田中首相の自主資源外交は、エネルギーの供給源を多様化し、日本が直接資源開発に参加していこうとしたのが、エネルギーを支配している米国の世界経済戦略から見れば、反乱として移り、ロッキード事件というものを仕掛けたのです。

これが、真相だと想っています。

賄賂自体は、田中角栄首相は貰っているだろうとは想いますが、CIAなどが罠を仕掛けたのです。

でも、それだけではなく、この事件には平野貞夫さんも書いていますが、国内の民権派と国権派が絡んでいるといわれています。

庶民から首相になった田中角栄に対して、よく想っていない日本のエリート達が、ロッキード事件に飛びついたという面もありますし、同じ自民党の三木首相も、政敵の田中角栄を潰す為に、この事件を利用した事も明白です。

ロッキード事件を起こしたというロッキード社のコーチャン氏に対する証人喚問さえ行われない裁判など、紫陽花自身ずっとナンセンスだと想っていました。

こんな事をさせた三木首相に対しては、今でも怒りを覚えているのです。

だけど、紫陽花は、この時に、田中角栄元首相を必死で攻撃していたマスコミに対しても、今も不信感を持っています。

田中角栄は、日本の悪だという事で、報道は本当に酷かったです。

ちゃんと報道しようとしたマスコミなんか1社もなかった気がします。

今も報道は、小泉首相の事で見ても酷いですが、どこかの組織の手先でしか想えません。

あの頃でも、小室直樹さんなどは、ロッキード裁判の真実を伝えていたのに、「目黒の闇将軍」「日本を影から支配している」といった感じで、ただ、ただ、田中角栄元首相を攻撃するだけでした。

結局、この長い間続いた裁判が、田中角栄被告を苦しめ、じわじわと効いて来て、病気で倒すと言う事になったのです。

日本にとっては、本当に残念な事だったと想います。

しかし、このロッキード事件が起きた事で、前尾衆議院議長は、大きな力を持つ事になりました。

野党は、早速米国から出てきた事件に飛びつくと、自民党を攻撃しましたし、自民党の三木首相も、最大派閥の田中派を倒すチャンスとして、それに乗ったからです。

国会は、このロッキード事件の為に、長い間空転する事になったのです。

何故なら、野党は、ロッキード事件で賄賂を貰った人物は、誰なのか、追及しようとしましたが、最大派閥の田中派が、それを許そうとするはずがありません。

三木首相は、田中角栄首相が退任した後、有名な椎名判定で首相になりましたが、派閥としては、弱小派閥で、党内では、あまり力はありません。

同じ派閥の仲間を裏切るという事で、自民党内では、支持を失いました。

三木首相は、国会の最大の長である、前尾衆議院議長に、何事も頼る事になったのです。

また、前尾衆議院議長は、そんな中で、何とか国会を正常化させようと奔走したそうです。

国会が、正常化しなければ、核防止条約を承認などできる訳がありません。

同じ自民党で、池田勇人政権では、「前尾幹事長―田中政調会長」というコンビで支え、政治家としての、田中角栄前首相の能力を高く評価していた前尾衆議院議長は、田中角栄逮捕は何とかさけたいと想って、「バッチを外すことはできないか」と言った事もあるそうですが、田中角栄が即座に断ったので、うまくいかなかったそうです。

紫陽花自身、今から考えれば、一度議員を辞めてから、もう一度、立候補して、禊を果たしたという事にしたらよかったと想いますが、あの当時は、難しかったのだと想います。

結局、ロッキード国会は、疑惑をもたれている若狭得治全日空社長や、丸紅の大久保利春専務、伊東宏専務などの承認喚問が行われ、それで益々紛糾すると、田中角栄のなどの氏名が出て、逮捕される事によって、国会は、正常化される事になりました。

田中角栄の逮捕回避をする為に、国会を解散するという選択は、取られる事はなかったのです。

でも、前尾衆議院議長は、田中角栄の逮捕という形で、正常化したチャンスを、逃しませんでした。

前尾衆議院議長は、平野貞夫秘書が、「核防止条約といった、国論を二分し統一されていない問題の承認を、議長が先走ってはいけません」と反対するのを押し切って、見事の手腕で、国会を正常化させ、反対する社会党を根回しして、国会で、核防止条約の承認を取り付けたのです。

