縁の花

                   (本物を目指して心と心のネットワーク)

                   第89号

         イルカ

 さて、紫陽花はこの頃、河内先生の事を書き出してから、随分堅い話ばかり書いている気がします。

 あまり堅い話ばかりだと皆さんも疲れると思うので、つい最近あった不思議な縁、イルカとの縁を書きたいと思います。

 というのは平成9年5月11日に河内先生とイルカが結び付いたのです。

 しかしこれは今から考えても不思議な縁です。

 この日程、紫陽花は縁というのは不思議だと思った事はありませんが、それを皆さんに説明するには今から2、3年ぐらい前に戻らないといけません。

 紫陽花はその頃、笑顔共和国の山崎さんの紹介で、イルカに合って聞いた事という本を書いているイルカ大好き少女というか、イルカそのものの生き方をしているすてきな女性、野崎友 香さんを知りました。

 これは林先生がやっているゲン・インターナショナル・ヘルスクラブという所に、野崎さんが、会社ゲームの清水義春さんと一緒に講師として呼ばれた時に生まれた縁なんですが、紫陽花はこの時にコスミックの神園社長やONE・BRAIN・JAPANの石丸さん、その後の別な機会に(笑顔共和国の大阪ニコニコサミット)林先生との縁を持つ事ができました。

 縁の花の読者になって貰えたのです。

 又神園社長は自分がやろうとしているドルフィンクラブの会に野崎さんを講演に招くという縁を持ちました。

 今から考えたらいろんな縁が生まれていたのです。

 でもそんな縁が将来大きく一つに結び付く事があるとは、紫陽花は夢にも思いませんでした。

 というのも今は笑い話ですが、この時の神園社長の紫陽花に対する印象は極めて薄かったそうです。

 名刺交換後、縁の花を送らせて頂きますと了解を貰ったのですが、実際送らせて頂くと、一体どんな方だったかなと名前も顔も思い浮かばなかったというのです。

 今は神園社長は、そんな紫陽花を「本当に力のある本物は決して目立たず、地味なんですね」とフォローしてくれていますが、やっぱり第一印象で人間関係の80パーセントは決まるというので紫陽花も反省したいと思います。

 もっと印象に残るように心がけたいと思います。

 だけどそれは正直いって紫陽花も同じでした。

 何故なら神園社長の凄い所は、そんな紫陽花の縁の花でもずっと目を通してくれていた事ですが、返事を2年近く一度も頂けませんでしたし、林先生も支縁金は送ってくれていましたが、感想を送ってくれる訳ではなかったので、紫陽花自身も将来大きな縁の花が咲くとは夢にも思っていなかったのです。

 が、そんな関係が河内先生の事を去年の後半に書き出してから一変します。

 たぶん、それまで紫陽花が書く本物情報は知っている情報が多かったのであまり魅力を感じなかった二人も、河内先生や個性学というまったく知らない事を書き出してから俄然興味を持って貰えるようになったのです。

 だから一度、今年になってから何となく合ってみたい。

 個性学を受けてみたいという事になり、その時紫陽花が話した河内先生の説明にも、きっとよくは分からないけど折角だから合ってみるかという感覚で合って貰えたのです。

 しかし合った瞬間から、そんな二人の気持ちが変わりました。

 神園社長にしろ、林先生にしろ、河内先生に対して、今まで自分が接して来た多くの本物と何か大きく違うもの。

 ある意味では究極の本物のようなものを感じたらしく、その縁を紫陽花がびっくりするぐらい大切にしてくれています。

 特に神園社長は、いろんな本物の人物との縁も作ってくれており、その一人にゲン・インターナショナルで知り合った野崎さんと河内先生との縁結びをしてくれたのです。

 だけどこれは紫陽花に取っては意外な事でした。

 野崎さんにしろ、一緒に居た友人のあおそら・るか(ペンネーム)さんや他のイルカ大好き少女にしろ、紫陽花自身本当に素晴らしい人達で、縁の花を読んで欲しかったのはやまやまでしたが、どちらかといったらイルカのように何事も感性で掴むタイプなので、文章は読まないのではないか。

