縁の花

    (本物を目指して心のネットワーク)

    第4号

        縁の花

                                                                      

第1号、第2号、第3号と書いて来た訳ですが、紫陽花と出会い、縁があった皆様にも、どうやら紫陽花が本気だという事は理解して貰えたと思います。

皆さんは、よく紫陽花をご存じですので、また、岩谷は変わった事を始めたな。

本当に変わった奴だ。

と思って頂いていると思います。

が、それに関して紫陽花はあえて否定はしません。

この縁の花というものを出す事が、人から見たら変わっている事にしか思えないというのは、十分承知しているからです。

しかし、それでも、紫陽花はやろうと思っています。

それが、今、どうしても、皆さんにとっても、紫陽花にとっても、必要だと思うからです。

紫陽花の好きな言葉に、この世でおこる事は、すべて必要であり、必然であり、ベストの状態だという言葉があります。

この言葉は、紫陽花の尊敬する船井先生の書いた本にある言葉ですが、意味は、毎日、毎日、人間におこる事は、偶然なんか一つもない。

すべて必要があって、必然的におこり、さらに長い人生で見れば、もっともいい状態になっているそうです。

特に、お年寄りになると分かるそうですが、たとえ、若い時に大変苦労した事があっても、年を取ってから考えば、よかった。

あの苦労があったから、今の自分があった。

必要でなかった事は何もないと思えるようになれるそうです。

たぶん、そう思える事が、本物の生き方だと思います。

残念ながら、紫陽花は、まだそこまでいったてはいませんが、分かるような気がします。

高校の受験、会社を3回変わった事。

その時、その時には、悩みもあったと思いますが、紫陽花のまだまだ短い人生ですが、全部笑い話になると思います。

全部、今の自分にとって、深刻な悩みにはなっていません。

必要だったのかは、今度の紫陽花の努力しだいですが、悪くはなかった。

すくなくても、その時、その時に出会いあったから、人との縁があったから、今、こうしてその人達に、この縁の花を出せるのですから、よかった。

今の状態から見れば、良かった。

無駄な出会いなんか、1つもない。

そう考える事ができるのです。

そして、この突然、送くらせて頂く事になった縁の花が、今の皆さんに取って、必要、必然であり、ベストの状態にきっとなると、紫陽花は確信しています。         

そうなる自信があるのです。

というのも、この気持ちは、紫陽花と同じMGの同士や本物を目指している仲間なら、何となくだけど、分かって貰えると思います。

いえ、もしかしたら、岩谷はうまいやり方、いい時期を選んだと思ってくれるとさえ、紫陽花は思っています。  

本物という観点から見れば、今、そういったものに、関心がない人にも、関心が持って貰えるには、時期的には最適です。

大きなチャンスです。

3年前だったら大変だった事も、船井先生の本がどんどん売れだし、インドのサイババが日本でも注目され、マルチメディアやスーパーハイウーなどという言葉が出て来た今、本物というものを考えて貰うとしたら、やりやすい時期なんです。

