縁の花

         (全国の人達と魂で結ばれる智閥の花)

              第217号

     「天使の歌姫になった本田美奈子.と作詞の世界の大御所岩谷時子」

           ∞「すてきな岩谷時子さん」∞

 2005年、11月25日から27日の三日間にかけて、フジテレビで、毎晩9時から、「女一代記」という2時間ドラマが、放送されました。

 一人の女性の人生を2時間で描く、ドラマです。

 初日は、作家で出家した瀬戸内寂聴を宮沢りえさんが演じ、二日目は、昭和を代表する歌手、越路吹雪さんを、同じ宝塚出身の天海祐希さんが演じ、三日目は、舞台女優で悪女と密かに呼ばれていた杉山春子さんを、今、悪女の演技で売り出し中の米倉涼子さんが演じています。

 どれも、フジテレビが力をいれているだけあって、すばらしい番組でした。

 しかし、菊にとっては、何と言っても、2夜目の越路吹雪のドラマが最高でした。

 というのも、菊が、越路吹雪さんのドラマが放送されるのを知ったのは、一夜目の「瀬戸内寂聴」さんのドラマが終わった後の予告編ですが、越路吹雪さんのドラマだという事で、大喜びで、DVDで、録画しました。

 今、そのDVDは、菊の宝物になっています。

 ちょくちょく見ているのです。

 何故なら、越路吹雪さんのドラマは、菊にとっては、特別ご縁のある番組です。

 越路吹雪さんのドラマといえば、必ず、彼女の大親友で、40年間、マネージャーとして支えた、作詞家の岩谷時子さんが、登場するからです。

 この岩谷時子さんに関しては、今の若い人の中には、ご存知がない人が多いと思いますが、菊の年代には、いえ、菊よりも少し古い年代の人には、本当に作詞家として、すごい人でした。

 代表曲で言っても、越路吹雪さんの『愛の讃歌』「から始まって、『サン・トワ・マミー』、『ろくでなし』などの、外国の名曲の訳詞をしていますし、作詞としても、ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、加山雄三『君といつまでも』『お嫁においで』、島倉千代子『ほんきかしら』、フランク永井『おまえに』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、郷ひろみ『男の子女の子』、TV主題歌『サインはV』・・・・他多数の歌で有名です。

 菊の一つ前の年代の頃大ヒットした曲の大半は、岩谷時子さんが作詞していたのです。

 特に、その中でも、菊は、梓みちよさんが歌った「お嫁さん」が大好きです。

 本当に、すばにしい歌の作詞ができる、本当にすごい人です。

 でもそれだけではなく、菊の本名は、実は、岩谷で、岩谷時子さんと同じ名字、「いわたに」になります。

 だから、小さい時から、テレビなので、ヒットしている曲の作詞家は、岩谷時子と書いているのを見る度に、親戚でもないのですが、同じ名字なので、特別に関心持っていました。

 岩谷時子さんとは、どんな人なのだろう。

 こんなすてきな歌を作れる岩谷時子さんは、本当にすばらしいなあと感心していました。

 子供の頃の菊は、歌を歌う歌手よりも、漠然と、すばらしい歌を作詞できる岩谷時子さんのファンにさえなっていたのです。

 しかもこの岩谷という名字は、同じ岩谷だけに分かるのですが、意外と数少ない名字です。

 印鑑なども、昔はシャチハタで探してもありませんでした。

 その上に、後に知った事ですが、関東では、岩谷と書いて、(いわや)という人も結構多いそうです。

 岩谷という名前は、そんなにないのです。

 ましてや、歴史の中で、登場する人はほとんどいないと思います。

 何故なら、菊が、他に知っているのは、プロパンガスで有名な上場している企業、岩谷(いわたに)産業と、日本で最初に、本格的な紙巻タバコの製造をはじめた、岩谷さん(いわや まつへい)ぐらいです。

 この3人が、菊が知っている有名な岩谷さんですが、その中でも岩谷時子さんは、これからも歴史に名前を残す人で、岩谷家の一番の代表だと思います。

 岩谷時子さんが作詞した数々の歌は、永遠に残ると思うのです。

 また、菊自身、どんどん歳をとって、大人になって、岩谷家や、母親の寺柿家などのご先祖を意識するようになると、ますます岩谷家というものを意識するようになりました。

残念ながら、そんな岩谷家の事は、ルーツをいくら調べても、よく分からないのですが、(一説では、藤原氏と関係あるそうです)先祖をたどったら、岩谷時子さんとは、何かの関係があるかもしれませんし、なくても、やはり、同じ岩谷だけに、菊のご先祖も、その活躍には、心から喜んでいると思います。

