縁の花

  (魂が成長する心と心のネットワーク誌)

        第221

「ウクライナ国との縁結び」

      ∞「小野元裕さんとのご縁」∞

 今年の1月末、1年間、ウクライナという国に在住していた小野元裕さんこと、ミクシイ名、コサックさんが、帰国しました。

 ウクライナと日本の縁結びをする親善大使というお役を無事終えて、日本に帰ってきたのです。

 しかも帰国したら、早速、日本で待っていた多くのご縁のある仲間に、ウクライナのご報告会などをされて活躍しています。

 早速、菊も、222日、大阪産業大学・梅田サテライト教室でされたものを聞きにいきましたが、とてもよかったです。

 テーマは:『「ウクライナ、ダイナミックに暮らす人びと」〜ウクライナ中を歩き、見たもの、聞いたもの、感じたもの〜』でした。

 ウクライナで、一年間暮らしていた時に、1万枚もの写真と言う素敵な財産を持っていて、その中から、600枚ぐらいの写真を、スクリーンに出して、素敵なトークを交えて、2時間ぐらい話をしてくれました。

 本当にカッコよかったです。

 これから日本ウクライナ文化交流協会会長という事で、日本国内で、ウクライナのすばらしさを伝え、日本とウクライナの縁結びに、ご尽力されると思います。

 また、菊自身が、会ってまず驚いたのは、お顔も、身体も、見事に変わっていた事です。

 100キロあった体重は、30キロも減って、70キロでスマートになっていました。

 お顔も、いつもにこにこしている印象でしたが、ひげを生やし、引き締まっていました。

 何か、別人になっていました。

 1年前の小野元裕さんは、新風書房で、本を出版する仕事をしながら、文化創造クラブという事で、毎日、夕方の6時半から、6畳くらいの本当に狭い部屋で、話したい人が、話すという方式で、いろんな事を伝える、裏役のお仕事をしていましたが、これからは、自分のやりたい事、ウクライナの事をどんどん多くの人に、伝える活動をする感じです。

 菊は、新しい小野元裕さんを見て、天から与えられたお役が変わったという気がしました。

 遺伝子を研究している村上和雄先生は、日本人は、外国に留学した時に、眠っている、オフになっていた遺伝子が、オンになって、別人になって、すばらしい業績を残す人が多いと言いますが、小野元裕さんも、そんな感じです。

 いろんな人のお世話役として、いい人だったのが、信念を持った活動家に変わったような気がするのです。

 何か、波動が変わった気さえするのです。

 しかし、菊とのご縁は、これから本格的に始まると思いますし、何か、お互いの魂で約束している気がしています。

 一本の線で繋がっている気がするのです。

 というのも、小野元裕さんとのご縁は、天から用意されているご縁のような気がとてもするのです。

 何故なら、最初、菊が、小野元裕さんの存在を知ったのは、岸和田の土生神社の阪井健二宮司さんと、喫茶店でお話していた時に、「ありがとうおじさん」の本を出版したり、いろんな本を手がけたりしている、文化創造クラブというものをしている面白い人がいると教えて頂いた事が始まりでした。

 菊自身、ご縁があれば、縁の花を本にしたいと思っていたので、興味があって、ご紹介して頂ける事を楽しみにしていたのです。

 自然に縁ができるのを楽しみにしていたのです。

 またそんな小野元裕さんとは、阪井健二さんが、土生神社の宮司になった事のお祝いの会で、初めてご縁を頂きました。

 小野元裕さんと 佳保子さん、(ミクシイ名泉佳保子 )、ゴールデンコンビのお二人に会ったのです。

 しかも何と帰り、電車の中で、一緒に帰りまして、文化創造倶楽部で、菊も講演させて頂ける事が決まりました。

 縁の花 第184号「紫陽花の講演」で、詳しく書いていますが、初めて、文化創造倶楽部に参加して、無事、講師のお勤めをさせて頂いたのです。

 その上に、多くの本を出版しているプロの小野元裕さんには、どんな人の講演や本の内容でも、縁の花で、ありのまま文章で残せる菊の才能に関して、殆ど煽てが入っていると思いますが、天才だという評価頂きました。

 こんな才能を持っている人は、菊ともう一人のしか知らないそうなのです。

 また、そんな菊が、再び、小野元裕さん、泉佳保子 コンビにお会いしたのは、大圓さんのしている「いのちと出会う会」に、女子バレーで金メダルを取った一人、中野真理子さんが、200312月に講演しているものに参加した時でした。

 何故か、大圓さんが、参加人数が少ないので、ご縁のある人に必死で来るように言っていました。

 菊は、中野真理子さんの事は、昔、MGの頃、講演を聞いた事もあって、知っていたので、何かのご縁を感じ参加して、再び、泉佳保子さん 、小野元裕さんに会って、泉苑でする1223日、クリスマスコンサートにお誘い頂きました。