でも、正直いって、この部分は、紫陽花にはよく分かりませんでした。

さすがに、平野貞夫さんは、前尾衆議院議長の秘書として仕えていたので、この事も詳しく書かれていますが、専門的すぎて、紫陽花には少し難しかったと想います。

だけど、国会運営のプロである平野貞夫さんからみたら、ロッキード国会での「解散風」は、結局、田中前首相の逮捕へと操作を進めることになる両院議長裁定で止むことになり、核防止条約の承認への大きな追い風が吹いたそうです。

すなわち核防止条約は、結果として、田中前首相の逮捕と言う代償、引き換えに成立したという側面があると断言して書いているのです。

ですから言い換えるなら、ロッキード事件が起きて、田中角栄前首相が、逮捕されるという事に成らなかったら、昭和天皇が懇願していた核防止条約の国会での承認という事は絶対に行なわれず、ある意味で田中角栄前首相は、核防止条約に対しては、積極的になかったのに、自らが、犠牲になる事で、本人は自覚していなくても、最大の貢献をしたということになります。

少なくても、天から見れば、そうなると紫陽花は、確信しているのです。

 

             ∞「昭和天皇と田中角栄」∞

 核防止条約の事でいろいろ書かせて頂きました。

国会の運営の話なので、分かり図らいところもあるかもしれませんが、紫陽花自身、平野貞夫さんの「昭和天皇の極秘司令」を読んで、一番考えさせられたのは、実は、昭和天皇と田中角栄のお二人の関係です。

何故なら、昭和天皇と田中角栄、この二人は、紫陽花にとっては、今の日本を見守っている最大の大明神、神様です。

 毎日する「ありがとうございます瞑想」でも、お二人にも「日本の将来」について御願いしています。

 いえ、今の日本を、神様となって、見守ってくれているお二人には、心から感謝しているのです。

 しかし、そんな二人が、相性的には、どうやら相性が悪かったと言うのは、紫陽花自身、あまり触れたくない事でした。

 実は、紫陽花が、平野貞夫さんの「昭和天皇の極秘司令」の本をなかなか書く気になれなかったのも、本の中で、「昭和天皇と田中角栄」と書いている項目があったからです。

 お二人の仲が、噂とは違って、本当はよかったと書いていたらいいですが、悪いと書いていたらどうしようかと想って、なかなか買う気にはなれなかったのです。

 昭和天皇と田中角栄大明神は、紫陽花の中では、力を合わせて、日本を見守ってくれないと困るのです。

 だけど、本では、やはりそうは書いていませんでした。

 昭和天皇も、田中角栄さんも、はっきりした事をいう訳ではないので、分からないのが真相ですが、昭和天皇の信頼を、田中角栄が得ていたという訳ではなさそうです。

 何故なら、平野貞夫さんが、昭和天皇が、どんなタイプの政治家が好んでいたのか、関係者にたずねたところ、一致したのは「一高|東大|官僚」の経歴を持つ、「灘尾弘吉」「前尾繁三郎」「福田赳夫」という答えが帰ってきたからです。

 こうした人々は、昭和天皇と同じ明治に生まれた人たちで、その輝かしい学歴・経歴だけでなく、人間としてもきわめて優れた人でもありますが、要は、学者のような人達です。

 無学ながら、土建屋の社長からなりあがった田中角栄さんとは違うのです。

 また、昭和天皇の待従の「入江相政」さんの「入江相政日記」などを見ても、昭和天皇が、田中角栄に、厳しい目を向けていたような感じですし、田中角栄も、昭和天皇は苦手だったみたいです。

 昭和天皇と二人で会う内奏も、あまりしたがらなかったみたいです。

 しかも田中角栄内閣が正式に発足した時の内奏では、「贅沢な盆栽(贈り物)をもってくるな」とか「アメリカに行くことになっても、前総理(佐藤栄作前首相)は随行するな」などの相当な事をいったという事は、噂として紫陽花も知っていますが、田中角栄首相も、昭和天皇の訪米を、米国との経済摩擦を解決する外交カードに利用しようとして、昭和天皇がお怒りになった事もあったと聞いています。