 それで、ずつと岩谷時子さんとは、昔から、不思議なご縁を感じていたのです。

 密かに応援していたのです。

 でも、そんな菊が、本格的にファンになったのは、今からちょうど15年前、1990年に、NHKで放送されていドラマ『ごめんねコーちゃん』を見た時からです。

 この時の岩谷時子さんは、竹下景子さんが演じていて、越路吹雪さんは、幸 和希さんが演じていました。

 菊は、その時まで、岩谷時子さんは、本職は、作詞家の先生で、越路吹雪さんのマネージャーだったなんて、まったく知りませんでした。

 でも、今から考えても不思議ですが、運よく、このドラマは、偶然に、最初から見る事ができて、心から、岩谷時子さんという女性を尊敬しました。

 だって『ごめんねコーちゃん』のドラマでは、宝塚歌劇団の頃からの二人の関係が紹介されていて、菊は、岩谷時子さんが、宝塚歌劇団の編集部を経て、その当時、宝塚のトップスターになった越路吹雪さんとものすごくうまがあって、戦後、越路吹雪さんが、退団した後は、東宝文芸部の社員となって、越路吹雪のマネージャーとして、大親友として、越路吹雪さんがなくなるまで、40年間、最後まで支えた事を知ったからです。

 それぐらい「ごめんねコーちゃん」のドラマでは、コーちゃんと皆から呼ばれる越路吹雪さんと、何故か、本名の時子さんと呼ばれる硬いしっかりしている岩谷時子さん、背の高い越路吹雪さんと背の低い岩谷時子さん、めがねをかけていない越路吹雪さんとめがねをかけている岩谷時子さん、陽気で目立つ越路吹雪さんと、地味な岩谷時子さん、歌手としての天性の才能がある越路吹雪さんと、作詞や、マネージャーとして、影から人を支える才能がある、岩谷時子さん、まったく共通するところがなさそうな二人が、本当に女の友情で結ばれて、大活躍している姿が描かれていました。

 影の岩谷時子さんも、越路吹雪さんを通してものすごく輝いていたのです。

 いえ、菊は、人は、こんなにも、一人の友人の為に、尽くせるものだろうか。

 一人の親友の女性の為に、夢を実現する為に、支え続けた岩谷時子さんの生き方に感動しました。

 いつか、菊もそんな生き方ができるだろうかと、心から岩谷時子さんを思いました。

 正直、主演の越路吹雪さんとよりも、菊には、岩谷時子さんが、主役だったのです。

 ですから、今回の「越路吹雪 女一代記」も、目を皿のようにして見ましたが、やはりよかったです。

 今回の作品は、前回の「越路吹雪さんと岩谷時子さん」だけでなく、「越路吹雪さんと岩谷時子さん」、「越路吹雪さんと夫の内藤法さん」の微妙な関係を描かれていたと思いますが、新しい発見、前回、見逃した発見ありました。

 特に、岩谷時子さんが、つねに、コーちゃんとは対等の立場でいたいという事で、最後までマネジメントのギャラは一銭ももらってはいなかった事や、多くの人が見ている舞台では、緊張でガタガタになる越路吹雪さんの背中に、いつも開演直前に、指で、虎の字を書き叩いて、「あなたは虎。お客様は猫」「これで大丈夫」と叩いて、暖かい目で、送り出していた事など、菊はまったく知りませんでした。

 作詞していた多くの歌でも、恋をした事のない恋音痴の岩谷時子さんは、越路吹雪さんの恋の話から、うまく歌にしていた事や、作詞家として成功していても、その頃は、まだ印税が、そんなに入らなかったのか、母親の岩谷明子さんと、地味な生活をしていた事、いろいろ学ばせて頂きました。

 菊は、ますます岩谷時子さんのファンになりました。

 いつか、菊も、縁の花を通して、岩谷時子さんのような生き方をしたいと心から思うのです。

 

 

        ∞「本田美奈子と岩谷時子の出会い」∞

 2005年で、岩谷時子さんは、89歳になりますが、今でも、作詞家として活躍しています。今は、仕事を絞り込んでいますが、それでも、すばらしい歌を作詞しています。

 しかも、言うまでもなく、93年勲四等瑞宝章受勲、芸術祭文部大臣奨励賞、日本レコード大賞作詞賞、日本作詞大賞優秀賞など数々の賞を受賞していて、今や歌の世界では、大御所となっています。

 本当に、菊は、心から、尊敬しています。

 心からすてきな現役のおばあさんだと言いたいです。

 しかし、菊は、恥ずかしながら、そんな岩谷時子さんの事、まったく知りませんでした。

 21世紀になって、インターネットを使うようになってから、岩谷時子さんで検索しても、出てくるのは、郷ひろみまでだったからです。

 岩谷時子さんは、ポピュラーの歌を作るのをやめた後、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などミュージカルの訳詞も手掛けるようになったのですが、その情報は、菊には入りませんでした。

 去年、「越路吹雪物語」の芝居もあって、好評で、ダブルキャストの一人として岩谷時子さんも輝いている事は知っていましたが、どうしても見たいとは思いませんでした。

 大変お恥ずかしい事ですが、菊は、岩谷時子さんは、もう過去の人だと思っていました。

 大親友の越路吹雪さんが亡くなった後、意気消沈した後も、作詞家として活躍して、「男の子女の子」で郷ひろみ、「ふりむかないで」や「恋のバカンス」でキャンディーズをヒットさせた後は、作詞の仕事を引退して、印税で、岩谷時子さんらしく静かに、悠々自適に暮らしていると思っていました。

