縁の花村情報第51号 8月9日

 「ありがとうございます祭り特別号」

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紫陽花の「無限の無限の幸せ交換」

1、ありがとうございます祭り

 縁の花村の皆さんさん、いつもいつも「ありがとうございます」

 先日は「ありがとうございます護摩木」送って頂き、本当に「ありがとうございます」

「ありがとうございます祭り」に参加できない方の為に、紫陽花が代わりに、持って行かされて頂くことは、紫陽花にとっては「無限の無限の喜び」で一杯の事です。

 紫陽花が、大好きな皆さんの「無限の無限の幸せ」の為にできる最高のことだと確信しています。

 今回は、23名(紫陽花の誕生日)の村人さんが送ってくれました。

 縁のある人のご友人、家族の人の分を含めたら、35人分にはなりました。

 本当にさせて頂いて「ありがとうございます」

 また、「ありがとうございます祭り」も、本当に良かったです。

 御礼に、簡単に御報告させて頂きたいと想います。

 

  「ありがとうございます祭りの御報告1

 今回の8月1日〜8月8日の、「ありがとうございます祭り」は、去年の7月20日〜7月21日に行なわれた惟喬親王祭、「ありがとうございます祭り」とはまったく内容が違いました。

 会場も、地元の惟喬親王陵から、歩いて5分〜7分頃にある、ありがとうございます野外ステージに変わりました。

 運営も「ありがとう村」の人達が、「地元の蛭谷村」の人達の祭りに共催として参加するのではなくて、全面的に主催して関わりました。

 いえ、全国の「ありがとうございます」の人達が、「ありがとうございます奉仕活動」をとおして、一から手作りでステージ場も造りました。

 皆が、暑い中を、プロックを組んで、セメントを固めて、約、2ヶ月間ぐらいの短期間で造りあげたのです。

 しかも土地も、人間の思いで造った廃品物のごみの山だったのを、ありがとう村で安い事もあって、手に入れて見事に綺麗にしています。

 何千人でも入れるそんな広い場所を、「ありがとうおじさん」以外は、誰もがまったく考えもしなかったのに、短時間で造り上げるというまるで奇蹟を起こしたのです。

 これには紫陽花自身、今でもびっくりです。

 また、参加メンバーも大きく変わりました。

 人数的には、去年の千、千五百人に比べたら、準備不足もあって、800人ぐらいで、少ないです。

 でも、前回の祭りは、地元の人や、祭りに遊ぶという感覚で参加している人が多かったのに比べて、今回の祭りは、「ありがとうございます」を理解している人達ばかりで参加しているので、波動的にはとてもよかったと想います。

 その上に、紫陽花の感じでは、今回の祭りは、ただ本や情報で、「ありがとうございます」に関心を持っている人では参加できない気がします。

 自分なりに「ありがとうございます」と実践で唱える気持ちがないと、前回参加した人でも、今回は参加できなかったような気がします。

 本当に「ありがとうございます」の意識のある人達で集った、すてきな祭りになったのです。

 そんな人達が、8月1日〜8月8日で考えたら、千五百人ぐらいが参加しているので、去年よりも、もっと本当にすばらしい祭りになったと想いますし、「ありがとうおじさん」は、今回の祭りを第1回「ありがとうございます」祭りと言っていましたが、そういった意味では、今回が第1回と言えると想います。

 第1回の「ありがとうございます」祭りから参加できた事、紫陽花にとっては、無限の無限の幸せなのです。

 そしてその祭りでした事も大きく違いました。

 前回は、ありがとうございますボランティアをしたのは限られていましたが、今回は殆どの人が「無限の無限の喜び」でしました。

 紫陽花も、6時からの「ありがとうございます瞑想」が始まる前まで、草むしりなどをさせて頂きました。

 8月7日にも、「ありがとうございます奉仕活動」があったのです。

 車で送迎する人、駐車場で案内する人、草むしりする人、掃除する人、それぞれのお役目を不満もなく、「無限の無限の喜び」で自発的にさせて頂いたのです。

 しかし、紫陽花にとって、いえ、参加した人達にとって、一番の喜びは、「ありがとうおじさん」が、祭りに最初から参加して頂けた事です。

 去年は、「ありがとうおじさん」が参加したら、皆さんの意識が自分に向いてしまって、みんなの祭りにならないという事で、「ありがとうおじさん」は、「ありがとうございます護摩」の時、お忍びで姿を見せた時以外は、姿を見せませんでした。

 だけど今回は、目立たない姿で、最初から参加してくれましたし、お話も聞かせてくれました。

 紫陽花自身、今回もお隠れになるのかなと想っていたので、とても嬉しかったです。

 「ありがとうおじさん」も一人として、祭りに参加してくれたのです。

 本当によかったです。

 

   「ありがとうございます祭り御報告2

 「ありがとうございます祭り」自体も最高でした。

 気になる天気も、前回と違って、殆どふりませんでした。

 お祈りが始まった12時頃、「ありがとうおじさん」が瞑想を、野外スタジオで始めた時に、少し降ったのと、祭りが始まって、「ありがとうおじさん」が、この土地を守っている竜神さまも喜んでいると行った時に、少し降っただけでした。

