縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第459号

「新武田戦記」シミュレーション済度6

∞「武田信勝対羽柴秀吉を

お楽しみ様しました」∞                               

河丸裕次郎さんの本、「新武田戦記」を通して

武田家の御霊達と

いろんなシミュレーションをお楽しみ様していますが

前号では、新武田戦記、全三冊の後の世界の話として

本能寺の変の後

武田信勝が、義弟の織田勝長の為に

織田家の家督争いに、介入したらという設定で

あれこれ書かせて頂きました

 

「新武田戦記」では

本能寺の変を起こしたのは

明智光秀ではなくて

織田家に、裏切られた徳川家という設定でしたが

徳川家なら、隣国である武田家が

一番、近いので、羽柴秀吉よりも

先に、敵討ちをする可能性が高く

そうなったら、見事、敵討ちをした織田勝長が

織田家の家督争いに、北畠信雄、神戸信孝と共に候補として

清州会議で、候補で挙げられていたかもしれません

そんな事も、想定できるのです

そうなったら、歴史はどうなるか

実に、面白いと思います

 

ただ、「新武田戦記」では

徳川家には、家康はいない上に

当主の徳川於義丸は、幼く

領土も、三河一国しかないので

領地から遠く離れている本能寺で

単独で、織田信長を襲う可能性はありません

 

なので、もし、それが可能の場合は

明智光秀に唆されて

徳川家臣団が、本能寺で

織田信長を討ったという設定になりますが

そうなると面白いと思います

 

何故なら、徳川軍には

明智光秀の軍も加わる事になって

中国大返しを実行した羽柴秀吉と

天王山の戦いで、戦った事になるからです

 

しかし、いくら、徳川軍が強くても

兵の数で、圧倒的に、優勢だった羽柴秀吉の軍に

勝てるはずがありません

やっぱり、羽柴秀吉が、勝つ事になるのです

 

けれど、その後の清州会議では

羽柴秀吉の思惑通りにはいかない可能性はあります

 

歴史の史実としては

柴田勝家が、三男、神戸信孝を押して事に対して

意外にも、羽柴秀吉が、次男の北畠信雄ではなくて

信忠の子、わずか、3歳の三法師が、家督を継ぐ事を提案した事で

清州会議は、羽柴秀吉の勝利になりました

嫡男の子供を継ぐべきだと言う正論に

誰も、反論できなかったのです

 

だけど、ここに、織田勝長がいたら

どうなっていたかと考えると

少し、わくわくします

 

というのも、織田勝長には

武田信勝の軍師、真田信之や

信之の父で、

戦国時代きっての知将、謀将と言われた

真田昌幸がついています

 

しかも、その上に、武田軍は

上杉軍、北条軍とも、合力を頼む事ができ

最大の同盟軍でもあります

織田家の家臣ではないのです

 

なので、織田家の会議で

決まったからだと言って

それに、従う理由はありません

織田家に対して、強力な

圧力をかける事も出来るのです

 

だから、この後に、織田勝長が

羽柴秀吉が、織田家を乗っ取る事に

納得しなかったら

武田家と、羽柴秀吉は

対立する可能性は大でした

 

例え、清州会議で

跡目を三法師にする事が決まっても

その後の、柴田勝家と羽柴秀吉の戦いに

織田勝長が、武田信勝の援護を受けて

参入する事も出来ます

 

何故なら、織田家の同盟だったとはいえ

織田家との縁戚がなかった

徳川家康は、織田家内の争いには

介入する事は

北畠信雄に、依頼されるまではしませんでしたが

織田勝長のいる武田家は、違ったのです

 

なので、羽柴秀吉と武田信勝は

シミュレーションの世界では

対決する事になったかもしれません

 

しかも、その戦に、武田信勝が勝ったら

その後は、どうするか

あくまでも、勝長を、織田家の跡目にして

同盟関係を維持するか

織田勝長が、武田家の家臣として

最後まで、忠誠を尽くすか

興味は尽きません

 

でも、ここで、そんな事を

シミュレーションしても

仕方ないかもしれません

 

作家の河丸裕次郎さんを見習って

俺も、ここらで、シミュレーションをするのは

終わりにしたいと思います

 

 

∞「最後に、織田勝長の御霊を

慰霊させて頂きました」∞

「新武田戦記」シミュレーション済度という事で

戦国時代に活躍した、武田家の済度させて頂きましたが

これで、終わりにしたいと思います

 

それで、最後として、俺が、どうしても

皆さんに、お知らせしたい事

武田家ファンや、戦国時代ファンも

今まで、知らなかった、一つの仮説を

改めて、紹介したいと思います

 

と言うのも、「新武田戦記」の本で、俺が、本当に衝撃を受けたのは

織田勝長の存在でした

 

この織田勝長の経歴に関しては

もちろん、俺は、武田家ファンですから

織田勝長が、織田信長の五男で

秋山信友が、岩村城を落とした時に、捕えられ

人質として、躑躅ヶ崎館に送られた事は

当然、知っていましたが

恥ずかしながら、その後の事は、詳しくは知りませんでした

 

武田滅亡がする前に

武田勝頼が、織田家に、無条件で

織田勝長を帰した事は知っていましたが

それは、織田家の侵略を恐れた武田家が

織田信長に、媚びた為だと思っていたのです

 