 もしかしたら、静かに、もう御歳なので、亡くなっているか、引退している可能性も高いと思っていました。

 何故なら、歌の世界は、とても厳しいです。

 どんなに売れている作詞家でも、何十年と、ヒット曲を作れることなんてありえません。

 実際に、今の歌手にしろ、作詞家、作曲家でも、何年も、ずっとヒット曲を出せるという人はいません。

 菊は、当然、岩谷時子さんも、そうだと思い込んでいたのです。

 岩谷時子さんが、ポピュラーの歌を作らなくなった後、ミュージカルの世界で、活躍の場を変えて、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」という有名なものの訳詩をしていたなんて、まったくしらなかったのです。

 いえ、知っていたとしても、あの時の菊には理解できなかったと思います。

 何故なら偶然、以前、本田美奈子.さんと、加山雄三が出演した、日曜日、朝日放送で、9時から放送している番組、題名のない音楽界で、「言葉の魔術師〜作詞家 岩谷時子の世界」という番組を見て、「つばさ」の曲も、聴いているはずなのに、加山雄三さんしか目にいかなかったからです。

 悲しいかな、菊は、昔の人で、今の音楽が分からないのか、そんなに「つばさ」の歌に対しても、感動しないのです。

 しかし、そんな菊が、「越路吹雪さんの女一代記」のドラマに感動した後、久しぶりに、岩谷時子さんで、インターネットで検索したら、驚いてしまいました。

 今までまったく結びつかなかった、つい最近白血病で亡くなった本田美奈子.さんと結びついていたからです。

 しかもその記事を読んで、菊は本当に驚いてしまいました。

 記事には「本田美奈子の恩師の作詞家・岩谷時子(89)は、足を傷めてリハビリ中のため、療養先で別れの言葉を贈った。「いつも真っすぐに生きていた、私の大好きな美術家。いつも娘のように思っていました。すてきな天使に囲まれ、お歌を歌って」。ミュージカルに挑戦した当初から才能を絶賛し、復帰作も話し合っていた。」と書かれていたからです。

 菊は、越路吹雪さんを亡くした後、岩谷時子さんは、自分よりも50歳も若い、本田美奈子.さんを、新たに見出していた、生きがいを持っていたなんて、夢にも思わなかったのです。

 それで、インターネットで、岩谷時子さんと本田美奈子.さんのご縁を、いろいろ調べて、本当に感動してしまいました。

 というのも、本田美奈子.さんは、歌の事は、関心のない菊でも知っている可愛いアイドルでした。

 5歳年下ですが、ものすごく可愛い、美人だった事は覚えています。

 そんな本田美奈子.は、1985年に殺意のバカンスで、デビューして、翌年の1986年に、1986年のマリリンが大ヒットして、アイドルとして不動の地位を気づきました。

 へそだしルックなので、少し異色なアイドルだったそうです。

 でもそれだけでなく、昔から歌が好きで、歌唱力があって、その当時の新人賞をそうなめしたそうです。

 だけど、そんな本田美奈子.さんも、アイドルとしては、当然ですが、長くは続きませんでした。

 菊もニュースで知っていましたが、ロックバンド"MINAKO with WILD CATS"を結成して、ロック歌手のボーカルとしてがんばったりしていたそうです。

 けれど、これはうまくいかなかったみたいです。

 バンドは、やがて解散し、本田美奈子.も、これでおしまいだといわれていた時期もあったそうです。

 でも歌が本当に好きな本田美奈子.さんは、めげませんでした。

 本田美奈子.さんは、1年間、仕事を休業して、本格的にボイストレーニングを始め、1991年に、素人の人を含めた1万5千人の応募の中で、最後は、大竹しのぶさんと争って、見事、「ミスサイゴン」の主役、キム役に選ばれたからです。

この「ミスサイゴン」のミュージカルは、東京・帝国劇場で、1992年5月の初演から前代未聞の17ヶ月・745ステージのロングランを行ったそうですが、実物大のヘリコプターの他、高さ5m以上もあるホーチミン像を使用したりする本当に、すごい劇だったそうです。

しかもこの「ミスサイゴン」で、本田美奈子.は、公演中に足の指を4本舞台装置に挟まれて骨折するという大怪我を負った事もありますが、その日、激痛をこらえて一幕が終了するまで演じきった事もありました。

誰もが認める、ミュージカルスター・本田美奈子が誕生していたのです。

そしてそこで、本田美奈子.さんは、岩谷時子さんと運命的な出会いをします。

「ミスサイゴン」の訳詩を担当していたのが、岩谷時子さんで、本田美奈子.さんの歌唱力を、「越路吹雪」の再来だと絶賛したそうです。

実際、「ミスサイゴン」で、アイドルだった本田美奈子.さんが、歌う事に関しては、「大丈夫」なのと、疑う大物の歌手や、一般の観客にも多かったのですが、見事に、初演で覆したそうです。

誰もが、あの細い体から信じられないような声量あふれる、抜群の歌唱力と、高音までまったく衰えなく響き渡る歌声に驚いたそうです。
 以後、本田美奈子.は、歌唱力はあるものの、単なるアイドル歌手だと思われていた、世間のイメージを完全に変えて、いろんな劇で、ミュージカルのスターとして活躍することになるのです。

でも、そんな本田美奈子.さんを、一番評価し、心から応援したのは、岩谷時子さんでした。

岩谷時子さんが、本田美奈子.さんに、何を見たのかは、菊に分かるわけがありませんが、「ミスサイゴン」の訳詩担当として、本田美奈子.さんに、いろんなアドバイスして、急速に、二人の関係は、50歳以上の歳の差を越えて、本当に深くなりました。