 だから殆ど、誰もぬれていません。

 京都なのでは大雨だったそうですが、「ありがとうございます祭り」では、雷の音がごろごろと大きな音が聞こえても、夜中中、ずっと雷が光っても、不思議と雨はまったく降らなかったのです。

 しかも、雲は、「ありがとうございます祭り」を祝福してくれていました。

 本当に不思議な雲でした。

 竜のような雲もあれば、「ありがとうおじさん」が話している時には、天の岩度開きなのか、天の窓が開いたような感じの雲もありました。

 紫陽花自身、周りの人と雲も見つめていたのです。

 しかもステージが始まった後も、香音天さんの歌手の人が、今流行りのジュピーターの歌を歌ったら、雲が晴れて、星星がたくさん顔を出してくれたり、雷の光が、ずっとずっと光ったりして、すてきな演出をしてくれたりしました。

 星もすべて隠れたり、すべて顔を出したりして、楽しませてくれたのです。

 だから紫陽花と一緒に、縁の花村の村人として参加してくれた福岡の女性二人は、ステージの演奏を聞かずに、プロックの椅子に、寝袋をひいて、星ばかり見て、「無限の無限の幸せ」を感じていました。

 こんな経験は、紫陽花も初めてです。

 大阪と違って、滋賀の山奥の星達は光り輝いていました。

 それだけでも無限の無限の幸せでした。

 ですから今回の「ありがとうございます祭り」の功労者の一人は、この空、星達だと、紫陽花は、今、心かに感謝しているのです。

 また護摩が始まる前と、護摩が終わった後、演芸を奉納してくれた人達も、去年と同じようにすばらしかったです。

 人数的には、前回よりは少なかったですが、時間がたっぷりあるので、各自十分に楽しまれたと想います。

 歌ったり、踊ったり、岩笛を吹いたり、子供達はタックダンスを披露したりしましたし、前回も参加したボーディビルの人達も、すてきな身体を披露してくれました。

 多くの人が一緒に踊ったのです。

 しかも、プロの歌手の「Aikaさん」の歌った、君が代の歌と、天照御大神様の歌は、感動しました。

 魂が震えました

 ですから、今回の祭りでも、「天照大御神様」や惟喬親王や西郷隆盛などの多くの神様が、喜んだと想いますし、多くの御魂達も楽しんだと想います。

 そして肝心な「ありがとうございます護摩」もよかったです。

 今回はフッラッシュをつけた撮影は遠慮して欲しいという事なので、写真は少ないですが、神聖な行事として行われました。

 きっと天照御大神様も、「ありがとうございます大神様」も、多くの人が送ってくれた「ありがとうございます」の感謝の波動に驚いたと想います。

 「ありがとうおじさん」がいうように、御礼をしたくなると想います。

 皆さんの「無限の無限の幸せ」をいつもいつもお祈りしています。

 以上で、簡単にご報告は終わりです。

 

 追伸、護摩木と一緒に支縁金頂いた人も多かったです。

 本当に助かりました。

「ありがとうございます」

 また、前回の反省で、デジカメ買っています。

 興味のある人ハ連絡下さい。写真少し送ります。

 後、今回、新しくコスモスさんが吹き込んでくれた縁の花 第175号「惟喬親王祭」のCDができました。

 紫陽花は、ありがとうございます祭りでも、縁の花の小冊子と一緒に、25枚奉納させて頂きました。

 興味のある人には、プレゼントさせて頂きます。

 「ありがとうございます」

紫陽花の「無限の無限の幸せ交換」は、縁ある人と、お互いの「無限の無限の幸せを」を話す事で、幸せの波動を交換したいと想って始めています。そうすれば、お互いに益々、幸せになると想っています。返事は、結構です。紫陽花の「無限の無限の幸せ」を知って頂けたら幸せです。

 

 

縁の花村は、原裕一郎先生の「なんでんかんでん村」とは姉妹村提携をしています。縁の花の読者で、「なんでんかんでん村」に入村する人も多いです。よかったら、皆さんも村人になってあげて下さい。

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 縁の花村の目的は智閥創りです。智閥とは、21世紀、高度情報社会が始まった時に、工業社会の財閥(会社)に代わって、次の社会を担う新しい組織です。幕末、農業社会の江戸時代から、日本は、志士達の力で、明治維新、(産業革命)を起こしました。その志士の一人、尊敬する坂本竜馬は、浪人達と、新しい組織、会社、海援隊を、日本で一番、最初に作りました。後の三菱財閥です。縁の花村もそれを理想にしています。現在は脱藩する必要がありませんが、インターネットのバーチャルの世界で、全国から、同じ志や価値観を持ったいろんな人が集る事で、大きな力になれると信じています。これが、縁の花村です。将来、時期が来たら、日本や世界、維新の為に活躍したいと想っています。是非、賛同する人は村人になって下さい。また、縁の花村では、いろんな村人が送ってくれる情報を、選り好みせずに、全部、縁の花村情報として送っています。少し長いかもしれませんが、きっと必要な情報もあると想います。宜しくお願いします。

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縁の花村  紫陽花村長

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