 菊の誕生日です。

 喜んでいきました。

 初めて、八尾市の高安にある泉苑に来たのです。

 そしてそこで、菊は、小野元裕さんが、1月に、1年間、ウクライナに行く事を知りました。

 大学でロシア語を学んでいた小野元裕さんは、ロシアに行く事が夢で、ロシアの隣の国、ウクライナに住むことになったのです。

 これには驚きましたが、それでもご縁は続きました。

 5月頃、小野元裕さんからミクシイを教えられた泉佳保子 を通して、ミクシイの招待状を貰ったからです。

 菊は、ミクシイに入り、最初のマイミクは泉佳保子 、二人目は小野元裕さんでした。

 そこから菊は、ミクシイのご縁を深め、ウクライナにいる小野元裕とも、日記の書き込みを通して、ご縁を深めました。

 正直言って、日本と比べたら、インターネットの環境が悪いウクライナで、ミクシイなどのインターネットする事は大変だったと思いますが、小野元裕さんは、いろいろ苦戦しながらも、日本で楽しみにしている仲間の為に、ウクライナでのドタバタ劇書き込んでくれていたのです。

 また、そんな中で、不思議な縁も誕生しました。

 小野元裕さんが、いよいよ帰国の準備に入るので、インターネットを切ると言った、120日、菊は、縁の花のHPを見た、Larisa Antonovaさんのご主人の日本人の方から、メール頂いて、ミクシイご招待しました。

ご縁を広げたいので、ミクシイに参加したいという事だったので、メール交換してからご招待したのです。

 でもその時は、奥さんのLarisa Antonovaさんが、ウクライナ人とは知りませんでした。

 Larisa Antonovaは、今、日本で、子供さんを育てながらも、陶芸家としての道を進んでいます。

 しかも小野元裕さんとLarisa Antonovaさんは、共通の友人が、ウクライナで合気道を教えているという事で、お互いに、知っているみたいでした。

 今は、Larisa Antonovaさんと、小野元裕さん、泉佳保子 は、マイミクの関係になって頂いています。

 これには、菊もびっくりです。

 まるで小野元裕さんが、日本に帰った後の、ウクライナの志を、Larisa Antonovaさんが、引き継いでくれるような予感がしました。

 菊は、そこに、小野元裕の活動に対して、天からのメッセージを感じました。

 何しろ、菊が外人で、唯一ご縁があるのが、ウクライナから日本に来ているLarisa Antonovaさんだけです。

 菊なりに、日本とウクライナの親交のお手伝いをしたいと思ったのです。

 

 

    ∞「小野元裕さんのウクライナ報告会」∞

 大阪産業大学・梅田サテライト教室で行われた、小野元裕さんの「ウクライナ報告会」楽しかったです。

 会場には、泉苑の人達や、NHKで紹介されていた、女拓や瓶投げの芸術で有名な世界的な芸術家、島本昭三先生や、小野元裕さんの大学や、ロシア関係のご縁の人達で、一杯でした。

 大阪の皆、小野元裕さんが、ウクライナで、どんなことをしていたのか、興味津々でした。

 仲間、小野元裕さんが、日本に帰ってくるのを、心から待っていたし、今、心から喜んでいること、菊には、心から実感できたのです。

 また、小野元裕さんの話、とてもよかったです。

 講演は、ウクライナで写真を撮った1万枚もの写真の中で、600枚程度選んだものを、パソコンを使って、1枚、1枚スクリーンに出して、面白いトークを交えて話してくれました。

 今まで、小野元裕さんの話は、不思議と聞いた事はありませんでしたが、非常に上手でした。

 写真を使って話すやり方などは、コンピューターをうまく使える小野元裕さんならではですし、菊は、とても感心しました。

 さすがは小野元裕さん、こんなやり方があるのだなあと思ったのです。

 しかも小野元裕さんが、1年間、ウクライナ中を歩き、体験(見たもの、聞いたもの、感じたもの)した事は、どれもすばらしいことです。

 まるで、ドラえもんのポケットのように、いろんな話が登場してきます。

それを、小野元裕さんが、天才だと誉めてくれた菊の才能を使って、少し紹介させて頂きますと、まず、冒頭に小野元裕さんが、話してくれたのは、ウクライナの冬は、非常に寒いと言うことです。

位置は、ポーランドとロシアの間にあります。

ロシアの冬は、寒いという事はイメージできますが、ウクライナも寒いです。

一言で、小野元裕さんは、その寒さを、少し汚いですが「鼻毛も凍るぐらい、冬は寒い」と表現してくれたのです。

また、次に小野元裕さんが、教えてくれたウクライナに対する感想は、ウクライナの女性は、9割が美人だという事でした。

どちらも向いても、美人しかいないというのです。

これに関しては、外国ではそんな国があると聞いていても、行った事がない菊には、想像できない夢の世界ですが、小野元裕さんの話を聞いて、美人ばかりの国、ウクライナに行きたくなりました。

電車、一つ乗っても、日本とは違うそうなのです。

ただし、菊自身、ウクライナに行った事のある別な人に聞いた話では、確かに、ウクライナの若い女性は美人ばかりですが、結婚したり、年を取ったりすると、容姿が変わるみたいです。

寒い国なので、どうしても生活していたら、脂肪が必要です。

それで容姿が変わるそうですが、真相は、菊には分かりません。

少なくても、小野元裕さんは、そんな事は言いませんでしたし、膨大な写真を見ていても、美人の人しか出てきませんでした。

年を取っている女性は、あまりいなかったと思いますが、菊の記憶では美人だったと思います。

ここのところは、菊自身、いつか行ってみて自分の目で、確かめないといけないと思ったのです。

ただ、それでウクライナの男性は、美人と結婚できる確率が大きくて、幸せかと言ったら、そうともいえないそうです。

次に、小野元裕さんが、話してくれたのは、ウクライナの女性と結婚したら、お金と時間は、全部とられますよという事でした。

どうしてそんなにウクライナの女性は強いのかは、結局、小野元裕さんの話では、最後まで謎ですが、ウクライナで、ウクライナの女性と結婚している日本人男性も、奥さんの前では頭が上がらないそうです。

