縁の花村マグマグ情報  

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  縁の花村マグマグ情報 第39号 2007年 3月24日

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大河ドラマ 第7話 「晴信初陣」 

 戦国時代の武将にとって初陣とは、とても大切なことです。初めて戦に出た時に、どんな活躍をするかを重要視するのは、日本人的だと思いますが、日本では、初陣には何か、大きな手柄を、求められるのです。

 しかも、それが、家を継ぐ嫡男といえば、なおさらです。菊の前世、武田勝頼の初陣は、少し年齢的に遅く、西上野の箕輪城攻めの時だったそうです。でも、本当のところはよく分かっていませんが、川中島の第4回目の戦いが終った後の、西上野攻めの時期だったのは、間違いないと思います。

また勝頼も、やはり、初陣と言うことで、何か手柄をということになったみたいです。勝頼自身というよりも、家臣が、そう思うのです。

 その中で、見事に勝頼も初陣を果たしています。今の菊の性格からはとても考えられませんが、血気盛んで、敵の兵と一騎打ちで戦って、やっつけていますし、箕輪城を落とす事にも貢献しています。新田次郎の小説「武田信玄」によれば、兵を率いる武将として、策を考えて、城を落としているのです。

 しかしこれは、勝頼の手柄というよりも、家臣の手柄です。武田家の家臣が、勝頼に、何とか手柄を立てさせようとして、策を考え、勝頼に実行させています。

 そんな中で、武田晴信の初陣は、海ノ口城の戦いということになっています。ドラマを見た人なら分かると思いますが、信虎が、甲斐の全軍、8千で攻めても、落とせなかった、3千の兵で守っている海ノ口城を、晴信は、雪が降って、撤退ということになったとき、殿を引き受けて、わずか、3百の兵を率いて、武田軍が撤退したということで、油断している海ノ口城に、取って返して、奇襲して、武将の平賀源心の首も上げています。見事に城を落としているのです。

 だけど、これは、実際にあったのかどうかは、はっきりとは分かっていませんし、晴信の策だったのか、家臣の板垣信方などの策だったのかも分かっていません。高坂弾正が残した、甲陽軍鑑にはそう書かれていますが、実際の事はよく分かっていないそうです。
 もし、それが本当なら、信虎が、どう評価しようが、晴信の名声は、この時に轟いていると思うのです。

 だから何とか、信玄を輝かせたいということで、後に作られた話だという可能性もあるのです。でも、菊は、この初陣の話は信じたいと思いますし、詳しく、描かれてよかったと思います。
 
何故なら、あまり信玄の初陣の話は、ドラマにされたこともありませんでした。新田次郎で書かれた武田信玄でも、信虎を追放した時からで、初陣の事は書かれていないのです。
 それだけに、すばらしいと思いますし、平賀源心にしても、本当に存在したのか、どうかも分かっていないそうですが、後にお墓までできています。信玄の初陣の場所ということで、ずっと語られていたのです。

 ですから、菊は、平賀源心さんの御霊も、今は、許してくれていると思いたいです。実際に、海ノ口城で、武田軍と戦いがあったのは事実なので、戦った兵の御霊さんにも、ご苦労様といいたいです。

歴史では、平賀源心は、佐久の海ノ口城(長野県南佐久郡南牧村)に加勢に来ていた武将で、怪力無双、四尺三寸の大太刀を振り回す勇将であるとされています。城兵も、武田軍を一歩も城に近づかせなかった兵達です。今は、信玄の初陣ということで、ずっと、この武田家日記を通しても、忍ばせて頂きたいと思います。ありがとうございます。

 

大河ドラマ 第8話「奇襲 !海ノ口」山本勘助の活躍 駿河での9年間の真の姿

 第8話「奇襲!海ノ口」、なかなか面白かったです。実際に、こんな感じで、戦が行われたどうかは分りませんが、それでも、多くの御霊さん、皆さんの背景を通して、喜んだと思います。戦は、悲しいものですが、それでも、まったく無視されるよりは、はるかにましです。

今、多くの人が、ドラマを見ることで、実際に過去に戦われた海ノ口城間で思い、波動が届いて、亡くなった多くの兵の御霊さんも、救われたと、菊は思いたいのです。それこそ、菊が、武田家一年日記を書く理由です。

この海ノ口城で、どれぐらいの兵がなくなったのかは分りませんが、激しく戦った、武田軍、海ノ口城の兵の冥福祈らせて欲しいと思います。南無阿弥陀仏です。

さて、そんな中で、海ノ口城で、武田軍の策を見破った、山本勘助さんですが、もちろん、本当に海ノ口城にいたわけではありません。びっこの勘助さんが、あの時代、駿河から、信濃まで単身で、跳んで行くなんてありえません。たぶん、駿河にいたと思います。

でも、海ノ口城の戦いのことも、駿河で詳しく知っていたと思います。菊としては、そう思いたいのです。
というのも、駿河で、山本勘助が何をしていたかはよく分かっていません。縁者の庵原忠胤の食客として、今川家に仕官が叶うのをじっと、九年も待っていた。ひどく不安定で、屈辱的な生活を浪人として過ごしていたとは思いたくないのです。

むしろ、菊としては、駿河から、広く全国を見ていたと思いたいです。今川家の太原雪齋から頼まれて、多くの間者のまとめ役をしていた。忍者の頭領だった。今川義元が、容姿と、その謀略の力を恐れて、勘助の仕官を認めないですが、義元の軍師の雪斉には、その力量を認められていて、実は、裏の仕事を任されている相談相手だった。いえ、本当のところは、山本勘助は、今川義元では、天下を取れないと判断して仕えるつもりはなく、雪斉も、そんな山本勘助の本音は理解していた。

