縁の花村まぐまぐ情報  

(全国のご縁のある人達と、心も身体も、
お金も豊かになって大成功する情報誌
)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
●○●
  縁の花村まぐまぐ情報 第46号 2007年 5月3日

○●○  縁の花 http://www.geocities.jp/ennohana

    縁の花村 http://www.geocities.jp/ennohana/1ennohanamura.htm

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 1、プロジェクトX 直島 文化の島

しかし、そんな島を何とかしようとして、1990年代から、三宅親連町長を中心とした一部の人が立ち上がって、直島のプロジェクトXが始まったそうです。それで、直島は、その名前の通り、見事に直島になりました。

インターネットで調べたら、「この島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連(故人)と福武書店(現・ベネッセコーポレーション)の創業者・福武哲彦(故人)との間で意見が一致し、その後急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎(現会長)が1987年に一帯の土地を購入し、1989年に研修所・キャンプ場を安藤忠雄のマスタープランでオープン」ということですが、プラットホームの人から聞いた話だと、建築家の安藤忠雄も、三宅親連町長の頼みで、直島に最初に来た時には、絶望したそうです。

直島は、それほど、自然をなくしていた、木がない、禿山になっていたのです。だけど、諦めずに、地道な活動を続け、それは、1992年には、1992年ホテル・美術館建設などへと拡大して、近年、地中美術館を建てた事で、一気に花が咲いたそうです。

今や、島全体を使った現代美術展(スタンダード展)、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し現代美術のインスタレーションの恒久展示場とする家プロジェクト(正確には古民家の再生は2件、ほか1件は新築で残る1件は老朽化した神社の再生)などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築には国内外からの注目も集まるようになったというからすごいです。

日本国内より、外国の方で、有名で、多くの外人も着ています。実際に、菊も、多くの外人を島で見ましたし、観光のバスが、何台も、地中美術館に来ているのは驚いたのです。

本当にすばらしいと思います。直島は、見事に観光で潤っている、文化の島になっているのです。その上に、菊が、感動したのは、直島には、大手の企業、マクドナルドなどは、まったく入ってないということです。食べ物も、島の住民の人が、うどん屋とか、おいしいカレーなどをしています。

正直言えば、食べ物屋が少ないとか、料理が遅い、家プロジェクトの案内役をしている人の応対が固いとか、成功したことで、少しいい気になっている面もありますが、それでも、大手の企業が入っていないことは、すばらしいと思います。島全体、町という行政、島の住民、ベネッセコーポレーションという企業が、共生で、島を守り、豊かにしていることが良く分かったのです。しかも、三菱マテリアルも、協力して、今は、環境に悪いことはしていません。直島の自然、森林は蘇ったのです。

これは、インターネットの情報では、アーティストの宮島達男は家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のディジタル・カウンターの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭したと書いているので、そういった地道な努力が大きいとは思いますが、まさしくプロジェクトXの世界だと思います。是非、ご縁があれば、そんなな直島に皆さんも、一度は行かれたらいいと思います。

 

夢のプラットホーム空3

http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumenopuraku3.htm

 

2、戦いの波動 大阪府議会選挙 信玄公祭り 南北朝の融和

 4月に入ってから、選挙の真っ盛りです。今、菊の地元、泉大津市でも市議会選挙が行われています。しかも、その前は、全国で、知事選挙、府議会選挙、県議会選挙が行われていました。今、日本中で、地方選挙、激しい戦いが行われているのです。

 また、菊自身も、そんな選挙、戦いに巻き込まれていました。友人の人が、選挙に出るということで、少しなので、大した事はしていませんが、2、3日間だけ、お手伝いしていたのです。
 
 そして、その大阪府議会選挙が、終盤で、明日は、投票と言う4月7日の土曜日、菊は、遠くはなれた甲斐の国、山梨県に行っていました。前世、武田家の仲間と、信玄公祭りに参加していました。

 この信玄公祭りは、甲府で行われる祭りで、昔、武田家が、戦に出陣する姿を、甲府の人や、企業の人が、ボランティアですが、甲冑を着たり、馬に乗ったりしながら、歩くことで、再現するというものです。武田家、24武将が、それぞれの部隊を率いて、登場するのです。

