縁の花村情報第67号 2月11日

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  1、縁の花200号「武田信玄天下取り物語」完成しました。

 記念すべき縁の花、第200号「武田信玄天下取り物語」がほぼ完成しました。後は、エピソードを書いたら終わりです。26ページの大作です。ただ、紫陽花としては、もっと長くなるかもしれないと想っていたので、少し意外な気もしています。しかし、内容は素晴らしいです。これは紫陽花が書いたというよりも、武田家の英霊達が書いたものだと想います。さすがは「風林火山」の旗の元で戦ってきた英霊達です。やる事が早いです。また、この200号では、戦国時代だけでなく、現在に繋げられるように書いています。真の日本国が誕生しています。お読み頂けたら幸せです。

     縁の花 第200号「武田信玄天下取り物語」

 

  2、天橋立と龍神社に行きます。

 2月12日、紫陽花は、アクアさんと天橋立と龍(こも)神社に行ってきます。日帰りの旅です。今迄、紫陽花は、本名に岩がつくので、なかなか動けなかった、神社めぐり、神々にご挨拶はしなかったのですが、アクア(水)さんのおかげさまでいろいろ動かして頂ける感じです。しっかり神社の神様に「ありがとうございます」してきます。

 また、紫陽花自身、前世、武田勝頼さんの魂が一部あるので、神社とは合縁があります。というのも、勝頼の母は、諏訪家の姫です。諏訪家とは、諏訪大社を代々司っていた家柄です。神々とも実に縁があるのです。しかも、諏訪大社は、古代ユダヤの血が流れています。諏訪大社が行う、御柱祭なども、古代イスラエルの「アシラ」信仰と似ているそうです。ただ、紫陽花に、宇野正美先生の言う古代ユダヤの血が流れているのかはまだ何とも言えませんが、アクアさんによると、流れているそうです。紫陽花に古代ユダヤが流れている可能性があるのです。どおりで、縁の花を通して、世直しをしているわけです。納得です。

その上に、紫陽花は、龍とも関係があります。これは恩師の一人である西本安範先生に言われた事ですが、紫陽花の顔も、龍の顔だそうです。龍の化身なんておこがましい事は言えませんが、龍さんの一部が紫陽花に入っています。少なくても、そう紫陽花は確信しています。だから古代ユダヤの血が流れている秦氏が作った龍神社に行く事は、紫陽花にとって大きな意味があります。しっかり、「どうぞ紫陽花をお使い下さい。縁の花、縁の花村をお使い下さい。命懸けでやります」と古代ユダヤの霊達や、龍にお誓い申したいと想います。

 そして3月24日〜26日には、九州に行きます。八幡大菩薩の総本山、宇佐八幡神社や高千穂峡にも行って来ます。高千穂峡には、天孫降臨の伝説や天の岩戸開き伝説があります。しっかり神々にご挨拶したいと想います。

 

  3、縁の花村情報 全号紹介コーナー

 縁の花村情報を分かり易くする為に、目次をつけました。今までは、何を書いているのか、皆さんに分からなかったと想いますが、目次をつけたので、ある程度分かると想います。これは、石黒大圓さんに教わりました。感謝したいと想います。また、新しく縁の花村情報全号紹介コーナーを作りました。是非、今までの縁の花村情報見て頂けたら幸せです。

      縁の花村情報 全号紹介コーナー

紫陽花の「無限の無限の幸せ交換」

  紫陽花の「無限の無限の幸せ交換」は、縁ある人と、お互いの「無限の無限の幸せを」を話す事で、幸せの波動を交換したいと想って始めています。そうすれば、お互いに益々、幸せになると想っています。返事は、結構です。紫陽花の「無限の無限の幸せ」を知って頂けたら幸せです。

 

   4、ロックノーブル「虎の巻」

 ロックノーブル「虎の巻」岩元さんから素敵な話をプレゼントしたいと想います。是非、皆さんと分ち合いたいと想います。

 