越路吹雪さんの元で、マネージャーをしていた岩谷時子さんには、歌手の気持ちも分かるし、いろんな経験があります。

インターネットで得た情報によると、本田美奈子.さんに、「コーちゃんが逝っちゃって、生き甲斐を失ったと思ったけど、あなたに出逢えて、また生き甲斐が出て来たわ」と言ったそうです。

それが本当なら、岩谷時子さんとは本当に、すごい人です。

歌の世界では、大御所で、50歳の上なのに、自分から見たら、孫になる本田美奈子.さんに言えるのですから、菊は感心してしまいましたが、とにかく、二人の仲は、急速に深まった事は間違いないです。

だって岩谷時子さんは、越路吹雪さんの事をうまく話したのか、本田美奈子.さんは、越路吹雪さんのようになりたい、「うた」を歌える歌手、本当に人の心に伝わる「うた」が歌える歌手になりたいと望むようになったそうです。

きっと岩谷時子さんは、本田美奈子.さんに、越路吹雪さんの幻影をみたとしても、それを押し付けず、本田美奈子.さんの個性を尊重して、新しい歌を歌える越路吹雪さんを育てようとしたのだと思います。

 

 

           「新しい本田美奈子.の」誕生

また岩谷時子さんは、その為に、口だけでなく、実際に活動しています。

「ミス・サイゴン」千秋楽から一年もたたない94年、当時既にほとんどポップスの詞を作らなくなっていた岩谷時子さんは、越路吹雪さんの頃の同志でもある、旧友・渋谷森久を呼び寄せ、ふたりで本田美奈子のアルバムのプロデュースに挑むことになったそうです。

それがアルバム『Junction』で、この中で、本田美奈子.さんは、越路の代表作「愛の讃歌」、さらに越路の夫、内藤法美作曲で越路のレパートリーであった「アマリア」も歌っているそうです。

越路吹雪さんに及ばないものの、見事な歌を歌っているのです。

しかも岩谷時子さんは、本田美奈子.さんの為に、今や、「愛の賛歌」や「君といつまでも」などの代表曲を超えた、現在の名曲といわれている「つばさ」という歌も、プレゼントしています。

この「つばさ」は「オーペン化粧品」のCMになっていて、知る人は知る名曲だそうです。

正直言って、古い世代の菊には、「つばさ」の歌のすばらしさは分かっても、やはり「愛の賛歌」や、「君といつまでも」の方がいいですが、今の若い人には、「つばさ」の歌の方が新鮮みたいです。

とてもすばらしい曲なのです。

岩谷時子さんは、70歳になっても、まだまだそんな歌の作詞ができるのです。

それに訳詩した「ミスサイゴン」の歌、「いのちをあげよう」や、「すべてがかわるだろう」も、本当にすばらしいのです。

その上に、この曲で見せた本田美奈子.さんの歌唱力は、すごいです。

特に、つばさの時に見せた大サビの直前の30秒弱にも及ぶロングトーンは、菊も感動しました。

本田美奈子.さんは、そんな岩谷時子さんの期待に見事に答え、多くの芸能関係者を驚かせました。

本田美奈子.さんが、歌で、生きていける、本当の歌手になった事を、見事に証明したのです。

しかし、唯一残念な事は、『Junction』のアルバムは、大ヒットとまでいかなかったということです。

菊のような一般の大衆の耳にまでは、届かなかったのです。

その後、本田美奈子.さんは、しばらくアルバムは、翌年にリリースしたアルバム『晴れ、ときどきくもり』の後、出していないのです。

でも本田美奈子.さんは、逆境にもめげませんでした。

本田美奈子.さんは、その間にも、「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役、「屋根の上のバイオリン弾き」でのホーデル役、「王様と私」のタプチム役、「クラウディア」では、ヒロイン・クラウディアなど数々の役柄を好演し、ミュージカル界から高い評価を得て、ミュージカルでは、なくてはならない人になりましたし、歌えるところならどこへでも行くとばかりに様々な小さなステージを重ねるという努力をしたみたいです。

その上に、散発的ながらもアニメの主題歌などでシングルのリリースを重ね、歌手としての表現力を磨いたそうです。

本田美奈子.さんは、本当に努力していたし、爆発的なヒット曲はなくても、芸能生活も順調だったのです。

また、岩谷時子さんは、そんな本田美奈子.さんを、越路吹雪さんの時の同じように本当に真剣に支えました。

後年の岩谷時子さんは、本田美奈子.さんためだけに生きていたと言ってもおかしくないのです。

何故なら、本田美奈子.さんのファンの人が作っている「Minako Fan World」というすばらしいサイトがありますが、その中の掲示板に、本田美奈子.さんが、2000年10月15日、はじめた、ファンに書いた書き込みがあります。

その中で、岩谷時子さんが登場しています。

一部ご紹介しますと、「明日は福岡でイベントです。早く寝なきゃいけないのに、書き込みを読んでいたら、テンションがハイになってしまいました。
 昨日は緊張して心臓が口から出てきそうな位だったけど、実は、本番前に岩谷時子先生がパワーを下さってドキドキが減り、みんなの温かい拍手に包まれて幸せな時間を過ごすことが出来ました。
 本当にどうも有難う。また一緒に青春しようネ。」というものです。

