縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第65号 2007年 5月30日

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1、縁の花 第232号「武田勝頼の復活」

前からお約束していた武田家のシミュレーション小説書き始めます。ちょうど、六月二日に、本能寺の変、起きているので、時期的にもいいと思います。
大いなる武田家の供養もかねて書きたいと思います。
長くなりますが、お読み頂けたら幸せです。

      「武田勝頼の苦悩」
 時は、天正九年五月二十五日、戦国時代、最強といわれていた武田家は、大きな存亡の危機の中にいました。
 10年前、武田勝頼父である、武田信玄が、三河、遠江の藩主、徳川家康と、織田信長の連合軍を三方ヶ原の戦いで破った後、病になって、急死して以来、大きな大黒柱をなくし、武田家は、急落の勢いを止めることが出来なくなっていたからです。

 しかも後を継いだ勝頼は、10年後、息子の信勝に跡を継がせるまでの陣代として、正式な跡継ぎには使命されず、その精神的な苦悩は大きかったです。甲斐武田家の家臣、一族の中には、側室だった、諏訪御料人の娘の子供である勝頼を、内心、諏訪の出と蔑んで、甲斐の武田家の藩主と認めないものも多くいて、勝頼は焦りの中にいました。

 その中で、時が過ぎれば、どんどん強大になる織田信長、徳川家康の力に焦って、起したのが長篠の戦で、武田家は、一万人もの兵と、信玄公が育てた優秀な家臣を多くなくしてしまいました。勝頼の信頼は、一気になくなったのである。

 しかしそれ以降も、勝頼は、必死で武田家の再建を図っていました。外交的には、北条家から、10歳以上も若い北条氏康の六女、北条夫人を貰って、北条家との同盟を強化したり、内政面では、思い切って、武田家の古い体制を改革したりして、新しい武田家を造り上げようとしました。勝頼は、戦好きだけではなく、目沙汰なくても、内政でも手腕を発揮していたのです。

 また、そんな勝頼にも、天正六年には大きなチャンスがやってきていました。越後の龍、上杉謙信が、3月、いよいよ上洛にむけて、北陸から軍を動かすのに乗じて、勝頼も、東美濃から、一気に侵攻することさえ考えていたのです。

 でもそれも、謙信が、遠征の準備中に、春日山城で病死し、勝頼は、跡を継ぐ、景勝と景虎との跡目争いに巻き込まれ、最初は、上杉家の養子になった北条氏の息子、景虎を応援していましたが、本来なら、真っ先に来ないといけない北条家の軍が、来ないことに、失望して、景勝に乗り換えるという選択を選ばないといけないはめになってしまいます。

 そのことで、勝利した景勝との間で、上杉家との同盟ができたものも、待ってましたと、景虎を見捨てたということで、大国、北条家とも争うことになって、織田、徳川、北条から挟まれるという、苦しい立場においやられます。徳川、織田と北条は、密かに同盟を結んでいて、武田家は、挟まれて苦戦する事になるのです。

 しかも、そんな徳川家、北条家の連合の為に、勝頼は、遠江にある高天神城を、徳川家に落とされ、再び、武田家臣団の信頼をなくしてしまいます。勝頼は、高天神城を諦め、降伏することを認めていたのですが、信長の謀略で、高天神城の降伏は認められず、城に篭っていた九百名は、全滅してしまいます。

 この高天神城に、甲斐の兵がいなかったこともあって、武田家は、外様を見殺しにするということで、家臣団の信頼が一気になくなってしまったのです。

 だから、武田家は、もう風前の灯でした。その事は、藩主である勝頼が一番分かっていました。でも、それでも勝頼は、天正六年、六月まで、武田家を存続させていました。一つの奇跡がおき、歴史が変わっていたからです。

 
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縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
     「仁科盛信の助言」

 その奇跡を起してくれた人物は、仁科盛信、信玄の五男でした。仁科盛信は、側室である油川氏の息子なので、勝頼とは腹違いですが、二人の仲は、非常に良かったです。家臣だけでなく、武田家の一族、木曽氏や穴山氏にさえ、内心、侮られていた勝頼にとって、兄思いの仁科盛信は、もっとも頼りになる存在だったのです。

 だから、勝頼は、自分の拠点でもある諏訪の高遠城を任せています。高遠城は、武田家の四大名城の一つといわれ、対織田軍との戦いでは、重要な拠点になるところでした。もし、高遠城を落とされたら、もう甲斐に侵攻する織田軍を防ぐ城はありませんでした。やっと、造った新府城は、未完成です。高遠城で食い止められなかったら、武田家は滅亡してしまうことになるのです。

 また、仁科盛信は、武将としても、信玄公の血を一番、継いでいるのではないかと思うぐらい、優れていました。領民に対しても、慈愛に満ちていて、信頼されていましたし、家臣にも慕われていました。その上、まだ若いので、戦場で大きな実績はありませんでしたが、勇者でした。勝頼は、次の戦では、仁科盛信に重く用いるつもりでした。仁科盛信なら、強大な敵にも、おめおめと破れることはないと信頼していたのです。