何でも、ウクライナでは、1週間、夫が仕事で、一人で出張していたら、離婚は当たり前ですし、仕事が終った後、家にすぐに帰って、食事をするのが、常識だそうです。

20分も遅れたら、座られて、一体、何をしていたのか、浮気をしていたのか、追求されるそうです。

自由なんていうものは、なくなるそうなのです。

これには、外国の男性は、しっかり財布を握っていると聞いていた菊には意外でしたが、外国でもさまざまな夫婦のスタイルかあると思います。

正直、自由を奪われてまで、どんな美人でも、ウクライナ女性と結婚したいとは思いませんが、その反面、悪くないなあと思いました。

日本の女性は、菊の魅力、価値が分からない、程度の低い「アンボンタン」の集まり(()なので、ここは一つ、狭い日本は相手にせずに、菊も外国のウクライナに目を向けるか、そんなこと、考えながら、聞いていました。

ロシア語も、ウクライナ語も喋れないので、小野元裕さんを煽てて、日本に来ている、日本語を話せる美人で、若い女性を紹介して貰って、今、む一発大逆転を狙おうか、そんな事も考えています。?*゚¨゚゚・*:..。?*?*゚¨゚゚・*:..。?

日本の女性が駄目なら、美人のウクライナの女性が、菊を待っているのではないか、だんだんそんな気がしてきました。

素質学でみた菊の素質が、赤ちゃんの性格の菊には、愛するウクライナの女性に、自由を取られて、育てて頂くのも、そんなに悪くはないなあと思うのです。

日本を飛び出して、ウクライナの女性と恋に走って、菊の眠っている遺伝子のスイッチを入れて、大きく成長するというのも悪くないと思うのです。

しかも小野元裕さんの話だと、ウクライナは、自由恋愛の国だそうです。

70歳、80歳でも、会場に集って、踊ったり、歌ったりして、恋を楽しんでいるそうです。

地位やお金のある男性は、23回離婚を経験しているのが普通だそうですし、お金のない人は、諦めて、ずっと生涯奥さんと過ごすそうなのです。

菊自身は、パートナーさんの奥さんと、結魂したら、ずっと添え遂げるつもりですが、自由恋愛自体は、菊の考えに、あっているので、大賛成なのです。

 その上にウクライナの夏は、楽しいそうです。

 内陸部の国なので海はありませんが、有名な、黒海に繋がっているドニエプル川では、多くの男女が日光浴を、裸で楽しんでいるそうです。

 これだったら、女性とご縁の少ない菊でも楽しめそうです。

 小野元裕さんが撮っている写真の中には、何枚も、変な顔をされながらも、自分の為でなく、日本の人の為、菊さんの為に撮らして下さいと言うオーラーを発して撮った写真が何枚もあるそうですが、菊自身、是非一度はそんな世界にいきたいと思いました。

 お金とご縁があれば、夏、一人でも、ウクライナに行きたいのです。

 

         ∞「変な日本人」∞

 しかし、菊がこんな事ばかり書いていたら、小野元裕さんは、1年間、一体、ウクライナで何をやっていたかという事になりますが、本当に小野元裕さんしかできない活動、ウクライナとの親交を深めていたのです。

 菊は、その小野元裕さんの器の大きさに、心から感動したのです。

 何故なら、たった1年間で、小野元裕さんがウクライナで、やっていた事は、変な外人、変な日本人でした。

 日本の衣装、作務衣姿を着て、ひげを生やした、変な日本人として、テレビやラジオでも出ていたそうです。

 特に、ご縁のある妖精ピアニストaccoちゃんを、わざわざ日本から呼んで、一緒に出たM−1という、ウクライナだけでなく、ロシアやECで、全ヨーロッパの300万人が、観ている朝の生番組にも、変な日本人として出て、accoちゃんを見事にサポートして、ヨーロッパデビューを果たさせてそうです。

 残念ながら、そんなウクライナでの、小野元裕さんの変な日本人ぶりは、日本では見ることができませんでしたが、相当大変だっただろうと想像します。

 それは、日本のテレビにタレントして、登場する変な外国人や、変なアフリカ人を見れば、何となく理解できると思います。

 彼には、わざと面白い事をやって、日本人に笑われています。

 タレントして、変な外国人として演技して、「コメディアン」ぶりを発揮しているのです

 それで、経済大国日本でお金を稼いでいるのです。

 でも、小野元裕さんは違います。

 お金の為だったら、経済的に、日本よりも遥かに豊かではない、ウクライナを選ばなかったと思います。

 あくまでも、自分の夢、日本とウクライナの親交の為に、1年間、たった一人で、タレントでもないのに、コメディアンとして、「変な日本人」演技していたと思います。

 小野元裕さんの話では、おいしいすしの食べ方なんていう番組に出て、あれやこれや話しては、変な日本人して受けていて、マスコミの人達には、ひっぱりだこだったそうです。

 町を、日本人として、作務衣姿で歩くだけで、お前は「テレビでみたことがある」ということで、いろんな一般の人から、いろんな食べ物が貰え、食べ物に困らなかったそうです。