紫陽花へ岩元です。
今、このメールを書いているのは、アメリカ時間で午前7時50分。日本だと、夜中の12時50分です。
どうしても、あなたに、私が先ほど経験したすてきな出来事の話を伝えたくて、こうして書いています。
これからお伝えする話は、できすぎた作り話ではなく、先ほど私が経験した実話です。
あなたの心にポッあたたかなものが生まれることを願ってます。
【私が経験した、すてきな出来事】
いつものように自宅近くの湖のほとりを散歩していたときでした。子犬を連れたお婆さんが、私の近くに寄ってきて、私を呼び止めます。
私は「何だろう?」と思いつつ、お婆さんに「おはようございます」と声をかけると。
「おはよう。これを、どうぞ」と言って、私に何かを手渡そうとします。よく見ると、それはアメリカの25セント硬貨です。
「そこのところで、幸運にも、このクオーター(25セント硬貨のこと)を拾ったの。
あなたにあげるわ。これで、あなたも幸運になれるわよ。
あなたが幸運になって、私も幸運になる。2人が幸運になれるなんて、すてきでしょ。」
そう言って、ウィンクしています。
突然のことだったので、私は、「ありがとうございます。」とだけ言って、そのまま散歩に戻りました。
そして、そのまま歩きながら、クオーターを見ると、何だか心がポッと温かく感じるのがわかります。
そのまま、私の向かいから、何人かが、ジョギングをしながら私の横を通り過ぎていきます。
私は、それを見ながら「あぁ、このまま私がクオーターを、ポケットにしまいこんでしまったら、あのお婆さんがわけてくれた幸運の伝播は止まってしまうな」と、思えてきました。
そして、50メートルほど歩いた後、お婆さんと出会った場所を振り返ってみると。お婆さんは、まだその場所にいました。
そして、また次に歩いてくる人に、私にしたのと同じように、クオーターを渡しているではありませんか。
クオーターを受け取った人は、皆ニッコリして、こちらに向かって歩いてきます。
私は、「そうだ!」と思い、お婆さんのところへ駆け寄りました。
そして、「お婆さん、このクオーターをお返しします」と言ってお婆さんに、先ほどいただいたクオーターを手渡しました。
お婆さんは、「あら、あなたもクオーターを拾ったの?」と聞いてきます。
私は、「いいえ。あなたに『与えたら、あなたも与えられる』ということを、お伝えしたくて。あなたのおかげで、とってもすてきな1日となりそうです。ありがとうございます」と言いました。
それから、「私は、あなたがこのクオーターをどうするか知っていますから。たくさんの人を幸運にしてあげてください」と言いました。
お婆さんは、ニッコリとして、「『与えたら、あなたも与えられる』私は本当に幸運ね。ありがとう。あなたに、神のご加護を」と答えました。・・・・・・・・・・・・
私は、お婆さんの行為を受けて、とっても幸せな氣もちになりました。すてきなギフトをいただいたからです。
そして、お婆さんに、クオーターを返したことで、とっても爽やかな氣分になることができました。
与える喜びを知ったからです。
「与える=わかちあう」ことって、本当に与える側も受け取る側も、幸せにしてくれる、すばらしい行為だと実感しました。
家に戻って、この話を妻に話して聞かせると、「よかったじゃない。何だか話を聴いた私も、幸せな氣分になる出来事だね。」と言うじゃありませんか。
よーし、それなら、もっとたくさんの人に、この話をしてあげよう。
そう思って、こうして紫陽花さんに、虎の巻メールを書いています。
私のこの幸せな氣持ちを、あなたと分かち合いたいから。
もし、あなたがこの話を聴いて、心にポッと温かいものを感じたなら、ぜひあなたの周りの方々に、私の今朝の体験と、あなたが受けたインスピレーション(氣づき)を、わかちあっていただ
ければ、こんなに嬉しいことはありません。

 

 5、船井幸雄先生情報 

 

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【船井幸雄.com更新情報】 http://www.funaiyukio.com
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^・^_^ 今 月 の 【 船 井 語 録 】 ^_^・^

『短所を直そうとするよりも、長所をさらに伸ばす方が簡単だ。しかも、そう
すれば短所や欠点も消えていく。短所に目がいくうちは、自分はまだレベルが
低いのだと反省しなくてはいけない』
                      (船井語論〔人生篇〕より)

