縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第44号 2007年 5月2日

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1、プラットホーム空3は、旧暦の3月4日 「穀雨/霞始生」に始まります

2007年4月20日は、旧暦で言えば3月4日になります。しかも、旧暦の3月4日は、3月3日の、上巳・ひな祭り、磯遊び、潮干狩りの翌日で、穀雨/霞始生の日になります。この日に、菊が、駅長をさせて頂く、プラットホーム空3がいよいよ誕生します。別にその事はまったく意識していませんでしたが、ご縁の流れで、自然にそう決まったのです。いえ、いろんな人のスケジュールを調整していたら、その日しかなかったのです。

だから、この日に何の意味があるのかは、菊自身、分かりませんでした。いずれ分ると思って、楽しみにしていたのです。それが、一つ、分りました。

というのも、偶然、菊は、今年は、旧暦カレンダーを、ある人から始めてプレゼントしてもらっています。正直、旧暦カレンダーは、見られていない菊にとっては、よく理解できないので、あまり使っていませんでしたが、たまたま、今回、4月20日は、穀雨/霞始生の日だということ、その旧暦カレンダーを見て初めて知りました。とても嬉しかったです。

何故なら、旧暦のカレンダーには、『「穀雨」《こくう》春の雨が、田畑を潤し、農作物の生長をうながす意。「霞始生」《よしはじめてしょうず》水辺に葦(あし)が芽を出し始める』とあるからです。

菊には、その意味は、もう一つ分りませんが、穀物を育てる大切な雨水に係わり、葦の芽が出し始める日、本当に縁起のいい日だと思います。プラットホーム空3は、どんどん成長して、大きな稲穂の収穫を出す、そんな天の願いがあると思うのです。正直、すばらしい日に誕生すること、やったねえです。やっと、旧暦のカレンダーを使う意味、分った気がします。

また、その旧暦のカレンダーには、忌日と歴史的事件ということで、いろんな歴史で起こった日を書いてくれていますが、その1週間後、旧暦の3月11日、現在で言えば4月27日、先勝の日、菊の前世、武田勝頼は、天目山に死すと紹介されています。天正10年(1582年)3月11日の日です。何故か、この事も、天意のような気がしています。

 たぶん、皆さんの多くは、そんなのこじつけだと笑うかもしれませんが、菊にとっては、こじつけでも構いません。「穀雨/霞始生」に、プラットホーム空3を始められること、心から感謝したいと思います。ありがとうございます。

 旧暦の3月4日、「穀雨/霞始生」の日に、プラットホーム空3を始められて、ますますいつもツイてる「菊」より〜

 夢のプラットホーム空3 サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumenopuraku3.htm

 2、大河ドラマ 第13話  

「招かれざる男」 山本勘助と高坂弾正
 山本勘助と、鬼美濃こと原美濃守虎胤との小船の戦で見事でした。実際に、こんな事があったのか、どうかは分りませんが、風林火山の原作では、勘助を挑発した武士を、勘助は、真剣勝負で斬っています。でも、この戦では、血は一滴も流れていません。本当にすばらしいと思います。

 さて、そんな小船の戦で、山本勘助に協力している百姓として、顔のいい青年、春日源五郎が登場しています。第12話からです。後の高坂弾正ですが、菊は、その事がとても、とても嬉しいです。

 何故なら、前にも書きましたが、高坂弾正と晴信は、できていた、衆道の関係でした。これは、晴信が、やきもちを焼いている春日に、言い訳の手紙を書いたものが残っていて、歴史的にも証明されている事実です。

 でもそれだけに、井上靖さんの原作「風林火山」でも、新田次郎の武田信玄の小説でも、春日源五郎は登場しませんでした。あえて、無視していたのです。でも、菊は、それが不満でした。春日源五郎は、晴信と、衆道の関係でなくなった後も、武士として、武勲をたてて、川中島の戦いでは、海津城を任され、武田家では、一番の家禄がある、四重臣の一人になったので、二人も、まったくの無視はできないので、少しは、小説やドラマ、映画でも登場しますが、評価が低いのです。

 風林火山の原作になった、甲陽軍鑑の作者に対して、これは大変失礼なことだと、菊は、憤慨していたのです。それだけに、今回の風林火山のドラマでは、衆道のことは、触れていなくても、春日源五郎が登場しています。とても、とても、すばらしいとだと思います。

 しかも、この大河ドラマでは、山本勘助と春日源五郎、後の高坂弾正の関係が、ある程度、真実として描かれていると確信しています。おそらく、武田家の御霊の意志が入っていると思います。実際の歴史でも、山本勘助と高坂弾正は、こんな感じで、付き合い、縁があったと思うのです。

何故なら、井沢元彦さんの野望の小説でも表現していましたが、勘助の軍師としての後継者は、高坂弾正だと、菊は確信しているからです。山本勘助が亡くなった後、武田家の軍師をしたのは、真田幸隆だと思われていますが、年齢的に言っても、若い高坂弾正なのです。山本勘助は、自分が年齢的に言っても、自分が亡くなることを考えて、軍師の後継者として、年齢的にちかい、真田幸隆よりも、はるかに若い、高坂弾正の持っている才能を見出し、軍師として、武田家を背負っていけるように教育したのです。

だから、菊自身、前世の仲間、高坂弾正の記憶がある黄桜さんは、あの小船のシーンを見て、涙が出るぐらい嬉しかったのではないかと思います。今度、4月7日の信玄公祭りでお会いしたら聞いてみます。(o^-^o)