 縁の花を送ったら、かえって迷惑になるのではないかと判断して、あえて縁を作らなかった人達です。

 それが神園社長のおかげでつながったのです。

 しかも野崎さんも河内先生の事を、その持ち前の感性で感じて貰えました。

 金沢にもいって貰え、本人の弁を借りたら、「河内先生の事はまだまだよく分かりませんが、河内先生のおかげで有縁の死者霊というまったく今まで考えていなかった存在の事を知りました」と大勢の前で紹介してくれました。

 そういった事を考えて貰えるようになったのです。

 だから5月11日の縁は、そんな野崎さんの好意で生まれました。

 3、4ヶ月に一度、京都の丸亀市にある、野崎さんの友人であるあおそら・るかさんのお母さんが設計した、山の自然いっぱいの宇宙意志にかなった素晴らしい建物、美 に野崎さんと縁あるイルカ大好き人間がたくさん集まって情報交換、交流会をするのですが、ここに河内先生もよかったらとの誘いがありました。

 こうしてイルカと河内先生という一見変わった存在が結び付いたのです。

 ですから紫陽花は喜んでこの縁に最初から係わりのあるものとして参加しました。

 野崎さんと共にいろいろとお膳立てをしてくれた神園社長と紫陽花と河内先生の長女である由佳さんと大平さんという女性が、河内先生と共に最初したのです。

 が、この大きなイルカの縁が見事に縁の花を咲かせる事ができるか、どうかは正直いって分かりませんでした。

 野崎さんやあおそら・るかさんにしろ、河内先生をどのように紹介してくれるのかまだ決めていなかったからです。

 まさしく天、任せてというか、イルカ的にそういった事にこだわらず、自然の流れに任せようとしたのです。

 だから紫陽花自身も一体どういった事になるのか、さっぱり分からないまま、天や霊界に任せて参加したのです。

 でも結論としては見事に縁の花は咲きました。

 天からみたら、本当に綺麗な人の和、縁の花は咲いたと思います。

 ただそれでも後で考えたら、紫陽花は八分咲きか九分咲きで、十分咲きとはいえないとも思いますが、それは今後の課題にするとして、すべての人が主人公として満開の花を咲かせた事は間違いありません。

 本当に素晴らしい一日でした。

 ですから紫陽花は今から、その素晴らしい一日を皆さんと一緒に分かち合いたいので、順序よくあった出来事を書きたいと思います。

 どうか、縁の花が咲くという事は、一体どういう事をいっているのかと皆さん一人一人が考えて読んで頂けたら幸せです。

 

                  

 今回の野崎さんを中心としたイルカ大好き人間の集まりのテーマは、イルカの持つヒーリングでした。

 それに参加した35名ぐらいの人が美霧の1つの大きな部屋に集まって、円陣を作って、昼の1時から6時ぐらいまで楽しい時間を過ごしながら考えたのですが、まず最初に行われたのは、全員の自己紹介でした。

 紫陽花の好きな言葉「イルカの世界ではリーダーは居てもボスは居ません。何かあった時、その場、その場に居る先頭のイルカが判断をして、全員をリードします」

 と2年前に合った時に教わった言葉を野崎さんがいうと、一番髪の長い人から時計回りに始めますといって、自己紹介が始まったのです。

 が、ここで紫陽花が感心したのは、このイルカの縁で集まった人達の意識の高さです。

 女性と男性の比率でいうと圧倒的に女性が8対2ぐらいの感覚で多いのですが、それを度外視しても皆さん本当に平和を求めています。

 争いが好きといった波動を持つ人は一人もいませんし、他の人の存在を認めています。

 一言でいったら、やっぱりイルカ的というか、自由で拘束されるのが嫌いといった人達が集まっており、紫陽花はもしかしたら前世はイルカという人も多いのではないかというほのぼのとした気分になりました。

 今までいろんな本物の集まりやセミナーに参加して来ましたが、今までのものとはちょっと違う。

 おそらくここに集まっている人達の多くは、政治や企業のリーダーになって、地球や人類を救うといった事にはまるっきり関心がないというか、そういった事を目指す意志もないのではないかという気がしたのです。