 はっきり言って、小野元裕さんは、ウクライナで、尊敬されているのは別として、一番知られている日本人に、わずか1年間でなったのです。

 菊は、そんな小野元裕は、本当にすごいと思いますし、とても菊にはできないと心から感心しています。

 外国で、まったく知らない多くのウクライナ人の人達に、「アンポンタン」だと見られるなんてとても耐えられそうにもないからです。

 しかも小野元裕さんは、菊とは違って、有名な大学の外国語学部ロシア学科を出て、大谷深先生のもとでロシア文学、とりわけドストエフスキーを学んだインテリです。

 そんなインテリなのに、自分を捨てられるなんて、普通は絶対にできません。

 少なくても、ウクライナやロシアにも、いえ外国に、日本から、たくさんの学者の人達が、友好や研究の為に、来ていますが、小野元裕さんのように、インテリで、コメディアンになった人は、なかなかいないと思います。

 泉苑や、文化創造倶楽部を通して、一般の多くの人達ともご縁がある、志を持っている小野元裕さんだからできたと思うのです。

 しかも、小野元裕さんが、そんな日本のイメージを壊す、変な日本人になっている事には、インテリの人達の中には、反感を持つ人もいたのではないかと思います。

 たぶん、日本でも、小野元裕さんのウクライナでの姿を見たら、泉苑や文化創造倶楽部の仲間でも、「小野元裕さんは、ウクライナに、一体、何しに言ったのだ」と影口を叩いた人も現れたと思います。

 小野元裕さんは、同じ、ロシアやウクライナを研究しているインテリの仲間の重圧にも、耐えて1年間、与えられた使命をこなしたのです。

 きっとたった1年間で、小野元裕さんの存在を、多くのウクライナ人に、ずっと知って貰うには、その事が必要だったのだと思います。

 それに、菊の想像ですが、おそらく、小野元裕さんは、日本からウクライナに行く前に、マスコミを使って、変な日本人を演じる覚悟をしていたと思います。

 でないとたった1年間で、何もないところから、ここまでやれるはずがありません。

 一体、小野元裕さんとは、何者なのと、ご縁のあるものとして、ほとほと感服してしまったのです。

 でももっとすごい事は、小野元裕さんは、変な日本人ではなかったことです。

 ウクライナのマスコミの人達には、頭のいい、さすがは日本人と信頼し、愛して貰っていたと思います。

 何故なら、それが証拠に、日本から、小野元裕さんとご縁のある人が、文化交流の応援という事で駆けつけましたが、どれも大成功だったそうです。

 20005年の12月には、世界4大アーティストの一人嶋本昭三さんは、多くの仲間の人達と、ウクライナで、女拓や上空からの瓶投げの芸術も披露したそうです。

 なかなかウクライナ、ロシアの瓶は割れないので困ったそうですが、幅、10メートル×10メートル、上空10メートルの会場を借りて行った、嶋本昭三氏のビン投げパーフォーマンスは、現地新聞やTVの取材もあり キエフに『現代アートの新風を巻き起こす!!!!』という事で、大成功したみたいですし、11月には、落語家の桂あやめさんと、林家染雀さんがコンピを組んで結成した姉様キングスも、「上方落語寄席・イン・キエフ〜姉様キングス」という事で大成功したみたいです。

何と、初日キエフ大学とオペレッタ劇場、二日目は学者会館で、行ったというのです。

日本ではとても考えられません。

他にも1013日に行われた、ウクライナの美女にずっとデレデレだったという桑田守喜ギターリサイタル・イン・ウクライナも成功しましたし、7月には、泉苑の仲間が応援している我らのアイドル、関西を中心に活動するピアニスト・accoちゃんが、M-1というウクライナの有名なテレビに生出演することで、「世界デビューを果たしています。

この放送はウクライナ全土だけでなく、ロシア、ヨーロッパにも流れており、約3000万人が見ているというから、本当にすごいです。

菊は、これには、作務衣姿で変なロシア語を喋る変な日本人の小野元裕さんが、ウクライナのマスコミの人達には、正当に評価されていて、信頼されていたおかげさまだと思います。

小野元裕さんが、変な日本人を通して、マスコミとご縁を持った事で、来日する仲間の活動をちゃんと説明し、ウクライナの新聞、テレビを上手に動かしたとからだと確信しているのです。

 小野元裕さん、まさしく恐るべきです。

      

     ∞「日本ウクライナ文化交流協会会長」∞

 小野元裕さんは、もちろん、ウクライナの国民には、変な日本人でしたが、ウクライナに住む、同じ日本人には、別な顔を持っていました。

「日本ウクライナ文化交流協会会長」という顔です。

 しっかりこの役も果たしました。

 日本で言えば、東大にあたるキエフ大学の日本語学科の先生になって、ウクライナの大学生に、日本語を教えていました。

 しかも、学生には、男性もいたと思いますが、菊の目には、美人な女性しかいませんでした。

 何か、デレデレで羨ましかったです。笑

その上に文化創造倶楽部の時と同じで、授業が終ったら、必ず二次会で、生徒さんとお酒を飲んでいたそうです。

自分が食べる食事は、いろんな人がくれるので必要なかったそうですが、その分、50人の学生に、奢っていたというところなんか、小野元裕さんは、日本の時と変わらないなあと思いましたが、しっかり、日本語を学んでいるウクライナの学生との、ご縁は築いたみたいです。