 菊自身、信玄公祭りは、初参加でしたが、面白かったです。どこまでできたかは分かりませんが、前世、武田勝頼として、た武田家の御霊の事を必死で願ったのです。

 また、その翌日、日曜日、高速バスで帰った菊は、殆ど寝れずに、仕事に行き、夜は友人の選挙事務所に行って、選挙結果を見届けました。結果は残念でしたが、皆さん、良くがんばったと思います。

 でも、菊が、不思議だったのは、その日に、天皇の真実の河内正臣先生が、広島から来て、菊の家に泊まってくれたことです。

 何でも、翌日、室町時代の前期、足利尊氏、新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇らが、南朝と北朝と分かれて戦いましたが、それをその頃の祖先を持つ人が、何人か、南朝の拠点になった、桜で有名な吉野に集まって、一緒に神事することで、南朝、北朝の和解をするということでした。

 菊の周りでも、いろんな戦いが行われていたのです。しかも、菊自身、河内正臣先生が帰った翌日、身体に少し変なことが起きました。

 これは、官能日記の世界なので、皆さんに、とても詳しく書けませんが、、菊の身体の一部が、急に痛くなったのです。ひび、あかぎれ、かゆみがおきたのです。

3、戦いの波動 菊の慰霊活動

ただ、今から考えたら、そういったひび、あかぎれ、かゆみ、大した事はありませんでしたが、何もしていないのに、急になったのは、驚きました。慌てて、メンソレータムを買ってきて、治したのです。おかげさまで、プラットホームの合宿の前、4、5日で治りましたが、何とも言えない体験でした。

 菊には、その事が、どういう意味があるかは分かりませんが、もしかしたら、いろんな戦いが、菊の身体の中でもあったのではないかと考えています。多くの戦いの御霊さんや、色情因縁の御霊さんが、菊の身体に入って、戦っていたのです。川中島の戦いや、南北朝の戦いが、菊の身体の一部を戦場にして行われた可能性があるのです。

 でも、その戦いは、本当の戦ではありません。憎しみの戦ではありません。和解、融和の為の戦いです。菊は、そう思うことにしていました。

だから不安はありませんでした。いえ、反対に嬉しかったです。死ぬ訳ではありません。きっと多くの御霊さんは、菊に、痛みを与えることで、肉体の一部に集まることで、戦いで苦しんだ自分達の思い、空しさを伝えたかったのだと確信していたからです。

それなので、菊は、メンソレータムを塗りながら、身体の一部さんに、話しかけていました。戦い、辛かったんだねと呼びかけていました。もう、戦いは、やめて、あの世に帰ろうねと願っていました。菊も、自分の肉体の一部を通して、戦いの波動を消す、御霊さんを供養させて頂くという大仕事をさせて頂いたのです。

そう思えば、こんな嬉しいことはありません。正直言って、目に見えない御霊さんのことを願うことは難しいですが、菊の一部に入ってくれていたら、ものすごく願いやすかったですし、優しくすることもできました。今までの、何倍も願いやすかったのです。きっと、もしかしたら、菊は、今回、多くの御霊さんに、愛の波動、届けさせて頂けたかもしれないのです。

ただ、そうは言っても、そんな菊の姿は、とても皆さんに見せられませんし、いくら説明しても、たぶん、理解できないと思いますが、今、菊が、皆さんに、言いたいことは、今、日本は選挙の真っ最中ですが、選挙とはまさしく戦い、昔でいえば、戦です。

そういう時には、生きている人達でなく、この世に存在している多くの御霊さんにも影響を与えているのではないかと思っています。戦いの波動が伝わるのです。ですから、皆さんも、この期間の間、戦いでなくなった多くの御霊さんを願って頂けたら幸せです。よろしくお願いします。

 

2007年4月7日の信玄公祭りに行ってきました

 4月6日の深夜、大坂から、山梨の甲府まで、高速バスで走っていました。7日に行われる信玄公祭りに、前世、武田家の仲間と参加する為です。それで、菊は、翌日の日曜日、お仕事なので、高速バスのトンボ帰りというハードなスケジュールでしたが、久しぶりに、高速バスに乗ったのです。