会長とお会いする前の私は、実は短所にばかり目がいく人間でした。仕事で何
か失敗して怒られたとすると、私はドジで仕事ができないんだ、と脳にインプ
ットされてしまって普段できる仕事もできなくなる、そしてさらに怒られる・
・そんな悪循環の繰り返しでした。今考えると自分で自分を苛めていたように
思います。よほどの余裕がない限り他人を褒めるということは難しいのかもし
れません。しかし会長は本当に人を褒めて育ててくれます。初めてお会いした
ときから君は仕事ができる、といきなり褒めてくれました。豚もおだてりゃ木
に登る、なんて言いますがこれだけ褒められるとどこまでも登ってやろう、期
待に答えよう、とがんばる元気もわいてきます。何も仕事をしていないときか
らいきなり褒められたので私の頭の中は??????とクエスチョンマークで
いっぱいでしたが、なんだかわからないけれど「仕事ができる」というポジテ
ィブな言葉が脳にインプットされました。そして不思議なことに本当にがんば
れる気がします。皆様もどうぞ今日から周りの人を褒めてあげて下さい。
                   (文責:こだま)

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6、いのちの風 

縁の花で支縁させて頂いているいのちの風を大幅に掲載させて頂いています。400号〜から掲載しています。また、目次もつけています。とても見やすいと想います。

いのちの風の送信を希望する方は、ishiguro@a1.hey-say.net へどうぞ。

 

 

   いのちの風 縁の花支縁サイト

2月8日(火)発信 bS03 石黒大圓

 

Eメール ishiguro@a1.hey-say.net(これをクリックすると私へのメールができます)

 

今回のテーマ 当たり前の恵み/野宿者/ぎっくり腰/天国からの電話

 

 

火事

いつもありがとうございます。 コーナンへ寝袋代金を払ってオートバイで帰ってきたら、本町周辺が煙に包まれていました。 一瞬、ドキッとしました。 

我が家か? いや、南御堂の隣のビルが燃えていたのでした。 まず出たのが「ありがとう」。 いつも物売りのように「ありがとう、ありがとう」と唱えているので、こんな時にすぐ「ありがとう」が出ます。

 

今、何の災いも不幸もトラブルも起こっていないことこそ、幸いであり恵みです。 そんなことが起こっていたらどれだけ苦しまなくてはならないことか。 

平凡な日常のようだが、何も起こっていないということは当たり前ではなく、天から、神仏から、ご先祖さんからの恵みなのです。 

 

私は車やオートバイで走っていて、ヒヤッとすることがあります。 一瞬のうちに私が加害者や逆に被害者になることもあり得ます。 何もなく無事であったことに感謝して、まず「ありがたい、ありがとうございます」が脳裏に浮かびます。 

 

 

当たり前の恵み 

鯛が海から飛び出してきて呼吸もできず、干からびて死にそうになったとします。 そのとき初めて恵み一杯だった「海から恩恵」を感じることでしょう。 

 

人は大切なものを失った時、何気なく当たり前のように感じていた、与えられていた恵みに初めて気がつきます。 そして失ってしまったものに感謝することでしょう。 

私は妻子を失った時、地震や水害の被害を受けた人はすべてを失った時、当たり前と思っていたのが当たり前ではなかったことを思い知らされます。   

 

ある遺族の会の講演会での話です。 あるパネラーが「私は十分に死の(準備)教育を学んだつもりでした。 しかし実際に妻を失ってしまったら学んだことなど吹き飛んでしまいました」と。   

少々の知識など強烈な体験の前では何の役にも立たないことがわかります。 

 

昔、ガンと告知された仏教の高僧が自殺したそうです。 深い人生観をもった人でも絶望の果てにはおのれを失います。 

そうならないためにも「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という前世と来世を含んだ霊的人生観で自分の支えて生きていかなくてはならないと思います。 

企業の危機管理と同じように、自分の心の危機管理を十分しておくべきと思っています。  

 

 

この世に未練ない

先回に「この世には未練がない」と書いて、そんな悲観的なこと書かずに「これからひと花咲かせます」とでも書けよ、と言われてしまいました。 

しかし昔の戦いの世で武士はいつ死んでもいい覚悟で生きていました。 未練があれば死ねません。 大きな活躍もできません。 幕末の志士も命を惜しんで倒幕運動はしていませんでした。 