これから、日本に来た学生には、小野元裕さん、「日本ウクライナ文化交流協会会長」として応援していくみたいです。

とてもすばらしい事だと思うのです。

またウクライナに何十年と住んでいる日本人の人達との親交も深めていました。

 小野元裕さんが見せてくれた写真には、たくさんの日本人が出てきて、名前を言って紹介してくれました。

 菊自身、人の顔と名前を覚えるのがどうしても苦手なので、一人も間違わずに言える小野元裕さんは、やはりインテリだと改めて感心しました。

 ウクライナに住んでいる日本人の人達とのご縁は、本当に大切です。

 食事に呼ばれたことも何回もあるそうで、おいしい料理の写真も見せて頂きました。

 今まで、ロシア料理だと思っていた「ロールキャベツ」などが、本当はウクライナ料理だというのも多いそうなのです。

 それに、ウクライナの日本大使館などにも、小野元裕さんはもちろん顔を出して、親交を深めました。

 日本大使館婦人にも、可愛がって貰ったみたいです。

 そういったことは、「日本ウクライナ文化交流協会会長」という肩書きがないとなかなかできないことです。

今までロシア語やロシア文学を学んでいた事で、日本人で応援してくれる先生達が何人もいるから、できた事だと思います。

正直言って菊は、小野元裕さんのウクライナ、ロシアの人脈は、どのくらいあるのかな、ドラえもんのポケット並みでないのかなと感じてしまったのです。

しかも菊が感心したのは、そんなインテリだけでなく、ウクライナのアニメ倶楽部と言った人達とも、ご縁を持っていることです。

ウクライナでも、日本のアニメはブームだそうです。

セイラームーンなどのアニメの衣装をした人達の写真、何枚も見せて頂きました。

こういったところは、さすがは日本の文化創造倶楽部の会員だと感心したのです。

でもそれだけではなく、小野元裕さんは、たった1年間で、日本の16倍の広さを持っているウクライナ全領土を取材で周って、多くの庶民の人達とご縁を持っています。

いろんなウクライナの人達に、出会って、食事を食べさせて貰う、貧乏旅行したみたいです。

首都のキエフだけでなく、別荘地であるクリミア半島、ハリコフ、ドネツク、オデッサもまわっています。

特にウクライナは、東側はロシア語が通じるそうですが、西側は、ウクライナ語でしか通じないそうです。

小野元裕さんは、ウクライナに行ってから、ウクライナ語を勉強したそうです。

これには、菊もびっくりしたのです。

また、そんな小野元裕さんの話で、菊にもウクライナ人というものが少し分かった気がします。

まず、驚いたのは、ウクライナ人の性格です。

というのも、ウクライナは、貧富の差が、本当に大きくて、お金持ちは、世界的な金持ちで、ある人は、甲子園球場の何倍もの森林を切り開いて、日本庭園を造っているそうですが、そこでは家主との契約で、半分は現地のウクライナ人を雇って、日本の大工さんと共同で、仕事をしているそうですが、通訳した小野元裕さんの話だと争いはたえないそうです。

ウクライナの常識では、病院で手術する時でも、日本とは違って、手術する時の道具、メスから始まり、いろんな道具を、患者さんが揃えないと、お医者さんに手術して貰えないそうですが、それは、大工の世界でも同じで、現地のウクライナの人に、のこぎりから、釘、すべてを揃えないといけないそうです。

しかも三日もすれば、必ずのこぎりの一つぐらいは、家に持ち帰っていてなくなっているそうですし、釘がないので、買ってこいといえば、三日間、帰ってこないそうです。

その上に、日曜大工ができる男性ならすべて大工さんになる国で、仕事は、日本の大工さんに比べたら非常に大雑把です。

日本の大工さんの言葉を通訳したら、「働け」「働け」ぐらいしかなくて、すぐに嫌になったそうですし、それは小野元裕さんのミクシイ日記で、よく分かりました。

菊がとても印象に残っている小野元裕さんの日記に、20050619日に書いている、題名は「ウクライナでは突然何かが起こる。」というものがあります。

引用させて頂きますと、『部屋で寝ていて、電球が焼けて落ちてくる。 水道が止まる。トイレの水が流れない。 電気が止まる。パソコンができない。 インターネットが止まる。メール・チェックができない。 エレベーターが止まる。外に出られない。 自分の家の電話番号が変わっている。全く通知がなく、電話が通じない。 オペラの時間が変わる。その日になって入口のポスターにマジックで訂正のみ。 街を歩いていて、土砂降りの雨。傘がなくずぶぬれ。 全て突然。何の前触れもなく。 僕は、「突然の、ウクライナ」と呼んで、楽しんでいる。』というものがあります。