 また、この信玄公祭り面白かったです。信玄公祭り自体は、毎年、信玄公がなくなる4月12日の前や、当日、甲府や、山梨のいろんなところで行われていることは知っていましたが、菊自身、今までは関心それほどありませんでした。ただ、祭りに参加したからと言って、ちゃんと御霊のことを願わなかったら、参加する意味は、少しもないと思っていたからです。

 でも、そんな菊も、去年から、職場の行き、帰りに、地元の曽根神社や、黒鳥山公園の慰霊の塔に、ご挨拶や、慰霊の思いを届けるようになってから、意識が変わりました。多くの人が、理解できる形のあるものを大切だと思ったのです。今なら、靖国神社も、必要だと思います。

 だから、今なら信玄公祭りの意義も分ります。地元の人達が、ボランティアで、戦国時代に活躍した武田家の武将達がつけていた甲冑を着たり、槍を持ったりして、甲府の市内を歩くことも大きな意味があると思います。

 その甲冑を着たり、槍を持っている人は、少なくても、その武将になりきっているはずですし、信玄公祭りを見ている多くの人も、戦国時代、日本で最強といわれていた武田家の兵に対して、いろんな思いを持ったと思います。その波動は、武田家の御霊にも、少しは届いたと確信しています。少なくても、信玄公祭りの時には、多くの武田家の御霊も集まって、甲冑を着ている人の中に入ったり、背景にいて、見ていていたりしていたと思います。楽しんでいたと思うのです。

 ですから、今の菊は、信玄公祭り大いに意味ある事だと思っています。来年、再び、参加するか、しないかは分りませんが、参加してよかったです。目に見えない武田家の御霊に呼んで頂いて気がするのです。

 しかも信玄公祭り、迫力少しはありました。実際の戦に行く時には、祭りとは比較にならないと思いますが、鉄砲の音が、何発もしたり、市内なのに、馬も何十頭も出てきたりしました。甲冑や着物を着た、信玄公祭りに参加した、3000名の人の兵が歩く時には、途中で、御屋形様に、敬礼と言うことで、大きな掛け声も出していました。

 勇敢で、命がけで戦っていた武田家の御霊からしたら、はっきり言って気合がまったくない掛け声なので、舐めているのかと怒られそうですが、あの当時、戦に出た武田武士団の模様を、忠実に再現させたかったという、現在の人達の思いは、470年以上も前の、武田家の御霊にも、波動なので、長い年月を一気に飛び越えて、伝わったと思うのです。

人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

●人生で成功するナビ"素質分析カルテ"●
人間関係向上・人間関係ストレス軽減ツール

 

       縁の花村 村人募集

 縁の花村では、縁の花村の村人を募集しています。

これは、コンピューターの世界で、バーチャルの世界で誕生している村ですが、

現在、村人は、全国に200人います。

でも、一人でも村人を多くしたいです。

その為には、直接、菊にメールして、村人に参加してください。

料金はいりません。今後、縁の花村まぐまぐ情報を送らせて頂きます。

  菊のメール番号  ennohana@ybb.ne.jp

縁の花村の申しむ込み (名前 匿名 府県 年齢 メール番号 

簡単な自己紹介をお願いします。

 

大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記

http://www.geocities.jp/ennohana/takedaniki/en33takedainenniki.htm

 

 

 また、まだ縁の花村には参加しないけど、関心はあるという人は、

縁の花村のまぐまぐサイトに入って、縁の花村まぐまぐ情報の読者になって下さい。

今後、皆さんに、参加して貰えるように、いろんな情報を送っていきます。

縁の花まぐまぐ情報 申し込みサイト

http://www.geocities.jp/ennohana/8ennohanamagmag.htm

 

 

        ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 縁の花村 菊村長

縁の花トップページに戻る  http://www.geocities.jp/ennohana/

縁の花村智閥携帯サイト     http://www.nandenkandenmura.com/en/

縁の花村トップページに戻る

 http://www.geocities.jp/ennohana/1ennohanamura.htm

縁の花村 なんでんかんでん村コーナー

http://www.geocities.jp/ennohana/nandenkandenmura.htm

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○