 でもこの人達はまさしく本物の集まりです。

 国や企業のリーダーが、こんなイルカ的な人達だったら、きっと戦争や企業間の激しい競争は起こらないのにと、紫陽花は一人一人の自己紹介を聞きながらしみじみと思ったからです。

 又、紫陽花がもう一つ感心したのは、本当に遠い所から駆けつけている人達が多いという事です。

 やはり大阪や京都の人が中心ですが、東京や岡山から駆けつけて来る野崎さんと親しい仲間の人も多く、本当に仲のいい人達が集まっており、沢山の人が野崎さんを支えているんだという事がよく分かりました。

 野崎さんは多くの人達から愛され、愛しているんだと思うと、本当に羨ましく思いましたし、今日の河内先生との縁、出合いも絶対に成功して欲しいと天に祈らずにおれませんでした。

 しかもすぐにそんな紫陽花の願いは、天に通じていると紫陽花が確信できる事が起こりました。

 それはちょっと遅れて林先生が奥さんと子供さんを連れて、自己紹介の場に駆けつけてくれた事です。

 しかしこれは紫陽花には意外でした。

 林先生は歯医者の先生なので、土曜日は診察する仕事があります。

 紫陽花はてっきり参加できないだろうと思いこんでいたのです。

 でも何と林先生の職場がある大阪の池田市と京都の丸亀市は隣同士、車で20分ぐらいというので仕事を早い目に切り上げて参加してくれたのです。

 これは林先生自身が京都と大阪で考えたら遠い感じだったのに、地図でよく確かめたら、あまりに近いのでびっくりして来る気になったという事ですが、紫陽花はこの時、天の意志、霊界の応援を感じました。

 野崎さんや神園社長や紫陽花が知り合える場、最初の縁ができる場所を提供してくれた林先生と、神園社長や林先生と河内先生との縁をつなげた紫陽花と、そしてそれを最終的には野崎さんにまでつなげてくれた神園社長の3人が奇しくもそろったのです。

 3人の内、どの人が欠けても河内先生はこの場にいなかったと思います。

 紫陽花はそう考えると、霊界も本当に粋な計らいをするなあと思って嬉しくなりました。

 これは絶対に成功すると確信したのです。

 が、それはまだ分かりません。

 自己紹介の場面では、神園社長が「河内先生は不思議な力のある人で、現世でどんなに活躍したり、本物として名の通った方でも、先生に合うと、親に合った子供のようになってしまう」とか、紫陽花は、2年ぐらい前に野崎さんの講演を、林先生の勉強会で聞いた事があり、その時に紫陽花の書いている縁の花という情報誌が仲介役となって、今、3人と河内先生という素晴らしい先生が来る縁に発展しましたというような事を話しました。

 銘々、林先生や奥さん、由佳さんも河内先生の事を一生懸命アピールしましたが、時間が短くてなかなか伝えきれなかったからです。

 だけどそんな紫陽花達を天は応援してくれています。

 みていたら、自然に河内先生と野崎さんやあおそら・るかさんが結び付くように進んでいったからです。

 でも紫陽花はそんな事は関係なく、この時間を十分楽しみましたが、自己紹介が終わると、次に野崎さんの簡単なイルカとの出合いや近況発表があり、その後いよいよ最大の見せ場である、森のドリフィンというものが行われました。

 これは自然に囲まれている建物、美 の隣にある森の中に入って、自然にふれるのですが、これは本当に凄かったです。

 どう凄かったかといえば説明に困りますが、紫陽花も何回かは山に入って自然にふれた事がありますが、この日ほど印象に残る思い出はありません。

 実際森の中を5分も歩いていないのに、鳥はさえずり、本当に静かで何故か頂上にまで登ったようなすがすがしい気分になれましたが、後で考えたらあおそら・るかさんに森に入る前に、心構えを教わったからだと思います。