 これには菊も考えさせられたのです。

 でも、小野元裕さんは、そんなウクライナも住めば都なのか、楽しんでいたみたいですし、ウクライナ人の国民性を愛したと思います。

 日本では考えられない事ですが、ウクライナの人達には、日本人が忘れている「のんき」さを持っていると思うのです。

 その事を、今の日本人に伝えてくれるだけでも、大きな価値がある、菊はそう思ったのです。

 また、もう一つ、菊が、小野元裕さんの話で、興味を持ったのは、ウクライナで、日本の神道のような、現地の宗教や、遺物が復活されようとしているという話です。

 ウクライナやロシアでも、キリスト教が入るまでは、いろんな自然の神様、太陽神で、ストーンサークルのような、石文明の遺物が残っていたそうです。

 それが20世紀ソ連の共産党政権になって、多くは破壊されたそうですが、一部は今も残っているそうです。

 今、ウクライナでは、そういった遺物も大事にして、古来の祭りや、思想が復活、素直されているそうです。

 そんなところにも目をつけて、ウクライナの人達と交流している小野元裕さん、すばらしいです。

 普通のインテリではとてもできないことです。

 そういった現地の祭り、ツアー企画したら、日本から多くの仲間行くかもしれません。

 菊は、そんな事も考えてしまいました。

 いろいろ小野元裕さんのウクライナのポケットには、ドラえもんのポケット並みにやることたくさんあるなあと思ったのです。

 

      ∞「日本とウクライナの縁結び」∞

 ウクライナは、ポーランドとロシアの間にある国です。

 面積は、603,700km2、日本の約1.6倍で、欧州ではロシアに次いで大きい国です。

人口も、4,801万人で、ヨーロッパでは非常に多いです。

また、このウクライナは、土地が黒土で、非常に豊かという事で、農業国としても有名です。

2次世界大戦で、ヒットラーが、ソ連に侵攻したのは、このウクライナの土地と、コーカサス地方にあるバクー石油を獲得する為だったといわれています。

ウクライナは、昔からいろんな強国、14世紀には、リトアニア大公国、15世紀にはポーランド、18世紀には、ロシアに支配され、ロシアで革命が起きると、ソ連の一部になりましたが、1991824日独立宣言して、民主主義国になりました。

同年121日に行われた国民投票で、投票参加者の90%以上の圧倒的多数が独立を支持し、ウクライナの独立はソ連邦崩壊の契機となったそうです。

ロシアにとっては、それぐらい重要な国なのです。

また、歴史に関心のない人に、ウクライナの事を説明するとしたら、あのチェルノブイリ原発事故が起きた土地だといえばいいと思いますし、2004年で言えば、野党の党首が、毒を飲まされていたとか、いなかったという事で、与党と野党が激しく争って、再選挙で野党が勝った国といえば、覚えている人もいると思います。

この事を具体的に言えば、ウクライナ大統領選挙で、与党ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ首相と、野党「我がウクライナ」の指導者ヴィクトル・ユシチェンコ元首相が争い、大規模な不正や、ヤヌコヴィッチが毒を盛られ、顔も変わったということで、激しいデモが起き、再選挙で、米国、ECが支持しているヴィクトル・ユシチェンコが勝利したのですが、日本のテレビでもニュースとして放送されていました。

歴史的には、オレンジ革命というのです。

でも、これにはいろんな噂があります。

与党のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ首相には、ロシアのプーチン大統領がついていて、野党に関しては、米国やECがついているといわれています。

野党の支持者の大規模なデモは、米国のCIAがからんでいるといいますし、野党のヴィクトル・ユシチェンコ元首相に、毒を飲まされていたというのも、自分で、顔に毒をぬっていたという説もあります。

とにかく、今、ウクライナに関しては、ロシア圏から離したくないロシアと、離したい米国・EC

が、目には見えない戦いをしています。

 米国は、ロシアからヨーロッパに繋がっているウクライナが持っているパイプラインを狙っているとさえ言われているのです。

 また、そんな中で、20058月には、ウクライナに対してロシアは、割安な「友好価格」料金でエネルギーを供給していたのですが、これを停止するということで、両国が激しく争いました。
 ウクライナは石油の9割、天然ガスの8割をロシアからの輸入に依存しているのですが、プーチン大統領は、ロシアから離れようとしているウクライナに対して、市場の価格、今までの4倍の価格で石油を買うように言い、それではとても経済がもたないウクライナは、ドイツや米国を巻き込んで、ロシアと争っていたのですが、何とか200614日、天然ガス価格の値上げで合意し、供給契約を締結したことができて、おさまったそうです。