命に未練がないからこそ大きな仕事ができるのではないでしょか。

 

ガンで余命1ヶ月と言われたら享楽的、刹那的には生きてられないでしょう。 人生をどのように良い形で閉じるかを考えるようになるでしょう。 

武士はそれを常に考えて生きていくように教育されていました。 人間として立派に生きるよう、若い時から精神の鍛錬をおこたらなかったのです。 

そのことで次回に東郷さんの例を引いて書かせていただきます。

 

 

野宿者

先週に1ヶ月遅れで大寒波が来て日本中が白くなったようです。 凍える路上で寝ざるを得ない野宿者を思っていただいて、再びカンパや衣類の提供が増えてきました。 ありがとうございます。   

今年は不幸中の幸いというか野宿者が仕事にありつけ、路上で寝ている人が少ないようです。 

 

大阪市ホームレス自立支援課は「市内の野宿者は減っているようだ」といいます。 昨年相次いだ災害の復興工事や愛知万博、企業の設備投資などで、釜が崎の仕事が増えているらしいです。 

テントの数はピーク時(平成8〜12年)の半分以下ともいわれます。 仕事が増えれば、悪いと思いながらのテント暮らしをしなくてもすむのです。 大阪市は無料宿泊シェルターを増やし、就労を支援する自立支援センターをさらに増やす計画といいます。 

 

野宿者の多くは出稼ぎに来た60歳前後の九州出身者なのはなぜでしょうか。 かって経済成長を支えてくれてきた地方労働者が高齢化してきて、大阪の路上に追いやられているのです。 

彼らが直面させられている苦境を、別の形の老人福祉問題として考えるべきと思います。 とにかく日本経済全体が良くならなくては高齢者の経済難民は増えつづけていきます。 

  

 

私の相棒

寝袋配りを一緒にしている相棒には私自身、頭が下がります。 かって釜が崎の夜回りをされていて、大阪駅前の炊き出しで出会った方です。 

先日の水害のときには豊岡まで支援にいって、泥だらけになって帰って来られました。 また金曜日の私たちの寝袋配り以外にも、別のグループの寝袋配りにも参加され、また個人的にも時々数個、深夜に配っておられます。 

 

先日、彼が近鉄阿倍野橋駅で出会った野宿者に寝袋を渡したところ、下を向いて黙っていたかと思うと泣き出されたそうです。 終電車が終わると暖かい構内から追い出される。 

人間扱いされて来なかった。 よっぽどつらかったのでしょう。

 

 

天満橋駅の野宿の女性

前から気になっていた京阪天満橋駅の野宿の女性のところにホッカイロとおにぎりを炊き出しの後、深夜に届けました。 寝袋はいらないといって毎晩階段の所で、膝をかかえて座って寝ている姿に、ある日いたたまれなくなったのです。 

長い髪を振り乱してうずくまっていた女性の顔を見ると50歳代ぐらいでした。 「カップラーメンほしい?」と尋ねるとうなずくので近くのコンビニへ急ぎました。 

 

その途中で胸から熱いものがこみ上げてきました。 昔のことを思い出しました。 妻の死後も同じマンションに住んでいた頃、帰宅すると1階の路上に野宿の老婆が座っていました。 

長男に言って一緒におにぎりを作り、温かいスープとともに運びました。 ぼろ着を着てこのまま、この寒空のなかどう生きて行くのか。 胸が熱くなりました。 

 

カップラーメンを持って戻って見ると、彼女は歯のない口で、もぐもぐおにぎりをほうばっていました。 野宿者の多くは歯をなくしています。 

栄養失調や歯ブラシをしないためかと思います。 だから皆、年よりふけて見えます。 

 

彼女に「炊き出しで食べているんですか」と聞くと、ニコとしながら「妹がお金をくれるんで買い食いしてるんです」と。 何か本人の精神的なものか、家庭の事情で路上生活になったのでしょう。   

皆んな背中につらい人生を背負って寒風の中を生きているのです。     

 

 