 というのも紫陽花自身今までまったく意識していなかった事自体反省していますが、実は森の中に人間が入るという事は大変な事を意味します。

 人間が何もしていなくても、人間の臭いが残るだけで住めなくなる動物もいるそうです。

 だからたくさんの人が何の自覚もなく、森に入ったら、鳥やリスなどの動物は本当にびっくりしてしまいます。

 話し声なんかにも細心の注意が必要ですし、小さな虫や木の葉っぱさえできるだけ踏まないようにしないといけないのです。

 紫陽花は正直いって、そんな事を考えて山に登った事がなかっただけに、森に入ったすべての人がそんな意識の中で、自然と1時間近く触れ合えた事にもの凄く新鮮さを感じました。

 残念ながらあおそら・るかさんに教わった、インディアンの教えである、森に何かをお供えする、お返しするものが思い浮かばないまま、森に入りましたが、今度行く時には考えたいと思います。

 しかし紫陽花はすがすがしい気分になれたのは、それだけではない気がします。

 それが河内先生流にいうと、イルカの有縁の死者霊の存在です。

 というのもこの森のドルフィンの歌い文句は、森の中にいるイルカ達に合おう、触れ合おうというものです。

 が、実は紫陽花はこの事が、2年前に合った時にはなかなか理解できませんでした。

 どうして海を泳いでいるイルカが、森に居るの。

 野崎さんの説明だとイルカは多次元動物で、森の中でも存在できる。

 森の中を泳いでいるのを感じるという事なので、そんなものかと思っていたのですが、本当のところはよく分からなかったのです。

 でもよく考えればイルカも死んだら魂だけになります。

 そうなれば自由に森の中でも泳ぐ事も可能です。

 そんなイルカの魂が、イルカともの凄い縁のあるあおそら・るかさんや野崎さんが集まる美霧の森の中には一番集まっているので、あの森には見えないけどイルカの魂達が集まって、多くの人を歓迎しているんだと考えたら納得できたのです。

 しかもそう考えたらこの森に河内先生が入られたという事ははっきりいってもの凄い意味があります。

 何故ならイルカの世界でも、人間と同じようにこの世に執着を持って、なかなか霊界に帰れない有縁の死者霊もたくさんいると思います。

 たとえば水族館のような所で自由を奪われたり、網に引っかかって若くして死んでしまったイルカの霊達です。

 こういった霊達は河内先生の話だと、イルカの有縁の死者霊となって、森の中で河内先生が来るのを今や遅しと待っています。

 河内先生に「早く救って欲しい。霊界に帰して欲しい」とずっと前から、野崎さんやあおそら・るかさんと河内先生の縁ができて、美 に来る事を待ち望んでいたと紫陽花は思うのです。

 ですから紫陽花の縁の花が、河内先生との縁をつなげる事で、多くのイルカの霊達を救ったと考えれば本当にすごい事になります。

 ただし、この事は何度もいうように、本当にそうなのか、どうかは紫陽花には分かりません。

 ただ紫陽花はそう教えてくれている河内先生の教えを信じていますし、イルカの有縁の死者霊達が実際に救われたのか、どうかは分かりませんが、河内先生が森に大勢の人達と一緒に入った事によって救われたと思いたいです。

 だって少なくても紫陽花は、森の中にいる間、自然に触れながらも、他の仲間と一緒に心の中ではずっとイルカの有縁の死者霊が救われて欲しいと願って、「先生、イルカの有縁の死者霊を救わせて下さい」と祈っていたからです。

 きっとその言葉で救われた有縁の死者霊が居たから、紫陽花は本当にすがすがしい気分になれた気がするのです。

 しかしここで紫陽花が是非読者の人に分かって欲しいのは、イルカの有縁の死者霊の事はおいといても、本当に森のドルフィンは楽しいという事です。

 紫陽花自身又機会、縁があれば参加したいし、興味のある人には連絡頂けたら日時をお知らせしますので、参加して欲しいと思います。

 イルカの有縁の死者霊には申し訳ないですが、そういった事とは関係なく、イルカ大好き人間がどんどん参加したらいいと思います。

 だって森の中で木に抱きついたり、木が水を吸う音を聴診器で聞いたり、丸太の上で瞑想したりと本当に楽しかったからです。

 皆さんにとって素晴らしい感動を与える一日になる事は、紫陽花が責任を持って保証します。

 しかも野崎さん達の楽しい集まりは、そんな森のドルフィンが終わった後は、紫陽花の大好きなおやつタイムへとまだまだ続きます。

 今度は大勢の人達と美 の庭に座って、いろんなお菓子を食べたのです。

 が、ここで紫陽花が嬉しかったのは、河内先生の娘さんである由佳さんが大勢の皆さんの前で、美空ひばりの歌を披露できた事と、もう一つは野崎さんと少しイルカの有縁の死者霊の話ができたという事です。