 でも、そんな仁科盛信は、自分自身も、勝頼も気が付かない内に、武田家を救っていました。それは、松姫も関わっている、信長の五男、ご御坊丸を、織田家に返還する話があった時でした。織田信長から、岩村城攻めの時、降伏して、甲斐に人質になったご御坊丸と、武田家で人質になっている人物との、むしのいい人質交換の話があった、勝頼は、激怒してご御坊丸を自害させようとしましたが、織田軍の勢い、仕返しを恐れた家臣に反対され、結局は、割の合わない交換だと分かっていても、応じようとしたのです。

 だけど、それが逆になりました。ご御坊丸をあっさり帰したことで、信長は、武田家が思ったよりも、弱気になっていることを感じ、大敵である毛利侵攻の前に、武田家を滅ぼすことを考えます。短期間で、武田家を滅ぼすことができないかぎり、毛利と武田という二大敵国との二正面で戦うことになるので、武田家は、毛利の後と考えていましたが、それを変更したのです。

 でも、それを仁科盛信が食い止めました。仁科盛信は、その事を知って、猛然と反対したのです。何故、そこまで反対したのか、仁科盛信自身分かりませんでしたが、どうしてもそれは駄目だという神の啓示というか、信玄公や、武田家臣団の御霊達の訴えを感じたのです。

 それで仁科盛信は、勝頼のところまで行くと、長篠の戦で敗れた後、岩村城を包囲されて、寛大な条件で、降伏したのに、最後には、騙されて、京都で磔にされた、武田家の重臣、秋山信友の名前を出して反対しました。ここで、ご御坊丸を無駄、無駄帰したら、秋山信友などの御霊が浮かばれないといったのです。

 それで勝頼は、思い止まりました。自分の事を真剣に思ってくれる仁科盛信の勢いに押されたのです。何か、信玄公が、弱気の自分を叱っている気がしたのです。ですから、勝頼は、ご御坊丸を自害させることは思い留めましたが、織田家に帰しませんでした。ご御坊丸を取り戻したかったら、腕ずくで、取り返しに来いという、堂々とした返答をしたのです。

でもその勝頼の返答は、武田家を救いました。信長は、その勝頼の返答に、まだまだ、武田家の強さを感じました。従来通り、武田家は、毛利を滅ぼした後だと決心しました。仁科盛信の心意気が、結果的に武田家を救うことになったのです。


 
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3、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
     「武田勝頼と仁科盛信」

 天正九年五月二十五日、勝頼と仁科盛信は、高遠城にいました。二人は、昔から仲が良く、甲府の御岳金桜神社などに、一緒に奉納したりしていましたが、五月二十三日には、諏訪神社に行っていました。二人で、新しく長年住んでいた、躑躅ヶ崎館から、新府城に移る武田家の繁栄を祈願していたのです。

 でも、二人の心は、重かったです。このままでは、武田家が滅亡することは、二人とも良く分かっていたのです。だけど、二人の結束は高く、武田家を何とかしようという気持ちは非常に大きかったです。二人には、武田家を滅ぼした後、織田信長が、何をしようとしているか、良く分かっていました。信玄公をおそれ、憎んでいた信長の性格から言っても、武田家の一族や、多くの家臣は、虐殺されると正しく理解していたのです。

 しかし、そうは言っても、二人には打つ手はありませんでした。本来なら、毛利侵攻を企てている織田軍に対して、美濃や三河に兵を出して、けん制したり、兵力が少なくなっているところに、攻めたりしたいところですが、信長の準備は万全でした。

 美濃には、1万の兵力がいて、岐阜に五千、岩村城に二千、明智城に一千、大垣城に二千と、守備を固めていますし、尾張の清洲城にも三千、小牧城に二千と、守りを固めています。しかも、三河、遠江の徳川家も、一万二千の兵は動かせます。武田家が、例え、二万の兵で、攻め込んでも、どうすることもできなかったのです。

 その上に武田軍が、そうしたら背後の北条家が、甲斐、信濃に兵を出す密約もあります。武田家が滅亡した後、次は北条家が滅亡させられることは、明白ですが、氏正は、織田家を選んでいるのです。こうなっては、勝頼にも打てる手はありませんでした。同盟国の上杉家も、柴田勝家率いる織田軍に、侵攻されて、苦戦しており、武田家と上杉家のどちらが先に滅びるかが問題になっていたのです。

 だけど、勝頼よりも、仁科盛信は、最後まで諦めるつもりはありませんでした。名門、武田家と最後まで共にする覚悟でした。今回、諏訪神社に、勝頼と二人で、参ることを提案したのも仁科盛信でした。少し疲れている勝頼を、昔、城主として暮らしていた高遠城に呼んで、励ましていたのです。

 また、そんな二人の前には、まだ小さい、仁科盛信の娘、4歳になる貞姫がいました。仁科盛信は、貞姫を、足元においてかわいがっていたのです。

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