なんでんかんでん村情報
創刊号
平成14年5月10日(金)
1853年ペリーが浦賀に来航したことが契機となり、250年にわたる徳川幕府が揺らぎ15年後の1868年、時代は変わって明治政府が誕生した。
農耕社会から工業社会への転換である。これを明治維新と称し産業革命と称している。
バブルが崩壊したのが1990年、既に12年が経過した。その後ズーッと不況が続いておりデフレ状態である。政府は何とか景気を回復させようと躍起になっているが、未だに景気は回復せず、先行き見通しは不透明である。
歴史に学べば農耕社会から工業社会へ転換するのに15年を要した。その意味で工業社会から情報社会へ転換するのは15年後の2005年が目安となる。このとき社会の大変革が起こる。
あと3年間だ。それまではまだまだ混乱が続く。この間に企業も個人も情報社会への対応を完了しておかねば悔やむことにもなりかねない。バブル崩壊をペリー来航に置き換えると分かり易い。歴史に学べだ!
既に情報社会になったと言う人が多いが、実は未だ真の情報社会になってはいない。敢えて言うなら「高度情報化工業社会」である。
工業社会は「人、物、金」をわんさか持った「財閥」(財界)が政治家と結託して社会を支配した。
情報社会は「財閥」が崩壊し「智閥」(草の根市民による心と心のネットワーク)が社会を支配する。
工業社会では既に財閥の崩壊が見られる。
「大きいことが良いことだ」の時代は終わった。スーパーの雄ダイエーもガタガタ、三井と住友が合併したことは象徴的な現象だ。
DDNが「日本ふるさとサイバー村」を平成14年2月に提案した。
私はこれを具体的な「智閥創り」の第一段階に入ったと位置づけている。
平成9年10月、高井俊夫社長が草の根市民で電話局を立ち上げようとDDN鰍設立し、DDN構想を提案して約4年後の平成13年8月、インターネットによる通信網が完成した。
これはDDN構想の一つの通過点である。いまや回線リセールやプロバイダーの競争で勝ち残ることは極めて困難だと思う。
「志」を持ってわれわれはDDN通信局を構築した。これを活用して「智閥創り」をしなければ何のためにこれまで努力してきたのか意味が無い。
物売りや自己宣伝のためのサイトはインターネット上に腐るほど存在する。何でいまさらDDNが?と疑問視する人がいるかもしれない。従って、日本ふるさとサイバー村はそれらと「似て非なるもの」だ。
サイバー空間では相手の顔は見えない。日本ふるさとサイバー村は相手の顔が見える「心と心のネットワーク」であり、信頼のネットワークと言うことができる。
最近一部のスーパーで、野菜などのパッケージに生産者の顔写真と住所、電話番号などを印刷したラベルを貼ったものが見られるようになった。これらの商品は、ほほえましいし、何となく商品に責任を持っているようで信頼がおける。日本ふるさとサイバー村はこれに良く似た発想だと考えることができる。
私は「なんでんかんでん村」の村長として村民のために役に立つことを目標に起村した。
村民が裕福でなければ村は発展しない。村長は村民のために働くことを喜びとする。
自分のことしか考えないなら、何も建村して村長になる必要はない。
公約にも掲げているが、村民の幸せを願い、村民のために何ができるかを考え、村民に喜んでもらえる情報を発信していくつもりである。
村の人口は村長の私も含めて19名のスタートとなった。
一人でも多くの村民を増やしたい。村民はいずれ村長として独立し、自分の村を立ち上げてもらいたい。
日本ふるさとサイバー村に一つでも多くの村を創り、一日も早く「智閥」に育てるのが目標だ。
村民の皆さんの情報を待っています。内容はなんでんかんでんOKだよ〜。