縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第114号 2007年 1026

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20070928

1、秋季 特別陳列 信玄公の兜

福井市立郷戸歴史博物館に入って、秋季 特別陳列 越前山縣家と武田信玄のコーナーに、五人の済度の人達と入りました。まず、一番、最初に展示していたのは、信玄公が被っていたと言われている兜でした。

菊は、それを見て、前世、信玄公であるIさんの夢に、多くの武田家の御霊が来て、どうして兜がここにあるのと訴えた気持ちが分かった気がしました。菊自身も、信玄公の兜が、どうして甲斐から、遠く離れた越前にあるのか不思議な気持ちがしたからです。

でも、福井市立郷戸歴史博物館に、帰ってから、お電話お聞きしたら、山縣家がずっと保管していたくれた兜ということでした。正式名は、四十八間総覆輪二方白筋兜で、京都井伊美術館寄託と書いていますが、山縣家が、代々、守ってくれていたものなのです。

しかし、それが、信玄公の兜だったのか、どうかは分かりません。武田家が滅亡した混乱で、はっきりしたことは分からないのです。でも、菊は、山縣家がそう思って、大切に守ってくれたのであれば、武田家の御霊達にとっては、信玄公の御霊だと思います。その思いが大切であって、本物か、そうでないかは、二の次なのです。
 
だから菊は、その信玄公の兜に対して、その信玄公の兜の背景にいる、武田家の御霊に、心から感謝しました。何故なら、武田家が、滅亡した時、信玄公をずっと恐れていた織田信長の憎しみ激しく、厳しい武田狩りが行われました。武田家一族だけでなく、家臣も、根こそぎ残圧しました。多くの家臣も、騙されて、呼び出されて、殺されているのです。

ですから、その織田家の追求から必死で、逃れた武田家臣の苦労は大変だったと思います。命がけで逃げたのです。血を吐く思いだったと思うのです。菊には、その事は、痛いほど分かります。武田家の御霊が、「どうして信玄公の兜」が、ここにあるのという訴えは、武田家狩りが、本当に苦しかったという思いでもあるのです。

菊は、そう思うと、何も、武田家の御霊に対して、何も言えませんでした。ただ、すまないという気持ちと、冥福を祈らせて頂いたのです。でも、菊は、そんな気持ちは、武田家の御霊もよく分かってくれると思います。もう、許してくれているから、菊や、Iさんを呼んでくれたと確信しているのです。

しかも、今回の武田家済度では、勝頼だけでなく、お屋形様、信玄公も一緒です。武田家親子で、お参りさせて頂きました。心から、武田家の家臣にお詫びしました。武田家が滅亡した時に苦しんだ御霊さんも、二人が、親子で来てだけで、満足してくれたのではないか。菊の勝手な解釈ですが、菊自身、そう思いました。

だって、信玄公の兜以外でも、「川中島合戦図屏風」とか、「長篠合戦図屏風」、「武田家二十四将図」を見た時も、別に、頭が痛くなるとかいう事もありませんでした。武田家の御霊の怒りは、感じなかったのです。

それに、今回の菊には、菊よりも熱心にしている済度の仲間が、四人もいました。エネルギーも一杯持っていますし、御霊を救わせて頂く専門家です。きっと、菊の知らない間に、救って頂いたと思うのです。本当に感謝です。

 

 

 

20070927

2、越前山縣家

そしてそんな中で、山縣昌景が亡くなった後の山縣家は、長篠の戦で、同じく長男の昌次もなくなった後を、次男の昌満が、継ぐことになりました。勝頼は、山縣昌景の子孫に、後を継がせたのです。ですが、その後の事はよく分かっていませんでした。昌満に、父、昌景のような器量はなかったのか、大きな働きはしていないのです。

 しかも、武田家自体も、長篠の戦の7年後、織田信長に滅ぼされ、多くの家臣は、殺されています。悲惨な目にあっています。その時に、菊は、山縣家の消息もずっと分からなくなっていたと思っていたのです。

 でも、今度、福井市福井市立郷戸歴史博物館に行くご縁で、山縣昌景の子孫は、昌景の三男、昌久の子供、昌時の時に、初代福井県藩主、結城秀康によって、召抱えられ、以後、子孫は、代々、松平家で繁栄したことを知りました。上級藩士として、高禄に使え、家老、城代の要職に就いたものもいたそうです。山縣昌景の子孫は、繁栄して、本当に、心から良かったと思います。