 というのも野崎さん自身3年ぐらい前はアトピーで凄かったそうです。

 それはもしかしたら、イルカと非常に縁がある私に、イルカの有縁の死者霊達が、海の汚れといったような事を、今から考えたら訴えたかったからではないかといってくれたのです。

 しかもその上に野崎さん自身、まだまだ河内先生のいっている事を全部理解していませんが、イルカの世界でも、網に引っかかったり、水族館の見せ物にされて、まだまだ生きたかったとか、自由に泳ぎたかったと思っている目に見えないイルカの有縁の死者霊が居るかもしれないね。

 そういった人間だけでなく、イルカの有縁の死者霊の事を毎日考えて生活する事も素晴らしい事だと思うと紫陽花にいってくれたのです。

 だから紫陽花は野崎さんにそういって貰えて非常に嬉しかったです。

 そんな素晴らしい感性を持っている野崎さんのますますファンになりました。

 きっと野崎さんとの縁は自然にもっともっと親密になると思ったのです。

 又はっきりいって霊界もそんな紫陽花達を応援してくれています。

 それが河内先生と野崎さんやあおそら・るかさんとのおやつタイムでの会話です。

 紫陽花からみたら、自然に3人は向かい合わせで座るようになっており、話をしている内に、人間は何で生まれて来ているのかという事になりました。

「そういった話なら、20分、いや30分貰えたら、紫陽花ならできるよ」

 という河内先生の言葉に、じゃお願いしますという事で、その後河内先生の短い講演が急遽決まったのです。

 それまで河内先生には5分から15分ぐらいの時間で簡単な話をして貰う予定だったのが、野崎さんの時間をちょっと頂ける事になって、おやつタイムが終わるとさっそく話になったのです。

 でもこの時の紫陽花はこの河内先生の講演が一念帰命やふれあい済度まで進むとは夢にも思っていませんでした。

 この二つは宗教じゃないかとどうしても誤解され易いので、よほど集まった人達の意識が高くないと通らないのです。

 しかしそれが見事にできました。

 これは紫陽花にとっては驚きでした。

 この時に河内先生がどんな事を講演したのかは、スペースの関係上要約しますが、河内先生は人間が生まれて来るのはたった1つ、自分の魂を高める為ですと話されました。

 それを最大の目的としており、それをするのには、人生を楽しむとか、世の中に何かで貢献するとかいった事ではなく、自分に縁合って頼ってくる目に見えない有縁の死者霊達の事を思って、毎日の行動を一緒にしてあげる暖かい心を持たないといけないといいました。

 それだけが唯一自分や有縁の死者霊の魂が高められる方法なんです。

 河内先生はそういうと「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」という言葉の意味も説明しました。

 その言葉を心の中でいって、仕事や食事をする時にも、風呂に入る時にも有縁の死者霊達と一緒にやって頂けたら、後は私が救いますといったのです。

 そしてその後、今日集まった人達に、素晴らしいプレゼントをしたいといって、一念帰命の説明に入ったのです。

 が、紫陽花にはこの河内先生の気持ちはよく分かります。

 というのもイルカの縁で集まった人達の中には、今回だけの縁で、もう美 にも来ない。

 河内先生とも縁を持つ事はないという人もたくさんいます。

 そういった縁は、生まれて来る前に多くの人達と本人である自分の魂が全部計画している事なんです。

 ですからそういった人達の中には、もしかしたら自分は一度だけ、野崎さんの縁を通して、河内先生と美霧で合って、何とか一念帰命を貰って、魂を救って貰うという事を、今回の人生の大きな大きな目的として生まれて来ている人もいます。