菊は、これを読んで感動してしまいました。

50歳も離れているのに、二人の絆は、本当に強いです。

さすがは岩谷時子さんです。

孫のような女性とも、こんなに深くご縁が持てるのですね。

きっと岩谷時子さんは、越路吹雪さんに学んだ、最高の帝王学も本田美奈子.さんに伝え、本田美奈子.さんは、それを真剣に吸収していたのだと思います。

しかも本田美奈子.さんにとって、50歳離れた岩谷時子さんは、師匠と弟子だけど、何でも相談できる第2の母、芸能界の母になっていました。

「お母さん」と呼んでいたのです。

でもその関係は、岩谷時子さんにとっても、越路吹雪さんの時の、大親友や、マネージャーと歌手、作詞家と歌手というものと違っていました。

生涯結婚しなかった、子供のいない岩谷時子さんには、本田美奈子.さんは、自分の娘そのものになっていたと思いますし、生きがいだったと思います。

越路吹雪さんがなくなった後、本田美奈子.さんが、日本ではもういなくなった、本当に歌で、多くの人を感動させられる、歌手になる事を夢見ていたと思います。

本田美奈子.さん、岩谷時子さんは、同じ夢を見ている同志だったのです。

またそんな二人は、2000年には、デビュー15周年記念として「歌革命」という名前のリサイタルをして、観客だけでなく、プロの専門家の人達も驚かせたそうです。

菊も聞きたかったですが、「天城越え」から「オペラ蝶々夫人 ある晴れた日に」まで!そう演歌からオペラまで見事歌ったという事なのです。

その上に、岩谷時子さんは、そんな本田美奈子.さんと、新しい歌の世界の革命にも挑戦しています。

越路吹雪さんが、外国語が分からないお客さんの為に、有名な外国の歌でも、まったく直訳の違った、日本語の詩を作って、歌ったように、本田美奈子.さんは、クラシックの名曲に、歌詞を作って歌いました。

それが、20035月、ソプラノ・ヴォイスを用いた初のクラシックアルバム「AVE MARIA」です。

インターネットで得た情報によると、「岩谷時子のサポート得て、クラシックの楽曲に全編日本語の詩を編みこみ、新しいクラシックの世界を切り拓き、各方面で大きな話題を呼んだ。」と書いています。

岩谷時子さんは、そんなクラシックの作詞を担当して、全面的に協力して、見事に成功させたのです。

しかも岩谷時子さんは、ジュピター〜組曲「惑星」より(ホルスト) や、アメイジング・グレイス(ニュートン)、などの名曲も、見事に作詞もしています。

岩谷時子さんと、本田美奈子.さんの、二人が結びつかなかったら、絶対に誕生していない、アルバムなのです。

なぜなら、この事は、「たけしの誰でもピカソ」という番組で放送されたそうですが、「心」を伝える言葉、今に生きているクラシックを歌いたいという本田は、クラシックの名曲に日本語の歌詞をつけて歌う、大胆な試みのアルバムをリリースしたと言う事で取り上げられていました。
 その上にその番組では、「サウンド重視だった本田がミュージカルに出演したことで、「思いを伝える言葉の大切さ」を実感、それを教えてくれたのが作詞家の岩谷時子だった。」と紹介していました。

本田美奈子.さんにとって、岩谷時子さんは、本当に大きな存在、師だったのです。

その上に、岩谷時子さんと、本田美奈子.さんは、その後も、20045月、ドヴォルザーク没後100年の名曲「新世界」に本田美奈子自身が新しい詩をつけシングルとしてリリースしたり、2004年には、クラシックの第2弾、「時」リリースしたりしています。

特に、この「時」のアルバムのために、岩谷時子さんが、書き下ろした新曲「時 -forever for ever-」(作詞:岩谷時子 作曲:井上鑑)は、時を越えて語り継がれる名曲になっています。

岩谷時子さんは、もうすぐ90歳になるのに、わが子同然の美奈子さんの為に、そんな素敵な歌を作っていたのです。

菊は、心から、岩谷時子さんを尊敬してしまいます。

でも、それだけでなく、菊が感動したのは、この「時」のアルバムでは、本田美奈子.さんが作詞した曲が、何曲もある事です。

本田美奈子.さんは、岩谷時子さんの影響で、自分で、何曲も作るようになっていたそうです。

きっと岩谷時子さんは、自分が亡くなった後も、わが子も同然の美奈子さんの事を考えて、師匠として、歌の作詞をする事を勧めたのだと思います。

しかし、人生とは、本当に難しいです。

皮肉にも、本田美奈子.さんは、翌年の2005年1月に、体調を崩し、急性骨髄性白血病で入院して、2005116日午前438分死去したからです。

38歳という若さでした。

もし、本田美奈子.さんが、これからも生きていたら、きっと、本人が無意識で望んでいたように、60歳、70歳でも、歌を歌って、多くの観客を集められる、美空ひばりや、越路吹雪に匹敵する、今の日本では、唯一の真の大物になっていたと思えるだけに残念でした。