ぎっくり腰

先月末に「ぎっくり腰」になってしまい、参っていました。 13日の中央区と18日の組合総会での踊りの出場が目前で、尻に火がついて来たというのに。 

ボーリングのときに無理をして腰をねじったためらしいです。 その後、重いものを運んだり、野宿者への衣類を車でもらいに行ったり・・と毎晩外出していました。 

深夜帰宅で風呂に入れないことが多く、体も冷やしたようです。  

 

25年前に習ったヨーガの基本体位と、自己流の真向法を組み合わせたもの。 それを寝る前にふとんの上で、5分ほど思い出してはやるという風にずーと続けて来ました。 

そのおかげで踊りにも参加できていたのです。 体の筋が柔らかくなっていて、激しい動きで筋肉痛が起こるということはありませんでした。 毎日の単純な積み重ねが大事です。  

 

体のストレッチを続けるという日頃の繰り返しを寒い間だけ手抜きしていた罰であります。 起き上がるのにも、車から出るにも「どっこいしょ、あーっ 痛てて」でした。 

痛みが続くと体調も崩れてしまい、肩がこり、頭重たく、気分が滅入ることこの上なしでした。 体が冷えきって風呂に入っても温まりません。 

すこしの腕や体の動きにも腰からの痛みがでました。 いかに腰が人間にとり肝心「要(かなめ)」か。 そのありがたみに今さらに感謝しました。 

 

ひとり暮らしにはいかに健康管理が大切か、が身にしみて感じました。 体調によっては気を病むこともありうると思いました。 

将来、孤老となるかもしれない私の精神衛生のためにも、今後は十分に体を鍛えておこうと決心しました。 そして死の(準備)教育を自分に施して精神の安定を保ち、その時を待つという心の余裕を持ちたいものです。

 

 

ゴキブリの人生?

人生の終末期に向かって体調を整えなければ、何の社会への貢献もできません。 生きて食って楽しんで子どもを育てて、それが人生でしょうか。 

生かさせてもらって、食わさせてもらって、楽しませてもらって、元気な子供を授からさせてもらって、「はい、さよなら」と消えてなくなるのでしょうか。 それはゴキブリでもやります。 

 

今まで生かさせていただいたご恩にたいして、感謝の気持ちを何らかの形で表し、社会や知人、神仏にお返しして行く。 特に私はこんなにすばらしく美しい日本に生まれたことに感謝します。 この日本を少しでも昔のように心美しい国に戻したいのです。 

 

 

天国からの電話

5日目に妻の母から久しぶりに電話があり、ぎっくり腰の話をしたら「近所に医者ないの?」と言われ、ふと気がつきました。 商店街の先輩が整体院を開業している! 

すぐに行って激痛の施術の後で一発で治りました。 1日目で70%、2日目で90%。 助かった!。 体の中からエネルギーが湧き上がってきました。 

 

風呂に入ったらほかほかして眠れないほど。 やはりボーリングで痛めた肩をそのままに、痛いのを無理してゲームを続けたためでした。 

右肩と背筋がコチコチになっていて、腰にまで負担を与えていたのでした。 あの日の母からの電話は実は私のことを心配した天国の妻子からの電話だったと思いました。  

 

 

いのちと出会う会 

ぜひご参加下さい。17日18時半 応典院 『ビデオ鑑賞アジアの子供たちから学ぶもの」』 

 

インド洋津波のあと孤児の子供たちが売られていると言われています。 アジアの貧困のなかで水も食べ物も乏しい生活から、子供たちは労働力として、また娼婦として売られ、そして路上生活のストリート・チルドレンにもなっています。 

世界で毎日4万人が貧しさで亡くなり、その90%が子供です。 無念です。

 

6、なんでんかんでん村情報

なんでんかんでん村情報175号〜第182号を掲載させて頂きました。

 なんでんかんでん村情報 180号〜第182

 

縁の花村は、原裕一郎先生の「なんでんかんでん村」とは姉妹村提携をしています。縁の花の読者で、「なんでんかんでん村」に入村する人も多いです。よかったら、皆さんも村人になってあげて下さい。

  縁の花 なんでんかんでん村コーナー

 

 

 

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 縁の花村 紫陽花(アジサイ)村長

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縁の花 なんでんかんでん村コーナー

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