 中にはその目的の為にだけ生きているという人さえいるのです。

 だからたった1回の縁でも河内先生はチャンスを逃せません。

 河内先生自身一念帰命をしたからといって一円も儲かる訳ではありませんが、この場に集まっている人達の意識が高いだけに、今日集まった全員の魂を何とか救いたいという事で実施したのです。

 しかもこれは見事に通りました。

 たった一人十秒ぐらいの事ですが、何かの宗教的な儀式としかみえないので、どうしても拒む人も何人かは出てくるものなんですが、全員素直に受けてくれたのです。

 紫陽花はその時に本当に素晴らしい人達の集まりだと心から思いました。

 そしてその後、少し予定の時間をオーバーしてしまいましたが、ふれあい済度にまで進みました。

 というのも一念帰命で本人の魂は救われても、その背景に縁合っている有縁の死者霊達は救われている訳ではいません。

 そういった有縁の死者霊もふれあい済度をする事によって、河内先生と本人がふれあう事によって救われる事になるのです。

 だからこれも先生は逃す事はできません。

 したからといって感謝されるよりも、何、それと誤解される事の方が多いのですが、河内先生はふれあい済度の説明をして、全員の背景にいる多くの有縁の死者霊を救ったのです。

 だけどおそらく大半の人達は、そんなふれあい済度の本当の意味が分かるのは、河内先生もいっているように、本物社会になった何年後か、霊界に帰った時か、霊界に帰ってしばらくしてからだとは思います。

 その瞬間、自分はあの時一念帰命で救われ、ふれあい済度で自分に縁合って頼ってきている有縁の死者霊を救ったんだと分かる時が来ると思いますが、それまでは残念ながら理解できず、ただのスキンシップだと思っている人が大半だと思います。

 でもそんな意味は分からなくても、皆さん喜んでふれあい済度をしてくれましたし、紫陽花も多くの人とふれあい済度ができて、正直いって嬉しかったです。

 と同時にふれあい済度も終わって、河内先生の講演が終わった時には、今、天や霊界からみたら、縁の花が花として本当に黄金に光輝いて咲いているんだな。

 縁の花とはこういった事をいうのかと、紫陽花自身が始めて分かった気がしました。

 だって2年以上も前に林先生のゲン・インターナショナル・ヘルスクラブで生まれた縁は、今こうして予想外の展開で、35名の人に河内先生から一念帰命やふれあい済度をして貰えるという縁に発展したのですから、紫陽花は素晴らしい事だと思います。

 しかし紫陽花が天や霊界は凄いなあと思ったのは、その後の展開です。

 何故ならその後、時間をオーバーして野崎さんには大変迷惑をおかけしましたが、野崎さんのイルカのヒーリングの話、実はイルカも先程のふれあい済度ではないけど、ふれあう事をもの凄く大切にしているという大変素晴らしい話が終わった後、紫陽花達はあおそら・るかさんのお母さんである立花栄子さんの招待で食事をする事になりました。

 美 とは場所を変えて、もう一つの凄い場所、大阪の茨木市にあるまだま精舎という縄文時代に建てられたものと同じ作りで建てられた所に招待されたのです。

 ですが、これも本当によかったです。

 見事に別な縁の花が咲きました。

 ちょっと長くなるけど、その事も皆さんに報告して、今回の縁の花、第89号、イルカを終わりたいと思います。

 

 

 

                          まだだま精舎

 まだま精舎は、大阪の茨木市の竹林の中にあります。

 恥ずかしながら紫陽花はそんな縄文時代の縦穴式の建物を現在に蘇えらせたものが、紫陽花の居る大阪にあるなんてまったく知らなかったのですが、紫陽花達が河内先生と一緒に、この中に入ったのは8時頃でした。