日本は、本当に、大きな財産を無くしたと思います。

また、その時の岩谷時子さんの気持ち、年下の越路吹雪さんだけでなく、まさか本田美奈子.さんまで亡くしてしまった岩谷時子さんの事を考えると、菊は、何ともいえません。

神様は、残酷だと思います。

だけど、本田美奈子.さんは、こんな劇的な亡くなり方をした事で、伝説になったと思います。

しかも、1216日(金)21:0022:52、フジテレビの金曜エンタテイメント枠で、『天使になった歌姫 本田美奈子.』 〜夢と闘いの38年〜の番組が放送されましたが、とてもすばらしかったです。

全国の多くの人が、本田美奈子.さんが、母親の美恵子さんや妹さんを大事にし、多くの芸能の仲間に愛され、入院中でも、歌を歌っていた事に感動したと思います。

その上に、偶然に、岩谷時子さんが、躓いて、大怪我をして、同じ病院の13階に入院した事で、無菌室から一歩も出られない本田美奈子.さんと、ボイスレコーダーで、メッセージのやりとりをし、それが残っている事、まさしく運命だと思います。

菊自身、本田美奈子.さんが、岩谷時子さんに、毎回最後にアカペラで、岩谷時子さんが作った歌を吹き込んだ事と、その歌唱力に感動しました。

「お母さんが、作ってくれた大切な、大切な曲、歌います」と言って貰えた、岩谷時子さんの感動分かります。

 その時、菊は、本田美奈子.さんは、永遠に残って、越路吹雪さんと同じように、ドラマや舞台で登場する事になると確信しました。

 何故なら、越路吹雪さんで分かるように、すばらしい歌手の人生は、芝居やドラマになりやすいです。

 歌がついてくるからです。

 しかも越路吹雪さんの芝居で、分かるように、岩谷時子さんの人生も、とても絵になります。

 きっとすばらしい芝居や、ドラマができます。

 作家の端くれですから、分かりますが、誰も作家なら、これを見逃さないと思います。

 一時でなく、本田美奈子.さんは、永遠に語り継がれると、菊は、確信しているのです。

 きっと、そこに、神様が、本田美奈子.さんを天国に召した大きな理由があると思っているのです。

 

 

              ∞「岩谷時子と越路吹雪」∞

 岩谷時子さんと、本田美奈子.さんの事、いろいろ書かせて頂きました。

 でも、まだ岩谷時子さんの事は、越路吹雪さんの芝居やドラマを、一度も見た事のない人には、分からないと思います。

 だから、菊が、越路吹雪さんとのご縁を通して、主に「女一代記」のドラマの内容で、簡単にご紹介したいと思います。

 まず岩谷時子さんは、1916年3月28日生まれです。

 1945年が終戦ですから、戦争が終わった時には、30歳でした。

 また大親友の越路吹雪さんは、1924年2月18日になります。

 8歳年上になるのです。

 でも、そんな二人は、宝塚歌劇団で、入った事で、ご縁を持つ事になります。

 越路吹雪さんが1937年に、宝塚歌劇団に入りましたが、その後、すぐに、越路吹雪さんが、15歳の時に、岩谷時子さんが、(23歳)歌劇団などに投稿する詩がすばらしいということで、宝塚歌劇団出版部に誘われて、編集局員として入ったからです。

 その最初の出会いを、「女一代記」のドラマでは、宝塚歌劇団に通うのが面倒なので、宝塚大橋を歩いて渡る少し変わった越路吹雪さんと、まじめな優等生の岩谷時子さんで、紹介していましたが、二人は、本当に馬が合ったか、いろんなエピソードがあります。

「女一代記」では、残念ながら、あまり詳しく紹介されませんでしたが、やんちゃのコーちゃんと、優等生の岩谷時子さんは、宝塚歌劇団でも名コンビで、大暴れしていたみたいです。

 というのも越路吹雪さんは、本人にその気がなくても、ものすごく目立っていて、時代がちょうど、越路吹雪さんを後押しして、男役として、宝塚歌劇団のトップスターになっていきました。

 歌もうまく、第一人者になり、岩谷時子さんは、出版部の職員なのに、何故か、越路吹雪さんのマネージャーのような存在になりました。

 自他共に、誰もが認める、大親友だったのです。

 宝塚歌劇団の先生達や、阪急電車や宝塚歌劇団の創業者で、阪急グループを一大の経営者で、宝塚劇団の校長としても活躍した小林一三とも、いろんなエピソードがあるのです。

 たぶん、越路吹雪さんにとっても、岩谷時子さんにとっても、もっとも楽しい青春だったと思います。

 不思議と、戦争を吹き飛ばすぐらい明るいのです。

何故なら、「女一代記」のドラマでは、戦争の時期、越路吹雪さんと岩谷時子が、地方公演に行って、ボイラー室の中で、寝泊りさせられて、お風呂場の男性の裸の姿を見て、びっくりしているシーンがありますが、とても明るいのです。

 また、そんな中で、戦後6年、越路吹雪さんは、同じ阪急グループの東宝の専属になって、宝塚歌劇団を退団すると、岩谷時子さんも、大好きな宝塚歌劇団を辞めると、東宝文芸部の社員として、本格的な越路吹雪のマネージャーになります。