 でも、ロシアが、今まで支配していたウクライナを諦める訳がないので、これからもいろんな戦いがおこると思います。

 ウクライナを巡って、欧米とロシアは戦う事になるのです。

 しかしながら、菊は、正直言って、何故、小野元裕さんが、ウクライナなのか、分かりませんでした。

 あまりにも、日本とは離れすぎています。

 菊は、文化の事は分かりませんが、日本とウクライナが今、どうして深い縁を持たないといけないのか分かりませんでした。

 どうして天は、小野元裕さんを、ウクライナに行かせたのか分からなかったのです。

 というのも、ロシアなら分かります。

 ロシアは、日本とはお隣の国になりますが、大国です。

 核兵器もあれば、軍事力もありますし、何よりもプーチン大統領になってから、独裁化が進んでいますが、まだ民主主義国です。

 選挙で、大統領が選ばれるのです。

 この大国ロシアと、文化交流して仲良くする事はいい事なのです。

 しかも今、日本の周辺は、どの国ともおかしくなっています。

 北朝鮮とは、拉致問題や核開発の問題でもめていますし、韓国とも、靖国問題や、竹島問題があります。

 中国とも、靖国問題や、東シナ海ガス田問題、反日問題がありますし、同盟国、米国とも、牛肉問題といったものだけでなく、日米両軍の再編成問題があります。

 どの国ともうまくいっていないのです。

 だけどそれだけだったら、隣国とはどこの国もいい関係を結ぶのは難しいので、構わないのかもしれませんが、問題はそれだけではありません。

 中国は、ロシアとの間で抱えていた領土問題、アムール河の問題を、中国の譲歩で解決させ、中ロ国境4千キロは確定してから、日本との対決を深めたといいます。

 内陸部を固め、領土を海に求める戦略です。

 しかも北朝鮮だけでなく、韓国も取り込もうとしています。

 中国・北朝鮮・韓国・ロシア対、日本・米国の図式が生まれようとしています。

 下手をしたら台湾侵攻もやりかねません。

 日本も、大きな戦争に巻き込まれる可能性がありますし、核兵器が飛んでくる可能性もあるのです。

 それに対して、米国も、日本を使って戦わせようとしていますし、最悪の場合、中国の核を恐れて、日本を見捨てる可能性もあります。

 これからの日本、何が起こるか、本当に分からないと思います。

 また、だからこそ、日本は、ロシアの関係を見直さないといけないと思います。

 何故なら、中国や韓国には、反日と言う感情がありますし、米国に関しては、反米と言う感情が、一部の日本人、左翼や右翼の人にあります。

 この感情を、友好と言う努力で消すには長い時間が必要です。

 でもロシアに関しては、あまりありません。

 しかもロシアと言ったら、日露戦争や、ソ連の満州侵攻、シベリアの抑留問題で、何か、信用できない国といったイメージがありますが、そうではありません。

 江戸時代、欧米が開国を迫っていた時、一番友好的だったのは、米国、イギリスなどの国ではなく、ロシアでした。

それで、南樺太と北方領土の4島の交換も平和的にできました。

日本が、ロシアに譲歩したのです。
その上に明治になると、日露戦争など戦いましたが、終わった後は、お互いの実力を認めて、ロ

シアの帝政が崩壊するまでは、きわめて友好関係だったといいます。
関係が悪化したのは、共産党の政権、ソ連が生まれたからです。

 日ソ不可侵条約の一方的な破棄や、シベリア抑留問題も、ロシア人が悪いのではなく、ソ連と言

う国家が悪かったと思えば、悪い感情は消せますし、ロシア人も、日本に対して勝ったので、反日

意識はないとおもいます。

 ですから、日本は、国防衛の為にも、ロシアとは積極的に友好関係を持つべきです。

 中国とロシアが結びつくのに、楔を打った方がいいのです。

 日本もロシアとどんどん貿易をして、日本に手出しするのを反対させたらいいのです。

 そうしたら、中国は、日本に手出しできませんし、米国も、日本に対して、極度の要求をしてこ

ないと菊は確信しているのです。

 でも、今のところ、日本とロシアの関係はうまくいっていません。

 北方領土返還の問題があるからです。

 しかも、この北方領土返還の問題は、日本としてはどうしても譲れません。

 形はどうあっても、ある程度の妥協はしても、日本に返還して貰わないといけません。

 それがないかぎり、菊は、日本は、ロシアとの関係を見直すべきでないと思っているのです。

 でも、領土問題が解決したら、日本は、ロシアに対して、本格的に友好を深めたらいいと思いま

すし、自然にそうなると思います。

 貿易も、日本と中国のように、わずか数年で、倍増する可能性も高いと思うのです。

 だけど、今、北方領土問題は、一向に前に進みません。

 ロシアは、石油価格の暴騰で、経済的には豊かになっています。

 ソ連崩壊の時の混乱はありません。

 今や、インド・中国・ブラジル・ロシアの4カ国はで、BRICS経済と呼ばれ、急速に発展して、

世界経済の発展を引っ張っています。

 北方領土で、妥協する気配はありません。

 日本は、そんなロシアの市場をほっておくわけにもいかず、八方ふさがりに陥っています。

 菊自身、正直どうしたらいいのか分からなかったのです。

 

 

