縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第116号 2007年 1026

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20071004

1、第37回「母の遺言」916日放送

 信玄公の母、大井夫人がなくなりました。信玄公が、名将になれたのは、大井夫人の教育がよかったからだと言われています。歴史で見れば、教育ママのモデルの一人で、賢夫人の一人に上げられます。

 しかも信玄公も、大井夫人には終生頭が上がらなかったと言いますし、上田原の戦いでは、破れた信玄公に、帰国するようにお手紙で勧めているものも、歴史の真実として残されています。慎んで、大井夫人のご冥福お祈りしたいと思います。
 
 また、風林火山のドラマで、大井夫人は、信玄公は、名将にはなれても、父親になれないということを言っていますが、これは、菊自身も驚いてしまいました。今までになかった解釈です。

 何故なら、信玄公は、「人は石垣、人は堀」という言葉で分かるように、極めて家臣を大切にしながら、その能力を十分に活用したことで知られています。家臣は、御屋形様と言って、心から崇拝していましたし、信頼していたのです。その上に、信玄公が、子煩悩だった事も知られています。特に、娘に対しては甘く、子煩悩ぶりを発揮しています。いろんな文献も残されているのです。

 だから、信玄公が、父親になれなかったということは、今まで、どんな作家や、歴史学者も考えなかったことだと思いますし、菊自身も考えもしませんでした。むしろ、信玄公は、父親の信虎公が、嫡男である自分よりも、弟である信繁公を愛していたことに反発して、自分は、絶対に、そんな事はしないと誓っていたといいます。長男の義信を溺愛することがあっても、信玄公が信虎公と同じように、義信をないがしにするなんて考えられないのです。

でも、歴史は皮肉にも、因果応報、父親を追放した信玄公に対して、今度は、長男の義信が、自分を追放しようとして、謀反を計画し、それを発覚すると、義信を幽閉して、最後は、死なせてしまうという運命を与えます。信玄が、自害させたのか、義信が、自ら伊の命を絶ったのかは分かりませんが、義信を死なせたことは間違いありません。信玄公にも、武田家にとっても、大きな打撃になったのです。

しかしその理由は、信虎の反発から、息子を甘やかせすぎて、育てたからとか、もう一つ、武将としての力量が乏しくと思われていました。義信公は、わがままで、世の中の動きを分からなかった武将と描かれているのです。

それで、父親の信玄公が、義信公の実家、今川家に侵攻する事に対して、あくまでも反対して、従おうとはせず、自らの命を消すことになったと思われていました。菊自身も、やはり兄、義信公に、そういった一面あったと思います。少なくても、義信公の行動で、守役の飯部虎昌を筆頭に、多くの家臣がなくなる事になったのですから、この事は、反省しないといけないと思います。

でも、武田家の御霊さん、大井夫人の御霊さんが、この風林火山のドラマを通して、名将になれても、立派な父親になれなかった信玄公のことを伝えたいのであれば、その事も真剣に受け入れたいと思います。

何故なら、一説には、信玄公は、由布姫の息子、勝頼をかわいがりすぎて、義信公を疎んじて、親子の絆を悪くしたといわれていますが、そんな事はなかったとしても、父親には、いろんな面ではなれなかったのでしょう。それが証拠に、勝頼に対しても、死後の事を考えて、正式に跡目にしようとはしてくれませんでした。前世、勝頼としては、それは辛かったです。

ということで、父親になれなかった信玄公、菊は、そういった考えがあることも受け入れます。風林火山のドラマを通して、武田家の御霊さが、教えてくれた気がします。いえ、何よりも、この事は、信玄公の御霊が、反省して、多くの武田家の御霊や、現在の人に、伝えてくれたメッセージのような気がします。これは信玄公の御霊の遺言でもある気がするのですが、皆さんは、どうですか。これからの風林火山、そんな視点で、皆さんと一緒に見させて頂きたいと思います。

 

 

20071004

2、第38回「村上討伐」923日放送

村上義清が、領地である北信から、越後の上杉謙信を頼って出ました。信玄公を二度も破っているのにです。戦では負けていないのに、いつの間にか、追い詰められ、最後は、兵が集まらず、戦うこともできないまま、北信を逃れたのです。とても悔しかっただろうと思います。

またそんな村上義清ですが、信玄公を二度も破っています。信玄公が、負け戦を経験するのは、この二度の戦いだけです。信玄を唯一破った男。それも二度も破った男。その称号は、絶対に忘れてはいけないと思います。村上義清は、老将ながら、大した男だったのです。

しかし、そんな村上義清ですが、上杉家に逃れてからは、上杉家の家臣になり、そんなに大きくは活躍していません。それで歴史上では忘れられています。でも、インターネットで調べたら、信玄公がなくなる五ヶ月前に、越後の根知城で病死しているそうです。