菊は、本当は、そんなかっこいい山本勘助さんでいてほしいです。いえ、菊が、大河ドラマの脚本を任されていたらそう書きます。新田次郎の武田信玄では、山本勘助は、優秀だけど、単なる間者の一人に扱われていますし、武田家の事を調べている学者さんたちは、山本勘助は、どうやら実在していたらしいが、駿河では、浪人で、武田家に仕官しても、軍師ではなく、家臣の一人として、活躍していたと思っているみたいですが、そんなことでは面白くないと思うのです。

しかも、菊が、前世、武田家の記憶を持つ仲間から聞いた話では、山本勘助が軍師だったのは間違いないので、それだったら、駿河で、無駄に9年間も過ごしたはずがありません。太原雪斉との約束で、天下を取れる器量のある人物を、今川家の間者を通して探していたと思っています。その人物が見つかった場合は、今川家を離れることも、了解して貰っていた。菊としては、どうせ、晴信に会う前の、山本勘助の活躍を描くなら、是非そうして欲しかったと思いますが、皆さんのご意見はどうですか。お聞きしたいと思います。

そして最後に、菊は、武田家一年日記では、有名な作家の先生や、評論家、どんなに偉い学者が、誰が何と言おうが、山本勘助は、日本一の軍師、参謀として扱います。こちらには、前世の記憶がある仲間がいるのですから、負けません。しかも、歴史の真実を知る、多くの武田家の御霊も、そんな菊を支持してくれていると思います。(o^-^o) ウフッ
よろしくお願いします。

 

 

大河ドラマ風林火山 第10話 「晴信謀反」 

 第10話で、いよいよ、ドラマ面白くなってきました。現実の話にちかづいてきました。晴信が、信虎を、駿河に追放する事になります。いえ、その後も、晴信、信玄は、信虎に対しては、毎年、決まった額の金銭は与えているので、隠居させたという方が正しいと思います。

しかもここで、絶対に忘れてはいけないのは、それを無血、誰の血も流さないでやっていることです。晴信は、ここで、信虎が跡を継がせようとした弟の信繁にしても、武田家の家臣の誰も、成敗していません。反対派がいても、血は流していないのです。

これは見事です。今でこそ、会社内でクーデターが起きるニュースがあっても、血は流れませんが、戦国時代では考えられません。跡目を誰が継ぐかで、戦乱が、多少は起こるというのが、戦国時代の常識です。その中で、晴信は、武田家の家臣団は、見事に、無血で、信虎を追い出しているのです。もっともっと、歴史的に大きく評価されるべきだと、菊は確信します。

また、菊が、ここで、皆さんに知って欲しいのは、大河ドラマでは、信虎は、今川義元の招きで、駿河を訪問していた時期、娘に会いに行っていた時に、謀反が起こったとされていますが、はっきりとしたことは分かっていないということです。晴信が、どうやって、信虎を駿河に追放したのか分っていないのです。

何故なら、信虎は、今川義元の手紙で、駿河に、少数の兵で、訪れたとされていますが、戦国時代の常識として、そんな事はまずはないからです。一国を動かす人物が、いくら同盟を結んでいる関係とは言え、兵も率いずに、単身で相手のところに行くなんてあるはずかないのです。ましてや、武田家と今川家は、つい最近までは、激しく争っていた関係です。どう考えても、今川家の家臣でない信虎が、駿河に行くはずがありません。

その上に、信虎も、自分が、駿河にいったら、晴信が何かをするのではないかと危惧しないなんてないだろうし、自分が、のこのこ今側義元のところに行って、もし首を取られたら、武田家がどうなるか考えないわけがありません。晴信に、ちゃんと家督を譲っていたら別ですが、そうでないまま、領内を出て、病死、毒殺でもされたら、、晴信派と弟の信繁派で、内乱が起きて、武田家が滅ぶことも分かっているはずです。

どう考えても、戦国の乱世を生き残った、武田信虎がそんな愚かなことをするわけがないのです。だから、新田次郎さんの小説、武田信玄では、信虎が、駿河を訪問していた説を取っていません。甲斐、国内で、晴信を追放しようとした信虎の裏をかいて、先に追放しています。それを多くの武田家の家臣団が、支持したということにしているのです。

しかしそれが真相なら、晴信と、武田家臣団は、本当に見事だと言うことになります。国内に、当主の信虎がいる中で、そんなことができたとしたら、これは、家臣団が団結していたことを意味します。もし、家臣団に派閥ができていたら、すぐに、情報が、信虎に漏れてしまいます。絶対に、不可能なのです。

そこから信虎、駿河訪問説が出たのですが、真相はどうでしょうか。これからの武田家の研究を待ちたいと思います。

ただ、このクーデターを、すべての家臣達の力を借りてしたことで、重臣達に対しての発言力が弱く、後の晴信は、重臣の意見を無視することはできなかったと後世の歴史家は言っています。信長のように、血を流して家督を継いでいないので、思ったことができず、信玄は、武田家を、信長のようには変えられなかったというのです。

 だけど、菊はそう思いませんし、そういわれていることは、武田家の家臣団の御霊にとっても何よりも無念なことだと思います。武田家が、織田家のように、変革できなかったのは、その土地柄の性です。これだけは、信玄が、武田家臣団が、何とかしようと思っても、どうすることもできませんし、信長と同じことを、甲斐、信濃しても、大失敗することは、本能寺の変の後の、甲斐、信濃を支配していた織田軍が、一揆で、すぐに崩壊したことでも分ります。

その事を、このクーデターを成し遂げた武田家の家臣団の御霊を代表して、武田一年日記を通して、皆さんに述べることで、終りたいと思います。ありがとうございます。

 

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