縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第447号

「戦国の嵐」の本でする武田家済度2

∞「軍師真田昌幸と後見人馬場信春の誕生」∞

前号で、架空小説、シミュレーション小説の「戦国の嵐」一・ニを通して

戦国時代と言う激しい時代に生きていた

武田家の御霊達や織田家、徳川家の御霊達の慰霊、供養、成仏を願って

武田家済度をさせて頂いている事を書かせて頂きました

 

一人でも、多くの御霊達が

済度(魂の意識を高め、霊界に帰れるように)されるように

「戦国の嵐」一・ニのあらすじを紹介したり

自分なりに、「戦国の嵐」に関して

意見を言わせて頂きたいと思います

俺の前世でもある戦国時代の武田勝頼について

御霊達や、今、現在生きている人達と

一緒に考えたいのです

 

それで、前号では、「戦国の嵐」の本の中で

一番、俺が、矛盾を感じている事

三方ヶ原の戦いのある事に関して

書かせて頂きました

 

実際の戦ではなかった

勝頼の別働隊が、三方ヶ原の戦いに

この時期に、登場させるのはおかしい

そんな俺の意見を書かせて頂いたのです

 

でも、それ以外は、「戦国の嵐」一・二で

大きく、矛盾を感じるシミュレーションは

ありませんでした

 

まず、最初に、信玄公がした架空、シミュレーションである

信玄公が、徳川家康に、攻め込む前に

跡を継ぐ、勝頼と、武田家臣団との関係が

スムーズに行っていない事を心配して

勝頼を成長させ、武田家の統領として導くために

知略の優れた人物を直臣として使えさせるのが一番であると判断して

真田昌幸をつけてくれた事には、大賛成です

 

確かに、真田昌幸は、二十五歳で

武田勝頼は、一つだけ歳が上のニ十六歳で

年齢的に、理想ですし

真田昌幸が、勝頼の直臣、軍師になると

真田昌幸の考えた策も、内密したら

武田勝頼の策になります

実際に、父である信玄公が、そうしてくれていたらと

心から思ったのです

 

また、自分が死んだ後

武田家臣団と武田勝頼の関係がうまくいくように

病に倒れた後、必死に考え

信玄と美しい、勝頼の母である、諏訪の姫との間を取り持ち

幼い勝頼の成長を願っていた

川中島の合戦で亡くなった山本勘介の御霊を

登場させてまで、出した策

武田家臣団の重臣の一人、馬場信春を

武田勝頼の後見人にしたのは

素晴らしい策だと心から思いました

 

この策は、俺の知る限り

他の武田家のシミュレーション小説でもない

津野田耕作さんの独自の策だと思いますが

よく、考えたら、武田信玄の四男で

諏訪家を継ぐ予定だった武田勝頼には

はっきりとした守役が、誰だったのか、分かっていません

 

信玄は、駿河侵攻で、対立して、自害した嫡男、義信公には

武田家の重臣だった、飯富虎昌をつけているので

勝頼にも、有能な家臣をつけたと思いますが

たぶん、諏訪家の家臣だったので

名前は、知られていないのです

 

だから、勝頼が、義信公が亡くなった後

急遽、武田家を継ぐ事になった時でも

勝頼の守役は、活躍はできませんでした

勝頼の家臣であっても

武田家臣団には、入れなかったのです

 

なので、武田家臣の重臣で

信玄に対しても、諌める時には、堂々と諌める事ができた

有能で、家臣達にも信望があった

馬場信春が、勝頼の後見人として

守役の役目を果たしてくれたら

亡くなった義信と親しかった武田家臣団が多くいた事もあって

どうしても、孤立ぎみだった

武田勝頼も、助かったと思います

 

武田勝頼が、馬場信春を信頼して

その換言に耳を傾けていたら

馬場信春は、武田家臣団と

新しくできつつあった勝頼の家臣団との

潤滑油になってくれたと思うのです

 