 その上、山縣昌景の子孫は、昌時の八代孫の正俊に至るまでは、山縣姓を名乗らず、結城秀康の命によって、笹治家と名乗っていたのを、その後は、山縣の名字に戻してくれています。先祖の山縣家の誇りを取り戻してくれたのです。

 菊は、恥ずかしながら、そんな事は、全然知りませんでした。以前、インターネットで、調べた時も、山縣昌景の子孫についてはよく分からなかったのです。いえ、菊は、勝頼が、滅ぼしてしまった後の、他の武田家臣団に関して、詳しくは知ろうとはしませんでした。

武田家の家臣は、武田家が滅亡した時に、信長によって、多くが殺されたことと、すぐその後、甲斐、信濃を支配した、家康によって、徳川家の家臣に召抱えられて、江戸時代は、旗本や奉行として、長くは繁栄したことは知っていましたが、個別に、熱心に調べようとはしませんでした。今、その事を、菊はとても反省しています。申し訳ないです。

何故なら、今の時代、武田家臣のその後も、インターネットで、検索したら、有名な家臣であれば、調べることは、そんなに難しくはありません。現に、高坂弾正、馬場信春、内藤昌豊についても、少しは分かりました。それだったら、前世、武田勝頼の魂を、一部持つものとして、そういったことは、知らないといけないと思います。菊には、武田家を滅亡させた直本人として、その義務があるのです。

今回の山縣昌景のご縁は、そのことを菊に教えてくれた気がします。前世、武田勝頼の菊に、山縣家は、武田家が滅亡した後も、繁栄したので、ご安心下さい。山縣昌景の御霊や、山縣家の多くの御霊さん達は、その事を、暖かく、菊に伝えてくれたと思うのです。菊を、責めようとはしなかったのです。本当に、武田家の御霊さん、ありがとうございますと心から感謝したいと思います。

 

 

 

 

20070927

3、山縣昌景と武田勝頼
 
 そんな山縣昌景さんですが、前世、武田勝頼としては、真に言い難いことですが、信玄が亡き後、その山縣昌景を使いこなせなかったといいます。若い武田勝頼は、日頃、先代の信玄公の名前を出して、いろいろ自分の考えに、口を挟む重臣達と対立してしまったのです。

 しかも、そんな勝頼を一部の若手の家臣を支持したこともあって、その対立は、新旧の家臣の対立になりました。そんな中で、勝頼は、自分を支持してくれる若手の家臣を重用してしまうという愚かなことをしてしまいます。信玄公が、残してくれた家臣の意見を、聞こうとはしなかったのです。

 でも、それでも最初は、よかったのですが、信玄公の作った包囲網が崩れて、急速に、信長が、浅井、朝倉、長島の一向一揆を、次々と滅亡していくと、焦って、ついに、長篠の戦で、墓穴を掘ってしまいます。17千で、4万になる織田・徳川軍と戦い、大敗してしまいます。
 
 ただ、この長篠の戦で、どうして勝頼が、2倍以上も兵力のある織田信長や、徳川家康と、正面から戦を望んだかは、はっきりとは分かっていません。そんな無謀なことは、常識で考えても、する訳がないのです。しかし、そんな戦を、勝頼はしてしまったのです。

また、重臣である山縣昌景や、馬場信春は、そんな無謀な戦いを必死で諌めたといいます。信玄の元で戦った、百戦錬磨の山縣昌景や、馬場信春には、たぶん、勝頼の敗戦が、見えていたのだと思います。勝頼は、あの時に、二人の意見を真剣に聞いていたら、長篠の戦の敗戦はなかったのです。

でも、山縣昌景や、馬場信春は、自分達の意見に、勝頼が聞く耳がなく、否定されても、必死で武田家のために戦いました。勝頼を逃がす為に、織田軍を食い止め、討ち死にしました。勝頼は、この長篠の戦で、信玄が育てた多くの有能な家臣を亡くしてしまい、二度と、本当に立ち直ることは出来なかったのです。

だから、菊は、山縣昌景に対しては、ずっと、申し訳ない気持ちで一杯です。いえ、他の武田家臣に対しても、武田家を滅ぼしてしまったことに対して、本当にすまない気持ちで一杯ですが、特に、その中でも、山縣昌景、馬場信春、高坂弾正、内藤昌豊などの、武田四重臣や、長篠の戦で亡くなった家臣に対してはあります。

もっと、素直に、山縣昌景などの、優れた重臣の意見を聞いていたらよかった。菊は、そんな気持ちを持ったまま、福井市立郷戸歴史博物館で来てくれる、山縣昌景の御霊さんに会おうとしていたのです。

 

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