 昭和天皇と田中角栄首相は、裏側ではあまりしっくりとはいっていなかったのです。

 しかし、紫陽花は今、そんな二人が、ロッキード事件によって、昭和天皇が願っていた核防止条約を、ある意味では田中角栄の犠牲によって、実現させる事ができたという事は、何か、大いなる天意のような気がします。

 平野貞夫さんの本によれば「昭和天皇の「核防止条約」承認・推進の願いが、どちらかと言えば、苦手だと思っていた田中前首相逮捕の方針のおかげで叶ったというのも、運命の不思議を感じると書いていますが、まさしくそのとおりだと想います。

 いえ、紫陽花は、それこそが、天の計画したことだと、今、確信しています。

 何故なら、昭和天皇が、田中角栄の犠牲で、核防止条約の承認できた事を認識できたのかどうかは、分かりませんが、紫陽花は、昭和天皇の事ですから、きっとある程度は理解していたと想いますし、少なくても知らなくても、魂同志では分かっていたと想います。

 核防止条約が、推進された以後は、田中角栄前首相に心の中では、感謝していたと想うのです。

 そして、お二人が亡くなれた後は、力をあわせて、今、人類から核が全廃されるように、日本や世界を見守っていると想っています。

 昭和天皇大明神、田中角栄大明神として、密かに日本の為に、活躍してくれていると信じているのです。

 だから紫陽花は、そのことを皆さんにも、是非、理解して頂いて、日本のこれからの核の問題を見守って頂きたいと想います。

 日本が北朝鮮の核のよって、対抗して将来核兵器を持つ事になるのか、平和憲法を改正して、堂々と軍備を持つ事になるのか、難しい問題ですが、将来、すべての核が全廃される事、角(核)がなくなって、人類が栄(栄)える世の中を祈って、「昭和天皇の極秘司令」を終わりたいと想います。

 では皆さん、縁の花 第194号「昭和天皇の極秘司令」を読んで頂いてありがとうございます。

   平成16(2004)年8月20日

 

追伸、紫陽花自身は、日本の核武装には反対です。

北朝鮮が、核が持てば、日本も対抗上、核が必要だというのは一見、一つの考えだとは想いますが、違うと想います。

ソ連や中国は、独裁政権といっても、共産党が支配しているので、核の防止力は成立しました。

自国に核を打たれる訳にはいかなかったのです。

でも、北朝鮮は、金正日の独裁政権です。

極端な話、どこかの外国に側近達と避難してから、自国に命令して、核ミサイルを撃つ命令をする事もできます。

核の防止というのは、北朝鮮には通じないと想うのです。

また、国際政治は、複雑です。

北朝鮮を支配しているのは、金正日ではなく、その裏に、影の組織がある可能性もあります。

その影の組織が、日本に核攻撃を命令する可能性もあります。

縁の花 第192号「21世紀日本の行方・世界の行方」でも書いたように、北朝鮮の核で、日本の大半の人達が、滅亡されたとしても不思議ではありません。

この時に、日本が核を持っていたら、それを口実に使われる可能性もあるのです。

ではどうしたらいいかですが、正直言って、紫陽花自身にも、よく分かりません。

とても難しい問題です。

ただ、平和憲法にしろ、核武装の問題にしても、紫陽花は、60年前の事を想い出して、日本国民全体で真剣に考えたいと想いますし、「天皇の真実」の河内正臣先生の活動を支縁したいと想います。

何故なら日本が核を持っていないのに、北朝鮮が攻撃するということは、影の組織からしても、大変な事になります。

そんな事をさせてしまえば、世界の大半の国が、核武装持ってしまいます。

日本が核を持たない事が、これだけ情報社会が進んでいたら、河内正臣先生のいうように、最大な武器になるのです。

日本の持っている大きな使命を、無事に果たせる事を心から祈りたいと想います。

昭和天皇大明神、田中角栄大明神、宜しく御願いします。

     縁の花 194号表紙 (表紙は、縁の花にとって大切な花になります。祈りと感謝で魂を込めて作成しています)

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  参考書

昭和天皇の「極秘指令」 著者 平野貞夫 講談社 本体価格(1600円)税別 
 日本・原爆開発の真実  著者 五島勉  NON 祥伝社 本体848円+税
 縁の花第133号「天皇の真実」250円 第150号「日本・原爆開発の真実」300円
    是非お読み下さい。