いえ、尊敬する新田次郎さんの本

「武田勝頼」では

武田勝頼が、家臣の説得で

人質でもある、織田勝長を

何の見返りもなく、織田家に帰した事で

逆に、武田家は、簡単に、滅ぼせると

織田信長に、逆に、判断されて

西の毛利家、攻略を重視していた方針を変更されて

毛利征伐の前に、武田家征伐が決められたという

最終的には、武田家の運命は

勝長の、織田家返還で決まったと言う

面白い解釈がされていましたが

俺は、その可能性は、高いと思っていました

織田勝長は、人質でしかすぎないと思っていたのです

 

しかし、「新武田戦記」の本を読んで

そうでない可能性がある事を知りました

 

何故なら、インターネットで調べても

武田勝頼が、織田勝長を、猶子として

自分の子供のように、育てたと言う痕跡は

残念ながらありませんが

実際に、武田家は、勝長を、育てた事は本当です

 

しかも、武田勝頼は

武田家が、織田信長に、滅亡される前に

織田信長の元に帰していますが

織田勝長に対して

酷い扱いをしているなら

帰す事はないと思います

 

いえ、織田勝長が、武田家を怨んでいるなら

帰せるはずがないのです

 

その上に、勝長を帰す事で

武田家に、何もメリットもありませんでしたし

織田家に、もうすぐ滅亡される事も

分かっていました

 

だから、せめて、武田勝頼としては

武田家が滅亡する時には

憎い相手である

織田信長の息子の一人である

織田勝長を討つ事で

武田家の滅亡を

飾ろうとするのが普通だと思うのです

 

しかし、武田勝頼は

それをしませんでした

織田信長に帰したら

武田家の内情を知っていたり

武田家の縁がある

勝長が、武田征伐に使われる事は

分かっていたのに

武田勝頼は、それでも、大切な人質、勝長を

織田家に帰しているのです

 

それは、常識的には考えられず

武田勝頼が、織田勝長に対して

人質として扱わずに

本当に、大切にしていた

何よりの証拠だと思います

でないと、帰すはずがないのです

 

また、俺は、これは読んでいないので何とも言えませんが

「新武田戦記」の作家、河丸裕次郎が書いている

別な本、「新 織田戦記」は

織田勝長が、主人公として活躍している話だそうです

 

しかも、そのシミュレーションとしては

織田勝長は、織田信長からとてもかわいがられて

東国総代に任ぜられて滝川一益を副将に上野に赴き

本能寺の変の難から逃れる事ができたという

設定がされていました

歴史の史実が、変更されていたのです

 

その上に、その後、織田勝長は

信長の子息で、武田の志を継承した若き勝長として

武田家の旧臣達と共に天下に挑み

見事、羽柴秀吉を倒して

天下取りになるそうですが

その最初に、武田勝頼と勝長の話があるみたいです

 

その時に、武田勝頼は、織田勝長に

優しく、まるで親として

武田家で、死ぬよりも

織田家で、生きるように、言い聞かせるみたいですが

俺は、それも読んでみたいと思いますし

そんな勝頼なら、息子の信勝と勝長を

同じように、育てたと思います

 

ですから、あくまでも、武田勝頼は猶子として勝長を

立派に育てたと言う事は

今の時点では、作家の河丸裕次郎さんの仮説なんですが

前世、武田勝頼の俺としては

記憶はありませんが

直感で、それが正しいと思うのです

そうだったら、素晴らしいと思います

 

しかし、そんな織田勝長も、歴史の史実としては

信長に与えられて、尾張国犬山城主となった後

天正10年(1582)の甲州征伐には兄・信忠の与力として参陣し

信濃国・上野国を攻略して、武田側の武将小幡氏を降伏させるという活躍を見せますが

本能寺の変において信忠と共に、明智光秀の軍勢に攻められて

二条御所で奮戦ののちに討ち死にしています

勝長も、信長、信忠と共に、亡くなっているのです

 

けれど、俺は、それが、とても残念です

もし、勝長が、本能寺の変に巻き込まれずに

生きる事ができたら

武田家再興の為に、力を貸してくれた可能性は

十分にあるからです

 

羽柴秀吉に対しても

敵対するのではなく、味方についていたら

武田家再興の為に、力を貸してくれて

甲斐、二十二万石程度だったら

取り戻す事ができたのではないか

俺は、そんな気もするのです

 

なので、そんな武田勝頼と織田勝長の

意外な関係の可能性がある事を気付かせたくれた

河丸裕次郎さんには、心から感謝していていますし

済度人して、織田勝長を慰霊し

済度、魂を高め、救わせて頂きたいと思います

 

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第446号戦国の嵐」の本でする武田家済度1

第447号戦国の嵐」の本でする武田家済度2

第448号「戦国の嵐」の本でする武田家済度3

第449号「戦国の嵐」の本でする武田家済度4

第450号「戦国の嵐」の本でする武田家済度5

第451号「2013年武田済度が始まりました」

第452号「2013年武田家済度で、
戦国時代の慰霊させて頂いています」


第453号「金沢での武田家済度お楽しみ様しました」

第454号「新武田戦記」シミュレーション済度1

第455号「新武田戦記」シミュレーション済度2

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第465号「戦国時代に武田家が滅亡したのは、
今、武田家済度をする為だったのです」


第466号「人は城、人は石垣の意識で、
今から、武田家の結界を作ります」