縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第406号

坂本龍馬議員「日本の夜明け」を疾走

∞「大政奉還」∞

豊臣秀慶が、大政奉還と言う策を初めて聞いたのは

慶応31867)年9月7日でした

9月15日の間までは、首相である勝海舟が

大阪城まで訪ねて来て

人払いをした上で

直接、説明を受けたのです

 

また、その策は

大胆な策で、豊臣秀慶は、最初に聞いた時には

激怒しました

勝海舟首相は、このままでは西郷隆盛が

次の首相になって

政権を握るのは確実で

そうなったら、大胆な改革

大名の議員管理委員会や

豊臣家、大名にも

大きな改革を迫ってくるので

その前に、こちらから大胆な策を

打ち出そうと言うのです

 

しかも、その案は、大政奉還と言うもので

天皇家から、豊臣家を中心した今の大名が与えられている

政権を運営する権利を

国民に、渡そうと言うものでした

 

すなわち、豊臣家を中心とした大名は

議会に対する干渉を

大幅に止めて

もっとも大きな権利である

議員を選ぶ権利も止めて

イギリスや米国のように

国民の誰もが選挙区の中で

立候補して

その中で、選ばれたものが

議員になって

四期でも、五期でも

なれるようにしたらいいと言ったのです

そうすれば、議員の不満も解消すると言うのです

 

でも、豊臣秀慶が、激怒したのは

その次に、勝海舟首相が言った言葉でした

勝海舟首相は、「これを機会に、豊臣家は

豊臣家の持っているすべての資産を

一部を残して

すべて国民、政府に渡すべきだ

年貢などを徴収する権利も

思い切って

地方に任せてはどうか」と言って

豊臣秀慶を怒らせました

 

そんな事をすれば

豊臣家は、大名でなくなってしまいます

一つの、どこにでもある家でしかすぎなくなります

 

言語道断だ

豊臣秀慶は、そんな事をぬけぬけと言う勝海舟首相に

今でも、斬り付ける程怒っていました

豊臣秀慶は、そんな事が、自分に分からないのかと

勝海舟首相に馬鹿にされている気がしたのです

 

だけど、勝海舟首相は、馬鹿になどしていませんでした

それよりも、豊臣秀慶は、秀吉公以来の英明な方だと

評価していました

自分とは、反りは合いませんが

先が見通す事ができる方だと

思っていました

 

なので、今の大名が選ぶ議会のシステムでは

日本は立ち行かなくなっている

今の大名は、もう、国家としては

必要とされず

滅びゆく運命だと言う事は

豊臣秀慶も、深く理解していると信じていたのです

 

だから、勝海舟首相は

激怒していた豊臣秀慶の怒りが収まるのを待って

「今なら、豊臣家は、自分達の選んだシステムで

今後も、政権を見守る事が出来ます

西郷隆盛が、首相になって

豊臣家と戦になったら

こんなものではすみません

その前に、すべての権利を放棄する

裸になって

国民に豊臣家を任して下さい

そうすれば、今後も、豊臣家も

全国の大名も、生きる事ができます」

勝海舟首相は、そう言うと

今後の豊臣家の生きる道を伝えました

 

それは、豊臣家を中心とした大名は

永久上院議員となって

今後は、国民の税金から

ある一定のお金を

貰うようにしたらいいと言うのです

給料、手当を貰うのです

 

でも、その代わりに

上院議員にも

国民の為に

働いて頂かないといけない

 

その何をやるかを

今、西郷隆盛首相が決まってしまう

15日の前

9月9日の節句の前に

豊臣家と大名議員で

決めてしまえば

後は、必ず、西郷隆盛、桂小五郎などを

説得して、議員の議会でも

必ず、承認させると

坂本龍馬は言っています

勝海舟首相は、そう言いました

この策は、龍馬の発案だと言う事を

明かしたのです

 

それで、豊臣秀慶も

興味を持ちました

土佐藩からの議員である坂本龍馬は

3回生の議員で

藩主の長宗我部豊信(容堂)の信頼もあり

武市半平太や、後藤象二郎議員、板垣退助議員にも信頼されていて

他藩の議員にも、信頼されていました

 

しかも、薩摩派の議員と長州派の議員を結びつけ

今は、薩長土肥と言う呼ばれる改革派議員の一人でした

薩土同盟を結び、西郷隆盛にも信頼されていたのです

 

だけど、それだけではなく

徳川藩、福井藩にも信頼されていて

全国に、坂本龍馬議員を信頼する議員はたくさんいました

何故か、坂本龍馬は、いろんな人物から人気があったのです

 

ですから、坂本龍馬議員が動けば、多くの票を得る事もでき

西郷隆盛にも負けない可能性もありました

とにかく、坂本龍馬議員には

まったく面識はありませんでしたが

豊臣秀慶は、勝海舟首相の頼みなので

翌日、会ってみる事にしたのです

 

 