 しかしこれは紫陽花にとっては驚きでした。

 中は縄文時代を感じさせる作りになっており、いっぺんに気に入りましたし、頂いた資料によると、軽い食事もとれ、会場も安く貸してくれます。

 是非、一度は皆さんも行かれるといいと思います。

 でも、紫陽花がもっと驚いたのは、そんな建物の住民、るかさんの両親の存在です。

 美 といい、まだら精舎といい、こんな建物を作った立花ご夫婦はただものではないと思いましたが、実際その通りでした。

 奥さんである栄子さんは、美霧の時にも本当に目立たない存在なのに、河内先生の凄さを一番理解してくれていました。

 始めて合った瞬間、この先生は本当に凄いという事が分かったといいますし、河内先生が講演していた時にも、河内先生の周りにいろんな色の有縁の死者霊が集まっているのがみえていたといいます。

 紫陽花はそれを鍋料理をごちそうになっている時に直接聞いて、栄子さんを心から尊敬してしまいました。

 しかもこの栄子さんは一人芝居をする事もでき、まだら精舎で長い間、マルコ・モーガンのあのミュータントメッセージの一人芝居を多くの人達に披露していたといいます。

 紫陽花はそれを聞いてあまりの凄さに思わず絶句してしまいました。

 ミュータントメッセージの話で、本当に楽しいお食事や酒を頂けたのです。

 と同時に、縁の不思議さに付いて改めて考えました。

 だって本当に目にはみえない糸で複雑に絡み合いながらも、2年以上も前に林先生から始まった縁の糸は、紫陽花から、神園社長、神園社長から、野崎さん、その次がアオソラ・ルカさん、お母さんである立花栄子さんへと見事につながっているからです。

 河内先生はそんな紫陽花達の関係を一言笑いが止まらないという感想をくれましたが、食事会には、そんな全員が顔をそろえており本当に不思議な気がしたのです。

 しかも天や霊界が凄いのは、その次に縁をつなげる糸をすでに用意している事です。

 それが栄子さんの旦那さんである立花之則さんの存在です。

 この立花之則さんは、東京に仕事で出張しており、残念ながら今回はお会いする事ができませんでしたが、美 に置いてある念波の時代という本を少し読んだだけで、どんなに凄い人かは紫陽花にも分かります。

 最初にこの本の存在に気が付いたのは神園社長ですが、おやつタイムの時にちらっとみて、紫陽花も鳥肌がたちました。

 本の内容を一言でいえば、「光と愛と和の念波が世界を救う」という事ですが、佛の道にも詳しく紫陽花はこの人ならかならず河内先生の事を深く理解して頂けると直感しました。

 天や霊界は次の縁ある人をすでに用意しているのかと思ったのです。

 でも紫陽花がもっと凄いと思ったのは、実はこの縁がつながった時期です。

 というのもまだま精舎はもうすぐ有名になります。

 建ててから十年間、いっさいマスコミの取材も受けずに、ひっそりとやっていたのですが、ついに天は今、急いでいるという事で、ご夫婦も決断してテレビの取材を受けたのです。

 が、有名になるとまだま精舎のような本物の場所には、いろんな因縁を持った人が集まって来ます。

 実はそれが栄子さんの最大の悩みでした。

 以前どんな悩みでも私に相談してねという素晴らしいお坊さんの妻であった人が、沢山の人の因縁を背負い込んで駄目になってしまった事があり、悪い波動を持っている人が殺到したり、悪い因縁を持っている人が来るのを恐れていたのです。

 だって栄子さんは正直に河内先生に「私にはそんな因縁をどうする事もできないのだから、今まで避ける事しかできませんから」といいましたが、その通りだからです。

 しかしそれこそ河内先生の待ち望んでいた事でした。

 河内先生はそんな栄子さんに嬉しそうに、「立花さんや娘のルカさんが一念帰命を受け、まだら精舎に私が入った以上、そういった人達はどんどん来ますよ。それがまだら精舎の役目です。でも大丈夫。今後はそういった因縁から逃げずに、頼ってきた因縁は引き受けてすぐに「先生有縁の死者霊を救わせてください」と私を思い浮かべて、私に振って下さい。私が全部かぶります。私が救います」といいきりました。