   ∞「ウクライナが扉を開く」∞

 しかし、菊は、小野元裕さんの話を聞いていて、ロシアとの友好という扉を、ウクライナが開く

のではないかという気がしてきました。

 小野元裕さんが、ウクライナに行ったのは、まさしく天意だという気がしてきたのです。

 何故なら、菊は、今まで詳しくは知らなかったのですが、ウクライナやベラルーシ、ロシアは、

東スラブ民族だそうです。

 特に、その中でも、ウクライナの首都キエフは、スラブ民族発祥の地で、9世紀のキェフ公国(現

ウクライナ首都)が誕生したことから、スラブ人は東ヨーロッパや、ロシアに、移動したそうです。

 だから小野元裕さんの話だと、スラブ人の本家は、ウクライナで、分家がロシアになります。

 本家のキエフを追い出された人達が、ロシア人になるのです。

 でも、その関係は、はるか昔に逆転しています。

 分家のロシアが、ウクライナを長年支配している関係が続いていたからです。

 ですから、小野元裕の話を聞いても、ウクライナ人には、ロシア人に関して複雑な気持ちがある

みたいです。

 何でもロシアと一緒にしないで欲しいという、ウクライナ人としての民族のアイデンティティが

あるのです。

 また、そんなウクライナですが、ロシア人からすれば、歴史的に見ても、とても重要な国だそう

です。

 ロシアの正教会、キリスト教の発祥もウクライナのキエフで、ここからロシアに広がったそうで

す。

 ロシアにしたら、自分達の一部、ロシア圏の国になるのです。

 だけど、今、ウクライナでは、ロシア離れが起きています。

 経済的にも、深く繋がっていたロシアから離れて、EC、米国に目が向いているのです。

 菊は、日本は、このウクライナにこそ、目を向けて、全力で、友好関係を築くべきだと思います。

 今、日本も、中国だけでなく、インドにも目を向けて、2005年には、小泉首相や中川経産相など

多くの大臣や、経済界の企業人が、訪問して、具体的な話をしています。

 どんどん日本の大企業が、インドに入っていこうとしているのです。

 日本は、インドに対しては、国家的に力を入れているのです。

 だから菊は、今、その視点を、ウクライナに対しても向けるべきだと考えています。

 地図で見ると、ウクライナは、トルコの上にあります。

 黒海を通して、トルコとは、ロシアを通さなくても繋がっています。

 ロシアを通らずに行くとしたら、素人考えですが、東南アジア、インド、中東、トルコルートに

なると思いますが、十分に可能です。

 観光として、日本人が、ロシアを通らずに、ウクライナに行くことは十分に可能なのです。

 これでウクライナの人達も、喜ぶと思います。

 だから日本は、国家をあげて、ウクライナを、BRICS経済の一つ、ロシア圏の一部と考えて、力

をいれるべきです。

 経済界の企業の人達に、協力して頂いて、ソニーや、トヨタ、ホンダなどの日本の有力な企業が、

現地に工場を作ったらいいと思います。

 米国は、ウクライナに対して、大きな援助しているそうですが、日本も後に、国家をあげて続い

たらたらいいと思うのです。

 いえ、日本政府も、2003年に、川口外務大臣が、ウクライナを訪問したり、2005年に、ヴィク

トル・ユーシチェンコ・ウクライナ大統領が来日したりしているので、少しはしています。

 それを本気で、戦略としてしたらいいのです。

 そうすれば、ウクライナは、自分達の一部だと思っているロシアは慌てるだろうし、プーチン大

統領は、最初は激怒すると思いますが、日本との関係を真剣に考えしかなくなると思います。

 日本が、ウクライナの国と、友好を深め、経済的に成功していくのを無視できないからです。

 スラブ民族の発祥の地、重大な関心を持っている隣の国、ウクライナが、日本と仲良くしたら、経済的に豊かになっていくのを、実際の目で感じたら、ロシア人も、プーチン大統領も、日本との友好を真剣に求めると思います。

 北方領土返還も、真剣に考えると思います。

 まさしく、寒い、硬いロシアの扉を開く鍵が、ウクライナにあるのです。

 いえ、ウクライナにあるヤルタで、有名な米国のルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル、

ソ連のスターリンが集まって会議した、有名なヤルタ会議で、戦後の日本、北方領土の運命も決ま

っただけに、菊は、きっとそうなる予感がしています。

 正直言って、小野元裕さんが、ここまで考えて、ロシアではなく、ウクライナを選んだのか分か

りませんが、わざわざウクライナを選んだ理由に、スラブ民族の発祥の地という事が、大きいかっ

たので直感で、何かを感じたのだと思います。

 小野元裕さんは、ものすごい感性を持った平成の志士だと尊敬しているのです。

 ただし、そんな小野元裕さんが、日本で、どれだけ活躍できるのは、菊には分かりません。

日本でご縁のある同志、仲間しだいだと思います。

小野元裕さん、一人で何かができるわけがないので、ウクライナに、日本から、今までどおりに、

どんどん文化交流に行ったり、観光地を宣伝したりする草の根運動で、日本とウクライナの関係をもりあげる必要もありますが、それだけでなく、直接日本政府を動かす必要もあると思うのです。

 是非、平成の志士、小野元裕さんに、皆さんの力を貸してあげて下さい。

 きっと、坂本竜馬並みのすごい奇跡が起こせる、日本とウクライナの縁結び、日本とロシアの縁

結びが起こせると思うのです。

 

 

 追伸、熊本の幣立神社に『ストーン・ヘンジ』を創ったあるシャーマンの女性がいます。

その人が、ある人を通して、ウクライナから来日した小野元裕さんを評して、『命がけだったのですね?仙人のようです。よく頑張られましたね。』・・・・といったそうです。

菊は、そうだろうなあと、今は思います。

体重が100キロから70キロに激変しています。

きっと、お金がたくさんある裕福な人ではないので、ウクライナで、食べたいものも食べない、仙人のような暮らしをしていた時もあったと思います。

正直言って、どうしてそういったこと、わかってあげられなかったかと、菊自身、少し反省しているのです。
 また・・・ある方が・・・つぶやいたそうです。
『彼は必ず、新しい風を吹かせ、新しい火を熾す』と・・・。

菊は、この言葉を信じます。

小野元裕さんは、きっと、今の日本に、新しい風を吹かせ、新しい火を熾してくれると思います。

では、皆さん、縁の花第221号「ウクライナ国との縁結び」読んで頂いて「ありがとうございます」

2006(平成18)226

          縁の花第221号表紙 「ウクライナ国との縁結び」

          縁の花 トップページに戻る

          縁の花村 トップページに戻る

           縁の花第221号表紙 「ウクライナ国との縁結び」
          
           縁の花 トップページに戻る

           縁の花村 トップページに戻る