∞「坂本龍馬議員熱弁する」∞

坂本龍馬が、豊臣秀慶と会ったのは

慶応31867)年9月8日でした

勝海舟首相に連れられて

大阪城に入って

豊臣秀慶と始めてあったのです

 

また、その時から、龍馬節が炸裂していました

坂本龍馬は、喋ること、喋る事

マシンガンのように喋って

本当に型破りな面白い男として

大名の中でも、魅了されているものもいました

何故か、惹かれて、好きになってしまうのです

 

しかも、今日の坂本龍馬には

豊臣家に対する愛情にあふれていました

一介の百姓から、織田信長に召し抱えられて

天下人になった秀吉が

死ぬ際にした、大名による議員システムを

坂本龍馬は、歴史の奇跡だと、高く評価して

豊臣秀吉を尊敬していました

 

その豊臣秀吉のおかげで

その後、270年以上も

日本国内では戦もなければ

大名家の取り潰しもありませんでした

ずっと、平和を保つ事ができたのです

 

だから、平和を愛する坂本龍馬議員は

その豊臣家を、後世にも残す事は

今の時代の人達の最低の役目だと思っていましたし

それが、自分の藩の藩主

長宗我部豊信(容堂)の願いでもありました

 

聡明な藩主である長宗我部豊信(容堂)は

このまま、西郷隆盛が、首相になったら

改革派と保守派、議員と大名議員

政府と地方が対立して

豊臣家は、大きな戦乱に巻き込まれる事を

心配していたのです

 

だから、坂本龍馬議員は、土佐藩の後藤象二郎議員にも見せた

船の中で、考えた、大名に対する

船中八策を提案しました

 

1、1万石以上の大名は、全員、上院議員として

国の議員として身分は、保障される事

その時の議員票は、藩の石高などで決め

日本国が戦争する時は、上院議員の半数以上の

賛成も必用とする事

2、上院議員は、永久職として、選挙もなく

各家で、議員の人選を任され

下院議員の、不正や、汚職の調査や

下院議員から、依頼された事を

職務としてする事や

地元の国、神社でされる62日の慰霊祭

818日の豊国祭を運営していく事

3、各大名は、各藩の自治権を

全部、地方に委ねること

4、ただし、16年後の4年間は

国民の半分の賛成を得られたら

下院議員から、国政の政権を任されて

上院議員が、政府の政権の人選を選べる事

その時は、上院議員、下院議員は両院で

日本国の政権を運営していく事

5、上院議員は、議員として、高額の手当てと

十分なスタッフを与えられる事

6、地方に対しても、大名は、16年後の4年間

地方の自治を任され

優秀な人材によって、地方議会と共に

運営していく事

7、上院議員は、16名程、4年間4期、16年の間

下院議員に、無条件に、議員を派遣できる事

8、地方に対しても、10分の1の役人の人事権は

各大名に与えられる事

 

これが、坂本龍馬議員が、豊臣秀慶に提案した案でした

坂本龍馬議員は、この策を説明しながら

豊臣秀吉が、戦を絶対にしてはいけないと言う願いは

どんな事をしても守らないといけない事

慰霊祭、豊国祭は、大名家がやっていかないといけないので

絶対に、大名家は残さないといけない事

上院議員が、一切の利権を捨て、国民からの手当てで

国民の意志で、政治に係わる事ができたら

そんな上院議員の存在は、今後の日本の国にとって

大きな財産になると言う事を

必死に、豊臣秀慶を説得しました

 

こんな上院議員の立場を、大名家が得るには

今しかない

今、大名が自発的にするしかない

それを、できるのは大名の主君である豊臣家である

豊臣家が、その英断をされた時は

今後も、上院議員のリーダーとしてやれる

坂本龍馬は、そう、豊臣秀慶を煽てたのです

 

そして、坂本龍馬議員は

各大名が、それを受け入れるのは無理なので

まず、豊臣秀慶が、決断して

豊臣家が、実行して欲しい

 

そうすれば、大名議員達は、驚いて

自分達も、そうなる事を

恐れて、止めようとしても

主君である豊臣家の意見に逆らって

大名議員が、反対票を投じる事はないので

すぐに大名議会では、可決するだろう

 

それが、可決したら

後は、この自分が、西郷隆盛、桂小五郎を説得して

913日、14日には

必ず、議員議会でも、可決させる

もし、西郷隆盛が、納得しなかったら

自分や土佐藩の中心とした議員や

自分の意見に賛成してくれる議員は

915日、首相総選挙では

盟約を破って、西郷隆盛ではなく

小栗上野介を押すと約束しました

坂本龍馬議員は、薩摩、長州の同志を裏切る事で

将来、暗殺される事も覚悟で

命がけでやろうとしていたのです

 

なので、豊臣秀慶は、そんな坂本龍馬の気迫に押されると

暫し待てと言うと、坂本龍馬から離れて

出ていきました

豊臣家の家臣の意見も聞いて

真剣に、この事を考えようと思ったのです

 

 

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