 きっとこれは、豪快と同時に、精細の部分もあって、開演する前は、緊張でガタガタになっていて、いつも、岩谷時子さんから、おなじまいとして、指で、背中に虎の漢字を書いて貰って、「あなたは虎、お客様は猫、」「はいこれで大丈夫。」パンパンと叩いて貰って、舞台で活躍していた越路吹雪さんには、岩谷時子さんが、必要な事、良く分かっていたのだと思います。

 でもそれでも、こんな事は、よほど、越路吹雪さんとの友情がないとできないと思いますし、宝塚や、東宝からも愛され、信頼されていたのだと思います。

 二人は、こうして宝塚歌劇団を辞めると、厳しい芸能世界に入る事になったのです。

 宝塚歌劇団のトップスターだけでは通用しない世界に入ったのです。

 でも、神様は、そんな二人を祝福しました。

 翌年の1952年、(昭和27年8月)に、エディト・ピアフが作詞した「Hymne a l'amour」を愛の賛歌として、歌うご縁ができたからです。

 越路吹雪さんは、その尊敬するエディト・ピアフの歌を、日本人には意味の分からないフランス語ではなく、日本語で歌いたいという事になって、その訳詩を、越路吹雪さんの事を一番理解しているマネージャーの岩谷時子さんがやる事になりました。

 控えめの岩谷時子さんは、驚いて辞退しようとしたのですが、越路吹雪さんに、押し切られて書く事になったのです。

 それが、有名な、「あなたのもえるてで あたしをだきしめて ただふたりだけで いきていたいの ただいのちのかぎり あたしはあいしたい」という出足で始まる、大ヒットした「愛の賛歌」です。

 この「愛の賛歌」は、これから、ずっと、越路吹雪さんの最大の定番の曲になります。

 岩谷時子さんは、作詞として、誰もが驚く程の天性の才能があったのです。

以後、岩谷時子さんは、「ビキン・ザ・ビキン」「ラストダンスは私に」 「サン・トワ・マミー」 「夢の中に君がいる」 「枯葉」「夜霧のしのび逢い」「雪が降る」「ろくでなし」 ・・・・などの名曲を、越路吹雪さんの為に書く事になるのです。

 でも、そんな作詞家になっても、岩谷時子さんの本職は、越路吹雪のマネージャーでした。

 岩谷時子さんは、越路吹雪さんが、パリで勉強したいと言えば、必死に事務所の藤本プロの社長に頼んだりして、越路吹雪さんの為に、必死でした。

 越路吹雪さんの才能が誰よりも分かっていて、歌を歌っている越路吹雪さんの姿が好きな岩谷時子さんは、越路吹雪さんの夢に、自分の人生をかけていたのだと思います。

 しかし、そうは言っても、岩谷時子さんは、越路吹雪さんの人生にかかわらず、拘束もしませんでした。

 越路吹雪さんが、舞台がちかづくと眠れなくなって、睡眠薬を飲んでも駄目で、夜中に友人の男性を呼んで、一番苦手な数字合わせ、マージャンをすることで寝ようとしたり、夫になる、作曲家の内藤法美さんともお付き合いをしたりしている事は、知らなかったみたいだからです。

 そのへんが、二人の友情が、ずっと続いた秘密のような気がします。

 越路吹雪さんは、独身時代には、作家の三島由紀夫の恋人だったことがあるぐらい恋多き女性で、マネージャーの立場ではけんかしたかもしれなかったからです。

 でも、二人の友情は、最後まで壊れませんでした。

 越路吹雪がどんなに有名になっても、岩谷時子さんが、どんなに大物の作詞家になっても、越路吹雪さんが、結婚しても、二人は、コーちゃん、時子さんの関係でした。

 越路吹雪さんも、そんな岩谷時子さんとの関係を大切にしました。

「女一代記」のドラマでも、「結婚したら、河野美保子から内藤美保子に変わるけど、越路吹雪は、一生、越路吹雪だから。・・私達は、一生変わらないよね」と岩谷時子さんに言っています。

 他の人には分からない、夫の内藤法美さんでも、入り込めない、二人の世界があったと思うのです。

 また、菊が、ここで感心したのは、岩谷時子さんは、対等でなくなるという事で、最初から、ずっと越路吹雪さんから、マネジメントのギャラを貰おうとしなかった事です。

 これには菊は、びっくりしてしまいました。

 しかも、作詞家として成功した、岩谷時子さんは、歌がヒットして、大金持ちになったかと思いましたが、ドラマを見るかぎりそうではありませんでした。

 今とは、印税の仕組みが違うのか、ずっと岩谷時子さんは、母親である、岩谷秋子さんと、親子で仲良く慎ましい生活をしていました。

 その若い頃の一生は、越路吹雪に捧げた人生と言ってもいいと思いますが、本当に幸せな人生でした。

 縁の下の力持ちで、最後まで、大親友の越路吹雪さんの為に捧げ、結婚も、恋もしませんでしたが、ご縁のある人達から聞いた恋の話を、歌にして、多くの人に、残すというすばらしい使命を果たしました。