しかも、今、目覚めないと、手をくれになる。

大変な事になる、一歩手前でもある訳です。

紫陽花から見れば、皆さんは、そのがけっぶちにたっていると思います。

が、そんな偉そうな事をいっていますが、じゃ、紫陽花が、そんな時期をずっと待っていて、今やろうとしているのかといえば全然違います。

紫陽花がやろうと思ったのは、書きはじめた5日前です。

思いつきだと言われたら、その通りです。

一人でも多くの人に、本物の事。

本物の情報、本物の生き方、本物の人物。

当然、MGもその中に入っていますが、それを教えてあげたいと思っていた事は、事実ですが、どうやったらいいかは思考錯誤です。

たぶん、それはこれからも同じだと思いますし、縁の花が、その問題の解決策になるかといえば、やってみない事には分かりません。

だから、この時期に、紫陽花が書くのは、偶然だといえば、そう思えると思います。

しかし、それはやっぱり違います。

たとえば、原始時代には、いくら頭脳が今の現在人よりも頭がいい人がいても、核兵器は造れません。

核兵器は、今も、原始時代にも存在はするのですが、誰もそんなものが造れるなんて思いません。

その為の道具がまったくないからです。

今、あるボールペン一つ取ってもそうです。

これを造るには、インクの発明、バネの発明などが必要です。

どれを一つとってもなければ、ボールペンは存在しません。

発明されなければ、まだボールペンは生まれる時期ではないのです。

この世の中は、必要な時には、必要な技術がすべて、生まれるようになっているのです。

だから、この縁の花も、すべて必然です。

紫陽花は、皆さんにそう思って欲しいと願っています。

というのも、この縁の花を書くにあたっても、まず下手でもいいから、文章が書くのが好きだという事が必要です。

また、これをやらないといけないという使命感、目的意識。

やる以上は、金銭や時間というものも必要です。

思い付いたのは、5日前でも、紫陽花がこれを書くには、10年ぐらいの年月が考えてみればかかっています。

それが証拠に、この手紙の題名、縁の花というのは、紫陽花が大学2年の時から決っていました。

その頃の紫陽花を知っている人なら、よくご存じですが、紫陽花は、大学2年までは、まったく文章を書く人間ではありませんでした。

私的な事で、申し訳ありませんが、そんな紫陽花が文章を書くようになったのは、ある女性に書いたラブレターがきっかけです。

残念ながら、その結果は見事に振られたのですが、なかなか返事をくれない彼女に、3回目に送ったラブレターが縁の花という題名です。

これが、紫陽花の文章書くきっかけです。

彼女には振られたのですが、よせばいいのに、紫陽花には、書く才能があると思い込みまして、食料問題などの政治や歴史をテーマにしたものや、MYWAYといった詩やアニメを日記形式で書いたものなど、日頃浮かんだものを書き出したのです。

ちょうど今と同じ事をしていたのです。

考えれば、まったく成長しておりません。

まあ、そんな紫陽花が小説を書きはじめ、小説学校に行き、MGと出会って、忙しくて小説を書けなくなりやめていたのですが、今度、縁の花を書く気になったといえば、いえると思います。

しかし、少しは成長したと思います。

文章も多少はうまくなったと思いたいですし、あの頃とは比較にならないぐらいのいろん

なトップ情報も持っています。

そして何よりも、本物という言葉と、本物の目指すという意志、本物の素晴らしい人を何人も知っています。

だから前とは、全然違います。

当然、題名も、前の文章ではないものにしたかったのです。

でも人と人との縁、出会いを、大きく咲かせるといった意味の縁の花以外には、どうしても思い浮かばないのです。

ですから、この名前にしました。

考えれば、彼女存在から、そんな紫陽花の手紙を読んでくれた友人、小説学校で、文章を教えてくれた仲間や先生、トップ情報を教えてくれるMGの存在。

一つでもなかったら、こうして書く事はできなかったと思います。

すべてが紫陽花には、必要だったのです。     

それに感謝をする意味も込めて、昔の苦い思い出の縁の花に決めたのです。

そして紫陽花は、もう一つこの場を借りて感謝したいものがあります。

それは東住吉キリスト教会さんの存在です。

実は、紫陽花が、突然縁の花を書く気になったという事ですが、、それは東住吉キリスト教会さんのシャロームというものがきっかけです。

東住吉キリスト教会さんは、いい話をします。

紫陽花の好きな聖書の事、ユダヤの事、経済の話です。

本物というものに重点を置いていた1年前の紫陽花には、どうしても行こうという意志まではなかったのですが、素晴らしい事をしているなあと感心はしていました。

紫陽花は、最初の第1回しか参加しなかったのですが、ずっと興味があったのです。

というのも、東住吉キリスト教会さんは、1回しか参加しない紫陽花に、ずっと無料で、シャロームなる雑誌を送ってくれます。

それ以外の事は、電話もなければ、当然返事も求めないのです。

紫陽花にしたら、全然迷惑ではありませんでした。

それが何回か送られている内に、これはうまいやり方だな。

このやり方は本物だと思い、紫陽花もまねをさせて頂こうと思ったのです。

それが紫陽花が書く気になった動機です。

きっと東住吉キリスト教会さんのシャロームという雑誌も、紫陽花にとっては必要だったのだと思います。

この東住吉キリスト教会さんの事は、おりがあれば、本物だと思いますので、書きたいと思いますが、この縁の花という手紙にも、紫陽花にとっては、実にさまざまな大きな積み重ねがあるという事だけは分かって頂きたいと思います。

もし、それが理解して頂けるなら、本当に嬉しいし、きっと、皆さんといつか大きな素晴らしい花、本物という花が咲くと信じています。                               

それを楽しみにして終わりたいと思います。

では、またこれで。・・・・・・・・・

 

          1994年10月2日

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