だけど、その思いは、嫡男、国清が、御館の乱で活躍して、景勝から山浦景国と名乗ることが許された後、武田家が滅亡した時に、一時叶うことになります。武田家が滅亡した後、海津城は、上杉家のものになり、山浦景国が城主となって、父の旧領を回復しているのです。菊自身、とてもよかったと思います。

ただ、ここで、菊が言いたいのは、信玄公と村上義清ですが、どちらが武将として優れていたといえば、結果的に勝利した信玄公が、優れていたとはいえないということです。いえ、もし、村上義清が、甲斐の武田家に生まれて、領主として活躍できたら、もしかしたら、信玄以上の名将になっていたかもしれないのです。

何故なら、村上義清が、武田家に負けたのは、信玄との知恵比べに負けたのではなく、武田家の金山、金に負けたことが大きかったからです。村上義清自身も、悔しまぎれに、自分は、武田家の金に負けたと言ったそうですが、的を得た言葉だと思います。甲斐一国を支配し、信濃の諏訪、小県、伊奈などの信濃の一部を得た武田家と、北信地方を押さえていただけの村上義清では、経済力が違いすぎました。特に、武田家の金山のような、お金を持てなかったことは、武将としては、ハンディが大きすぎたのです。

でも、村上義清や、真田幸隆、上杉憲政を最後まで支えた忠臣、長野業正に、武田家と同じ領地や金山が与えていたら、天が、そんな定めに、つけていたら、歴史は違って、信玄公は、敗れて家臣になったり、追放されていたりしたかも知れません。歴史が逆転して、名前が、残せなかったのかもしれないのです。その事は、声を大にして、信濃の領地回復を念願として、最後まで戦った村上義清や、多くの名将になれなかった武将の事を願いながら、皆さんにお知らせしたいと思います。

 

20071004

3、第39回「川中島!竜虎激突」 930日放送

 いよいよ川中島の戦いが始まりました。越後の龍、上杉謙信と、甲斐の虎、武田信玄の戦いです、川中島の戦いと言ったら、上杉謙信と武田信玄の一騎討ちが、有名ですが、戦は、一回だけでありません。はっきりと分かっているだけで、五回戦われています。

 その内、武田信玄公と上杉謙信の一騎討ちは、四回目の戦いで、歴史に残る激戦でした。この時に、信玄公の弟、信繁公や、山本勘助など、多くの武田家の有力な家臣が亡くなっています。上杉家の有力な家臣は、この戦いで亡くなっているわけではないので、武田家にとっては、実に大きな痛手になりました。戦地から逃げたのは、上杉軍なので、戦いは、武田軍の勝利といえますが、山本勘助、武田家の副将、信繁公を亡くしたことは、後々大きな痛手になりました。信玄公が病死で亡くなった後も、信繁公が生きていたらと、前世、武田勝頼の魂を持つ、菊としては、今でも思わずにはいられないのです。

 また、そんな川中島の戦いですが、激しく戦ったのは、この四回目の戦いだけで、後は、前哨戦、小競り合いの戦いもあっても、両者ががっぷり四つに組んだことはありませんでした。信玄は、上杉謙信が、領地ではなく、自分の首を狙っていることを承知していて、あえて、本格的な戦いは避けていたのです。

 しかし、信玄公は、上杉謙信公と、直接、川中島で戦おうとしなくても、影で、戦略で常に戦っていました。上杉謙信公が、川中島に来たら、あえて戦いを避けて、領地を占領されても我慢して、上杉謙信公が撤退したら、再び川中島を支配するという戦略を選んだのです。

 しかも上杉謙信との戦いを有利にする為に、共に戦う北条家と手を結ぶ為に、有名な武田、今川、北条の三国同盟を結んだりしましたし、上杉家の家臣に手を伸ばして、越後に内応させました。常に、川中島の戦いが、始まる前に、上杉謙信公を苦しめました。越後の隣の、越中では、一向衆とも手を結んで、越後を封じ込めることに成功したのです。

 だから川中島の戦いは、戦略の信玄、戦術の謙信と言えます。常に、戦略で戦っていた信玄公が有利だったのです。でも、上杉謙信にも戦略がなかったわけではありません。上杉謙信に、天にお任せという戦略がありました。関東管領になったのも、その一つですし、二度も上洛したのも、その一つです。

特に、上杉憲政から、関東管領職を得られたのは、賛否両論ありますが、この時期の謙信公にとって大きかったです。関東で、大軍を動かす地位を得られた為に、信玄公は、川中島で、正面から戦わないといけない立場に追い遣られたのです。是非、そんな視点で、これからの戦いを楽しんで頂けたらと思いますし、菊も、背景にいる多くの御霊さんと、お酒でも飲みながら、大河ドラマ「風林火山」を楽しみたいと思います。

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