 それこそ河内先生がこの世に生まれて来た最大の役目なんです。

 だから栄子さんもその河内先生の返答に心から喜んでくれました。

 私が求めていたものはそれです。

 タイミングもマスコミに取り上げられる前なので、バッチリですと心から河内先生との出合い、縁に感謝して頂き、紫陽花も今更ながら、天や霊界のする事に驚きました。

 何故ならその瞬間、まさしく縁の花は、まだら精舎という素晴らしい所でも見事に大きな花を咲かせました。

 まだら精舎に頼ってくる多くの因縁、有縁の死者霊を河内先生の光で救うという大きな大きな役目を多くの人の縁を通して伝えるという事ができたのです。

 正直いってこの日ほど、紫陽花は縁の花を心から書いてよかったなあと思った事はありませんでした。

 しかし残念ながら紫陽花にはそれで満足している時間はありません。

 この日生まれた多くのイルカ大好き人間の人達や野崎さんやあおそら・るかとお母さんである立花栄子さんとの縁を心から大事にして、次の縁へとつなげないといけないという天から与えられた仕事がありますし、実際この日、多くの縁を持てました。

 野崎さんやあおそら・るかさん、立花栄子さんには今後ずっと縁の花を送らせて貰うと約束しましたし、美 で合った何人かの人達にも、この日の感動を縁の花で書きますから、是非思い出として大切にして下さいといったので、この第89号、イルカを送らないといけません。

 正直いって河内先生との出合いが、あの日だけだという人達に、この縁の花がどこまで理解されるかは自信はありませんが、それでも紫陽花はきっとこの縁を紫陽花が大切にしたいと願っているという事や、紫陽花が送った一人一人の人に、河内先生との縁をつなげたいと思っている気持ちは理解して頂けると信じて出す事にします。

 どうか皆さんもそんな紫陽花の願いが、見事に又別な機会に、大きく縁の花が咲く事を祈って下さい。

 では皆さん南無阿弥陀佛(紫陽花と縁ある人だけでなく、その背景にあるすべての有縁の死者霊も救わせて下さい)

              平成9年5月25日 

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 読者の皆さんにご報告

2007年7月7日、七夕の日、まったく意識していなかったのですが、縁の花のHPを見たある人と、大阪で初めてお会いする事になりました。
昔、菊がやっていた済度のご縁の人です。
その人と、空海さんが、嵯峨天皇から賜った、世界遺産でもある、京都の東寺に行きました。
ここで空海さんは、多くの弟子と共に、密教をしていて、東寺は、真言密教の根本道場となっていたのです。

しかもそこでは、偶然にも、夜から、環境問題に関わる大きな世界的な行事をするということで、忙しくしていました。
何と、世界で見れば、20億人が参加した行事です。
これも、何か大きな意味がある気がします。

また、その後、久しぶりに、京都の河内先生の講演会に参加して、河内晢先生のお話聞きました。
河内先生のご縁は、21世紀になってから活動はしていませんが、情報は得ていました。
相変わらずお元気でした。

でも、河内晢先生も、7月1日が誕生日なので、もう60歳、還暦になります。
いよいよ河内先生の活動も最後の仕上がりになるそうです。
菊自身、それが成就するのか、しないのかは分かりませんが、以前、追伸として書いた文章は、消すことにします。
ご迷惑をおかけした済度の仲間には、申し訳ないと思います。

しかも驚くことに、その追伸の最後に、「2007年頃、河内晢先生が、本当の阿弥陀如来だと、紫陽花自身が思えたら、その時には、紹介したいと思います。」と書いています。
正直言えば、河内先生が、本当の阿弥陀如来だと思えたのと聞かれたら、思えていませんと答えますが、菊自身、2007年頃、済度のご縁を、再び、紹介すると書いていたこと、忘れていました。
京都の講演会で、済度の仲間に、お会いして、その事を言われて、驚きです。

自分でも、まったく無意識に、2007年と書いたのかもしれません。
菊の魂が、そう望んでいたことなのかな。
確か、2005年と書いて、まだ、その時期になっていないので、2007年にした記憶がありますが、2007年7月7日に、再び、済度のご縁についたことは、何か、天の大いなる意志、河内先生の願いを感じました。

ということで、昔書いていた追伸の文章は消すことにしました。
河内先生の済度のご縁に関心ある人は、菊にメール下さい。
済度を今も、実践している人をご紹介したいと思います。

  2007年7月9日

 
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