ですから、この策は、俺自身も

あの当時、どうしたら

武田勝頼と、武田家臣団達は、

信玄公の時のように、一致団結して戦う事ができたのか

と考えて頂けただけに、

重臣の一人を、後見人した事には、成程と思ったのです

 

しかし、それでも、俺自身は

馬場信春もいい選択だと思いますが

作者の津野田幸作さんには、できたら

武田四重臣の一人で、筆頭だった

高坂弾正を選んで欲しかったと思います

 

何故なら、高坂弾正は、武田家臣団の中でも、一番の碌、兵を持っていますし

信玄公の遺言だった、困った時は、上杉謙信を頼れと言う言葉にも忠実で

上杉家との同盟にも、熱心でした

 

しかも、はっきりとした資料はありませんが

高坂弾正は、軍師だった、山本勘介が亡くなった後

真田幸隆と共に、武田家の軍師を務めていたと

俺は、信じています

いえ、名前が、知られている真田幸隆よりも

高坂弾正の方が、軍師として有能だったのです

 

だから、俺は、高坂弾正を、後見人として活躍させたかったです

高坂弾正は、武田家が滅亡した後の、武田家の資料になった

甲陽軍鑑の作者で、その中で

武田勝頼の事を、批判している感じなので

勝頼との関係は、うまくいっていなかったのもしれませんが

それは、高坂弾正が、武田家思いだったと言う事で

そんな高坂弾正を生かす事ができなかった

武田勝頼が、悪いと思うのです

 

それで、高坂弾正を、勝頼の後見人にして

思いきり活躍させてあげたかったのです

これが、残念なのです

 

また、そんな俺が、もう一つ、残念な事は

「戦国の嵐」一・ニには、高坂弾正、

「戦国の嵐」には、別名、春日虎綱になっていましたが

もう一つ、活躍していない事でした

 

でも、それ以外は、素晴らしいと思います

是非、皆さんなりに読んで

武田家の御霊達の事を願いながら

自分なりに想像して

武田家済度、武田家の御霊を

慰霊、供養して頂けたら幸せです

 

∞「武田、上杉連合誕生」∞

作家、津野田耕作さんが書いている「戦国の嵐」一・ニでの

最大のシミュレーションは、武田家と上杉家の和睦です

 

これを、「戦国の嵐」一では、病になった武田信玄に

新しく、武田勝頼の後見人になった馬場信春と

軍師の真田昌幸の二人が提案して

最初は、反対していた信玄も、二人の説得で

その案を受け入れると

何と、武田勝頼を、その使者に行かせることにも同意します

 

馬場信春、真田昌幸は、勝頼自身に、単身で

上杉謙信に、会わせる事で

勝頼の、真の後見人に、なってくれる事を狙ったのです

 

また、俺自身、この突拍子もないシミュレーションですが

全面的に、賛同したいと思います

 

何故なら、病になった後、遺言で、困った時は

上杉謙信を頼れと言った信玄公です

上杉家の和睦は、十分に考えていたと思うのです

 

だから、上杉家の和睦を、この時期にしてもおかしくありませんし

勝頼に、真田昌幸だけをつけて

春日山城に行かせる事も、不思議ではないと思います

 

だって、義を大切にしている上杉謙信公なら

武田勝頼が、堂々と使者として来たら

絶対に、手出しはしないと思いますし

誠意を持って、信玄の願いを伝えたら

勝頼の後見人にもなってくれたと思います

これは、十分に、可能な策だったのです

 

しかも、上杉家が、武田家と同盟を結んだら

信濃からの脅威はなくなり

後は、関東の北条との争いを避けたら

越中、能登などの北陸に

全勢力を注ぐ事ができます

上杉家にとっても、信玄の提案は

渡りに船なのです

 

また、俺自身も、前から、この時期に

武田家は、上杉家と和睦を結ぶべきだったと思っていました

それが、俺の考えていた理想でした

 

何故なら、信玄公が亡くなった後、信玄の遺言だと言って

武田勝頼が、上杉家に頭を下げて、和睦を求めたら

武田家と上杉家は、対等の同盟を結ぶ事はできたはずだからです

 