 本当にすごいと思います。

 菊も、いつか、ご縁のある人と、こんな人生を実現できるのでしょうか。

 そんな事をしみじみと思ってしまいました。

そして、越路吹雪さんは、1980年(昭和55年)117日午後32分:胃癌のため死去しました。

享年56歳、岩谷時子さんが、64歳の時でした。

本当に波乱万丈だけど、すばらしい人生だったと思います。

また、永遠のパートナー、越後吹雪さんが亡くなった事は、岩谷時子さんにも大きなショックを与えました。

大きな夢を無くした感じです。

でも神様は、10年後、岩谷時子さんが、74歳の時に、本田美奈子.さんとの新しい出会いを作っています。

新しい生きがいを与えています。

深く、深く、岩谷家の御霊を代表して、感謝したいと思います。

 では、皆さん、縁の花 第217号「本田美奈子.と岩谷時子」読んで頂いて「ありがとうございます」

平成17年(2005年)12月27日

 

追伸、本田美奈子.は、白血病になった事で、いろんな悟りを開いたみたいです。

今年の5月に、病床の本田美奈子.さんは、「病室にいる私にできることはなんだろう」と所属事務所の高杉敬二エグゼクティブプロデューサーに訴え、「同じ苦しみの中で、頑張っている人達の代表として、みんなに勇気と希望のエールを送る事が、私の使命」という事で、白血病患者を援助していくプロジェクト「LIVE FOR LIFE PROJECT」(生きるために生きる)を設立させたそうです。

本田美奈子.さんは、病気が治ったら、来年にも、チャリティー公演をするつもりだったのです。

しかもその「LIVE FOR LIFE PROJECT」には、発起人には、岩谷時子さんや歌手の岩崎宏美さん、松崎しげるさんらが、名をつられ、NPO(非営利団体)の法人を目指し、同プロジェクトのテーマソングも完成し、後は、本田美奈子.さんの回復を待つだけだったのです。

でも、それは実現できませんでした。

だけど、来年には、発起人の岩崎宏美さんや、松崎しげるさんをはじめ、ミュージカル「ミス・サイゴン」で、美奈子さんの恋人役を演じた岸田敏志さんらの歌手仲間が、一堂に会し、天国の美奈子.さんに届けとばかりに、第1回のチャリティー公演が実現する事が決まっていますし、高杉氏は、「美奈子の残した財産なので、大事にしていきたい、1回や2回でつぶれるようなコンサートにしたくない」と言っています。

今後、「LIVE FOR LIFE PROJECT」は、本田美奈子.さんの意志を継いで、NPO法人化を視野に入れて活動し、本田さんの追悼コンサートを定期的に開催、その利益などを公的医療機関などに寄付していくそうですし、病床で本人が書いた「笑顔」という詩は、本人が復帰した後、曲をつけて歌う日を楽しみにしていた遺作で、追悼コンサートでは何らかの形でファンに披露するというそうですが、菊は、そこに、目にはみえなくても、天の大きな願いがある気がするのです。

菊も、できるだけ支縁したいと思います。

また、本田美奈子.さんの死は、多くの国民に、改めて、白血病や移殖技術に関して、いろんな問題定義を与えてくれました。

夏目雅子さんとは違って、今は、俳優の渡辺謙さんのように、白血病も治るという誤解は取れました。

今でも助かるのは、3割と少ないですし、移殖できる骨髄もすくないそうです。

多くの日本人に、気づきを与えようとしてくれているのです。

しかし、菊は、本田美奈子.さんの死には、もっともっと大きな意味があると確信しています。

と言うのも、フォトンベルトの渡邊先生は、ご自分のフォトン・ベルトの情報で、「2005年11月6日、惜しまれつつ亡くなった歌手本田美奈子さんの死は日本人にとって大きな意味を持つようです。彼女の死後、特に「アメイジング・グレイス」が挿入され たCDが評判を呼び全国的に入手困難な状況にあります。 筆者の知人の一人は天界からのメッセージを受ける方ですが、彼女によると本田さんは ピュアーな歌声で多くの人々の心を浄化するために神に召された、つまり殉教者となった とそうです」と書いています。

菊は、それを聞いて、本田美奈子.さんが亡くなった意味が分かった気がします。

本田美奈子.さんは、天に天界に召されて、今、多くの御霊の前に、越路吹雪さんと一緒に歌っているような気がしています。

多くの御霊が抱えている心の思いを浄化するお役をしているような気がしているのです。

しかし、それだけでなく、4次元の幽界にいる御霊だけでなく、この三次元のこの世でも、多くの御霊を浄化する使命があるような気がします。

多くの人が、本田美奈子.さんの曲を聴く事で、背景の御霊も救われるような気がするのです。

また、本田美奈子.さんのお母さんが、お葬式で、「美奈子を忘れないで」と叫んだのですが、その意味も、単に母親として言った言葉ではなくて、天が言わせた言葉だと思います。

今の本田美奈子.さんの歌には、多くの背景にいる御霊を霊界に帰してあげられる力、そんなパワーがついているので、是非、多くの人に聞きなさいと勧めて頂いている気がしているのです。

そしてその事が、菊が、皆さんに、本当にお伝えしたい事ですし、縁の花に与えられたお役だと確信しています。

一人でも、多くの人が、天使の歌姫になった本田美奈子.さんの歌の力で、背景にいる御霊を、霊界に帰してあげられる事を、心から願いたいと思います。

          縁の花第217号表紙 「天使の歌姫になった本田美奈子.と作詞の世界の大御所岩谷時子」

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