是非、皆さんも、山本勘助と信玄公との、軍師としての関係だけでなく、山本勘助と高坂弾正との、軍師としての師匠と弟子の関係にも注目して欲しいと思います。きっと、大河ドラマ風林火山、2倍は面白くなると思います。

 

大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記

http://www.geocities.jp/ennohana/takedaniki/en33takedainenniki.htm

 

 

3、大河ドラマ 第13話  

「招かれざる男」 高坂弾正の甲陽軍鑑
高坂弾正は、軍師としての山本勘助の後継者だと、前回、書かせて頂きました。また、高坂弾正は、信玄が生きている間は、その大役を見事に果たしました。山本勘助に勝るとも劣らない軍師として、信玄を支えたのです。武田家で、一番の兵法家といわれていたのです。

しかし、それは愚かにも、菊の前世、勝頼の代になってから、うまくいきませんでした。勝頼は、高坂弾正を、軍師としては活かせなかったのです。他の家臣と同じに扱ったのです。それで、高坂弾正が、忠告してくれたことも聞かず、無策に、時を過ごすことになるのです。武田家は、その為に、何も大きな策を実施していません。

もし、勝頼が、長篠の戦で負けた後、高坂弾正の言うように、勝手に陣地を離れた一族の穴山信君や、武田信豊を、処罰したり、思い切って、若手の家臣を登用していたら、武田家は、もう少し持ったと思うので、菊は残念で仕方ありません。今から考えれば、高坂弾正の助言は的確だったのです。


しかも、高坂弾正は、勝頼が、高天神城を落として、有頂天になっている時に、もうすでに武田家の滅亡を予測しています。このままでは、武田家は滅亡して、信玄が、長年苦労して、築いたものも、すべて消えてなくなると考えていたのです。それで長篠の戦で、武田家が、大敗した時に、高坂弾正は、有名な甲陽軍鑑を書き始めています。信玄が、いかにして、武田家を繁栄させたかを、文章で残すことにしたのです。

ただ、菊が、前世、高坂弾正かもしれない仲間に聞いたところ、高坂弾正自身、甲陽軍鑑が、今のように、多くの人に知られることは、まったく想定していなかったそうです。いえ、望んでいなかったそうです。あくまでも、武田家の人達にだけ伝えられたら、それでよかったというのです。

何故なら、あの甲陽軍鑑とは、菊の直感では、高坂弾正が、山本勘助に教わった軍師としてのノウハウ、秘伝書だからです。今後、武田家を担っていく軍師になるものに、山本勘助から学んだ、軍師としての心構えや、秘密の事を、残したいと考えていたのではないかと思うのです。

それが証拠に、甲陽軍鑑は、極めて難解で、誰が見てもなかなか分らないように書いているそうです。およそ、一般の人達向けに書かれている内容ではないのです。ここから考えても、甲陽軍鑑が、信玄のことを、全国の後世の人達に、残したいから書いたのではないことは分ります。あくまでも、次の武田家を支えていく家臣、軍師に、山本勘助から学んだことを残したかったのではないかと思うのです。

しかしそういった甲陽軍鑑も、高坂弾正が、死んだ後、一人歩きします。甲陽軍鑑は、高坂弾正の死後、甥の春日惣次郎らが書き継ぎ、小幡勘兵衛に任され、さらに江戸時代になってから軍学者・小幡景憲によって現在の形に編纂されたという説が、有力ですが、菊自身、それで本当によかったと思います。

だけど、前世の高坂弾正さんは、今、甲陽軍鑑が、こんなに有名になった事で、文章を残す怖さを痛感しているそうです。たぶん、全部の記憶は戻っていなくても、本能的に、真実が着色され、捻じ曲げられていることを感じているのだと思います。

でも、それでも甲陽軍鑑を、高坂弾正が残してくれたから、信玄公は、戦国時代だけでなく、江戸時代も、人々の心の中で生きることができました。江戸時代は、家康が、武田信玄の軍法、民法を模範として採用したことで、幕府は、「甲陽軍艦」を戦術用兵の規範として、永世の兵制の教科書になっていました。武士なら誰でも知っている書物、まさしく信玄、武田家の名声は、死した後、天下を制したのです。

そして、明治以後も、その甲陽軍鑑のおかげで、風林火山の小説や映画が生まれ、2007年、NHKの大河ドラマも誕生しています。菊は、改めて、高坂弾正や、弾正が死んだ後も、甲陽軍鑑を守り、大きく発展させてくれた人達に、武田家を滅亡させてしまった、武田勝頼としても、心から感謝したいと思います。ありがとうございます。


   

大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記

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       縁の花村 村人募集

 縁の花村では、縁の花村の村人を募集しています。

これは、コンピューターの世界で、バーチャルの世界で誕生している村ですが、

現在、村人は、全国に200人います。

でも、一人でも村人を多くしたいです。

その為には、直接、菊にメールして、村人に参加してください。

料金はいりません。今後、縁の花村まぐまぐ情報を送らせて頂きます。

  菊のメール番号  ennohana@ybb.ne.jp

縁の花村の申しむ込み (名前 匿名 府県 年齢 メール番号 

簡単な自己紹介をお願いします。

 

 

 また、まだ縁の花村には参加しないけど、関心はあるという人は、

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今後、皆さんに、参加して貰えるように、いろんな情報を送っていきます。

縁の花まぐまぐ情報 申し込みサイト

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 縁の花村 菊村長

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