そうしたら、後の長篠の戦の大敗もなく

武田家は、滅亡しないで、すんだかもしれません

少なくても、信玄公が亡くなった後

10年で、武田家が、呆気なく、滅亡する事はなかったと思うのです

 

なので、武田勝頼は、どうして、そうしなかったのか

長年の宿敵だった上杉家との和睦は

口で言う程、簡単でない事は分かりますが

前世、武田勝頼の俺としても、

まったく、その当時の記憶はまったくありませんが

残念で仕方ないのです

 

しかし、津野田耕作さんの「戦国の嵐」一では

書かれていませんでしたが

武田家と上杉家の和睦には

大きな問題が一つありました

それは、残る、関東三国志の一つ

関東の雄、北条家の存在です

 

だって、いくら、武田家と上杉家が和睦しても

その事によって、北条家を敵にしては意味がありません

北条家が、徳川家、織田家と結んだら

武田家は、西と東に、強敵をかかえて

挟み撃ちにされてしまいます

北条家との同盟関係は、絶対に壊す事はできなかったのです

 

言い換えるなら、北条家との同盟を壊す事ができなかったので

武田勝頼は、上杉謙信との和睦をする事ができなかったのです

 

なので、上杉謙信との和睦をするなら

「戦国の嵐」一では、忘れられていましたが

武田勝頼としては、上杉謙信に、北条家との事で

条件をつけないといけません

 

武田家としては、信玄公が

今川、武田、北条との三国同盟が壊れた後

戦っていた、北条家と1年前に

再び結んだ同盟、甲相同盟を壊す事はできない

 

それで、関東管領の上杉謙信公が

関東に入って、北条と戦になっても

武田家としては、一兵も、関東には、派遣できないと

言わないといけませんし

関東管領の上杉謙信公に対して

できたら、関東に入って

北条征伐は止めて欲しいと言わなければなりません

 

その代わりに、武田家は、上杉謙信公が、北陸に侵攻して

越中、能登、加賀を収めるだけでなく

越前、近江を抜けて

再び、上洛して頂く為なら

援軍を、1万でも、2万でも出すので

今は、共通の敵である織田信長との戦いに

専念して頂きたい

 

そうしないと、仏教など、日本が

古来から守っていた制度を

破壊するだけでなく

足利将軍までを蔑にしている

織田信長が、徳をして

天下を取られてしまう

 

上杉謙信公には

一日も早く、足利義満将軍の命である

織田信長を成敗して

将軍を助けて頂きたい

そうしないと、織田信長は

天皇家さえ、何をするか分からない

 

俺は、武田勝頼は、この程度の事は言わないといけないと思います

上杉謙信公を、親だと思って

言葉だけでなく

誠意を持って、尽くすぐらいの事を

武田家の為に、する器量が

あればいいのにと思うのです

 

だけど、「戦国の嵐」シリーズの中で

武田勝頼が、そんな器量を見せるか、どうかは

まだ分かりません

 

でも、「戦国の嵐」三・四と続く中で

皆さんや、武田家の御霊達と

武田勝頼が、もっと大きな器になる事を

楽しみにしたいと思います

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第446号戦国の嵐」の本でする武田家済度1

第447号戦国の嵐」の本でする武田家済度2

第448号「戦国の嵐」の本でする武田家済度3

第449号「戦国の嵐」の本でする武田家済度4

第450号「戦国の嵐」の本でする武田家済度5

第451号「2013年武田済度が始まりました」

第452号「2013年武田家済度で、
戦国時代の慰霊させて頂いています」


第453号「金沢での武田家済度お楽しみ様しました」

第454号「新武田戦記」シミュレーション済度1

第455号「新武田戦記」シミュレーション済度2

第456号「新武田戦記」シミュレーション済度3

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第459号「新武田戦記」シミュレーション済度6

第465号「戦国時代に武田家が滅亡したのは、
今、武田家済度をする為だったのです」


第466号「人は城、人は石垣の意識で、
今から、武田家の結界を作ります」